I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「トゥ・ラヴ・ユー・モア」セリーヌ・ディオン

2018.06.15

category : Celine Dion

Céline Dion - To Love You More1 Céline Dion - To Love You More2


Céline Dion - To Love You More (1995年)



~概要~

「トゥ・ラヴ・ユー・モア」は、1995年に日本でリリースされたセリーヌ・ディオンのシングルです。
1993年のアルバム『The Colour of My Love』の世界的大ヒットで揺るぎないスターの地位を獲得したセリーヌは、翌94年5月に日本武道館での『JTスーパー・プロデューサーズ:デイヴィッド・フォスター』の舞台でトリを務め、12月には初の単独来日公演を開催するなど、すっかり日本でも人気者になっていました。

その人気と実力に目をつけたのが90年代に『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』といった大ヒット・ドラマを連発したフジテレビで、1995年に同局で鈴木保奈美・岸谷五朗主演によるドラマ『恋人よ』の主題歌にセリーヌ・ディオンを起用する企画が持ち上がります。
これを受けたセリーヌのプロデューサー、デイヴィッド・フォスターがドラマの筋立てを読んだ上で書き下ろしたのが「To Love You More」でした。
共作者の【Junior Miles】ことエドガー・ブロンフマン・ジュニア(Edgar Bronfman Jr.)は音楽より世界的資産家一族の一人として有名で、近年まで“世界3大レーベル”の一角【ワーナー・ミュージック・グループ(WMG)】のCEOを7年間務めていた人物です。

「To Love You More」というと日本のヴァイオリニスト・葉加瀬太郎がフィーチャーされたことが当時話題となりましたが、正確には彼の学生時代の友人とで構成された【クライズラー&カンパニー(KRYZLER & KOMPANY)】という3人組ユニットで、葉加瀬太郎は翌年のセリーヌのワールド・ツアー『Falling into You Tour』にも参加しています。
こうした経緯からシングルは基本的に日本のみで発売されオリコン洋楽シングルチャートでは1995年10月30日付から18週連続No.1、総合チャートでも1983年のアイリーン・キャラ「Flashdance... What a Feeling」以来12年ぶりのNo.1に輝き、翌年1月にはダニエル・ブーン「Beautiful Sunday」(1976年)、マライア・キャリー「All I Want for Christmas Is You」(1994年)に続いて洋楽曲として史上3例目の100万枚突破を達成しました。

1999年頃には英会話教室『イーオン』のCMにセリーヌ本人と共に起用され話題を呼びましたが、現在Youtubeに動画は見つからず、代わりにあったのは『セリーヌ・エディオン』でした(こういうのも大マジメにやってくれるセリーヌ)。
アメリカではシングルとして発売されていないもののBillboard Adult ContemporaryでNo.1に輝くなど人気曲で、ミュージカル・ドラマ『Glee』(シーズン4/2012年)ではレイチェル (リア・ミシェル)によって歌唱されています。


 
 



~Lyrics~

I'll be waiting for you
いつまでも、あなたを待っている
Here inside my heart
ここで…この胸の中で

「To Love You More」の歌詞を訳しているとき私の頭に浮かんだのが、女性デュオ“あみん”1982年のデビュー曲「待つわ」

出だしの歌詞が【かわいいふりしてあの子わりとやるもんだねと/言われ続けたあのころ生きるのがつらかった】で、“この後どんな展開が待っているのだろう?”とハラハラしてしまいますが、そこは当時20歳の女子大生(岡村孝子)、【いつまでも待つわ】でした!
前年に石川ひとみが荒井由実の名曲「まちぶせ」を大ヒットさせており、日本人女性にとって共感できるテーマといえるのでしょう。


See me
私を見つめて…
as if you never knew
初めての出逢った、あの日のように

本曲はドラマ『恋人よ』を題材に書き下ろされていますが、残念ながら私は未見…
そこでドラマのストーリーを少し辿ってみた所、歌詞を和訳していた時に不明だった点もナルホドと思えるようになりました(訳す前に読んでおくべきでした…)。

とある結婚式場…
それぞれ数時間後に別の結婚式を控えていた愛永(鈴木保奈美)と、航平(岸谷五朗)。
二人は挙式直前にそれぞれ婚約者の不貞の現実を突き付けられ、その絶望の中で挙式一時間前に出逢い、恋に落ちました(ちょっと強引な設定?)。
しかし二人は再会の約束を交わすものの、それぞれ既定の婚約者と挙式してしまいます…。


Need me like you did before
かつて、あなたが求めてくれたように
Touch me once again
もう一度、私に触れて欲しい

半年後、航平と妻・粧子(鈴木京香)の家の隣に、愛永と夫・遼太郎(佐藤浩市)が引っ越して来たことで約束が果たされ、航平と愛永の“交際”が始まりますが、それは郵便局の私書箱を介しての“文通”であり、二人だけの時に“小指にキス”をするものでした。

…ドラマのストーリーを読んでみると、このラインの“謎”が理解できたような気がします。
二人はその後“ある理由”により別れ別れとなりますが、この“心の結びつき”によって最後に“再会”が叶うのです。



~Epilogue~

6月26日(火)、東京ドームで10年ぶりの来日公演が予定されているセリーヌ・ディオン。
ただ少し心配なことがあって、セリーヌは12~18ヶ月前から耳管開放症という病気を患い、その手術のため3月末~4月中旬のラスベガス公演をキャンセルし、この5月22日に公演を再開していたそうです。
それから約1カ月での東京公演となりますが、順調に回復してくれているといいですが…。


そんなセリーヌ・ディオンが夫レネ・アンジェリルの看病のために度々芸能活動を休み、その彼が2016年1月14日に亡くなったことをご存知の方も多いでしょう。
セリーヌがレネと出逢ったのは12歳、レネがセリーヌの歌声を聴いて彼女の才能を確信し、以後マネージャーとなって彼女のデビュー・アルバム『La voix du bon Dieu』(1981年/写真・左)の制作費を捻出するため自宅を抵当に入れてまで支援したことは有名な話です。

Céline Dion - To Love You More3

そんな二人の関係に“恋”が芽生えたのはセリーヌが19歳の頃(1987年)で、レネとの“26歳の年齢差”に周囲からは疑問の声もあがったものの、セリーヌ自身は“二人を止められる者は誰もいなかった”と当時を振り返っています。
その後も確かな愛を育み1991年には極秘で婚約、94年12月に結婚式を挙げ《写真・右》、97年には「My Heart Will Go On」で公私共に人生の絶頂を迎えますが翌年にレネが食道がんを発症、夫婦にとって20年近くに亘る長い闘病生活の始まりでもありました。

一方でこの間、セリーヌは5回もの流産を乗り越え2001年と2010年の出産で3人の子宝に恵まれ、そうした事情から無期限で活動を休止していたセリーヌに復帰するよう最も求めたのは、彼女の一番のファンでありマネージャーであるレネ自身でした。
レネは病気が進行し亡くなる直前になっても、セリーヌの負担を軽減すべく葬儀の手配など全て自分で進めていたそうです。
そんな彼も最後は“君の腕の中で死にたい”と要望し、セリーヌも“そばにいるから”と応えたといいます。

Just believe in me
ただ私を信じて…
I will make you see
きっと、あなたに見せてあげる
All the things that your heart needs to know
あなたが知るべき、すべてのものを


「To Love You More」の題材となったドラマ『恋人よ』は“小指”に重要な意味がありましたが、セリーヌにとってそれは“手”だったようです。
…といっても、彼女がドラマのように“生々しいこと”をしたわけではないので、ご安心を!
亡くなった最愛の夫“レネの手のレプリカを作った”とのことです。
その“手”はいつも彼女の化粧室に置いてあり、コンサートなどの大切なショーの前日に必ず“夫と握手をして(ショーが上手くいくようにと)幸運を祈っている”そうですよ。

 きっと“心と心の繋がり”って、次元を越えて作用するものなのね
 …ところでさ、日本にもその“手”を連れてくるのかな?


 このたびの地震で被災された方々に、お見舞い申し上げます。



「トゥ・ラヴ・ユー・モア」


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「シャウト」ティアーズ・フォー・フィアーズ

2018.06.08

category : Tears For Fears

Tears For Fears - Shout1 Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World2


Tears For Fears - Shout (1984年)



~概要~

ティアーズ・フォー・フィアーズ(以下;TFF)は、1980年代に世界的な成功を収めたイギリスのバンドです。
全英No.1に輝いたデビュー・アルバム『ザ・ハーティング』(1983年)の後、TFFは84年8月にシングル「Mothers Talk」(全英14位)、同11月に「Shout」(全英4位)をリリース、この頃「Shout」がスズキ・カルタスのCMソングに起用され[オレ・タチ(館ひろし)、カルタス]、TFFが日本で広く知られるきっかけとなりました。

85年2月に上記2枚のシングルを収録した2ndアルバム『シャウト(Songs from the Big Chair)』、3月に同アルバムからの新たなシングル「Everybody Wants to Rule the World」が発売されるとアメリカでも一気にTFFの人気に火が点き、同曲は全米No.1に登り詰めます。
この勢いに続いてアメリカでリリースされたのが「Shout」で、8/3付からBillboard Hot 100で3週連続No.1(年間21位)を記録、見事2曲連続No.1を達成しました。

アルバム『シャウト』はトータルで8カ月の期間をかけて制作されていますが、「Everybody Wants to Rule the World」は僅か1週間で完成したのに対し、「Shout」と「Head over Heels」は2曲だけで4カ月費やされました。
作者の一人であり「Shout」のリード・ヴォーカルを執ったローランド・オーザバル(Roland Orzabal)によると、“小さなシンセサイザーとドラム・マシンで創ったんだけど、当初はマントラ(仏の真実の言葉)みたいな繰り返しのコーラスだけだった”といいます。
プロデューサーのクリス・ヒューズに聴かせた所、“シンプルだし、5分で録音できるね”…と言われたものの、数週間経ってもまだそれは途半ばだったそうです。
ローランドが歌詞を思いつかず悩んでいるのを見てイアン・スタンリー(key)が幾つかのアイデアと方向性を出してくれ、それが契機となってようやく前へ進んだ…という難産でした。


 



~Lyrics~

Shout, shout
大きな声で叫んでごらん
Let it all out
胸の内にある感情を、全て吐き出すのさ

【Tears For Fears】というユニット名は、ジョン・レノンが1970年ごろ治療を受けたことでも知られるアメリカの心理学者アーサー・ヤノフ(Arthur Janov)の著書『Prisoners of Pain』(1980)に由来します。
彼の提唱する【原初療法(primal therapy)】は“心の奥深くに潜む苦痛の記憶を幼少期まで遡り、そのすべてを吐き出すという治療法”です。

難しい理論はともかく、確かに悩みを人に聴いてもらったり、カラオケでお腹から声を出して“shout”すると、気持ちがスッキリしますよね?


They gave you life
奴らはこんな時代を与え
And in return you gave them hell
代わりに、君は非難の嵐を浴びせた

素直に読解すると“【life】を与えてくれた[They]に【hell】を返す”となり、不自然です。
(※【life】には“終身刑”というネガティブな意味もある)

実は、「Shout」は単に原初療法をテーマとしているわけではなく、作者ローランドは“実際には【政治的抗議】がより関係するテーマで、当時多くの人を不安に陥れた東西冷戦への抗議を促す歌”と説明しています。
また、メンバーのカート・スミスは自ら考えたり、実際に行動したり、政治を問い糺そうともせず彼らに盲従する風潮が浸透してしまった人々と社会に対する激励と、補足しています。



~“法の正義”は何処に~

学校法人『森友学園』への国有地売却に於いて不自然な8億円値引きに対する【背任容疑】と、その決裁文書で安倍昭恵首相夫人や複数の政治家らの名前を含む300カ所以上に改ざん・削除が確認された【虚偽公文書作成容疑】などについて、財務省幹部や対象職員38人全員を不起訴処分とすることを発表した大阪地検特捜部。
これを受けた財務省は6/4に『調査報告書』で一連の問題行為を総括、佐川前理財局長の停職3か月相当をはじめとする幹部20人の処分(停職2/減給3/戒告5/内規処分・文書厳重注意3/口頭厳重注意5/職務上の注意2)を発表しましたが、公文書300カ所以上を改ざん・削除し、“交渉記録は廃棄した”と虚偽的答弁して1年以上も国会に無駄足を踏ませた罪は“この程度”で済まされるものなのでしょうか…(ちなみに、“セクハラ罪という罪はない”セクハラで先日処分された外務省課長は停職9カ月)。


ただ、今回の大阪地検特捜部による不起訴処分は予想したとおりでした。
…というのも、素人の私たちの大半が直感できる程度の明白な欺瞞をプロ中のプロである検察が見抜けないはずはないし、その気があるなら籠池夫妻のように証拠隠滅や口裏合わせする暇など与えず、速攻でガサ入れしているでしょう(強制捜査なしに立件はあり得ない)。
今年3月に佐川前理財局長の国会での証人喚問が決まった直後、“大阪地検特捜部が決裁文書改ざんの経緯について佐川氏に任意聴取する方針”という情報が流れ、これは佐川氏に“刑事訴追の恐れがあるので証言を控える”の口実を与えるためでは、と私の疑念を深めました(実際に証人喚問で佐川氏がそれを50連発したのは記憶に新しい所でしょう)。

今回の不起訴処分の理由について、山本真千子・特捜部長は“文書の効用を失ったとは言えず、うその文書を作ったとは認められない”としています。
虚偽公文書作成罪を問う場合“権限を持つ者が文書の趣旨を大幅に変えることが成立要件”とされているそうですが、官僚にとって彼らの人事権を握る安倍首相の夫人・昭恵氏の意向に絶大な影響力があることは想像に難くはなく、その首相夫人の名前を決裁文書から削除したことが“文書の趣旨を大幅に変えること”に当たらないとは、私には到底考えられません(実際、交渉記録の経過を辿ってみると、2014年4月28日に森友側から昭恵夫人が「いい土地ですから、前に進めてください」の言葉と親密さを証明する写真を提示されて以降、財務省の態度が一変したことが窺える)。


しかし更に調べてみると、大阪地検特捜部は当初、森友学園への強制捜査とセットで近畿財務局を背任容疑でガサ入れすることを考えていたとも一部で報じられています。
それが実現しなかったのは大阪地検の上層部が許可しなかったためで、その背後には地検が属する法務省のトップ黒川弘務・法務事務次官の意向が働いていたとの指摘があります。
黒川氏はこれまでも安倍内閣の小渕優子経産相の【政治資金規正法違反容疑】や、都市再生機構(UR)をめぐる甘利明・経済再生担当相の【あっせん利得処罰法違反容疑】を不起訴処分にするなどの“貢献”があり、昨年官邸が“衝撃的人事介入”してまでも彼を次官に留めたことからも、安倍首相との関係性が窺い知れるでしょう。
(ただし、民主党政権時に小沢一郎議員(民主党)の資金管理団体・陸山会をめぐる【あっせん利得処罰法違反容疑】も不起訴処分としており、“常に権力寄りのスタンス”を取ってきた官僚との評価もある)。
また、法務省といえば悲願だった【共謀罪法】を、昨年安倍政権によって国民世論の反対を押し切って強行採決という手段を用いてまでも成立してもらった“恩義”を考えれば、今回の不起訴も最初から“既定”だったのかもしれません。

他方、元検察官の郷原信郎弁護士は、“検察が虚偽公文書作成で起訴したら、裁判所はほぼ間違いなく有罪判決を出すであろう…しかし、検察が「組織的な虚偽公文書作成」が疑われる事件を起訴することは凡そあり得ない”と言及しています。
郷原氏によると、【陸山会事件】の検察審査会による強制起訴の際、東京地検特捜部が検察審査会に対し事実に基づかない虚偽の捜査報告書を提出して欺き虚偽有印公文書作成罪で告発されたにも拘らず、最高検察庁がそれを作成した検事全員を「不起訴」とした前歴があるため、今回の財務省による虚偽公文書作成罪を起訴した場合、そのような検察の前歴が公判で厳しく追及されることになり、よって起訴はあり得ないと予測したそうです。


“安倍政権との親密さ”か、“検察自身の保身のため”か…

何れの理由であれ、“【法の番人】の大看板を掲げて多大な予算を獲得していながら、実は何もしない(するつもりもない)組織”というのは、最もタチが悪いと言わざるを得ません。
【巨悪】を扱うつもりがないなら最初からそう宣言し、予算と権限の規模を割譲し、政府から独立した【巨悪】を専門に扱う第三者機関(裁判所も含めて)を創設しなければ、いつまでも同じことが繰り返されるのではないでしょうか…。



~Epilogue~

私は、この政権下で次々と起こる異常な問題・事件の一つひとつを“健康診断が示すデータ(現実)”のようなものと捉えています。
もしも一昨年は【血液ドロドロ】、昨年は【動脈硬化】、今年は【動脈硬化+高血圧】という結果を突き付けられたら、きっとあなたは何か胸騒ぎを覚えるでしょう?
つまり、検査の結果は“あなたの体内で起きている健康の現実を指し示している”のです。
一見コワモテで体が大きくて、ケンカには負けたことがない人でも、【血液ドロドロ】で【動脈硬化】が進んでいたら、いつ何処で心筋梗塞や脳出血で命を落としても不思議ではありません。

国家の運営も、それと同じだと思うのです。
一見経済的に豊かで、世界有数の大国として繁栄し、そしてバックには世界一の軍事大国が付いている…。
でも内部の統治システムを診てみると、あちこちに【血液ドロドロ】や【動脈硬化】の“致死的不健康”の兆候がみられるのです。
【血液ドロドロ+動脈硬化】という結果は不都合だからとデータを改ざんしたり、その現実を隠ぺいしたところで心筋梗塞や脳出血の危険性という現実から逃れられるわけではありません。
もしその不健康を改善したいなら、まず①現実を認め、②その原因と対処法を調べ、③反省の下に改善のための努力をする…以外にないでしょう。


「徹底的に調査し、膿を出し切ることに全力を尽くす」

安倍首相の決まり文句ですが、彼も同じことを言っています。
しかし、安倍氏は“【膿】とは何かを決して認めず”、“膿を覆い隠し膿を守ろうとしている”ように見えます。
これまで1年以上も野党が森友・加計事件当事者の国会召致を要求しても応じず、最重要人物はメディア取材も許さず、脇役は呼んでも「記憶にない」「訴追の恐れで証言拒否」を連発し、あろうことか一連の問題の疑惑解明のために設けられた臨時国会冒頭で安倍首相が衆院解散を行使しました。

財務省が一連の森友事件についての調査報告書を公開した6/4の会見で麻生財務大臣は、「(改ざんの動機が)分かりゃ苦労しない」と悪びれもせず言い放ちました。
一方、政府が“今国会の目玉”と称する『働き方改革法案』は、2月に“意図的裁量労働制データの捏造”と言われても仕方のない不自然なデータの実態が次々と明らかになって一部取り下げられたものの、以後もデータの2割削除を余儀なくされるなど相変わらず信頼性の乏しい根拠を前提に議論が進められ、加藤厚生労働大臣の【ご飯論法】と欺瞞の連続によって、反省と十分な検証がされないままデタラメな議会運営がなされています。


“【膿】とは、安倍氏自身の“嘘(ぎまん)”に基づく内閣運営であり、
安倍氏自身の独善に基づく“差別(えこひいき)”による公権力の私物化であり、
知性に基づかない地位と縁故が全てに優先して“忖度”させ人を操る統治システムである”


そのことを安倍首相自身が国民の前で認め、反省を示し、これを改めると誓わない限りたった一つの問題解決はおろか、これからも同じような問題が繰り返されるでしょう。
しかしここに及んでも、安倍氏自身にその動きは全く見られません。
好ましくない言動を権限のない他人がただ“改めよ”と注意しても効果が薄いように、少数野党の批判の影響力など僅かなものであり、問題は議会多数を占める与党が如何に危機感を持って良識ある解決に導くかですが、残念ながら“自民党にとって優先すべきは国難の解決より議員定数を増やすこと”にあるようです。


司法は見て見ぬふりを決め込み、与党は党利党略に走り、政治と行政の暴走を制御できないこの国の統治システム…
間もなく国会が終わり、野党の追及の場がなくなるとメディアも単独で政府の不正を糺すことを避けるでしょう。
しかし誰もモノ言わなくなったからといって、国民の記憶と関心が薄れたからといって、【膿】が放置されたままで自然に解決されることはありません。
むしろ、今回“検察が「首相夫人」程度の名前を公文書から削除しても起訴に値しない”とお墨付きを与えたことは、“殆んどの公文書改ざんは許される”という風潮を全国の行政機関まで蔓延させることになるでしょう。

Shout, shout
大きな声で叫んでごらん
Let it all out
胸の内にある感情を、全て吐き出すのさ

たかが【血液ドロドロ】、たかが【動脈硬化】と軽んじていたら、これがいつ何処で心筋梗塞を引き起こすかもしれません。
この国が【膿】に冒され統治システムの健全さを失っている時、最後にそれを救い得るのは国民一人ひとりの良識の声なのです。



「シャウト」


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「アイ・ライク・ショパン」ガゼボ

2018.06.01

category : 1980年代

Gazebo - I Like Chopin1 Gazebo - I Like Chopin2


Gazebo - I Like Chopin (1983年)



~概要~

「アイ・ライク・ショパン」は1984年に日本で20.3万枚を売り上げ、オリコン洋楽シングル・チャートで13週連続1位を獲得し総合年間でも66位に入り、同年の洋楽曲として最大のヒットを記録したガゼボのシングルです(以下、75位「ファー・フロム・オーヴァー」、77位「里見八犬伝」、81位「Say Say Say」、94位「フットルース」)。

ガゼボは外交官の父とアメリカ人歌手の母を両親にもつイタリアの歌手で、22歳の1982年にデビュー曲「Masterpiece」がイタリア国内で2位を記録するなど、幸運な音楽活動をスタートさせています。
翌83年にリリースした2枚目のシングルが「I Like Chopin」で、これがイタリアをはじめオーストリア/ドイツ/スイスなど15カ国でNo.1を記録、全世界で800万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
ガゼボは大の映画好きだそうで、「I Like Chopin」のPVは歌の内容とは全く関係のない、2時間サスペンスも真っ青なストーリー展開(メイン動画)!

1984年になると余波は極東の日本にも及び、「I Like Chopin」を日本語歌詞で書き換えた「雨音はショパンの調べ」小林麻美によってカバーされ、オリコン週間3週連続No.1(年間12位)を獲得、52.0万枚を売り上げる大ヒットとなりました(別項参照)。
この大ヒットの影響で原曲であるガゼボの「アイ・ライク・ショパン」にも脚光が集まって上記のようなヒットに至っていますが、この2つのバージョンを合わせると楽曲の総売り上げは72.3万枚となり、これは同年のセールスでみると年間2位に相当する異例の大ヒットといえる成績です(1位「もしも明日が…。」96.9万枚/2位「ワインレッドの心」69.6万枚)。

日本では一般に“ガゼボはこの一発で終わった”と認識されていると思いますが、実は21世紀の現在も彼は歌手として現役バリバリです!
さすがに「I Like Chopin」以降目立ったヒット曲はみられないものの、その後も2~3年おきぐらいでコンスタントにアルバム発表を続けており、今年も『Italo By Numbers』をリリースしています。


 
 



~Lyrics~

Remember that piano
あのピアノを忘れないで
So delightful unusual
とても心地よくて、でもほかにはない…

【piano】ときて【Chopin】というと、やっぱり“あのショパン”を連想するでしょう。
音楽の教科書にも登場する19世紀のポーランドの作曲家、フレデリック・ショパン(Frédéric François Chopin)。

私が人生で初めて触れたショパンは宇津井健/水谷豊がピアノ・コンクールに挑戦するドラマ『赤い激流』で、毎週そのフレーズが繰り返された「英雄ポロネーズ」(ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」/La Polonaise héroïque)。
でもこれだと確かに【unusual(並はずれの)】ですが、「I like Chopin」に流れるピアノのテイストとはイメージがかけ離れています。

 

Used to say
いつも話していたね
I like Chopin
ショパンが好きだって

一方、ショパンの代表曲の一つ「雨だれの前奏曲(作品28 第15番)」(The Prelude Op. 28, No. 15)は“雨音”のような連打音が特徴の作品で、まさに“ピアノの詩人(le poète du piano)”たる趣きです。
[A-B-A]という三部形式で構成されており、優美で心地よい[A]に対し[B]は“雨音”が重苦しさを醸し出しています。
これは一体、何を意味しているのでしょう…(別項参照)。

ちなみに、ショパンの『24の前奏曲』はJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』に触発された全24曲の異なる調性の小品から構成されている作品で、「第7番“イ長調”」は“胃腸薬”『太田胃散』のCM曲としてお馴染みですネ?


Rainy days 断ち切れず 窓を叩かないで

小林麻美の「雨音はショパンの調べ」より。
小林麻美は1972年に麻丘めぐみらと共にデビューした元アイドル歌手ですが、当初から殆ど笑顔を見せず猫背で気だるそうに歌っていたためアイドルとして大きな成功は得られなかったようです。
しかし1984年、31歳の大人の女性となって発表した「雨音はショパンの調べ」では、彼女のそうした【アンニュイ(ennui;倦怠)】が“都会的でファッショナブル”と評され、曲だけでなくアイコンとして人気を博しました。

一方、「雨音はショパンの調べ」は原曲「I Like Chopin」とは一部を除いて別の日本語詞となっており、作詞は松任谷由実が担当、2003年の『Yuming Compositions: FACES』でセルフ・カバーしています。





~Epilogue~

【雨】と【ピアノ】の共通点というと、“叩く”でしょうか…
楽器が奏でる音は吹奏楽器のように“息(空気)で音を出す”ものや、弦楽器のように“擦り合わせて音を出す”もの、打楽器やピアノのように“叩いて音を出す”ものなどが浮かびますが、空から降って何かと衝突する雨音はやはり打楽器系の音が直感的です。

ショパンの「雨だれの前奏曲」は、病気療養(肺結核といわれる)のため当時の恋人ジョルジュ・サンドと赴いたスペイン東部にあるマヨルカ島で過ごした一冬の体験が投影された作品です。
邪魔者から解放され恋人と水入らずでいられた穏やかな時間、そして島を襲った突然の嵐と悪化する一方の闘病生活の絶望を、“雨だれの音”を通して表現しているとされます(諸説ある)。


また、1985年の稲垣潤一のシングル「バチェラー・ガール」(作詞 : 松本隆 作曲 : 大瀧詠一)は、“雨はこわれたピアノ/舗道の鍵盤を叩く”と喩えました。
検索の過程で思わぬ“掘り出し物”だったのが、杉真理「バカンスはいつも雨」(1982年)。
当時グリコ・セシルチョコレートのCMに使われていた曲で、お気に入りの一曲でしたが近年すっかり忘れており、今回の発見は物置の奥から幼い頃の思い出の品を見つけたようなうれしさが込み上げてきました(…それにしても、堀ちえみが若い!)。

 


Rainy days never say goodbye
Rainy days...さよならは決して言わない

とかく、気分まで“湿りがち”な梅雨…
でも、日本の童謡「あめふり」(作詞:北原白秋、作曲:中山晋平)では、雨の日にお母さんが迎えに来てくれる雨音を“ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン”と表現しました。
ドリフターズは、“雨音さえもコント”にして笑わせてくれました。

雨の季節、あなたがやさしい響きの雨と出あえますように…。



「アイ・ライク・ショパン」


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「Y.M.C.A.」ヴィレッジ・ピープル

2018.05.25

category : 1970年代

Village People - YMCA1 Village People - YMCA2


Village People - Y.M.C.A. (1978年)
西城秀樹 - YOUNG MAN (Y.M.C.A.) (1979年)



~概要~

「Y.M.C.A.」は、アメリカのディスコ・グループ、ヴィレッジ・ピープル(Village People)1978年の3rdアルバム『Cruisin'』に収録されたダンス・ナンバーです。
US Billboard Hot 100の2位(1979年の年間8位)をはじめ各国でNo.1を記録、全世界では1000万枚を超える売り上げを記録しました。
アメリカのケーブルテレビ・チャンネル『VH1』は、2000年に本曲を【The 100 Greatest Dance Songs of the 20th Century】の7位に位置づけています。

メンバーのデイヴィッド・ホードー(David Hodo/建設作業員)によると、『Cruisin'』にあと1曲必要ということでプロデューサーのジャック・モラリ(Jacques Morali)が約20分でメロディーとコーラス、アウトラインを書いた曲を、ヴィクター・ウィリス(Victor Willis/警察官)に“残りを埋めてくれ”と渡し、それにヴィクターが【Y.M.C.A.】をテーマとしたストーリーを書き加え創作された作品です。
更にデイヴィッドはそれまでの自分たちの作品については少し懐疑的に思っていたものの、「Y.M.C.A.」には“何か特別なもの”があると感じたと言葉を添えています。


日本では翌1979年2月21日に西城秀樹が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」として日本語カバーしオリコン5週連続No.1を記録、累計売上80.8万枚を売り上げました。
この波及効果によりヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」もオリコン洋楽チャートで1979年1 月22日付から10週連続1位を獲得、30万枚を売り上げる大ヒットとなっています。

中でも「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の伝説的なエピソードとして語られるのは、当時人気の歌番組『ザ・ベストテン』で史上ほかに為し得た者のない最高得点“9999点”を2度(4/5・4/12)獲得したことでしょう。
しかも同番組での歴代高得点の16位(9866点)以上を「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が6回到達、通算でも歴代3位に当たる“9週連続1位”という圧倒的な記録を残しました。
ただし同番組の記録によると「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は“年間7位”という意外な成績で、同年の年間1位は小林幸子「おもいで酒」(週間では最高5位だが20位以内に31週間ランク)となっています。


「Y.M.C.A.」は当時流行のディスコ・ナンバーですが今日まで世界的に長く愛され続け、特にスポーツの世界ではそれが顕著です。
トリノオリンピック開会式をはじめ、アメリカ・メジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースのホーム・ゲーム(ヤンキー・スタジアム)では5回終了時に「Y.M.C.A.」が流され、グラウンドキーパーが【Y】【M】【C】【A】のパフォーマンスを行うことでも知られます。
また、日本ハムファイターズやJリーグ・川崎フロンターレの試合でも同様の観客サービスが行われており、それぞれ西城秀樹が参加してパフォーマンスを披露することもありました。


 
 



~Lyrics~

Young man, there's a place you can go.
Young man そこには、君の行く場所がある
I said, young man, when you're short on your dough.
Young man 少しぐらいおカネがなくたって

「Y.M.C.A.」は【Young Men's Christian Association(キリスト教青年会)】の略語であり、キリスト教主義に基づいた教育・スポーツ・福祉・文化などの分野で様々な事業を展開する世界最大規模の非営利団体で、1844年にイギリスで誕生し1880年(明治13年)には日本にも『東京YMCA』が組織されました(現在では全国主要都市にYMCAが置かれている)。

Y.M.C.A.の事業の一つに宿泊施設があって、非営利事業なので料金が比較的安価です。
ただし若者の教育や交流活動を目的の一つとしている施設のため、一般ホテルのような完全個室だけでなくバス・トイレが共同であったり、ドミトリー(相部屋)の部屋もあります。


They have everything for young men to enjoy,
若者を楽しませる全てが揃っていて
You can hang out with all the boys...
みんな仲良くなれるんだ

日本のYMCAでは“互いを認め合い、高め合う【ポジティブネット(Positive Net)】”をコンセプトに掲げ、“したい何かがみつかり、誰かとつながる。私がよくなる、かけがえのない場所。”を提供すべき価値としているそうで、そういう開かれたコミュニケーションを旨としているからこそ、広く異質と交わることも可能といえます。

一方で、外国人や異文化の人たちとじっくり語り合えるのはとてもよい人生経験ですが、見知らぬ人との相部屋はセキュリティ面で不安に思う人も少なくないでしょう。
とりわけ女性にとってそれは気軽に参加し辛い要素であり、そうなると必然、宿泊客の中心は【the boys】ということに…?(もちろん、女性限定施設もある)


It's fun to stay at the Y.M.C.A.
Y.M.C.A.にお泊りすると、楽しいよ

YMCAが“若い男性がいっぱい集まる宿”となればそれは一つの特徴であり、“それを目当てに集まる人”も…
すなわち“YMCAはゲイの人にとって貴重な出会いの場”であり、それが本作の隠れたテーマです。

ヴィレッジ・ピープル自体ゲイ・マーケットをターゲットに売り出されたグループであり、もう一つの代表曲「Go West」も“Go West(ゲイの聖地)”というメッセージが込められています。



~“ヒデキ”の情熱が結実させた「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」~

アイドルがこんな歌を歌えるわけ無いだろう!

それが、「Y.M.C.A.」のカバーとシングル化をレコード会社に直訴した際の担当者の反応でした。
西城秀樹と「Y.M.C.A.」の出あいは1978年、CM撮影のため訪れたロサンゼルスのホテルでラジオから流れる「Y.M.C.A.」を聴いて、そのノリのよさに“絶対歌いたい”と心を奪われたことでした。
彼はすぐさまこの曲のレコーディングを決意しますが、「Y.M.C.A.」はゲイ・ソングであったことから、レコード会社の猛反対を喰らったというワケです。

しかし彼は諦め切れず、コンサートのステージで歌うことを試みます。
まずマネージャーのあまがいりゅうじ(天下井隆二)に依頼して“健全な若者応援歌”を印象づけるようタイトルを「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」とし、ゲイ色を取り払った日本語歌詞(訳詞)とアレンジ(大谷和夫)に創り替えました。
また、振付師・一の宮はじめと相談して【Y】【M】【C】【A】の人文字を考案、スポーティーなイメージを強調させる振り付けを取り入れました。

こうして迎えた1979年1月4日からの大阪・厚生年金ホールでの新春コンサートで「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が初披露されると、ファンから予想を上回る反響がありファン・クラブにも問い合わせが殺到、これにはレコード会社も方針を翻し急遽シングルの発売(同年2月21日)を決定せざるを得ませんでした。
ところが既に生産中のレコードを中止させ、新たなレコードを20日でプレスしなければならないという強行スケジュールであったため工場から無理とのクレームが入り、説得のため西城自らが工場を訪問し各所に頭を下げて回り「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を実際に歌ってみせて工場側の協力を取り付けたそうです。



~Epilogue~

5月16日深夜、急性心不全のため63歳の若さで亡くなった歌手の西城秀樹さん。

ご存知のように西城さんはこれまで2003年と2011年、2度の脳梗塞発症により構音障害や運動障害が生じ入院・治療・リハビリの連続でした。
特に2度目の脳梗塞の時はその病気の恐ろしさを知っていた上、それまでの努力が水の泡で治療とリハビリをゼロからやり直さなければならないことが何十倍ものショックだったそうです。
しかし現実の再発の後遺症は1度目より遥かに厳しいもので、ボールを持ち上げるといった単純なことさえできなくなった自分と向き合わねばならないことや、“そんな西城秀樹”に対する周囲の突き刺さるような好奇の視線が何よりも辛かったといいます。

ヤングマン プライドを捨てて すぐに行こうぜ

“西城秀樹”であらねばならないと思うことが無駄に疲れる原因だと気づいた西城さんは、西城秀樹というキャラクターを脱ぎ捨てて一患者として“ありのままの自分”を見てもらおうと改心し、とても気持ちが楽になったそうです。
以前の自分は“100と言われて120やってきた”所があって、でも“コップの水は目一杯入れるより7~8割に入れた方が運びやすいし飲みやすい”ことに、病気をして初めて気づいたといいます。

“自分をさらけ出すのは恥ずかしいよ。でもさらけ出したから、みんなも涙してくれたんじゃないかな。
来年はもっとよくなったぼくの姿をみんなに見せたいな”
 西城秀樹



西城さんは後遺症が顕著になった2度目の脳梗塞以降もステージに立ち、さまざまな活動を続けてきました。
国民の憧れのスターが変わり果てた痛々しい姿をメディアに晒すことは、ある意味それまで築き上げた“輝かしい伝説”に自ら泥を塗り、ファンを失望させる恐れがあります。
しかし、それは“現実から逃げる生き方こそ西城秀樹を汚す”という彼一流の美学であり、自分を偽らず病と闘い抜く意思を示すことが、心から彼を応援してくれる家族やファンに応える最善だったと思うのです。

“病状も心情も、よくなったり悪くなったり、刻々と変化していくが、それをすべて受け入れよう。
現状を肯定するところからしか、前へは進めない。”
 西城秀樹

今まであまり考えたこともありませんでしたが、こうして西城さんの闘病を辿ってみると、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の歌詞“西城さんの生き方そのもの”だったように思えます。
オリジナルの「Y.M.C.A.」自体ゲイというマイノリティを勇気づけるものですが、逆境にある人にとって非常に強いメッセージ性があることに気づかされました。
また、誰しもが病気や老化といった苦況に置かれるものであることを考えると、これは全ての人に当てはまるテーマです。


4月25日、自宅で意識を失い“早ければ4日。もっても1週間”と告知され、それでも22日間頑張り続けた西城さん。
後遺症や全ての苦痛から解き放たれた昭和の大スター西城秀樹は、おもいっきり手足を伸ばして、天国から私たちに歌いかけていることでしょう…

ゆううつなど 吹き飛ばして
君も元気出せよ


 



「Y.M.C.A.」


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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「スカボロー・フェア/詠唱」サイモン&ガーファンクル

2018.05.18

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle1 Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle2


Simon & Garfunkel - Scarborough Fair/Canticle (1968年)



~概要~

「Scarborough Fair/Canticle」はサイモン&ガーファンクル(以下S&G)1966年の3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』に収録された作品です。
当初シングル・カットはありませんでしたが、1967年12月に「サウンド・オブ・サイレンス」と共にダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のサウンドトラックに起用、翌1968年にシングル・カットがなされBillboard Hot 100で11位(年間89位)を記録しました。


タイトルにあるように「Scarborough Fair」「Canticle」という異なる2つの歌が対位法的(複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いに調和させて重ね合わせる技法)に構築された楽曲です。
「Scarborough Fair」のクレジットに【Traditional】とあるように、その着想は元々イングランド・ケルト地方に17世紀頃から伝わるバラッド『The Elfin Knight(エルフィンナイト/妖精の騎士)』に由来するといわれます。
『エルフィンナイト』では超自然現象や意味の通らない内容が描かれており、本作でも“継ぎ目も針仕事もなしにシャツを作れ”や“革の鎌で刈り入れろ”ほか【ナンセンス】なものが散見できます。

伝承歌という性質上、歌詞やその構成、メロディに多くの派生が存在し、S&Gの「スカボローフェア」に見られる歌詞は18世紀末にほぼ成立していたようです。
また、19世紀末頃の楽譜によると当時の「Scarborough Fair」のメロディは“陽気でユーモラス”なものだったそうで、S&G ver.の叙情的な旋律はイングランドのフォーク歌手イワン・マッコール(Ewan MacColl)らによる1960年のバージョンの系譜によるとされます。

イワン・マッコールver.の影響を受けたのがイングランドのフォーク歌手マーティン・カーシー(Martin Carthy)で、アメリカ人であるポール・サイモンがこのイングランドの古い民謡と出合ったのは、デビュー・アルバムが泣かず飛ばずでイギリスへ“逃避行”していた1964年にマーティンが歌うのを聴いたことでした。
その後S&Gがマーティンver.のアレンジの影響を受けた「Scarborough Fair/Canticle」をヒットさせることになりますが、S&Gのみクレジットされたことに長年マーティンは快く思っていなかったようです(2000年に和解)。
一方ポールより先(1962年)にイギリスに渡っていた“フォークの貴公子”ボブ・ディランもイギリスの伝統的バラッドとマーティン・カーシーに多いに感化されており、ボブの1963年の作品「北国の少女(Girl from the North Country)」の音楽的要素と歌詞の一部はマーティンver.「Scarborough Fair」から引用しています。


一方「Canticle」はS&Gによるオリジナルで、1965年にポールがイギリスで発表したソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Songbook)』に収録された「The Side of a Hill」の歌詞の一部を引用・改変したものです(別項参照)。
邦題は「詠唱」となっていますが、これはオペラなどの“独唱曲(Aria)”や“単純な音程の繰り返しで祈り捧げる歌(chant)”といった意味の言葉で、【canticle】は“頌歌/しょうか(ode)”です。
頌歌は壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式で、抒情詩(じょじょうし)は“詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩”であることから、「Canticle」にはS&Gのそういうメッセージが込められた作品と思われます。
「Scarborough Fair/Canticle」の複雑なコーラスはライブでの再現が困難であるためか殆んど「Scarborough Fair」単体で演奏されているようですが、1968年の『アンディ・ウィリアムス・ショー』ではアンディを加えた3人で「Canticle」を含めた再現を確認できました。


 
 



~Lyrics~

Are you going to Scarborough Fair?
スカボローの定期市をお訪ねですか?
Parsley, sage, rosemary and thyme
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle3

【Scarborough】は、イングランド北部ノース・ヨークシャーの北海海岸沿いにある人口5万人ほどの町で、イングランド東海岸の主要な観光地の一つです《写真》。
「Canticle」に描かれるような緑の丘がとても美しく、北海に突き出した岬の断崖の頂にはスカーバラ城跡があります。
一説によるとこの町の名前は、10世紀ごろ当地に入ったヴァイキングの[Thorgils Skarthi]によって開かれた【borough(自治都市)】からだとか…。

近世まで、感染症など病気の原因はミアスマ(μίασμα/瘴気・悪い空気)であると考えられていたため、強い香りを放つハーブ類は予防効果があると信じられ重宝されてきました。
1630年、南フランスのトゥールーズでペストが大流行した際、病死した人々から盗みを働いて荒稼ぎした泥棒たちがいて、彼らは自分たちが“ペストに感染しなかったのはセージ、タイム、ローズマリー、ラベンダーなどを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだ”と証言したとされ、この酢は【4人の泥棒の酢(Four thieves vinegar)】として有名です。


On the side of a hill in the deep forest green
あの丘の斜面、深い森の緑
War bellows blazing in scarlet battalions
唸りを上げる戦争、燃え立つ深紅の大軍

「Canticle」の歌詞で、敢えてここは非連続のセンテンスを並べました、
「Canticle」はポール・サイモンが創った反戦歌「The Side of a Hill」を改変したものですが、「Scarborough Fair」には“そうした要素”はなく、何故ポールがこの二作品を一つに重ねたかは不明です。

ただ、その背景にはベトナム戦争への反戦感情があったであろうことは想像に難くはありません。
戦争とは、政府が国民の命の喪失を省みず強力な破壊兵器を用いて大量の人間を殺すという、極めて異常で非日常的な状態のことです。
当然そこには、ごく普通の平和な日常から戦争へと転換される瞬間があるわけですが、歴史を紐解くとその多くは何の脈絡もなくある日突然発生するのではなく、“戦争とは一見平和な日常が営まれる傍らで幾つか小さな予兆を重ね一歩ずつそこへ近づいてゆくもの”である気がします。
戦争は発生してから騒いでも遅いのであり、だからこそポールは“何気ない平和の中にその兆しを見逃すな”と、敢えてこうした表現を選択したのかもしれません。

 
The Side of a Hill / Simon & Garfunkel - Scarborough Fair (from The Concert in Central Park)



~“犠牲の精神”の分からない人間は、社会をよくすることができないのか?~

最近、国民に衝撃を与えている学生アメリカンフットボールの定期戦で発生した「悪質タックル問題」。
このニュースに接したとき、私は直ぐさまこの春から正式教科となった小学校の道徳の教科書に取り上げられている『星野君の二塁打』という題材への懸念と重なりました。

内容を簡単に説明すると…
“少年野球の試合で監督の送りバントの指示に従わず自己判断で打ちに行ったところタイムリー二塁打となってチームを勝利に導いた星野君が、試合後チームの輪(※原文ママ)を乱したとして監督から次の試合の出場禁止を告げられた…”
という話で、そこから【規則を尊重する態度を身につけさせる】ねらいの題材となっています。

この題材が生徒の個人評価を伴う正式教科となった道徳の教材として不適切なのは、「チーム勝利へ決定的貢献をした星野君」と「監督の指示に従わなかった星野君」という意見の割れる難しい論点を提示しているにも拘らず、政府(教科書)は最初から後者を断罪する監督を【正当】としているため、教師もその結論に沿って授業を展開し生徒を評価しなければならないことです。
組織の上位者の指示に従うことは誰も基本的に異論は無いと思いますが、もしも今回のアメフットのように上位者に「相手つぶせば出してやる」「できませんでしたじゃ すまされないぞ」と理不尽を命じられたら、これに従うことが道徳的に正しいといえるのでしょうか?

組織の上位者といえど人間であり欲に目が眩むこともあれば、判断を誤ることだってあります…

だからこそ彼らが迷走を始めた時、下位者がこれに盲従せず事実に基づいて自らの良心に従い善悪の判断し迷走を制御できる知性を備えていることが、組織のリスク回避のためにとても重要なはずです。
しかし非常時に知性を発揮するためには常日頃から一人ひとりが自分の頭で考え、行動する訓練が重ねられている必要があり、ただ規則や上位者に従ってさえいればよいという精神風土の下では、その知性は育まれません

それが欠如する組織だからこそ起こり得た現象が今回の「悪質タックル」であり、4月の大相撲春巡業で市長が土俵上で倒れた際「救命処置に駆けつけた女性看護師を退けるアナウンス」であり、政府与党と省庁で常態化している汚職の本質と思います。


そして、『星野君の二塁打』を道徳教科書の教材とした背景には隠された“本当のねらい”があると私は考えます。
道徳教材という性質上、通常であれば物語のクライマックスの部分に読者に教材のねらい(本作では「規則の尊重」)に誘導する“ある種の感動”が用意されているはずですが、本教材には読者に「やっぱり規則は守らないといけないな…」と強く思わせる根拠がありません(とても弱い)。
むしろ多くの読者の印象に残るのは、星野君の活躍を評価した子どもに対し監督が熱く反論する場面…

ぎせいの精神の分からない人間は、
社会に出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ


確かに、映画『アルマゲドン』のラスト・シーンのように自分が犠牲になって他者を生かそうとする行為は感動を覚えます…
でも、それは自分以外の他者に強要されるべきものではないし、強要されて行った犠牲は美徳とは全く異質の“別モノ”です。

普通ならここまで目くじらを立てることもないのですが、監督の言葉は現在この国の政権を握っている安倍晋三首相及び彼の支援団体【日本会議】の思想の“コアな部分”であり、現にこうした思想が国民の内心を罪に問う『共謀罪法』や、近い将来日本の世論を形成する子どもたちの価値観を左右する『教育基本法』と道徳の教材に色濃く反映されているのです。
【滅私奉公】の心掛けは奇特で立派ですが、政府が国民にそれを求める時、国民はよほど注意を払うべきであることは、この国を含むあらゆる世界の歴史が証明しています。



~Epilogue~

メディアではあまり報じられていませんが、私には最近特に気になる案件がもう一つあります。
自衛隊の関連団体に、『隊友会』という組織があることをご存知でしょうか?
隊友会は自衛隊退職者など約7万2000人を正会員とするOBの互助会組織ですが、他方で防衛及び防災関連施策等に対する各種協力や調査研究・政策提言などの事業を行っている公益社団法人でもあります。
その隊友会について今月、支部組織『東京都隊友会』が憲法改定を求める署名活動を行い、“その送付先を自衛隊東京地方協力本部”としていたことが報じられました。

一般に公益社団法人が政治活動を行うことは禁じられていませんが、言うまでもなく自衛隊員は【自衛隊法第61条】で“選挙権の行使を除く政治的行為をしてはならない”と定められており、改憲運動という政治的行為のために自衛隊の施設を提供することは問題があり、このことについて都隊友会の担当者も“うかつだった”と認めています。
ただ、調べてみると更に問題なのが、この隊友会は単なる自衛隊退職者による団体ではなく、現役自衛隊員約17万人が「賛助会員」として組織に組み込まれていることです。
【賛助】とは“事業の趣旨に賛成して力ぞえをすること”であり、言葉どおりに解釈すると“自衛隊が改憲運動の趣旨に賛成して力ぞえをするのか?”という疑念が浮かびますが、防衛省は“現役隊員は署名の集約に一切、関わっていない”と説明しています。

しかし、【上意下達】が鉄の掟の自衛隊が元上官からの頼み事を“それは違法です”と断れるのか、人事権を握る安倍首相の宿願でもある改憲の協力を拒むとどうなるか…想像してみてください。

防衛という特殊な事業を主としていることを考えると“隊友会にとって政府は極めて重要な顧客”であり、その顧問や相談役には自衛隊OBの自民党議員が名を連ねます。
2013年の参院選では公益法人である隊友会が自民党・佐藤正久参議院議の選挙活動で現金を配って支援した疑いが浮上し、公選法違反(買収)で逮捕者も出るなど、隊友会は極めて政治的で特定政党寄りの団体であるようにも見えます。


こうした自衛隊OBと現役自衛官で構成される隊友会の政治スタンスを知ってみると、4月に民進党の小西洋之参院議員が防衛省・統合幕僚監部指揮通信システム部に勤務する30代の3等空佐から敵対的態度で罵倒された事件の背景に何があったのか、腑に落ちました。
基本的に戦後の日本の政治システムは、戦前の軍部の強い政治介入によって捻じ曲げられ大戦争を招いた反省から、自衛隊は【文民統制】によって政治への参与が厳しく制限されてきましたが、隊友会という公益社団法人の看板を借りることで実質的に政治的行為を行うことが可能となっているといえるのでしょう。
これは憲法上、護憲義務のある安倍首相が日本会議など任意団体の看板を借りて改憲運動を推し進めているのと同じ手法でもあります(隊友会は日本会議とも連携した運動を展開している)。

隊友会は偕行社(大日本帝国陸軍の元将校・軍属と自衛隊元幹部の親睦組織)らとの連名で提出した「平成29年度政策提言書」の中で改憲の必要性を主張し、1-(4)では国民の国防意識の高揚が極めて重要であるとし、憲法に“国民の国を守る義務の明記”を提言しています。

しかし戦前の太平洋戦争へ突入した原因の一つは、軍事拡大のための予算増大の賛同を得ようと国民の国防意識に火を点け煽った軍部が、予想以上に大きく燃え広がった国民の戦意高揚がプレッシャーとなって無謀なアメリカとの開戦に踏み切らざるを得なくなったことだったはずです。
愛国心や国防意識の高揚は自衛隊の予算獲得には役に立つかもしれませんが、それは裏を返せば近隣国への敵愾心の高揚であり、それによる関係悪化と軍拡競争が本当に戦争を招くことになりかねません。
あれほどの惨禍を代償として得た教訓を忘れ、同じ過ちを繰り返してはならないのです。


Never think that war, no matter how necessary,
いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、
nor how justified, is not a crime.
戦争が犯罪だということを忘れてはいけない  Ernest Hemingway

平和な今だからこそ、改めて心に刻み直そう。



「スカボロー・フェア/詠唱」


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Author:Beat Wolf


ジャンルを問わず音楽が大好き♪
青春時代のあの歌も、大人になって触れてみると“新しい何か”が見つかるかも…。



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