I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「上を向いて歩こう」坂本九

2015.07.31

category : ~1960年代

Kyu Sakamoto - Sukiyaki2 Kyu Sakamoto - Sukiyaki1


Kyu Sakamoto - Sukiyaki (1963年)



~没後30周年・特別企画~

Billboard史上、Hot 100でNo.1を達成した唯一の日本人である坂本九さん。
その彼が飛行機事故で突然に亡くなったのが、1985年8月12日でした(享年43)。

今回は坂本さんの没後30周年特別企画として、日本の歌である「上を向いて歩こう」を特集いたします。
通常とは異なる編集となりますが、2回に分けて記事を完成させますので、どうかお付き合いください。
(※以下、敬称を略します)



~Prologue~

坂本九(きゅう)は1941年12月10日、神奈川県川崎市にある荷役請負業の社長の第9子として生まれ
“九(ひさし)”と名付けられます(両親の離婚により、その後の本名は“大島九”)。
エルヴィス・プレスリーのファンだった九少年はエルヴィスの物マネを得意とし、高校在学中の1958年に当時ロカビリー・バンドとして活動していた“ザ・ドリフターズ”の一員として一時在籍しました。
翌1959年6月に「題名のない唄だけど」(ビクター)でレコード・デビュー、1961年10月1日までにシングル9枚のキャリアを築き上げました。

一方、当時既に放送作家・脚本・作詞(1959年の「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞)など幅広い活躍を遂げていた永六輔は、『日米安全保障条約』の改定を巡り世論や議会の反対を押し切って成立させようとする自民党・岸信介内閣に民主主義の危機を感じ、この頃担当していた脚本の仕事を降板してまで抗議行動(いわゆる『60年安保闘争』)に参加していました。
5月に新条約案が衆議院で強行採決されると闘争は一層激しいものとなり、同年6月には機動隊との衝突により女子大学生が命を落とし、10月には永が慕っていた政治家が右翼少年に刺殺されるという事件が発生、彼を深く悲しませることになります。
そんな折、作曲のパートナー中村八大(はちだい)から“歩く歌”の詞を依頼され、永は心の中にある思いのすべてを「上を向いて歩こう」に込めたのでした…。



~ウへッフォムフフィテ、アハルコフホフホフホフ…!?~

永の書いた「上を向いて歩こう」の歌詞を受け取った中村はこの作品を、かつて自身が作曲を担当したロカビリー映画『青春を賭けろ』(「黒い花びら」が主題歌)に出演していた坂本九に歌わせることを思い描いて曲作りを進めたそうです。
1961年7月21日、『第3回中村八大リサイタル』で「上を向いて歩こう」がお披露目されることになりますが、坂本自身も当日になって初めて楽譜を渡されたため、その時の戸惑いをこう後述しています…

“あの曲を貰った時はどうしようかって思った。だってメロディに対して恐ろしく歌詞が少ない。
最初、間違いかと思ったくらい。…で、いろいろ考えてああいう歌い方をしたんです。
八大さんは、僕ならプレスリーみたいに歌うだろうと思っていたらしいから。”



 ウへッフォムフフィテ、アハルコフホフホフホフ…

 何なんですか、あれは!? もっと歌の上手い人に歌って欲しい。日本語を大切に歌って欲しい!
リハーサルを聴いた永六輔が怒って中村に抗議すると、中村は泰然として答えました。

 あれでいいんだよ。あれがいいんだ…。



~お茶の間の「上を向いて歩こう」から、世界の「Sukiyaki」へ~

1961年8月19日、「上を向いて歩こう」は永と中村が構成・音楽を担当するNHKのバラエティ番組『夢であいましょう』でTV初披露、その後も2ヶ月間同番組の“今月のうた”としてお茶の間で親しまれ支持を獲得してゆきました。
同年10月15日にレコードが発売されると待ち侘びたかのように大ヒットを記録、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』では11月~翌年1月まで1位を継続したという統計もあるそうです(当時まだオリコンが存在せず、売り上げなど詳細なデータは不明)。
一年の締めくくりを『第12回NHK紅白歌合戦』初出場という最高の幕切れで終えた坂本でしたが、運命とは時として小さな偶然からもたらされるものであり、その先に夢も及ばない“世界への扉”が用意されているなど、この時誰が予見できたでしょう…。


“小さな偶然”は、まずイギリスへと扉を結びます。
1962年、パイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが日本を訪れた際、お土産で貰った日本のレコードの中にあった「上を向いて歩こう」を気に入り、所属ジャズ楽団のケニー・ボール&ヒズ・ジャズメンにインストゥルメンタルとしてカバーさせることを思いつきました。

タイトルが「Sukiyaki」になった理由は諸説あって、ベンジャミンが来日の際印象に残った食べ物が“スキヤキ”だったという説や、イギリス人が知っている日本語だからという説もあります。
この時ケニー・ボールはトランペットに“おまる”を併用させて悲しみを表現したそうで、それが功を奏したか(?)彼のver.は全英チャートで10位を記録しました。


続いて扉は、いよいよ“運命の地”へ…
アメリカ西海岸の北端、ワシントン州にあるパスコという小さな町の“小さな偶然”から始まります。
ある日、ラジオ局のDJリッチ・オズボーンの元に、“日本のペンフレンドに貰った”という番組リスナーから、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」のレコードが送り届けられました。
オズボーンがこれを番組で紹介した所問い合わせが殺到、またたく間にワシントン州全体に人気が広まります。
これを聞きつけたキャピトル・レコードが配給権を獲得、改めて「Sukiyaki」として1963年5月3日に正式に全米へ向けてリリースされました。

Billboard Hot 100では6月15日付から3週連続No.1、Cash Box誌では4週連続No.1の大ヒットを記録し、“英語以外の言語でHot 100 のNo.1に輝いた史上2番目の曲”(現在まででも6曲のみ)となりました。
ちなみに、これまでYMOや松田聖子、倖田來未や宇多田ヒカルなど日本を代表するミュージシャンがアメリカに挑んではいますが何れも成功には至らず、辛うじてヒット(Top40入り)といえるのは1979年ピンク・レディーの「KISS IN THE DARK」(37位)のみです。

 



~歴代の名曲として、世界で愛され続ける「Sukiyaki」~

「Sukiyaki」の大ヒットを受けて1963年8月に坂本が渡米した際、空港には3000人を超えるファンが彼を出迎えたそうで、これは「抱きしめたい」が大ヒットし初めてビートルズが渡米した時に肩を並べる数字ですから、Kyu Sakamotoの人気はオドロキという外はありません!
この時、坂本はテレビ番組『Steve Allen Show』に出演しており、その貴重な映像を紹介いたします。

1964年5月、「Sukiyaki」はRIAAのゴールドディスク(当時は100万枚以上)に認定されていますが本作品の人気はアメリカ一国に限らず、約70ヵ国でリリースされ世界総売り上げはナンと1300万枚以上に及ぶといいます!
この数字はホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(1500万枚)、ビートルズの「I Want to Hold Your Hand」(1200万)に肩を並べる次元であり、つまり「Sukiyaki」は日本語で歌われたハンデがあるにも拘らず世界の中でこれらと同等に認識されている歌なのです。

また、この曲が世界中で愛されている本当の証はインストゥルメンタルはもちろん、英語やスペイン語、ドイツ語、クロアチア語、フランス語、デンマーク語、ポルトガル語、北京語、広東語、台湾語…といった多言語で、実に多種多様にカバーされていることです。
この中で特に有名なバージョンといえば、黒人の女の子2人をフィーチャーした1981年の“A Taste of Honey”ver.でしょう。
歌詞はメンバーの Janice Marie Johnsonによって英語に書き換えられており、“失恋の悲しみ”を歌った内容になっているほか“琴や着物”を起用して和テイストで彩り、Hot 100でも3位(年間22位)と大ヒットしました。
さらに1994年には、このバージョンをカバーしたR&B男性ヴォーカル・グループ“4 p.m”ver.もHot 100の8位(1995年の年間48位)を記録しています。
もちろん日本でも美空ひばりをはじめ数え切れないほどカバーが存在しますが、独自色があり歌詞が彼自身の生き方に重なるRCサクセション(忌野清志郎)ver.が印象的です…。

 



~“冬”は、上を向いて歩きたくない?~

ところで、「上を向いて歩こう」は、春…夏…秋…と、わざわざ季節を一つひとつ挙げて詞が綴られているにも拘らず、“冬だけが触れられていない”ことにお気づきの方も多いでしょう。
確かな理由は不明ですが(永六輔本人が“冬が嫌いだから”という説もあるらしい)、実は“冬”の項もあるのです!
もちろんオリジナルには秋までしかありませんが、それは1962年公開の“映画『上を向いて歩こう』の中”に存在しています。

この映画は坂本九ほか高橋英樹、浜田光夫、吉永小百合らそれぞれに問題を抱えた若者がそれを乗り越え歌うフィナーレの「上を向いて歩こう」が重要なテーマとなっており、撮影が冬だったことから舛田利雄監督が作詞者・永六輔に“冬の日”の作詞を依頼したそうです。

思い出す 冬の日 ひとりぼっちの夜…
(“冬の日”のセンテンス全体は、動画でお確かめください)





~Epilogue~

1985年8月12日に発生した“日本航空123便墜落事故”は、坂本さんを含む520名の人命を奪った日本史上最悪の航空機事故でした。
坂本さんはこの日、元マネージャーの選挙応援のため大阪へと向かう予定がありチケットを求めるも満席で希望の便が取れず、事故機に乗り合わせています。
実は、彼は2歳に満たない1943年、空襲を逃れるためお母さんと疎開で乗り合わせた列車が川に転落し110名が死亡するという大事故(常磐線土浦駅列車衝突事故)に遭っていますが、直前に別の車両に移っていたために災難を免れるという強運の持ち主でもありました。
この出来事を“笠間稲荷神社のご加護”と信じる彼は、飛行機事故当日も笠間稲荷のペンダントを身に付けていたそうですが…。


上を向いて歩こう

悲しげだけれど、心を惹かずには置かないフレーズ…。
“うつむいた”悲しみの詩は星の数ほどあるけれど、“上を向いた”悲しみの詩はあまり聞いたことがない。
きっとそれは、“人生そのもの”を象徴している気がする。

涙がこぼれないように

僕にだって、覚えがある。
人は、いつか悲しみと遭遇しなければならない。
どんなに孤独に苛まれようと、大切な人がそばにいてくれた昨日に戻ることはできないんだ。
“涙”が止まらなくても、“歩く”ことは止められない。
それが、“生きる”ということだから。

上を向いて歩こう

どんなに淋しくたって、見上げた空の彼方にいつも“あの人”が微笑んでいてくれるから…。 



「上を向いて歩こう」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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tags : 音楽 

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「想い出のサマー」ブライアン・アダムス

2015.07.24

category : Bryan Adams

Bryan Adams - Summer Of 69 1 Bryan Adams - Summer Of 69 2


Bryan Adams - Summer Of '69 (1985年)



~あなたにとっての「想い出のサマー」は?~

原題に「Summer Of '69」とあるように、今回のテーマは“1969年”です。
アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たし、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位となった年。
映画『男はつらいよ』第1作が公開、アニメ『サザエさん』が放送開始、甲子園では三沢高校と松山商が延長18回引き分け再試合を演じました。

…あなたの人生で、“想い出の夏”といえる夏はいつですか? 



~概要~

前回の「Vacation」では、“武骨な男が演(や)るべきロックを可愛い女の子の魅力で表現”したGo-Go'sを紹介しましたが、“不良が演るべきロックを好青年が演った”といえばこのブライアン・アダムスでしょう。
ブライアンの音楽に狂気やドラッグは不要であり、ただ誰よりロックが好きで、そのアツい想いを真っ直ぐ歌に込める…
それが、当時20代半ばだった彼のスタイル♪

1983年の3rdアルバム『Cuts Like a Knife』で初のTop10ヒット「Straight from the Heart」を放つと、続く1984年の4th『レックレス(Reckless)』からはヒットを連発!
「想い出のサマー」はその4thシングルにして、Billboard Hot 100で5位(1985年の年間74位)を記録するという快挙をやってのけた作品です。
発表から30年が経つ現在も「Summer Of '69」はアメリカのサマー・ソングの定番で、テイラー・スウィフトもカバーしています。
また、Billboardが2014年に選考したオール・タイム『Top 30 Summer Songs』でも堂々の13位に数えられました。

シンプルで力強くギターも爽快、全体がサビと言ってもいい優れた楽曲はライブでも人気曲で、世紀のイベント『Live Aid』『Unplugged』でも披露されたほか、ブライアンのライブでは欠かせない作品の一つ。
楽曲はライター時代からのパートナー、ジム・ヴァランスとの共作で、二人の切磋琢磨があったからこそ生まれたといえるロックの名曲です(詳細後述)。

 
 



~Lyrics~

I got my first real six-string
安物雑貨屋で
Bought it at the five-and-dime
初めて買った本物の6弦

【the five-and-dime】は日本の100円ショップのような“5セント・10セント均一店”のことですが、いくら何でも現在ではこの価格を真に受けると扱える商品がほとんど無いので、あくまで“安物を売る店”という位置づけにあるようです。

ちなみに、ブライアンの初めてのギターは12歳(1972年)に質屋で買い、ジム・ヴァランスは13歳(1965年)に両親からのクリスマス・プレゼントとして手にしているので、この部分は彼らのドキュメントではないことになります。


Had a band and we tried real hard.
バンドを組んで懸命に練習したけれど
Jimmy quit, Jody got married
ジミーは抜け、ジョディは結婚…

最初ジムが学生時代のバンド仲間を引き合いに“Woody quit and Gordy got married”と提案すると、ブライアンが“JimmyとJodyの方が良い”と言ったことから、こうなったそうです。

ちなみに“Jody”は当時ブライアンのsound-man(音響効果係)として一緒に仕事をしていたJody Perpikという人のことで、同じ頃結婚式を挙げた彼と奥さんは「Summer Of '69」のPVのこのフレーズの所でブライダル・カー(Bridal car)に乗ってハネムーンに出掛けるシーンに登場しています。
(Jimmyはジム・ヴァランス?)


Spent my evening's down at the drive-in
夜はドライブインで暇つぶし…

ジムは子どもの頃よくドライブインに行った思い出があるそうで、それが反映されたのでしょう。
ここでのドライブインは日本的な概念のものではなく、「カサブランカ」(バーティ・ヒギンズ;過去ログ)でもデートの舞台となったドライブインシアターやドライブインレストランを指していると思われます。


Standin' on your mama's porch
彼女の(ママの)家のポーチに立つと

ポーチというとまず“小袋”を思い浮かべると思いますがそれは【pouch】で、ここでの【porch】はベランダのように外に張り出した玄関のことで、ベンチやテーブルなど置いたりして寛(くつろ)ぐ場所です(アメリカの映画によく出てくる)。
日本でも、玄関ポーチと呼ばれるようではありますが…(あまりに、ちっちゃい)? 



~Epilogue~

「Summer Of '69」というタイトルから、この作品は1969年を舞台にしていると思いがちですが、歌詞を通して読むと実際には“少年時代から社会人までのエピソードが描かれており、1969年だけに限定されていない”ことに気づくでしょう。
実は当初、この作品のタイトルは「Best Days Of My Life」と名付けられており、それが象徴するように歌詞中でもこのフレーズが7回使われ、“summer of '69”はたった1回のみでした。
それが、最終的には“best days of my life”のフレーズを減らし、“summer of '69”を全体のテーマとして掲げるように増やしたため生じた矛盾です。
では何故、エピソードの一部でしかなかった“1969年の夏”に、これほど拘ったのでしょう?

1960年代後半は、最もポピュラーなバンドであったビートルズでさえ「Revolution」(1968年)を訴えるほどロックが社会に、あるいは社会情勢(ベトナム戦争や文化大革命など)がロックに及ぼす影響は大きなものとなっており、当時“ロックが人々に愛と平和をもたらし、世界を変える”と信じて疑わない若者らが挙(こぞ)ってこれを支持しました。
そのロックが持つエネルギーの大きさをまざまざと見せつけた象徴こそが“1969年の夏”(1969年8月15日午後-18日午前)に催され約40万人の観客を集めた音楽イベント『ウッドストック・フェスティバル』であり、彼らの理想は“幻想”と共にここでクライマックスを迎えました。

やがて“the best days”は過ぎ去り、1976年の「ホテル・カリフォルニア」
We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine
ここでは1969年以来、spiritを扱っておりません

…と、その後の世相を皮肉ったイーグルス。


これに対し、ブライアン・アダムスはこう訴えます…

Oh, yeah.
Back in the summer of '69, oh.

1969年の夏を取り戻せ!

長い人生、“the best days”ばかり続かない。
“過ぎ去った善き日々は、もう戻っては来ない”と達観するのも一理だけど、
安易に過去を美化することは、今を失望と共に生きるに外ならない。

初めてギターを買ってもらい血が滲むほど夢中で練習した時、後先考えずただ仲間とバンドに打ち込んだ日々、
薄暗くなったポーチで彼女に手を握りしめられ愛を確かめ合ったあの日


“あの頃の心”を思い出したなら、想いを実行してみたらいい。
たとえ過ぎ去った時間の再現は不可能でも、きっと今よりもっと素敵な自分になれる。
あなた自らが、“無理”と決めつけてしまわない限り。

“誰か”も、言ってるでしょ?
“I'll be back.”

…男は、ホントに戻って来た!
7/30で御年68歳。シリーズはまだ×2 続く…らしい。



「想い出のサマー」

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「バケーション」Go-Go's

2015.07.17

category : Belinda Carlisle

Go-Gos - Vacation1 Go-Gos - Vacation2


Go-Go's - Vacation (1982年)



~待ちに待った“Vacation”♪~

いよいよ、待ちに待った“summer vacation”へと突入です!
全国の小中学校は、おおよそ7/18~7/25(例外もある)から夏休みに入りますが、子どもたちにとって今が一番ワクワクしている時期でしょう。
アメリカの女の子たちもそれは同じようで、「Vacation」を聴いているとまさに“そんなfeeling”♪
しかし、我らが“◎eat ▼olf”先生はその能天気ぶりに対し、こう警鐘を鳴らしておられます…

 “気をつけろ 楽しいウタには ウラがある”

う~む…
凡人の私には単なるダジャレにしか思えないのですが、きっと深~い意味があるのでしょうね? 



~概要~

Go-Go's(ゴーゴーズ)は1978年に結成されたメンバー5人全てが女の子のロック・バンドで、従前としたロックの“男臭さ・不良っぽさ”をただ模倣するのではなく、普通の女の子の感性を生かして“よりポップに・可愛らしく”表現し男女を問わず広い人気を獲得した最初の“ガールズ・バンド”でした。
彼女らの成功スタイルはバングルス(過去ログ)や日本のプリンセス プリンセスに影響を与え1980年代に花開きますが、“花の命は短い”の喩えがあるように、何れも短命に終わっています。
ちなみに、「あいにきて I・NEED・YOU!」“GO-BANG'S”のバンド名は“Go-Go's + Bangles”…という説もあるとか・ないとか??

「バケーション」は全米No.1を獲得した『Beauty and the Beat』に続くGo-Go's1982年の2ndアルバム『Vacation』からの1stシングルで、タイトルどおり8月にBillboard Hot 100で8位(年間87位)を記録しています。
楽曲はメンバーによる共作で、ヴォーカルは後に「Heaven Is A Place On Earth」(過去ログ)で一世を風靡するベリンダ・カーライル

高度なテクニックや凝ったサウンドを駆使しているわけではありませんが、イントロなどで演奏される爽やかでノリのいいラインがチャーミングで、その心地よさについ“歩道橋の上から見かけた見かけた革ジャンに”と歌い出しそうになるのは、私だけでしょうか?(※「今すぐKiss Me」LINDBERG
また、有名な『Vacation』アルバム・ジャケットのメンバーによる“水上スキー写真”はPVにも反映されていますが…
コチラは、折角の“トリック”がネタバレしちゃっていますね!? 

 



~Lyrics~

Now that I'm away
逃げ帰ってしまった、今のアタシ
I wish I'd stayed
留まっていたらよかったのに

“【away】なんかせず、【stay】してたらよかったのに…。”
楽しみにしていた「Vacation」なのに、歌は主人公の“後悔”で幕を開けます。

【away】の背景に何があったかは後で描かれていますが、どうやらその選択が裏目に出てしまったようです。
あなたもこんな“トホホ”、覚えの一つもあるのでは? 


When you looked at me
あなたに見つめられた時
I should've run
もっと距離を縮めるべきだったのに

ここが、物語のすべての始まり。
【you】に見つめられ、本当なら【run】すべきだったのにそれが実行できなかった…。
問題はどの方向に【run】するかで、“突撃”すべきだったのに“撤退”してしまった…という場面なのでしょう。

自分に自信があったらチャンスと捉えられるのでしょうが、主人公はそれが少し足りなかったかもしれません。
でも、お互いの気持ちがわかっているなら幾らでも挽回の余地はありそう…?


I should've known all along
いずれ時が告げてくれること…
That time would tell
最初から分かっていたらよかったのに

あなたも、こんな妄想したコトあるでしょう?
そんな“反則ワザ”が使えるなら、人生で失敗なんかせずに済むのですから。

 “今日の晩ごはん、何だろう? 《反則ワザ》 …おっ、カレーだな?♡”
“君には、そんな乙女ゴコロなんて一生理解できない気がする…。” 



~Epilogue~

私たちは一言に【vacation=休暇】と解していますが、語源を辿ると日本人と西洋人の休暇に対する捉え方の違いが浮き彫りとなって、案外面白いものです。
基になっている【vac】はラテン語に由来する“空っぽ”を意味し(-ateは動詞をつくり、-ionは名詞をつくる)、アメリカで広く用いられます。
フランス語では【vacances(バカンス)】といい、彼らにとってそれは“人間が元気に生きていくため必要なもの”として認識されているそうです。

こうして見てみると西洋人にとって【vacation】は“責任・義務から開放され、家を空にして出掛ける”という哲学が根底にあり、日本語の“休暇”という翻訳だけでは説明しきれない文化といえます。
つまり、彼らにとって【vacation】とは“一切の仕事を忘れ日常を離れて遊ぶ(か何もしない)”ものであって、“家でのんびり過ごす”はその概念に入らないのです。


A week without you
あなたのいない一週間…
Thought I'd forget
きっと、忘れられると思ってた

楽しみにしていた【vacation】…
もしもあの時“yes”と答えたら、心に描いた夢が現実となっていたことでしょう。
でもそれが叶わなかったからと、一度は“好きになった人”を忘れる必要なんてありません。
忘れようとして忘れられるものではないし、有り余る時間を家でじっとしていたら思い出したくなくても思い出してしまうでしょう?
それだったら、“一度しかない今年の【vacation】”を精一杯過ごすべきです。

日本の夏にも豊かな海や山、心躍らせる花火や祭り、工夫を凝らしたイベントやアトラクションが用意されています(誰かさんみたいに、水上スキーも面白そう?)。
あなたにとって、楽しい夏休みでありますように♪ 



「バケーション」

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「シーズ・ガット・ア・ウェイ」ビリー・ジョエル

2015.07.10

category : Billy Joel

Billy Joel - Shes Got A Way1 Billy Joel - Shes Got A Way2


Billy Joel - She's Got A Way (1971年)



~ビリー・ジョエル結婚記念!~

“あの娘にアタック”したビリー・ジョエルが見事スーパーモデルをモノにした「Tell Her About It」(過去ログ)を5月に特集したばかりですが、ナンと今度は御年66歳になった彼が新たな花嫁をゲットしたというニュースが飛び込んで参りました!
(…って、何度目やねん!?

ビリーにとって今回が4度目の結婚であり、オメデタイ話には“オマケ”もあるのだとか!?
ハナシの続きは、後半にて…。



~概要~

“Piano Man”が代名詞であるビリー・ジョエルのデビューは1967年、彼の地元ロングアイランドを拠点に活躍していた“ハッスルズ(The Hassles)”というロック・バンドでした。
しかし4枚のシングルと2枚のアルバムを発表するもヒットに至らずバンドは分裂、1969年にビリーはドラマーのジョン・スモールと共にアッティラ(Attila)を結成しますがこれも商業的失敗と“ある事情(後述)”により翌年には解散…。

そんな鳴かず飛ばずのビリーに声を掛けたのがファミリー・プロダクションズというレコード会社のアーティ・リップという人で、彼のプロデュースにより1971年11月にビリーはソロ・デビュー作である『Cold Spring Harbor』を発表、翌年シングル「She's Got A Way」をリリースしていますが、何れもチャート・インさえ果たすことはできませんでした。
こうした失敗の後に“ドタバタ劇”は付きモノで、ツアーを開始するも半ばで中止、そもそもレコード会社側が『Cold Spring Harbor』を回転速度を上げて録音していたことに対するビリーの不信は非常に強く、別人のような自分の歌声に彼は完成したレコードを投げつけたといいます。
(後年ビリーはここでの歌声を“the Chipmunks(アニメのシマリス)みたい”とジョークにしている)


その後1972年にコロムビアに移籍、「素顔のままで」(過去ログ)などでグラミー賞の常連となっていたビリーは1981年、初期4枚のアルバムからの選曲となる初のライブ・アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック(Songs in the Attic)』を発表し、その中から「シーズ・ガット・ア・ウェイ」がライブ音源として再びシングル・カットされBillboard Hot 100で23位を記録しました。
さらに『イノセント・マン』が発表された直後の1983年9月、廃盤となっていた『Cold Spring Harbor』は回転数を修正しバッキング・トラックに編集を加え、“幻のデビュー・アルバム”としてコロムビアから再リリースされ、158位とランク・インを果たしています(邦題は『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』)。

最後に、ビリーは2013年に『ケネディ・センター名誉賞』(毎年アメリカで優れた芸術家に贈られる賞)を受賞していますが、彼に敬意を表して式典で「She's Got A Way」を歌ったドン・ヘンリーのパフォーマンスをどうぞ♪

 
 



~Lyrics~

She's got a way of pleasin'
あの娘には、心を愉しくさせる何かがある
But there doesn't have to be a reason anyway
いずれにしても、理由なんて必要ない

たとえば最高に美味しいご馳走を食べた時、ただ“う~ん…♡”と夢心地を余韻まで楽しんでいたいのに、横から“どんな味?どれくらい美味しい?”みたいに矢継ぎ早に問い詰められると、折角のお楽しみをジャマされた気分になるでしょう?
この上ない喜びに際し、人は細かい分析や理由なんかどうでもよくなるものです。

逆に、不味かった時はあれこれ細かい点まで難癖つけて貶(けな)すというのも人情ですが!?
人間関係も?)


How I make her feel
それを、どう気づかせてあげよう…
And I find the strength to keep on goin'
僕は彼女から、進み続ける力を見出していることも

彼にとって彼女は魅力満載というのに、彼女自身はそれに気づいていないのか…
それとも、それを彼の口から直接褒めて欲しいと願っているのかもしれません。

あなたは、実行できていますか?
言葉の一つ、笑顔の一つがあなたの心の支えになっていると感謝を込めて…。


She comes to me when I'm feelin' down
落ち込んでいると、あの娘はやって来て
Inspires me without a sound
何も言わず励ましてくれる

“何も言わず”っていうところがポイントでしょう?
いきなり“スキンシップ”で励ませるのは、親しい間柄こそです。

でも、“落ち込んでいる人を言葉で励ますのは誰にとっても難しい”もので、下手をすると逆効果にさえなり兼ねません。
“理由を訊かれると辛い”ということもありますし…?



~Epilogue~

ビリーはソロ・デビューを果たす以前、エリザベスという一人の女性と出逢っています。
二人は恋に落ち、後に結婚(1973年)に至りますが一つ問題がありました。
彼女は、ハッスルズ~アッティラを通しての友人であり音楽的なパートナー、ジョン・スモールの妻であったからです。
やがて二人の関係はジョンの知る所となりエリザベスは双方に別れを告げ、ビリーは失恋と罪悪感から大量の睡眠薬を飲んでジョンに謝罪と別れの電話をしました。
幸いにも、その彼によって病院に運ばれ一命を救われましたが、極度の神経衰弱に陥っていたビリーは数週間後に研磨剤を飲んでまた同じ騒ぎを引き起こしてしまいます。

うつ病と診断され入院加療を経たビリーは、自分の浅慮を思い知らされました。
僕と一緒に入っていた人たちは、とても克服できないような問題を抱えていた。それに比べれば、僕のは自分で作り上げたものだ。僕はそれを直すことができるって思ったよ。

そうした苦しい時期を乗り越え、エリザベスと共に何もかもやり直すことを誓ったのが故郷ロングアイランドにある地名に因んだ『Cold Spring Harbor』であり、「She's Got a Way」でした…。


She's got a way about her
あの娘には、彼女だけにしかない何かがある
I don't know what it is
…上手くは言えないけれど
But I know that I can't live without her
言えるのは、彼女なしで僕は生きてゆけないということ


“あれから40年”…(どっかで聞いたネタ?

ビリーは3度の失敗を重ね、齢66を数える高年期に入りました。
彼は2009年にファイナンシャル・アドバイザーのAlexis Roderick(現在33歳)と交際を始めていますが、結婚まで6年も費やしたのは“過去の苦い薬”があったからだったのでしょうか…。
今年4月には彼女の妊娠が報じられおり、高齢のビリーが子を授かるという“運命”めいたものを感じたのかもしれません。

ただ、今回の結婚は家族や友人にも全くのサプライズだったようで、彼らは7月4日“アメリカの独立記念日を祝うパーティー”としてビリーの家に招かれ、“行ってみたら結婚式”というオチだったとか!
その中には「アップタウン・ガール」の元妻クリスティ・ブリンクリーとアレクサ(ビリーの実子)母娘の顔ぶれもあったそうです。

ビリーのニュースといえば、NYマディソン・スクエア・ガーデンでの通算公演回数が今月1日で65回に達し、エルトン・ジョンを抜いて最多記録を更新したことが話題となっていました。
赤ちゃんはこの夏にも生まれるそうですが、これに気を良くしたのか二人はその子に“Madison”と名づけたがっているとか…?
生まれてくる子のためにも、もうひと頑張りですね、ビリー♪ 



「シーズ・ガット・ア・ウェイ」

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「レボリューション」ビートルズ

2015.07.03

category : Beatles & Solo

Beatles - Revolution1 Beatles - Revolution2


The Beatles - Revolution (1968年)



~ジョン・レノンが目指した“Revolution(革命)”とは?~

『サージェント・ペパーズ~』で音楽の頂点を極めたビートルズは、“次の一手”に相当頭を痛めたことでしょう。
ビートルズ後期…とりわけヨーコと恋に落ちてからのジョン・レノンというと、どこかヤル気の無さを禁じ得ないイメージですが、当初はそうではなかったのかもしれません。
自分たちのやりたいことを具現化するための会社『アップル・コア』を立ち上げ、そこからの最初のシングルを目指してジョンが制作していたのが「Revolution」(革命)というタイトルの作品だったのですから!

さて、ジョンは“革命”を成し遂げることができたのでしょうか…?



~概要~

「レボリューション」はイギリスで1968年8月30日(米は8月26日)に発売された18枚目のオリジナル・シングル「ヘイ・ジュード」(過去ログ)のカップリング曲で、「レボリューション」単体としてもBillboard Hot 100で12位(年間62位)を記録しました。
オリジナル・アルバムには収録されておらず、現在は企画盤『パスト・マスターズ Vol.2』やベスト盤『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』に収録されています。
「Revolution」はジョンが1968年2月ごろからのインド滞在中に作った曲でリード・ヴォーカルもジョンが執っていますが、複雑な経緯がある作品なので、順を追って説明いたします。


まず、“「Revolution」という作品”はアルバム『ザ・ビートルズ』のセッションで最初に取り上げられた楽曲で、当初完成版(第18テイク)は“12分に及ぶという大作”でした。
ジョンはこの作品を“アップルからの1stシングルに!”と意気込んでいましたが、“長過ぎる”とアッサリ却下されてしまいます。
そこで前半部分を「Revolution 1」(4:17)、後半部分を「Revolution 9」(8:21)に分けて「Revolution 1」をシングルにと提案すると、今度は“スロー過ぎる”と二度目の却下…。

諦めきれないジョンは楽曲をテンポ・アップし、ギターをアコースティック(エレアコ)からエピフォン・カジノに持ち替え、アンプを通さず“ギターとレコーディング機材を直接繋ぐ禁断技”に手を染め(イントロの凄まじい歪みはコレ)、“けたたましいシャウト”を演じてみせます。
さらに、ダメ押しとばかりにイギリス一と称されるキーボード・プレイヤー、ニッキー・ホプキンスを迎えるという念の入れようにより“これぞ革命!”に相応しいインパクトのあるロックの名曲に仕上がりました。
これを改めて「Revolution」と名づけ三度(みたび)1stシングルに名乗りを挙げますが、一方でこの時ポールが持ち込んだ曲こそ、あの「ヘイ・ジュード」だったのです!
同じ名曲対決でも“出せば大ヒットが約束!”な「ヘイ・ジュード」が相手とあっては、“キリスト発言の悪夢・再び!?”な危険をはらむ「レボリューション」はB面に収まるのがやっとでした。
この挫折が原因でジョンがヤル気を失くしたかはともかく、ビートルズというチームでは自分個人の本当にやりたいことはできないと痛感させられたかもしれません…。

「レボリューション」にはライブ・ヴォーカル仕様のプロモーション・フィルムが存在していますが「Revolution 1」の特徴も取り入れられており、ここでのポール&ジョージのコーラスはドゥーワップ調であること、そしてジョンの“問題の歌詞(後述)”も復活しています!
(メイン動画は、この映像にレコーディング音源を編集したものです。)

 
 



~Lyrics~

But if you go carrying pictures of Chairman Mao
だけど、君が毛主席の写真を持ち歩くなら
You ain't going to make it with anyone anyhow
誰と組もうと、どうせ上手くはいかない

毛主席=毛沢東のことであり、ジョンはこのラインが最も大事な歌詞と語っていることから、「Revolution」は“毛沢東思想”をテーマにしているものと思われます。
毛沢東思想とは…

権力は腐敗するものであるから常に革命が必要であり、若者は古い者を打倒すべきである。
革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。


…といった思想で、その手段としての暴力を肯定しています。
こうした思想の信奉者は“マオイスト(Maoist)”と呼ばれ、『毛沢東語録』とともに世界中に広まって学生運動やヒッピーなど特に若者に強い影響を与えました。
「Revolution」が発表された1968年頃は日本でも学生と機動隊が衝突する事件が全国で頻発していた時期で、有名な“全共闘 東大安田講堂事件”もこうした流れの一つといわれます。


But when you talk about destruction
だけど、君が破壊を語るというなら
Don't you know that you can count me out
僕を数のうちから外しておいてくれ

一般論として破壊や暴力は明白な犯罪であり“悪”ですが、毛沢東によると革命の手段としてのそれは許されます。
ジョンは「Revolution」で破壊を拒否する姿勢を示していながら、一方で「Revolution 1」では同じラインを【you can count me out “in(入れてくれ)”】と肯定しています。
この矛盾についてジョン本人は、“物事はいつか良くなると思うし、暴力的な革命を憎んでもいた。でもだんだん、他に何ができる?…と、確信が持てなくなった”と語っていますが、世界で最も影響力のある人物の言葉としては何ともリスキー!


But if you want money for people with minds that hate
だけど君が、それを嫌悪する人々のため金が必要というなら
All I can tell you is brother you have to wait
僕に言えるのは、“待つより外はない”とだけ

人の考えは千差万別であり、どんな名案にも反対意見はあるでしょう。
対立者を懐柔するか弾圧するかは権力側の考え方次第ですが、何れにしても【money】が必要…?

毛沢東が行った“文化大革命”は、言葉を換えると“毛沢東思想を用いて若者を扇動し、自らの復権を企てた権力闘争劇”だったとも言えます。
革命の名の下に、その実行部隊として組織されたのが少年らを中心とする“紅衛兵”であり、彼らの暴走を含め革命による死者・行方不明者は数百万~数千万人ともいわれるそうです。
当初世界の人々はそうした実態を知らず毛沢東思想の光の部分だけが一人歩きし、ジョンも毛沢東のバッジを身に付けるほど影響を受けていました。
その実態が明らかになるにつれ人々の評価は変わり、1972年にはジョンも“毛沢東について引用すべきでなかった”と考えを改めています。
(ただし、同年のアルバム『Sometime in New York City』の「We're All Water(ヨーコの作品)」で“毛主席とニクソンも、裸にすれば大差はない”としてアルバム・ジャケットにも写真が反映されているし、1980年の作品「Woman」にも毛沢東の詩の引用が見られる)



~Epilogue~

You say you'll change the constitution(※)
憲法を変えると、君は言う
You tell me it's the institution
君は、それこそあるべき法のかたちだと
※毛沢東を示唆しているとしたら、【constitution】は政体、【institution】は制度と捉えるのが適切だろう

憲法改正…
とりわけ、施行68年を経た現在も国民の支持が高い『憲法第9条』を変えることは、この国にとってまさに“Revolution(革命)”に等しいと言えるのではないでしょうか?
ご存知のように安倍首相は改憲論者ですがその本丸が憲法9条であり、“憲法改正するために政治家になった”と公言していることからもその本気度は歴代の首相とは全く異なります。
ただし、憲法改正には衆参両院で3分の2以上の賛同が必要であるものの参院が届かず発議が難しいため、最悪でも実効を得ようと10本の法案を“安全保障関連法案”として解釈改憲を試みました(明文改憲も諦めてはいない?)。

ところが、6月4日の衆院憲法審査会で自民・公明党推薦の長谷部恭男氏を含む3人全ての憲法学者がこの法案を“憲法違反”と断じたため事態が暗転します。
直後に『報道ステーション』が行った『憲法判例百選』の執筆者(=著名な憲法学者)198人に対するアンケートによると、[違憲;84%(127人)/違憲の疑い;13%(19人)/合憲;2%(3人)]という結果でした。
さらに、追い打ちをかけるようにこの法案に関する自民党の安倍首相に近しい若手の勉強会で、複数の議員によるマスコミに対する“圧力発言”が表沙汰になったことはご承知の通り…。


前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これは、問題視されている『日本国憲法第9条2項』
この文章を“自衛隊の存在と矛盾しない”と読解するとしたら、きっと国語のテストで落第してしまうでしょう?
明らかに、実態と矛盾があります。
しかし、一方で国民のほとんどは“国を守る”自衛隊が必要だと思っているはずです。
そういう意味で、憲法改正を望むのは間違いではありません。


ちなみに、2012年4月27日に出された“自民党の憲法改正草案の9条2項”では…

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

…という風に改められていて、草案Q&Aには“この「自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません”と明記されています。


いずれにしても、今回一連の流れからつくづく思ったことは、沖縄の正式な選挙で選ばれた知事が自民党の利害に反するからと会わなかったり、憲法学者と国民の大多数が違憲の疑念を持っているにも関わらず無視して法案成立を強行したり、“沖縄にある二つの新聞はつぶさないといけない”とか“マスコミを懲らしめる”という考え方の人たちに、憲法改正をして欲しくはありません。
68年間平和を守ってくれた憲法に敬意を寄せず、沖縄の民意である首長を侮り、権力に驕って国民の“自由と民主主義”を省みようとしない人たちだけには。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.(※)
私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
(※フランスの哲学者ヴォルテールの言葉として有名ですが、定かではないらしい)

憲法は、そういう志を持った人にだけ、書き換える資格が許される…



「レボリューション」

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