I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「シーズ・ライク・ザ・ウィンド」パトリック・スウェイジ

2018.09.08

category : Soundtracks

Patrick Swayze - Shes Like The Wind1 Patrick Swayze - Shes Like The Wind2


Patrick Swayze ft. Wendy Fraser - She's Like The Wind (1987年)



~概要~

「シーズ・ライク・ザ・ウィンド」は1987年に公開された映画『ダーティ・ダンシング(Dirty Dancing )』の挿入曲で、サウンドトラック・アルバムからの3rdシングルとしてカットされ、Billboard Hot 100の3位(1988年の年間40位)を記録しました。

歌っているのは本映画にヒロインの恋の相手役として出演している俳優パトリック・スウェイジで、しかもナント“自作曲”
ただし本曲は本映画のために書かれたものではなく、1984年にパトリックが出演した映画『Grandview, U.S.A.』のために、友人のStacy Widelitzと共作したものです。
しかし結局この映画では使用されず、その後『ダーティ・ダンシング』に持ち込んでプロデューサーとディレクターに聴かせたところ今度は気に入られ、1986年11月にサウンドトラックとして正式にレコーディングを行っています。

ただし、wikiによると【彼(音楽監督のジミー・アイナー)はまた、新曲『She's Like the Wind 』を歌うようパトリック・スウェイジに協力を求めた】との記述があり、パトリックは当初自分で歌うつもりではなかったのかもしれません。


「She's Like The Wind」のPVは映画シーンにパトリックが歌う姿を投影し、モノクロと“揺れる水面”が取り入れられた編集がノスタルジーを誘い、後半には“ft.”とされる Wendy Fraser も登場します。
映画『ダーティ・ダンシング』は低予算ながら1987年に最高益を生み出した映画の一つとして話題を呼び、パトリックも俳優として2つの賞にノミネートされましたが、何れも受賞は叶いませんでした。
しかしこの映画で彼に栄冠をもたらしたのは“本業ではない歌手”の方で、パトリックは「She's Like The Wind」によって『BMI Awards』で“Most Performed Song from a Film”を受賞しています。

恐らく俳優であるパトリックがレコードを出すなんて、他にないだろう…
そう思った私は浅はかで、1989年にパトリックが主演した映画『ロードハウス/孤独の街(Road House)』のサウンドトラックで2曲歌唱(うち1曲が自作曲「Cliff's Edge」)していました!
さすがに俳優であるパトリックのライブ映像なんて、無いだろう…
それもやっぱり浅はかで、1987年に『TopPop』という歌番組に出演していました!
ただし残念ながら口パクで、マイクの握りが力んでいたり呼吸が乱れているように見えるのは、慣れない仕事の緊張のせい?






~Lyrics~

Feel her breath on my face
息遣いを顔に感じるくらい…
Her body close to me
体を寄せ合う

主人公の情熱的な想い…
しかしそれと対照的に、どこか“夢想”を感じさせる彼。

鍛え抜かれたマッチョな肉体美…
しかしそれと対照的に、繊細優美でハイトーンな歌声? 


She's out of my league
君は、僕にとって手の届かぬ嶺に咲く花
Just a fool to believe
だけど、愚かなくらいに信じている

『ダーティ・ダンシング』ではヒロイン“ベイビー”(ジェニファー・グレイ)は17歳の医者の娘であるのに対し、ジョニー(パトリック)は労働者階級のダンサーです。
二人はそのギャップを乗り越えようとしますが現実は厳しく、ジョニーは仕事も辞めざるを得なくなってしまいます。

別れを決意したジョニーはベイビーの元を訪れ…
そんな流れの中で、「She's Like The Wind」が使用されています。




Just a fool to believe (just a fool to believe)
だけど、愚かなくらいに信じている
She's like the wind (just a fool to believe)
風のような人…

「She's Like The Wind」の後半部分に入ってくる女性ヴォーカルが、Wendy Fraser
ニューヨーク市立大学ハンター校で音楽を専攻し、ポップ・ミュージックへの進出を志していた女性歌手で、パトリックの歌声が繊細なので彼女の方が力強く聴こえます。
何を隠そう本曲の共作者Stacy Widelitzのガール・フレンドだそうで、本曲がサウンドトラックに起用される前デモを歌っていたのも彼女でした。

その後メジャーな存在にこそなっていませんがジャズ・シンガーへと転身し、ソロ作品も出しているようです。



~Epilogue~

2009年9月14日、膵臓癌とそれに伴う合併症のため57歳という若さで亡くなった俳優パトリック・スウェイジ。
1983年にフランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』過去ログ「Stay Gold」スティーヴィー・ワンダー)でトム・クルーズやマット・ディロン、ラルフ・マッチオ、ロブ・ロウらオールスター・キャストの長兄的な役どころを務め、1990年には『ゴースト/ニューヨークの幻』で全世界興行収入No.1を記録する世界のトップ・スターとなった彼にとって、『ダーティ・ダンシング』は出世作でした。

『ダーティ・ダンシング』ではダンサー役という難役で見事なダンスを披露し、自ら作曲した「She's Like The Wind」をヒットさせる大活躍でしたが、それはまさに“パトリックの人生そのもの”が詰まっているといってよい作品なのかもしれません。
彼は、振付師でもある母親のバレエ教室で幼少からバレエの英才教育を受けて育ち、バレエの劇団を経てブロードウェイ・ミュージカルへと歩んだ俳優です。
その彼が18歳のころ母のバレエ教室で一人の14歳の少女と出逢い、恋に落ち、1975年に結婚しました。
その女性はリサ・ニエミ(Lisa Niemi/女優)といい、パトリックが亡くなる2009年まで34年間伴侶であり続けた人。
2008年のインタビューでパトリックは、“「She's Like The Wind」はニエミのインスピレーション”と語っています。

Patrick Swayze - Shes Like The Wind3 <Swayze and his wife, Lisa Niemi>

She's like the wind through my tree
君は、僕の体を吹き抜ける風のよう…

Stacy Widelitzとの共作がどのように行われたか詳細は不明ですが、冒頭のこの歌詞とコードはパトリックの創作といわれています。
男女の喩えに“船と港”というのはよく耳にしますが、“”とは…
果たして、どんな想いが込められているのでしょう?

 “木は、どんな強風にも耐え抜いて立ち続けねばならない”じゃね?
 …それはアンタが悪行ばかり重ねているからでしょっ!




「シーズ・ライク・ザ・ウィンド」

『ダーティ・ダンシング』の過去ログ;「ビー・マイ・ベイビー」ザ・ロネッツ


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 映画 

comment(3) 

「夜の囁き」フィル・コリンズ

2018.09.07

category : Genesis+

Phil Collins - In The Air Tonight1 Phil Collins - In The Air Tonight2


Phil Collins - In The Air Tonight (1981年)



~概要~

看板であるピーター・ガブリエルが去ったジェネシスを、より大きな成功へと導いたフィル・コリンズ。
本作はそんな彼にとって、輝かしいソロ・キャリアの第一歩となるデビュー曲です。
「夜の囁き」は1981年2月発表のフィルの1stソロ・アルバム『夜の囁き(Face Value)』の先行シングルとして同年1月9日にカットされ、全英2位/アメリカBillboard Hot 100では19位を記録しました。
シングルはジョン・レノンの「Woman」に全英1位を阻まれたものの、アルバムは全英初登場No.1を達成し、274週チャート・インという超ロング・セラーに輝いています。

フィルは80年代に“世界で一番忙しい男”と称されましたが、その数年前のこのころ既にスケジュールは過密で、ジェネシスのアルバムをおよそ年1枚発表しながら、こうしてソロとしても並行し創作していました。
『夜の囁き』の作品群は比較的インターバルの長い『そして3人が残った』(78年)~『デューク』(80年)までの合間に創作の起源があるとされていますが、この期間はフィルの私生活にとって大きな変化があった時期でもあります。
当時彼は1975年に結婚した妻アンドレアとの間に夫婦問題を抱え、1980年2月に離婚に至っており、本作に重苦しさが漂っているのはこのためです。

本曲の大半はリズムボックス【ローランドCR-78】によって生成された単調で静かなサウンドですが、後半劈(つんざ)くように入ってくるドラムス(ファンは“magic break”と呼んでいる)を号砲とするかのように、それまで抑えていたフィルの感情が堰を切って溢れ出し、悲鳴へと移り変わるさまが聴き所となっています。
フィルは当初ジェネシスの作品として提供するつもりでしたが、メンバーから“シンプル過ぎる”と反対されとりやめました。
また、本作プロデューサーのヒュー・パジャム(Hugh Padgham)は80年代以降フィルやジェネシス、ポリスやスティング、ポール・マッカートニーなどのヒット作の多くに携わるなど名プロデューサーとして有名ですが、彼にとってもその名声を得る第一歩となったのが「In The Air Tonight」でした。

意味深な歌詞はスタジオのセッションの中で、感情のままを口に出して即興的に歌ったもので、録音したそれを後で聴き直し正式に歌詞として書き留めたそうです。
PVもそんなフィルの感情を投影してか全体的に暗いモノクロが基調で、彼の姿からは強い“孤独”と“怒り”を感じ取ることができるでしょう。
前半の真っ暗な部屋で独り悶々と不健全なエネルギーを貯め込んでいる姿と、後半ドアがたくさんある空間を探し回り、4番目のドアを開けるとサウンドが爆発し、“何かが起こった”ことを想起させます。


ただし、本曲が特に広く知られるようになったのは作品発表から3年後、1984年にアメリカのドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス(Miami Vice)』のサウンドトラックに起用されてからでしょう。
「In The Air Tonight」が使用されたのはその第1回(パイロット版)、『血闘サブマシンガン!巨大組織を叩きつぶせ!(Brother's Keeper)』です。

物語序盤からソニー・クロケット刑事は警察の内部情報が麻薬密輸組織に流れている疑念を抱いており、終盤でその犯人が自分と長年家族ぐるみの付き合いをしてきた仲間であったことが判明します。
絶対の信頼を寄せていた仲間の裏切りへの怒りと、彼が“売った”情報によってソニーの相棒が命を落とした哀しみを背負い、後に“新たな相棒”となるニューヨークの刑事リカルド・タブスと共に麻薬密輸組織摘発へと乗り込む道中に「In The Air Tonight」が流れます。
無機質に回り続けるタイヤ、黒いボディーに流れゆく街の光、愛車が主人の心を映し、彼を覆う暗闇「In The Air Tonight」…“MTV Cops”として人気を獲得した同シリーズの魅力を集約した屈指の名シーンです。


 



~Lyrics~

Well if you told me you were drowning,
ところで、溺れるお前が助けを求めてきたとする
I would not lend a hand
…だが俺は、お前に手を貸さないだろう

「In the Air Tonight」で最も印象的なこのフレーズはロック界でも有名な都市伝説の一つとなっていて、いろいろ“尾ひれ”がついています。
その一つを紹介すると、“少年時代のフィルが誰かを溺れさせている男を(救助できないほど)遠くに発見し、後年探偵を雇って犯人を見つけ出すと「In the Air Tonight」を初演する彼のコンサートへ無料で招待し、終始その男にスポットライトを浴びせた”…という話。

この伝説は世代をも超える影響力を持っているようで、2000年にエミネムは「Stan」の歌詞の中に【You know the song by Phil Collins "In the Air Tonight" / About that guy who coulda saved that other guy from drowning】とこの場面を参照し、“(この歌のように)君は僕を溺死から救える(のに見殺しにしようとしている)”と、ストーリーを展開させています。

 

And I've been waiting for this moment for all my life, oh Lord
ずっと待ち続けたこの瞬間...
Can you feel it coming in the air tonight, oh Lord, oh Lord
お前も、それを感じるだろう?

もちろんこうしたあらゆる都市伝説の類いを否定する一方でフィルは、これを1980年に“離婚した妻への‘たくさんの怒り’、‘たくさんの絶望’、‘たくさんのフラストレーション’”であることを認めています。
一説によると奥さんは【ペンキ塗りの男性】と恋仲になって出て行ってしまったらしく、その後フィルが「In the Air Tonight」を作曲し、イギリスのテレビ番組『Top of the Pops』に出演した際、“ある仕掛け”をして奥さんへの強烈な反撃を試み、彼女に“私へのメッセージだと、すぐに分かったわ”と言わしめたそうですが…

実際の映像で確認してみると、確かに“キーボードの横”にそれを示す【ブツ】があるっ!! 



~I can feel it coming in the air tonight, oh Lord~

昼の光は、それがどんな形をし、どんな色をしているか明らかにし、夜の暗闇はそれを覆い隠します。
しかしどんな暗い闇に身を潜めようと、形や色はわからなくても、そこに存在する“真実”まで秘匿するのは容易なことではありません。

I can feel it coming in the air...
何故なら、空気の中にそれを感じることができる…


【闇に覆われた『安倍晋三宅火炎瓶投擲事件』の真実とは?】

2000年6月(~8月)に発生した、『安倍晋三宅火炎瓶投擲事件』をご存知でしょうか?
山口県下関市にある安倍氏の自宅や地元事務所が、暴力団らによって放火された事件です。
一面的に見れば安倍氏は被害者ですが、その背景にある真実はメディアによって長年秘匿されてきました。
まずは、その概要をご紹介いたしましょう(※詳細はリテラを参照)。

事の始まりは1999年4月の下関市市長選に際して、安倍氏子飼いの江島潔氏を当選させるため、安倍事務所が「わしは安倍先生の熱心な支援者」と公言する土地ブローカー(仲介人)のK氏(前科8犯/暴力団関係者)に、対立候補への選挙妨害工作の協力を依頼したことです。
安倍事務所のS秘書とK氏は選挙の半年前と選挙期間中の2回、「対立候補は北朝鮮国生まれ」などデマ情報のビラを何万部も各家に投函し、江島氏が当選しました。
しかし「見返り」を巡って両者は対立、怒ったK氏は福岡の暴力団組長らに報復を依頼し安倍氏自宅などへの放火が実行された…という背景があるとされています。

しかし被害者である安倍氏側には事前に「明確なトラブル」を抱え放火犯の特定は容易であったにも拘らず、実際に犯人が逮捕されたのはそれから3年も経った2003年になってのことで、それも他県の福岡県警による暴力団一斉摘発捜査の過程から偶然に本件が明るみになったのがきっかけでした。
何故なら所管の山口県警は当初から本件の事件化に消極的で、背景には安倍氏側に「事件化すれば安倍事務所による選挙妨害工作が白日となり、安倍氏の政治生命さえ危うくなる」事情があり、安倍氏のT筆頭秘書(元山口県警・警視)を通して「山口県警の捜査方針に影響を与えた」ともいわれます。

ただ、この時点で「安倍事務所による選挙妨害工作」についての根拠が証言にとどまっていたため『噂の真相』など、ごく一部のメディアしか報じませんでした。
第1次安倍政権が誕生した直後の2006年10月、『共同通信』が拘留中のK氏に面会、【安倍氏のT筆頭秘書とK氏が交わした念書】の存在を確認し【双方が事実を認める】段階までこぎ着けたものの、官邸からの嫌がらせを恐れた上層部の判断で記事は差し止められたことにより、現在に至るまで殆んど報じられることがありませんでした。


【2018年、安倍事務所による選挙妨害工作の物的証拠「念書」の公開】

ところが今年5月、『噂の真相』時代から本件を追い続けてきたジャーナリスト・山岡俊介氏が、13年の刑期を終えて出所したK氏の取材に成功し、【安倍氏のT筆頭秘書の署名・捺印入りの3通の念書】の現物を確認できたことから、自らの運営するサイト『アクセスジャーナル』で告発に踏み切りました。
ポイントは、以下のとおりです(※詳細はリテラを参照)。

《念書は、正確には「確認書」×2、「願書」×1》

「確認書」は発言・日時などの合意確認書? もう1枚はK氏からの要望書らしい…。
(「(対立候補者名)潰しの件(S秘書よりの依頼)安倍代議士に報告し、代議士含めK氏とお話をさせて頂きたいと思っておりますと言われた事。」に着目)

「願書」はT筆頭秘書からK氏への願書で、「K氏・安倍代議士(1対1)で話合いする事、勝手ながら決めさせていただきました。大変お忙しい中、お手数おかけいたしますが、安倍事務所へお越し頂けますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。」と書かれています。

つまり、
「対立候補者潰しの件でK氏と安倍氏が1対1で話合う段取りを決めたので、安倍事務所へ来られたし」
…というT筆頭秘書署名・捺印入りの書類
が、今回出てきたのです。

 
左の動画は山岡俊介氏による解説、右はK氏の証言の一部。


【告発者二人は、「その後」…】

この念書については、これまでK氏は「これがあるかぎり絶対に捕まらん」と関係者に漏らしていたとされ、裁判でも一切、念書のことは持ち出さなかったそうです。
山岡俊介氏の取材の後、K氏は山岡氏の仲介で『週刊新潮』のインタビューにも応じる予定でしたが突如新潮の取材を断り、途中から連絡が取れなくなってしまったといいます。
安倍氏側から「何らかの接触」があったか、「命のお守り」でもある念書を公開してしまった以上…?

更に気になるのは、一連の告発を続けてきた山岡俊介氏が8月7日夜、新宿アルタ横の階段から転落し、右肩骨折/頭部7針を縫う重傷を負ったと報じられています。
命に別条はなかったというものの、果たして…。



~今も、昔も変わらない“構図”~

今回、20年近い昔に起きた『安倍晋三宅火炎瓶投擲事件』とその背景を調べてみて、近年世間を騒がせた『森友学園事件』と“似た構図”に思えました。
K氏と籠池理事長という“同じ匂いの人”と組んで悪事を働き、不都合になったら“シッポ切り”して、怒った彼らの“反撃を喰らう”…。


“似た構図”といえば、ここでもやっぱり『加計学園』に行き着いてしまうことです。
安倍氏が下関市市長選で不正な選挙妨害工作してまで“えこひいき”した江島潔氏は、安倍首相と同じ下関市に由来があり、互いの父も同じ自民党の派閥「清和会」に属した古くからの間柄。
2009年まで下関市長、2013年から参議院議員に転身していますが、その間2010年からは加計学園系列の「倉敷芸術科学大学」の客員教授を務めました。

“同じ構図”は安倍首相の側近中の側近・萩生田光一元官房副長官にも当てはまり、落選中の2009年から加計学園系列の千葉科学大学で、また元首相補佐官の井上義行参議院議員も退官後に千葉科学大学で、それぞれ浪人中に同大学の客員教授として迎え入れられています。

もちろん加計学園が一方的に安倍首相に奉仕しているのでは決してなく、千葉科学大学学長の木曽功氏は内閣官房参与、木澤克之・元加計学園監事は最高裁判事に就任、さらに加計学園系列への国・自治体からの補助金が176億円にも上るといわれ、これら「彼らの個人的恩義の代償は何れも国民の税金で払われている」のです。


また、下関市市長選での安倍事務所による対立候補への選挙妨害工作と“似た構図”を思わせるのが、近年「確信犯でデマやヘイトを流す汚い選挙」です。
今年2月の名護市長選での「内地から2000世帯移動」や、6月の新潟県知事選で「候補者が[拉致問題は北朝鮮の創作]と言った」など、およそ根拠のない悪質なデマが常態化しているのは、“ボス”の戦い方に倣ってのことでしょうか…。


そして【安倍支配の本質】と言ってもいい“同じ構図”は、「警察を飼い馴らしそばに置く」こと。
警察の捜査手法や能力を知るOBや高官を厚遇してそばに置いておくと、彼らの手の内を事前に知って「作戦」を立てられるし、万が一自らが捜査の対象になりそうな時でも、彼らを抑え、事件をもみ消す「最強の番犬」となってくれます。
近年の森友・加計疑惑でも見られた、たくさんの証拠が出たのに結局「警察・検察が事件化しない」ことで逮捕・起訴という致命傷を免れ、未解決のままうやむやにして有権者の倦怠・忘却を待つ…といった手口は、まさに『火炎瓶投擲事件』の真相をもみ消した手法そのものです。
「警察は際立った強制力を持った組織」であり、「法の番人」の名の下に安倍首相に逆らう不埒者を排除する手足にもなり得ます。

警察を子飼いにするメリットはそれに止まらず、情報収集や捜査活動のプロである彼らの能力はさまざまな局面に重宝します。
とりわけ安倍首相が重用しているのが杉田和博内閣人事局長北村滋内閣情報官という2人の警察官僚。
2人が属した『内閣情報調査室(内調)』本来「内閣の重要政策に関する情報の収集・分析」が職務ですが、安倍政権下では内閣の重要政策に関係ない街頭演説での「ご当地ネタ」の収集であったり、現在行われている自民党総裁選では対立候補の石破茂・元幹事長の講演会など公式の発言に加え、非公開の場での発言まで収集していると報じられます。
内調の活動は選挙に止まらず、「知人と会食の場で漏らした安倍首相への不満で更迭」された森本康敬・韓国・釜山の総領事や、意見が対立した前川喜平・前文科次官を「退官後も私生活を監視」していたのも、内調や公安警察ではないかといわれています。



~Epilogue~

今回の総裁選に際して、「正直、公正」をスローガンに掲げ立候補した石破茂元幹事長。
これに対する自民党の反応は、石破支持を表明した竹下派の吉田博美参院幹事長の「相手を個人的なことで攻撃するのは非常に嫌悪感がある」が象徴しています(実は吉田氏は安倍首相に近い人物)。
しかしこれは安倍首相周辺で起きた数々の疑惑が「安倍氏自身の嘘、えこひいき」に基づいて生じたと考えられるからであって、問題に1年以上費やした先の国会終了後の世論調査「森友・加計問題に納得せず75%(納得14%)」が指し示すとおり、一般国民との認識がズレているのは安倍首相を支持する自民党の方です。

自民党はこうした石破氏の投げ掛けを「野党みたいな批判」と非難していますが、まるで他人事です。
これは「自民党の総裁にかかった疑惑」であり「自民党自身が解決する責任の問題」であり、政権外にあって他党である野党の問題ではありません。
自民党が自らの責任を果たそうとせず、国の統治システムに悪影響を及ぼしているから野党や国民が批判しているのに、責任を他人に転嫁しているだけです。
当たり前の組織であるなら、いつまで経っても自らの疑惑を晴らせず問題解決できない組織のトップに対し、内部から自浄作用を働かせ責任を取らせるものですが、こんな状況にあってさえ「安倍さんしかいない」と三度目の神輿を担ごうというのですから、国政与党としてあまりに心許ないといわざるを得ません。

しかし余人はともかく、お伝えしているように安倍晋三氏はそれが事実なら犯罪の数々を犯した容疑のある人物です。
警察・検察が事件化しなかったため、あるいは警察・検察・国税庁・暴力団…あらゆる手段を用いてメディアや事件関係者の口を封じてきたために逮捕を免れてきた疑いがあります。
法治国家に於いて“法の番人”が「正直、公正」の魂を捨て、時の最高権力者に阿(おもね)り、番犬として“飼い主の敵”を取り締まり始めたらどのような末路を迎えるか、戦前のこの国の歴史が指し示しているはずです。

国民の約0.8%(自民党員)が賢明な判断を下すことを、残り99.2%の国民は願っています。



「夜の囁き」


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「カミング・アップ」ポール・マッカートニー

2018.08.31

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Coming Up1 Paul McCartney - Coming Up2


Paul McCartney - Coming Up (1980年)



~概要~

「カミング・アップ」はポール・マッカートニー1980年5月16日(UK)発表の2ndソロ・アルバム『マッカートニーII (McCartney II)』の収録曲で、同4月11日に先行シングルとしてカットされ、全英2位/アメリカBillboard Hot 100でNo.1(3週/年間7位)を記録しました。
本曲のスタジオ音源はポールのソロ作品ですが、それ以前にもウイングスのUKツアーで演奏されており、シングルB面には1979年12月17日に行われたWingsのグラスゴー公演(スコットランド)のライブ音源「Coming Up(Live at Glasgow)」が収録されています。
アメリカでは、契約先であるコロムビア・レコードが“アメリカ人はポールの本当の声の方を好む”との判断から、B面のライブver.をプロモート(事業推進)する独自の方針が採られ、ラジオ局も主にライブver.を流し、シングルを買った人の多くもそれを想定して購入していたため、実質的に「Coming Up(Live at Glasgow)」がA面と認識されました。

「Coming Up」はウイングスの『Back to the Egg』発表後の1979年夏にポールがスコットランド自宅農場のスタジオでワンマン・レコーディングしたもので、スタジオver.はポールがヴォーカル/キーボード/ギター/ベース/ドラムス、奥さんのリンダがコーラスを担当しました。
当時はクラフトワークやYMOなど“テクノポップ”(Technopop)が世界的なブームとなっており、サウンドにはその影響が強く感じられます。
実際にポールは、まず最初にドラム・トラックから取り掛かり、ギターとベースを加え、ヴォーカルは後回しというリズム重視の創作過程が採られ、ポールの声も【vari-speed】というテープマシンを使用して録音されました。

PVもワンマンな創りとなっていて、“The Plastic Macs”なる怪しげなバンド(Plastic Ono Bandに敬意を表したネーミング)をポールとリンダが一人何役も務めています。
その何れも個性的なキャラクター揃いですが実在の人物で、ハンク・マーヴィン(The Shadowsのギタリスト)やロン・メイル(Sparksのキーボード)、ジョン・ボーナム(Led Zeppelinのドラマー)、バディ・ホリー、アンディ・マッケイ(Roxy Music.のサックス)、フランク・ザッパなどをポールが一人で演じました。
でも、忘れてはならないのはそこにBeatles時代のポール自身も含まれていることで、それについてポールは“(役が多過ぎて)最後はほとんどウンザリしてしまったよ。でも昔の衣装を着たらそれが過去のことだと思えなくて、本当に20年前に戻ったような感覚だった”と語っています。

意外な所ではジョン・レノンが“a good piece of work”と高く評していることで、とりわけ“ライブ・バージョンよりスタジオ・テイクの方がぶっ飛んでて好き”と言及したそうです。
ジョンは1980年10月に「(Just Like) Starting Over」で音楽界に復帰していますが、ポールの「Coming Up」がそれを早めたとする説もあります。

「Coming Up」は1989年からの『The Paul McCartney World Tour』以降ライブで取り上げられることの多いナンバーで、2009年にポールが出演した『Late Show with David Letterman』ではビートルズ時代以来の『Rooftop Concert』を実現させていますが、本曲もそのセットリストの一つとして演奏されました。


 
 



~Lyrics~

You want a friend you- can rely on
頼れる友だちがお望みかい?
One who will never fade away
決して色褪せることのないやつ

このラインは、何れも短命に終わったビートルズやウイングスのことを思い起こさせます。
特にウイングスはセールスこそ好調だったもののアルバム毎にメンバーが入れ替わっているような内情で、常にポールの悩みの種でした。

ポールにとってビートルズ時代はジョン・レノンがよき相談相手でしたが、いざ互いに袂を分けてみると音楽界の頂点に立つ彼らの領域にアドバイスできる人間などそうそういるものではなく、加えて“(友情の)色褪せることのないやつ”となると…
そういう意味で、ビートルズ解散後ジョンもポールも孤独だったといわれます。


You're not alone, we all could use it
きみは一人ぼっちじゃない、みんながそれを望んでいる
Stick around we're nearly there
だから離れずいるんだよ、もうすぐだから

サウンドが“おフザケ”気味なので歌詞もチャラいと思うかもしれませんが、意外とマジメでしょ?
平和とか自由とか、よりよい未来とか…。

そう、それを望んでいるのは一人だけじゃない、“みんなが望んでいる”だけに、時にそれを巡って争いが生じてしまうこともあります。
争って“Winner Takes It All(勝者が全て取る)”か、争いを避け“share(みんなで分け合う)”か…

あなたなら、どっち?


It's coming up, it's coming up
芽生えの時が近づいている
It's coming up like a flower
It's coming up, 花のように

「Coming Up」はポールにしては珍しいテクノポップ調の曲ですが、日本のテクノポップ・バンド YMOのアルバム『増殖』収録の「NICE AGE」に、こんなフレーズ(間奏部分)があります。

“ニュース速報…22番は今日で1週間経ってしまったのですけれども、でももうそこにはいなくなって彼は花のように姿を現わします。Coming up like a flower…”

「Coming Up」は1980年4月発売、『増殖』は同年6月発売…これは単なる偶然の一致?





~Epilogue~

「Coming Up」が発表された“1980年”は、ポールにとって決して忘れることのできない年。
一つは同年12月8日に発生した“ジョン・レノン殺害事件”(過去ログ)、そしてもう一つは1月16日にポール自身が起こした“日本での大麻所持による逮捕”です。
この来日はウイングスの日本公演のためのものですが、ポールの逮捕によって同公演は全て中止となっただけでなく、結果的にウイングスの活動休止から解散への流れを導きました。

そして、この時日本の留置場で付けられたポールの番号が“22番”でした。
また、YMOの「NICE AGE」で“22番”“Coming up like a flower”とアナウンスしている女性はサディスティック・ミカ・バンドの加藤ミカ(1975年以降は福井ミカ)で、実は1月16日の事件当日ポールに同行していたメンバーの一人だったのです。
ウイングス1979年のアルバム『Back to the Egg』にはビートルズの『ホワイト・アルバム』のアシスタント・プロデューサーだったクリス・トーマス(Chris Thomas)がプロデューサーとして携わっていますが、彼は1974年にサディスティック・ミカ・バンドのプロデューサーも務めており、以来ミカとは恋仲で、そうした縁から彼女はポールの来日に際しての案内役を任され、事件が起こらなければウイングスとYMOのセッションが行われる予定だったといいます(YMOの高橋幸宏も元ミカ・バンドのメンバー)。


当時ポールがYMOに少なからず影響を受けていたことは、彼に“らしくないアルバム”『McCartney II』を創らせたことからも想像に難くありませんが、特にそれを感じさせるのがインストゥルメンタルの「Frozen Jap」
日本での逮捕から4カ月後に発表された作品のタイトルに【Jap】という日本人への蔑称を用いたことから(※日本盤では「Frozen Japanese/フローズン・ジャパニーズ」に変更された)、事件を知っている誰もが“日本人への遺恨”を連想すると思いますが、曲自体はYMO 1978年の「FIRECRACKER」を彷彿とさせる“癒やしアジアンテイストなテクノポップ”です(※「FIRECRACKER」はアメリカの作曲家Martin Dennyのカバー)。

ただし「Frozen Jap」の“録音時期は来日前(1979年 6-7月)”であり、ここからは個人的な推測ですが、ウイングス初の来日公演で日本の観客を喜ばせようと日本をイメージした曲をレコーディングしたものの、予想外の日本側の仕打ちに“わからず屋め!”という愛憎を込めてタイトルだけ「Frozen Jap」に変更したのではないでしょうか…。

 


ところで、ポールは今年6月にCBSのトーク番組『The Late Late Show with James Corden』の人気コーナー【Carpool Karaoke(相乗りカラオケ)】に出演し、日本で逮捕され留置場に入れられた際のエピソードについて回顧しています。
ポールがこの事件で拘留されたのは1980年の1/16-1/25までの9日間ですが、“有名人じゃなかったら7年間の労役だった”と告白しました。
また、留置場で最後の日に他の囚人と一緒に共同浴場で入浴したそうで、その理由について“イチゴ畑で永遠に(Strawberry Fields Forever)働いてるような匂いがしてきたから”と、彼ならではのユーモアを交えてその時の状況を説明したそうです。

ここに紹介したエピソードはアメリカで8月20日に放送されたSP版で加えられた映像の中で語られた話で、下の動画はそれが含まれない通常版と思われます。
ただし、内容はポールがリヴァプールで当時暮らしていた家やペニー・レイン(過去ログ)を巡ったり、現地パブでサプライズ・ギグを行うなど、非常に楽しい内容になっているのでファンの方は必見です(字幕は日本語翻訳も可)!



今月ニュー・アルバム『Egypt Station』を発表し、来月は日本公演が控えている御齢76歳の“Sir Paul McCartney”。
この映像を見ていると、彼がツアーを止められない理由がよくわかるでしょう? 



「カミング・アップ」


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「リスペクト」アレサ・フランクリン

2018.08.24

category : Aretha Franklin

Aretha Franklin - Respect1 Aretha Franklin - Respect2


Aretha Franklin - Respect (1967年)



~概要~

アレサ・フランクリンは“The Queen of Soul”と称され、歌手として後進に多大な影響を残しただけでなく、アメリカの文化や人権確立にも貢献した黒人女性歌手です。
1961年のデビュー以来数多くのグラミー賞をはじめ女性として初の『ロックの殿堂』入りを果たし、名だたる大物を退けローリング・ストーン誌が“100 Greatest Vocalists of All Time 1位”に選出した歌手こそ、アレサ・フランクリンでした(ちなみに2位はレイ・チャールズ)。

「リスペクト」はアレサがアトランティック・レコードに移籍して最初(通算10枚目)のアルバム『貴方だけを愛して(I Never Loved a Man the Way I Love You)』《写真・右》からの2ndシングルとして1967年4月にリリースされ、自身初となるBillboard Hot 100のNo.1(2週/年間13位)に輝いた作品です。
また翌年のグラミーでは、“Best R&B Performance”“Best Female R&B Vocal Performance”の2冠を受賞しました。
“Lady Soul”アレサを象徴する作品であり、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 5位”にも選出された楽曲でもあります。

「Respect」の作者はアメリカのシンガーソングライターのオーティス・レディング(Otis Redding)で、彼が1965年に自身のアルバム『Otis Blue』のために創作し、シングルとしてもBillboard Hot 100で35位を記録しました。
その2年後の1967年6月、30組以上のミュージシャンが出演した大規模な野外コンサート『モントレー・ポップ・フェスティバル(Monterey Pop Festival)』のステージでオーティスは同曲をパフォーマンスしていますが、この時リアルタイムでアレサのカバーver.が全米No.1に君臨している最中のことであり、マイナー・ヒットに終わった自作曲を“ある女性が俺から持ち去った曲だ。彼女は俺の友だちだけどね…”と苦しいジョークを入れて曲紹介しなければならない程、既に“「Respect」はアレサの歌”となっていたのです。

オーティスver.もアレサver.も男女がそれぞれ一方の言い分を主張するだけの内容となっていますが、男女双方の言い分としたのがダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとテンプテーションズver.です。
ほかにもスティーヴィー・ワンダーやベンチャーズなどがカバーしていますが有名曲の割に目立ったものが少なく、近年はドラマ『glee』でメルセデス(アンバー・ライリー)が見事なパフォーマンスを披露しています。
一方でやはり圧倒的な存在感といえるのがアレサver.で、『アメリカン・グラフィティ2』や『フォレスト・ガンプ/一期一会』『ブリジット・ジョーンズの日記』ほか数十の映画のサウンドトラックで使用された上、1998年には『ブルース・ブラザース2000』にアレサ本人が出演し、改めて“女王”の圧巻のパフォーマンスを見せつけました。


 
 



~Lyrics~


Do me wrong, honey, if you wanna to
You can do me wrong honey, while I'm gone

俺が外に出ている間、‘後ろめたいこと’できる(望むなら)

I ain't gonna do you wrong while you're gone
あなたが外に出ている間、‘後ろめたいこと’なんてしない

アレサの「Respect」(下段)はオーティス・レディング(上段)のカバーですが、それぞれ“女性目線/男性目線”として描かれており、歌詞が異なる部分が多く見られます。

【do someone wrong】は“(人)に悪いこと[不義理]をする”ですが、この場面に於いて“悪いこと”とは具体的に何であるかは説明するまでもないでしょう。
興味深いのは男性のオーティスver.が“リスペクトさえしてくれたら俺の不在時に‘後ろめたいこと’しても構わない”とも受け取れるのに対し、女性のアレサは“するつもりもないし望んでない”と全否定していることです。


Take care, TCB
あなたが果たすべき務めに、気を配ってよ
Oh (sock it to me, sock it to me, sock it to me, sock it to me)
Oh (強烈な一撃をあたしに喰らわして…)

歌の後半はオーティスver.とは全く異なる、アレサver.独自のセンテンスになっています。
【TCB】は[Taking Care of Business]の略で、1960~70年代にアメリカの黒人らの間で流行ったスラングです。
ここでの“やるべきことをきちんとやる”は、もちろんビジネスのことではなく“彼女との関係に於いて”のことでしょう。

【sock it to】“(人)に一発ぶちかます”といった風なスラングで、当時近所の子どもたちが口にするほど流行っていたことからアレサが取り入れました。
【sock it to】はその意味が高じて“性的な意味合い”にも解釈できるフレーズですが、アレサ自身は1999年のインタビューで“It's not sexual”と否定しています。
一方、アレサが加えた歌詞には【sock】“強く打つ”、【whip】“むちで打つ”といった性的な意味合いを含む言葉が散見されるのも事実で、アレサのプロデューサーのジェリー・ウェクスラーは“露骨な淫らさと混ざりあった、尊厳に対する要請だった。行動を呼びかける歌や、愛や性をテーマにした歌は他にもある。しかし、それらをひとつに合わせた歌はなかなか見つけられないだろう”と本作を評しました。


All I want you to do for me
あなたにして欲しいことは、たった一つ…
Is give it to me when you get home (re, re, re, re)
それは、あなたが家に帰った時キスしてくれること!

彼女の望みって、コレのようです!
歌詞中で正確には【it】ですが、その直前の部分から[it=your kiss]と解釈しました。
コーラスの(re, re, re, re)は【respect】の略で、まるで“respectを込めたキス”を催促している?


You're runnin' out of fools (just a little bit)
でもあなたのおバカも、おしまい

アレサにはコロムビア・レコード時代の1964年のシングル(及びアルバム)に、「Runnin' Out of Fools」という作品があります。
ダイアナ・ロスが在籍したシュープリームス(The Supremes)1966年の作品「恋はあせらず」(過去ログ)にも、歌詞中に同グループの曲タイトル「You Keep Me Hangin' On」が仕込まれており、当時はこういうお遊びが流行っていたのかもしれません。





~Epilogue~

2018年8月16日、膵臓癌のため76歳で永眠した“The Queen of Soul”アレサ・フランクリン。
2009年に黒人初の大統領となり、就任式でアレサの歌声に涙したオバマ元大統領は彼女の訃報を受け、“彼女の声の中に、僕らは、僕らの歴史、パワー、痛み、暗闇、光、贖罪の探究、苦労して得たリスペクトを感じることができた”と、その死を悼みました。

翌2010年にアレサは体調を崩してコンサートが中止になるなど、当時も膵臓癌の噂がありましたが、思えばそこからの長い闘病生活だったのでしょう…。
アレサが亡くなった日、彼女のお孫さんが今年3月17日に自宅で弾き語りするアレサを撮影した映像を投稿しています。


「Respect」について“【公民権運動】や【フェミニスト運動】におけるアンセム(聖歌)”という定評がありますが、オリジナルのオーティスver.を含め歌詞を見る限り夫婦によくある“痴話喧嘩”であり、社会運動とか大それたテーマを狙った作品であるようには思えません。
むしろ当時アレサは実生活で夫婦問題を抱えており、「Respect」を発表した翌1968年には夫がアレサを公衆の面前で暴行した事件がタイム誌で報じられ、直後に別居・離婚する騒ぎに発展しているので、“「Respect」はリアルにアレサの夫への訴え”だったとも考えられます。

そのような歌が公民権運動やフェミニスト運動のアンセムにまでなったのは、何故でしょう?
そこには、当時アレサより遥かに有名なオーティスが「Respect」を歌ってさほど反響がなかったことにヒントがある気がします。
オーティスver.では男性が女性に対し“俺をrespectしろ”と訴えていますが、この場合少なからずの人は【respect】を“尊敬”と捉えることでしょう。
しかし“俺を尊敬しろ”という上から目線の訴えなんて、共感どころか反感さえ招きかねません。


All I'm askin'
あたしの頼みは一つだけ
Is for a little respect when you get home (just a little bit)
あなたが家に帰ったら、少しは“愛妻らしく扱って!

対してアレサは女性であり、恐らく多くの女性が男性に求める【respect】とは“尊敬”ではありません。
【respect】は本来“価値あるものに対しそれにふさわしい敬意を払う”意味であり、アレサによって加えられた【proper(適切な)】の単語がその心情を補足しています。
つまり主人公が夫に求めているのは“妻として相応しい敬意(愛情)”であり、しかも何度も繰り返し【just a little bit(ほんの少しでいいから)】と懇願しているのです。
社会に於いて不当な差別を受ける黒人であり、家庭に於いて不当な扱いに苦しむ女性が切実に訴えるからこそ、多くの人の共感を誘ったといえるのではないでしょうか…。

加えて、これが公民権運動やフェミニスト運動のアンセムとまで認識されるようになったのには、アレサ自身の成育に由来するものがあるかもしれません。
アレサのお父さんC・L・フランクリンは牧師であり、キング牧師とも親交のある有名な公民権運動活動家でした。
彼女はその影響で幼少から教会でゴスペルを歌ってきたわけですが、そんな経緯のあるアレサが“適切な敬意を払って”と歌うからこそ“特別な意味”が生まれ、歴史的な作品となった気がします。


2016年、「Respect」が社会に与えた影響についてアレサは語りました。
“あの曲で語られるメッセージはとても重要。私にとって重要なら、他の人にとっても重要だわ。私個人や市民権運動、女性にとってだけじゃなく、全ての人々にとって重要なはず…

たとえ小さな子どもでも、赤ん坊でも、
人間として、誰もが相手からリスペクトされる権利を持っている”


 R.I.P. Aretha Franklin



「リスペクト」


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「ルック・アウェイ」シカゴ

2018.08.17

category : Chicago & Solo

Chicago - Look Away1 Chicago - Look Away2


Chicago - Look Away (1988年)



~概要~

「ルック・アウェイ」はアメリカのロック・バンド【シカゴ】1988年の19thアルバム『シカゴ19(Chicago 19)』の収録曲です。
同年9月に2ndシングルとしてカットされると12月にBillboard Hot 100で2週No.1を記録し「愛ある別れ」(1976)、「素直になれなくて」(1982)に次いで“6年毎のNo.1”を見事成立させました。

また、年間チャートではBillboardの集計ルール(12月最初の週から11月最後の週までで集計)により翌年度扱いとなり、バンド初の1989年の年間No.1ソングに輝いています。
ただし同年度には4週No.1の「Miss You Much」(年5位)、3週No.1に「Like a Prayer」(過去ログ/年25位)ほか6曲、2週No.1が7曲と、「ルック・アウェイ」と同等以上の候補が13曲あったことから、これは多くの人にとって意外な結果でした。
そんな中で「ルック・アウェイ」が年間No.1に輝いたのは、恐らくTop10内8週/Top40内16週という息の長いヒットによるもので、年間2位の「My Prerogative」もNo.1は1週だけでした。


「Look Away」は80年代のシカゴらしいバラード曲ですが、実は多くの点で“シカゴ的”でない作品でもあります。

まず“シカゴの声”といえば「素直になれなくて」など、多くの人が思い浮かべるピーター・セテラですが、本曲を歌っているのは1981年からシカゴに加入したビル・チャンプリン(vo/key/g)
ピーター在籍時はコーラスに回る事が多かったビルですが、彼の“しわがれた声”は本曲に独特な哀愁を与えています。
また、シカゴといえば“ブラス・ロック”であり、バラード曲にあってもこうした重厚さこそが“シカゴ・サウンド”の特徴でしたが、ここではブラス・セクションが用いられていません
さらに、1982年の『Chicago 16』以降“シカゴ復活の立役者”としてサウンド作りに貢献してきたプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが外れ、サバイバーやキッス、ハート等を手掛けてきたロン・ネヴィソンが務めています。


 




~Lyrics~

When you called me up this mornin'
今朝、君からの電話
Told me 'bout the new love you found
新しい恋人を見つけたって
I said, "I'm happy for you, I'm really happy for you"
“良かった、本当に良かったね”…言葉を贈る

幕開けであり、終幕でもあるセンテンス。
別れた彼女が元彼に“新しい恋人を見つけた”と報告し、その彼が“良かったね”と祝福しているわけですが…
別れた恋人同士って、普通こんな電話のやり取りします?

でも、このセンテンスを幕開けで聴くのと終幕で聴くのでは、かなり意味合いが違って聴こえます。
特に、最後のライン…
その言葉の裏にこそ、主人公にとっての“真実”が込められている気がします。


So if it's gotta be this way
でもそれが運命であるというなら…
Don't worry baby, I can take the news, okay
心配しないで、僕はこの知らせを受け入れる

彼女に未練のある彼…
二人は、どんな別れ方をしたのでしょう。
彼女は、別れた彼のことを心から心配してる?
それとも、いつまでも未練な彼を諦めさせ縁切りするための電話?

女心とは、これ如何に…。


When we both agreed as lovers
互いが恋人と認め合っていた頃も
We were better off as friends
友人のようでいた方がうまくいった

“友達夫婦”という言葉がありますが、そんな感じの恋人でしょうか?
そう考えてみると付き合っていた頃もそれぞれ自由を求めたり、冒頭でも別れた元彼に新しい恋人の報告するなど、二人の関係性がそれに符合します。

“友達”は対等で独立性が許され、自分が縛られない分、相手も束縛できません。
お互いがそれで満足ならばそれでよいのですが、この二人の場合、双方の想いに“温度差”が感じられ、それこそが彼を終始悩ませる原因となっていたかもしれません。



~Epilogue~

「Look Away」は“男性の視点”から描かれた作品ですが、作者は女性作曲家のダイアン・ウォーレン(Diane Warren)です。
ダイアンによると、「Look Away」は同じビルで働いていた友人の実話にインスパイアされた作品だといいます。

その女性は婚姻者だったもののその後離婚、しかし元夫とは離婚後も“友人であることに同意”していました。
やがて彼女が他に好きな人ができて、結婚するとを知った時…

彼は、“荒れた”そうです! 

「Look Away」で主人公が彼女に執った態度は真逆ですが、大筋は“まんま”でしょう?
もしかしたら、主人公が彼女に対し“祝福の言葉を贈り、静かに全てを受け入れた”のは、作者のダイアンが“男たるもの、そうあって欲しい”という女性にとっての理想形を当てはめたのかもしれません。

ダイアンは楽曲提供の際、彼女自らが歌ったデモ・テープを渡していたようで、プロデューサーのロン・ネヴィソンは“彼女のデモはいつもとてもシンプルだけど、いつも素晴らしいヴォーカル・パフォーマンス”と、賞賛しています。
今回、そんな彼女が「Look Away」と「I Get Weak」(ベリンダ・カーライルへの提供曲)を歌う貴重な映像を発見しました。




But if you see me walkin' by
でも、もし何処かで僕を見掛けても
And the tears are in my eyes
この目に涙が溢れていても
Look away, baby, look away
顔を背け、僕を見ないでおくれ

上のように“荒れる”タイプの男性は、決してこんな風に思わないでしょう…
きっと主人公の彼だって彼女の電話での知らせに荒れ狂いたいほどのショックを受けたと思いますが、それを内心に留め、情けない自分を恥じています。

“よき男”は、好きな女にこそ自分の情けない姿を見せたくないものです。
(…まあ、人に依る?)
“ゴルゴの父”も、おっしゃっています。

“男の美学とは、我慢である”  さいとう・たかを



「ルック・アウェイ」


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ジャンルを問わず音楽が大好き♪
古い歌の“温故”から、歳月を重ねた“知新(いま思う・いま考える)”を綴ります。



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