I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ドント・ノウ・マッチ」リンダ・ロンシュタット&アーロン・ネヴィル

2013.12.30

category : Linda Ronstadt

Linda Ronstadt ft Aaron Neville - Dont Know Much1 Linda Ronstadt ft Aaron Neville - Dont Know Much2


Linda Ronstadt ft. Aaron Neville - Don't Know Much(1989年)


~Prologue~

どうしてこんな素敵なデュエット・ソングが、日本では生まれないのだろう?
日本でデュエット曲というと、一杯飲んでほろ酔い気分のオジさんが宴会で(半ば強引に?)女性を誘ってカラオケで歌う(…ために作られた?)イメージが強く、私にとって音楽または歌詞に心を揺さぶられることの少ないジャンルとなっています(あくまで、個人的な主観です)。
せっかく男女が一緒に歌うなら、もっと違った“創造”もあるだろうに…?

たぶん邦楽と洋楽で最もギャップのあるジャンルの一つが、デュエット曲なのかもしれません。
2013年を締めくくりは、厳かでほっこりさせるデュエット・ソングをお届けいたします♪


~概要~

1970年代のアメリカを代表する歌姫、リンダ・ロンシュタット。
リンダにとって1980年代中頃は転機となった時期で、ジェームス・イングラムとのデュエット曲「Somewhere Out There」の大ヒットは彼女に新たな扉を開いています。
1989年、リンダはアルバム『Cry Like A Rainstorm, Howl Like The Wind』を発表しますが、このアルバムもアーロン・ネヴィルを招いてのデュエットが話題を呼び更なる成功へと導きました。

アーロンはR&Bバンド“ネヴィル・ブラザーズ”のメンバーで、泣く子も黙るコワモテと厳ついガタイからは想像もつかない、甘く優しいコトこの上ない魅惑のファルセットの持ち主!
彼はこのアルバムで4曲リンダと共に歌っていますが、1stシングル「Don't Know Much」のBillboard 2位(1990年間20位)だけでなく、11位を記録した2nd「All My Life」にも貢献しています。

成功は、チャートやセールスに止まりません。
1989年のグラミーでは「Don't Know Much」が“Best Pop Performance By A Duo Or Group With Vocal”と“Song of the Year”にノミネートされ、前者を授賞。
翌年、同賞を「All My Life」により2年連続で獲得しています。
89年のグラミーは私も見ましたがこの時の二人のパフォーマンスは、今も心を離れません…。

「Don't Know Much」というとリンダ&アーロンのバージョンが圧倒的に有名ですが、実はカバー作品です。
作者はライチャス・ブラザーズの作品でも知られるバリー・マン&シンシア・ワイル夫妻とトム・スノウで、1980年にバリー・マン自身のアルバムで発表されました。
その後81年にビル・メドレーがHot 100の88位、83年にベット・ミドラーが同77位とカバーしていますがヒットには至っていません。


~Lyrics~

今回「Don't Know Much」を、私は“男女が歌い分ける形で訳して”いますが、最初にバリー・マン自身がソロで歌っていることからすると、元々この詞はデュエットを前提として書かれたものではなく“一方から他方へのメッセージ”だったようです。
そう考えると、また別の趣きが生まれてくるかもしれません…。

Look at this life
見てごらん
I still don’t know where it’s goin’
未だ迷ってばかりのこの人生

顔にその“年輪”が刻まれる男が、未だ自分の人生を確かなものにできずにいます。
『論語』に“四十にして惑わず”とありますが、迷いのない人などいるのでしょうか…?


Look at these dreams
見て…
So beaten and so battered, hoo…ooh…
打ちのめされ、ボロボロになったこの夢を

女も、その人生に“いろいろ”あったようです。
経験を重ねるほど自分の弱さを思い知り、心の中の傷(痕)も増えてゆきます。
そうした年齢の人を愛するとは、“そうした背景も受容する”ということでもあるのでしょう…。


So many questions
多くの問いに
Still left unanswered
答えを見出せぬまま

人生とはきっと、“そういうもの”なのではないでしょうか?
たとえ天寿を全うしたとしても、見つからない答えはある…


~Epilogue~

PVに目を向けてみると、映像ではリンダ&アーロンが夫婦(?)を演じ、過去の二人を走馬灯のように巡らせています。
印象的なのは、出逢った頃の若い二人が“ひらめく真っ白なシーツ”と共に生気溢れるように見えるのに対し、歳月を重ねた現在の二人はそれが衰退し“がらんとして、くすんだ空間”が、どこか淋しげに映し出されていることです。

I don't know much But I know I love you
わからないことばかりだけれど、この愛は迷わない
And that may be All I need to know
きっとそれこそが、二人の知るべき全て…

経験は、いつも正しい方向に導いてくれるわけではありません。
豊富な知識が懐疑や迷いを生み、失敗や挫折が心の傷や恐れを育み、“何を為し、何を信ずれば良いか判らなくさせる”ことさえあります。
だからこそ“本当に大切なものは何か”、心を整理してみるべきなのでしょう。
一番大切なものという“骨組み”に、二番目三番目を“枝付け・肉付け”していくというような…。

そして、この二人にとって一番大切なものが、“パートナー”だったというわけです。
人生は、山もあれば谷もある…
わからないことばかりだからこそこそ、迷った時・苦しい時“そのこと”を思い出してみてくださいね♪



「ドント・ノウ・マッチ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「ファイナル・カウントダウン」ヨーロッパ

2013.12.26

category : 1980年代

Europe - The Final Countdown1 Europe - The Final Countdown2


Europe - The Final Countdown(1986年)


~The Final Countdown~

“もぉ~いくつ寝るとぉ・・・♪”

2013年も、いよいよ“ファイナル・カウントダウン”に入りました。
一方で今回は、前回からの“北欧つながり”でもあります。
ファンのみなさんは、もうピンときてるでしょ?

北欧といえば、この年末年始は9連休が見込めることもあって海外旅行も北欧の人気が高いそうですネ♪
私も含め国内年越組の方は、せめてブログと音楽で“北欧気分”を味わいましょう!?


~概要~

ヨーロッパはスウェーデンのロック・バンドで、“北欧メタル”の歴史ともいえるレジェンドです。
スウェーデンというと、ABBAに象徴されるようにその風土を思わせるクリスタルなサウンドと美しいメロディーがイメージされますが、80年代はヨーロッパを象徴とするHR/HMもやはり透明感と美しいメロディーを持つバンドが多く、アメリカやイギリスなどとは異なった発展を遂げました。

ハード・ロックのヴォーカリストといえば強いハスキーと金切り声が暑苦しい印象を与えることが少なくありませんが、ヨーロッパのジョーイ・テンペストの歌声は北欧のイメージに違わない透明感と涼しさがあり、加えてその容姿はまるで物語から抜け出たような“白馬の王子”系!
しかも人柄も好人物で、ジョン・ボン・ジョヴィと共に“Rock=Bad”のイメージを変えた存在といえるでしょう。
ボン・ジョヴィとの共通点は多く、まだ無名だった1983年のデビュー当初から日本でいち早く人気を獲得したこともその一つで、今年30周年を迎えた彼らは10月に“里帰り”の来日公演を行っています。

「ファイナル・カウントダウン」は、ヨーロッパが世界的に大ブレイクとなった3rdアルバム『The Final Countdown』のタイトル曲で、1stシングルとして世界25カ国でNo.1を記録(Billboard Hot 100では8位)し780万枚をセールスした、彼らの代名詞的作品です。
“ロック史上最も有名なイントロ”を持った作品の一つで、ホーン・セクションを模したキーボードと刻まれるギターから紡がれるドラマティックな演奏は、誰しもが耳にしたことがあるのでは?
闘志を掻き立てるそのサウンドから格闘技のテーマに用いられることも多く、日本ではスズキ・カルタスのCMソングとしても知られました。


~背景~

作詞・作曲共にジョーイ・テンペストの手による作品で、有名なイントロの基は1981~82年頃まだ彼が学生時代に生まれました。
当時キーボードも担当していたジョーイは、後に正式メンバーとなる友人ミック・ミカエリのキーボードを借りていた時にあのフレーズの断片が浮かんだそうです。

その後85年の「ファイナル・カウントダウン」の制作時、壮大なテーマに相応しいイントロが決まらず困っていた所ベーシストのジョン・レヴィンが“あのフレーズ”を使うことを提案し、実行を試みました。
当初ギタリストのジョン・ノーラムには“'No, this is nuts.(こんなの、クソだ)”と大反対され、馬が疾走する“ギャロップ”のリズムより8ビートを推すプロデューサーのKevin Elsonも否定的でした。
しかしギャロップのリズムこそがこの作品に魔法をかけると信じるジョーイは信念を貫き通し、結果VH1の“the 66th best hard rock song of all time”に選ばれる歴史に残る名曲となったというワケです。
一方で、これに不満を持ったジョン・ノーラムはアルバム発売後間もなくバンドを脱退してしまいますが…(2003年に復帰)。


~Lyrics~

私はこの歌詞を見て日本のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を連想しましたが、みなさんはいかがでしょう?
ジョーイによると実際はデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」をヒントにしたそうで、ドラマティックな曲に合う歌詞が出てくるまで何度も繰り返し調整したといいます。


We're leaving together,
僕らは旅立つ
But still it's farewell
これでお別れだ

この入り、どうしても“さらば地球よ…♪”と重なってしまいますが、ジョーイが想定したストーリーも同様の背景があるようです。
ここでは地球が何らかの事情で危機に瀕し居住不能となったため、人類の住処となる新たな星を探しに見果てぬ宇宙へと旅立つ主人公…
任務成功の確信もない“宛てない旅”に、さまざまな思いが交錯しているのでしょうか…。


We're heading for Venus and still we stand tall
まず金星へと向かい、ただ強い心で成し遂げる
Cause maybe they've seen us and welcome us all
全ての眼差しと、声援に応えるため
With so many light years to go and things to be found
何光年もの果てに向かい、それを見つけ出す

…んで、その“人類の新たな住処”っていうのが金星!?
でも実際の金星の地表は二酸化炭素を主成分とするため温室効果が著しく温度は平均400℃以上に達し、大気圧も90気圧あるため人が住むドコロじゃありません!
じゃあ、“何で金星?”という問いに対しジョーイは…

“Venusとseen usの韻を踏みたかったんだよ♪”

…そう、歌詞をよく見ると目的地は金星ではなく“many light years”というか、まさに“宛てない旅”のようです。


~Epilogue~

It's the final countdown...
さぁ、最後のカウント・ダウンだ…

countdown...
物語では宇宙飛行士の離陸を数えるものであり、恐らく人類滅亡への秒読み。
“final”は、もう後がない最後の挑戦を示唆しています。

翻って現実の世界、私たちも指折り数えているのではなかろうか…

温暖化に伴う自然災害の増加と、居住不能へと歩む“地球環境”
増える一途の財政赤字と、人口減少社会がもたらす“国家破綻”
三十年以内に、各地で震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の高い“地震列島”

もし…
既にそのカウント・ダウンが始まっているなら、その現実から目を逸らすことはできません。
“諦める”という選択肢は無いとするなら、その対処に本気で向き合う外はありません。

私たちは皆、日本…あるいは地球という、たった一つしか無い宇宙船に乗り合わせた乗員であり、
他の船に逃れることなどできないのだから。


全てのカウントが、尽きる前に…。



「ファイナル・カウントダウン」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「ママがサンタにキスをした」ジャクソン5

2013.12.22

category : Christmas

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The Jackson 5 - I Saw Mommy Kissing Santa Claus(1970年)


~News~

先日Billboard誌が発表した“全世界のボックス・オフィスでのチケット・セールス・ランキング”によると、ここ1年(2012.11.14~2013.11.12)でチケットを最も売り上げたのは先頃来日したボン・ジョヴィの約211億円でした。
しかし3位ピンク、4位ブルース・スプリングスティーン、6位ローリング・ストーンズ、…14位マドンナ、16位ポール・マッカートニー…、22位レディー・ガガといったビッグ・ネームを抑えて堂々の2位に輝いたのが、約162億円を稼いだマイケル・ジャクソンです!

…んっ!?
マイケルは、“あの世”?

その通り、彼が亡き後“Michael Jackson The Immortal World Tour”を興行しているのはカナダのエンターテインメント集団“シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)”によるアクロバティック・ショーで、マイケルの音楽とダンス・パフォーマンスを応用したステージは日本でも行われました。
それにしても…
CDなどマイケルが直接パフォーマンスした“遺産”の人気は想定内ですが、彼の生んだ“創造”だけでもこれだけの存在感を示すとは、“King of Pop”という称号ですら彼を評するに小さな器なのかもしれませんネ…。


~クリスマス特集・第二弾~

今回は、マイケルが幼少から活躍したファミリー・グループ“ジャクソン5”の作品です。
ジャクソン5は、デビューした1969~70年に架けてBillboardで4曲連続No.1という絶頂期を迎えていますが、その直後の4thアルバムとして1970年10月にリリースされたのが『Jackson 5 Christmas Album』でした。
タイトル通りの“クリスマス・アルバム”で、前回紹介した「Someday at Christmas」のカバーや、今回の紹介曲「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」他が収録され、350万枚以上のセールスを記録しています。

「ママがサンタにキスをした」は声変わりする前のイタズラっぽいマイケルの歌声がとってもキュートで、歌の内容と相まって華やかさを演出してくれる楽しいクリスマス・ソングです♪
作品自体はカバー曲で、オリジナルは1952年に13歳の少年ジミー・ボイドにより歌われました。
ネタがネタだけに、当初一部のカトリック教会からお叱りが寄せられたこともあったそうですョ!

ジャクソン5でのシングル・カットはありませんが、ジミーのバージョンはHot 100が設立される前のBillboardで1位を記録しています。
ジャクソン5のバージョンと比べるとかなりゆったりしたオリジナルは、アメリカの高級百貨店で数十年間クリスマスカードのコマーシャルに用いられていたそうで、“古きよき時代”を思い起こさせるようです…。
この他にもスパイク・ジョーンズやザ・ロネッツ、リーバ・マッキンタイア、ジョン・メレンキャンプなどにカバーされ、日本でも後藤久美子、鈴木雅之らに歌われました。


~知ると、チョットうれしくなる作品背景~

この歌は“クリスマスの夜、ヤドリギの木の下でママがサンタにキスをした”という歌ですが、実はこれは西欧の“ある風習”を示しています。
ヤドリギ(宿り木;mistletoe)は他の樹木に寄生し生息する植物で、不思議な力を持つという言い伝えがあり常緑樹で冬でも緑色の葉を保つことから、クリスマスの飾り(リース)として広く用いられてきました。
その伝承の起源となったのが“北欧神話”で、これに関する概要は以下のようになっています。

光の神バルドルはヤドリギの矢で命を奪われますが幸いにして甦ることが叶い、その母フリッグは涙を流し喜びました。
その涙はヤドリギの実となり樹下を通るすべての者にキスを授け、最高位の女神である彼女によって“ヤドリギの下を通る者は誰であれそこで争いをしてはならず、ただ愛に満ちた口づけを交わすのみ”、という掟が定められたそうです。

これが“Kissing Under the Mistletoe”として…
クリスマスにヤドリギの下で出会った男女は、キスをしなければいけない
クリスマスにヤドリギの下でキスをした男女は、永遠に幸せになれる
この時キスを拒否した女性は、翌年結婚はできなくなる

掟を定めたフリッグは“愛の女神”であり予言の能力を持つことから西欧社会に広まり、イギリスでは“Kissing Ball”として浸透したようです。


~Lyrics~

I saw Mommy kissing Santa Claus
ママとサンタがキスしてるの、見ちゃったんだ
Underneath the mistletoe last night
昨日の夜、ヤドリギの木の下で

これが、上で説明した部分ですね♪
日本人には言葉以上の意味を持たないフレーズですが、背景を知るとナカナカ興味深いでしょ?


He saw Mommy kissing Santa Claus
(コイツ、ママとサンタがキスをしたのを見たらしいよ…)
I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
ボク、見たんだ! ホントに、ママとサンタがキスをしたのを
And I'm gonna tell my Dad
だから、パパに教えてあげるんだ

中間部にあるココと最後のセリフ部分はオリジナルのジミー・ボイドのバージョンには無いもので、ジャクソン5が兄弟グループである利点を生かしてストーリーを付け加えたのでしょう。
すなわち、“ママの秘密”を見てしまった幼い末っ子が“見たんだってば!“と必死に訴えようとするも、兄らは取り合わず半ばからかわれているようです。
でも子どもって、新しく知ったことを誰かに言わずにはいられませんよね…

・・・ん!?
それは、大人も同じ?
アハハ…


~Epilogue~

・・・ところでこの歌に於いて、最大の疑問であり問題点が解決されていませんね?

Wow! Mommy's kissing Santa Claus!
Wow! ママとサンタがキスしてる!

…そう、“コレ”です!
少年は寝ぼけていたのか、はたまた夢と混同しているのか?
あるいは、少年は本当にサンタを見たと仮定したなら…
サンタは誰? …それともホンモノ!?

・・・謎解きは、あなたにお任せいたします。
では、よいクリスマスを…♪



「ママがサンタにキスをした」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「想い出のクリスマス」スティーヴィー・ワンダー

2013.12.18

category : Christmas

Stevie Wonder - Someday At Christmas1 Stevie Wonder - Someday At Christmas2


Stevie Wonder - Someday At Christmas(1966年)


~au『DRAW XMAS』CMソング~

いよいよクリスマスも間近となり、TVのCMも季節を反映したものが多くなって参りました。
au『DRAW XMAS』はスマホやタブレットを振って絵を描くアプリで、“描いた花火や電飾をスワイプすると、街路樹がイルミネーションに早代わり!”??(…そんなコタぁ~ない、CMの演出です!

この素敵な演出のCMの背景に流れるのが、スティーヴィー・ワンダーのクリスマス・ソングです。
作品は当時の時代背景が反映された内容になっていて、クリスマスとは“異なる要素”がブレンドされています…。


~概要~

1967年11月、スティーヴィーは8枚目となるオリジナル・アルバムで初のクリスマス・アルバム『Someday at Christmas』を発表します。
彼はソング・ライターとしても有名ですがこの頃はまだ未熟で、アルバムのほとんどはモータウンお抱えのライターによるものでスティーヴィーが書いた曲はありません。
同名である「想い出のクリスマス」は勿論このアルバムのタイトル曲ですが、実は前年にシングルとしてリリースされた作品で、Billboard Hot 100でも24位を記録しました。
作者の1人は当時のスティーヴィーの曲を多く手掛けていたロン・ミラーで、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミ-・イン・ザ・モ-ニング」やシャーリーンの「愛はかげろうのように」などでも有名です。

声を聴いてお感じになられた方も多いと思いますがスティーヴィーの声には若さがあり、それもそのハズ、この曲を歌った時彼は弱冠16歳でした!
まぁ…、ティーン・エイジャーにしては年輪を感じさせる歌声ですが、このオッサン臭さ(?)が入り混じりつつも不思議な魅力を放つ彼の声が、私は好きです。
彼の声を思うといつも連想するのが松任谷由実で、どこかオバチャン臭さを漂わせつつも瑞々しいその歌声に郷愁を覚えキュンとさせられてしまいます。
ちなみに、今年スタジオジブリ映画『風立ちぬ』でリバイバルした“荒井由実”時代の「ひこうき雲」は、ユーミンがまだ19歳の時の作品でした…。


~カバー曲~

「Someday At Christmas」は大ヒット作品ではありませんがメッセージ性が強く、世代を超えて多くのミュージシャンにカバーされてきました。
ジャクソン5やテンプテーションズ、ダイアナ・ロスといったモータウンの大物をはじめメアリー・J. ブライジ、ジャック・ジョンソン、パール・ジャムらにも採り上げられています。
また、2011にはこの曲をカバーしたジャスティン・ビーバーとステージで協演していて、この曲は孫のような世代のジャスティンにも受け継がれたことになるでしょうか…。


~背景~

邦題は「想い出のクリスマス」という“過去”を想起させるものですが、原題の「Someday At Christmas」は“Someday(いつか)”とあるように“未来”を指すもので、作品の内容もそれに準じています。
クリスマスをテーマとしながらも単にそれを祝うものではなく、原題のタイトルにあるように“いつか、クリスマスをこんな風に迎えられたら…”という願いが込められた歌です。
この曲が生まれた頃、アメリカが軍事介入していた“ベトナム戦争”もドロ沼化して反戦運動も広がりつつあり、作品にはそうした世相が反映されたと思われます。

ちなみに、ベトナムには戦争の最中でも旧正月に休戦をする慣例(テト休戦)があってベトナム戦争中も慣行されましたが、アメリカが参戦してからはクリスマス期間48時間を休戦する“クリスマス休戦”が持たれた時期もあったそうです。


~Lyrics~

Someday at Christmas men won't be boys
いつかのクリスマス…男たちは
Playing with bombs like kids play with toys
爆弾を玩具のように弄ぶ兵役から解放されている

ベトナム戦争を想起させる冒頭のフレーズです。
“爆弾を玩具のように弄ぶ”とありますが、アメリカが第二次世界大戦で日本全国の空爆に用いた焼夷弾を強化した“ナパーム弾”はベトナム戦争では40万トン投下され、その余りに強力な焼尽力は残酷で非人道的との批判から、公式には現在アメリカ軍は保有していないことになっています。

“men won't be boys”は直訳すると“男は少年ではないだろう”となりますが“boys”は“(自国の)兵士”という意味もあり、toysと韻を踏みながら、ここでは子どもの玩具遊びを引き合いに出しているところからすると、“Playing with bombs”を“子供じみた行為”と隠喩しているかのようです…。


Someday at Christmas we'll see a land
いつかのクリスマス…広がる大地に
With no hungry children, no empty hand
空腹の子どもや、食べ物を手にできない人はいない

食料飢餓問題…
現在でも世界の飢餓人口は9億6300万人、餓死者は一年に約1500万人に上り、うち7割以上が子どもだそうです。
このフレーズは、絵空事なのでしょうか…?(涙)


Maybe not in time for you and me
たとえ、君や僕の時代に間に合わなくても
But someday at Christmastime
いつの日か、クリスマスタイムに…

飢餓や戦争…
人類最大と言っていいこれらの課題は、この作品から50年近く経った現在も無くなってはいません。
“いつか”って、普段つい軽い気持ちで使ってしまいますがこの場合、すごく重い…。


~Epilogue~

クリスマスというと街やツリーなどがきらびやかに飾られ、家族や親しい人が集まり美味しいご馳走が楽しみな、一年で最も幸福感のある行事の一つですよネ♪
でも世界に目を転じるとこうした平穏と豊かさを享受できるのは少数であり、日本も70年位前は“焦土”だったことを忘れてはならないのだと思います。

平和と豊かさは自ずと得られる永久不変の権利ではなく、“焦土”の反省と復興への努力があったからに外なりません。
まして、資源と食料の自給率が皆無に等しいこの国の現状は、実は一旦世界的な資源・エネルギー不足が起きてしまうと崩壊する“砂上の楼閣”であるといえるのではないでしょうか?

When we have found what life's really worth
生命の本当の大切さに気づいた時
There'll be peace on earth
きっと、世界に平和が訪れる

幸せな時間と空間がある現在だからこそ大切なものに気づき、対処を考えたいですね…。


「想い出のクリスマス」/和訳&Lyrics

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「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」アイリーン・キャラ

2013.12.14

category : Soundtracks

Irene Cara - Flashdance What A Feeling1 Irene Cara - Flashdance2


Irene Cara - Flashdance...What A Feeling(1983年)


~『glee 3』よりの選曲~

今日は、12月18日(水)午前0時40分からNHKで放送予定のドラマ『glee 3』第20話よりの選曲です。
これまで脇役に甘んじてきたティナ(ジェナ・アウシュコウィッツ)がヒロイン、レイチェル(リア・ミシェル)と入れ替わる!?
“挫折と希望”、“現状と夢”が交叉するストーリーになっていますよ!

紹介曲以外の作品は、以下の通りです♪

I Won't Give Up / Jason Mraz
Because You Loved Me / Celine Dion >>過去ログへ
Mean / Taylor Swift

NHK『glee 3 ホームページ』


~概要~

1983年に公開され、世界的な大ヒットとなったアメリカ映画『フラッシュダンス』の主題歌としてBillboard Hot 100で6週連続No.1(年間3位)を記録した、アイリーンの代名詞的作品です。
作詞は彼女とキース・フォーシイ、作曲はディスコ・ミュージック界の巨匠ジョルジオ・モロダー
ジョルジオ・モロダーといえば浮かぶのが“ディスコ・クイーン”ドナ・サマーのプロデューサーとしての有名で、
この曲をドナが歌っても違和感がない…!?

この曲の大ヒットにより波及効果はマイケル・センベロの「マニアック」やサウンドトラック・アルバムにも及び、その影響は『フットルース』や『トップガン』・『ダーティー・ダンシング』など、80年代の“サントラ・ブーム”の火付け役を果たしました。
波紋は日本にも届けられ、この曲をカバーした麻倉未稀「What a feeling ~フラッシュダンス」は主題歌となったドラマ『スチュワーデス物語』と共に大ヒット、本家アイリーンのバージョンもオリコン週間シングル・チャートでNo.1に輝く快挙をやってのけました!

楽曲としての評価も高く、翌年には“ゴールデン・グローブ主題歌賞”“アカデミー歌曲賞”の2冠を制し、グラミーでもアイリーンがこの曲で“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”を授賞しています。
また、2007年ユナイテッド・ワールド・チャートの“音楽史上で成功を収めた曲ランキング”では22位にランクされ、同ソロ女性歌手では歴代4位と評価されました。
2008年にBillboardの50周年を記念して発表された“All-Time Hot 100 top songs”にも、堂々の26位に位置づけられています。


~映画のヒロイン、ジェニファー・ビールス~

アイリーンの主題歌が映画のヒットを牽引したのは間違いありませんが、大きな要因はもう一つあります。
そもそもこの映画は音楽担当にジョルジオ・モロダーが参加しているとはいえスターと呼べるキャストは起用されておらず、低予算で制作された作品です。
主役を演じたジェニファー・ビールスも事前のオーディションに合格した、ほぼ無名の新人でした。

しかし映画が公開されるやその美貌が人々を魅了し、『フラッシュダンス』といえば主題歌かジェニファーの話題で占められるほどの人気ぶりでした。
アフリカ系とアイルランド系の血を引く彼女は肌も少し浅黒く、この映画の前はファッション・モデルもこなしたという175cmの長身はスクリーンでも若さと健康的なお色気を印象づけています。
同じ年、日本ではコカ・コーラのCMで「夏色のナンシー」と共にブレイクした早見優に、似たイメージを重ねたのは私だけではないでしょう…。

そんなジェニファーが演じる“アレックス”の見せ所というと、“ダンス・シーン”ですが…
『フラッシュダンス』の有名な話題の1つが、“そのコト”ですよネ!
すなわち、“彼女の見事なダンスは吹き替えでは?”…というハナシ。
この点については当初公表されていなかったために生じた噂ですが、実際には複数のダンサーが吹き替えていて、特に最後の“オーディションのシーンで踊っているのは主に男性”なのだそうです!
もっとも…
今回の『glee』でスー先生( ジェーン・リンチ)の証言によると、“それを吹き替えていたのは私”…というコトらしいですが!?


~Lyrics~

「フラッシュダンス…」の歌詞はアイリーンが映画の主人公の心情を“What a feeling”や“dancing for my life”といった言葉の断片として発案し、それをキース・フォーシイが繋げるようにして生まれたそうです。

Well, I hear the music
音楽が聴こえる…
Close my eyes, feel the rhythm
目を閉じ、リズムを全身で受け止め
Wrap around, take a hold of my heart
包み込むように、心で捉え逃がさない

音楽はダンスに欠かせない要素です。
それが無くともダンスはできますが、それがあるからこそダンサーの想像力を増幅し見る者の感情を刺激するのでしょう。
故に、ダンサーはこんな風にして音楽を全身全霊で捉えようとするのかナ…。


What a feeling
そうよ、この感覚・・・
Being's believing
生きるとは、信じ続けること

What a feelingのような“極まった瞬間の感情”は当事者だけの感覚であり、その素晴らしさを言葉で他人に十分伝えることなど不可能です。
でも、その境地は容易に辿り着けるものではありません。
“All alone, I have cried”の先に、いつか“What a feeling”が訪れる…
そう信じる(believing)心があればこそ、人は生きてゆける(Being)のでしょうね。


~Epilogue~

私たちは一生のうち、何回“What a feeling!”を体感できるのだろう?
この歌に耳を傾けてみると、そのためにはまず目標を持ち、人知れず苦しみに耐え、情熱と集中力を持って物事に取り組み、最後まで諦めない…
そんなところでしょうか…。

でも、夢を抱いたからといって誰もがビル・ゲイツやウサイン・ボルトになれるわけではないし、いきなりそんな重い荷物を背負っても反って押し潰されてしまうことでしょう。
自分に合った重さの荷物を選び、軽く感じたらそれを増やせばよいのです。

アイリーンは“What a feeling”について、“一人のダンサーが踊っている時の感じたままであり、彼女はその瞬間肉体だけでなく人生そのものをもコントロールしている”と語っています。
それが一瞬であっても一生のことであっても、大切なのはどんな時もバランス感覚を失わないことなのかもしれませんね…。


「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」

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「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」ポール・マッカートニー

2013.12.10

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Once Upon A Long Ago1 Paul McCartney - Once Upon A Long Ago2


Paul McCartney - Once Upon A Long Ago(1987年)


~ポール、来年のグラミー賞にノミネート!~

日本時間12月7日に開催された『グラミー賞ノミネーション・コンサート』で来年1月26日(現地時間)の『第56回グラミー賞』のノミニーが発表され、ポール・マッカートニーが「Cut Me Some Slack」で“最優秀ロック楽曲賞(Best Rock Song)”にノミネートされました。
ロックを黄金期へと導いた71歳のポールが、現代の若者に“ロックはこうやるもんだ!”と喝を入れるようなハードなナンバーで授賞を狙います!
なお、この部門のノミニーにはビッグ・ネームがひしめいていて、ローリング・ストーンズ、ミューズ、ブラック・サバス、ゲイリー・クラーク・Jr.がポールを迎え撃ち、熾烈な戦いとなることは必至!

まぁ…
今日の作品はとてもやさしい曲ですが、この辺のポールのギャップが“ツンデレ”好きな人にはタマラナイ!?


~概要~

「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」は1987年11月16日にリリースされた40枚目のシングルで、イギリスで10位を記録した楽曲です(アメリカでは未発売)。
作詞・作曲はもちろんポールですがプロデュースはビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』のフィル・ラモーンという組み合わせで、ミキシングには“5人目のビートル”ジョージ・マーティンが参加しました。
前年の『プレス・トゥ・プレイ』でポリスやフィル・コリンズのプロデューサー、ヒュー・パジャムを起用して“イマドキ”なサウンドに挑戦し大コケした反省からか、以降ベーシックなサウンド作りに回帰する姿勢がみられます…。

この曲は意外にレアな作品で、1987年11月1日のイギリス盤(日本盤)『オール・ザ・ベスト』に“新曲”として収録されたのが最初ですが、米国盤には収録されませんでした。
その上、ポールの作品では他のベスト盤に入るほどのヒットではない上、後にアルバム未収録曲をボーナス・トラックとして既存アルバムに追加するようになってからも『プレス・トゥ・プレイ』という人気のないアルバムに入れられたため、あまり馴染みのない曲ではないでしょうか(もっとも、『オール・ザ・ベスト』をお持ちの方は多い)?

ライブでもほとんど演奏されたことはないと思いますが、当時『夜のヒットスタジオ』に出演してパフォーマンスを披露してくれたのを覚えています(口パクでしたが)!


~ミュージック・ビデオ~

メロディーがとてもやさしく、それだけでポールのファンは十分満足できるはずですがPVもまた秀逸です!
ポールらが海に面した断崖絶壁に立って演奏するちょっと寒そうな映像は、モノクロとの対照を生かして画面を駆け巡る音符や楽器の音の伝播を示す赤や青・黄のカラフルが、私は大好き♪
この部分は『夜のヒットスタジオ』でも再現されていますが、ココでもやっぱりポールは“やらかして”いますョ!
また、PVの最初と最後に登場するおじいさんも一緒に出演して、“いい味”出してる!?
(コノ人、こんなキャラだったの?)

一方、雪深い山に暮らす家族ストーリーで綴るアニメーション映像はまさにこの曲のイメージにぴったりで、見る者をほっこりした気持ちにさせてくれますよ♪


~作品が生まれた経緯~

甘いメロディーがポールらしいといえばそうですが、普段の彼の作品と何かが異なる気がしませんか?
実は、もともとこれはある映画のサウンド・トラックを想定して作られた曲だったからです。
その映画とは1987年のアメリカ映画『プリンセス・ブライド・ストーリー(The Princess Bride)』で、ポールはこれに「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」と「ビューティフル・ナイト」(1997年の『フレイミング・パイ』に収録・これもいい曲です)を提供したいと自ら申し出ましたが、監督のロブ・ライナーに“甘すぎる”と断られてしまったのでした!
しかしロブ・ライナーはマーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)の大ファンで、結局サントラ全部を彼に任せています。

この映画は未見ですが、『明日に向って撃て!』の脚本家ウィリアム・ゴールドマンの原作・脚本の作品。
中世の架空の国、恋する二人が苦難と冒険を乗り越え幸せを掴むという歴史ファンタジー小説…
の本を、ピーター・フォーク扮するおじいさんが病気の孫に読み聞かせてあげるという、ストーリーです。


~Lyrics~

分かり易い曲に対し、詞はとても難解です。
基本的に3行で1連を成す構成ですが上記の経緯から私は、上2行は読み聞かせている物語の一節、
下1行は“Tell Me Darling…”と大人が子どもに感想を問い掛けしていると想定しました。

物語部分は音楽用語を頻出させたファンタジー色が濃く、“どういう意味か分かる?”…なんて問われても
大人でも困ってしまうほど奥深い世界を感じます。
…ですので、それぞれ個別はみなさんに想像していただくとして、サビの部分を少し触れておきましょう。

Once Upon Along Ago
昔々…
Children Searched For Treasure
子どもたちは、お宝探しをしたんだ
Nature's Plan Went Hand In Hand With Pleasure.
自然とのふれあいは、みんなの団結と喜びをもたらせたんだよ

タイトルにもなっている「Once Upon Along Ago」は、“once upon a time”と“a long time ago”を組み合わせたものでしょう。
ポールは菜食主義者であり熱心な環境保護活動家なので、自然とのふれあいは何より子どもの情操教育にとって大切と思っているようです。
自然とは多様な生命の活動の場であり、そこに身を置くことで人は自分がその一員であることを悟り、
生命の連環とそれを育む水や空気、土などの大切さを学ぶ機会となるということでしょうか…。


~Epilogue~

Once Upon Along Ago…

子どもは、昔話を聞いたり本を読んでもらうことが大好きです。
でも、それは親にとっても同じではありませんか?
本を読んであげる時、親は子どもを物理的・心理的に非常に近く感じ彼らへの愛しい気持ちが引き出されます。
そんな時・親は、親としての喜びを実感することができ、子どもはその瞬間にふれあうわけですから、
それは“あったかくて、やさしい時間”となるはずです。

もしかしたら、子どもがこうした機会が好きなのは親の愛情を最大限に感じ取れるからなのかもしれません。
“あったかくて、やさしい時間”を…
この曲は、そうした感覚を思い出させてくれる作品です…。



「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー 」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「スターティング・オーヴァー」ジョン・レノン

2013.12.06

category : Beatles & Solo

John Lennon - (Just Like) Starting Over1 John Lennon - (Just Like) Starting Over2


John Lennon - (Just Like) Starting Over(1980年)


1980年12月8日は、元ビートルズのジョン・レノンが亡くなった日
そこで今回は当時のジョンのドキュメントを辿りながら、作品を紹介してゆくことに致します…。


~背景~

ポール・マッカートニーの脱退表明よりずっと前、いち早くビートルズを脱退していたジョンでしたが、解散後メンバーの中で生き方や音楽のスタイルの確立に一番悩んでいたのは彼ではなかったでしょうか?
心の不安定は作品の斑(むら)にも現れていたし、バンドに縛られなくなったため元来の気ままな性と相まってレコード制作といった意味での音楽活動にも興味を失っていったような気がします。

そんな折、1975年に妻のオノ・ヨーコとの間に長男ショーン(ジョンの息子という意味では次男)が生まれ、自分と同じ10月9日生まれの息子をジョンは甚く可愛がりました。
翌年EMIとのレコード契約が切れたのを機に“世界のロック・スター、ジョン・レノンは息子の育児に専念するため公の音楽活動を休止”してしまうのです(曲は作ったりしていた)!

1980年6月、ショーンの5歳の誕生日(=ジョンの誕生日)に作品をリリースしようと、ジョンは休暇先のバミューダ諸島で本格的に曲作りを始めました。
8月、ニューヨークのスタジオでレコーディングを開始すると噂を聞きつけたレコード会社が幾つか接触してきますが、マスター・テープも聴かずに契約を申し出てくれた当時まだ無名のゲフィン・レコードが選ばれています。

ショーンの誕生日に少し遅れた10月20日、まずシングル「スターティング・オーヴァー」が発売され初登場38位、11月17日にはアルバム『ダブル・ファンタジー (Double Fantasy) 』が続き、全てが順調に“Starting Over(やり直し)”されるはずでしたが…。


~事件当日~

12月8日…
その日、ジョンはニューヨーク市セントラル・パーク前の自宅(ダコタ・ハウス)でローリング・ストーン誌の写真撮影を終えると夕方5時頃、ヨーコの新曲「ウォーキング・オン・シン・アイス」のミックス・ダウンのためにレコーディング・スタジオ“ザ・ヒット・ファクトリー”へと向かいました。
アパートを出ると、そこでジョンは彼を待っていた“ファンの青年”にサインをしてあげています。
〈“彼”と写ったこの時の写真が、ジョンにとって生涯最後の一枚となった…〉
John Lennon - (Just Like) Starting Over3

スタジオではインタビューの仕事もあり、ここでジョンは“ヨーコより先に死にたい。死ぬまで仕事を続けたい。”
と言及しました。
22時50分、仕事を終えたジョンとヨーコが帰宅しリムジンから降りると…

“Mr. Lennon…?”

呼び止められるや、ジョンは5発の銃弾(4発が命中)を浴びて倒れます。
撃ったのは、夕方ジョンにサインをもらった青年“マーク・チャップマン”でした。
数分で警官が駆けつけた時ジョンはまだ意識があり搬送したパトカー内でも応答できていましたが、病院で救命措置が取られた頃には全身の8割の血液を失い、23時過ぎに失血性ショックで息を引き取っています(享年40)。
世界中が哀しみに暮れる14日、遺された妻ヨーコはジョンの死に対しての黙祷を呼び掛けました…。


~作品~

12月27日、「(Just Like) Starting Over」は“完全復帰”を宣言した主がそれを見届けることなくBillboard Hot 100のNo.1(5週間・81年の年間4位)に輝き、祖国イギリスでも彼のソロ作品として初の1位をもたらせました。
当初「Starting Over」というタイトルが予定されましたがカントリーにも同名曲があったため、(Just Like)が加えられています。
日本では当時のヒットに加え、1997年にはドラマ『いちばん大切なひと』の主題歌に起用されオリコンでもチャート・インするリバイバル・ヒットを記録しました。

この曲はジョンとヨーコの再出発を謳った作品ですが、その前年1979年にバート・レイノルズ主演で同様のテーマを掲げたコメディー『Starting Over(結婚ゲーム)』という映画が公開されているので、ひょっとしたらそれが発想のヒントになっているかもしれません。
(ジョンはこれまでも「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」ほか、多くのネタをさまざまなメディアからヒントを得て作品を生んでいる)

ジョンの言葉によるとこの作品は“50年代のロックンロールを80年代風にアプローチした曲”だそうで、そういえばドコとなく彼にとってのヒーロー、エルヴィス・プレスリーも入ってる?
また、彼は冒頭に“祈りの鐘”を置くスタイルがお気に入りのようで、これまでも「マザー」での“弔い”や「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」で“祈り”を込めてきましたが、「スターティング・オーヴァー」でも“祈り”として用いられたにも関わらず“弔い”となってしまったのは皮肉としか言いようがありません…。


~Lyrics~

Although our love is still special
僕らの愛は、今でも特別なものだけれど
Let's take a chance and fly away somewhere alone
思い切って飛び立ってみようよ何処か、二人きりで…

それなりの年月を共に生きた二人にとってその関係は安定・安心であるけれど、敢えて新しい世界へ踏み出そうとしているようです。
だからこそ、この歌の境地に辿り着いたジョンの“それから”を見られなかったのが残念でなりません…。


Everyday we used to make it love
毎日、愛を確かめ合ってきたけれど
Why can't we be making love nice and easy
なぜ僕らはもっと素敵に、素直に愛し合えなかったのだろう

ビートルズが目に入らぬほど夢中になって一緒になったジョンとヨーコですが、そんな二人にだって離婚の危機はありました。
別人格である以上“譲れぬ瞬間”はあったとしても、大事なのは過ちや行き過ぎがあった場合それを素直に認め“仲直りに努める”ことなのかもしれませんね。


But when I see you darling
でもねダーリン、君を見ていると…
It's like we both are falling in love again
もう一度、恋に落ちてしまいそうなんだ
It'll be just like starting over, starting over
まるで、出逢った頃のときめきが甦るみたいに…

下手に“darling”を日本語に表すと取って付けたようになりがちですが、これほど自然に“ダーリン”と入れられる詞は滅多にありません。
こんなフレーズを率直に伝えられるジョンも素敵ですが飽きっぽい彼を何度も惚れさせるなんて、ヨーコも余程いろんな魅力を持ち合わせた女性なのでしょう…。


~Epilogue~

ジョン・レノンの非業の死…
当時私はあまりに幼く、そのニュースは微かにしか記憶がありません。
ビートルズをリアル・タイムで感じられたらどんなに素晴らしいだろうと思う反面、それが叶うとしたらジョンの死の哀しみと真正面から向かい合わねばならなかったでしょう。

人が早死にしてよいとは全く思いませんが、彼の死に対して客観的に捉えられる世代の私にとってジョンの“ああいう人生の幕の下ろし方”は、彼の人生の軌跡からすると運命のように自然とも思えてしまいます。

ロック・スターとしての眩しい光の陰に
どんなに輝いても決して晴れることのない心の闇を背負った男の哀しみ…


そんな彼の儚さが不思議なオーラとなって伝えられたからこそ、彼の歌が私たちの心を大きく揺るがした気がしてなりません…。



「スターティング・オーヴァー」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪


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