I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ラヴァーズ・コンチェルト」サラ・ヴォーン

2017.06.09

category : ~1960年代

Sarah Vaughan - A Lovers Concerto1 Sarah Vaughan - A Lovers Concerto2


Sarah Vaughan - A Lover's Concerto (1966年)



~6月の花嫁は幸せになれる?~

“6月の花嫁は幸せになれる”という【June bride】の伝説はローマ神話の女神[Juno]に由来するといわれますが、日本の6月は【梅雨】の時期でムシ暑いし雨が多いしで、肌感覚からすると“何でこんな季節にわざわざ大事な式典を?”と思ってしまいます。
これに対しジューン・ブライド発祥の地ローマでは6~8月は1年で最も降水量の少ない時期で、農作業の繁忙期を過ぎて区切りがよいということなどから6月の結婚は人気があるようです。
(ちなみにアメリカ西海岸もこの時期雨が少ない)

でもそんな日本でジューン・ブライドの風習が受け入れられたのは、日本人にとってロマンティックな西洋文化への憧れが根底にあるせいでしょう。
一説によるとこの風習を日本で広めたのは[ホテル業界]で、梅雨の時期に減る挙式を増やすためのアイデアだったそうです。
日本人がロマンチストなのか、お仕事熱心な国民性なのかはあなたの判断にお任せするとして…? 



~概要~

「ラヴァーズ・コンチェルト」というと、日本でも音楽の教科書に掲載されるなど親しみ深い洋楽曲の一つです。
(“あ~めのしずく~♪”…でしたっけ?)
作者はアメリカのソング・ライター、サンディ・リンザー&デニー・ランドル(Sandy Linzer and Denny Randell)による作品ですが、“聴き覚えのあるメロディー”には原曲があります。
原曲となっているのは18世紀のオルガン奏者クリスティアン・ペツォールト(Christian Petzold)の『メヌエット』「ト長調 BWV Anh. 114」(かつてはJ.S.バッハの作とされていた)で、これをリンザー&ランドルがアレンジして歌詞をつけたのが「A Lover's Concerto」です。

「A Lover's Concerto」は1965年にアメリカのガール・ポップ・グループ、ザ・トイズ (The Toys) のために生み出されました。
トイズver.はBillboard Hot 100で2位と、彼女らにとって最大のヒットとなったものの「サティスファクション」でブレイクした直後のローリング・ストーンズの「Get Off of My Cloud」にNo.1を阻まれてしまいました。
ちなみに同じ週では4週No.1を記録したビートルズの「Yesterday」が首位を陥落し3位に付けており、“相手が悪かった”と言えますが、年間成績では「A Lover's Concerto」が32位で「Yesterday」38位、「Get Off of My Cloud」の65位を上回っています。

親しみやすいメロディーの「A Lover's Concerto」はシュープリームスなどのカバーがありますが特筆すべきは日本での人気で、1966年に金井克子、1967年に尾崎紀世彦、その後もザ・ピーナッツや桑田佳祐、薬師丸ひろ子らが取り上げています。
しかし日本で最も認知されているといえばやはりサラ・ヴォーンのバージョンであり、ドラマでは『不機嫌なジーン』、CMでは『三菱シャリオグランディス』ほか多数でサラの「A Lover's Concerto」が長年使用されてきました。

サラ・ヴォーンは主に1940年代~50年代に輝かしい成功を収め、“女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家”とも評される伝説の黒人ジャズ・ボーカリストです。
…なので「A Lover's Concerto」のイメージでサラ・ヴォーンにアプローチすると全く的外れになってしまうため要注意ですが、彼女は案外ビートルズやカーペンターズのような楽曲も厭わないジャズ・シンガーでもあります。
「A Lover's Concerto」は1966年のアルバム『Pop Artistry of Sarah Vaughan』に収録されており、Billboard Hot 100でも63位を記録しました。

 
 



~Lyrics~

How gentle is the rain
何てやさしい雨だろう
That falls softly on the meadow
やわからかに、そっと草原に降っている

ハッピー・ソングといえば圧倒的に“”のイメージですが、「A Lover's Concerto」はいきなりそれを覆しています。
“雨であらねばならない理由”はストーリーの続きを読めばすぐわかるものの、“softly(柔らかに)落ちる雨”のイメージには困りました。

いわゆる【天気雨】を仮定して“音もしないほど粒が細やかでまばらな雨”を想像しましたが、こういう雨は[落ちる]ような表現が相応しいのか確信が持てなかったのです。
虹が出ている時の雨って、どうでしたっけ…? 


Birds high above in the trees
木立の高く、鳥たちは
Serenade the flowers with their melodies oh oh oh
美しい調べで花々にセレナーデを捧げてる

【Serenade】は特定の音楽形式のことではなく、“恋人や女性を称えるために夕方(または夜)屋外で演奏・歌唱される音楽”をいいます。
…なので、この場面の情景は明るい昼間ではなく、少し日が傾いた時間帯であるのでしょう。

愛を語るために歌が上手になったといえば、やっぱりさんですよね♪
ほかに“愛の歌い手”というとカエルさん、虫さん、…ブヒッ? (…キミ違うでしょ?


Be always true to me
いつも私だけを想い
Kept it stay in your heart eternally
いつまでも、どうかその心のままで…

…まさに、【June bride】にぴったりな歌♪
そしてこの歌は『タモリ倶楽部』[あの名物コーナー]に紹介されたことでも有名です。

2行目…
Kept it stay in your heart eternally
 “金粉してるよ ハゲてんのに…”

 そりゃぁ50年も共に暮らせば“ぬり”も厚くなるし、髪は薄くなるでしょ?




~Epilogue~

本作のテーマを構成する【concerto】は、ソロ演奏者(ピアノなど)とオーケストラという異なる要素で合奏された[協奏曲]です。
語源は【concertare】で、ラテン語では“競争する”、イタリア語では“協力する”という相反する意味が含まれており、[協奏曲]とは“異なる要素を持つもの同士(ソロとオーケストラ)が互いに競い合い、協力しあう演奏形態”を意味しています。

そして、歌詞を構成する【rainbow】もまた、[雨][太陽(光)]という異なる要素によって創り出される自然界の芸術です。
虹は、太陽の光が空気中の水滴によってプリズムの原理で屈折・反射された光のスペクトルで、雨と光以外にも観察者の位置条件(太陽と反対方向の空を向く)が揃わないと目視できません。


「A Lover's Concerto」~“愛する二人の協奏曲”

私たち人間も、[男性][女性]という二つの異なる要素で構成されています。
両性はいわゆる“ついてるもの”が違うだけでなく脳そのものが異なっており、それが故にモノの感じ方や考え方など差異が生まれるといわれます。
異質との交わりは不可解や労苦を伴うものですが、異なる音や雨と光がその困難を乗り越え音楽や虹をもたらすように、男性と女性の間にも[新たな恵み]を育むことができるはずです。

そして、それを実現させる唯一の根源こそ、【愛】
それは[永遠の愛]などという大仰なものではなく、自分が発している音、相手から伝わる音に日々耳を傾け、それを確かめ合い、調整しながら二つのものを一つにまとめ上げること。
異質の音の集まりが、そうして一つの美しい音楽へと創り上げられるように…。

And if your love is true
その時もし、想いが変わらぬ真実であったなら
Everything will be just as wonderful
生涯は、この上ない素敵なものとなる

愛とは、日々の小さな【concerto[協奏]】。
それを重ねた終着にこそ、[永遠の愛]があるような気がします。



「ラヴァーズ・コンチェルト」

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「ジョニー・B.グッド」チャック・ベリー

2017.03.24

category : ~1960年代

Chuck Berry - Johnny B Goode1 Chuck Berry - Johnny B Goode2


Chuck Berry - Johnny B. Goode (1958年)



~Charles Edward Anderson Berry 1926-2017 R.I.P.~

ビートルズやローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズをはじめ多くのミュージシャンに多大な影響を及ぼしたアメリカのロックン・ローラー/ギタリスト、チャック・ベリーが3月18日に亡くなりました(享年90)。
彼の遺したものの大きさは、その訃報を受けたポール・マッカートニーの“one of rock 'n' roll's greatest poets”、リンゴ・スター“Mr. rock 'n' roll music”、ブライアン・ウィルソン“a big inspiration!”、ロッド・スチュワート“It started with Chuck Berry.”、キース・リチャーズ“One of my big lights”…という追悼の言葉が物語っています。

また、ツアー中のジーン・シモンズとボン・ジョヴィは、それぞれの公演でチャックの代表曲の一つ「Johnny B. Goode」をパフォーマンスし、彼の冥福を祈りました。

 



~概要~

「ジョニー・B.グッド」はチャック・ベリー1958年のシングルでBillboard Hot 100の8位を記録、翌年3rdアルバム『Chuck Berry Is on Top』に収録された作品です。
作詞・作曲はチャック自身、彼の創作を代表するキャラクターとなった本作の主人公ジョニー・B.グッドは「Bye Bye Johnny」(ローリング・ストーンズもカバー)、「Go Go Go」、「Johnny B. Blues」といったほかの作品にも登場しています。

一方、ロックン・ロールを象徴するギター・フレーズとして多くのミュージシャンに引用されたイントロはチャックの創作ではなく、ジャンプ・ブルースを代表する歌手ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)1946年の曲「Ain't That Just Like a Woman (They'll Do It Every Time)」でギターを弾いた Carl Hogan のコピーといわれています。

本作はローリング・ストーン誌“500 Greatest Songs of All Time”7位、同誌“100 Greatest Guitar Songs of All Time”1位にも選ばれるロックン・ロールのスタンダード・ナンバーの一つであり、エルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックス、AC/DC、プリンスなどロック界を代表するスターたちがカバーしています。
ジョン・レノンが“ロックン・ロールに別名を与えるとすれば‘Chuck Berry’だ”と言及するほど彼を敬愛して止まないビートルズは彼の「Roll Over Beethoven」や「Rock & Roll Music」(過去ログ)を正式にレコーディングしているものの、「Johnny B. Goode」はそれが為されてはおりません。
ただし1960年代前半にBBCラジオで定期的に行っていたスタジオ・ライブでこれを披露しており(ヴォーカルはジョン)、この音源は1994年に発売された『Live at the BBC』に収録、またジョンは後年アメリカの人気トーク番組『マイク・ダグラス ショー』で憧れのチャックとの共演が実現しています。


そして、多くの人にとって「Johnny B. Goode」の魅力を再認識させられたのがマイケル・J・フォックス主演の1985年の映画『Back to the Future』ではなかったでしょうか?
ここではチャックのバージョンを背景に流すのではなく主人公マーティがダンス・パーティで歌唱する形が採られていますが、マイケル・J・フォックスのパフォーマンスが圧巻で、このシーンで本曲を知り、好きになった方も少なくないはずです(ただし実際の歌とギター音源はポール・ハンセンという人のもの)。

また、この映画はマーティが1985年から1955年にタイムスリップするというストーリーとなっていますが、創作と現実を巧みに織り混ぜた“小ネタ”が秀逸です。
1955年は現実にチャックが「ジョニー・B.グッド」を発表する3年前という設定であり、劇中では未来からやって来たマーティが歌うこの曲に閃きを覚えたマーヴィン・ベリーというギタリストが従兄弟のチャック・ベリーに演奏の模様を電話で生中継するシーンが組み込まれており、“「ジョニー・B.グッド」はマーティの歌からチャックにもたらされた”というジョークとなっています。

加えてここでマーティはチャックの代名詞でもある“ダックウォーク”のパフォーマンスを披露していますが、調子に乗った彼はベンチャーズのクロマティック・ラン奏法(テケテケ)やピート・タウンゼントのウインドミル奏法、ジミ・ヘンドリックスの背面弾き、エドワード・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法、果ては機材を破壊する未来の過激なパフォーマンスにまで発展させてしまい、会場全体の冷たい視線を浴びてしまうことになります。
その場を後にする彼が放つ“みんなにはちょっと早かった。君たちの子供は気に入るよ”の捨てゼリフは、日本人にとっては植木等の“お呼びでない?お呼びでないね…”を思い起こさせる親しみ易いオチではないでしょうか…? 

 
 




~Lyrics~

Deep down in Louisiana close to New Orleans,
ルイジアナをずっと南に下り、ニュー・オーリンズの程近く
Way back up in the woods among the evergreens
枯れることもない緑の森へと道を遡ると

ルイジアナ(州)とかニュー・オーリンズ(都市)といわれてもピンとこない方も多いと思いますが、【evergreen(常緑樹)】が物語るようにアメリカ南部・メキシコ湾に面した温暖で水が豊かである一方で標高が低く、有名な2005年の“ハリケーン・カトリーナ”上陸の際は1,500人以上の死者を出しました。
また、ニューオーリンズは“ジャズの発祥地”とされ、ジャズ以外にもさまざまな音楽が息づいている土地柄です。


There stood a log cabin made of earth and wood,
土と丸太の掘っ建て小屋があって
Where lived a country boy named Johnny B. Goode
ジョニー・B・グッドってカントリー・ボーイが住んでいる

“【log cabin(丸太小屋)】に土?”と疑問に思い確認のため調べてみたのですが、確かに土も使うようです。
丸太小屋はアメリカでは開拓精神の象徴で、その建築法を新大陸に伝えたのはスウェーデン人でした。
私は丸太だけで組み立てると思い込んでいましたが、木材の隙間を埋めるために泥や木屑などを用いたりするそうです。

日本では[ログハウス(log house)]の名称が一般的ですが、英語ではより小さなものを【log cabin】として区別されており、ジョニーの暮らしぶりが詳しく伝わってきます…。


Oh, the engineers would see him sitting in the shade,
機関士たちにとっても、それはいつもの光景
Strumming with the rhythm that the drivers made.
機関車との“リズムの協奏”に

【driver】というと運転手が一般的ですが、ここは“(車・列車などの)駆動輪”を想像しました。
【strum】は“軽くかき鳴らす”という意味で、ジョニーがギターの名手になれた背景にはこうした日々の“機関車相手の猛特訓”があったからなのかもしれませんね? 

先に“ニュー・オーリンズは音楽の町”ということをご紹介しましたが、このように日常何気ない生活の音一つひとつが音楽に繋がっているとしたら、当地に暮らす人々の音楽への“おおらかな愛着”を伝えているようで、とても素敵なフレーズに思えました。



~Epilogue~

チャック・ベリーはミズーリ州セントルイス生まれで両親は建設請負業と教師という中流家庭に育ち、美容・理容の資格を取得するなど学歴に相違点はあるものの、「ジョニー・B.グッド」はチャックの人生の断片を織り交ぜた創作であるといわれています。
彼は1953年にジャズ・ピアニストのジョニー・ジョンソン(Johnnie Johnson)率いるバンドに加入していますが、タイトルの一部である【Johnny】は彼に由来するもので、ちなみに後年ジョニー・ジョンソンは自ら「Johnnie B. Bad」という作品を発表しました。
また、それに続く【B.】は自身の[Berry]、【Goode】はチャックが実際に住んでいたセントルイスの通り[2520 Goode Avenue]から採られているそうです。


それから、間もなく60年…
チャックに憧れロックの世界に足を踏み入れたポール・マッカートニーやミック・ジャガーが70代半ばにして今も世界を駆け巡り、そして90歳のチャック自身も今年6月16日にニュー・アルバム『CHUCK』のリリースを控え、新曲「Big Boys」の音源を公開しており、ここでの彼のギターと歌声はとても90歳とは思えません!

「ジョニー・B.グッド」が“今これからの少年”を主人公としていたように、当初ロックは若者の夢と希望を代弁するものでしたが、[創造者]であるチャック自らが更なる道を拓いてくれたことによりロックは“90歳でも現役でいられる”ことが証明されました。
時代は変わり、移ろうのがその宿命であるとはいえ、それは同時に古い時代の常識を打ち破る“新たな可能性”をもたらすものでもあります。
それは、私たちが少年の日に芽生えさせた夢を90歳になっても抱き続けることができるという希望であり、また難病・パーキンソン病を患ったマイケル・J・フォックスを再びステージに甦らせることでもあるのです。


Go, Johnny, go, go...
Johnny B. Goode

この作品は、そんなあなたへの応援歌
あの日芽生えた夢を、いつまでも大切に…




「ジョニー・B.グッド」

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「上を向いて歩こう」坂本九

2015.07.31

category : ~1960年代

Kyu Sakamoto - Sukiyaki2 Kyu Sakamoto - Sukiyaki1


Kyu Sakamoto - Sukiyaki (1963年)



~没後30周年・特別企画~

Billboard史上、Hot 100でNo.1を達成した唯一の日本人である坂本九さん。
その彼が飛行機事故で突然に亡くなったのが、1985年8月12日でした(享年43)。

今回は坂本さんの没後30周年特別企画として、日本の歌である「上を向いて歩こう」を特集いたします。
通常とは異なる編集となりますが、2回に分けて記事を完成させますので、どうかお付き合いください。
(※以下、敬称を略します)



~Prologue~

坂本九(きゅう)は1941年12月10日、神奈川県川崎市にある荷役請負業の社長の第9子として生まれ
“九(ひさし)”と名付けられます(両親の離婚により、その後の本名は“大島九”)。
エルヴィス・プレスリーのファンだった九少年はエルヴィスの物マネを得意とし、高校在学中の1958年に当時ロカビリー・バンドとして活動していた“ザ・ドリフターズ”の一員として一時在籍しました。
翌1959年6月に「題名のない唄だけど」(ビクター)でレコード・デビュー、1961年10月1日までにシングル9枚のキャリアを築き上げました。

一方、当時既に放送作家・脚本・作詞(1959年の「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞)など幅広い活躍を遂げていた永六輔は、『日米安全保障条約』の改定を巡り世論や議会の反対を押し切って成立させようとする自民党・岸信介内閣に民主主義の危機を感じ、この頃担当していた脚本の仕事を降板してまで抗議行動(いわゆる『60年安保闘争』)に参加していました。
5月に新条約案が衆議院で強行採決されると闘争は一層激しいものとなり、同年6月には機動隊との衝突により女子大学生が命を落とし、10月には永が慕っていた政治家が右翼少年に刺殺されるという事件が発生、彼を深く悲しませることになります。
そんな折、作曲のパートナー中村八大(はちだい)から“歩く歌”の詞を依頼され、永は心の中にある思いのすべてを「上を向いて歩こう」に込めたのでした…。



~ウへッフォムフフィテ、アハルコフホフホフホフ…!?~

永の書いた「上を向いて歩こう」の歌詞を受け取った中村はこの作品を、かつて自身が作曲を担当したロカビリー映画『青春を賭けろ』(「黒い花びら」が主題歌)に出演していた坂本九に歌わせることを思い描いて曲作りを進めたそうです。
1961年7月21日、『第3回中村八大リサイタル』で「上を向いて歩こう」がお披露目されることになりますが、坂本自身も当日になって初めて楽譜を渡されたため、その時の戸惑いをこう後述しています…

“あの曲を貰った時はどうしようかって思った。だってメロディに対して恐ろしく歌詞が少ない。
最初、間違いかと思ったくらい。…で、いろいろ考えてああいう歌い方をしたんです。
八大さんは、僕ならプレスリーみたいに歌うだろうと思っていたらしいから。”



 ウへッフォムフフィテ、アハルコフホフホフホフ…

 何なんですか、あれは!? もっと歌の上手い人に歌って欲しい。日本語を大切に歌って欲しい!
リハーサルを聴いた永六輔が怒って中村に抗議すると、中村は泰然として答えました。

 あれでいいんだよ。あれがいいんだ…。



~お茶の間の「上を向いて歩こう」から、世界の「Sukiyaki」へ~

1961年8月19日、「上を向いて歩こう」は永と中村が構成・音楽を担当するNHKのバラエティ番組『夢であいましょう』でTV初披露、その後も2ヶ月間同番組の“今月のうた”としてお茶の間で親しまれ支持を獲得してゆきました。
同年10月15日にレコードが発売されると待ち侘びたかのように大ヒットを記録、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』では11月~翌年1月まで1位を継続したという統計もあるそうです(当時まだオリコンが存在せず、売り上げなど詳細なデータは不明)。
一年の締めくくりを『第12回NHK紅白歌合戦』初出場という最高の幕切れで終えた坂本でしたが、運命とは時として小さな偶然からもたらされるものであり、その先に夢も及ばない“世界への扉”が用意されているなど、この時誰が予見できたでしょう…。


“小さな偶然”は、まずイギリスへと扉を結びます。
1962年、パイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが日本を訪れた際、お土産で貰った日本のレコードの中にあった「上を向いて歩こう」を気に入り、所属ジャズ楽団のケニー・ボール&ヒズ・ジャズメンにインストゥルメンタルとしてカバーさせることを思いつきました。

タイトルが「Sukiyaki」になった理由は諸説あって、ベンジャミンが来日の際印象に残った食べ物が“スキヤキ”だったという説や、イギリス人が知っている日本語だからという説もあります。
この時ケニー・ボールはトランペットに“おまる”を併用させて悲しみを表現したそうで、それが功を奏したか(?)彼のver.は全英チャートで10位を記録しました。


続いて扉は、いよいよ“運命の地”へ…
アメリカ西海岸の北端、ワシントン州にあるパスコという小さな町の“小さな偶然”から始まります。
ある日、ラジオ局のDJリッチ・オズボーンの元に、“日本のペンフレンドに貰った”という番組リスナーから、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」のレコードが送り届けられました。
オズボーンがこれを番組で紹介した所問い合わせが殺到、またたく間にワシントン州全体に人気が広まります。
これを聞きつけたキャピトル・レコードが配給権を獲得、改めて「Sukiyaki」として1963年5月3日に正式に全米へ向けてリリースされました。

Billboard Hot 100では6月15日付から3週連続No.1、Cash Box誌では4週連続No.1の大ヒットを記録し、“英語以外の言語でHot 100 のNo.1に輝いた史上2番目の曲”(現在まででも6曲のみ)となりました。
ちなみに、これまでYMOや松田聖子、倖田來未や宇多田ヒカルなど日本を代表するミュージシャンがアメリカに挑んではいますが何れも成功には至らず、辛うじてヒット(Top40入り)といえるのは1979年ピンク・レディーの「KISS IN THE DARK」(37位)のみです。

 



~歴代の名曲として、世界で愛され続ける「Sukiyaki」~

「Sukiyaki」の大ヒットを受けて1963年8月に坂本が渡米した際、空港には3000人を超えるファンが彼を出迎えたそうで、これは「抱きしめたい」が大ヒットし初めてビートルズが渡米した時に肩を並べる数字ですから、Kyu Sakamotoの人気はオドロキという外はありません!
この時、坂本はテレビ番組『Steve Allen Show』に出演しており、その貴重な映像を紹介いたします。

1964年5月、「Sukiyaki」はRIAAのゴールドディスク(当時は100万枚以上)に認定されていますが本作品の人気はアメリカ一国に限らず、約70ヵ国でリリースされ世界総売り上げはナンと1300万枚以上に及ぶといいます!
この数字はホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(1500万枚)、ビートルズの「I Want to Hold Your Hand」(1200万)に肩を並べる次元であり、つまり「Sukiyaki」は日本語で歌われたハンデがあるにも拘らず世界の中でこれらと同等に認識されている歌なのです。

また、この曲が世界中で愛されている本当の証はインストゥルメンタルはもちろん、英語やスペイン語、ドイツ語、クロアチア語、フランス語、デンマーク語、ポルトガル語、北京語、広東語、台湾語…といった多言語で、実に多種多様にカバーされていることです。
この中で特に有名なバージョンといえば、黒人の女の子2人をフィーチャーした1981年の“A Taste of Honey”ver.でしょう。
歌詞はメンバーの Janice Marie Johnsonによって英語に書き換えられており、“失恋の悲しみ”を歌った内容になっているほか“琴や着物”を起用して和テイストで彩り、Hot 100でも3位(年間22位)と大ヒットしました。
さらに1994年には、このバージョンをカバーしたR&B男性ヴォーカル・グループ“4 p.m”ver.もHot 100の8位(1995年の年間48位)を記録しています。
もちろん日本でも美空ひばりをはじめ数え切れないほどカバーが存在しますが、独自色があり歌詞が彼自身の生き方に重なるRCサクセション(忌野清志郎)ver.が印象的です…。

 



~“冬”は、上を向いて歩きたくない?~

ところで、「上を向いて歩こう」は、春…夏…秋…と、わざわざ季節を一つひとつ挙げて詞が綴られているにも拘らず、“冬だけが触れられていない”ことにお気づきの方も多いでしょう。
確かな理由は不明ですが(永六輔本人が“冬が嫌いだから”という説もあるらしい)、実は“冬”の項もあるのです!
もちろんオリジナルには秋までしかありませんが、それは1962年公開の“映画『上を向いて歩こう』の中”に存在しています。

この映画は坂本九ほか高橋英樹、浜田光夫、吉永小百合らそれぞれに問題を抱えた若者がそれを乗り越え歌うフィナーレの「上を向いて歩こう」が重要なテーマとなっており、撮影が冬だったことから舛田利雄監督が作詞者・永六輔に“冬の日”の作詞を依頼したそうです。

思い出す 冬の日 ひとりぼっちの夜…
(“冬の日”のセンテンス全体は、動画でお確かめください)





~Epilogue~

1985年8月12日に発生した“日本航空123便墜落事故”は、坂本さんを含む520名の人命を奪った日本史上最悪の航空機事故でした。
坂本さんはこの日、元マネージャーの選挙応援のため大阪へと向かう予定がありチケットを求めるも満席で希望の便が取れず、事故機に乗り合わせています。
実は、彼は2歳に満たない1943年、空襲を逃れるためお母さんと疎開で乗り合わせた列車が川に転落し110名が死亡するという大事故(常磐線土浦駅列車衝突事故)に遭っていますが、直前に別の車両に移っていたために災難を免れるという強運の持ち主でもありました。
この出来事を“笠間稲荷神社のご加護”と信じる彼は、飛行機事故当日も笠間稲荷のペンダントを身に付けていたそうですが…。


上を向いて歩こう

悲しげだけれど、心を惹かずには置かないフレーズ…。
“うつむいた”悲しみの詩は星の数ほどあるけれど、“上を向いた”悲しみの詩はあまり聞いたことがない。
きっとそれは、“人生そのもの”を象徴している気がする。

涙がこぼれないように

僕にだって、覚えがある。
人は、いつか悲しみと遭遇しなければならない。
どんなに孤独に苛まれようと、大切な人がそばにいてくれた昨日に戻ることはできないんだ。
“涙”が止まらなくても、“歩く”ことは止められない。
それが、“生きる”ということだから。

上を向いて歩こう

どんなに淋しくたって、見上げた空の彼方にいつも“あの人”が微笑んでいてくれるから…。 



「上を向いて歩こう」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「スリル・イズ・ゴーン」B.B.キング

2015.05.22

category : ~1960年代

BB King - The Thrill Is Gone1 BB King - The Thrill Is Gone2


B. B. King - The Thrill Is Gone (1969年)



~“The Thrill” Is Gone~

5月14日に亡くなった“キング・オブ・ザ・ブルース”、B.B.キング(享年89)。
先日来日したポール・マッカートニー(72)や前回のベン・E・キング(76)も“音楽界の歴史書”と言っていいレジェンドですが、その彼らより一回り以上年長の大先輩です!

アメリカの“National Heritage Fellowship(日本の人間国宝に相当)”であるB.B.キングにはオバマ米大統領をはじめエリック・クラプトン、ミック・ジャガー&キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ジーン・シモンズ…ほか数え切れない著名人から追悼が寄せられ、ツアー中だったU2は1988年にB.B.キングと協演した「When Loves Comes To Town」を捧げました。
また、音楽オーディション番組『The Voice』の5月19日の放送ではクリスティーナ・アギレラ、アダム・レヴィーン、ブレイク・シェルトン、ファレル・ウィリアムスらによる「The Thrill Is Gone」のトリビュート演奏も披露されています。

 



~概要~

「スリル・イズ・ゴーン」は1969年の17thアルバム『コンプリートリー・ウェル(Completely Well)』からの1stシングルとしてBillboard Hot 100で15位(R&B3位)を記録したB.B.キング(以降;B.B.)にとって最大のヒットであり、彼のライブには欠かすことのできない代表曲です。
当時B.B.はブルースとロック、ファンクなどとの融合を試み始めていた時期で、「The Thrill Is Gone」でもストリングスを起用して都会的なサウンドを創り出したことで、一部の保守的なブルース・ファンや評論家からは当初“商業主義”との批判もあったといいます。

一方、「The Thrill Is Gone」は1970年のグラミーでB.B.に“最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞(Best Male R&B Vocal Performance)”をもたらし、1998年には“グラミー殿堂賞(Grammy Hall of Fame)”が授与されるなど広く、長く愛される作品となりました。
もちろん、ローリングストーン誌“the 500 greatest songs of all timeの183位”にも選出された名曲でもあります。

あまりにB.B.のイメージが強いせいか、本作が彼のオリジナルと思っている方も多いのではないでしょうか?
「The Thrill Is Gone」はB.B.から遡ること18年…ロイ・ホーキンスが1951年に発表した作品で、当時もR&Bチャートで6位になりました。
B.B.キングver.はギター・ベースであるのに対しオリジナルはピアノ&サックス・ベースであり、どこか日本のムード歌謡っぽい趣きがあると思うのは私だけでしょうか…?

 


また、B.B.は本作品でジャンルや世代を超えて多くのミュージシャンと共演しており、エリック・クラプトンやゲイリー・ムーア、スティーヴィー・ワンダーやウィリー・ネルソン、トレイシー・チャップマン…
さらには、三大テノール・ルチアーノ・パヴァロッティまでもが一緒に歌っています!
B.B.以外にもカバーは沢山ありますが、私はアレサ・フランクリンがお気に入り♪

 
 



~Lyrics~

Thrill is gone
スリルが過ぎ去った…
The thrill is gone away
ぞくぞくさせる胸の高鳴り

「Thrill is gone」…
B.B.のパフォーマンスばかり注目されがちですが、タイトルをはじめ平易な単語から多くの妄想を誘う言葉の使い方には、作者のセンスを感じます。

【thrill】はゾクゾクが“良くも悪くも取れる言葉”であることがミソで、【gone】もいろんな場面を想定できるハズ。
正邪を併せ持つ、“諸刃の剣”のような人…
でも【thrill】に喩えられるなんて、よっぽど魅力的な女性なのでしょうね?


You know you done me wrong, baby
覚えているだろう? 俺にした仕打ち
And you'll be sorry someday
いつか、お前はそれを悔やむ日がくる

この【done me wrong】は【go away】と同意と思われますが、後に“It's gone away for good”とあるように、その背景ついて唯一言及されています。
ただし、ここでも【good】の懐が深く、彼女が何に釣られ離れて行ってしまったのか特定できないので“よいもの”としておきました。

ちなみに【go away】には、単純に“立ち去る”という意味もあれば、“駆け落ちする”と用いられることもありますが…。


Someday I know I'll be open armed, baby
いつか俺も、お前を祝福する日がくる
Just like I know a good man should
よき男とは、そうあるべきものだから

相手の裏切りを水に流し、それによって手に入れた幸せを心から祝福なんて容易くできるものではありません。
でもそんなナイス・ガイがフラれてしまうなんて、やっぱり“男の価値は、愛より○○”?

顔で笑って、心で泣いて…
このセンテンス、『男はつらいよ』と訳したかったなぁ…。 



~Epilogue~

この作品は“失恋のblue”を綴った歌ですが、B.B.キング自身は実生活で2度結婚し2度離婚しているようです。
1度目は1946-1952年、2度目は1958-1966で、「Thrill is gone」はその2~3年後に歌われていたことになります。
彼の結婚生活が何れも短命で終わってしまった原因は“B.B.の250回/年以上にも及ぶコンサート”だったとも言われ(独身に戻った1956年は342回/年行ったらしい!)、彼がほとんど家庭にいなかったであろうことは想像に難くはありません。
その後亡くなるまでの49年間B.B.は独身を通し、1980年代から2000年代のつい最近までテレビのショーやコンサートで300回/年ステージに立ってきたそうです。

Although, I'll still live on
それでも、俺は生き続ける
But so lonely I'll be
たった一人の孤独な道程…

私が『男はつらいよ』を引き合いに出したのには、理由があります。
主人公・車寅次郎は毎回恋をするものの結局成就することなく、またその繰り返しです。
でも全くチャンスがないわけではなく、自分から身を引いてしまうことも少なくありません。
その背景には、“旅がらすの男が、女を幸せにできるのか?”というある種の自制心が働いていたせいもあるのではないでしょうか…
;長寿シリーズの都合という説もあるが?)
…そう考えた時、この二人の男の人生に意外な共通点を見出したというワケです。
もっとも…

“B.B.キングには、婚外子が15人いる。”

…そうですけどネっ(サスガは“King”)!? 



「スリル・イズ・ゴーン」

“Lyrics&歌詞和訳”は下の“続きはこちら>>”をクリックして表示させてくださいね♪


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tags : 音楽 洋楽 和訳 Lyrics 

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「スタンド・バイ・ミー」ベン・E・キング

2015.05.15

category : ~1960年代

Ben E King - Stand By Me1 Ben E King - Stand By Me2


Ben E. King - Stand By Me (1961年)



~何かが宿る特別な曲・「Stand By Me」~

今回は、4月30日に亡くなったベン・E・キング(享年76)の特集です。
一方で、直近にはB.B.キングの訃報も届き、“R&Bの巨人”二人を一度に失った悲しみは遣り場もありませんが、記事を編集することで故人への敬意と追悼を捧げたいと思います(B.B.キングは次回特集予定)。

半世紀以上に亘るキャリアを誇るベン・E・キングにとっても、「Stand By Me」は“何かが宿る特別な曲”。
70歳を過ぎても現役を通した人で、2005年のハリケーン・カトリーナや2011年の東日本大震災後にも被災地を訪ね「Stand By Me」を歌いました。
伝説のソウル・マン、ベン・E・キングの冥福を祈って…。



~概要~

「スタンド・バイ・ミー」は、ベンが在籍したドリフターズを去りソロ歌手に転向した翌1961年に発表したシングルで、Billboard Hot 100で4位を記録、その25年後に映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌として脚光を集め1986年に同9位(1987年・年間67位)と、時を隔てて二度のTop10入りを果たした作品です。
データを挙げるまでもなく誰もが認める名曲ですが、「スタンド・バイ・ミー」はアメリカの著作権管理団体・BMIによると“20世紀にアメリカのラジオ・TV番組で最も多く放送された曲・Top 100 Songs of the Centuryの4位”に認定され、ローリング・ストーン誌“500 Greatest Songs of All Timeの122位”にもランクしています。
また、今年3月25日には「スタンド・バイ・ミー」が文化的・歴史的に重要な価値があるとして、アメリカ議会図書館に保存されることが発表されました。

本作品はベンの代表曲として有名ですが、元々はドリフターズ時代に書かれたものでした。
しかし起用されぬままグループを離脱、ソロになってデビュー・アルバム『Spanish Harlem』のセッションでプロデューサーのジェリー・リーバー&マイク・ストーラーに“あと何曲か無い?”と求められベンがピアノで弾いてみせたのが「スタンド・バイ・ミー」です。
ジェリーとマイクはそれを気に入り、作品を手直ししてシングルとして発表されました。
(マイクによると作品への貢献度はベンが50%・残りの二人がそれぞれ25%だそうで、収録アルバムは1962年の『Don't Play That Song!』


これまでもオーティス・レディングモーリス・ホワイト、トレイシー・チャップマンなどがカバーしているスタンダード・ナンバーですが、ベン・E・キングと二分する人気といえばやっぱりジョン・レノンver.ですよネ♪
ジョンver.は1975年のカバー・アルバム『Rock 'n' Roll』に収録され、Hot 100でも20位を記録しました。
この頃ジョンはヨーコと“失われた週末”を過ごした時期であり、ジョンのヴォーカルがヤケに切ないのは“そのせい”かもしれません。
また、このジョンのカバーについてベン本人は“まるで自分の曲のように歌ってくれたことが大変うれしかった”と語っているそうです。

 
John Lennon / Lady Gaga ft. Sting やっぱガガ様、“持ってる”わぁ~!



~映画『スタンド・バイ・ミー』~

…そして、多くの人にとって忘れられない記憶といえば、1986年公開の映画『スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)』
ホラーの大家スティーヴン・キングにしてはロマンティックなタイトルですが、原作のタイトルは『The Body』…。
(映画をご覧になった方なら“The Body=○体”であることは、ピンとくるでしょ?
物語の主な舞台は1959年のアメリカで、劇中でも「Lollipop」など当時のヒット曲が用いられており、「Stand By Me」はエンディングで流れます。

この映画はホラーではないものの少年たちが○体探しに出掛けるという設定や、生々しい○体が登場するなどスティーヴン・キングらしさも見え隠れするため劇中で流れるポップな音楽が果たした役割は大きく、それが映画のヒットにも貢献したといえるのではないでしょうか…。
とりわけ、映画のタイトルにも掲げられる主題歌の醸し出す爽やかな後味が心に強く残り、そのせいか“「Stand By Me」=友情の歌”と思っておられる方も少なくないようです。





~Lyrics~

When the night has come
夜が来て
And the land is dark
あたりは闇に染まり

「スタンド・バイ・ミー」は、アメリカのチャールズ・ティンドリー牧師(Charles Albert Tindley)が作った1905年の黒人霊歌(spiritual)「Stand By Me」(ポピューラ・ソングと区別するため「Lord Stand by Me」とも呼ばれる)に基づいているという説があります。
メロディーは異なるものの、「Lord Stand by Me」の冒頭が“When the storms of life are raging, Stand by me…”で始まるように、“the storms(the night)が来てもStand by me”という主旨は共通性がありそうです。

黒人ではありませんが、同じ“King”エルヴィス・プレスリーも「Lord Stand by Me」を歌っています…。




Whenever you're in trouble won't you stand by me
君が苦しい時も、どうか離れずに
Oh stand by me, oh won't you stand now, stand
あぁ…今この瞬間、君にいて欲しい

一方で、本作品は“ゴスペルの王”ジェームズ・クリーヴランド(James Cleveland)の「Oh Lord, Stand By Me」に基づいているという説もあります。

There's trouble all in your home(Oh Lord, oh Lord, stand by me)

…これもやはり、“troubleに見舞われてもStand by me”という主旨に共通性がありそうです。




All the mountains should crumble to the sea
すべての山々が海に崩れようとも
I won't cry, I won't cry
泣いたりしない

また、旧約聖書・神(ヤハウェ)への賛美の詩が収められた『詩篇(Psalm)』(46:2)には、次のような記述があります。

Therefore we will not fear,
though the earth give way and the mountains fall into the heart of the sea,

このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
(口語訳;日本聖書協会)

ここまで“3つの「Stand By Me」”をクローズアップしてきましたが、これらの作品は何れも聖書に発想の源があると考えられます。
アメリカに奴隷として強制連行されたアフリカ人たちは彼ら独自の言語・宗教などを剥奪される一方、奴隷主(白人)の文化を押し付けられる形でキリスト教への帰依が始まりました。
しかし、次第に彼らは黒人霊歌やゴスペルといった独自の文化を生み出すことで、差別や貧困の苦痛からの救いを見出してきたのです。
彼らが歩んできた歴史に思いを致すと、彼らにとって信心と音楽がどれほど大切なのかを、私たち日本人にも理解できるような気がします。



~Epilogue~

「Stand By Me」の源泉には、“神への敬慕”が感じられます。
でもこの歌には【God】や【Lord】など、神々しい言葉は添えられてはいません。

Just as long as you stand, stand by me
ただ君が、そばにいる限り

この作品に於いて、敬慕の対象は【you】。
その人がいる限り、視界を暗闇に奪われようが、たとえ空が天から落ちて来ようが怖くはない…
…そんな風に思わせる“心強い誰か”です。

So darling, darling
だから、愛する人よ

作者であるベン・E・キングは「Stand By Me」について、“妻へのまっすぐな思いを歌った曲”と語っています。
ゴスペルなど【Lord】の厳かさに比べ、【darling】が入ると急に世俗的になってしまう感もありますが、この歌の本当に素敵な所はそこにこそあるのではないでしょうか?

【stand by】は“そばにいる”のほかにも“援助する・(いざという時に)頼りになる人”という意味も含まれ、“苦しい時も、楽しい時も、そばにいて助け合って生きてゆこう”と歌っているからです。
そんなかけがえのない存在に対し“神を称え、敬う心で君を想い慕う”という最上級の愛情が込められているからこそ、主人公の気持ちに強い共感を覚えるのだと思います。

大切なのは、“その力”を信じ抜くこと。
神サマは、畏れ敬わなくっちゃ♪
日本でも、よく言うでしょ…

“うちのカミさんがねぇ~?” 


「スタンド・バイ・ミー」

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