I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「禁じられた愛」ボン・ジョヴィ

2018.11.16

category : Bon Jovi

Bon Jovi - You Give Love A Bad Name (1986年)

70年代にツェッペリンあれば、80年代には俺たちがいる! …ボン・ジョヴィ名刺代わりの1曲。
《解説記事は、後ほど》


“Lyrics&歌詞和訳”は下の“続きはこちら>>”をクリックして表示させてくださいね♪


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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「移民の歌」レッド・ツェッペリン

2018.11.09

category : Led Zeppelin

Led Zeppelin - Immigrant Song1 Led Zeppelin - Immigrant Song2


Led Zeppelin - Immigrant Song (1970年)



~概要~

レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)は1969年にデビューしたイギリスのロック・バンドで、史上最も成功を収めたアーティストの一つです。
「移民の歌」は1970年10月5日発売の3rdアルバム『レッド・ツェッペリン III(Led Zeppelin III)』の収録曲で、アメリカでは同年11月5日にシングル・カットされBillboard Hot 100で16位を記録しています。

「Immigrant Song」の作者はジミー・ペイジとロバート・プラントで、1970年・年初からのツアー中に創作が始まったものの、この時は完成に至りませんでした。
その後2か月ほどの休暇を挟み、6月22日に再開したツアーで訪れた【アイスランドの首都レイキャヴィーク(Reykjavík)での体験がインスピレーション】を与え歌詞が完成(詳細Lyrics項)、続く6月28日イングランド南西部の都市バース(City of Bath)のフェスティバルで初めて演奏が披露されました。
但し「Immigrant Song」には【曰く】もあって、ほぼ同時期に発表されたドイツのハード・ロック・バンド、ルシファーズ・フレンド(Lucifer's Friend)の楽曲「Ride The Sky」と、「Immigrant Song」が酷似しているというのです。
調べてみるとルシファーズ・フレンドは【1970年11月に録音した当該アルバムを同年発表】していますが、【ツェッペリンが「Immigrant Song」をリリースする前から「Ride The Sky」をライブ演奏していた】という説もあります。
実際に聴き比べてみると、確かに偶然では説明がつかないほど【最も特徴的なフレーズが酷似】しているという印象です。

本曲でのジミー・ペイジ&ジョン・ポール・ジョーンズのギター・リフ、ジョン・ボーナムのドラミング、ロバート・プラントのヴォーカルは何れもRock 'n' Rollの魅力がギッシリ詰まった“名演”で、当時ライバル視されていたディープ・パープルのロジャー・グローヴァーも“最初に「Immigrant Song」を聴いた時の衝撃は、今でも覚えている”と2017年に言及する程でした。
中でも、とりわけ強烈なインパクトはロバートによるターザンの雄叫びのような【Ahh! Ahh!】のフレーズでしょう。
1932年に公開された映画『類猿人ターザン』によって世界で有名になったターザン(ジョニー・ワイズミュラー)の雄叫び…実はコレ、豹の鳴き声など十数種の音源を合成した特殊音声なのだそうです。


こうした強いインパクトをもった「Immigrant Song」は、これまでさまざまなメディアで用いられてきました。
近年も2011年の映画『ドラゴン・タトゥーの女』で【Karen O with Trent Reznor & Atticus Ross】がカバー、2017年の『マイティ・ソー バトルロイヤル』ではレッド・ツェッペリンver.がサウンドトラックに起用され、Billboard Hard Rock Digital Song Sales のNo. 1に輝いたことも話題を呼びました。
日本では人気プロレスラー 、ブルーザー・ブロディの入場テーマ曲だったことも有名で、これで「移民の歌」を知った方もおられることでしょう(それは、私です!)。
使われていたのはオリジナルではないインストゥルメンタルver.でしたが、ここでのサックスの咆哮が、198cm/140kgという巨体で【キングコング】とか【超獣】とも呼ばれたブロディのイメージをよく表していました。


 
 



~Lyrics~

We come from the land of the ice and snow
われら、氷雪の国よりの者
From the midnight sun where the hot springs blow
熱泉湧き出づる、白夜の地

このセンテンスについて、作詞者ロバート・プラントは“俺たちは、まさに氷雪の国よりやって来たんだ”と言及しています。
つまり前項で示した1970年のレッド・ツェッペリンのツアー・スケジュールで、レイキャヴィーク(アイスランド 6/22)⇒バース(イングランド 6/28)の移動のさまを歌詞に反映させたというのです。
写真;青線》

北極圏に近い【Iceland】はまさに[氷雪の国]で[白夜]が見られ、【Reykjavík】は[煙たなびく湾]の意味で、有名な[温泉地]でもあります。
実はアイスランド公演は、アイスランド政府に招待された公的な催しとして予定されたものの、到着する前日に公務員がストライキを起こしてしまい公演が中止になりかけていたところ、現地の学生たちの働きかけで大学がコンサート・ホールを用意し、それによって公演が実現したそうです。
ロバートはその公演について、“子どもたちの反響が驚くほどで、俺たちにとっても素晴らしい時間だった”とふり返っています。

Led Zeppelin - Immigrant Song3

To fight the horde, and sing and cry
群れなす衆らと戦うべく…歌い、叫べ
Valhalla, I am coming
ヴァルハラよ、いま往かん

【Valhalla】は、北欧神話に登場する主神[オーディンの宮殿]
オーディンは[戦争と死の神]であり、ヴァルハラは戦死した勇者の魂(エインヘリャル)が最終戦争(ラグナロク)の兵士となるべく集められた死者の館でもあります。
西ヨーロッパ沿海部を侵略した北欧の武装船団(海賊)[ヴァイキング]の間では、死後ヴァルハラに迎えられることこそ、戦士としての最高の栄誉とされていたそうです。

歌詞に【目指すは、西の海岸】とありますが、アイスランドから西は大西洋を越えてアメリカ大陸があります。
アメリカ大陸の発見というと、コロンブス! …と、学校で習いましたよね?
ところが最初にアメリカ大陸を発見したのはレイフ・エリクソン(Leif Ericson)というアイスランド生まれのノルマン人航海者(ヴァイキング)であり《写真;赤線》、しかもコロンブスより約500年も前(西暦997-1000年)に達成していたことが遺跡発掘によって証明されているそうです。

ちなみに、1970年のレッド・ツェッペリンのツアー・スケジュールによると、その後彼らもイングランド-西ドイツと回って8月には『North American Tour Summer 1970』へと行き着く予定でした。



~誰のため、何のための移民拡大?~

「一定の専門性・技能を有し、即戦力となる外国人材を受け入れる。入国管理法を改正し、就労を目的とした新しい在留資格を設けます」

10月24日、安倍晋三首相による所信表明演説に幕を開けた第百九十七臨時国会。
労働力不足を補う外国人労働者の誘致拡大を目的とした『出入国管理法改正案』について、政府は今国会(12月10日)での成立と、来年4月からの施行を目指しています。
ところが、自ら外国人労働者の誘致拡大路線に舵を切ると高らかに宣言しておきながら、一方で不思議なのは、10月29日の衆院本会議で立憲民主党の枝野幸男代表の質問に対する安倍首相の答弁です。

「政府としては、いわゆる移民政策をとることは考えていない」

政府が、法律を変えてまで外国人労働者誘致促進することを移民政策と言わずして、何と言うのか…?
自民党HPを調べてみると、『自民党政務調査会・労働力確保に関する特命委員会/2016.5.24』の項に、【自民党による移民の定義】を窺わせる記述があります。
“「移民」とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の在留資格による受入れは「移民」には当たらない”
つまり自民党の解釈では、社会的地位のない就労目的の一般外国人労働者は移民ではないということのようです。

一方、国際移住機関(IOM)など【国際社会で最も引用されている移民の定義】
“通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと(長期の移民)”
という極めて常識的なもので、期間設定に個人差はあれ、万人が納得できるところでしょう。


【就業者数が過去最高なのに、労働者不足が起きている不思議】

安倍首相は口先では一貫して移民政策を否定し続け、国会で【移民の定義】を問われても「移民政策は考えていない」「一概にお答えすることは困難」とはぐらかし続けてきましたが、安倍首相と自民党がどれほど詭弁を弄しようと、実際は急加速的に外国人労働者数を増やし続けてきました
経済協力開発機構(OECD)の統計によると、2015年・1年間の日本への外国人移住者流入者は前年比5.5万人増の約39.1万人で、今や加盟35カ国中世界4位の移民大国です(1位.ドイツ/2.アメリカ/3.イギリス)。
また、厚生労働省の統計によると2017年10月末現在の外国人労働者数は約127.9万人で、前年比19.5万人増(+18.0%)/2008年比2.6倍に急増しています。

Led Zeppelin - Immigrant Song4就業者数の推移(1980~2018年) (『世界経済のネタ帳』より)

近年、労働者不足が叫ばれていますが、『日本の就業者数の推移(1980~2018年)』のデータをみると、実は「就業者数(従業者+休業者)」は、東日本大震災の復興が本格化した2012年以降増加に転じ、2018年は過去最高の6628万人に達する見通しです。
その立役者となっているのが「女性」+「高齢者」そして「外国人労働者」ですが、それでも労働力不足が生じているのは、就業者の増加以上に【仕事量を増やし過ぎている】ことが原因です。
東洋経済が2017年の求人倍率を元に算出した『人手不足な職業ランキング』によると、1位(9.62)をはじめTop10のうち5つが「建設・土木系」の職業であり、それに伴う「保安(警備員)」(6.89)も2位で、これらは震災や自然災害からの復興と、オリンピックやリニア新幹線といった巨大事業を同時進行させていることと無関係ではないでしょう。
また、『2020年に訪日外国人旅行者数4000万人』に関連する「調理」「接客」「自動車運転」も高くなっています。
つまり、現在起きている労働者不足は必ずしも人口減少に起因するものではなく、人口減少の現実を省みない無理な経済政策がもたらす副作用の一つであり、外国人労働者を増やし続けなければアベノミクスは根底から瓦解するといえるでしょう。

ちなみに…
安倍首相のブレーンの一人として知られ、現在安倍政権の内閣官房参与(成長戦略担当)も務める作家の堺屋太一氏は2016年に一般社団法人『外国人雇用協議会』を設立して会長に就任、以降政府の諮問会議などを通して外国人労働者の誘致拡大を提言してきたとされます。
また、同協議会には安倍応援団としてお馴染みの元官僚・学者らが顧問に名を連ね、中でも注目すべきは国家戦略特区諮問会議民間議員として加計学園の獣医学部新設を認可した竹中平蔵氏で、彼は外国人労働者の誘致拡大で多大な利益が想定される人材派遣業大手『パソナ』取締役会長です。



~何も書かず、何も語らないことが、一番の近道~

現在審議中の『出入国管理法改正案』。
最大の問題は、移民拡大という国民にとって重大な政策転換が、殆んど白紙委任で国会をすり抜けられようとしていることです。
安倍首相は「外国人材を誘致促進する」と宣言する一方で、「移民政策は考えていない」と論理矛盾を公言して憚(はばか)らず、法案はその本質を表さず、閣僚たちは議会の問いに答えようともしない…。

「(Q)宿泊業の相当程度の技能水準とはどの程度か - 現在検討しているところかと(石井国交相11/5)」
「(Q)どの程度の規模で外国人労働者を受け入れるか - 精査中。見込み数を近日中に示す(山下法相11/5)」
「(Q)受け入れ見込み数は - 具体的な数は現在精査中。見込み数を近日中に示す(安倍首相11/13)」

11/5に質問され「近日中に示す」と答えたにも拘らず、11/13の同じ質問にも「近日中に示す」と答弁…
恐らく、これからもこんな調子でできるだけ質問をはぐらかしながら審議を空費させ、時間が来たら強行採決、といういつものスケジュールだと思います。
何故なら、『出入国管理法改正案』には[対象となる業種]や[相当程度の技能水準]の概念など、制度の詳細が明記されておらず法律の成立後、省令で通知するというのですから、そもそも最初から話し合うつもりなどありません。
つまり、『移民法』という“器”だけ国会に一定期間展示して、肝心の“中身”は内閣(担当大臣)が好きに書き加えるという、反民主主義的手法です。

自民党・岸田文雄政調会長(11/5 FNN PRIME)
“間に合うように努力をしなければならないし、間に合わせなければいけない”

来年4月は『統一地方選』、7月には『参議院選挙』が控えています…。



~Epilogue~

移民は“国のかたち”や“国民の地域社会・生活”を大きく変革し得る重大な事案であるにも拘らず、
国民に十分な説明も、理解と協力を得るための施策と労力も示さず、民意に問うこともしない移民政策は、必ず未来に禍根をもたらします。

2017年10月度末時点で約26万人が日本に在留する外国人技能実習生
本来は「発展途上国の若者を一定期間日本国内で実習生として雇用し、学んだ技能・知識を帰国後母国の経済発展に役立ててもらう制度」ですが、なし崩し的に人手不足の穴埋め役として組み込まれ、長時間労働や賃金未払いといった不当な労働環境を強いられているのが実情です。
厚生労働省の2015年の調査によると、実施した5966事業所のうち約7割以上で労働基準関係法令違反が確認され、耐えかねた実習生が2017年だけで7089人、今年も6月までで既に4279人失踪者が出ているといいます。
技能実習生に転職の自由は認められておらず、何か問題が起きても他へ移ることができず、来日費用を払うため返済不能な多額の借金をしている人も多く、失踪するしかない)


こうした事態に、最多12万人の技能実習生を日本に送り出しているベトナム日本大使館の現役書記官までが「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と遺憾の意を表明しました。
こうした問題の背景には雇用先との関係だけでなく、仲介する悪徳ブローカーや悪徳業者なども複雑に絡み合っており、同書記官は「日本におけるベトナムのイメージ、そしてベトナムにおける日本のイメージが悪化することを懸念しています。本問題は大使館にとって最重要課題です」と、警鐘を鳴らしています。

10月24日、安倍晋三首相・所信表明演説
「世界から尊敬される日本、世界中から優秀な人材が集まる日本を創り上げてまいります」


スイスのビジネススクールIMDの『高度なスキルをもつ外国人材が魅力を感じる国・地域ランキング2017年版』で、日本は世界63ヶ国中51位/アジア11カ国中最下位でした。
まずは日本の現状を認め、自らの過ちを反省し、粗雑な法案は取り下げ、現在日本で活躍している善良な留学生と外国人技能実習生に「日本大好き」と思ってもらえるような制度に改善することが国益だと思います。



「移民の歌」


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「ショウ・マスト・ゴー・オン」クイーン

2018.11.02

category : Queen

Queen - The Show Must Go On1 Queen - The Show Must Go On2


Queen - The Show Must Go On (1991年)



~概要~

「ショウ・マスト・ゴー・オン」はイギリスのロック・バンド、クイーン1991年2月5日の14thアルバム『イニュエンドウ (Innuendo)』に収録された作品で、アルバムの最終曲です。
イギリスでは10月14日にシングルとしてリリース(全英16位)されていますが、10月28日には本曲を含んだ『グレイテスト・ヒッツII(GREATEST HITS vol.2)』も発売されており、そのプロモーション・シングルといった意味合いが強かったでしょう。
また、同年11月24日にはフレディ・マーキュリーが亡くなってしまったため、“フレディ生前最後のシングル”でもあります。

クレジットはクイーンとなっていますが、多くの部分の作者はブライアン・メイ
ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンによるコードを元にブライアンとフレディが作品のテーマを話し合い、主にブライアンが詞・曲を作り、フレディが歌詞の一部を書きました(別項参照)。
作曲に当たって、ブライアンは17世紀ドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)の作品「パッヘルベルのカノン」(Canon and Gigue in D)からヒントを得ているそうですが、この曲はさまざまな式典のBGMとして使用されているので、みなさんも聴き覚えがあるでしょう。


病気で体調の思わしくないフレディは、『Innuendo』で3rdシングルまで化粧や映像処理で衰弱をカバーして何とかPV制作に参加できていましたが、4thに当たる「The Show Must Go On」の頃にはもう撮影に加われないほど病状が悪化していました。
このため「I Want to Break Free」をはじめ「Radio Ga Ga」(過去ログ)や「Innuendo」など、1981年から1991年までのPVを編集した映像となっています。

リリースから6週間後にフレディが亡くなってしまったため彼が歌う「The Show Must Go On」がライブで再現されることはありませんでしたが、1992年4月20日に行われた『フレディ・マーキュリー追悼コンサート(Freddie Mercury Tribute Concert)』では【クイーン+エルトン・ジョン(vo)+トニー・アイオミ】という形で披露され、エルトンは1997年にもパリのナショナル・シアターで開催された『スペシャル・バレエ』プレミア公演でクイーンと再演しています。
その後本格的にツアーを再開したクイーンは、【クイーン+ポール・ロジャース】【クイーン+アダム・ランバート】という形で「The Show Must Go On」を歌い継ぎました。
また、2016年5月にセリーヌ・ディオンが「The Show Must Go On」のカバーをデジタル・シングルとしてリリースし、同月【2016 Billboard Music Awards】で見事な歌唱を披露していますが、このときセリーヌは1月に夫レネ・アンジェリルを亡くしたばかりでした。


 
 



~Lyrics~

Empty spaces, what are we living for?
虚(うつ)ろなる空間… 人は、何を求め生きるのか?
Abandoned places, I guess we know the score
見捨てられた場所… 人は、そこで真実を思い知る

1986年、クイーンはアルバム『A Kind of Magic』を発表した後6/7-8/9まで同アルバムに伴う『Magic Tour』を行っていますが、その後フレディは体調が悪化し、結局彼が参加したツアーはこれが最後となりました。
その後1987年のイースター直後にフレディはAIDS(エイズ)と診断されたそうですが、痩せ衰えた外観やツアーへの不参加やなどから1990年頃メデイアにはAIDSを疑う声が挙がり始めたものの、その真実は彼が亡くなる前日の1991年11月23日までフレディ側から公表されることはありませんでした

AIDSは【後天性免疫不全症候群 (Acquired Immunodeficiency Syndrome) 】…つまり“後天的要因(HIVウイルス感染)によって免疫不全を起こす疾患”であり、体内の免疫力が破壊されるため、健常であれば問題にならない病原体にも容易に感染・発症するようになってしまう疾病です。
1980年代前半にHIVウイルスが発見され、当時は有効な治療法がなく極めて致死率の高い病気でした(現在は薬によって病の抑制は可能で、致死率は劇的に下がったが完治は困難)。

Empty spaces(虚ろなる空間)/Abandoned places(見捨てられた場所)...


My soul is painted like the wings of butterflies
魂は、蝶羽の如く彩られ
Fairy tales of yesterday will grow but never die
昨日の伽話(とぎばなし)は伝説となり、決して絶えることはない

「The Show Must Go On」は主にブライアン・メイによる創作とされていますが、この部分の歌詞はフレディ・マーキュリーによるものであるかもしれません。
生前フレディは歌詞を記したノートを持ち歩いていたそうで、2016年に彼が最期の3年間使用していたノートがオークションにかけられ、その中に「The Show Must Go On」のこの部分の歌詞が綴られていました

…確かに、【like the wings of butterflies】という比喩の発想は、どう考えてもフレディっぽい?


My make-up may be flaking
道化の仮面が剥がれ落ちようとも
But my smile still stays on
真の面は、笑みを灯し続けよう

1985年以来フレディの私的パートナーで、彼の最期を看取ったジム・ハットンさんはこのフレーズを“最も自伝的”と評しています。
それは本当のことだった。どんなに病が苛んでも、フレディが誰かに不平を言ったり憐れみを乞うたりすることはなかった。それは彼にとって自分との闘いであり、ますます重くなる病状に対して常に勇敢な顔で立ち向かっていた…”

しかしこのハットンさんも、フレディに劣らず勇敢な人です。
1987年に自らのHIV感染を知ったフレディは彼に別れを切り出しましたが、彼がフレディの元を離れることはありませんでした。
しかも、そのために彼自身も1990年に(フレディによると思われる)HIV感染が判明し、そのことを最後までフレディに明かさなかったそうです(彼は2010年に肺がんで亡くなっている)。



~Epilogue~

11月9日、クイーン・28の名曲とブライアン、ロジャー、ジョン…
そして、フレディの生き様を描いた伝記ミュージカル映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されます。
楽曲「Bohemian Rhapsody」については過去ログへ)

「The Show Must Go On」はこの映画のサウンドトラックの一つであり、フレディの人生を語るのに最も似つかわしいテーマと考え、これを選曲しました。
【The Show Must Go On】はこの作品に限った特殊な言葉ではなく、英語圏のショウ・ビジネスにおいて使われる慣用句で、凡そ本項に示したような意味合いが込められています。




ブライアン・メイによると、1990年に「The Show Must Go On」のレコーディング時、フレディは既にほとんど歩くことができない状態だったといいます。
「The Show Must Go On」を作曲してはみたものの、そこにはブライアン自身がファルセットでなければ歌えない高い音域が何か所か含まれていました。
そのため、デモをフレディに聴かせたとき、体が衰弱したフレディには無理な要求ではないかと心配して、この言葉を添えたといいます。
フレッド、これ歌えるかわからないけれど…

これに、対してフレディは…
I'll fucking do it, darling(いっちょ、やってやるさ!)
そう言ってウォッカをグイッと飲み干すと、完璧なヴォーカルでブライアンが苦戦した難曲をやっつけてみせたそうです。
(ブライアンは、この曲でのフレディの歌唱が生涯最高のうちの一つだったと評価している)


The show must go on
ショウは、続けなくてはならない
The show must go on
半ばにして、舞台を降りてはならないのだ

これと関連して思い出すのは、死期を悟ったデヴィッド・ボウイがその死さえも自らのアート作品として2016年にアルバム『★』とミュージカル『Lazarus』(過去ログ)を創り上げたこと…
そのデヴィッドも、癌に冒され衰弱した体に鞭打ってまでも、作品の完成のために残された時間と生命力のすべてを注いだといわれます。

1991年2月に『Innuendo』がリリースされて間もなく、フレディはブライアンに言いました。
曲を書いてよ、もう長くないってわかってるんだ。どんどん詞を書いて、どんどん曲を書いてよ。僕は歌うから、きっと歌うから…

稀代の“showman”、デヴィッド・ボウイとフレディ・マーキュリー…
私たちが、彼らの“何”に心を魅了されていたのかを物語ってくれるエピソードだと思いません? 



「ショウ・マスト・ゴー・オン」


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「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」ビートルズ

2018.10.26

category : Beatles & Solo

Beatles - Being for the Benefit of Mr Kite1 Beatles - Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band1


The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967年)



~概要~

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(以降「サージェント・ペパーズ」)は1967年5月26日(米6/2,日7/5)に発売されたビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のタイトル曲です。
作詞/作曲のクレジットはレノン=マッカートニーですが実際の作者はポール・マッカートニーで、ポールはリード・ヴォーカル&ベースに加えて、リード・ギターも務めています。

1966年8月の『Revolver』の後、ビートルズは次回作のテーマを【少年時代】と設定し同年11月からジョンの「Strawberry Fields Forever」を、12月からポールの「Penny Lane」(過去ログ)のレコーディングを始めていますが、翌67年2月1日にポールが「サージェント・ペパーズ」の楽曲と“ビートルズがペパー軍曹(架空の人物)のバンドに扮したショウをアルバムに仕立てる”という新しいアイデアを持ち込むと、メンバーやプロデューサーのジョージ・マーティンもこれを承認、テーマは【サージェント・ペパーズ】に変更されることになりました。

こうした架空のバンドによるショウであることを印象づけるために考え出されたのが「サージェント・ペパーズ」と同じメロディーを基調としながらリズムやコードに変化を与えた「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」で、本流である「サージェント・ペパーズ」を【ウェルカム・ソング】という位置付けでアルバムの冒頭に置き、その支流である「リプライズ」を最後に配置して【グッバイ・ソング】とする…というロード・マネージャーのニール・アスピノールのアイデアが採用されたものです(但し、実際は「A Day in the Life」が最終曲で、厳密には更に一部の若者にしか聴こえない高周波音の「Sgt. Pepper Inner Groove」も隠しトラックとして存在する)。
こうして【世界初のコンセプト・アルバム】と後に評される企画は掲げられたものの、“ショウ”の臨場感を再現するコンセプトは実際はごく一部の作品に止まっており、寧ろもたらされたアルバム最大の産物は“高度なスタジオワークによって生み出された画期的なサウンド”だったといえます。


既にコンサート活動を止めていたためビートルズが本曲をライブ演奏することはありませんでしたが、「サージェント・ペパーズ」を世界で初めてライブ演奏したのは、デビューしたばかりのジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)でした。
ポールは当初からジミを非常に高く評価しており、彼がシャフツベリー・アベニューにあるサヴィル・シアターで行われたジミのコンサートを観に行ったところ「サージェント・ペパーズ」が演奏され。甚く感動したことを次のように語っています。
ビートルズの『サージェント・ペパーズ』が金曜日に発売されて、そのたった2日後の日曜日に、ジミはそれをステージで演奏したんだ。あの曲を初めてライブ演奏したのは、ビートルズではなくジミなんだよ。演奏は例の調子で、ギューン!バーン!と素晴らしかった…

ビートルズのメンバーで最初に本曲をコンサートでライブ演奏したのはもちろんポールですが(1989年)、実はそれ以前に【ほぼビートルズ】が演奏を披露していました!
実現したのは1979年5月19日のエリック・クラプトンとパティ・ボイドの結婚式で、式に参加したポール、ジョージ、リンゴとエリックによって演奏されています(ジョン・レノンは式に参加しておらず、“もし招待を受けていれば式に出席していただろう”と述べている)。
その後ポールのコンサートで度々演奏されていますが、リンゴのグラミー生涯業績賞の式典などで「With A Little Help From My Friends」(過去ログ)とのメドレーによって【半分ビートルズ】も成立させています。


そのほか特筆すべきといえば、1978年にミュージカル映画『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(邦題;サージャント・ペッパー)が制作されたことでしょう。
『サージェント・ペパーズ』の世界観やビートルズの楽曲に基づくロック・オペラのような内容ですが、驚くべきは出演者!
ピーター・フランプトン(ビリー・シアーズ)とビー・ジーズ(ヘンダーソン3兄弟)を中心としてエアロスミスやアリス・クーパー、アース・ウインド&ファイアーやビリー・プレストンほか超豪華なメンツによってビートルズの名曲の数々が演じられています。


 
 



~Lyrics~

Sgt. Pepper's lonely...
ペパー軍曹はひとりぼっち
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
ペパー軍曹の恋人募集バンド

【Sgt. Pepper】の由来は、1966年12月に移動中の飛行機内でロードマネージャーのマル・エヴァンスに“塩とコショウ(salt'n pepper)を取ってくれ”と言われたのを、ポールが[Sgt. Pepper]と聞き違え、そこから“ちょっと待てよ、いいアイデアを思いついた!”とアルバム・コンセプトに結び付けたことでした。
当時【Big Brother and the Holding Company】(独裁国家と持株会社;ジャニス・ジョプリンが所属)といった長たらしい意味不明なバンド名が流行っていたらしく、[Sgt. Pepper's...]というネーミングもそうした影響といわれます。

むしろ、興味深いのはそれに続く【Lonely Hearts Club Band】です。
ただのバンド名と解するのもいいですが、【lonely heart】は“交際[結婚]相手を求めている独身者”という意味もあり、新聞などで恋人募集欄のタイトルに用いられる一般的な言葉でもあります。
突拍子もない解釈に思われるかもしれませんが、以下に続く歌詞を勘案すると満更でも…? 

余談ですが、「サージェント・ペパーズ」と聞いてピンク・レディーの「ペッパー警部」を連想される方もあるでしょう。
「ペッパー警部」には英語ver.もあって、そのタイトルは「Sergeant Pepper」
【Sgt.(sergeant)】は、警察階級では一般的に“巡査部長”と訳されます)




You're such a lovely audience
これほど素敵なお客さま方
We'd like to take you home with us
あなたを家までお送りしてあげたい…

普通だと、この言葉は“社交辞令”と受け流すところですが…
バンド名の解釈を“恋人募集バンド”としてみると、こんなフレーズが含まれている説明もつきます。

軍隊というと男所帯と堅苦しいイメージであり、だからこそ鬼軍曹が指揮するバンド活動は意外と切実な事情からだった…と想像してみるのも一興かもしれません。
そもそもロック・バンドって、“そういう動機”もあるでしょう? 


So let me introduce to you
ご紹介させてください…
The one and only Billy Shears
天下に二人とないシンガー、ビリー・シアーズ!

【shear】は“大ばさみ・植木ばさみ”で、【pepper(コショウ)】同様どこかユーモラスです。
ポールはこの点について、“Shearsは単にyears(一番の歌詞)の語呂合わせさ。でも「Eleanor Rigby」(過去ログ)みたいに凄く雰囲気のある名前だと思った”と語っています。

ご存知のように「サージェント・ペパーズ」は2曲目の「With a Little Help from My Friends」(過去ログ)とメドレーになっており、それを歌っているのはリンゴ・スターであることから、ここに紹介される【Billy Shears】が誰を指すかは言うまでもありません。
本アルバムに於いてBilly Shearsの歌唱はこれ1曲のみですが、ビートルズ解散後1973年のリンゴのソロ・アルバム『Ringo』の「I'm the Greatest」(ジョン・レノン作)でリンゴ自身が[Yes, my name is Billy Shears]と歌っています。



~Epilogue~

24歳の若さで『サージェント・ペパーズ』という歴史的音楽を創作したポール・マッカートニーも、2018年の6月で76歳を迎えました。
24歳でコンサート活動を止めたはずのポールですが、76歳を迎えた今日にあっても24歳の頃に負けない情熱で世界を飛び回ってコンサート活動を続けています。

今年9月に発表した新作『Egypt Station』に基づいてスタートした『Freshen Up Tour』により、10/31から日本公演が予定されていますが、このお方は幾つになっても“変わったコト”がお好きです!
先月の【追加公演】告知ではポール本人が登場し、『両国国技館公演(11/5)』を発表しました。
ポールの相撲好きは有名ですが、まさか彼自身がその土俵…じゃなかった、ステージに立とうとは!
日本武道館に比べ音楽イベントのイメージの薄い両国国技館ですが、1985年に甲斐バンドが初めてコンサートを行い、1988年にはアイドル歌手ティファニーも公演に使用するなど、近年は年に数回程度コンサート会場として使われることがあるそうです。

 Beatles - Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band2


そんな明るい話題の一方、ビートルズ・ファンにとって【悲しい知らせ】もありました。
ビートルズやポール・マッカートニーの数々の作品を手掛けたことで知られるレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリック(Geoff Emerick/写真右)がこの10月2日に亡くなったことです(享年72)。

ジェフは16歳でアビー・ロード・スタジオのアシスタント・エンジニアとして採用され「Love Me Do」や「抱きしめたい」(過去ログ)などビートルズの数多くのレコーディング・セッションでアシスタントを務め、『Revolver』でチーフ・エンジニアに昇格、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』と『Abbey Road』でグラミー【Best Engineered Album, Non-Classical】を受賞するなど、ビートルズ・サウンドに欠かせないレコーディング・エンジニアでした。

とりわけビートルズ中期は革新的なサウンドを次々と世に送り出した時期ですが、ちょうどこれはジェフがチーフ・エンジニアに昇格した時期と重なります。
当時20歳前後と若いジェフの真骨頂ともいえたのが“古い常識に囚われないチャレンジ精神”で、高価でデリケートなマイクを楽器やアンプにベタ付けしたり、ドラムスの革に穴を開けて中にマイクを設置するといったタブーを恐れず挑戦するなど、そうした彼の姿勢が反映されたのが『Revolver』や『Sgt. Pepper's』の革新的なサウンドだったのです。

It's wonderful to be here
素晴らしいひととき
It's certainly a thrill
もちろん、ぞくぞく感も楽しめます


今回は、ポールの『Freshen Up Tour』のセットリストの中から、ジェフ・エメリックの貢献を感じさせる作品を選曲しました(ツアーで演奏されているのは「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」)。
ビートルズのメンバーの中では特にポールと親しく、ウイングス時代の『Band on the Run』(過去ログ)でもエンジニアとしてグラミーを受賞し、結婚式もポールの田舎の家の近くで挙げるほど友情が育まれていたそうです。
そんなポールの、古き友への追悼の言葉…

僕は彼のことをいつだって深い愛情と共に思い出すだろうし、彼の仕事が音楽通の人たちの記憶に長く留まるだろうということを、僕は知っている

ここまで長い記事をお読みになるあなたなら、まさに同感でしょう? 



「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band/With A Little Help From My Friends Final Project from Bradshaw Mareth on Vimeo.


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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「マイ・オール」マライア・キャリー

2018.10.19

category : Mariah Carey

Mariah Carey - My All1 Mariah Carey - My All2


Mariah Carey - My All (1998年)



~概要~

「マイ・オール」は、マライア・キャリー1997年の6thアルバム『バタフライ(Butterfly)』の収録曲です。
アメリカでは1stシングル「Honey」から8カ月後にリリースされた2ndシングルで(途中airplay-only singleや海外でのリリースを含めると5thシングル)、148万枚以上のセールスを記録しマライアにとって13曲目のBillboard Hot 100でのNo.1(1998年の年間17位)に輝きました。
Billboardは今年『Mariah Carey's Top 40 Biggest Billboard Hot 100 Hits』を発表しており、それによると「My All」は全体の14位にランクされています。


作者は、マライアのデビュー以来の名コンビで「Hero」「Dreamlover」「One Sweet Day」など、彼女の成功を象徴するような名曲を共作し続けてきたソングライター/プロデューサーのウォルター・アファナシェフ(Walter Afanasieff)。
しかし『Butterfly』はマライアが、それまでのアダルト・コンテンポラリー路線からヒップホップ路線へと大きく転換を試みたアルバムであり、これに伴いウォルター・アファナシェフとのコンビは本作を以て解消され、マライアは2005年の「We Belong Together」まで“低迷期”と呼ばれる時期に突入、一方のウォルターは1997年12月のセリーヌ・ディオン「My Heart Will Go On」(過去ログ)の制作に携わりグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞、2000年にはプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど、対象的な結果をもたらしています。

1996年末ごろ、マライアは『Butterfly』の創作に当たって“自分自身の再定義”をテーマに掲げ、それまでの音楽性に加えて新しいアイデアや他ジャンルの音楽へのアプローチを模索していましたが、「My All」ではマライアお得意のバラードに、R&Bビートとラテンのギターやパーカッションを融合させ、見事に昇華させました。
そうしたラテン・ミュージックを取り入れた背景について、マライアは“プエルトリコ(カリブ海北東に浮かぶアメリカ自治領)を訪れ、その瞬間からラテン音楽の影響を受けたの。ニューヨークに戻ったとき、メロディーは私の頭の中にあったわ”と語っています。
マライアは“ラテン”を売りにした歌手ではありませんが、彼女のお父さんはベネズエラ系移民であり、マライア本人もラテン音楽について“潜在意識としてはっきりと私の中にある”と言及しているそうです。


 



~Lyrics~

I am thinking of you
あなたを想う…
In my sleepless solitude tonight
眠れない、ひとりぼっちの夜

このラインから、普通“ひとりベッドで…”と想像するでしょう?
…ところが、マライアはやることが“ひと味”違います! 
PVで彼女がひとり横たわっているのはビーチに“ひっくり返ったボートの船底”だったり、あるいは“ダブルベッド・サイズの貝殻の上”《写真・左》なのです。

“貝殻の上の美女”というと愛と美の女神・ヴィーナスを連想する方も多いと思いますが、PVでの演出はまさに15世紀のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生(La Nascita di Venere)』《写真・右》からヒントを得たものだそうです。
ちなみに“ひっくり返ったボート”もちゃんと意味があり、“彼女の傷つきやすさ”を表しているとか…。

Mariah Carey - My All3


If it's wrong to love you
あなたを愛することが、たとえ倫(みち)に外れることであったとしても
Then my heart just won't let me be right
この胸のときめきは、きっと倫を歩ませてはくれない

【wrong】は“間違った”で、そこには“(道徳的に)正しくない”ニュアンスを含んだりもします。
ここでは【倫(人の守るべき筋道)】という言葉を用いましたが、これはあくまで【If】の話であり、彼女が実際にそうした行いをしていると限定するものではありません。

ここから窺えるのは、彼女の心はもう理性では抑えきれなくなってしまっているということ。
【wrong】は“ねじまがって・おかしくなっている”状態ですが、それを正常な状態に戻すのは容易なことではなさそう…。


'Cause I've drowned in you
これまで、ずっとあなたに溺れ
And I won't pull through
これからも、きっと抜け出せない私

マライアにしてはセンチメンタルというか…歌声も弱々しい感じがしますが、当時の強い想いが「My All」を書かせたといいます。
それは人生を憂うつにさせることであり、心の中で切実に願い続けてきたこと。それは逃れられない務めのようであり、解き放たれたいと望んでもそれができない

…何やら、意味深な発言?



~Epilogue~

ウェイトレスからブレンダ・K・スター「I Still Believe」のバックコーラス、そしてCBSレコード社長トミー・モトーラに見初められ鳴り物入りでのデビュー、22歳の若さでNo.1歌手と社長夫人の両方を得るという、まるで『シンデレラ』のような夢物語を実現させたマライア・キャリー。
しかし夢物語は長くは続かず、二人は1997年5月に別居~翌年離婚
そんな激動の真っ只中で、アルバム『Butterfly』はレコーディング(1997年1-7月)されました。

マライアが“地獄だった”と振り返る二人の結婚生活の破綻はトミーの過剰な束縛・干渉が原因で、彼女が外出の際に夫の許可が必要で尾行や盗聴が行われたり、衣装やファッション、音楽やビジネスに関する一切にトミーの意向が反映される彼女の日常は、プロデューサーも“童話『ラプンツェル』の主人公(高い塔に閉じ込められる少女)のようだった”と形容するほどでした。
『Butterfly』は、まるで籠の中の蝶が自由に空を舞う日のことを夢みているかのような歌集です。


誰かが誘拐してくれないかと夢見ていた…

一方で、「My All」は叶わぬ恋に心を焦がすストーリーです。
トミーの過剰な束縛に対する当時の心境をふり返るマライアの言葉はそれを指しているか不明ですが、実際に彼女の願望を叶えてくれそうな“誘拐犯”の噂が当時ありました。
一人はニューヨーク・ヤンキースのスター選手デレク・ジーター、もう一人は“プエルトリコ”生まれのメキシコ人歌手ルイス・ミゲル

I'd give my all to have
私のすべてを捧げよう
Just one more night with you
あと一夜、あなたと共に過ごせるなら

…意味深でしょ? 


さて、解き放たれた美しい蝶はその後子宝にも恵まれ、自由な恋も謳歌しているようです。
もちろんお仕事も順調で、来月ニュー・アルバム『Caution』リリース予定に加えて、今月は日本に季節外れの蝶が舞い降りるかもしれません。





「マイ・オール」


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古い歌の“温故”から、歳月を重ねた“知新(いま思う・いま考える)”を綴ります。



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