I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「テイク・イット・イージー」イーグルス

2016.01.29

category : Eagles & Solo

Eagles - Take It Easy1 Eagles - Take It Easy2


Eagles - Take It Easy (1972年)



~Glenn Frey 1948-2016 R.I.P.~

アメリカの国民的ロック・バンド、イーグルスを創設し中心メンバーとして活躍したグレン・フライが1月18日、リウマチ性関節炎・大腸炎・肺炎から生じた合併症により亡くなりました(享年67)。
これについてイーグルスのマネージャーは、“グレンは15年以上リウマチ性関節炎の薬を服用していて、大腸炎と肺炎は薬剤の副作用だった”と言及しているようです。
また、長年の友人ボブ・シーガーは“11月から入院していた。最高の医師を探し当て、グレンには8人の専門家がついた。でも1ヶ月くらい前、手の施しようがなくなったんだ。”と病状を語っています。

グレンの死の翌日、イーグルスとともにアメリカを象徴するロック歌手であるブルース・スプリングスティーンは現在行われているツアーの中、急遽アコースティック・ギター1本で「Take It Easy」を演奏し同時代を生きた仲間に哀悼を捧げると、会場は大合唱と無数の光い包まれました…。





~概要~

「テイク・イット・イージー」は1972年5月1日にリリースされたイーグルスのデビュー曲で、彼らの1stアルバム『イーグルス・ファースト (Eagles)』に収録された作品です。
Billboard Hot 100では12位を記録、昨年ローリングストーン誌が行った“イーグルスのフェイバリット・ソング”読者投票で3位になるなどイーグルスの代表曲の一つであり、「Hotel California」と共にロックの殿堂『500 Songs That Shaped Rock and Roll』の楽曲でもあります。
日本では、テレビ東京系旅番組『田舎に泊まろう!』のテーマ曲としてもお馴染みですね♪

「Take It Easy」は元々1971年にジャクソン・ブラウンが1stアルバム『Jackson Browne』のために書いたものですが完成できず棚上げになっていた所、同じアパートに住み友人であったグレン・フライがこの曲を気に入りアドバイスして完成させた作品です(詳しくはLyricsの項を参照)。
発表はグレンがイーグルスで歌ったバージョンが最初ですが、ジャクソンも1973年に2ndアルバム『For Everyman』の中でセルフ・カバーしています。


ご存知のようにイーグルスはメンバーの不和などにより1982年に解散してしまいますが、1993年にはカントリー歌手トラヴィス・トリット(Travis Tritt)がイーグルスへのトリビュートとして「Take It Easy」をカバーし、Billboardのカントリー・チャートで21位とヒットさせました。
その際トラヴィスはイーグルスのメンバーにPVに出演してくれるようリクエストしており、ナンとこの要望は聞き届けられドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットらが映像にフィーチャーされています!

この共演がきっかけで友情を取り戻したイーグルスは1994年に再結成し、新曲4曲とMTVでのライブを収録したアルバム『Hell Freezes Over』を発表、このアルバムをサポートする大規模な世界ツアーは3年に渡って興行され、現在に至るまでバンド活動は継続されてきました。
さらに感慨深いのは、1998年!
この年イーグルスは『ロックの殿堂』入りを果たしていますが、その式典に於いて上記5名に加え創設メンバーであるバーニー・レドン&ランディ・マイズナーの2名が参加し、“歴代メンバーが勢揃いして「Take It Easy」と「Hotel California」を演奏した”ということです!!

…こう辿ってみると、イーグルスにとって「Take It Easy」が如何に重要な役割を果たしてきたかお解りでしょう?

 
 



~Lyrics~

Well, I'm running down the road
…そうさ、俺はあの道を駆け下り
tryin' to loosen my load
抱えた重荷の紐を解こうとしているのさ

この“譜割り(音符への歌詞の乗せ方)”のフィーリングはまさにジャクソン・ブラウンで、グレンが歌ってもジャクソンの顔が浮かびます。
【road】と【load】のような韻も効いていますが、「Take It Easy」が多くの人に愛されるのはこの譜割りが生み出す心地よさやカッコよさなのではないでしょうか…。

彼の抱えている“重荷”も、気になりますが? 


Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona
…あぁそうさ、俺はアリゾナ・ウィンスローの街の一角に立っている
It's such a fine sight to see
何ていい眺め…

アリゾナ州はアメリカの南西、メキシコと国境を接する内陸にある州で、ウィンスローはかつて“The Mother Road”と呼ばれた国道66号線 (Route 66)の沿線にある小さな町。
映画などでよく見られる、果てしなく広がる荒野にどこまでも伸びる1本の道路だけが走ってるようなイメージ…?
そんな田舎町が舞台となったのは、この頃ジャクソンがアリゾナ州セドナ(Sedona)への旅行中にウィンスローで車が故障して何日か当地に滞在した体験からだそうです。

1985年に国道66号線が廃線となり町は観光収入の危機に陥りますが、住民の努力と創意によって「Take it Easy」に歌われた一節が再現された“Standing On The Corner Park”が造設され、ウィンスローの新たな観光収入源として町を助けています。


It's a girl, my Lord, in a flatbed
おぉ主よ、フラットベッド(トラック)に一人の女の子!
Ford slowin' down to take a look at me
そのフォードがこっちを見て、速度を落としてる

ジャクソンが上記【Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona, It's such a fine sight to see】に続くラインに困っていた所、グレンが考案したのがこの部分です!
確かに真面目なジャクソンにはこんなフレーズは浮かばないカンジですが、このグレンのインスピレーションが入ることによって物語の情景に臨場感を与えたような気がします。
特に、続くフレーズ…

Come on, baby, don't say maybe
Come on, baby! “maybe(かもね)”なんて、言わないで?

…は私の一番のお気に入りで、【baby】と【maybe】の組み合わせは、このチャンスに懸ける主人公の心情を非常に生き生きとさせています。
“Standing On The Corner Park”で再現されているのはこの場面であり《写真》、多くの人にとってもこのシーンが最も印象的なのでしょう…。

Eagles - Take It Easy3 



~Epilogue~

“気楽にやる・のんきに構える”といった意味合いの【take it easy】は日常よく使われるフレーズで、私たち日本人にとっても耳馴染みのある英語です。
どちらかというと、相手を励ましたりリラックスさせようとする際に用いる良いイメージがありますよね?
しかしこの物語はヒッチハイカー(?)の青年が下心満載で道端に立ち、トラックを運転する女性を“Come on, baby!”と、彼女が車に乗せてくれるのを期待する不埒(ふらち)な構図のようにも映ります。
そんな場面で、彼に“take it easy❤”なんて言われたら、あなたならどうします?

We may lose and we may win though
上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない…だけど
we will never be here again
この場を違えると、二人はもう二度と会えはしない

まぁ、女性が見知らぬ男を車に乗せるかはともかく…
旅先での出会いはその一つひとつがまさに“一期一会(いちごいちえ)”であり、通り過ぎた出会いが再びまみえることはまずないでしょう。
そう考えてみると、この青年の主張(下心?)も一理あるように思えてくるから不思議です。


グレン・フライとドン・ヘンリーがまだ別々のバンドで活動していた1970年頃、二人は顔見知りではあったもののレーベルのオフィスですれ違い、行きつけのクラブでも言葉を交わすことのない間柄でした。
無口でシャイなドンと、外向的で自信に溢れたグレン
正反対な彼らではあったものの、ドンは密かにグレンのカリスマ性に感心し、新たなバンドの構想を抱いていたグレンはドンの艶っぽいハスキーな歌声を“僕の秘密兵器”と呼び一目を置いていました。

ある晩二人はテーブルを共にし、グレンは“リンダ・ロンシュタットのバンドにドラマーとして参加しないか?”とドンを誘います。
ドンの答えは、“もちろん。”

…そう、これがイーグルスの始まりです。
もしもグレンが、ドンを“とっつきにくい奴”と声を掛けなかったら、この偉大なバンドは生まれていなかったかもしれません。
こうして考えてみると、この歌は“陽気なグレンの人生のテーマ・ソング”にも思えるし、“シャイなドンへの応援歌”のようにも思えてきます。
積極的な人も、消極的な人も…

Take it easy
とりあえず、やってみようぜ?



「テイク・イット・イージー」

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「ラザルス」デヴィッド・ボウイ

2016.01.22

category : David Bowie

David Bowie - Lazarus1 David Bowie - Lazarus2


David Bowie - Lazarus (2015年)



~デヴィッド・ボウイ…“art”に命を捧げた男~

1月10日、“ロック界のカリスマ”デヴィッド・ボウイが肝臓がんのため亡くなりました(享年69)。
かつて“メジャーなカルト・ヒーロー”と形容されたように、難解な一面を持ちながらトータル・セールス1億3000万枚以上を達成する“artistの理想形”といえるそのスタイルは、後進に多大な影響を与えた偉人でした。

そして彼の最期を飾ったシングル「Lazarus」を以って、“生涯を懸けたartは完結”…
デヴィッド・ボウイからのラスト・メッセージ、お聴き届け下さい。



~概要~

「ラザルス」は、デヴィッド・ボウイの69回目の誕生日であり彼が亡くなる2日前の2016年1月8日に発売された25枚目のアルバム『★』(“Blackstar”と読む)の収録曲です。
プロデューサーは1969年から現在に至るまで12作ものアルバム制作に携わり“デヴィッドを知り尽くした盟友”、トニー・ヴィスコンティ
アルバムからは昨年11月に先行シングル「★」がデジタル配信されており、それに続く2ndシングルとして12月17日に「ラザルス」が配信されました。

UK Official Singles Chartでは1/15付・初登場45位、US Billboard Hot 100では1/30付・初登場40位(これは、この週の最高位ランク・イン)を記録しており、デヴィッドにとってHot 100のTop40ヒットは1987年の「Never Let Me Down」以来のことです。
また、デヴィッドの死去に伴ってUKチャートでは「Heroes」(12位)・「Life On Mars」(16位)・「Starman」(18位)・「Let's Dance」(23位)・「Space Oddity」(24位)など、トップ100に彼の過去の作品を含め13曲がランク・インする現象が起きています。
一方UKアルバム・チャートでは『★』が初登場1位を記録し10枚目のNo.1となったのをはじめシングル・チャート同様トップ100内にデヴィッドのアルバム19枚がチャート・インする騒ぎとなり、US Billboard 200でも初登場1位に輝きましたが意外にも彼のアルバムが全米No.1を獲得したのはこれが初めてのことです(これまでの最高は2013年『The Next Day』の2位)。

さらに「ラザルス」は、オフ・ブロードウェイの劇場“New York Theatre Workshop”で昨年12/7~1/20に限定公演されたミュージカル『Lazarus』のためデヴィッドによって創作された楽曲でもあります(『Lazarus』の主演はマイケル・C・ホール)。
この舞台は1976年にデヴィッドが初めて主演したカルト映画『地球に落ちて来た男(The Man Who Fell To Earth)』の40年後を描いた内容となっており、デヴィッド自らも脚本など共同制作者として数年懸かりで密かに精力を注いできたプロジェクトでした。
デヴィッドの突然の死を受け、ニューヨーク市は彼の長年に亘る芸術への功績に敬意を表しミュージカル『Lazarus』の最終日である1月20日を“David Bowie Day”とすることを定め、当日のカーテンコールで宣言書が授与されたそうです。

 



~Lyrics~

Look up here, I’m in heaven
見上げるがいい、俺は天国(ここ)にいる
I’ve got scars that can’t be seen
この傷痕、見ること能(あた)わず

まるでデヴィッド自身に起こる運命を予言していたかのような一節…
【scars】は“癌による傷あと”? …それとも、69年の波乱の生涯を生きた“心の傷”?

【Lazarus】というと、欧米では“イエス・キリストの友人で新約聖書に記される聖人”を思い浮かべることが多いようです。
『ヨハネによる福音書』に拠ると、ラザルス(ラザロ)は一旦病死するものの4日後に墓を訪れたイエスによって蘇り、布に巻かれたまま墓から出てきた…というのです!
包帯で巻かれたような不気味な目隠しといい、デヴィッドは死病に憑かれたラザルスに自分を重ねたのでしょうか…(それとも、奇跡の蘇生を望んだ?)。


I’ve got drama, can’t be stolen
この趣向、これを出し抜くこと能わず
Everybody knows me now
そしてその瞬間、誰もが俺を認識している

予言めいた歌と映像、直後に訪れたデヴィッドの死、訃報が駆け巡り世界じゅうが彼の死を悼んだ…
これはまるで、今回“デヴィッド周辺で起きた現実が彼自身による演出”であるかのようでさえあります。
…だとしても最近はマイケル・ジャクソンやマドンナなど、正式発表前に不法リークされてしまう事件が後を絶ちません。
そんなに上手くゆくのでしょうか…?(~Epilogueへと続く~


Then I used up all my money
やがて、金も使い果たし
I was looking for your ass
あいつを追い求めていった

【your ass】は、恐らく最もデヴィッドの実像を示していると思われる言葉です。
まず【your】は“あなた”を意味することに変わりありませんが、“相手の性別を特定しない都合良さ”がこの表現のポイントであったのではないでしょうか?
その二人の関係を暗示しているのが【ass】ですが、これは“学校では決して教えない類いの言葉”であり敢えて訳は“あいつ”に止めておいたので、“禁断”をお知りになりたい方はこっそりとお調べくださいね? 



~Epilogue~

『★』のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティは今回の一連の出来事が“死期を悟ったデヴィッド自身が綿密に計画した、ファンへの別れのメッセージ”であることを認めています。
偶然ではなく、発表の時期も含めたすべてが故意に行われたものであったと…。

“彼の死も、彼の生と変わりなくアートの一部なんだ。
彼は『★』をみんなのために作った。別れの贈り物として…。”


それゆえ、デヴィッドの命を懸けたプロジェクトの漏洩を防ぐためアルバム『★』のレコーディングとミュージカル『Lazarus』の計画は完全秘密裏に遂行され、デヴィッドの病のことはごく一部の人間だけが共有し録音に参加したミュージシャンにさえそのことは伏せられていたそうです。
ミュージカル『Lazarus』の舞台監督イヴォ・ヴァン・ホーヴェは、終末へと向かうデヴィッドの最期の日々について以下のように語っています(要約編集)。

“1年3ヵ月以上前、彼から肝癌を患っていると告げられた。それが理由で、責務を全うできない可能性があることも…。壇上のボウイは元気そうだと報道されていたが、舞台裏では極度の疲労のため倒れていた。でも彼は作業を中止するのを拒み、病と必死に闘っていた。舞台挨拶の日、彼はステージから降りると椅子が必要なほど弱っていたにも関わらず‘さあ、次のを創ろう’と言ったんだ。”

David Bowie - Lazarus5

This way or no way
これ以外に道はない…


デヴィッドは死の2日前で、自身の69歳の誕生日である1月8日に長年彼を撮り続けてきたフォトグラファー、Jimmy Kingとフォト・セッションを行っています(恐らく生前最後の公式写真)。
ここでの彼は、この世に残された時間が僅か48時間であるというのに、全く“死の影”を感じさせません…。

David Bowie - Lazarus3 David Bowie - Lazarus4

18か月に亘りガンと闘い続けたデヴィッドは、家族に言いました。
“騒がれずに逝きたい、葬式はしないでほしい…。”
彼はスーパースターDavid Bowieに相応しい終幕だけでなく、一人の人間David Robert Haywood Jonesとしての終末の意思も明確でした。
デヴィッドは大きなショーやファンファーレに浴することを望まず、自らは“ただ消え去る最期”を、世界中のファンには“彼と音楽を共有した‘いい時間’だけ覚えていてほしい”と望んでいたそうです。

トニー・ヴィスコンティは、次のようにデヴィッドの遺志を代弁しています。
“彼は常に自分のしたいことをしました。そして自分流のやり方で、ベストのことをしたいと思っていました。
彼の人生と同じように、彼の死も芸術作品だったのです。彼が残したレコードは彼からの訣別のプレゼントです。”


Ain’t that just like me
…俺らしいだろ?

David Bowie , R.I.P. 



「ラザルス」

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「アンフォゲッタブル」ナタリー&ナット・キング・コール

2016.01.15

category : Nat 'King' Cole / Natalie Cole

Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable1 Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable2


Natalie Cole with Nat 'King' Cole - Unforgettable (1991年)



~追悼、ナタリー・コール~

これまで9つのグラミーを受賞したR&B/ジャズ・シンガーのナタリー・コールが昨年12月31日、鬱血性心不全のため亡くなりました(享年65)。
ナタリーは2008年にC型肝炎を公表、翌年に腎移植手術を受けるなど健康に問題を抱えながらも歌うことを決して止めようとはせず、昨年11月からの公演は体調を崩しキャンセルとなったものの最後まで音楽と向き合う意思を持ち続けた人でした。
彼女と親交のあるアレサ・フランクリンは“涙をこらえなくては。ナタリーがどれだけ辛い闘いを強いられてきたかを知っているから。長い、長い闘いでした。”と、その闘病が苦しい日々であったことを語っています。

また、1月11日にはグラディス・ナイト、チャカ・カーン、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソンら多くの友人が葬儀に参列、スティーヴィー・ワンダーは“ナタリー、僕らがあなたの精神と思いやりを受け継ぐからね。”と言葉を贈りました。



~概要~

ナタリー・コールは言わずと知れたジャズ・ミュージック界の巨人ナット・キング・コールの実娘(次女)であり、1975年のデビュー以来何度もグラミーを受賞するなど、偉大な父に劣らぬ輝かしい実績を残した歌手です。
1991年、ナタリーは父ナット・キング・コールのカバー・アルバム『アンフォゲッタブル (Unforgettable... with Love)』を発表。
「Unforgettable」はその主題となる作品であり、名匠デイヴィッド・フォスターがプロデュースを担当、Billboard Hot 100で14位を記録するヒットとなりました。

「アンフォゲッタブル」はアメリカの作曲家アーヴィング・ゴードンの手による楽曲で、当初「Uncomparable(比べられない)」だったタイトルが「Unforgettable(忘れられない)」に改められたそうです。
1951年ナット・キング・コールが歌って世に知られるようになり(ナットのオリジナル音源は、2000年にグラミーの殿堂入りを果たしている)、その後1961年には改めてステレオver.がレコーディングされました(今回発見したBBCでの貴重なライブ映像もどうぞ♪)。
今回メインとした1991年のナット&ナタリーver.では“父娘デュエット”が実現していますが、ナットは1965年に他界してしまっているので生前のナットの音源(恐らく1961年ver.)をオーバー・ダビングした“バーチャル・デュエット”ということになります。

娘から父へのトリビュートとして捧げられたアルバムは大いなる共感とともにBillboard 200のNo.1に輝くと、全世界で1,400万枚のセールスを記録。
圧巻は同年度の第34回グラミー賞で、2次元の世界の父と3次元の娘がグラミーという晴れ舞台で共演する演出はお約束と分かっていても感動的であり、「Unforgettable」は“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”と“最優秀レコード賞(Record of the Year)”を含む4部門、アルバム『Unforgettable... with Love』は“最優秀アルバム賞(Album of the Year)”を含む3部門を受賞、最終的に主要3部門を含む7部門を独占しています。

カバーは多数あり、ナットのテイストに近いサミー・デイヴィスJr.(1965)やルー・ロウルズ(1977)、“クイーン・オブ・ソウル”アレサ・フランクリン(1964)、そして意表を突くJackie Chan(2002)…
ジャッキー・チェン!? 

 
 



~Lyrics~

Unforgettable, that's what you are
忘れられない…あなたのことが

この作品以降ジャズ・シンガーのイメージの強いナタリーですが、デビュー当初の彼女はR&Bシンガーでした。
偉大なジャズ・ミュージシャンである父ナットと、デューク・エリントンの楽団歌手だった母マリアという両親の下に育った彼女は、幼少時ナットによく「Kemo Kimo」という曲を歌ってもらっていたそうです。
(私も今回初めて聴いた曲ですがこのテイスト、大好き!こんなお父さん、ステキ過ぎ

R&Bやロックに傾倒するようになったのはアレサ・フランクリンやジャニス・ジョプリンの影響ともいわれますが、これほど濃密なジャズ一家に生育したナタリーは何故“その道”を歩まず、コンサートで父の曲のカバーを要望されても断ってきたのでしょうか…。

Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable3  Kemo Kimo


ナタリーは15歳の時に父ナット(45歳)を失い、その後も最初の夫は34歳、兄弟も36歳と、何れも若くして大切な家族を亡くしていますが、人生で最も辛かった出来事がナットの死だったそうです。

私は一人の10代の少女として父を敬愛していました。そんな父の死でボロボロになり、何年もの間、父の思い出から逃げ、父の音楽さえ遠ざけていました。はからずも音楽の世界に入ったとき、リズム・アンド・ブルースの歌い方を学ぶことに興奮しました。ソウルを歌うのはとても楽しかったけれど、深い安らぎと大きな満足感を得られたのは、思い切って父に関係のある歌を歌ってからのことでした。

Unforgettable, though near or far
忘れられない…近くあろうと、遠くあろうと


ナタリーは、今となっては遺作となってしまった2013年のスペイン語アルバム『Natalie Cole en Español』で、ナットが1958年に歌った「Acércate Más」をカバーし再び“父娘共演”を果たしています。

‘Acercate Mas’は近づくという意味です。父を失っていてもお互いがより近づいたことで、心からの安らぎになり、私たちは死を深刻に考え過ぎているのではないかと思うようになりました。魂は死なないのです。音楽も死にません。そして魂を音楽と結び付ける愛に死は無縁です。その魂、音楽、愛は永遠なのです。

And forever more (and forever more)
そして、これからもずっと…





~Epilogue~

忘れられない人…

ナタリーが抱く父への【忘れられない】は、彼の死に始まりました。
そしてその想いは、彼女をその哀しみから逃れさせるために愛する父の音楽をも遠ざけてしまったのです。
それは本当の自分を偽ることでもあり、やがて彼女は薬物に溺れるようになってゆきます。

しかし、堕ちゆく娘を救ったのも父でした。
「Unforgettable」を包む父のぬくもりが、忘れていた大切なものを娘に思い出させたのです。
ナタリーが抱く父への【忘れられない】の意味が、変わってゆきました…。


【忘れられない】は、苦しみではない
それは、いつまでも消えることのない心のともし火
私が愛し、愛され生きた証し
あなたとめぐり逢えて…

That someone so unforgettable,
こんなにも、誰かのことが心を離れないなんて
Thinks that I am unforgettable too
どうかあなたも、そんな風に私を想っていてくれますように…


............................................................................................................. to 1.23



「アンフォゲッタブル」

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comment(8) 

「君こそすべて」シカゴ

2016.01.08

category : Chicago & Solo

Chicago - Youre The Inspiration1 Chicago - Youre The Inspiration2


Chicago - You're The Inspiration (1984年)



~シカゴ、来日&ロックの殿堂入り~

あなたは、【XXXVI】という数字を見掛けたことがありますか?
これは1969年のデビューから47年目を迎えるアメリカのロック・バンド、シカゴの最新アルバム『Chicago XXXVI: Now』(2014年)のタイトルに刻まれる“ローマ数字”です。
そんな彼らが1/9~1/16に、4年ぶり【XIV】度目の来日公演を行います。

シカゴというと、2016年はもう一つ大きな出来事があります。
4月に催される『ロックの殿堂』式典に於いて、オリジナル・メンバー7人の“殿堂入り”が決まっているからです。
ただし、これは“キャリア47年、30曲以上のTOP40ヒット、全世界で1 億2,200万枚のセールス”を誇る彼らにとっては当然の栄誉であり、驚くべきは“今まで殿堂入りしていなかった方”にではないでしょうか?
むしろ私がここで言っている“大きな出来事”とは、“その式典にオリジナル・メンバーのピーター・セテラが出席し、一緒にパフォーマンスする「25or6to4(長い夜)」らしい?)”というコト!
ピーター・セテラは1985年にバンドを脱退した“バンドの声”ですが、当時彼と外のメンバーに生じた深い溝を知る私にとっては“二度と戻ることはない”と思っていたからです。
(詳しい経緯については、過去ログ;「グローリー・オブ・ラヴ」を参照)

…そんなゴタゴタはともかく、一時代を築いたシカゴの名バラードをお楽しみください♪



~概要~

「君こそすべて」は“ブラス・ロック”バンド、シカゴが1984年に発表したアルバム『Chicago 17』の収録曲です。
3rdシングルとなった「君こそすべて」はBillboard Hot 100の3位(1985年の年間37位)に輝き、2曲連続3位は前作『Chicago 16』も遂げられなかった快挙であり、70年代の全盛期にも劣らない“第2黄金期”の到来を確信させるものとなりました。
しかしこの時バンド内では修復不可能な亀裂が生じ、これによって「You're The Inspiration」の作者であり声であるピーター・セテラが脱退、一転してグループは“解散の危機”に陥ってしまいます。

その危機を救ったのがメンバーより20歳近くも若い新加入のヴォーカリスト、ジェイソン・シェフでした。
ピーターに近い声質を持ったジェイソンはピーター時代のシカゴのレパートリーをカバーするヴォーカリストとして、以降「You're The Inspiration」を歌い継いでいます(もちろん、今回のツアーで本作を歌っているのもジェイソンです)。
一方、作品発表直後にピーターはバンドを脱退してしまったため“ピーター+シカゴ”によるライブは恐らく実現しておらず、オリジナルの声であるピーターの歌はソロとして彼のライブで披露され、1997年にはR&Bグループ“Az Yet”をフィーチャーしてセルフ・カバーもなされました。

「You're The Inspiration」は元々はシカゴのために着想されたものではなく、きっかけは“ケニー・ロジャースのために曲を書いて欲しい”というデイヴィッド・フォスターからピーターへの依頼でした。
しかしイタリアで“Inspiration”を得て創作されたこの曲をケニーは採用せず、結局少し手直ししてシカゴの作品として発表されることになったというわけです。
“イタリアでInspiration”については興味深いエピソードがあるので、改めて【Epilogue】の項で詳しく触れたいと思います…。

 
 



~Lyrics~

You know our love was meant to be
わかっているね…二人の愛は運命であり
The kind of love that lasts forever
永遠に続いてゆくものなんだ

「You're the inspiration」には、【know】が随所に用いられています。
そういう点からすると、これは“確信的な愛”なのでしょう。

ところで、PVの冒頭に登場するカップルに見覚えありませんか?
もちろん本物ではありませんが、まるでこの頃人気急上昇だったビリー・アイドルとマドンナ!?
彼らのファッション、追いかけた方もおられることでしょう…♪ 


You should know, everywhere I go
わかっていておくれ…僕は何処にあろうと
You're always on my mind, in my heart, in my soul
その意識の上に、慈しみの中に、心の奥の真ん中に、いつも君がいることを

ここはお気に入りのセンテンスで、特に拘ってみました。
【mind】【heart】【soul】は何れも[精神活動]に関連する言葉ですが、それぞれ少しニュアンスは異なります。
【mind】は思考・認識など“知性が司る心”【heart】は愛情・悲しみといった“感情が司る心”【soul】は霊魂・魂など“人格の根源的な部分の心”…と定義して言葉を置き換えてみました。
(ちなみに、【spirit】意志が司る心

二人の間には、自由に会えない何らかの背景がありそう…。
通常【heart】だけで十分なのに、【soul】と【mind】をどうしても加えたかった主人公の気持ち、よくわかります。


And I know, yes I know that it's plain to see
そうさ、答えははっきりしてる
We're so in love when we're together
一緒にいると、愛しさが止まらないんだ

【know】が確信的であるのは、“そのせい”でしょう♪
好きな人がそばにいると気になったり、構いたくなったり、何かをしてあげたい気持ちが自然と湧き上がってくるものです。
それこそが愛情であり、苦痛になりません。
でも、相手のお茶が空になっているのも気づかなかったり、お代わりを頼むとめんどくさそうなのは…? 



~Epilogue~

【inspiration】は、普通に日本語でも“インスピレーション”で通じてしまう言葉です。
この場合のニュアンスを日本語にすると、“直観的なひらめき・霊感”といったところでしょうか…。

作者のピーター・セテラは「You're The Inspiration」の創作過程に於いて、イタリアを訪問しています。
出発時点ではタイトルも定まっておらず、美しい大理石が用いられたバロック様式の部屋で寝そべり“Michelangelo you should know, Michelangelo.(ミケランジェロ、あなたなら知っているはず)”と書いていると、“You're The Inspiration”が浮かんだらしい…

“…何のこっちゃ?”と思って調べてみると、ミケランジェロの絵画にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『ダ・ヴィンチ・コード』ならぬ“ミケランジェロ・コード”と呼ぶべき謎が秘められているとする説があることを突き止めました!
それは、有名なシスティーナ礼拝堂天井画の中の『アダムの創造』の部分で《写真》、右側にいる“神が描かれた周辺が人間の脳(断面図)を暗示しているのではないか”という説。
つまり、“神が最初の人類たるアダムに生命を吹き込んだ”とされる『創世記』のエピソードを描いた極めて宗教的なこの作品に於いて、ミケランジェロは“神は天上にいるのではなく、人間の脳の中に存在する”という科学(解剖学)的見地によるメッセージを込めたというのです。
教皇の後援を受けながら神に対する概念を覆すかのようなメッセージが込められているとすれば非常にスリリングなことであり、そんな妄想を楽しんだ末ピーターは“You should know, Michelangelo.”の境地に至った?(…という、私の勝手な妄想です

Chicago - Youre The Inspiration3 Creazione di Adamo


何だか宗教臭い話の内容になってきましたが【inspiration】はまさに“神の啓示”のようなものであり、自分の意識や意思の中から生まれるのではなく外部から“魂が吹き込まれる【in-spirit】”ような不思議な感応を表す言葉です。
そのため、鼓舞(させる人[事])、激励(となる人[事])、感動、(突然の)すばらしい閃き、感化、刺激、第六感
…のように、心や感覚など内面に対する様ざまな作用をカバーしているだけでなく、“息を吸い込むこと”など生きてゆくことに不可欠な生理現象にまで意味が及んでいます。

You're the meaning in my life
君は、僕が生きる意味そのもの…
You're the inspiration
そして、“インスピレーション”

…こう考えてみると、「You're the inspiration」が「君こそすべて」になったのも頷けるでしょう?
【inspiration】は心の中の実にさまざまな作用を内包しており、それをたった一つの日本語に変換してしまうと折角の奥深さを限定してしまうことになるので、ここでは敢えてそのまま“インスピレーション”としておきました。
そこから先のストーリーは、あなたの【mind】【heart】【soul】の中に…


You're the inspiration... 

あなたは、この一行にどんな想いを込めますか?



「君こそすべて」

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「フリーダム」ワム!

2016.01.01

category : Wham! & George Michael

Wham! - Freedom1 Wham! - Freedom2


Wham! - Freedom (1984年)



~Freedom...?~

明けまして、おめでとうございます。

新年の第一回目の作品は、ワム!の「フリーダム」。
タイトルに「Freedom」を掲げながら、“全然自由じゃない”主人公の物語です。
普通にポップ・ソングとして聞き流しても十分楽しい曲ですが、今回はそのギャップに着目して“大人テイスト”に仕上げてみました。



~概要~

「フリーダム」は、ジョージ・マイケルがデビューのきっかけとなったポップ・デュオ“Wham!”時代の1984年にリリースした作品です。
ジョージはソロになった1990年にも同名のタイトル「Freedom! '90」を発表していますが、これは全く別の作品。
ワム!は1984年に「Wake Me Up Before You Go-Go」で一躍世界のアイドルに上り詰め、「フリーダム」はその2ndアルバム『メイク・イット・ビッグ(Make It Big)』からの3rdシングルで全英3週No.1、Billboard Hot 100は3位(1985年・年間76位)を記録しました。

このころ日本でも人気急上昇の彼らは『マクセル・カセット・テープ』CMに起用され、「フリーダム」の別ver.をパフォーマンスしています。
また、シュワシュワっとポップなノリで“Freedom”と歌っているせいか、近年も『キリン FREE』CMに起用されたことをご記憶の方も多いでしょう。

作者はジョージ自身で、「Freedom」について次のように語っています。
オリジナルは19歳の時に書いたんだ。当時はまだ自分の才能に気づいてなかったので、こんな曲ができたのが信じられなくてぞくぞくした。だけど、この曲をきっかけにライターの道を真剣に考えるようになったんだ。
…ちなみに「Freedom」のメロディの一部は、後年ソロとして大ヒットすることになる「Faith」のオルガンのイントロにも使用されています。

ワム!はこの曲がヒットして間もなく解散してしまうのでライブ映像は口パクのテレビ出演モノが貴重であり、“音のみ”だと1986年ウェンブリー・スタジアムでのファイナル・コンサートの音源が残されています。
ジョージにとってソロ転向=路線変更でもあるので以降「Freedom」は演奏されないだろうと私は思い込んでいましたが、今回発見しました!
かなりスローであるものの、コレはこれでいいかも?


I don't need your freedom
キミの自由なんて、無くしてしまいたい…
Girl all I want right now is you
今のボクには、キミこそ望むすべてなんだ

1行目は訳というより、主人公の本音をコトバにしてみましたっ!
そこのカノジョ、一途なカレの気持ちを解ってあげてね?

MVは1985年にワム!が中国公演を行った時の映像を編集していますが、当時の中国で“I don't need your freedom”はシャレにならない!? 


 
 



~2016年、日本の“freedom”が危ない?~

昨年末、予(かね)てより危惧していた『報道ステーション』古舘伊知郎・『NEWS23』の岸井成格・両氏の降板が遂に発表されました(共に今年3月まで)。
昨年3月にはNHK『ニュースウォッチ9』の大越健介氏が降板しており、“この3人は何れも官邸の不興を買っていたとされるキャスター”であり、これを“たまたま(偶然)”時期が重なったと言われても、偶然が三度重なる【偶然×偶然×偶然】の奇跡的な確率を信じる根拠を、私は知りません。

Wham! - Freedom3

特に岸井氏は安全保障関連法成立前後にかけて繰り返し“安保法案は廃案にすべき”とハッキリ主張しており、11月にはその岸井氏を名指しで“私たちは、違法な報道を見逃しません”と批判する全面広告《写真》が産経(11/14)・読売(11/15)新聞に掲載されていたのをご存知の方も多いでしょう。
広告主は『放送法遵守を求める視聴者の会』という団体で、“公権力とは関係を一切もたない非力な一国民としての運動”とする主張に反し代表呼びかけ人の作曲家・すぎやまこういち氏は“『安倍総理を求める民間人有志の会』の発起人”、同呼びかけ人の渡部 昇一氏は“『取り戻せ、日本を。 安倍晋三・私論』の著者”、同事務局長の小川榮太郎氏も“『約束の日 安倍晋三試論』の著者”であり、どう見ても中立の一市民ではなく安倍首相の積極的支持者及び利害関係者です。
また、同団体の呼びかけ人7名のうち4名は「汚れた英雄」ローズマリー・バトラーの記事でお伝えした安倍氏と密接な関係を持つ保守主義(右翼)団体『日本会議』の活動に参加しているという構図。

官邸が表だって動けない部分の活動を、安倍首相の積極的支持者らで構成する任意団体『日本会議』に計画・運営させ、憲法改定運動を広める『美しい日本の憲法を作る国民の会』、政権に批判的な言論・報道を封じる『放送法遵守を求める視聴者の会』という“安倍首相とは関わりない一国民を装った別働隊”が計画を実行する…というコト?

そもそも“権力者は国民を自分の意のままにコントロールしたい欲望を常に抱いている”ものであり、“その抑圧から国民の権利・自由を守る盾の役割を果たしているのが『憲法』”です。
また、1950年に施行された『放送法』には国家権力に支配・利用された戦前の反省を元に“放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。(第3条)”という条文を入れ、国家権力の介入から独立を担保しています。
官邸が岸井氏の言論に直接抗議するとこの法規に触れる恐れがあるため、“一国民”の名を借り新聞広告で…
…という筋書きは、妄想? 


しかし残念なことに、安倍政権によるメディアへの“影響力”は増すばかり。
就任記者会見で会長自らが“(放送内容について)日本政府と懸け離れたものであってはならない”と発言しているNHKの最近のニュース番組を視聴して感じるのは、安倍首相周辺の動向を伝える割合が非常に多くなったこと…(宣伝効果によって、支持率維持に貢献?)。

また、昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』は安倍首相の地元が舞台であり、彼の敬愛する吉田松陰とその妹・文を主人公とした物語ですが、一方でこのドラマは文とその義兄であり後の夫となる小田村伊之助(楫取素彦)の物語でもあります。
調べてみるとこの小田村伊之助なる人物は、安倍首相と同郷で『日本会議』の副会長であり歴史教科書も出版している明成社の社長・小田村四郎氏のご先祖に当たることが判明しました!
“なぜ松陰の妹が主役?”の疑問… 

さらにこのドラマが昨年放送された背後には、真田幸村の没後400年(1615年没)にあたる2015年に『真田丸』を放送する計画が内定していたものの、“安倍首相への配慮が優先された”という説もあります。

…公共放送を私物化しているのは、誰 


一方、元旦深夜に放送されたテレビ朝日の『朝まで生テレビ!』では、“自民党の区議会議員(東京都大田区)大森昭彦氏が、その肩書きを伏せて一建築板金業経営者として番組を参観しアベノミクスの波及効果に対する意見を述べた”ことが発覚し、ネット上では“ヤラセではないか”と大炎上になっているそうです。

大森議員はテレビ朝日関係者と長い交流歴があり、番組側から依頼を受け出演”したそうで、それが本当なら番組側は彼の素性を知った上で建築板金業経営者として出演依頼したことになり、政治的な思惑の疑念も内包するという意味でNHK『クローズアップ現代』のやらせ事件以上の大問題であり、公共放送の責任が問われるべきとしたらこうした事例ではないのでしょうか?



~Epilogue~

自由が奪われるのは、何も“強制”によってだけではありません。
独裁者として有名なドイツのアドルフ・ヒトラーは、国民の圧倒的な支持を得て国家元首にまで上り詰めた政治家です。
当時、第一次世界大戦の敗戦による多額の賠償と世界恐慌による困窮に苦しんでいたドイツ国民は、打開策を打ち出せないドイツ社会民主党政府に失望し、強い指導者を求めていました。
一身に国民の期待を集めたのは、“議論ばかりで何も決められない民主主義に代わって、強力な独裁政治・ファシズムこそがドイツを救う”と、強く民衆に訴えた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を率いるヒトラーでした。

ヒトラーというと天才的な演説を思い浮かべるかもしれませんが、決して弁舌だけで熱狂的支持を集めたわけではありません。
政権を握ったヒトラーは失業者対策としてアウトバーン(高速道路)など公共事業を推し進め600万人を数えていた失業者を300万人に減少させ、庶民が自動車を所有できる大衆車開発のため国営企業フォルクスワーゲン社を創設し、週休2日・週40時間労働や福利厚生施設を促進、政権発足から5年で国内の工業総生産を2倍・税収を3倍に押し上げ、ドイツは世界に先駆けて恐慌を脱したのです。

これによってヒトラーは1934年の国民投票で89.93%という支持率を得るなど、国民の支持も絶頂に至ります。
しかしこの間、憲法を事実上無効化し立法権を全てヒトラーに委ねる『全権委任法』(1933年)、ユダヤ人から公民権を剥奪する『ニュルンベルク法』(1935年)など後に悲劇の元凶となる法律が次々と可決されていったにも関わらず奇跡的な経済成長に酔いしれる国民は関心を寄せず、懸念すべき現実にも目をつぶりました
やがて国民は民族共同体の構成員としてその指導者であるヒトラーに絶対の忠誠を誓うことが義務づけられ、ドイツは1939年に自ら破滅への戦争へと足を踏み入れることになるのです…。


…おわかりでしょうか?
ヒトラーは暴虐を尽くしただけでなく、一方で国民には“多くのアメ玉”を与えました。
国民はアメ玉が欲しいばかりにその暴虐を見て見ぬふりし、口を噤(つぐ)んだのです。
ヒトラーの“狂気”があったからこそドイツは経済危機からいち早く脱することができたといえますが、そもそもコントロールできないからこそ狂気であり、そうした末路は世界のあらゆる歴史が証明しています。

歴史は受験のための知識の羅列ではなく、先人の失敗に学ぶ教訓です。
私は、安倍政権下で違憲法強行成立、原発再稼働、沖縄米軍基地問題、マイナンバー…といった国民の関心が高く大多数が懸念し反対する法案・政策が、それを覆す結論ありきで次々と強行に決められているにも関わらず内閣支持率が5割近くあるということに強い違和感を覚えています。
もしも支持率の数字に不正なく本当に国民の半分がこの内閣を支持しているとするなら、この違和感はドイツ国民がヒトラーを支持した歴史を省みずにはいられません。

当時を経験したドイツの人たちは、どんな教訓を学んだのでしょう…
最後に、そのナチス・ドイツ下で敗戦を迎えた牧師マルティン・ニーメラーが残した一篇の詩をご紹介します。


彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった




「フリーダム」

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