I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ゲット・バック」ビートルズ

2014.01.27

category : Beatles & Solo

Beatles with Billy Preston - Get Back1 Beatles with Billy Preston - Get Back2


The Beatles with Billy Preston - Get Back (1969年)


~Prologue~

1969年1月30日は、事実上のビートルズ最後のライブ・パフォーマンスとなった“ルーフトップ・コンサート (Rooftop Concert)”が行われた日です。
ライブの名前はご存じない方も多いと思いますが、真冬のロンドン・アップル・コア本社屋上での寒そうに演奏する映像や写真の一場面は、ファンの方であれば一度は目にしていると思います。
ルーフトップ・コンサート全体の話は別の機会に譲りますが、今回はその最後を飾った歴史的なナンバーの特集です♪


~概要~

「ゲット・バック」は1969年4月11日(英)にリリースされたビートルズ19枚目のオリジナル・シングルで、B面はルーフトップ・コンサートでも演奏された「ドント・レット・ミー・ダウン」。
イギリス“ミュージック・ウィーク”誌では6週連続No.1、アメリカBillboard Hot 100では17曲目のNo.1(5週連続/年間8位)を記録し全世界で1,000万枚を売り上げ、「抱きしめたい」「ヘイ・ジュード」に次ぐビートルズの中でも3番目のヒット・シングルです。
作者・ヴォーカル共にポール・マッカートニーで、ジョン・レノンはリード・ギター、ジョージ・ハリスンがリズム・ギターという変則的な編成。
変わってるといえば珍しく外部ミュージシャンを起用していて、途中ソロも任される印象的なエレクトリック・ピアノを弾いているのはビリー・プレストンで、彼はビートルズ史上唯一シングル曲に共同クレジットとして名を刻まれました。

「Get Back」はポールのジョンに対するメッセージ・ソングとして有名ですが、実は当初「(Don't Dig) No Pakistanis」(パキスタン人は要らない)というタイトルの作品でした。
当時、イギリスでは大量のパキスタン難民が流入し社会問題に発展、時の首相が彼らに“母国に帰れ”と呼び掛け、ポールはこれに皮肉を込めて反対の意思を示したものだったのです。
しかし逆説的なタイトルをはじめ、反って誤解を招く恐れがあったため現在知られる歌詞に書き換えられています。


~主なバージョンについて~

シングル・バージョン

1969年1月28日、アップル・スタジオで録音された音源が使われています。
ジョージ・マーティンがプロデュースしたこのバージョンは“フェード・アウト”で終わるのが特徴で、『青盤』や『パスト・マスターズ Vol.2』などベスト盤でよく見かけられます。




“ルーフトップ・コンサート”での演奏・その1

1969年1月30日の、“ゲリラ・ライブ”によるものです。
この日「ゲット・バック」は計3回演奏されていますが、このうち映画『レット・イット・ビー』に収録されたのは“1or2回目”と“3回目”の2回分。
一般的に多く紹介されるのは、“ハプニングなし”の“1or2回目”の映像です。




“ルーフトップ・コンサート”での演奏・その2

3回目はこのコンサートの最後を飾る演奏であり、ビートルズ史上としても最後のライブ演奏ですが、こちらは“ハプニングあり”の映像になってマス!
演奏開始時点で、演奏を止めさせようと警官が屋上まで上がって来てしまっていて、何やらロード・マネージャーのマル・エヴァンスに話し掛けています。
すると、マルはジョンとジョージのギター・アンプの電源を切ってしまい突然ギターの音が途絶えますが、すぐにジョージがそれを復旧させてしまったため、止むなくジョンの電源も入れる…という“ハプニング”をシッカリ証拠映像として残されてしまいました。

演奏終了後、リンゴ・スターの奥さんモーリーンが大きな拍手と歓声を揚げると、ポールは"Thanks, Mo.…"と応えます。
ジョンも間髪置かず、"I'd like to say thank you on behalf of the group and ourselves, I hope we passed the audition.…(バンドを代表して皆様にお礼申し上げます。オーディションに受かるといいのですが…?)"というジョークを忘れません。
このアタリは、ジョンとポールそれぞれの持ち味が出ていて、面白いですネっ♪
また、この部分は下記・アルバム『レット・イット・ビー』バージョンのアウトロに付け加えられています。




アルバム『レット・イット・ビー』バージョン

シングル発売から1年以上経ち、ポールがビートルズを脱退してしまった後ようやく世に送り出されたこのバージョンは、1969年1月27日にアップル・スタジオで録音された音源がベースになっています。
ここではフィル・スペクターがプロデュースを担当していて、ライブの感じを出すためか曲のイントロやアウトロにMCのような雑談が入れられているのが、オモシロい所!
例えば「ゲット・バック」のイントロではスタンバイ中のジョンとポールの“言葉遊び”…

ポール"Rosetta..."
ジョン"Sweet Loretta fart thought she was a cleaner but she was a frying pan. "
ポール"Sweet Rosetta..."
ジョン"Yeah,... The picker, picture the finger, Greg. Okay"
ポール"Oo-wee!..."

イチイチ訳しませんが、2番のフレーズをイタズラして遊んでます♪
何故だか、ロレッタのfart(オナラ)のハナシになっちゃってますケドっ!?


Get Back / The Beatles 投稿者 beatlesuploader


アルバム『レット・イット・ビー...ネイキッド』バージョン

2003年、フィル・スペクターのプロデュースを排し映画『レット・イット・ビー』の音を再現すべくリミックスしたもので、今回のメイン動画はこれを採用しました。
当時ミック・ジャガーはビートルズのレコーディングをよく“偵察”に来ていましたが、この映像の (2:12)にはミックとチャーリー・ワッツが映っていますよ♪


~Lyrics~

Jo Jo left his home in Tucson, Arizona
そこで、Jo Jo はアリゾナ・トゥーソンの家を出て
For some California grass
緑広がるカリフォルニアへと向かった

“トゥーソン”って、何処!?
有名な“OK牧場”の近く…とにかく、長閑なトコロです!
この年ポールと結婚することとなるリンダが学生時代を過ごした町。
後にポールはこの地に別荘を買い、1995年には癌で余命を悟ったリンダはここを訪れ、生涯を終えました…。


Sweet Loretta Martin thought she was a woman
かわいいロレッタ・マーティンは女の看板を掲げているけれど
But she was another man
中身は、まるで男みたい

“Jo Jo=ジョン”は誰もが察しが付くと思いますが、私は“Loretta=ヨーコ”だと思っています。
ヨーコはポールに負けないエネルギッシュな活動家であり、さらに精神的にはビートルズの4人が束になっても敵わないほどタフな人です。
私は今回、ポールの本心を察する形で少し踏み込んで訳していますが、ポール本人はジョンに気づかれないよう表現に苦心した節があります…。


~Epilogue~

実は、私の“Loretta=ヨーコ”説には、それを裏付けるようなエピソードもあります。
この歌のサビに…

Get back to where you once belonged
お帰りよ、元いた場所へ

…というフレーズがありますが、“ポールはこの部分を歌う時、いつもヨーコの方を見ていた”と、ジョンは語っているようです。

ビートルズを、誰よりも愛し続けたポール…
そのために不可欠な存在である、ジョン…
そのジョンの心をビートルズから奪った女性、ヨーコ…

この物語には、“フクザツな三角関係”のナゾが秘められている…カモ!?



「ゲット・バック」

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comment(12) 

「アイ・スティル・ビリーヴ」ブレンダ・K・スター

2014.01.24

category : 1980年代

Brenda K Starr - I Still Believe1 Brenda K Starr - I Still Believe2


Brenda K. Starr - I Still Believe (1988年)


~Prologue~

この曲は、1998年にマライア・キャリーがカバーし大ヒットさせた曲としても有名ですが、最初に歌いヒットさせたのがブレンダ・K・スターでした。
マライアとブレンダは実は“縁浅からぬ仲”で、そのことが反ってマライアがカバーした際ブレンダのファンからブーイングを浴びせられる結果となってしまいます。
さて、この二人の間に一体何があったのでしょう…?


~概要~

まず、ブレンダ・K・スター自体をご存じない方も多いと思いますので、彼女について少し触れておきましょう。
ブレンダはユダヤ系アメリカ人の父親とプエルトリコ人の母親を持つニューヨーク生まれの当時21歳で、お父さんのHarvey Kaplanは1969年にポップ・バンド“Spiral Starecase”のメンバーとして「I Love You More Today Than Yesterday」を12位とヒットさせた人です。
従って音楽には恵まれた環境で育った彼女は10代からショー・ビジネスの世界で活躍していますが、その過程で大物プロデューサーのアーサー・ベイカーと出会い、彼の紹介で1985年にマイナー・デビューを果たします。

1987年にはメジャーのMCAに移籍し、1stアルバム『Brenda K. Starr』をリリースするに至りました。
「アイ・スティル・ビリーヴ」はここからの2ndシングルで、Billboard Hot 100で13位(年間93位)を記録し彼女にとって記念すべき初のヒット作品となりました。
続く「What You See Is What You Get」もヒットし、順調にキャリアを重ねていたように見えましたが…。


~マライア・キャリーとの因縁…そして、ブレンダの苦難~

ところで、このアルバムにはデビュー前・まだ10代だったマライア・キャリーがバック・コーラスで参加していました。
プロを志していた彼女は自身のデモ・テープを制作しデビューの日を夢見ていた時期で、ある日ブレンダの仲介によりパーティー会場でCBSレコード社長のトミー・モトーラにデモ・テープを渡す機会を与えられ、これによりマライアは歌手としてレコード会社の後ろ盾を得ることとなります。
こうしてマライアはCBS傘下のColumbiaと契約、ブレンダは同じくCBS傘下のEpicへと移籍していますが、この選択はブレンダにとって“転落の始まり”となってしまうのです…。

その後1990年、マライアはその類稀なる才能と所属レコード社長との“個人的信頼関係”によりデビュー直前にNBAファイナルで歌う機会を与えられるなど、CBS/Sonyの大々的なバック・アップにより華々しいキャリアのスタートをさせてますが、これとは対照的に同年リリースされたブレンダの2ndアルバムのPRは地味なものでした。
こうした影響か…ブレンダの2ndアルバムは全く売れず、彼女はそのままレコード会社をクビになってしまいます。

この挫折の中でブレンダは家族を支えるためショッピング・モールなどで歌う傍ら、自分を磨くため新たにスペイン語を学び始めました。
積年の努力の末に習得したのがラテン音楽“サルサ”で、これにより彼女は1997年に「Herida」がBillboardの“The Tropical Songs chart”でNo.1に輝く大ヒットを記録し、以来すっかりその世界ではスターの仲間入りを果たしています。

奇しくもブレンダが7年かけてようやく復活を遂げた翌年、既に13曲の全米No.1を誇る大スターとなっていた
マライアがベスト・アルバム『 #1's 』で「アイ・スティル・ビリーヴ」をカバーしBillboard Hot 100で
ブレンダを上回る4位(1999年・年間36位)と大ヒットさせました。



これについて、マライアは“ブレンダへのオマージュ”と弁明していますがブレンダのファンはそう受け取らず、
“恩知らず!”というマライアへの風当たりとなったというワケです…。


~Lyrics~

But time melts into nothing
時が解決してくれるものなんて、何もないわ
And nothing has changed
変わったものなど、何ひとつ…

この歌は二人の関係が破綻した後も、相手を想い続ける女性の物語です。
女性の恋愛は、“上書き保存”に譬(たと)えられることがあります。
心のフォルダには、常に一人の男性しか入らないからだそうです。
だとしたら、彼女の特効薬は…?


It's worth the risk of burning
焼け焦げるリスクに換えてでも
To have a second chance
もう一度、チャンスに賭ける価値があるから

意味深なフレーズです。
burnは“燃える”ですがrisk(危険)とあるので、明らかに悪い意味合いと思われます。
悪い意味には“焦げる”とか“やけどする”といったものが想定できますが、言葉の選択によっては“禁断”なニュアンスも…?


~Epilogue~

実は、この作品は作者Antonia Armato(女性)が前の恋人への想いを綴ったものです。
二人は互いに愛し合い、Antoniaは彼にプロポーズされます。
“まだその時期ではない”というのがAntoniaの認識でしたが彼は真剣で、結婚するか別れるかハッキリさせて欲しいと彼女に迫りました。
そして二人が下した決断は、“歌にある通り”です…。

I still believe
今も、信じてる

Someday, you and me Will find ourselves
いつか、あなたと私が二人の未来を見出し
In love again
ふたたび、愛し合うことを…

彼にとっては“もう待てない”ほど本気だったし、歌詞を見ると彼女も強く彼を慕っているようで、ただ時間軸がズレていただけだったことが分かります。
作者の想いを解ってこの歌を辿るともっと切なく感じますが、案外こういうケースって多いかも?
でも、最も悔いの残る別れ方のような気もします…。



「アイ・スティル・ビリーヴ」

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comment(6) 

「明日なき暴走」ブルース・スプリングスティーン

2014.01.19

category : Bruce Springsteen

Bruce Springsteen - Born to Run1 Bruce Springsteen - Born to Run2


Bruce Springsteen - Born to Run (1975年)


~えっ? あのブルース・スプリングスティーンが、“そんなコト…”!?~

私にとって、“ロックの理想”が全て詰まったブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」。
本来なら“夏”にお届けする想定でしたが、この曲に関連してそれにも勝る“面白いニュース”が出たので、今回この作品を特集することにいたしました!

この新ネタだけでもまとまった文量を要するため、曲紹介は当ブログで、新ネタは姉妹ブログ『I Will』で分担して掲載したいと思います。
なお『I Will』の更新は翌日になる予定なので、ご了承くださいね。


~概要~

ブルース・スプリングスティーンはアメリカのロック歌手で、ファンからは“ボス(Boss)”と慕われ“アメリカの良心”とも称される存在です。
近年は政治・社会問題を取り上げた作風が多くなっていますが、若い頃は“next Dylan(第二のボブ・ディラン)”としてアメリカの普通の若者の気持ちを代弁しカリスマ的な人気を獲得しました。

「明日なき暴走」は、ブルースがブレイクするきっかけとなった1975年の3rdアルバム『Born to Run』のタイトル曲で、1stシングルとしてBillboard Hot 100で23位を記録しました。
ローリング・ストーン誌の評価が極めて高く、アルバムは“500 Greatest Albums of All Time”の18位、「明日なき暴走」も“The 500 Greatest Songs of All Time”で21位にランクされている他、“ロックの殿堂”入りも果たしている楽曲です。
音楽は言うまでもなく素晴らしいですが本アルバムはジャケットがカッコよく、私はCDの小さな写真では満足できず、わざわざ大きなLPで持っています!

演奏をサポートしているのは勿論“Eストリート・バンド (The E Street Band) ”で、間奏では2011年に「ジ・エッジ・オブ・グローリー」でレディー・ガガと共演したサックスのクラレンス・クレモンズがソロを執っています。
今回ご紹介している映像は恐らく1984-1985年頃の“Born in the U.S.A. Tour”のライブを中心に編集されたバージョンで、名実共に全盛期のブルースのパフォーマンスは圧巻です!
オリジナル音源をお聴きになりたい方は、コチラをどうぞ♪


~背景~

デビュー当初、ブルースのレコード・セールスはサッパリでしたが識者の評価は高く、ライブ・パフォーマンスはファンの間でも評判でした。
1974年、そんな彼のライブを見たロック評論家ジョン・ランドーが雑誌で“ロックン・ロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン!”と絶賛したため、ブルースは一躍脚光を浴びることとなりますが…
彼は余程ブルースに惚れ込んだのか、そのままブルースの1975年の3rdアルバム『Born to Run』のプロデューサーの一人に名を連ねることとなっています。

ブルース自身によると、作品は“まさに、タイトル通りの曲を書きたかった”という着想に拠るそうで、ボブ・ディランのような詩、フィル・スペクターのような音作り、デュアン・エディのようなギター、ロイ・オービソンのような歌唱の融合を目指し、“世界最高のロックを創り上げたかった”と語っています。
楽曲自体は1974年前半に書かれたもので、同年5月頃にはライブのレパートリーとなっていたようです。
最初のレコーディングは当人より先にザ・ホリーズのアラン・クラークにより為されましたが、リリースが遅れたためブルースのバージョンが先に世に出ることとなりました。


~Lyrics~

作品は、ある青年の青春を描いた内容となっていて、大きく分けて二つの側面があるように思います。
1つは早く町から飛び出したいと願う“切実な悲鳴”であり、もう1つは惚れた女の子への“ラブ・ソング”です。

h-Oh, Baby this town rips the bones from your back
なぁBaby、この街は背中から骨抜きにしちまう
It's a death trap, it's a suicide rap We gotta get out while we're young
死の罠、自殺のドアへと誘うのさ…若いうちに抜け出そう

主人公の青年の故郷を早く抜け出したいという願いは、若い頃のブルース自身の気持ちでもあったようです。
彼は、ニュー・ジャージー州モンマス郡フリーホールドという人口1万人程度の小さな町で青春時代を過ごしました。
地理的条件から考慮すると、この地の若者が隣接するニューヨーク市やフィラデルフィア市といった華やかな大都市への進出に憧れを抱くのは、想像に難くありません…。

加えて、ブルースはこの町のことを“小さな町で心まで狭い、保守的な町”と評しており、リベラルな民主党を支持する彼にとって、共和党支持が大多数を占めるこの町は決して居心地のよい場所ではなかったのかもしれません。
また、1984年の作品「マイ・ホームタウン」によると彼の高校では白人と黒人の喧嘩が絶えず、身近でショットガンによる事件も発生していたようで、そんな故郷での体験が作品に影を落としているのでしょう…。


The amusement park rises bold and stark
遊園地はくっきりと、これ見よがしにそびえ立ち
Kids are huddled on the beach in a mist
子供らは霞んだビーチに群がってる…

この連は、享楽へと変わりゆく人心への失望が感じられます。
1976年の「ホテル・カリフォルニア」といい、この時期はアメリカ社会の享楽化への危惧をテーマとする作品が多くありました。
「明日なき暴走」の指摘がこれに該当しているかは定かではありませんが、1974年にニュー・ジャージー(オーシャン郡ジャクソン・タウンシップ)には広大な総合アミューズメント施設“シックスフラッグス・グレート・アドベンチャー”が開業しており、2013年現在・世界最速のジェット・コースターも併設する世界最大のテーマ・パークとなっているそうです。


~Epilogue~

“Born to Run(走るために生まれた)”・・・
このメッセージは、“tramps(放浪者)”へ宛てられたものでもあります。
勿論これは単に物理的な浮浪者を指すというよりは、もっと“精神的な放浪者”のことなのだと思います。

これといって誇るもののない町に生まれ、商店や工場も次々と閉鎖されてゆく現状を見て育った子どもたち…
その不満や不安から逃れるため、ある者は享楽に奔り、またある者は暴力に依り、町も人もますます荒んでゆきます。
目的や希望を抱けず、彷徨う若者たち…

そんな、依るべき確かなものなど持たない“浮き草”だからこそ、“人をアテにせず・人のせいにせず”必死に自分の力で抗わなきゃ、もっと下流へと追いやられてしまう…
だから、走れ!
どんなに苦しくとも、走り続けるしかないんだ!

でも、こんな町の光景って、何処かで見たような…
きっと、私たちにとって“遠いの町”の空想物語ではありません…。



「明日なき暴走」

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「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」リマール

2014.01.15

category : Soundtracks

Limahl - The Neverending Story1 Limahl - The Neverending Story2


Limahl - The Neverending Story (1984年)


~Prologue~

21世紀…
CG(computer graphics)を駆使し限りなく無限となった映画の創造力は、“fantasy(空想)”の分野に大きく寄与し『ハリー・ポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』という大ヒット・シリーズを生みました。
しかし空想物語の映像化は『オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz/1910年)』や『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland/1951年)』、『ラビリンス/魔王の迷宮(Labyrinth/1986年)』などユニークな試みが古くより受け継がれてきた歴史もあります。

こうした想像世界には音楽は必須であり、今回の紹介曲も映画のヒットに大きく貢献いたしました…。


~概要~

「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」は、1984年に西ドイツ・アメリカで制作された映画のテーマ曲で、世界4カ国で1位(日本のオリコン洋楽部門も含む)を獲得するなど世界中で大ヒット、アメリカ・Billboard Hot 100で17位を記録しました。
作者はジョルジオ・モロダー&キース・フォーシイで、この二人は前年「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」を大ヒットさせたコンビです。

歌っているのはイギリスのポップ・ロック・バンド“Kajagoogoo(カジャグーグー)”のヴォーカリストであるリマールで、彼による主題歌は英語版と仏語版がリリースされました。
クレジットには記されていませんが実際にはデュエットにより歌われていて、サビの部分を英語版ではベス・アンダーソン、仏語版ではアン・カルヴェールが担当しています。

日本人好みする曲で、英語曲にも係わらず日本人によるカバーも多く、2013年もEXILEの妹分E-girlsによってオリコン2位を記録しました。
また、この曲のカバーで印象深いのは2005年の坂本美雨のバージョンで、間もなく始まるソチ・オリンピックに出場するフィギュアスケート・浅田真央選手によくタイアップされていた(2010年頃?)ことで、彼女のイメージに重なる方も多いのではないでしょうか?


~原作&映画~

『ネバーエンディング・ストーリー』は、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)1979年の作品『はてしない物語(Die unendliche Geschichte)』を原作とした映画です。
1984年にハリウッドの映画会社“ワーナー・ブラザーズ”により映画化され、まず西ドイツで公開されますが、ここで用いられた音楽はリマールによるものではなく、ドイツ人作曲家クラウス・ドルディンガーによるインストゥルメンタル・ナンバーでした。
その後ワーナーが映像を30分程カットし、音楽を一掃したものが北米や日本で公開され、大ヒットしたというワケです。
がっ、しかし・・・(ワ・ケ・ア・リ!)。

ストーリーは、少年バスチアンが『ネバーエンディング・ストーリー』という小説に夢中となり、その世界と同化していきます。
その物語とは、“ファンタージェン国の女王(幼ごころの君)が病に陥り、これを救うべく勇士アトレーユが危険な旅へと出掛ける”というもの。
映画のもう一つのヒット要因は物語に登場するキャラクターたちで、アトレーユを演じたノア・ハザウェイや幼ごころの君のタミー・ストロナッハの美しさに加え、顔が犬で体が龍という不思議な生物“ファルコン”の愛らしさ(?)でしょう♪

しかしこうしたキャラクターは“映画が創り変えた”もので、原作ではバスチアンは太っちょの少年、アトレーユは緑の肌族の少年、ファルコン(フッフール)は東洋の龍のような神秘的な存在でした。
当初、映画化に際し原作者ミヒャエル・エンデは監督に黒澤明、幼ごころの君は日本の白装束を着た少女、ファルコンは原作に準じた姿を望んだそうです。
しかし実際には悉(ことごと)く要望が無視されただけでなく、映画のラスト・シーンが彼の意向に背いていたことから、映画の制作者側と係争にまで発展しています。


~Lyrics~

In her face,
彼女の顔が…
The mirror of your dreams
鏡となって、君の夢を映し出しているから

物語には、“真実の自分の姿を映す鏡”が登場します。
PVではこのフレーズと同期して幼ごころの君が投影されていますが、物語の中でアトレーユが映した“真実の自分”とは一体!?


Make believe I'm everywhere
何処でも、私がそばにいると思ってごらん

I'm hidden in the lines
行の中や
Visions on the pages
ページの至る所に潜んでいるから

ここは、現実と物語の間を行き来する主人公の少年バスチアンへのメッセージでしょうか…。
子供に限らず、心を育むのに最も解り易く有効な手段は“実体験”と思いますが、命懸けだったり大切な人を亡くす哀しみといった体験は極力避けたいものです。
それを“仮想体験”できるのが、読書といえるでしょう。
たとえ仮想であっても、そこから物事やしくみを学んだり、登場人物の気持ちになってストーリーを読み解くことから想像力を育みます。


~Epilogue~

主人公の少年バスチアンは現実社会に於いて、さまざまな問題を抱えていました。
そんな彼が小説に夢中となり、物語の登場人物と同化し数々の試練を共に乗り越えてゆくことで、
共に成長を遂げる…
…というのが原作の意図だったとすれば、やはり映画のラストでのバスチアンの行為はそれを否定するものであり違和感が否めません。

ただ、全体としては当時の子どもの期待に応える作品だと思うし、何より主題歌を聴くと大人になった今でもワクワクします♪(私だけ?
恐らくこの物語の中で、世界を襲う“無”とは“失望に支配されること”であり、アトレーユらに与えられた試練の数々はそれとの闘いだったのではないでしょうか?
つまり、生きるとは“そういうこと”なのだと…。


長い人生に於いて、私たちは目先の出来事につい一喜一憂してしまうものですが、
その一瞬の喜びも悲しみも、永遠に約束されたものではありません。

幸運に驕らず、不運に挫けず…
如何なる時運にあっても、希望を見出す強(したた)かさを育んで欲しい…


きっと、その願いこそが ・・・ 「The Neverending Story♪」


「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」

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comment(16) 

「イン・マイ・ライフ」ビートルズ

2014.01.11

category : Beatles & Solo

Beatles - In My Life1 Beatles - In My Life2


The Beatles - In My Life (1965年)


~『glee 3』よりの選曲~

NHKで放送中のドラマ『glee 3』も、いよいよ次回が最終話。
次回1月15日(水) 午前0時40分~からの第22話のテーマは“卒業”で、送別向きな曲がメインとなっています。
…だからってカートのお父さんが“アノ曲”を歌うとは、おっタマげた!?

紹介曲以外の作品は、以下の通りです♪

Sit Down, You're Rocking The Boat / ミュージカル「ガイズ&ドールズ (Guys and Dolls)」
Forever Young / Rod Stewart
Single Ladies (Put A Ring On It) / Beyoncé “アノ曲”
I'll Remember / Madonna
You Get What You Give / New Radicals
Glory Days / Bruce Springsteen
Roots Before Branches / Room For Two


~概要~

「イン・マイ・ライフ」は1965年12月3日にリリースされたビートルズ6作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』の収録曲で、後世ローリング・ストーン誌"The 500 Greatest Songs of All Time"の23位にランクされる名曲ですが、彼らによるシングル・カットはありませんでした。
作品はジョン・レノンが“リヴァプール時代”を回想して書いた詞で、曲については“真ん中の部分はポールが手伝ってくれた”と自身の主導を示唆する発言をしていますが、ポール・マッカートニーは“作曲は僕一人でした”と主張し相違があるようです。
リード・ヴォーカルはジョンで、冒頭などリード・ギターはジョージ・ハリスンが弾いています。

ビートルズ楽曲中で最もよくカバーされる作品の一つで、1991年の映画『フォー・ザ・ボーイズ』でベッド・ミドラーが歌ったバージョンが有名です。
『ラバー・ソウル』はビートルズ最後のツアーの対象アルバムでしたが彼らはこの曲を一度もライブ披露したことはなく、後年ジョージ・ハリスンが1974年に自身のライブでカバーした時“In My Life, I Love God More”と歌詞を変えて歌い、観客からブーイングを浴びた“事件”をご存知の方もあるのでは?


~Sound~

楽曲的には文句なく名曲と呼ぶに相応しい作品ですが、演奏は後世からするとちょっと物足りない気もします…。
しかし、その中でも聴者に“おっ!?”を思わせるのは、後半に配置されるバロック調のピアノ間奏ではないでしょうか!

この曲のレコーディングには2回のセッションが行われ、1回目ではこの間奏部分が定まらないまま、2回目までにプロデューサーのジョージ・マーティンに“何らかの形”で埋めるよう託されていたそうです。
そこで彼はオルガンやピアノを試みますがテンポが合わず、結局ピアノを録音した4トラック・テープを半分の速度で再生しながら空きトラックへオーバー・ダビングし、それを元の速度に戻して再生させることで見事に応えてみせました。

こうした彼の“職人技”は『サージェント・ペパーズ…』の「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」など、高度なサウンドを探求すればするほどその存在が欠かせぬものとなりますが、一方でその名声がジョンやポールの嫉妬を買うことにもなるのです…。


~Lyrics~

「イン・マイ・ライフ」は、ジョンが自宅から街へ向かうバスの中で故郷の場所や友人らを回想したことから生まれた作品です。
実は今回、ジョンの所縁の地や人物を紹介した動画を制作したのですがブロックに遭ってしまい、みなさまに映像で各個をお目にかけることができないのが残念でなりません…。

There are places I remember
僕にとって、生涯忘れられない場所がある…
All my life, though some have changed
すっかり変わってしまった所もあるけれど

動画にはビートルズの起源となった“クオリーメン”由来のジョンの学校や、ジョンの生家、ジョンとポールが出逢った教会、リヴァプール時代のメイン・ステージ“キャヴァーン・クラブ”など入れていました。
ジョンの個人的な“忘れられない場所”といえば歌にもなった"Strawberry Field"や"Penny Lane"が有名ですが、これらは実際にジョンがずっと住んでいたミミおばさんの家の近所にあります。


Some are dead and some are living
亡くなってしまった人、今も元気な人もいるけれど
In my life I've loved them all
僕の人生に欠かせない、大切な人たちさ

“亡くなってしまった人”といえば、まず浮かぶのがジョンのお母さんジュリア。
彼女はジョンが17歳の時に交通事故で亡くなっており、彼にとって深い心の傷となりました…。

もう一人重要な人物は、美術学校時代の親友スチュアート・サトクリフ。
ジョンにとって恐らく生涯最も心を許した友人で、画家志望だった彼を無理矢理ジョンがビートルズに引き込むなど、ポールが嫉妬するほど仲が良かったそうです。
画家に専念するためバンドを脱退して1年、脳出血により亡くなっています。


But of all these friends and lovers
そんな大切な人たちの中でも
There is no one compares with you
君だけは、特別な人なんだ

ジョンの“最愛の人”というとオノ・ヨーコが浮かびますが、二人の出逢いは1966年11月のことなので彼女を想定したものではありません。
妥当なのは美術学校時代の恋人で1962年に結婚したシンシア・パウエルが挙げられますが、ジョンがこの歌に謳うほどに、この時彼女を愛していたかはやや疑念が残ります…。


~Epilogue~

ところでリヴァプール時代、ジョンはどんな少年だったのでしょう?
幼稚園で早くも“退園処分”を受けていることでも分かるように、以来“生まれながらの問題児”と評された少年時代を送っています。
昨年、それを裏付ける学校での“特別指導記録”が競売に出され、話題を呼びました。
15歳のジョンが“教室でけんかをした”“迷惑行為をした”“授業をサボった”など具体的な問題行動が記されており、当時の教師も“いかにもジョン・レノンらしい内容だ。彼は極めてやんちゃな少年だった。”とコメントしたそうです。

そんな“札付きのワル”だったジョンが地元レコード店経営者ブライアン・エプスタインに出会い、彼の尽力でパーロフォンのジョージ・マーティンへと辿り着き“世界のスーパースター”へと上り詰めたことは、
彼はまさに“宝の人”を得たが故でした。
もしジョンがポールやブライアンに出会わなかったら、彼の人生は随分違ったものとなっていたことでしょう。
つくづく人生とは個別の才能や努力だけでなく、人との巡り合わせが大切なのだと思わされました。

現在ある幸せは、あなたのそばにいる“誰か”によってもたされたものなのかもしれません…。



「イン・マイ・ライフ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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「ジ・エッジ・オブ・グローリー」レディー・ガガ

2014.01.03

category : Lady Gaga

Lady Gaga - The Edge Of Glory1 Lady Gaga - The Edge Of Glory2


Lady Gaga - The Edge Of Glory(2011年)


~『glee 3』よりの選曲~

約半年近くに亘ったドラマ『glee 3』も、いよいよあと2回を残すのみ。
次回1月8日(水) 午前0時40分~からの第21話“夢の全国制覇!?”は、タイトルが示すとおり全国大会のエピソードなので歌がメインの展開です。
ウーピー・ゴールドバーグやリンジー・ローハンらがゲスト出演しているので、そちらもお楽しみに!

紹介曲以外の作品は、以下の通りです♪

It's All Coming Back To Me Now / Celine Dion
Paradise By The Dashboard Light / Meat Loaf
Starships / Nicki Minaj
Pinball Wizard / The Who
Starlight Express / Starlight Express
Tongue Tied / GROUPLOVE
We Are The Champions / Queen

NHK『glee 3 ホームページ』


~概要~

音楽情報サイト『BARKS』で2013年洋楽ニュースのTOP1を、レディー・ガガ(彼女の下半身に起こったアノ悲劇…)”が飾ったように、良くも悪くも現在最も影響力を持ったスターである彼女。
そんなガガが2011年にリリースした2ndアルバム『ボーン・ディス・ウェイ (Born This Way)』は1stシングルとなったタイトル曲のインパクトと奇抜なミュージック・ビデオにより世界中の目を釘付けにして、その存在の大きさを再認識させました。
しかしこのアルバム自体音楽評論家から高い評価も受けており、3rdシングルの「ジ・エッジ・オブ・グローリー」もその一つといえるでしょう。

「ジ・エッジ・オブ・グローリー」はStefani Germanotta (ガガの本名)らによる作品で、Billboard Hot 100で3位を記録しました。
日本では、2011年のドラマ『ジウ 警視庁特殊犯捜査係』主題歌としてご存知の方も多いことでしょう。
ロック色の強いダンス・ナンバーで、ブルース・スプリングスティーンの“Eストリートバンド”でお馴染みのサックス奏者クラレンス・クレモンズがプレイしたことでも話題を呼びましたが(PVにも出演)、この曲がシングルとしてリリースされた直後、残念ながら脳卒中のため彼はこの世を去ってしまいました(享年69)。
私は音楽的に「ボーン・ディス・ウェイ」より気に入っている作品で、シンプルなPVは奇抜さがない分好き嫌いもなく、大多数が“cool”と思える映像になっています。


~背景~

この作品は、ガガのおじいさんが亡くなった際の体験が素になって生まれたと、彼女自身が語っています。
上記のとおり正式版はロック・ビートの強いナンバーですが、元々はおじいさんが亡くなった後、ガガとお父さんが哀しみの感情の中で弾いたピアノから生まれたそうです。
ガガをテレビでしか見たことがなく彼女を単に“奇抜なファッションの人”という認識をお持ちの方は、この曲をピアノで弾き語るさまをご覧になると“彼女が何者であるか”、ご理解いただけるでしょう…。

また、亡くなったおじいさんの遺骸のそばで付き添うガガのおばあさんを見つめている時、不思議な体験をしたそうです。
悲しんでいるおばあさんを前に、彼女と60年連れ添ったおじいさんが“私たちは人生の勝者だ。二人の愛が勝利を導いたんだ。”と語ったように感じたといいます。
この体験がガガにインスピレーションを与え、作品の世界観を創っていったのです。

さらにガガはこの作品のヒントになったものとして、彼女の大好きなシルヴェスター・スタローン主演のボクシング映画『ロッキー』を挙げています。
『ロッキー』というと、ロッキーが叫ぶ“エイドリァ~ン!!”のエンディングが鉄板シーンで、そういえば上記エピソードとも重なる気がしませんか?


~Lyrics~

There ain't no reason you and me should be alone
Tonight, yeah, baby! (Tonight, yeah, baby!)

あなたと私…今夜、互いが一人きりでいるべき理由なんてない
And I got a reason that you're who should take me home tonight (Tonight)
けれど、私…今夜、あなたの家に連れ帰られるべき理由があるの

“There ain't no reason”と“I got a reason”の対比が効いて、ロックっぽいクールな表現。
どうやら“お・も・ち・か・え・り”されたがっているようですが、本人にとっては切実な想いがあるようです…。


Another shot before we kiss the other side
今夜、もう一度…
Tonight, yeah, baby! (Tonight, yeah, baby!)
あの世でキスを交わす、その前に

この連は“the other side”をはじめ生死観が色づけされていて、ガガのおじいさんとおばあさんの“この世のお別れ”の影響を感じさせます。
あの世に行ってもキスはできるのだろうけど、せめてこの世であと一回、キスを交わそう…
そんな想いが、去来しているのでしょうか…。


I'm on the edge of glory, and I'm hanging on a moment of truth
栄光の端…私はそこで、真実の一瞬に縋(すが)りつく
Out on the edge of glory, and I'm hanging on a moment with you
光の外…あなたとの一瞬に縋りつく

タイトルにもなっている、歌のメイン・フレーズです。
“the edge of glory”の解釈はとても難しく、その表現は自分でも最後まで迷ったし満足してはいません。

でも、どうして折角の栄光を“端っこで縋りつく”ようにしなければなければならないのでしょう?
実はgloryは“絶頂”、edgeは“刃・端”という意味があって、私は“山の頂上はとても狭く、一歩踏み外せば断崖から転げ落ちる危うさを併せ持つ場所”という想像をしました。
当代一のスターであるガガ自身が置かれた境遇と合わせて“絶頂の断崖”も面白いかなとも思いましたが、“もう一つの説”と共存できるようなカタチでまとめた次第です…。


~Epilogue~

“もう一つの説”とは…
映画『ロッキー』です!

ロッキーは賭け率50対1のチャンピオンとの闘いを前にして試合前夜、恋人のエイドリアンに“ちょっと前までクズだった俺が、ヤツに勝てっこない…”と弱音を吐きます。
“でも、もし最後のゴングまでリングに立っていられたなら、自分がもうゴロツキではないことを証明できる…。”
…そう、彼女に誓うのです。

壮絶な打ち合いの末ロッキーは判定負けを喫しますが彼にとっては勝敗などどうでもよく、前夜の誓いを遂げた悦びをエイドリアンと分かち合いたい一心で彼女の名を叫び続けます
勝者に脚光が当てられる中、ロッキーはリングの片隅で、駆けつけたエイドリアンと抱き合って悦びに満たされるのでした…。

どうです、歌と重なりませんか?
本当の勝利とは…
真の栄光とは誰のため、どんな価値のものなのか、深く心に問い掛けるてくるようです。

そして…
その心は、上記ガガのおじいさんがおばあさんに向けた“私たちは人生の勝者だ。二人の愛が勝利を導いたんだ。”という言葉と繋がっているのではないでしょうか?
そう考えると、この曲が哀しいバラードではなくエネルギー溢れるロック・サウンドが採られた意味が理解できるような気がします…。



「ジ・エッジ・オブ・グローリー」

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