I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ハイスクールはダンステリア」シンディ・ローパー

2014.02.28

category : Cyndi Lauper

Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun1 Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun2


Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun (1983年)


~3月3日は“雛祭り”~

いうまでもなく女の子のすこやかな成長を祈る節句ですが、文化は違っても我が子に幸あれと願う親心に変わりはありません。
でも年頃の本人(娘)は、それをどう受け止めているのでしょう…?
今日はそんな両親の元、“すこやか”に成長した女の子の歌です♪

えっ? ちょっとゲンキ過ぎ!?


~シンディ・ローパー~

シンディ・ローパーというと個性的なキャラクターやファッション、強いメッセージ性の歌…
そして二度の震災にも駆けつけ、いち早く日本を支援してくれた慈母のようなやさしさは日本人…特に女性にカリスマ的な人気があります。
“外タレNo.1といっていい親日家”で、近年もユニクロのCMにも出演していましたね♪
(一瞬なので、気づきました?)

シンディは1980年、ブルーエンジェル(Blue Angel)というバンドでデビューしますが売れず、彼女自身自己破産を申請するハメに…。
一旦はバイトとクラブ歌手の生活に身を落としますが“熱烈な支援者”に救われ、ソロとして再デビューしたのが1983年10月にリリースされた1stソロ・アルバム『She's So Unusual(N.Y.ダンステリア)』でした。
タイトルに添えられた“Unusual(異常な・変わった・並はずれた)”はまさにシンディの持ち味を見事に捉えた言葉だし、それだけでも“おやっ!?”と思わせるインパクトがありますネっ!


~概要~

さて、そのアルバムからの先行シングル(つまりシンディのソロ・デビュー曲)が1983年8月の「Girls Just Want To Have Fun」であり、Billboard Hot 100では7ヶ月近くかけてゆっくり上昇し翌84年3月に
2週連続2位(84年・年間15位)を記録しました。
当時日本での邦題は「ハイスクールはダンステリア」でしたが、後年シンディから“本来の歌詞のイメージと違う”という申し出があったため、現在では原題の英語をそのままカタカナ表記した「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」に改められています。

しかし、私はこの邦題が大好きです!
確かにLyricsにはhigh schoolDanceも出てこないので言葉の意味としては全くデタラメなのですが、日本人的にはウキウキする曲のフィーリングに凄くピッタリくると思いません?(洋楽の邦題は、この位ぶっちゃけてる方が面白い!
主人公が高校生というのもイメージに合うし、“ダンステリア”はたぶんスペイン語の“cafetería(カフェテリア)”を模した造語で、英語の“dance hall”より女の子っぽい可愛らしさとポップ性を感じます。
たぶんダンステリアという言葉は現在も一般的ではないと思いますが、1979-1986年頃“Danceteria”というナイトクラブがニューヨークに実在していたたそうですよ!

今回私は女の子らしい歌としてこの作品を紹介していますが、作者は Robert Hazard という人。
…んっ? ロバート? …男♂!?
実はこの曲のオリジナルはロバート・ハザードが1979年に歌い、“当初は男性の視点による歌詞”でした。
これをシンディがカバーする際、彼女が一部歌詞を調整して完成させたというワケです♪


~“エーヨー”たっぷり!?~

この作品は強烈な個性を放ちながらも皆が楽しめる親しみを併せ持つことから、多くの“栄誉”をシンディにもたらしています。
まず、1985年のグラミーでは授賞は果たせなかったものの“最優秀レコード賞”、“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”にノミネートされました。
また、オールタイムでもアメリカのケーブルテレビ・チャンネル『VH1』“100 Greatest Songs of the 80'sの23位”にランクされています。

音楽だけでなく、ミュージック・・ビデオの評価も高く…
記念すべき第1回/1984年のMTV Video Music Awardsでは“最優秀ビデオ賞”ほか6部門にノミネートされ、“最優秀女性ビデオ賞”を授賞しています。
オールタイムでもRolling Stone誌が22位・ MTV が58位・ VH1 が45位にランクされ、歴史的にも名作といえる映像でしょう!


~さまざまなアレンジ~

1983年のバージョン以外に何度もシンディによるセルフ・カバーがなされた作品で、最も知られているのは1994年のアルバム『グレイテスト・ヒッツ』に収録された「Hey Now (Girls Just Want to Have Fun)」でしょう。
彼女にとって公私に亘る復帰作で、レゲエをアレンジしたこのバージョンは世界でもヒットしHot 100は87位・イギリスは4位と大ヒットしました。
また、私はこの頃『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』にシンディ本人が出演し歌ったのを見た記憶があります!



さらに、2005年にはアルバム『The Body Acoustic』で当時北米進出していた日本のパフィーをバック・コーラスに迎え、スカ・アレンジも試みられました。


~Lyrics~

I come home in the morning light
朝日を浴び、家に帰ると
My mother says when you gonna live your life right
ママが言うの…“アンタ、いつになったらマトモな生活するの?”って

娘が“朝帰り”すると親がウルサイのは、何処も同じようですね!
こんな説教、“耳にタコ”の方もあるのでは…?

PVでシンディのママを演じているのは、“本物のシンディのママ”で、いい味出してるでしょ?
他のPVにも出てるので、ファンにはお馴染みですね♪
あと、出演者はシンディの弟や友人、関係者がいっぱいです!


The phone rings in the middle of the night
真夜中、電話が鳴ると
My father yells what you gonna do with your life
パパが怒鳴るの…“オマエは、人生どうするつもりだ!”って

タダでさえ、年頃の娘の電話が気になるお父さん!
でもケータイ時代はその動向さえ掴めず、心配は募るばかり…?

ワイルドなパパ役は、もちろんホンモノ…
…ではなく、プロレスラーの“キャプテン”ルー・アルバーノ
シンディはプロレスラーの友人が多く、彼女のPVによく出てきますね!


~Epilogue~

この歌では、年頃になってもアレコレ説教する両親に少しウンザリしている女の子の心情が描かれていますが、実際のシンディは5歳の時に両親が離婚しお父さんとは離れて暮らしていました。
幼少から他とは異なる言動や奇抜な身なりの彼女は周囲と馴染めず、絵を描いたり歌を歌ったりする方が楽しかったそうです。
17歳で高校を中退し家を出て行ってしまった娘の行く末を、お母さんもさぞ心配したことでしょう…。

Oh mother dear we're not the fortunate ones
あぁ…愛しのママ、アタシら女って損なイキモノね

男と女、どっちが得なのか私にはわかりませんが、何れにしても一番大切なのは
“生きているのが楽しい”と実感できる人生。
それは単に性別で定められるべきではなく、まして本人以外が評価すべきものでもありません。

人生の喜びや楽しみとは、自分自身で見い出すべきものであり
その術たる“学び”や“修練”こそが究極の楽しみへと導く
のだと、私は信じます…。




「ハイスクールはダンステリア」

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comment(16) 

「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」バッド・イングリッシュ

2014.02.24

category : John Waite

Bad English - When I See You Smile1 Bad English - When I See You Smile2


Bad English - When I See You Smile (1989年)


~最高の“ Smile ”ありがとう~

ソチ・オリンピック・フィギュアスケート女子フリー・スケーティング(FS)で浅田真央選手が見せた歓喜の笑顔、
そして競技の緊張から開放されたエキシビションでの、イタズラっぽい少女の笑顔…。
私たちがが見たかったのは“それ”だったのだと、改めて思わされました。

今日は、彼女が届けてくれた素敵な“ Smile ”のお礼として…


~Bad English~

“80年代最後のスーパー・グループ誕生!”
…そんな触れ込みで登場したロック・バンドがバッド・イングリッシュで、メンバーのニール・ショーン(g)とジョナサン・ケイン(key)は”ジャーニー (Journey)“、ジョナサンとジョン・ウェイト(Vo)、リッキー・フィリップス(B)が“ベイビーズ(The Babys)”だったことから、当初このプロジェクトは“ジャーニー復活!”とか“ベイビーズ再結成?”と囁かれました。

しかし実際にはベイビーズはジャーニーの前座としてツアーを回っていたほど実績に差があり、エイジアなどと比べると“スーパー・グループ”は少し大袈裟な看板だったかもしれません。
そんな“格上”ジャーニーの後任キーボーディストにジョナサンが抜擢されることでベイビーズは解散、ジャーニーは全米No.1バンドへと飛躍するワケですが…。

1987年、ジャーニーはスティーヴ・ペリー(Vo)の脱退により活動休止状態に陥ってしまったため、ジョナサンは当時ソロ歌手として成功を収めていたジョンにベイビーズ再結成を持ちかけ、それにニールも乗ったことで“新たなバンド”が産声を揚げることとなります。
“Bad English”は悪いイギリス人という意味ではなく、ジョンに依ると“Englishはビリヤードで球を突く意味であり、そのミス・ショットのことをBad English”と呼ぶのだそうです。


~概要~

1989年、彼らは1stアルバム『Bad English』でデビューを飾り、「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」はその2ndシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100では2週連続No.1(年間34位)を記録しました。
作者はセリーヌ・ディオンの「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」やエアロスミスの「ミス・ア・シング」など、ロマンティックなバラードを書かせたら当代随一のダイアン・ウォーレン

イントロから刻まれる美しいジョナサンのキーボード、愁いを帯びたジョンのヴォーカル、情熱的なニールのギター・ソロ…
洗練されたそのサウンドはどれも楽曲に劣らぬ名演奏で、ロック・バラードとしては同年発表されたボン・ジョヴィの「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」と双璧といえるほど、私のお気に入りです♪

また、日本ではリーバイスのCMでお馴染みの方も多いのではないでしょうか…。


~Lyrics~

Sometimes I wonder how I'd ever make it through
時に、思うんだ… “どう乗り越えただろう
Through this world without having you
この世界で、君がそばにいてくれなかったなら”って…

みなさんも、こんなことを考えたことがあるのではありませんか?
私は幼いころ何度も迷子になっていますが、親切な人たちに助けられていなかったら今頃は…
ん…?
そんな喩えじゃナイ!?

きっと“大切な人”とは、その人がいなかったら人生が大きく変わってしまう存在をいうのでしょうね。
多ければいい、というモノでもありませんが…。


And when the rain is falling
雨が降ろうと
I don't feel it, 'cause you're here with me now
関係ない…だって、君がここにいてくれる

…そう思える相手を得ることは、生涯の幸運です。
できるなら“雨”には遭いたくないものですが、共に乗り越えられたなら強い絆を育みます。
相合傘なら、多少濡れるも好し…?


~Epilogue~

今回のオリンピック・ショート・プログラムでの浅田選手の結果は、4年間掲げてきた彼女の目標を一瞬で無にする残酷なものでした。
多くの人はフリーも彼女本来の演技は望めないダメージと思っただろうし、浅田選手自身“もうスケートができない”というほどショックを受け、フリー当日朝の練習も体が動かないままだったそうです。
しかしギリギリまでイメージ・トレーニングを続け試合直前の6分間練習で感覚を取り戻し、フリー本番では目指していた演技が叶い、彼女の4年間は“歓喜の涙と笑顔”として溢れました。

それにしても…
前夜どん底に落とされた浅田選手が、どうして一夜にして奇跡的な回復を果たせたのでしょう?
SP終了後の、コーチや周囲の励ましが救ってくれたのかもしれません。

しかしそれも、“彼女自身の積年の努力があったからこそ”と、私は思うのです。

4年間の目標が一瞬で失われることはあっても、4年間積み重ねた努力は無にはならない
ことを浅田選手がFSで証明してくれた…

だからこそ私たちはそれを自分のことのように喜び、彼女と一緒になって泣き笑いしたのではないでしょうか?

When I see you smile
君が微笑んでくれるなら…
I can face the world
僕はこの世界と向き合える

浅田選手から届けられた最高の“涙と笑顔の贈りもの”…
私は、生涯忘れることはないでしょう



「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」

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comment(12) 

「スパイズ・ライク・アス」ポール・マッカートニー

2014.02.20

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Spies Like Us1 Paul McCartney - Spies Like Us2


Paul McCartney - Spies Like Us (1985年)


~Prologue~

ロシアのソチで催されるオリンピックも、いよいよ終盤に入りました。
今日はちょっと視点を変え、旧ソ連を舞台とした私の大好きなコメディー映画の主題歌をご紹介いたします。
歌も映画もかなりクダけた作品なので、そこのトコロは寛大なココロでお楽しみくださいネっ♪


~概要~

「スパイズ・ライク・アス」は1985年12月公開(日本は1986年)ジョン・ランディス監督のスパイ・コメディー映画『スパイ・ライク・アス(Spies Like Us)』の主題歌としてBillboard Hot 100で7位(1986年・年間92位)を記録、世界一のヒット・メーカーで知られるポール・マッカートニーにとって現在のところ最後のBillboard Top 10シングルです。
…とはいうもののこの曲は映画のサウンド・トラックには含まれておらず、当初ベスト盤を含むポールのアルバムにも収録されなかったため、案外入手困難な曲でした(現在は『プレス・トゥ・プレイ』のボーナス・トラックに収録)。
スパイ映画といえば1973年にポールは映画『007 死ぬのは奴らだ』の主題歌を担当していて、『Spies Like Us』は映画・楽曲共にこのシリーズのエキスを汲みつつパロディーしているカンジがあります。

当時ポールはポリスの『Synchronicity』やフィル・コリンズの『No Jacket Required』をヒットさせた売れっ子プロデューサーのヒュー・パジャムと組んでいたため彼のサウンドが色濃く反映されていますが、一方でこの頃ビリー・ジョエルの「素顔のままで」で有名なフィル・ラモーン「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」で仕事を共にしていて、「スパイズ・ライク・アス」ではこの二人の名プロデューサーによる共同作品となっています。

また、キーボードとバック・コーラス以外のヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスは全てポール一人で演奏し録音されました。


~映画は“ドリフ・コント”のオンパレード!?~

映画の主演は人気コメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のチェビー・チェイスと『ゴーストバスターズ』のダン・エイクロイドで、この二人のキャスティングというだけでコメディー好きの私はワクワクしてしまいます!
また、ジョン・ランディス監督&ダン・エイクロイドといえば1980年の『ブルース・ブラザーズ』のコンビであり、脚本をダンが手掛けているという点でもこの映画の“血脈”がしっかりと受け継がれているといえるでしょう。

アメリカ国務省に勤務する落ちこぼれ2人がスパイとして敵地・ソ連に潜入し、KGBやアフガニスタン解放軍の追撃を振り切って“特別任務”を果たす活躍を描いたストーリー。
過酷な任務も、得意の“口八丁手八丁”で巧みに乗り越える2人の珍道中に反し、その背後に秘められた陰謀は当時現実の世界を覆っていた核戦争の脅威と重なっていて、全体のコメディー調を引き締めています。
…とはいえ、この映画の本質は“笑い”であり、そのツボは上記ダン・エイクロイド作品や『ポリスアカデミー』といった笑いがお好きな方には特にオススメですが、個人的には日本の“ドリフ・コント”に近い感覚もあります♪


~ビートルズ・ファンが泣いて喜ぶPV~

PVはジョン・ランディスがそのまま監督を務め、映画シーンに加えポールとチェビー&ダンによる撮り下ろし映像で構成されています。
もともとこの映画の主題歌選定に当たり、ランディス監督自らがポールに依頼したそうですが、なぜポールほどの大物がこうした(ドタバタ)コメディーの主題歌など引き受けたのか…?

それは、PVを見ると一目瞭然!
この映像でポールは積極的にギャグ・ネタに参加しているし、一緒になって“おフザケ”を楽しんでいる様子が伝わってくるでしょう?
しかも映像の最後には、“ポールでなければオチにならない、ビートルズ・ファンが泣いて喜ぶネタ”まで仕込まれています♪
でもあんまりシゲキテキ過ぎて、イギリスでは“放送禁止”になってしまったようですが!?
イギリスでは、音楽家の組合に属していない人〔ここではチェビー&ダン〕が音楽をパフォーマンスした映像を放送しないというルールがあるそうです)


~Lyrics~

曲調を聴いても分かるとおり情感を味わう詞ではなく、直感を楽しむべき作品です。
そのため歌詞は“随所に韻を踏ませた言葉選びの妙”が施されており、まるでラップみたい!
英語の韻の楽しさをそのまま和訳再現することは不可能ですが、何とかそのフィーリングに近づけようと無理してみました。
また、ここでは映画の名シーンと合わせて語りたいと思います…。

We get there by hook or by crook
引っ掛け捻じ曲げ、たどり着く
We don't do a thing by the book
教科書なんて、クソくらえ

見事に韻を踏んでるでしょ♪
まさに2人は型破りなスパイですが、その“片鱗”は登用試験から歴然でした。
会場にアヤシゲなナリで現れたり、その場で試験官にワイロを持ち掛けたり…?




Oh when things get tough
キビしいピンチになったなら
Guys like us act rough
オレたち、ちょっとムチャします!

コレも、見事な韻!
試験シーンと同じくらい好きなのが、“訓練シーン”
一見道理に適っているようで、どっかムチャクチャ…。
それにしても、“高速で長く水上に留まるテスト”とか“垂直ショック耐久テスト”って、
一体どんな危機を想定してるの!?




~Epilogue~

1991年12月25日の“ソ連崩壊”によりこの映画に描かれたような世界核戦争の恐れは遠ざかったにも関わらず、今もスパイ行為の暗躍は止まる事を知りません。
人的な諜報活動や破壊・工作活動は元より、情報通信やインターネットの普及を逆手に取った盗聴やサイバーテロ、サイバー戦争など、その脅威はむしろ私たちの日常にも入り込んでいます。

昨年世界を揺るがしたアメリカ中央情報局(CIA)及び国家安全保障局(NSA)の局員エドワード・スノーデンによる、“アメリカは同盟国メルケル独首相を盗聴している”という衝撃的なリークで明らかなように、
“そこに利害がある限り、スパイ行為に対象外はない”と考えた方が良さそうです。

人ごとのように思うかもしれませんが、上記したとおり“日本もこの対象外ではありません”。
スノーデンが所属した“NSAは軍傘下の通信傍受専門の情報組織”であり、日本にあるアメリカ軍基地内(一説には三沢基地といわれる)には“エシュロン(Echelon)”と呼ばれる通信傍受システムが併設されているといわれます。
もちろんアメリカ軍及び政府がこの存在を公式に認めることはありませんが、“エシュロンはありとあらゆる無線・短波無線・携帯電話・インターネット回線を傍受できるシステム”であり、それが事実なら私達一般人のやり取りを含む日本のありとあらゆる情報がアメリカの監視下にあることとなるのです。

アメリカが同盟国である日本に諜報を行う最大の標的は経済であり、その情報や技術を傍受しアメリカの国益とする狙いがあります。
実際、1995年に行われた“日米自動車交渉”ではNSAが日本側交渉団の電話を盗聴していたとニューヨーク・タイムズが報じた過去もあり、現在進められているTPPの関税交渉は大丈夫なのでしょうか…?

ナンだか、シビアなまとめになっちゃったっ! ゴメンよぉ…。



「スパイズ・ライク・アス」

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comment(4) 

「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」ジミー・クリフ

2014.02.16

category : Soundtracks

Jimmy Cliff - I Can See Clearly Now1 Jimmy Cliff - I Can See Clearly Now2


Jimmy Cliff - I Can See Clearly Now (1993年)


~氷上のF1・ボブスレー!~

冬季オリンピックの競技というと、”雪と氷“があって成立する種目ばかりですよね…。
従って、当然そうした環境に恵まれた国(地域)が中心のイベントとなります。
また、競技の高度化に伴い、より多く氷雪の上での練習・試合経験を確保するため彼らは年中世界を
飛び回らねばならず、莫大な資金がかかるのが実情。
そのため、貧しい人や経済力の弱い国ではなかなか参加の機会が得られるものではありません。

今日は、そうした困難に立ち向かった男たちの物語…。


~概要~

「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」は、“ボブスレー”でオリンピック出場を目指すジャマイカ人を主人公とした1993年のアメリカ映画『クール・ランニング(Cool Runnings)』の主題歌です。
曲のベースとなっている“レゲエ”はジャマイカ発祥の音楽で、歌っているジミー・クリフもジャマイカ出身のレゲエ歌手。

映画のサウンドトラックからのシングル・カットでBillboard Hot 100の週間チャートで18位ながらロング・ヒットとなり、年間('94年)66位を記録しました。
日本では映画のサントラ曲というよりも、2005年の木村拓哉主演ドラマ『エンジン』のエンディング・テーマとして有名かもしれません。

作品は書き下ろしではなくカバーで、オリジナルは1972年・アメリカの黒人歌手ジョニー・ナッシュが自作・歌唱しHot 100で4週連続No.1に輝いた楽曲です。

レゲエを代表する大ヒット曲なのでジミー以外にもダニー・オズモンドやダスティ・スプリングフィールド、グラディス・ナイト、トム・ジョーンズ、ホリー・コールなど数多くカバーされていますが、中でも私がイチオシなバージョンはレイ・チャールズ!
独創的なパフォーマンスはモチロンですが、ナンといっても“盲目の彼が「I Can See Clearly Now!(ハッキリ見える)」と歌う”のですから、感慨深いものがあるでしょ!?

 Ray Charles


~『クール・ランニング』 再び!?~

映画『クール・ランニング』の面白さは、カリブ海に浮かぶ“熱帯の国・ジャマイカ”の男たちが慣れない“氷上のF1・ボブスレー”に挑むユニークさにあり、そのため笑いあり涙あり感動ありの珍道中を繰り広げるというワケです。
しかし“物語の基礎部分は実話”であり、ジャマイカが初めて冬期オリンピックに参加した1988年のカルガリー・オリンピック(カナダ)でのボブスレー競技(4人乗り)のエピソードに脚色を加えたもの。

 当時の映像

今回ジャマイカのボブスレー・チームは2002年以来、3大会ぶりの出場権を獲得しました。
ジャマイカといえば“世界一のスプリンター”ウサイン・ボルトが有名ですが実際、今回のオリンピックにボルトを召集する話もあったものの、彼の“寒いのは苦手”の一言で実現しなかったとか…!?

競技は17日から“男子2人乗り”が始まっており、2回戦を終えた時点でジャマイカは最下位の30位です。
また、同種目出場の日本チーム(鈴木寛・宮崎久)も、28位という経過にあります。
(※2日間で4回滑走し、その合計タイムで最終順位を決める)


~Lyrics~

I can see clearly now the rain is gone
雨が止んで、今はっきりと見える
I can see all obstacles in my way
行く手を阻む、あらゆる難題にも向き合える

レゲエに限らず沖縄とか南国の音楽って、聴く者の心をゆったり穏やかにさせてくれます。
思わず、“まぁ、いっかぁ…♪”なんて呟きそうになりますが、
オリンピック選手にとってコレは、“悪魔の囁き”!?

でも、この歌の根底に流れる明るくおおらかな“レゲエの心”は、
ジャマイカの人たちの国民性そのものなのでしょうね♪


Oh, yes I can make it now the pain is gone.
痛みも止んで、今きっとやれる
All of the bad feelings have disappeared.
後ろ向きな感情は、すべて消え失せ

このフレーズ…
思わず、スキー・ジャンプ男子ラージヒルで銀メダルを獲得した葛西紀明選手が、頭に浮かびましたっ
葛西選手は試合の直前に腰を痛め日本中を心配させましたが、終わってみると“限りなく金に近い銀メダル”に
輝き、その満面の喜びようからさぞや満足しているだろうと思いきや…
“金メダルを取って本当にレジェンドと呼ばれたかったけれど、また目標ができた。金メダルを目指して頑張りたい。…”
エッ…!? 次ってアナタ、45歳ですゾっ!!?

でも、4年後の楽しみができました♪
思えば、モーグルの上村愛子選手も葛西選手にしても、オリンピックで常に“未練”を残してきたからこそ、人一倍長く現役を続けてこれたのでしょうね…。


~Epilogue~

実は、ジャマイカ・チームがオリンピックのスタート・ラインに立つまでには、今回も競技以外の困難が立ちはだかっていました。
出場権を獲得したものの参加するための資金がなく、メンバーが私財を投じても8万ドル足りませんでしたが、映画『クール・ランニング』のモデルになったメンバーがネットで寄付を呼び掛け、ようやく出場が叶ったそうです。
また、ソチに入ってからも用具が現地に届かないハプニングに見舞われ、十分な調整もできませんでした。

“男子2人乗り”は2回戦を終えた時点でジャマイカは”最下位ですが、彼らには地元ロシア・チームに負けない程の温かい声援が送られているそうです。メンバーはというと…
“ここに来られてよかった。たくさんの人たちの支援に感激したよ。まだ大丈夫。明日を見ていてくれ。”
…と語り、メゲる様子などありません!

L'important, c'est de participer
重要なのは、参加することである(オリンピックは、参加することにこそ意義がある)

“オリンピックはメダリストが輝くためだけに用意された舞台ではなく、参加した選手一人ひとりに目標や背景があり、彼らはそれを陰で支えてくれた人への感謝の気持ちと共に闘っている”

…そう、ジャマイカ代表“クール・ランニング”に改めて教わったような気がします。



「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」


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comment(10) 

「ワン・ハンド,ワン・ハート」デビー・ギブソン

2014.02.12

category : Debbie Gibson

Debbie Gibson - One Hand, One Heart1 Debbie Gibson - One Hand, One Heart2


Debbie Gibson - One Hand, One Heart (1991年)


~Prologue~

2月14日は、“バレンタイン・デー”。
女性が主役の日ということで、今回は女の子を主人公としたかわいらしいストーリーを選んでみました♪
相手の男性を迷いの淵から救い出そうと、彼女が“ある提案”をするのですが…(詳細後述)。


~バレンタインの奇蹟!?~

ところで、バレンタインといえば“女の子側からアピールする”イベントですが、今回のバレンタインでも困難に挫けず頑張っている“女の子”の恋物語をご紹介いたしましょう♪
彼女は、島根県松江市大垣町にある世界有数の花と鳥のテーマパーク『松江フォーゲルパーク』の…

ケープ・ペンギン“さくら”ちゃん 

さくらちゃんは現在10歳で、人間で言うと30歳前後の女盛りだそうですが昨年10月にパートナーのムサシに先立たれてしまい、以来淋しい毎日を過ごしてきました。
そんな彼女の新たな恋のお相手が、これも男盛りの…

“飼育員さん”! 

その熱愛ぶりは動画にある通りで、彼に対しては“求愛のポーズ”も取って猛アタック中だとか…。
種の違いを超えた彼女の一途な恋に、果たして“バレンタインの奇蹟”は叶うのでしょうか!?




~概要~

デビー・ギブソンは’80年代後半に10代でデビューしたアメリカの歌手で、当時ティファニーやニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックらと共にアイドル扱いされていましたが、当初から自分で作詞作曲・プロデュースをこなすという点で彼らとは一線を画していたともいえる存在です。
1stアルバムで全米No.1シングルを輩出し、2ndアルバムもNo.1に輝くなどアメリカではこの頃人気絶頂でした。
日本ではこれに遅れて、1990年の3rdアルバム『Anything Is Possible』がオリコン5位を記録するピークを迎えていて、「ワン・ハンド,ワン・ハート」もこのアルバムに収録された作品です。

この頃デビーが日本で人気を獲得した理由として“ドラマの主題歌”の起用があり、1990年には浅野ゆう子主演『男について』で山下達郎と共作した「ウィズアウト・ユー」をデビーが歌いました。
’92年には沢口靖子主演『…ひとりでいいの』にアルバム『Anything Is Possible』から「イン・ヒズ・マインド」と「ワン・ハンド,ワン・ハート」が挿入曲として起用され、それぞれシングル・カットもされています。

当時デビーのヒット曲の多くはアクティブなポップ/ダンス・ナンバーでしたが彼女の音楽の原点は幼少から学んだピアノで、「ワン・ハンド,ワン・ハート」はほとんどピアノの弾き語りといっていい程シンプルな作品です。
しかし反ってそれが作品の魅力を引き出す要因となっていて、“コロンコロン”と響くかわいらしいピアノの響きや伸びやかでくすみないデビーの歌声が、まるで心をくすぐるように元気づけてくれますよ♪


~Lyrics~

Come with me to a place where all is free
一緒に行こう… すべてが自由で
No one to tell you what to do
あなたに指図する人なんて、いない場所

“彼女の提案”とは、こういう事です。
でも“愛する二人きり”なら、ホントに“指図される”コトは無いの?

Use your mind
自分自身で考え
Leave the whole world behind
周りのことなど放っておけばいい

たぶん彼女は、周りの配慮もできる優しい彼だからこそ好きになったのでしょうが、二人の恋の成就にはそれが反って妨げになっているようです。
しがらみを断ち切れない彼に彼女の苛立ちも垣間見えますが、歌やサウンドが可愛らしいので嫌味に感じないところがミソ♪
同じ言葉でも、伝え方が違ったら相手を怒らせてしまうコトだってありますよね…?


All alone I want to be
All alone… そこにいるのは、私だけ

All alone, sharing my heart, my home
All alone… こころ分け合える、私だけの安らぎの家
In your arms
あなたの腕の中に…

サビのフレーズです。
二人の幸せの期待に胸膨らませるこの場面で、それに相反する“All alone=一人きり”という言葉を巧みに当てはめているのが、cool!
そのため戸惑われた方もあるかもしれませんが、1行目と3行目を繋げ“All alone I want to be In your arms”としてみると、どうでしょう?
“一人きり”という淋しい言葉も、使い方によって“独り占め”の意味合いを引き出すことができるのですネ…。


~Epilogue~

バレンタインは男女どっちが贈り物をするとか、どちらが主導権を握るとか、関係の本質からすればそれは方法論に過ぎません。
大切なのは…

One hand, one heart
手を取り合い、心ひとつでいること

それぞれが別個の人格であるからには、全てでこれが守れる道理はありません。
しかし“One hand(手を繋いだ)”二人である限り、意見を異にするからと手を離し別々の人生を歩む選択はないはずです。

ここで“one heart(心ひとつでいる)”とは全ての局面でそれを満たすことを目標とするのではなく、“枝葉の違いはあったとしても相手の人格に対する信頼や尊敬が揺るがない程の太い幹を、常日頃を懸けて共に育む努力をすること”と解釈すべきなのではないでしょうか。
せっかく、手を繋ぎ合えた二人なのですから…。



「ワン・ハンド,ワン・ハート」

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「ワン・モーメント・イン・タイム」ホイットニー・ヒューストン

2014.02.08

category : Whitney Houston

Whitney Houston - One Moment In Time1 Whitney Houston - One Moment In Time2


Whitney Houston - One Moment In Time (1988年)


~Prologue~

ソチ・オリンピックが始まりましたが、今日の紹介曲は1988年のソウル・オリンピックのテーマ曲だった作品です。
そして、この曲を歌ったホイットニー・ヒューストンが亡くなったのが2年前、2012年2月11日のことでした。
彼女の急死の衝撃は私にとって記憶に新しいところで、そういった意味でも今回はホイットニーが歌う“アスリートの心情を代弁する作品”を取り上げることとしてみます…。


~“時”・“空”を超えて~

1988年のソウル・オリンピックといえば、陸上競技男子100m・カナダのベン・ジョンソンとアメリカのカール・ルイスの名勝負が注目を浴びました。
勝負はベン・ジョンソンが当時としては驚異的な世界記録で圧勝しましたが、結局彼の薬物違反により“思いがけない結末”で幕を閉じることとなりましたが…。
他にも、同・女子100mでは派手なマニキュアの長い爪で微笑みながら世界記録で駆け抜けたフローレンス・ジョイナーや、“バサロ泳法”の鈴木大地選手の活躍も脚光を浴びた大会です。

1988年なんて26年も前のことだし、“平成生まれ”の人にとっては生まれる前のハナシです。
普通に考えるとそんな昔との接点なんて思いも寄らぬことですが、1988年から現在に至るまで世界の第一線で闘い続けた男が存在します。
海外で“KAMIKAZE”との異名を持ち、今年1月には41歳7ヶ月の史上最年長でワールドカップ優勝を果たし、世界から“legend(伝説)”と敬われるスキー・ジャンプ日本代表・葛西紀明選手です。
1988/89シーズンからワールドカップに出場し上記選手と同時代を共にした彼が、今なおオリンピックで金メダルを狙えるポジションにあるなんて…
今回のオリンピックで私は、彼の“時空を超えた軌跡(大ジャンプ)”を楽しみにしています♪


~概要~

「ワン・モーメント・イン・タイム」はホイットニーのオリジナル・アルバムのための楽曲ではなく、アメリカ“NBCスポーツ”が中継したソウル・オリンピックをサポートした歌で、企画アルバム『1988 Summer Olympics Album: One Moment in Time』に収録されました。
シングルとしてもBillboard Hot 100で5位(年間89位)と大ヒットし、米国テレビ芸術科学アカデミー主催の“エミー賞”も授賞しています。
作家陣が豪華で、作詞「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)のジョン・ベティス、作曲「カリフォルニアの青い空」のアルバート・ハモンド、プロデュースはナラダ・マイケル・ウォルデンというメンバーを揃えました。

1989年のグラミーでは惜しくも受賞を逃しましたがこの曲で“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”にノミネートされ、オープニングでは圧巻のパフォーマンスを見せてくれました!




~Lyrics~

Each day I live, I want to be
一日一日の営みに、私は望みを込める
A day to give the best of me
今日一日が、至上の明日をもたらす一歩であれと

一日一秒を大切に、悔いのない時間を過ごす…
大人は子どもにそう教えますが、オリンピックを目指すトップ選手にも当てはまるようです。
自分の為になることを、地味に毎日続ける…
(ダイエットや禁酒禁煙とか!?
でも見た目派手なトレーニングだけでなく、そうした生活習慣のコントロールも今や必須です!


I broke my heart for every gain
これまでの張り裂ける心は、すべて勝利のため
To taste the sweet, I faced the pain
甘美を味わうために、痛みと向き合った

大きな成功を手に入れようと思えば、それに応じた痛みを受け入れなければならないのが道理。
上のフレーズで触れているように、アスリートは今日一日分の安楽をいつか叶う(かもしれない)大きな喜びのために積み立てています。
どれ程苦しい思いをすれば、金メダルに適うのでしょうね…?(私には、想像もつきません


~Epilogue~

まだ始まったばかりのオリンピックですが、ちょうどこの歌に触れている私の心を強く揺さぶったのが
女子モーグルの上村愛子選手でした。
彼女は18歳で長野オリンピック7位を手にした才能の持ち主でありながら、後年“何で、こんなに一段一段(7→6→5→4位)なんだろう…”と自身が涙混じりに苦笑いするように、大会毎に順位を1つずつ上げる軌跡を歩んできました。

この間の苦労を知らない人が“立派な(or 物足りない)成績”と評するのは簡単なことだけれど、常に世界一を目指してそれに適うだけの努力を積み重ねてきた彼女にとって“4年懸けて一段ずつの12年間”とは、どんなに辛く苦しい時間だったことだろう…。
それから更に4年を費やした5回目のオリンピック・ソチ大会は結局4位に終わり、勝利の女神は彼女にメダルをお与えになりませんでした。

Give me one moment in time
どうか、その一瞬を与え給え
When I'm racing with destiny
運命を懸けたレースに於いて

Then in that one moment of time
その瞬きの中にこそ
I will feel, I will feel eternity
私は、永遠を見出すだろう

恐らくこれが最後のオリンピックとなる彼女にとって、この大会が“その一瞬”を得るものであったか、
私にはわかりません。
しかし、ソチという“一瞬”に拘らず“一個の人生”として捉えてみると、これまで歩んできた“一段一段”がこれからの人生に耐え得るたくましさを育んでいるのだと、レース後のインタビューから思いました…。




「ワン・モーメント・イン・タイム」

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「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」ビートルズ

2014.02.04

category : Beatles & Solo

Beatles - Back In The USSR1 Beatles - Back In The USSR2


The Beatles - Back In The U.S.S.R. (1968年)


~いよいよ、ソチ・オリンピック!~

いよいよ、現地時間2月7日午後8時14分(日本時間8日午前1時14分)の開会式により幕を開ける“ソチ・オリンピック(XXII Olympic Winter Games)”。
そこで、大会の公式テーマ・ソング(ロンドン大会・ミューズの「サバイバル」のような)を調べてみましたが見つからず(設けられていない?)、開(閉)会式の式典の内容は本番まで極秘で演奏曲や参加ミュージシャンなどの情報もほとんど伝わっていませんでした(一部、噂などあるが…?)。

そこで、今回は私の願望も込めて、開(閉)会式での演奏予想曲をお届けいたします!


~概要~

「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は、1968年11月22日リリース(英)のビートルズ9作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『The Beatles(通称;ホワイト・アルバム)』のオープニングを飾る作品です。
作詞作曲/リード・ヴォーカル共にポール・マッカートニーで、当時のシングル・カットはありませんが1976年にイギリスでリリースされ19位を記録しています。
ビートルズがビーチ・ボーイズ風のコーラスを取り入れたことや、当時イギリスやアメリカと“冷戦”状態にあったソ連(U.S.S.R./現在のロシア)を歌った作品として話題を呼びました。

歌の内容は、アメリカに暮らすロシア人の青年が何年ぶりかで“Back In The U.S.S.R.(ソ連に帰る)”というものですが、タイトルは当時イギリス政府が推進していた“I'm Backing The U.K.”から採って当初「I'm Backing The U.S.S.R.」だったとされます。
しかし、当時のビートルズの影響力からサスガに“I'm Backing The U.S.S.R.(ソ連を支持する)”ではシャレで済まない騒ぎになるとして、現在のタイトルに改められました。
ソ連政府は西側諸国のロックを固く禁じていたので、国内にはビートルズがツアーで訪れることはおろかレコード販売も許されていませんでしたが若者からの人気は絶大で、密輸や海賊盤が多数流入し中でもやはり「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の人気が一番だったそうです。

そんな彼らの願いが叶ったのはこの曲が発表されてから実に35年後の2003年、ポールによるロシア公演で、この時“モスクワ・赤の広場で真っ赤なシャツを纏い「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を歌う”ステージは、もはや伝説です!
このライブはプーチン大統領も観覧予定でしたが演奏時刻に遅れて来場したため、大統領のためにもう一度演奏し直されたという逸話まであり、映像にはシッカリとプーチン大統領も映っていますよ♪



冒頭で私がオリンピックでこの曲の演奏を期待したのは、プーチン大統領とのこうした因縁に由るもので、大統領が要望すればポールが断るはずはないと思ったからです。
ひょっとしたら、グラミーの流れからリンゴ・スターがドラムを叩くと期待するのは、妄想…!?


~パロディー・ソングとして~

「Back In The U.S.S.R.」はパロディー・ソングとしても有名ですが、その元歌となったのがチャック・ベリー「Back In The U.S.A.」
タイトルからして解り易いですが、主人公が飛行機で帰ってくることや祖国の良さを思うなど、趣旨もよく似ています。

また、ビーチ・ボーイズのパロディーという側面もあり、コーラスだけでなく彼らのいろんなエキスが注入された作品です。
ビートルズは1968年2月からインドのリシケシでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの瞑想修行に参加していますが、ここでビーチ・ボーイズのマイク・ラヴと一緒になり、ビーチ・ボーイズ風にするコツを伝授されています。
この作品でソ連の各地の女の子について語られているのはそのせいで、特に彼らの「California Girls」からは歌詞の一部も引用されました。

もっとも、瞑想なんて柄じゃないポールがこうした修行など長続きするハズもなく、“収穫♪”を得ると(メンバー中二番目に)サッサと帰国してしまったとさっ!
(ちなみに真っ先に逃げ出したのはリンゴ・スターで、ナンとなくワカるような…。


~リンゴ・スターが脱退!?~

修行を途中で放り出した災いか、この頃リンゴには“シャレにならない逃亡劇”が待っていたのです…。
メンバーが帰国後『ホワイト・アルバム』のセッションが始まりますが、ありがたい修行を積んだはずの彼らにかつてのチーム・ワークは存在せず、その心も行動もバラバラでした。

8月22日、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の打ち合わせでリンゴはポールにドラミングの注文を受けます
しかしその際、“こういう風に叩いてよ…”と難しいプレイを事も無げにポールがドラムを叩いて見せたことが、リンゴのプライドを傷つけました。
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」で少し触れたように、ずっとバンドに対する自らの貢献度に引け目を持っていたリンゴにとって、ポールの巧みなドラミングを見せられたことは“唯一”であるドラマーとしての存在価値を揺るがすモノだったに違いありません。

いたたまれなくなったリンゴはメンバーに脱退の意思を告げ、放浪の旅へと出てしまいます。
「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は彼が不在の間にレコーディングされた作品で、ここではポールがドラムを叩き、リード・ギターも務めました。
しばらくしてリンゴがバンドへと戻ってきますが、彼はポールのドラム・プレイを素直に讃え、自分のプレイで録音し直すようなこともしませんでした…。


~Lyrics~

この作品にはパロディーを含め、たくさん“仕掛け”が施されています

Well the Ukraine girls really knock me out
ウクライナの娘たちには、マイッタよ
They leave the West behind
“西側”の話なんか、見向きもしない

このフレーズには、ビーチ・ボーイズの「California Girls」のエキスが詰まってます!
「California Girls」は全米各地の素敵なGirlsを紹介する歌ですが、ウクライナは美人が多いことで有名な土地柄ですね(現在ウクライナは独立国)♪
そんな女の子に“knock me out”という趣旨は、まさに「California Girls」から受け継いでいます。


And Moscow girls make me sing and shout
モスクワの娘らにかかったら、歌い叫ばずにはいられなくなる
That Georgia's always on my my my my my my my mind.
“Georgia's always on my mind”…ってね!

ココも、面白いネタが隠されています!
ここでいうGeorgiaは直接的にはアメリカ・ジョージア州のことではなく、旧ソ連の“グルジア”を指します。
グルジアをグルジア語で表記すると“საქართველო”という見慣れぬものですが、英語表記するとGeorgia(ジョージア)となることを知ったポールは、レイ・チャールズのカバーで有名なスタンダード・ナンバー「Georgia on my mind(我が心のジョージア)」に引っ掛けたのです♪


Let me hear your balalaika's ringing out
あと、バラライカもたっぷり聴かせてよ
Come and keep your comrade warm.
君の“同志”にも迎えてね

ここもロシア風のネタが仕込まれています!
ギターではなくロシアの弦楽器“バラライカ”を引き合いに出してみたり、また特に“comrade”が特殊な意味を果たすのです。
comradeは仲間という意味ですが、敢えて friendを使わないのは“ここがソ連だから”!
つまり、この単語には“ 同志(共産党員)”という意味もあることから、この言葉を用いたと思われます。


~Epilogue~

この作品の面白さはビートルズ屈指のギター・サウンドやパロディーだけでなく、当時世界を二分した“東西”社会のギャップを一つの作品に組み込んだことにあります。
もし、“西側”・自由主義の盟主“アメリカ(U.S.)”と、東側・共産主義の盟主“ソ連(U.S.S.R.)”が交わったら…
だからこそ、U.S.S.R.を舞台としたこの作品で、最もアメリカらしさを象徴するビーチ・ボーイズ的なロックでアップローチしたのでしょう。

かつて東西社会の緊張は、“オリンピックのボイコット”という愚行を犯しました。
世界はそのような愚かな時代を克服したように見えますが、文化や利害の対立を根源とする“テロの脅威”は現在も増すばかりです。
異なる文化との出合いは、自らのアイデンティティーを識ることであり新たなものを生み出す可能性であって、異質を破壊するものではありません。
ソチ・オリンピックがそういう“出合いの場”であることを、強く願います…。



「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」

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「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」ビートルズ

2014.02.01

category : Beatles & Solo

Beatles - With A Little Help From My Friends1 Beatles - With A Little Help From My Friends2


The Beatles - With A Little Help From My Friends (1967年)


~Prologue~

1月26日(日本時間27日)に米・ロサンゼルスで第56回グラミー賞が行われ、ビートルズが“生涯業績賞(Lifetime Achivement Award)”を受賞、元メンバーのポール・マッカートニーとリンゴ・スターと共にオノ・ヨーコ、オリヴィア・ハリスンが一同に会しました。
授賞に際しポールの新曲「クイーニー・アイ」のパフォーマンスではリンゴがドラムを叩き、80歳のヨーコ(&ショーン)がそれを見て楽しそうに踊るサプライズも見られましたよ♪

また、翌日に行われた“ザ・ビートルズ・トリビュートライブ ~グラミー・スペシャル・コンサート(The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles)”では、ビートルズに敬意を表してスティーヴィー・ワンダーやジョー・ウォルシュ、スティーヴ・ルカサー、ユーリズミックス、、マルーン5、アリシア・キーズ、ジョン・メイヤー、ケイティ・ペリー他グラミー・アーティストがビートルズの楽曲を演奏しています。

このステージではポールとリンゴもそれぞれビートルズのヒット曲を披露(計10曲)、そして…
ラスト2曲ではポールとリンゴが共演し、盛大にその幕が閉じられました。
その2曲というのが「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」で、特に「ヘイ・ジュード」はビートルズ解散以降初の共演であり、約半世紀ぶりのことで感慨深いものがあります…。
(どうせなら、ジュリアンも招待して欲しかった!)

このライブの模様は2月11日にWOWOWで放送されるので、視聴可能な方は心にお留め置きくださいね♪


~概要~

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」(以下「ウィズ・ア~」)は1967年6月1日リリース(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲です。
このアルバムは1曲目のタイトル曲が“Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”という架空バンドの紹介作品になっていて、それに続く形でバンドの歌手“ビリー・シアーズ(リンゴ・スター)”が「ウィズ・ア~」を歌うという設定になっています。

クレジットはお馴染み“レノン=マッカートニー”ですが実際はポールの手による作品で、ビートルズによるシングル・カットはなく翌68年にカバーしたジョー・コッカーは全英1位(全米68位/因みに、ギターはジミー・ペイジ)を記録し彼の代表作となった他、1988年のウェット・ウェット・ウェット、2004年のサム・アンド・マークのバージョンも全英1位を獲得するなど時代を越えて愛され続け、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time”でも304位にランクされました。

友情をテーマにしたこの歌は、いかにも温厚な人柄のリンゴに似つかわしいテイストで、ソロになってからも彼にとって欠かせない作品です。
1989年から彼のライフ・ワークとなっている“リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド”によるツアーは、まさに彼の人望を物語る豪華な友人達で毎回編成され、この曲はその象徴曲でもあります。
しかし何と言ってもファンにとって嬉しいのは、2009年のデヴィッド・リンチ(映画監督;『ツイン・ピークス』が有名)主催のチャリティー・ライブでビートルズ解散後、初めて“盟友”ポールとこの曲を共演したことではなかったでしょうか!

今回グラミーで2度目が叶ったワケですが、残念ながらグラミーの映像は現在ないので2009年の貴重な映像をご覧ください♪




~この曲はリンゴが歌うからこそ、意味がある~

ビートルズの特筆すべき点の一つに、“メンバー全員がヴォーカルを執る”というのがあります。
ドラマーであるリンゴにも、デビュー以来アルバムで1曲はそれが任されていました(未収録のもある)。
しかし、他のメンバーと異なり元々彼はヴォーカル志向ではなかったし、幼少時病気がちで満足に学校教育を受けられなかったため識字が弱く、作詞作曲はおろか歌詞を見て歌うことにさえ不自由があったのです。
おまけに声域が狭いため、歌える曲も限られ…。

そのため彼は当初から古いカバー曲や、楽曲に余裕のあるジョンやポールに曲を提供してもらって“1曲 /アルバム”を果たしてきたのです。
しかしジョンもポールも、余裕がある限りに於いてはリンゴへの支援を惜しむことはありませんでした。
ユーモアがあって穏やかな彼の人柄は、誰からも愛されたからです。

「ウィズ・ア~」はポールが作りましたが、そんなリンゴの持ち味を上手く歌詞や曲調に込めています。
ただし、当のリンゴからはダメ出しを食らっていて、
“最後音程が上がって終わる所、高過ぎて歌えないから変えて!”
と彼に要求されましたが、そこはポールも“音楽の鬼”…。

“調子っ外れになっても僕は耳を傾けてあげるから、僕のために頑張って歌ってΨ(▼皿▼)♪”
…と言ったかどうかはワカりませんが、この要求を撥(は)ね退けたそうですよ!


~Lyrics~

Lend me your ears and I'll sing you a song,
そんな時も耳を傾けてくれたなら、君のために歌おう…
And I'll try not to sing out of key.
キーを外さないよう頑張ろう…って気持ちになれるんだ

上の、ポールのキツ~い切り返しの言葉は、この部分を用いたフィクションです(要求を撥ね退けたのは本当)。
でも、“こういうもの”ですよね…。
下手だからって誰も聴いてくれなければ、歌う気もなくなってしまいます。
根気強く聴いてあげて場数を踏めば、いつかはきっと上手くなる!

“…ジャイアンでも?”
げっ…!?


What would you think if I sang out of tune,
もし僕が調子っ外れで歌ったら、君はどうする?
Would you stand up and walk out on me.
席を立ち、見捨てて行ってしまう?

冒頭の部分。
実は“2行目”は当初、こうでした…
Would you stand up and throw tomatoes at me?
席を立ち、僕にトマトを投げつける


これを見たリンゴは“イヤな予感”がして、“将来この曲をステージで歌った時、本当にトマトを投げつけられたら嫌だ”と言って、ポールに書き換えてもらったそうですよ!
ナンとなく、ワカるような…?


What do you see when you turn out the light?
(灯りを消したら、何を見るの?)
I can't tell you, but I know it's mine.
そんなの人に言えないよ、僕だけの秘密さ

大好きなトコロです。
この歌はメイン・ヴォーカルのリンゴと、コーラスの“問答歌”となっています。
たぶんこれは“ベッドに入るとき何を想う?”という意味と思いますが、そりゃあ“ステキな夢”は自分だけのものにしておきたいでしょ!
(案外、“ムフフな夢”だったりして?


~Epilogue~

私たちが天から与えられた才能には差異があり、得意分野も人それぞれです。
ここでは曲を作れないリンゴが、才能豊かなジョンやポールに“おんぶに抱っこ”のように映るかもしれませんが、事実はそうではありません。
グループの人間関係が悪くなったとき彼らの天才は何の役にも立たず、彼らの間を取り持っていたのがリンゴでした。
リンゴが非公式にグループを脱退した時、彼らが必死になって留めようとしたことでもわかるように、彼らもリンゴの助けを必要としていたのです。

どんな人間であれ、誰かの助けなしに生きることなどできはしません。
実は、メロディーに収まらなかったため省かれましたが、この曲のタイトルは本来「With a little bit of help from my friends」というものでした。
“友達の助けの(一片)さえあれば…”

ビートルズが4人の友達であるために欠かせぬ大切な“bit(かけら)”こそ、
リンゴその人だったと私は思うのです…。



「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」

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