I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴズ~アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」ピンク・フロイド

2017.04.28

category : Pink Floyd

Pink Floyd - Another Brick In The Wall1 Pink Floyd - Another Brick In The Wall2


Pink Floyd - The Happiest Days Of Our Lives / Another Brick In The Wall (1979年)



~今、そこにある危機~

本記事構想は4月上旬、新聞に“文部科学省が新学習指導要領で中学校体育の武道種目に【銃剣道】を明記”との記事を見つけ、驚いたことでした。
あまりの突拍子のなさに思わず[柔剣道]の誤植かと自分の目を疑いましたが、読み進めてゆくとどうやら誤植ではありません…。

ご存知ない方のために説明を加えると【銃剣道】は17世紀フランス伝来の西洋式銃剣術で、兵士が携帯する小銃(ライフル銃)の先に短剣を装着し、白兵戦の際に槍のようにして敵を刺突する戦闘術です。
明治時代に日本の軍隊に導入されましたが火砲が主力の時代に実用性などあるはずもなく、“弾が尽きたら槍で突撃”という精神性が重視され訓練が継続、第二次大戦で敗戦直前に女性や子供に火砲を持ったアメリカ軍に竹槍で突撃せよと訓練したのも日本式銃剣術でした。
(※現在も銃剣道は自衛隊の近接戦闘術として木銃を用いて競技・訓練が続けられています)

そんな“忌まわしき過去の遺物”が、なぜ今さら現代の子供たちの教育に復活?



~概要~

「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴ」「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」は“五大プログレ・バンド”に数えられるイギリスのロック・バンド、ピンク・フロイド1979年のアルバム『ザ・ウォール (The Wall)』の収録曲です。

本アルバムはメンバーのロジャー・ウォーターズが自身を模した“ピンク”を主人公とするロック・オペラの形式を採ったコンセプト・アルバムとなっており、この2曲はロジャーが演じるピンクの人生の物語の一部を構成しています。
当時ピンク・フロイドは資産運用が失敗し大きな損失を出してしまったため、それを補てんし得る大規模なプロジェクトの必要性に迫られ、ロジャーが壮大な構想を練り上げました。
しかしこの試みは想定以上に当たり、『The Wall』はBillboard 200で15週連続No.1を記録、現在まで売り上げ3000万枚までに達するなど、“世界で最も売れた2枚組アルバム”となっています。

一方でこの構想は直後のツアー『The Wall Performed Live』にも反映され、ステージに“The Wall”を築き、アルバムの1枚目・2枚目をそれぞれ第一部・第二部として前例のないスケールで再現するなど、ローリングストーン誌に“ロック・コンサートの概念を一夜にして変えた”とまで絶賛されたものの、そのあまりのスケールの大きさに経費がかさんでしまい思ったほどの収益が挙げられなかったとか…?

さらに構想は続き、1982年には『The Wall』の音楽とストーリーをそのまま映像化した映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール(Pink Floyd The Wall)』が制作されたものの、ほとんどセリフもなくあまりに難解でシリアスな内容だったため、こちらはヒットせず…
…しかし!
それから35年経った今年、ロジャーの25年ぶりの新作『Is This the Life We Really Want?』リリースを記念して、6月21日(水)にZepp DiverCity(TOKYO)とZepp Namba(OSAKA)で“ライヴ絶響上映(スタンディング&歓声OK)”が決定しているそうです(ちなみに今年はピンク・フロイドデビュー50周年でもある)!


『The Wall』自体、作者であるロジャーの半生を投影したといえる作品ですが、「The Happiest Days Of Our Lives」は特にその青春時代を反映したもので、本人によると学校教育を否定的に思える経験が実際にあったようです。

「Another Brick in the Wall」はアルバムではPart IからIIIまでありPart Iは“Reminiscing(回顧)”、Part IIは“Education(教育)”、Part IIIが“Drugs(薬物)”という仮タイトルで呼ばれていました。
このうち【Part II】が先行シングルとして発売され、Billboard Hot 100で4週No.1(1980年の年間2位)を記録するなど世界中で大ヒットに至っています。
また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 375位”にランクされた名曲でもあります。

 
 



~Lyrics~

You! Yes, you! Stand still laddy
(おまえ!…そう、おまえだ! 小童、そこを動くな!)

この「The Happiest Days Of Our Lives」の導入部分での“叫び声”は、非常にインパクトがあります。
アルバムでこのフレーズを叫んでいるのはロジャー・ウォーターズですが、映画(メイン動画)で叫んでいるのは教師役を演じたAlex McAvoyというスコットランドの俳優さんで《写真・左》、正直彼(Alex McAvoy)の声の方が迫力があって怖いです!(顔も?)
ちなみに【laddy】もスコットランドの方言(若い人)で、当初このシーンに“教師の人形”を登場させるつもりであったもののしっくりいかず、彼を立たせたのだとか…。

Pink Floyd - Another Brick In The Wall3 Pink Floyd - Another Brick In The Wall4

There were certain teachers who would
そこには、ありとあらゆる手段を講じてまでも
Hurt the children any way they could
子どもを傷つけようとする教師たちがいた

…ところでこの映画の学校の感じや登場する教師の子どもに対する威圧的な態度は、何処かで見たことがあるような気がしませんか(生徒のお尻を叩くところとか)?
実はこの映画の監督アラン・パーカーは日本でも有名な1971年の学園映画『小さな恋のメロディ』の脚本を書いた人であり、とても同一人物が手掛けたとは思えないほどの世界観のギャップがあります。

意外といえばこの映画で主役を演じたボブ・ゲルドフ《写真・右》は後にあのバンド・エイドやライヴ・エイドの仕掛け人となった人で、当初はロジャー自身が主役を務める予定でしたがあまりにも演技がヘタだったため降ろされたのだとか…。


All in all it's just another brick in the wall
…でもつまりは、壁の中のレンガの一つになれというんでしょ?
All in all you're just another brick in the wall
あなたたちが、そうであるように…

「Another Brick in the Wall」の特徴的な一つは、フレーズを“子どもたちのコーラス”に丸々歌わせていることでしょう。
子どもたちのコーラスを入れるアイデアはアリス・クーパーの「School's Out」のプロデューサーも務めたボブ・エズリンによるものですが、当初は“単なるバック・コーラス”のつもりでした。
しかし依頼して手元に届いたコーラスは“子どもたち一人ひとりに違う歌い方で歌わせた24トラックの音源”だったそうで、デヴィッド・ギルモアによると“あまりに素晴らしい出来だったのでそのまま使うことにした”のだそうです。

…しかし後日談が、“アチラのお国柄”らしいといえます。
このコーラスの提供により学校側には1000ポンド支払われていたそうですが、この曲のあまりの大ヒットと作品に対する貢献度の大きさから、2004年に彼らから追加のロイヤリティを請求されてしまったそうです!



~昭和、憲法、そして子どもの未来~

この所、銃剣道だけでなく【道徳の教科化】や【道徳教科書検定】など学校教育に関して“権力の一連”を思わせる動きが続きました。
また、安倍首相夫人が名誉校長を務めることが決まっていた(問題の発覚で辞任)学校法人・森友学園が、所属する幼稚園児に戦前の教育勅語や軍歌を唱えさせ、中国人や在日韓国人を蔑視するような宣誓をさせていたり、あるいは自衛隊を司る現役の稲田防衛大臣が“教育勅語の核の部分は取り戻すべき”と国会で発言するなど、戦前の軍国教育の象徴である【教育勅語】に今の最高権力者周辺人物が共感を覚えている言及も目立ちました。

【教育勅語】は明治~終戦までの教育の最高規範であり、“孝行・仲良く・信じ合え・慎め・慈愛・勉学仕事に励め・秩序に従え…”など一見当たり前な徳目が説かれる一方で、日本を戦争の大惨禍へと導いたその精神の中核こそが次の一文です。

一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

Wikipediaによると、教育勅語は明治天皇が時の内閣総理大臣・山県有朋に対し与えた【勅語(天皇が口頭により発したお言葉)】とする体裁は採っているものの、実際は第1次山縣内閣が起草(案文を作る)したものです。
山縣有朋氏は【治安警察法】など自由民権運動を弾圧し天皇と国家神道支配を強化、軍事拡大を推し進め【国軍の父】【日本軍閥の祖】の異名を取った陸軍軍人で、安倍首相にとっては尊敬すべき同郷(長州)の先人に当たります。

教育勅語の原文は漢文調で一般には現代語訳を必要としますが、多くの保守系政治・思想家の人が引用する【国民道徳協会】の訳文では“皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ(皇室国家の為につくせ)”という本文最大の目的であるはずの言葉を用いることなく紹介されています。
調べてみるとこの国民道徳協会なる団体は、戦時中に[海軍大本営情報局に従事し戦後自民党の国会議員]となった佐々木盛雄氏がつくった団体で、“学生暴動は教育勅語を廃止したせい”、“国益を無視した個人の権利主張は一億総無責任”、“デモを規制しろ”といった[極右思想を持った人物による訳文]でした。

この訳文が1979年に明治神宮や生長の家など宗教右派団体が中心となって運営する【日本を守る会(現在の[日本会議]の前身)】らの教育勅語キャンペーンに採用され、現在も彼らの思想信条の正当性を示す根拠となっているのです。
しかし、こうした極端な思想を広く国民に対してそのまま記述すると拒否反応を示されることは彼ら自身もよく承知しており、それが故に最大の障壁である“皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ”を訳文には入れず[ソフトな印象を与え支持者拡大を図る狙い]があって作られたと思われます。


また、憲法改定が最大の目標である安倍政権は“【教育無償化】を改憲の突破口に!”という動きもあります。
ご存知のように憲法26条第2項は“義務教育は、これを無償とする”としていますが、彼らはこれを“義務教育以外は無償化できない”と曲解することで改憲の賛同を得ようというのです(純粋に読めば、この一文は“義務教育は無償”一点のみを規定し、それ以外は何も言及(制限)していない)。

そもそも教育無償化は貧困家庭の就学支援が最大の目的であり、そうであるなら改憲などという不確実で歳月を要する手段を採るより議会の圧倒的多数を持つ自民党が【返済不要の給付型奨学金】の法案を提出すればすぐに彼らを救えます(現に低所得世帯の大学生らを対象にした【改正日本学生支援機構法】はこの3/31に成立、4/1から施行されている)。


先頃メディアを賑わせた森友学園の、園児に対する軍国・極右教育に衝撃を覚えつつも、どこか“あれは例外的”と自分には関係のない別世界のことと思っておられる方も多いことでしょう。
私もそうでした、【中学校体育で銃剣道】の記事を見るまでは…。
もちろん銃剣道は選択肢の一つであって必修ではありませんが、公教育の場でそれが実施されるという点に於いて微小な森友学園とは影響力の規模が違います。
これまで安倍政権は【特定秘密保護法】や【マイナンバー法】、そして現在審議中の【テロ等準備罪(共謀罪)法案】など[国民の自由や権利を削ぎ自らの統制力を拡大するための法整備]を強引に推し進めてきましたが、今回調べてみて安倍氏の国民統制への執念は想像以上で、ここに来てさらに[個人の思想信条や各家庭内での子育てなどへの統制を加速]させる動きをみせており、戦前復古が現実のものとなる危機感を私の心に募らせる結果となりました。

その一つは安倍氏とも親しい元小学校教諭・向山洋一氏が代表を務める【TOSS(教育技術法則化運動)】に全国1万人超の小中学校の教師を集め[日本の正しいすがた(日本の領土・領海、日本の歴史、靖国神社の位置づけなど)]を子どもに広める教育を推進させ、また安倍首相自らもその私的セミナーにメッセージを送るなどの力の入れようで、TOSSは[安倍教育親衛隊]とも呼ばれているそうです。
更に、各家庭の統制について自民党は今国会で【家庭教育支援法】の成立を目指しており、この法律は名目上[教育支援]となっていますがその実は“戦前の価値観に基づき、愛国的で国家に貢献する子どもを育成する家庭を支援する”もので、もちろんこれも日本会議(高橋史朗氏)監修による思想統制の一つです。


教育と矯正、宗教、暗示、催眠、洗脳、統制、強制、・・・・・・・・・・・奴隷

これらは、“誰かの働きかけによって他者を意図した方向へ誘導し得る行為”という意味に於いて同質です。
辞書によると【教育】とは“他人に対して意図的な働きかけを行うことによって,その人を[望ましい方向]へ変化させること”であり、誤るとそれは【奴隷】(人間としての権利・自由を認められず,他人の所有物として取り扱われる人)扱いと変わりありません。

【強制】から、愛や尊敬は生まれない。
愛や尊敬を求めるなら、まずあなた自身がそれに値する徳を備えなければならない。



We don't need no education
教育なんていらない
We don't need no thought control
洗脳なんて、いらない

一つの価値しか認めない働きかけは、公教育ではない。



「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴズ~アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」

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「恋することのもどかしさ」ポール・マッカートニー

2017.04.21

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Maybe Im Amazed1 Paul McCartney - Maybe Im Amazed2


Paul McCartney - Maybe I'm Amazed (1970年)



~ポール・マッカートニー ワン・オン・ワン ジャパン・ツアー2017~

23日(日)19:09、ポール・マッカートニーが羽田空港に到着、いよいよ25日からポールの来日公演が始まります!
今回は日本武道館と東京ドームでの4公演のみの予定ですが、愛妻家の彼らしくナンシー夫人を同行し、いつもの元気な笑顔をみせてくれました。

ワン・オン・ワン ジャパン・ツアーについてはポール本人から日本のみなさんにたくさんのメッセージが届けられているので、ご本人にご紹介いただきましょう♪
(…それにしてもただのプロモ動画なのに、いちいち演出が派手!?

 



~概要~

「恋することのもどかしさ」はポール・マッカートニーが1970年4月17日に発表した1stソロ・アルバム『ポール・マッカートニー(McCartney)』の収録曲です。
当時のシングル・カットはありませんでしたが、その後ポールが結成したウイングス(Wings)のワールド・ツアーで演奏され、そのアメリカ公演の模様を記録した1976年のライブ・アルバム『Wings Over America』から「Maybe I'm Amazed」のライブver.がシングルとしてリリース、US Billboard Hot 100で10位を記録しました。
(このバージョンは日本でもシングル・カットされましたが、それには「ハートのささやき」という1970年と異なる邦題が付けられていました…《写真》)

『McCartney』は、1970年4月10日のポールの“ビートルズ脱退表明”以前に制作されたものであり、収録曲は何れも彼がビートルズ在籍時に創作したものです。
しかしレコーディングの多くは音楽スタジオでさえないポール所有の別荘で、しかも楽器演奏とプロデュースを殆んど彼一人で行った荒削りなサウンドであったため、アルバム自体は当時の評論家から酷評されました。

一方「Maybe I'm Amazed」はロッド・スチュワートが在籍したフェイセズが1971年にカバーするなど評価が高く、ローリング・ストーン誌も“The 500 Greatest Songs of All Timeの338位”と、極めて高い評価を与えています(ビートルズ以外でランクインするポールの唯一の曲)。
ポール自身も“このアルバムで最高の作品”と認めているお気に入りで、ウイングス時代から彼のツアーの殆んどで演奏されてきたセット・リストの常連曲です。

時代を超えて愛され続ける要因には、ビートルズ時代に培った「The Long And Winding Road」の“哀愁”と、「Helter Skelter」の“熱情”を一つの作品の中で両立する至難を具現させていることにあるといえるのでしょう…。
こうした至難は、その対極にあるテイストを難なく歌いこなすポールのヴォーカリストとしての表現力の豊かさがあって初めて成立するものであり、それこそが甘いだけのバラードにはないこの曲の魅力となっているのです。

 
 



~Lyrics~

Baby, I'm amazed at the way
驚いてる
you love me all the time
どんなときも、僕を愛してくれる君に

“驚かせる”というと【surprise】が一般的ですがこれは特に“予期しないことで驚かせる”ことを意味し、辞書によると【amaze】は相手がおろおろしたり途方に暮れたりするくらいの驚きを与える“びっくり仰天させる”と定義されています。

「All My Loving」や「And I Love Her」ほか、ビートルズ時代のポールによる数々のラブ・ソングが捧げられた女優ジェーン・アッシャーとは1967年のクリスマスに婚約まで至っているものの、それから僅か約7ヶ月後には婚約破棄という結果に終わってしまいました。
たぶんポールがリンダを生涯の伴侶に選んだ最大の要因はこの【you love me all the time】で、それに対しジェーンはポールの妻であることより女優である自分に価値を置いていたといわれます。
(もっとも、ジェーンの側からすると別れた原因はポールの浮気 


Who's in the middle of something
もやもやした何かの中で
That he doesn't really understand.
“答え”を見出せず、彷徨っているだけの

1967年末~1970年頃、ポールに“もやもや”を与えていたのはジェーンとの破局だけではありませんでした。

『サージェント・ペパーズ~』で“史上最高”の評価を得るもののそれは同時に次作以降への重荷を背負うことであり、ますますバンドとしての結束を必要としていた時にマネージャーのブライアン・エプスタインを亡くし、これによりそれまで彼が担ってきたメンバー間の調整やビジネス経営、著作権の管理など、実に多岐に亘る問題を彼ら自身が突き付けられることとなります。

しかし、その何れも上手く回ってはゆかず…。


you pulled me out of time,
君が、時間の外へと連れ出し
You hung me on the line
境界線にいる僕を見守り続けてくれたこと

そんな内憂外患な【time】から逃れるためにポールはこの時期“浮き名”を流すようなことも重ねていたようですが、所詮それらは一時凌ぎにしかなりませんでした。
何故なら、【on the line】にいる人を一時的に【pulled me out of time(時間の外へと引き出す)】ことはできても、最後まで【hang on(手放すことなくじっと見守る)】ことは誰にでもできることではないからです。

しかし、とうとうポールはその相手を見つけました…。 



~Epilogue~


ポールの苦悩…
それは1969年9月20日、ビートルズの長年の相棒ジョン・レノンの一言に極まりました。
この日ビートルズの4人はキャピトル・レコードとの契約更新のサインのためアップル社で会していますが、その席上で“小規模なギグからコンサートを再開したい”というポールの提案に対し、ジョンはこう言い放ちました…

お前はアホか?…もうたくさんだ、俺は辞める!

ジョンによる“脱退宣言”は契約違反のため公にはされなかったものの、これ以降彼がビートルズとしてスタジオに戻ることはありませんでした。
この事件によって、誰よりもビートルズ存続を強く願い続けてきたポールの希望は完全に断たれ、そのあまりのショックに彼はスコットランド・キンタイア岬にある自宅農場に3カ月もの間引きこもり、外部との関係を閉ざしてしまいました(このことが都市伝説“ポール死亡説”の一因となる)

僕は不安になり、偏執症になっていた。
役立たずに思え、何をしたらよいかもわからなくなってしまっていた。
夜は眠れず朝はいつまでも起きず、ひげも剃らず、ウィスキーに手を伸ばしただぼーっとしていたんだ…



Paul McCartney - Maybe Im Amazed31

そんなポールを救ったのは、1969年3月12日に結婚式を挙げたばかりの新妻リンダでした。
本来なら大スターの妻として都会で華やかな生活を送るべきところ、彼女に待っていたのは絶望に沈む夫との慣れない田舎暮らしで、ネズミは出てもお湯は出ない掘っ立て小屋での隠遁生活だったのです。

しかしリンダは衣服を着飾ったり立身出世よりも自然や動物と接することを愛し、自由で自然なスタイルの生き方を望み、家族のために世話をすることを厭わない人で、この時の田舎暮らしも“家族にとって、最良の時だった”と語っているそうです。
そんなリンダがそばで見守っていてくれたからこそポールは安心して“落ち込みに専念”し、そして立ち上がることができたのでしょう。

Baby, I'm a man,
…そうさ、僕はただ一人ぼっちの男
And maybe you're the only woman who could ever help me.
そして君は、それを救い得るただ一人の女


 ありがとうリンダ、君と出逢えて本当によかった…

…あなたにも、ポールの声が聞こえてきませんか?
(※リンダ・マッカートニーは1998年4月17日、乳癌のため天国へと旅立ちました…)



「恋することのもどかしさ」

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「ベイビーズ・イン・ブラック」ビートルズ

2017.04.14

category : Beatles & Solo

Beatles - Babys In Black1 Beatles - Babys In Black2


The Beatles - Baby's In Black (1964年)



~ポール・マッカートニー日本武道館公演~

2015年4月の『Out There! Tour』から2年ぶりに、ポール・マッカートニーが日本へ帰ってきます♪
今回のポールの来日というと、昨年大晦日の第67回NHK紅白歌合戦に彼が映像で出演し“2017年、日本に行くからね”というサプライズ・メッセージを発表したことが日本中の話題となりましたが、追加となった4月25日(火)の日本武道館公演もポール本人のサプライズとして3月9日に届けられたものでした。



前回の武道館公演当時、本ブログでは“1966年のビートルズ公演のセット・リストの再現”を期待し「I'm down」(過去ログ)を特集しましたが、フタを開けてみると意外にも“当時の再現”に対するポールのこだわりはなかったようで、残念ながら通常の『Out There! Tour』のセット・リスト(「ペイパーバック・ライター」(過去ログ)と「イエスタデイ」が該当)以外にビートルズ公演で演奏された曲はありませんでした。

しかし、本ブログでは性懲りもなく2017年武道館公演直前特集として、ビートルズ公演のセット・リストの1曲「Baby's In Black」をご紹介いたします!



~概要~

「ベイビーズ・イン・ブラック」は1964年12月4日に発売された4枚目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ビートルズ・フォー・セール(Beatles for Sale)』の収録曲です。
本作はビートルズのアルバムの中ではカバー曲も多く一般的に地味なイメージがある作品ですが、当ブログではこれまで「Eight Days a Week」や「Mr. Moonlight」、「Rock and Roll Music」の3曲を取り上げており、こうしてみるとなかなかインパクトのあるナンバーが揃っていると思いませんか?

レノン=マッカートニー作品はその名に反し実はどちらか一方だけによる創作が多いですが、「抱きしめたい」(過去ログ)などジョンとポールが終始2人でヴォーカルを分け合うものは本当の共作(貢献度が同等)の場合が多く、2人で歌い通す「Baby's In Black」は数少ない“リアル Lennon–McCartney”の一つです。
あまりロックっぽくない6/8拍子の楽曲をジョンとポールが同時に1本のマイクでヴォーカル録音した臨場感あるハーモニーが全体に豊かな色彩を添えており、どちらがメインのメロディーかの問いに対し、ポールは“どちらもメインさ”と答えています。

「Baby's In Black」はシングル・カットこそなかったものの、アルバム・リリース後1965年6月のヨーロッパ・ツアーからビートルズ最後の公演となる1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートまで演奏され続けたセットリスト曲で、もちろん日本公演でも披露されました。
その間1965年にアメリカのハリウッド・ボウルで演奏されたライブ音源は1996年にアンソロジー・プロジェクトの一環としてリリースされたマキシ・シングル「Real Love」や、ビートルズ唯一の公式ライブ・アルバム『The Beatles at the Hollywood Bowl』が2016年に初CD化された際のボーナス・トラックに収録されています。



 
 



~Lyrics~

Oh dear, what can I do?
あぁ…一体、どうすればいいっていうの?
Baby's in black and I'm feeling blue
愛しい君は黒い服、僕の心はブルーなんて

【black】と【blue】の対比が効いています。
でも、彼女はなぜ黒を着るのでしょう…。

黒は重厚感や高級感、存在感があり、強さや神秘性を与える色のイメージ効果があります。
反面、無彩で光を反射せず色を吸収・遮断するので、絶望・孤独・恐怖など暗い(マイナスの)気持ちの象徴です。


She thinks of him and so she dresses in black
アイツのことで頭がいっぱいで、君は黒を纏(まと)う
And though he'll never come back, she's dressed in black
決して戻っては来ないのに、黒を纏う

彼女は「恋の奴隷」に? 
“あなた好みの女”になるため、黒を纏うというのでしょうか…。

確かに黒を纏った女性は“ミステリアス&セクシー”なイメージで、それを望む男性も多いでしょう。
でも、彼が決して戻っては来ないのに着続ける理由とは?



~Epilogue~

「Baby's In Black」は、ビートルズに纏(まつ)わる一人の女性がモデルになっているといわれます。
ジョンが美術を学んだリヴァプール・カレッジ・オブ・アートの親友で、1960年ごろビートルズのベーシストとして一時在籍したスチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)という人がいますが、彼の当時のガール・フレンドだったアストリッド・キルヒヘル(Astrid Kirchherr)です《写真》。

二人はビートルズのハンブルク巡業で出逢い、恋に落ちます(アストリッドはドイツ人)。
程なくスチュアートは単身ドイツに残り画家を志し、アストリッドと婚約することになりますが、1962年4月10日に脳出血のため21歳の若さで亡くなってしまいました。

I think of her, but she thinks only of him
僕は君で頭がいっぱいなのに、君はアイツのことばかり
And though it's only a whim, she thinks of him
ただの気まぐれなのに、アイツのことばかり…


しかしアストリッドがビートルズに与えた影響は、「Baby's In Black」だけではありません。
彼女はファッションやデザインに鋭い感覚の持ち主で、彼女が恋人であるスチュアートに施した[moptop]の髪型や彼に着せた[round neck]のジャケットは後に【マッシュルーム・カット】【襟なしスーツ】としてビートルズのヴィジュアル・イメージに大いに貢献した、というのがファンの間での定説となっています。
ただし、アストリッド本人によると[moptop]は当時既にドイツの男の子の間で流行しており、その髪型を大いに気に入ったスチュアートが彼女にカットしてもらったのが実情で、[round neck]のジャケットも彼女の洋服を借りて彼がステージで着用したのが始まりだったそうです。
これに対し、当時革ジャン&リーゼント(いわゆる典型的な不良スタイル)がトレードマークだったビートルズのメンバーは、そんなスチュアートのスタイルを“ママのジャケット”とからかったといいます。

彼女がもたらしたものはそれに止まらず、当時アストリッドは写真家の卵でハンブルク時代のビートルズを被写体として多く撮影していますが、彼女の写し出すモノクロの“half shadow(半影)”スタイルが斬新で、それを大いに気に入っていたビートルズは2ndアルバム『With the Beatles』のアルバム・ジャケットにこの手法を用いました(撮影はロバート・フリーマン)。
また、『With the Beatles』と並びアート・デザインとして人気のビートルズの7thアルバム『Revolver』のジャケット・デザインを手掛けたクラウス・フォアマン(後にマンフレッド・マンのベーシスト)も、アストリッドとの縁によるものです(彼女の元恋人)。

Beatles - Babys In Black3 Beatles - Babys In Black4 Beatles - Babys In Black5


23歳の女性にとって婚約者と死別することは、それを経験したことのない者の想像など決して及ばぬ辛い悲しみであることでしょう。
しかし、同じく“唯一無二”の親友を失ったジョンはアストリッドに対し“生きるか死ぬかはっきりしろ、悩む余地なんてないだろ?”と声を掛けたといいます。
かなり際どい言い回しですが、“生きなきゃならないのだから、前を見ろ”という彼なりの叱咤激励でした。

斯(か)くしてジョンの“愛のムチ”が功を奏したかは定かではありませんがアストリッドはその悲しみを乗り越え、スチュアートの死から5年後(1967年)にビートルズのライバルだったロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズでリンゴ・スターの後任ドラマーとなったGibson Kempと結婚を果たしました。

アストリッドはビートルズとの関係を、こう振り返っています…
“私が彼らと築いた最も大切なもの、それは[友情]です。”



「ベイビーズ・イン・ブラック」

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「ドント・ノー・ホワイ」ノラ・ジョーンズ

2017.04.07

category : Norah Jones

Norah Jones - Dont Know Why1 Norah Jones - Dont Know Why2


Norah Jones - Don't Know Why (2002年)



~ノラ・ジョーンズ、4年半ぶりの来日公演~

21世紀を代表する“癒しの歌姫”、ノラ・ジョーンズの日本公演が4/9からスタートいたしました(~4/21)!
昨年10月、ノラは自身6枚目となるオリジナル・アルバム『Day Breaks』をリリースしており、今回の来日はその『Daybreaks World Tour』の一環です。

ノラはこのアルバムでデビュー以来、実に15年ぶりに原点であるジャズとピアノ弾き語りのスタイルに回帰したことが話題を呼んでいますが、近年の彼女にとっては最愛のパートナーと2つの小さな生命を授かったことも大きな原動力になっています。
結婚や出産という大きな人生経験を重ねて熟成された「Don't Know Why」も、楽しみですね♪





~概要~

「ドント・ノー・ホワイ」はノラ・ジョーンズ2002年のデビュー・アルバム『ノラ・ジョーンズ(Come away with me)』の収録曲で、2ndシングルとしてBillboard Hot 100の30位(2003年の97位)を記録した作品です。
ノラ・ジョーンズというと日本でもファンが多く、デビューから全米No.1が当たり前のイメージがありますがそれはアルバムに於いてであり、これまでHot 100でTop 40に入ったのは本曲のみという意外な側面もあります。

ノラ・ジョーンズの代表曲であり、彼女はシンガー・ソングライターでもあることから「Don't Know Why」はノラが作曲したものと思いがちですが実はカバーで、作者はジェシー・ハリス(Jesse Harris)という“男性”です(アメリカのシンガー・ソングライター)。
「Don't Know Why」はジェシー・ハリスが1999年に自身のアルバム『Jesse Harris and the Ferdinandos』で発表した作品で、そこに学業(北テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻)よりニューヨークのソングライターたちとのセッションに刺激を受け、そこに入り浸るようになっていたノラが意気投合し彼のバンドに参加するようになりました。
それがきっかっけでノラが歌うようになった一つが「Don't Know Why」で、その歌声に惚れ込んだブルーノート・レーベル社長ブルース・ランドヴァル(Bruce Lundvall)直々の引きで、2001年1月には契約を交わすに至っています。

圧巻は第45回グラミー賞(2003年)で、『Come away with me』の創作により8部門ノミネートで8部門受賞、うちノラが主要3部門を含む5部門を受賞、曲目「Don't Know Why」は“最優秀レコード賞(Record of the Year)”と“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞(Best Female Pop Vocal Performance)の3部門を受賞しました!
グラミー8冠はマイケル・ジャクソンの『スリラー』と同規模であり、この年の主要4部門独占したことを考え合わせれば本作が史上稀にみる快挙であったことは疑いありません。
(※主要4部門独占のうち最優秀楽曲賞は作者ジェシー・ハリスに対してであり、アーティスト自身が全て獲得しての主要4部門独占は、現在も1981年のクリストファー・クロスのみです)


それ以外のエピソードとして、アメリカの子ども向けテレビ教育番組『セサミストリート(SESAME STREET)』はご存知の方も多いと思いますが、アルファベットの文字“Y(ワイ)”がいなくなってしまった寂しさをノラ・ジョーンズが「Don't Know Why」の替え歌として番組の名物マペット“エルモ(Elmo)”と歌うシーンがあります。
公式日本語字幕版も公開されているので、ぜひお楽しみください♪

また、ノラに負けない透明感が魅力の日本の原田知世も近年(2015年)カバー・アルバム『恋愛小説』の中で本曲をカバーしており、ここではオリジナルの作者ジェシー・ハリスとのデュエットを実現させています!


 
 



~Lyrics~

When I saw the break of day
夜明けを見届けたとき
I wished that I could fly away
このまま、飛んでゆけたらと思った

【fly away(飛び去る・飛び立つ)】というと、今回ふと「気球にのってどこまでも」を思い出しました。
空を飛べない私たち人間にとって大空を舞うことは永遠の憧れであり、その純粋な想いを描いたこの曲は子どもたちの清らかな歌声が良く似合います。

でもこのラインに続くセンテンスに綴られているとおり、大人になると“別の意味”で飛び去りたくなることも…?


Out across the endless sea
終わりない海の向こう
I would die in ecstasy
恍惚の中、人生を終えるつもりだったけれど

鳥は、なぜ渡るのか…
一般には、食料や繁殖の事情、冬の寒さを逃れるためと言われますが、つまり飛び立った先には“より良い環境”が想定されるが故です。
でも人間って、“渡り鳥”でしたっけ…? 


I waited 'til I saw the sun
お日さまにあうまで、待っていた
I don't know why I didn't come
でも、どうして私は行かなかったのだろう…

冒頭のこのライン、主人公はなぜ太陽を待っていたのでしょう…
【the sun】はそのまま“太陽”と捉えて不都合はありませんが、“何かの象徴”と仮定するなら、これは単なる情景描写ではなく、主人公にとって非常に大きな意味を指し示しているようにも思えてきます。

例えば、太陽は多くの生物の活動にとって欠かせぬものであり、【saw the sun】によってそれは始まります。
主人公にとっても、それは静から動へと転じる“転機の瞬間”を意味するものであったとしたら…? 



~Epilogue~

タイトルにもなっている【(I) don't know why】は、歌詞中では【I didn't come】についての言及となっています。
どうやら“なぜ自分は~しなかったのかわからない”が主題となっていることは理解できますが、その不明の対象である【come】がなかなかクセ者で、素直に適用すると“なぜ自分は来なかったのかわからない”と文章として不自然で、何だかモヤモヤした気分になるでしょう。
ただ、【come】という言葉に内包されている意味を掘り下げてみると、その隠されたメッセージに近づくことができるような気もします。

【come】は[go(行く)]の範囲を限定した言葉であり、わざわざ行き先を補足しなくても通常は“動作者が話し手のいる方へ近づく(=来る)”意味が含まれます。
しかし話し手自身が動作者でもある場合“自分が自分に近づく”矛盾が生じてしまい、これをそのまま適用することができません。
ただし、これが話し手の心理的視点が相手の所にある場合主体は入れ替わって“話し手が相手のいる方へ近づく(=行く)”と解釈することが可能で、この歌の【I didn't come】も、そうした解釈をすることができそうです。


主人公は【die in ecstasy(恍惚の中、人生を終える)】ことを夢みて大切な人を【the house of fun(楽しみの家)】に置き去りにしてしまったものの、それが一時の迷いであったことにすぐ気づき、【come(あなたの所へ戻りたい)】と願う。
…とはいえ、身勝手をした自分からそれを口にすることもできず【Driving down the road alone(このまま一人、道を下ってゆくだろう)】と自分に言い聞かせた。
だけど…

My heart is drenched in wine
どれほど心にワインを浸しても
But you'll be on my mind
胸の中には、あなたがいる

…ロックより、ジャズの方が“大人の味”がします。 



「ドント・ノー・ホワイ」

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