I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」ビートルズ

2016.03.25

category : Beatles & Solo

Beatles - Till There Was You1 Beatles - Till There Was You2


The Beatles - Till There Was You (1963年)



~ビートルズ・デビューのきっかけとなったレコードが7万7500ポンド!?~

ビートルズのデビューのきっかけとなった『Parlophone』(後の所属レコード会社)へ提出したデモ用の「Till There Was You / Hello Little Girl」のレコード《写真・左》が、先ごろ3月22日のオークションで予想価格1~2万ポンドを大きく上回る7万7500ポンド(約1250万円)で落札されました!
このレコードは1962年1月1日のデッカ・レコード・オーディション(不合格)のテープを、オックスフォード・ストリートのHMVストアで78回転・10インチ(約25cm)のアナログ・レコードにプレスし直したもので、“この世にただ一枚のレコード”であること、“ビートルズの運命を導いた歴史的意味”を考慮するとこれでも安いのかもしれません。

ところで、この競売はネットを含めた公開オークションであるため私もリアルタイムで参観しており、“終了時点での落札額は6万6000ポンド”だったはず《写真・右》ですが、一夜明けたら7万7500ポンド
オークションには、“続き”があった…?? 



~概要~

「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」は1963年11月22日に発表した2作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ(With the Beatles)』の収録曲です。
ビートルズがオリジナルではなく1957年のブロードウェイ・ミュージカル『Music Man』の劇中歌であり作者はアメリカの作曲家メレディス・ウィルソン(Meredith Willson)、女優Barbara Cookによって劇中で歌われました。

ビートルズがこの曲をレパートリーに入れた1962年(ハンブルグ巡業から)には同ミュージカルが映画化(歌唱はシャーリー・ジョーンズ)されていますが、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」を歌ったポール・マッカートニー本人は当初『Music Man』の曲とは知らなかったそうです。
ポールが「Till There Was You」を知ったのは、1961年にイギリスで30位を記録したアメリカの歌手ペギー・リーのカバーver.によってでした。

1963年7月18日、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」のレコーディングは始まり、ジョンもジョージもアコースティック系のギター(ギター・ソロはジョージ)というロック・バンドらしからぬ編成がなされていますが、さらに後日“この曲にドラムスは合わない”と“リンゴはボンゴ!”に回されています。
こうしたソフトなレパートリーはロックのコンサートには変わり種ですが、イギリス王室主催の『ロイヤル・ミュージック・パフォーマンス(The Royal Variety Performance)』のような場にはうってつけであり、後にこの音源は『The Beatles Anthology 1』に収録されました。

楽曲・アレンジ共に素朴な作品ですが、こうしたほのぼのしたテイストは後の自作曲「I'll Follow The Sun」(1964年)や「I will」「Blackbird」(1968年)など、“ポールに欠かすことのできない持ち味の雛型となった曲”といえるでしょう。
冒頭で紹介したデビュー前1962年1月のデッカ・オーディションの音源にはポールのヴォーカルやアレンジにもまだ野暮ったさがあり、この1年で見違えるほど彼らが成長を遂げていったことがよくわかるので聴き比べてみると面白いですよ♪

 
 



~Lyrics~

There were birds in the sky
空に、戯れあう鳥たち…
But I never saw them winging
だけど、その愛らしさもこの目に映らなかった

…飛んでいるのは、どんな鳥? (ボク…?

lyricsは同じでもアレンジや歌い方が違うと与える心象も変わるもので、ミュージカルver.を聴くと“遠くの空、優雅に飛びゆく白鳥”を思い浮かべますが、ここでの訳はビートルズver.のイメージを反映させたものです。
もちろんこれは聴く人によっても異なるでしょうが、私にとってビートルズver.には“のほほんとした優しさ”が感じられ、遠い空というより“近い空”、優雅な白鳥というより“愛らしい小鳥”が真っ先に浮かんだのでした。


They tell me in sweet fragrant meadows
…そして、教えてくれた
Of dawn and dew
朝露に濡れた草原の甘い芳(かぐわ)しさを

【dawn and dew】は[暁露]の方がより正確と思いますが“ぎょうろ”という仰々しい響きは、この曲に似つかわしくないでしょう?
夜の冷えで水蒸気が結露し夜が明け太陽が昇り気温が上がると、露の蒸発と共に大地のにおいを放散する…
日々繰り返される自然の営みですが、その芳香はまさに“露”と共に儚く消えてしまうもの。

“お寝坊さん”は、気づかない? 


There was love all around
世界は、こんなにも愛があふれていたのに
But I never heard it singing
その幸せの歌に、僕は耳を傾けようとしなかったんだね

この歌の主人公は“愛しい人”に出逢うことで、この世が“愛しいものに包まれている”ことを知りました。
すべてがバラ色に見えたかはわかりませんが、確かにそんな巡り合わせってあるものです。
でも“逆もまた真なり”で、一つの出逢いが周りの景色を一変させることもあれば、“何気ない周りの景色に愛しさ(幸せの歌)”を見出すことができる人だからこそ、“誰かを愛しい”と思えるのではないでしょうか…。

…あなたは、“幸せの歌”が聴こえていますか? 



~Epilogue~

Beatles - Till There Was You3
Sir George Martin 1926-2016

去る3月8日に亡くなったビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン(享年90)…
その偉大なる功績に敬意を表し、本記事を彼に捧げます。

ジョージ・マーティンの功績について、これまでも「In My Life」「Being for the Benefit of Mr. Kite!」などで触れてきました。
彼の死に際し、「Strawberry Fields Forever」や「A Day in the Life」などを取り上げるのが妥当といえますが、私は敢えて“出会い”をテーマとすることにしました。
何故なら、ジョンとポールという何十年~百年に一人の天才が同じ街に生まれ、出会い、パートナーとして活動を始めたこと自体“奇跡的”ではあるものの、それだけでは史実にあるような“本当の奇跡”はまず起きなかったと私は思っているからです。
その不可欠な要素こそが“ビートルズ愛”に溢れるマネージャーのブライアン・エプスタインとの出会いであり、“真の5人目のビートル”ジョージ・マーティンとの出会いであったと…。


1962年、デッカ・オーディションの不合格以降もビートルズの売り込みに苦戦を続けていたブライアンは、このオーディションで録音した音源からレコードを制作しレコード会社にデモとして配ることを思いつき、この時オックスフォード・ストリートのHMVでプレスした一枚が冒頭で触れた78回転盤の「Till There Was You / Hello Little Girl」でした。
そして、その際の担当者がビートルズに興味を持ちEMI系列の出版社のマネージャーを紹介してくれたため、そこからEMI傘下『Parlophone』のプロデューサーだったジョージ・マーティンと会う約束を取りつけることができました。

しかしブライアンがジョージに面会しレコードを聴いてもらうと彼の反応は芳しいものではなく、返答は“今かけてるこれで判断しろというなら、申し訳ないが断るしかない”でした。
この時のブライアンの落胆ぶりは相当なものだったようで、それを見たジョージは“ものすごく誠心誠意な若者だったので、本当に気の毒になって‘リヴァプールから連れてこれるなら、スタジオを1時間使っていいよ’”と、ついOKしてしまったそうです。

6月6日の午後、ビートルズがアビー・ロード第3スタジオに入ると、予定を大幅に延長し午後10時まで彼らの演奏を聴いてもらったもののこの時もジョージは“音楽は全くダメだと思った”そうです。
それでも彼は、この若者らに機材のことやプロの録音アーティストになるために彼らの何がどうダメなのか説明を重ねたといわれます。
その上で、ビートルズに対し“ずいぶん長々と言いたいことを言ってしまった。何も返事が無いようだけど、何か気に入らないことはあるか?”と尋ねました。
すると、メンバーの中からジョージ・ハリソンが…

“まず、おたくのネクタイが嫌いだ…”

このユーモアの利いた反撃に一堂の緊張が解け、以降互いにうち解けることができたそうです。
それが功を奏したか…結果、ジョージ・マーティンはビートルズと契約を結ぶことを決めました。
ジョージはその出会いについて、後にこう語っています。

“とてつもないカリスマ性だった。
一緒にいると、その分だけ自分の状態が良くなる。彼らがいなくなると、自分の何かが欠けたような気になる…
僕は恋に落ちたんだ。ただそれだけのことさ。”


No, I never saw them at all
あぁ…ただの一度もこの目に映らなかった
Till there was you
君に出逢うまでは

奇跡の歯車は、回り始めた・・・



「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」

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「カリフォルニア・ガールズ」ザ・ビーチ・ボーイズ

2016.03.18

category : Beach Boys

Beach Boys - California Girls1 Beach Boys - California Girls2


The Beach Boys - California Girls (1965年)



~一粒で二度おいしい…??~

3月23~26日に『50 Years of Good Vibrations』ツアーで来日公演を行うアメリカのロック・バンド、ザ・ビーチ・ボーイズ(マイク・ラヴ&ブルース・ジョンストン)。
一方4月12~15日には、ブライアン・ウィルソン&アル・ジャーディン(+ブロンディ・チャップリン)というお馴染みのビーチ・ボーイズ・メンバーが『ペット・サウンズ50周年アニバーサリー・ジャパン・ツアー』で来日予定です。
そして、その何れでも「California Girls」や「素敵じゃないか」(過去ログ)がセットリストに入っています。

これは“一粒で二度おいしい”と考えるべきか、それとも…?



~概要~

「カリフォルニア・ガールズ」はビーチ・ボーイズ1965年のアルバム『サマー・デイズ[Summer Days (and Summer Nights!!)]』の収録曲で、シングルとしてもBillboard Hot 100で3位(年間49位)を記録し、全世界で400~500万枚といわれる彼ら最大のセールスを挙げたヒット曲です。
時代を越えて愛され続けた作品で、『ロックの殿堂』は“500 Songs That Shaped Rock and Roll”に、『ローリングストーン誌』は“500 Greatest Songs of All Timeの71位”(2004年)と“Best Summer Songs of All Timeの4位”に、2010年には『グラミー殿堂賞(Grammy Hall Of Fame Award)』に選出されています。

作曲はブライアン・ウィルソンで、彼が初めて使用した麻薬による幻覚の経験が及ぼしたといわれています。
ブライアン自身“ビーチ・ボーイズの代表曲”と胸を張るほどの自信作であり、バッハの「Jesu, Joy of Man's Desiring(主よ、人の望みの喜びよ)」のリズムからインスピレーションを得ているそうで、特徴的な“シャッフル・ビート”(タンタ、タンタ…というリズム)もバッハから閃きを得たようです。

1960年代の“カリフォルニア・サウンドの象徴”とされるサウンドであり、ロネッツの「Be My Baby」(過去ログ)など“ウォール・オブ・サウンド”の生みの親であるフィル・スペクターを敬愛するブライアンのサウンドへの追及心は高まるばかりで、膨大な労力が費やされました。
カール・ウィルソンによる12弦ギターやブラス・セクション、オルガンなどで構成される美しいイントロはブライアンが満足するまで44テイクを要し、更にヴォーカル・トラックには2か月費やし何度もオーバー・ダブを積み重ねたそうです。

 



~ビーチ・ボーイズ以外の「California Girls」~

「California Girls」といえば、オリジナルのビーチ・ボーイズに劣らず有名なのが1984年12月にリリースされたデイヴィッド・リー・ロスver.でしょう♪
デイヴは言わずと知れたHR/HMバンド“Van Halen”(過去ログ)のヴォーカリストで、ソロ名義のEP『Crazy from the Heat』からのシングルとして発表し、Hot 100で3位を記録しました(直後にVHを脱退)。

このデイヴver.のバック・コーラスにはビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと、クリストファー・クロス(過去ログ)が参加したことでも話題を呼びましたが、それ以上に語られることが多いのが『MTV Video Music Awards』にもノミネートされたPVです。
何といってもデイヴ自身この歌を地でゆくようなキャラでハマっているし、“RothLosの観光案内をする”というダジャレをはじめ個性的な観光客やたくさんの水着ギャル、VH時代から定評のあるサービス精神旺盛(過剰?)な彼のパフォーマンスは本作の楽しさを増幅させてくれています♪

 

また、「California Gurls」といえば2010年にBillboardの年間4位(6週No.1)に輝き、近年若い世代の間でビーチ・ボーイズより有名になった作品があります。
それを成し遂げたのは自身が“リアル・カリフォルニア・ガール”であり、2015年11月現在“Twitter フォロワー数世界一”(約7,717万)という人気女性歌手ケイティ・ペリー

この曲はビーチ・ボーイズとは別の作品ですが、歌詞の最後の一節にビーチ・ボーイズでサビとして有名な[I wish they all could be California girls]が使われており実はこれが無断使用だったことが判明したものの、作詞者であるビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは“光栄に思っている。彼女の曲は素晴らしいと思うよ。世界中で成功することを願っている”と、逆にエールを送ったそうです。



~Lyrics~

Well East coast girls are hip
東海岸の女の子って、カッコいいな
I really dig those styles they wear
ホント、洋服のスタイルには感心する

【East coast】はまさにアメリカ東海岸で、世界が憧れる街“ニューヨーク”があります。
【hip】は“進んでいる・格好の良い・利口な”といった意味があり、まさに“都会の女”のイメージにぴったりです。
男たるもの、才色兼備の女性にググっとくるのは当然として、同性にとっても憧れの存在であることでしょう。

“ファッションの都”NYでは、最近こんなファッションが流行っている!? 
でも最先端のオシャレって、みなさん意外と気づいてくれないもののようです…。




And the Southern girls with the way they talk
それと、南部の娘の話し方ときたら…
They knock me out when I'm down there
ボクはもう、ノック・アウトされちゃうよ

アトランタ・オリンピックを開催したジョージア州やメキシコと国境を接する“テキサス州”などがこれに該当する地域です。
南部アメリカ英語には“southern drawl”と形容される、母音を引き伸ばして発音する独特の訛りがあり(例えばMy name is...を“マ― ネ―ム イ―ズ...”)、ゆったりとやわらかい響きがあります。

方言というと、昔は“地方出身者のコンプレックス”として上京するとそれを封印する人が大半でしたが、近年は“方言(女子)はかわいい”と持て囃されることもあるようで、特に人気なのが“京都弁”と“博多弁”です。
でも、何となく日本もアメリカも好まれる話し方には共通点がありそう…? 


The West coast has the sunshine
西海岸は太陽燦々
And the girls all get so tanned
女の子たちは、こんがり小麦色

やっぱり、“カリフォルニア・ガール”といえばこのイメージ? 
陽気で、おおらかでフレンドリー…
きっと当地の人々は、日本人が抱く“良い意味でのアメリカ人像”に多大に貢献していますネっ♪

やっぱり明るい太陽と温暖な気候が、そこに暮らす人々の気質に影響を及ぼすのでしょうか…。
もちろんカリフォルニアはビーチ・ボーイズのメンバーの故郷であり、彼らの音楽や精神風土もこの地の文化に根差しています。



~Epilogue~

愛らしいカリフォルニア・ガールのナンシー、あなたは私たち全員にとってインスピレーションでした…。

ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは3月7日、今回のツアーのステージでカリフォルニアに所縁ある偉大な一人の女性を悼みました。
彼女はカリフォルニア州のファースト・レディを務め、後にアメリカ合衆国のファースト・レディに登り詰めたロナルド・レーガン大統領夫人だったナンシー・レーガン(享年94/※彼女の出身はニューヨーク)。
レーガン夫妻は予て(かね)よりビーチ・ボーイズのファンであり、彼らは1985年の大統領就任式後の舞踏会で夫妻のために歌った「Their Hearts Were Full of Spring」を、見事なコーラスと共にアカペラで彼女に捧げました。


I wish they all could be California
あぁ…どの娘もみんな
I wish they all could be California girls
カリフォルニア・ガールだったらいいのに


でも愛らしいのは、何もカリフォルニア・ガールだけじゃありませんよね?
日本にだって、“秋田美人”・“京美人”・“博多美人”(いわゆる日本三大美人)があります!
秋田美人は色白で手足が長くハーフのような顔立ち(佐々木希など)、京美人は品があっておっとりとした話し方(中村玉緒など)、博多美人はオシャレで明るく人懐っこい性格(浜崎あゆみなど)…という特徴があるそうです。
何れにも共通しているのは健康的な美しさと、人を癒し元気にさせる内面的魅力を兼ね備えているトコロでしょう…。
やっぱり日本人には、“大和撫子”が一番ですネっ!” 

“セクシー自慢のカリフォルニア・ガールが、キミを待っているよ~♪” 
(カリフォルニア出身の有名人;ベリンダ・カーライル、グウェン・ステファニー、アンジェリーナ・ジョリー、ミシェル・ファイファー、キャメロン・ディアス、マリリン・モンロー…)

うぅ~む… (コラっ、そこで悩むなっ!



「カリフォルニア・ガールズ」

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「ペニー・レイン」ビートルズ

2016.03.11

category : Beatles & Solo

Beatles - Penny Lane1 Beatles - Penny Lane2


The Beatles - Penny Lane (1967年)



~ジョン・レノン、髪を切る。~

ジョン・レノンは1967年に『ジョン・レノンの 僕の戦争 How I Won the War』という作品で、ビートルズ以外では初めて映画に出演しました。
その際ジョンは兵士役を演じるため長髪をバッサリ切り落としていますが、その時の毛髪が半世紀を経て先日オークションされた…というハナシ。
出品者はハンブルクの理髪師(映画の撮影はドイツだった)で、長さ約10センチの髪の束《写真》は2月20日の競売で3万5000ドル(約400万円)で落札されたそうです。

…ということで、本日は“床屋さん”を舞台としたビートルズ作品のご紹介です♪
(※先日亡くなったジョージ・マーティンについては、後日改めて特集いたします。)

Beatles - Penny Lane3 



~概要~

「ペニー・レイン」は1967年2月(英;17日/米;13日)にリリースした14枚目のオリジナル・シングル(「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と両A面)で、イギリスでは1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)以来“4年ぶりに1位になれなかった”(3週2位)と騒がれたのは、ビートルズならではといえるのでしょう。
ビートルズ歴代でも屈指といえるこの超強力両A面シングルのNo.1を阻んだのはエンゲルベルト・フンパーディンクの「Release Me」という曲で、この出来事についてリンゴ・スターは“連続No.1がプレッシャーだったのでホッとした”と振り返り、『全曲解説シリーズ(2) ザ・ビートルズ』(邦題)でジョン・ロバートソンは“こんな結果になったことは、当時イギリスのレコード購買層だった者全員にとって永遠に恥じるべき”とまで言及しました。
一方アメリカBillboard Hot 100では「ペニー・レイン」が単独A面で、ビートルズ13番目のNo.1(1週/年間55位)に輝いています。
また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Timeで449位”にもランクインしている楽曲でもあります。

作者&リードヴォーカルはポール・マッカートニー(詞の一部をジョンが手伝っている)で、彼は以前から故郷リヴァプールにある“Penny Lane”という地名に詩的な響きを感じそれをモチーフとした曲を作りたいと願望していたらしく、ジョンが故郷を題材とした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に取り掛かったのに触発され、本格的に創作を始めたといわれています。
「ペニー・レイン」は大ヒット曲であるにも拘らず公式アルバムに収められなかったため、同曲が収録された米キャピトル編集盤のサウンド・トラック『マジカル・ミステリー・ツアー』が長らく重宝されました。

ポップで聴き易い曲ですが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のセッションで録音されているため、サウンドはビートルズの中で最も手間が掛けられた作品の一つといえます。
レコーディングには1966年12月29日から1ヶ月近く費やしており、その間何度も録音→リダクション(トラックを整理)→オーバー・ダビングを繰り返し、特にピアノはポール、ジョン、ジョージ・マーティンらで6~7回ダビングを重ねたそうです。
それでもまだポールが満足できずいた1月11日の夜、BBCで放送されていたクラシック・コンサートでバッハの「ブランデンブルグ協奏曲第二番ホ長調」のトランペットに閃きを覚え、早速翌日この奏者デヴィッド・メイスンを呼び寄せいろいろ試した結果バロック調の“ピッコロ・トランペット”が選ばれ、「Penny Lane」で印象的なあの目の覚めるような間奏ソロが取り入れられました。

ビートルズのアウトテイク集『The Beatles' Anthology 2』ではさまざまなテイクからの音源を一つにした編集になっていますが、確かにあのトランペット・ソロが無いと気の抜けたサイダーのような物足りなさを覚え、ポールが最後までここに拘った理由がよくわかります。
「ペニー・レイン」はツアーをやめた直後の作品なのでビートルズでのライブ演奏は実現しておらず(何れにしても当時の機材では再現しようもない)、ポールがソロになってからの映像でお楽しみください♪

 



~Lyrics~

In Penny Lane there is a barber showing photographs
ペニー・レインにある床屋さんは、カットした
Of every head he's had the pleasure to know
数々の写真を人に見せるのが生き甲斐

イギリスにはイタリア系の理髪店が多いそうで、ポールによるとこの床屋はペニー・レインに実在した『BIOLETTI』《写真》というお店をモデルにしており(PVにもチラッと映っている)、写真が貼ってあったり立ち止まって挨拶を交わすクダリも実話だそうです。
現在もこの建物はありますが『BIOLETTI』は無くなっており、『Tony Slavin』という別の床屋が入っています。
ちなみに大のビートルズ・ファンとして知られる森高千里はこの地にオマージュを込めた「Tony Slavin」という作品を発表していますよ。(PVは“ご当地巡り”となっていて、ビートルズ・ファンも楽しめます♪)

Beatles - Penny Lane4 


And the banker never wears a mac
だってこのお偉いさん、どんな土砂降りでも
In the pouring rain, very strange
レイン・コートを着ないんだ…おかしいね?

【mac】は[Macintosh]の略で、スコットランドの化学者チャールズ・マッキントッシュが1823年にゴム製の防水布を発明したことから“レインコート”が生まれました。
もちろん、[McCartney]姓を持つ“ポールのあだ名”に引っ掛けてもいますよ♪

何故、彼は土砂降りでもレイン・コートを着ないのだろう…
なんて、真剣に考えた方はいませんか?
このエピソードについて、ポール本人は“多少でっち上げた”と語っているそうです。
…おかしいね? 


A four of fish and finger pies
4つの“フィッシュ・アンド・フィンガー・パイ”
In summer, meanwhile back
夏がくると、あの頃を思い出す

【fish and finger pies】は、素直に考えるとイギリスを代表する料理[fish-and-chips]を想像するでしょう。
ポールはこの点について、“殆んどの人は聞いたこともないだろうしご婦人方は決して口にしないだろうけど、【finger pies】は猥(わい)談好きなリヴァプールの若者にとってちょっとした冗談なんだ”と語っています。
すなわち【fish】【finger】【pies】は何れも“スラング的には性的表現”であり、夏がくるとそれを思い出すと言いたいらしい…? 


Behind the shelter in the middle of a roundabout
ラウンドアバウトの真ん中にある待合所の後ろで
The pretty nurse is selling poppies from a tray
かわいいナースがトレーを下げてヒナゲシを売っているよ

Beatles - Penny Lane5

【roundabout】は“環状交差点”を意味する主にイギリスで用いられる言葉で、日本ではアメリカ式の“ロータリー(rotary)”の方が一般的でしょう。
PVでこのフレーズの一瞬にチラッと流れる“バスロータリー”《写真》は実際ペニー・レインにあるもので、具体的にはこれをモデルとしていると思われます。

イギリスには戦没者を追悼する“Remembrance Day(11月11日)”という記念日があって、募金の協力者に赤いヒナゲシの造花を配ることから“Poppy Day”とも呼ばれています。
ちなみに、1995年にリリースされた「Free as a Bird」のPVにはこのフレーズを想起させるワン・シーンが込められているので、見逃していた方はリンクからどうぞ♪



~Epilogue~

ビートルズの故郷リヴァプール (Liverpool) は“海商都市リヴァプール”として世界遺産にも登録されるイギリスの歴史上も重要な役割を果たしてきた港町ですが、その発展の陰には“奴隷貿易の拠点”という負の歴史もある町です。
このうち【Penny Lane】はリヴァプールにある“通り(及び地区)の名前”であり、その歴史を物語るように名称は奴隷商人ジェイムズ・ペニーに由来しています。

報道によるとリヴァプール市議会は先日、ビートルズが同市に与える経済および文化的影響について『Beatles Heritage In Liverpool And Its Economic And Cultural Sector Impact』なる報告書として初めて発表しました。
それによると人口約43万人のリヴァプール市に於いて、解散後40年以上経つにも拘らずビートルズに関連する経済効果は毎年15%伸びており、その額は8,200万ポンド(約137億円)/年にも及んでいるといいます。


Penny Lane is in my ears and in my eyes
ペニー・レインは、今も僕の目と耳に残る故郷の情景
There beneath the blue suburban skies
街はずれの青い空の下
I sit, and meanwhile back
そこに座り、あの頃を思い出す


ビートルズのメンバーにとってペニー・レインは家からはおよそ2~3km離れた場所に位置し、ポールにとっては母校Liverpool Instituteやビートルズの演奏拠点だったCavern Clubへの通り道にあり、とりわけジョンは実際に住んだこともあったそうです。
「Penny Lane」に登場する人々は彼らのような大スターではなく、地元の人しか知らないようなごく普通の人たちばかり。

日本のお笑い界の大御所・志村けんの、彼が得意とする“爺さんコント”や“変なおじさん”は小学校教諭だった父・憲司さんをモデルにしたといわれ、また芸名の“けん”(本名;康徳)も父の名前から取ったものだそうです。
そう考えてみると、私たちの何気ない日常の中にもユーモアたっぷりで“おかしいね?”と思わずツッコミを入れたくなるような魅力的な人たちが埋もれているのかもしれません。

あした街を歩くあなたに、そんな楽しい出会いがありますように♪ 



「ペニー・レイン」

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「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」オリビア・ニュートン=ジョン

2016.03.04

category : Olivia Newton-John

Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads1 Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads2


Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads (1973年)



~故郷へ帰りたい~

2016年2月10日現在まで2万4,608人の死者・行方不明者を出した東日本大震災の発生から、間もなく5年。
復興庁によると全国の避難者等の数は今年2月12日現在17万4,471人で、これはピーク時(34万6,987人)の1/2であるものの、一方で“5年経ってもまだ半数は避難生活のまま”という厳しい現実を示す数字でもあります。
また、同庁によると震災関連死(避難生活下での体調悪化や自殺による死)による死者数は2015年9月30日現在3,407人を数えており、特に福島県に於いては地震による直接死の数を上回っています。

昨年“シリア難民問題”が世界を揺るがし多くの関心が寄せられましたが、今この国にも5年間故郷を離れ避難生活を強いられたままの多くの人たちがいる…。



~概要~

「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」はオリビア・ニュートン=ジョンの1973年のアルバム『Let Me Be There』の収録曲で、1stシングルとしてリリースされますがBillboard Hot 100では119位と全くヒットせず、辛うじてイギリスで15位を記録しています。

その後、日本では1976年に朝の情報番組『おはよう700』の看板コーナーで、アメリカ大陸を自動車で縦断する国外取材記“キャラバンII”のテーマ曲に採用されると人気に火が付き、「たそがれの恋」との両A面でシングルカットされオリコン洋楽チャートで11月29日付から15週連続1位という大ヒット(37.6万枚)となり、お茶の間の誰もが知る洋楽曲となりました。
(「故郷へ帰りたい」というタイトルなのに遠い異国を旅するテーマというのも、アレですが?

また、1995年にはスタジオ・ジブリのアニメ映画『耳をすませば』のオープニングにオリビアver.が再び採用されただけでなく、映画の主人公・月島雫が作詞し歌う(※)挿入歌/エンディングとなったことから、再び脚光を浴びたことをご記憶の方も多いでしょう。
(※実際の作詞は鈴木敏夫の娘・鈴木麻実子と宮崎駿、歌は月島雫を演じた本名陽子)
ちなみに、この日本語カバーの歌詞もオリジナルとは真逆の“…帰れない、さよならカントリー・ロード”という内容になっています!

一方「Take Me Home, Country Roads」のオリジナルはオリビアではなく、アメリカのカントリー歌手ジョン・デンバーが1971年に発表しHot 100で2位(年間8位)の大ヒットを記録した作品です。
元々この楽曲は夫婦デュオ“Fat City”のビル・ダノフ(Bill Danoff)とタフィー・ナイバート(Taffy Nivert)の共作であり、当初メリーランド近くの曲がりくねった道から着想を得たバラードとして創作したものでした。
二人はこれを人気カントリー歌手ジョニー・キャッシュの所に売り込むつもりでしたが、ジョンが気に入って歌いたがったので予定を変更し、彼に合うよう舞台をウェスト・バージニア州にするなど3人で手直ししたそうです。
ここで紹介するジョン・デンバーver.はその3人が共演した貴重な映像となっていますので、お楽しみください♪

 



~Lyrics~

Almost heaven, West Virginia
天空の地、ウエスト・バージニア
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
ブルー・リッジ山脈に、シェナンドー川

現在アメリカは大統領選挙・予備選の真っ最中ですが、候補者の一人ヒラリー・クリントンは2008年のウェスト・バージニア州民主党予備選の演説で“You know, like the song says, 'It's almost heaven.'”と、このラインを引用し同州で大勝利を収めたそうです。
ウェスト・バージニア州はアメリカ東部にある面積・人口共に小さな州で、すべての地域が山岳内にあることから“山岳州(The Mountain State)”とあだ名されています。
ただし、実際は「カントリー・ロード」で紹介している“[ブルー・リッジ山脈]は全く同州を通っておらず、[シェナンドー川]も僅かにかすめる程度”なのだそうです!
これは本作の作者である3人ともが同州の出身ではなく、当時十分確かめず発表してしまったために生じた誤解であり、このためジョン・デンバーは当地で歌う際は確かに同州に位置する[Appalachian Mountains(アパラチア山脈)]・[Monongahela River(モノンガヒラ川)]と言葉を替えて歌っていたそうです。

…とはいうものの本作は当地で熱烈に歓迎されており、「Take Me Home, Country Roads」は2014年に公式にウェスト・バージニア州の4番目の州歌となっています。


All my memories gathered 'round her
思い出すのは、彼女にまつわることばかり
Miner's lady, stranger to blue water
鉱夫に囲まれ、青海原を知らぬ女性(ひと)

歌に度々登場する【her】は、どうやら主人公の思慕の対象者であることが理解できるでしょう。
これを男性のジョン・デンバーが歌うと“初恋の相手”かもしれないし、女性のオリビアだと“お母さん”…なのかもしれません。
また、[her]に限らず歌に登場する風景の一つひとつが“故郷=母のぬくもり”のイメージと重ねられているような気もします。

ウェスト・バージニアは国内第2位の石炭生産量を誇る一大産地であり、内陸にあるため【blue water(海)】には面していません。
【Miner's lady】は、[her]を母とするか娘とするかで随分イメージが変わってきそう…?


Dark and dusty, painted on the sky
暗く、塵まみれの空気が覆う空
Misty taste of moonshine
ぼんやりとした味の“ムーンシャイン”

ウェスト・バージニアは森林や自然の豊かな土地ですが“炭鉱の町が故に、空が【Dark and dusty】”とイメージしました。
【moonshine】は“密造酒”のことで、アメリカでは特に“ウィスキー”が多いようです。
自己流で造った酒なので当然ちゃんとした製品の味には程遠く、【Misty(かすみのかかった・薄ぼんやりとした)】という表現から察するに、正直あんまり美味しくはないのでしょう。
でも、その独特な風味だからこそ“郷愁”を誘うものなのかもしれません…。



~Epilogue~

つい先日、震災後の被災地に生きる一人の男性(58)についてのニュースを見ました。
建物の9割が被災し死者・行方不明者827人を出した宮城県女川町に暮らす彼は、津波で22年間連れ添った奥さまが行方不明となってしまいました。
彼女の捜索はダイバーに任せるより外はなかったものの、“人任せではいけない”と一念発起し自ら潜水士の国家資格を取得。
行方不明者捜索チームに参加し活動を続けてきましたが、現在もまだ彼女を発見できてはいないそうです。

ここまできたら、無事でないことは解かっている。
でもこのまま冷たい海でというのも可哀そうだし、最後(津波に飲まれる直前)のメールに‘帰りたい’とあったので、今でも帰りたいだろう。
だから迎えに行きたい。遺骨の一部でも連れて帰りたい。



Country Roads, take me home
カントリー・ロード、連れて行っておくれ…
To the place I belong
私の、あるべき場所


…そして、ここにも“故郷へ帰りたい人たち”がいます。

7月には参議院選挙があり、巷では安倍首相はそれに合わせ2014年12月に改選したばかりの衆議院も解散し“衆参ダブル選挙”にする腹づもりと囁かれているからです。
もちろんこれについて首相本人は否定し続けていますが、“それが自民党に有利であるなら必ずやる”でしょう。
そういう状況にある現在、殆んどの国会議員の関心を占めているものは“選挙”です。

しかしあなたは任期中の国会議員であり、国民のため第一に果たさねばならない職務があることをどうか忘れないでください。
今この瞬間も震災の苦しみと闘い、心の傷を負ったままの国民がたくさんいることを…。



「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」

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