I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「戦争の親玉」ボブ・ディラン

2016.04.01

category : Bob Dylan

Bob Dylan - Masters of War1 Bob Dylan - Masters of War2


Bob Dylan - Masters of War (1963年)



~ボブ・ディラン、最後の来日?~

デビュー以来50年以上もの間“時代の代弁者”として音楽界というカテゴリを越えて君臨し続けたボブ・ディランが2年ぶり、劇場公演としては15年ぶりとなる日本公演を行います。
4/4~28日の日程で全国5か所/12公演が予定されており、招へい元のウドー音楽事務所によると、もうすぐ75歳を迎える彼にとって“今回が最後の来日になる可能性が高い”とのこと。

今回のツアーでは「Masters of War」は演奏されていないようですが、近年の日本の置かれた政治状況を考えると彼のファンなら是非聴きたい作品ではないでしょうか…。



~概要~

「戦争の親玉」は、ボブ・ディランを一躍有名にすることとなる楽曲「風に吹かれて」(過去ログ)を含む1963年の2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin' Bob Dylan)』の収録曲です。

ディランの初期の曲の多くは作者が不詳のトラディショナル・ソング(伝統的な曲)を使用または加筆したものであり「Masters of War」も作詞は彼自身によるオリジナルですが、曲はイギリスのフォーク・ソング「Nottamun Town」を拝借したものとなっています。
ところがこの「Nottamun Town」を、アメリカのフォーク歌手Jean Ritchieがディランより先にレコーディングしていたため彼女によってクレームが入り、結局アレンジに対する彼女の権利を認めディラン側が5000ドル払って和解したそうです。
…とはいえ、彼の場合同じ楽曲でもライブのたびに全く違うアレンジ&メロディーとなってしまうので、権利を獲得してもあまり意味がないような気もしますが?
そのせいか1963年から30年間ディランは「Masters of War」をライブではアコースティックで演奏してきませんでしたが、1994年の広島公演で初めてアコースティックを披露しています。

極めてメッセージ性の強い「戦争の親玉」は後世とても多くの歌手によって歌い継がれており、ディランのアクの強さが苦手な人はマイルドなEd Sheeranが聴き易いでしょう。
でもディランが本当に凄いのはその“空気の読まなさ”であり、彼は1991年2月に“グラミー生涯功労賞”を受賞していますがその晴れの舞台で歌ったのが「Masters of War」!
この作品はタイトルの通り戦争指導者を強く非難している内容ですが、この時“アメリカは湾岸戦争の真っ最中!”(アメリカは1991年1月17日にイラクへの侵略を開始)であり、この時式典を見ていた私はブッたまげました…。 

  
 



~3,721名の若者たちは、なぜ死ななければならないのか?~

4月7日(1945年)は、旧大日本帝国海軍の“戦艦大和が沈没した日”
松本零士原作の漫画『宇宙戦艦ヤマト』のモデルにもなったこの戦艦の名はあまりに有名ですが、全長263m/総排水量72,809t/46cm主砲を供え当時世界最大の“不沈艦”と称されたこの船が、どのようにして沈没に至ったかをあなたはご存知でしょうか?
しかし“日本(やまと)”の宿命を背負った大和の悲運は、日本(やまと)を継いだ現代の私たちに大切な教訓を遺してくれています。
どうか、最後までお付き合いくださいますよう…。


 <概要>

1945年(昭和20年)3月26日、連合国軍の侵攻により沖縄戦( -6月23日)が開始。
これまでの戦闘で既に海軍・連合艦隊が壊滅状態であったため、日本軍はこの進攻を阻止する手段として陸・海軍航空機による特攻菊水作戦”を発令し、これに連携して連合艦隊も残りの船を集結させ大和を中心とする第二艦隊を沖縄に支援に向かわせます。
しかし4月7日、第二艦隊は鹿児島県坊ノ岬沖にてアメリカ海軍空母艦載機の攻撃を受け大和以下6/10隻が沈没坊ノ岬沖海戦)、沖縄に到達する前に作戦を断念する結果に終わり連合艦隊は事実上ここに壊滅。

…と、教科書的・通り一遍な説明をしてみましたが、これでは歴史は何の教訓も伝えてはくれません。
そこで、順を追って説明を加えながら詳しく(…といってもかなり簡略化しています)経過を辿ってみましょう。


 <経過詳細>

3月29日、連合国軍の沖縄侵攻に対する日本の方策について、軍令部総長が“航空機による特攻で迎え撃つ”旨を昭和天皇に奏上
その際、天皇に“総攻撃は航空部隊だけか?海軍にはもう艦がないのか?”と問われ、総長は“海軍の全力を投じて作戦を行います”と答えたそうです。
連合艦隊は既に有効な作戦を組めるだけの艦船も燃料も無かったが、総長は面目なさからつい大風呂敷を広げてしまったのだろう)

その後“大和による海上特攻”を考案した連合艦隊参謀が、これに反対の上司(参謀長)を通さず直接連合艦隊司令長官と軍令部の許可を取り付けてしまいます。
(この頃、関門海峡や母港・呉までアメリカ軍の機雷で埋め尽くされるほど日本は制海・制空権を失っており、通信も全てアメリカ軍に傍受・解析され偵察機や潜水艦が常時その動向を窺っている状況で、常識的に考えて“艦隊が沖縄へ到達することはほぼ不可能”であり、反対者も多かった)

4月5日、連合艦隊参謀長(上で反対してた人)らが第二艦隊司令長官に特攻を説得するため大和を訪れますがこの無謀な作戦を承服するはずもなく、参謀側の“要するに、一億総特攻のさきがけになって頂きたい、これが本作戦の眼目であります”の一言に全てを察した司令長官もこれを了承したといいます。
(戦場から遠く離れた本部が立てた作戦など戦況を目の前で見ている部隊にとって的外れであることは少なくありませんが、この場合“説得する側・される側の双方とも作戦は失敗すると知りながら任務に従って”いる)

その後、参謀長が第二艦隊の艦長らを集め“今回の任務は沖縄に突入後艦を座礁させ砲撃を行い、弾薬が尽きたら陸戦隊として敵へ突撃する生還を期さない特攻作戦”であることを告げますが…。
(第二艦隊側からは“陸戦武器がないじゃないか!”と作戦の不備を突かれてしまう。また、当の沖縄第三十二軍司令官はこの作戦を無謀とし作戦の連携を断っている

4月6日夕刻、第二艦隊は沖縄へ向けて出撃するも…
(案の定アメリカ軍は通信傍受によりこの作戦の全てを事前に承知しており、第二艦隊の任務は“米・潜水艦&偵察機を帯同しての航行”となった)

4月7日正午過ぎ、アメリカ軍空母艦載機386機に襲撃され2時間余りで不沈艦は沈没。
(大和の艦長は着任4か月・航海長に至っては僅か1週間という操艦の不慣れに加え燃料不足から殆んど訓練もできず作戦の準備不足により他の部隊からの航空機援護も得られぬ状況下の戦いであった)



~Epilogue~

…あなたは、一連の経過に何を思ったでしょうか?

『孫子の兵法』に、“兵とは国の大事なり、生死の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。(軍事は国家にとって重大事である。人の生き死に・国家の存亡を左右する。だからよくよく考えないといけない。)”という一節があります。
しかし大和の悲劇の経過を見る限り、当時国家の存亡を左右する立場にある人たちがよくよく考えた上で軍事を立案したわけでもなければ、“敵を知り、己を知れば百戦危うからず”に努めた気配さえ感じられません。
この時点で最も重要な判断基準は、“それを実行すると最終的に戦争の勝ちに繋がるのか?”です。
それがあってこそ試みる価値のある作戦であり、それを第一義に価値を量れぬ者が軍事を司ってしまったために生じた悲劇といえます。
もはや敵と戦うだけの軍艦や航空機・燃料がないことを認知しながら自らの負け(過ち)を認めることができず、そのつじつま合わせを国民の“一億総特攻”に負わせようなど…。

もちろん、この海上特攻が何の成算もない“単なる理不尽の押しつけ”であることを、大和の若い兵士たちも知っていました。
この特攻で実際に大和に搭乗し、数少ない生還者の一人となった吉田満(当時・海軍少尉)の記録小説
『戦艦大和ノ最期』には幾つかの映画にも使用された有名なエピソードがあります。
出撃前夜の酒宴で若者らがこの作戦について“戦死は軍人の誇りだ / いいや、これは無駄死にだ”と、激しい議論になりました。
そして、一人の青年が放った一言に一同は納得し、特攻の決意と覚悟を固めたとされます…

“進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ
 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた
 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか
 俺達はその先導になるのだ 日本の新生に先駆けて散る まさに本望じゃあないか”



この3月29日、条件を満たせば自衛隊が世界中で武力行使可能となる安全保障関連法が施行されました。
それを左右する同盟国アメリカは1776年の建国以来、239年間で222年(約93%)何らかの戦争を行ってきた国…
私がもう一つ懸念するのは、自衛隊の最高指揮官である安倍首相をはじめ政権の中枢を担う人たちのものの考え方が、先の戦争で日本を破滅に導いた軍指導者のように自分の願望で構想を描き、それに不都合な現実や人の意見を無視する傾向が強過ぎること。

大和の沈没は決してカビの生えた歴史ではなく、3,721名の尊い命の代償で得た今なお耳を傾けるべき教訓。
どうかこの国の指導者は先人の過ちを謙虚に省み、もう二度と同じ悲劇を繰り返されませぬよう…。



「戦争の親玉」

Bob Dylan-Masters of War(graphic) 投稿者 ccharlie182
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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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「風に吹かれて」ボブ・ディラン

2014.04.01

category : Bob Dylan

Bob Dylan - Blowing In The Wind2 Bob Dylan - Blowing In The Wind1


Bob Dylan - Blowing In The Wind (1963年)


~4年ぶりの“降臨”~

1962年のデビュー以来、メッセージ性の強いフォークやロックで後世に多大な影響を及ぼし、今なお第一線で活躍するアメリカのシンガー・ソングライター、ボブ・ディランが現在日本公演の真っ最中!
通常、このクラスの大物だと“ドームで一気に数万人を集め数公演でパッと帰っちゃう”という効率の良い興行形態となりがちですが、サスガに“神”は違います!
観客と近い2千人クラスのライブ・ハウス(Zepp)で14公演、東京・札幌・名古屋・福岡・大阪を3/31~4/21と3週間もかけて念入りに回ってくれちゃうのです♪

初日の東京では全19曲が演奏され、今回の紹介曲はアンコールのラスト・ナンバーでした…。


~概要~

「風に吹かれて」は1962年4月、ディランが友人たちと黒人の公民権運動について議論したことがきっかけで生まれました。
“そうしたテーマ”を扱うことが多く、世間は彼の作品を“プロテスト・ソング”と位置づけしたがりますが本人はそうした扱いを嫌っていて、この歌詞についても“言いたいことを書いただけ”と淡々としています。
また、曲については“カーター・ファミリー(1930年代に活躍したカントリー・ミュージック・バンド)のレコードか何かで聴いた古い霊歌に、言葉を当てはめた”と語っているそうです。
10分で書いたとされるこの曲は早くからステージで歌われ、周囲の好感触も得てリリース前からテレビでも披露されていました(1963年3月の映像)。

1963年5月、この曲が収録された2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin' Bob Dylan)』がリリース。
このアルバムはジャケット(写真参照)も有名で、これは彼が住んでいたアパート近くの通りで当時の恋人スーズ・ロトロと共に撮られたものですが、ナンとも微笑ましい一枚ですネ…。 

Bob Dylan - Blowing In The Wind1 Bob Dylan - Blowing In The Wind3  …ん?違う写真が紛れ込んでる!? 

ただ、この時まだディランは全く著名な存在ではなく(1stアルバムの売り上げは僅か5000枚)、「風に吹かれて」も当初シングル化されぬまま一般には知られてはいませんでした。


~ピーター・ポール&マリーによるカバー~

ボブ・ディランが有名になったのは「風に吹かれて」がきっかけでしたが、それは彼自身の歌唱によってもたらされたものではなく、カバー曲のヒットによってでした。
当時彼のマネージャーがフォーク・グループ“ピーター・ポール&マリー(PP&M)”を兼任していた縁から、彼らもディランの発表の翌月にシングルとしてこの曲をリリース、Billboard Hot 100で2位と大ヒットさせたことにより作者であるディランにも注目が集まり、彼のアルバムもヒットすることとなったのです。
ちなみにPP&Mのバージョンは1983年に日本のドラマ『金曜日の妻たちへ』に起用されたので、ご記憶の方もあるかもしれません…。



PP&Mのハーモニーは秀逸で、サスガに誰もを魅了する洗練された美しさがあります。
しかし歌詞を考慮した場合、味も素っ気もないディランのヴォーカルの方が“何かリアル”なカンジがして、これはコレで味わい深くてクセになる魅力があると思うのです…。
ディランは1985年の『ライヴ・エイド』でもキース・リチャーズ&ロン・ウッドと共演するなどこの曲を折りある毎に披露してきましたが、直近(2013年)ではこのように歌われているようですよ♪


~Lyrics~

How many seas must a white dove sail
どれほど遠く海を航(わた)ったなら
Before she sleeps in the sand?
白鳩は、砂に安息を得るのだろう

二つ、興味深い点がありました。
“鳩が海を渡る!?”
違和感がありますが、この歌には“平和への願い”が感じられることを思えば“白い鳩”は、そういう意味なのでしょうか…。

“鳩なのに、sail!?”
[sail]というとヨットなど帆船に用いるイメージがありますが、鳥などの場合には“飛ぶ”という意味もあります。
折角[sail]という海に関連した単語を引っ張り出しているので、こちらも応えて“航(わた)る”を充ててみました♪


Yes, how many years can some people exist
どれほど長い歳月を重ねたなら
Before they're allowed to be free?
人は、自由であることを許されるのだろう

この歌は黒人の公民権運動が出発点と上記しましたが、この辺りでしょうか…。
日本では、人が生きてゆく上で当たり前の“自然権”のように思われがちですが世界的には、自由とは“勝ち取って得られる権利”といえます。
実際にもアメリカでは“公民権運動の賛歌”として愛され続けているそうで、こうした長年の功績からディランはデビュー50周年を迎えた2012年に、文民に贈られる最高位の勲章“大統領自由勲章”を授与されたそうです。


Yes, how many deaths will it take till he knows
幾つ人の死を積み重ねたなら
That too many people have died?
彼は、その犠牲の大きさに胸を痛めるのだろう

この歌の詞は最初から最後まで“How many ~”の定型で綴られていますが、今回の訳では3番だけ敢えて“幾つ~”という形で表記してみました。
時代背景からすると、“ベトナム戦争”を想定しているのでしょうか…
このテの一節が現代でも思い当たってしまうというのは、悲しいことですね。



~Epilogue~

人は皆…
この歌の問いに対する“The answer”を、ディランに求めます。
しかし、彼の答えは決まってこうです。

The answer is blowin' in the wind.
吹かれるがまま、風の中を彷徨っている

“答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ。
紙切れみたいに飛ばされ、時に地上に降りても誰も拾って読もうとしない。”


だとしたら…
“その答え”に辿り着けないのは、私たち自身に問題があるからなのでしょう。
風は、いつも私たちの身近にあるのに目で捉えることはできず、手で掴もうとしても掌からすり抜けてしまう存在。

この作品に歌われる大きな問題とは、実は私たちの何気ない日常の中に潜んでいて、その“違和感”に鈍感だったり“見ぬふり”をしているうちに一人ひとりのそれが肥大化・集積し社会全体の問題となって、やがては“破裂”を招くという現象のことなのかもしれません。

それはきっと、私たち一人ひとりの責任…。


「風に吹かれて」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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