I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「クリスマス・イブ」山下達郎

2018.12.14

category : Christmas

Tatsuro Yamashita - Christmas Eve1 Tatsuro Yamashita - Christmas Eve2


Tatsuro Yamashita - Christmas Eve(English Version) /2000年



~概要~

「クリスマス・イブ」は、発売から30年以上経つ今日に於いてもシーズンに一度は何処かで耳にするであろう、日本のJ-POPを代表するクリスマス・ソングです(…という説明さえ不要な程)。
元々は山下達郎が1983年6月8日に発表した7thアルバム『MELODIES』の収録曲で、そこから2ndシングル(1stは「高気圧ガール」)として同年12月14日に3万枚限定の【30センチ/45回転盤ピクチャー・レコード】《写真・左》として発売され、オリコン・シングルチャートで44位を記録しました。
B面はビング・クロスビーが大ヒットさせたクリスマス・スタンダード「WHITE CHRISTMAS」のカバーで、これぞ達郎サウンドといえる多重録音の“一人アカペラ”の美しさはまさに“聖夜”に相応しい仕上がりです。

86/87年も【17cmホワイト・ビニール盤】が限定発売されていますが、「クリスマス・イブ」が広く知られるようになったのは最初のリリースから5年経った1988年以降のことでした。
JR東海『ホームタウン・エクスプレス(X'mas編)』のCMソング次項詳細)に起用されたことで知名度が上昇、1988年11月10日に4度目となるシングルも初めて【8センチ・シングルCD】として発売されました。
しかしクリスマス・シーズンが過ぎた後もロング・ヒットが続き、最初のリリースから6年後となる1989年12月に初めてオリコン・シングルチャートで1位を獲得【発売から1位獲得までに要した最長記録(当時)】、1989年度年間75位/1990年度年間13位という大ヒットとなり、2013年の時点で累計185.1万枚を突破、これは【1980年代に国内で発売された楽曲で売上が最も多いシングル】とされています(2位はもんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」)。
また、その後もシーズンになると思い起こされるクリスマスのスタンダードとなり、オリコンでは1986年 - 2017年に【32年連続トップ100位以内獲得】を継続中であり、これは同チャートでの最長記録です。



 



~JR東海『クリスマス・エクスプレス(X'mas Express・Xmas Express)』シリーズ~

国鉄分割民営化により1987年に誕生したJR東海は同年、最初の企業広告として遠距離恋愛を題材にした『シンデレラ・エクスプレス』(松任谷由実の同名曲がモチーフ)を制作していますが、そのコンセプトに基づいて翌1988年のクリスマス・シーズン向けに制作されたのが『ホームタウン・エクスプレス X'mas編』でした。

テーマ曲「クリスマス・イブ」の主人公は男性であるのに対しCMでの主人公は女性で、起用されたヒロインは当時15歳の深津絵里(高原里絵)。
映像は“帰ってくるあなたが最高のプレゼント”をテーマに、女の子が新幹線のホームで彼の帰りを心待ちにするも現れず涙を零した瞬間、プレゼントを持った彼がムーンウォークで登場する…という微笑ましいストーリーでした。

この企画は翌1989年『X'mas EXPRESS'89』として継続され、恐らく「クリスマス・イブ」の人気が決定的となったのはこのCMによる影響も大きいでしょう。
ヒロインを演じたのは当時17歳の牧瀬里穂で、プレゼントを抱えて恋人を迎えようと駅の構内を急ぐ彼女が彼を発見、早く駆け寄りたい気持ちを抑えて柱の陰に隠れてワクワクしながら彼を待つ…という展開は、もはや「クリスマス・イブ」の“きっと来ない”せつなさは微塵も感じさせないストーリーとなっていますが、それを無視してもヒロインの初々しさは視聴者の共感を大いに誘うもので、牧瀬里穂自身もこのCMによって一躍脚光を浴びることとなりました(『Xmas EXPRESS』のCMはシリーズ化し、1992年まで毎年制作された)。

「クリスマス・イブ」は1983年の楽曲発表以来公式MVが存在していませんでしたが、発売30周年を記念して初めて映像化され、「クリスマス・イブ(30th ANNIVERSARY EDITION)」に新撮ショート・フィルムを収録したDVDが特典として付加されました。
ヒロイン役は広瀬すずが演じ、『X'mas EXPRESS'89』のヒロインだった牧瀬里穂が広瀬すずとすれ違ってぶつかる通行人役で特別出演しており、これは『Xmas EXPRESS'92』でヒロイン吉本多香美と山下達郎本人がぶつかる(カメオ出演)演出を彷彿させます。

 



~Christmas Eve(English Version) ~

山下達郎ファンの方はご存知のように、彼はオールディーズやビーチ・ボーイズの“マニア”であり、そうした手法やカバーを多く取り入れ作曲やサウンドに生かされていますが、「クリスマス・イブ」にもその血脈がしっかり流れています。
そうした特性からか外国の歌手が彼の楽曲をカバーすることも珍しくなく、「クリスマス・イブ」も同様でしたが、あまりに多くの解釈の異なる英語詞が作られていたため、公式の「Christmas Eve(English Version)」を制作することになりました。
そこで1982年の『FOR YOU』以来英語詞の提供を受けているアメリカのシンガー・ソングライター、アラン・オデイ(Alan O'Day)に依頼しオリジナルである日本語ver.に準じた世界観で作詞されています。

この公式English Ver.が最初にお目見えしたのは、1991年のビデオ映像『TATS YAMASHITA PRESENTS CHRISTMAS IN NEW YORK』でした。
その後1993年にクリスマス・ソング&アメリカン・スタンダードで構成されたアルバム『SEASON'S GREETINGS』に収録され、2000年からシングルにも採用されています。


Wonder if it's gonna snow again
雨はまた、雪へと移ろうのだろうか…

オリジナルの日本語Ver.との違いで気になったのが、【again】。
山下達郎が書いた日本語Ver.は心情表現を抑えて淡々と描いているのに対し、English Verは心情表現を加えて表現されている印象を受けます。
そうした印象からか、ここでの雨や雪は主人公の心模様と重なる【情景】であり、【again】は同じような場面が過去にもあったことを連想させました。


Somewhere far away the sleighbells ring
遠くに響く、スレイベルの音

【sleighbell】は“そりの鈴”でクリスマス・ソングによく使われる言葉ですが、山下達郎の(日本の)都会的な「クリスマス・イブ」に、“サンタを乗せたトナカイのソリ”が走るなんて想像できませんよね?
…なので、クリスマス・ソングによく使われるスレイベル(鈴を棒に取り付けた楽器)という解釈をしました。



~Epilogue~

「クリスマス・イブ」は日本はおろか、本場キリスト教国の人々にも愛される山下達郎の代表曲で、彼自身も“間違いなく私の代名詞となって残るであろう一曲。自分の全作品中、詞・曲・編曲・演奏・歌唱・ミックス、すべての要素がバランスよく仕上がった数曲のひとつ”と評しています。

元々はシュガー・ベイブ時代の未完成曲「雨は夜更け過ぎ」(1975年1月24日・新宿厚生年金会館小ホールでの『シュガー・ベイブ セカンド・コンサート』で演奏されている)から生まれたもので、バロック調のコード進行からテーマを“クリスマス”として創作されました。
しかし本人が“別にクリスマス・ソングで当ててやろうとか、そういう下心がもとよりあるはずもなく…”という位置づけであったため当初シングル化は想定されていませんでしたが、ムーン・レコード社長からの提案でシングル化が決まったそうです。


また、2001年に初回放送されたTBS系『クリスマスの約束』で、ホストの小田和正から“番組で一緒に「クリスマス・イブ」を演らないか?”の出演依頼に対する手紙の中で、山下達郎は次のように綴っています。

もともとこの曲は、オフコースに触発されて作ったものです。
青山のアパートの一階がオフコース・カンパニーで、二階に私の所属事務所があった時代でした。
あの頃は私も30歳になったばかりのとんがった盛りでした。
バンドで挫折した私にとって、オフコースはとても重要なライバルで、敵(失礼!)がバンドのコーラスなら、こっちは一人でとか、そういったしようもないことを若気の至りでいろいろと考えたものでした…


結局、山下達郎は出演せず小田和正が一人で「クリスマス・イブ」を歌いましたが…
この年『クリスマスの約束』のサブタイトルは、“きっと君は来ない”でしたっ! 


きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ


「クリスマス・イブ」の有名なフレーズですが、ここから窺えるのは“クリスマス・イブに(恋人もなく)ひとりきりは淋しい”という価値観。
コラムニストの堀井憲一郎氏によると、“1982年以前はクリスマスよりお正月が大事だった”が1983年12月の女性誌『アンアン』で「クリスマス特集 今年こそ彼のハートをつかまえる!」という特集が組まれるなど、その頃から“クリスマスを恋人同士で過さないといけない”という日本独特の概念が育まれたと指摘しています。

そう言われてみると「クリスマス・イブ」の発表も1983年だし、ざっと調べてもそれ以前にそうした価値観に基づいた日本のクリスマス・ソングって殆んど無いことを考えると、本曲も日本人のクリスマスの概念形成に少なからず影響を与えたといえるのかもしれません。

ただ、歌という文化が素晴らしいと思うのは、詞で悲しみを語っていても、曲や音色でそれを和らげる色づけしたり、あるいはバック・コーラスで主人公を励ます気持ちを込めることもできることです。
山下達郎が傾倒したオールディーズとはそうした色彩を多層で表す音楽であり、「クリスマス・イブ」には故郷を離れ都会で暮らす若者の孤独感を代弁し、励まそうとする彼の気持ちが込められている気がします。

…でも彼をそんな気持ちにさせたのも、“愛(人を思いやる)の大切さを確かめ合う”というクリスマスの概念があったからなのかもしれません。
キリスト教徒でもない日本人がこれほどまでにクリスマスに共感するのは、そういうことでしょう?

満たされた人には幸せを、満たされない人には希望を…
家族と暮らす人にも、ひとりきりの人にも、それぞれにクリスマスの恵みが届きますよう。



「Christmas Eve(English Version)」


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 クリスマス 

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「ホワイト・クリスマス」エリック・クラプトン

2018.12.08

category : Eric Clapton

Eric Clapton - White Christmas1 Eric Clapton - White Christmas2


Eric Clapton - White Christmas (2018年)



~概要~

「ホワイト・クリスマス」は、2018年10月12日発売(日本では11月7日)エリック・クラプトンの22thアルバム『ハッピー・クリスマス(Happy Xmas)』に収録されている作品です。
アルバム・タイトルのとおりクリスマス・アルバムで、これは長い彼のキャリアで初のこと。
クリスマスのスタンダード・ナンバーやホリデイ・ソングを中心として構成され、オリジナル新曲「For Love On Christmas Day」も収録されています。
アルバム・カバーのサンタクロースのイラストはKingston College of Art出身(中退)のエリック自身が描いたもので、インナーにも彼によるトナカイのソリに乗ったサンタの絵が挿入されました。


エリックは毎年クリスマス・シーズンになるとジャズやスウィング、ロックなどの曲でクリスマス用の独自のプレイリストを作ってモバイルで楽しんでいましたが、そんな彼をずっと見てきた奥さまに3年前“何でクリスマス・アルバムを演らないの?”と訊かれたそうです。
彼に当初その気はなかったものの、3年経ってようやく彼女への答えに確信が持てるようになり、本作の試みへと繋がりました。
ホリデー・ソングを少しブルース調で演奏できるかもしれないって思った。それで、ヴォーカルの間にブルース・ラインを入れる方法を見つけたんだ…

『Happy Xmas』を発表したエリックは、ラジオ番組で次のように語ったそうです。
クリスマスアルバムを作ったばかりだから、今年はプレイリストを作らなくていいかも…”


「White Christmas」は1940年にアメリカの作曲家アーヴィング・バーリンが作詞・作曲し、その後ビング・クロスビーによって歌唱され“史上・世界で最も売れたシングル”として有名なクリスマス・ソングのスタンダード・ナンバーです。
しかしエリック・クラプトンver.では、歌詞は基本的に継承されているものの“メロディーは別物”になっており、加えてエレキ・ギターやブルース調といったオリジナルと全く異なるアレンジは、歌詞を認識しないと“同名異曲の「White Christmas」”に聴こえるでしょう。
クレジットをみるとカッコ付きで(Arranged by Eric Clapton and Simon Climie) となっていますが、サイモン・クライミーは本作のプロデューサーで、80年代にはクライミー・フィッシャー(Climie Fisher)として活躍した人です。


『Happy Xmas』発売を記念して11月16日、MTVの特番『A Clapton Christmas』が放送され、ネットでも公開されました。
エリックとサイモン・クライミーがアルバム制作秘話やスタジオ・パフォーマンスする内容となっており、「White Christmas」も披露されています。


 



~サンタクロースに宛てた少年の願い~

クレイ・アニメーションを用いた「White Christmas」のミュージック・ビデオは、クリスマスにまつわる少年の心情を描いたハートウォーミングなストーリーとなっています(メイン動画)。

大御所ブルース・マンのギター・プレイに心を奪われた一人の少年…
両親にギターをねだりますがお金がないと断られ、諦め切れない彼はサンタクロースへのリクエストの手紙に願いを託すことにしました。
以来、家にいても街を歩いてもギターの幻覚を見てしまうほどギターに一心で、せっかくの両親からのクリスマス・プレゼントにも顔を曇らせてしまうほど。
しかし両親は、彼の顔をほころばせる“もう一つのプレゼント”を用意してくれていました…。


この少年のストーリーは、エリックの少年時代の姿を彷彿とさせます。
1957年にアメリカのジェリー・リー・ルイスが「火の玉ロック(Great Balls of Fire)」を大ヒットさせていますが、当時12歳のエリック少年もこの刺激的なロックンロールに衝撃を覚えた一人でした。
しかし多くの人は【The Killer】ジェリー・リー・ルイスのワイルドな“パンピン・ピアノ”に魅了されたのに対し、エリックが特に目をつけたのはバックで地味に演奏するギター(ベース)でした。

まるで宇宙人を見ている気分だった。僕もあそこへ行きたい…

そこで彼は木を削ってギターの自作を試みるものの断念、家族にねだって13歳の誕生日に買ってもらった初めてのギターはエルヴィス・プレスリー・モデルのプラスチック製ギターでした。
最初に練習したのはハリー・ベラフォンテの「Scarlet Ribbons (For Her Hair)」というフォーク・ソングだった。何度も聴いて、耳だけで覚えたよ

 



~Epilogue~

少年時代、学校の勉強や女の子との会話が苦手でシャイだったエリックですが、“音楽がやりたい”ことだけははっきりしていました。
やがて友人に“シカゴ・ブルースの父”マディ・ウォーターズらのレコードを紹介され、そこからロバート・ジョンソンなどブルースへの傾倒が始まります。
エリックのブルースへの探求心は尋常ではなく、彼は日夜自室に籠ってコピー対象を何度も弾いてテープに録音し、完全に同じになるまでそれを繰り返す単調な作業を何時間、何日でも続ける…というもので、この頃の彼の様子について彼の祖母は“毎夜、リックの部屋から聞こえてくる調子外れな音に頭が変になりそうだった”と、証言しました。
一方、進学したKingston College of Artへの熱意はサッパリで、授業をサボってばかりの彼は“やる気のない人間を置いておくことはできない”と、学校を追い出される羽目に陥ってしまいます。

僕を育ててくれた祖父母はがっかりしていたよ…”

この十代の頃のエピソードだけで、その後のエリックの人生を象徴しています。
ブルースにのめり込んで、その一心さ故にグループの安定を失い
ドラッグや酒にのめり込んで、一時の快楽は得たものの必然・心と体の安定を失い
親友の妻にのめり込んで、それを奪って自らの妻としたものの因果ゆえ安らかな幸せは訪れず

“一つにのめり込むが故に、別の何かを失う…”

エリックの人生は、その繰り返しのような気がします。
一つにのめり込むからこそ一点は“光”として輝き、それ以外は“影”として自分や身近な人を傷つける…
その“痛み”こそが、【blues】なのだと。

【blues】は“孤独と憂鬱”であり、【Christmas】は“家族と幸福”です。
【blues】な生き方をしてきた自分が、【Christmas】を演じる…
その矛盾があるからこそ、長年エリックはクリスマス・アルバムを作ろうとしなかったのではないでしょうか?
或いは、【blues】も【Christmas】も彼にとって大事なものであるが故、安易にブレンドして両方の魅力を台無しにしたくなかったのかもしれません。

そして、齢73歳を迎えて試みたクリスマス・スタンダード「White Christmas」…
ここには、あらゆる【blues】を乗り越えてきたエリックだからこそ演じられた【Christmas】があるような気がします。

"May your days be merry and bright"
“あなたの日々が笑いと輝きに溢れ
"And may all your Christmases be white"
クリスマスが、真っ白な雪で素敵に彩られますよう…”



「ホワイト・クリスマス」


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「汚れた街」スティーヴィー・ワンダー

2018.11.30

category : Stevie Wonder

Stevie Wonder - Living For The City1 Stevie Wonder - Living For The City2


Stevie Wonder - Living For The City (1973年)



~概要~

「汚れた街」はスティーヴィー・ワンダー1973年の16thアルバム『インナーヴィジョンズ (Innervisions)』の収録曲で、2ndシングルとしてBillboard Hot 100の8位(1974年の年間45位)を記録しました。
作品の発表により、1974年のグラミーでスティーヴィーが“Best Rhythm & Blues Song”を、1975年のグラミーで本曲をカバーしたレイ・チャールズが“Best Male R&B Vocal Performance”を受賞しています。
また、ローリング・ストーン誌2010年版の“The 500 Greatest Songs of All Time”105位にもランクされた楽曲です。

作者はもちろんスティーヴィーで、フェンダー・ローズやドラムス、シンセベース、シンセサイザーといった全ての演奏もスティーヴィー1人による多重録音でレコーディングされました。
それを可能にしたのが【TONTO】(The Original New Timbral Orchestra)という当時世界最初&最大のポリフォニック・シンセサイザーで、スティーヴィーが楽曲・サウンド共に時代の最先端を走っていたイメージはこの機材を用いていた時期と重なります。

「汚れた街」は、レイ・チャールズ以外にもソウルデュオ・アイク&ティナ・ターナーやディープ・パープルのイアン・ギラン、ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス、R&B歌手アッシャーといった幅広いジャンルにカバーされる人気曲です。
但し、今回私が見つけた“イチ推し”は「Living for the Paradise City」というダジャレめいたタイトルの動画。
【スティーヴィーのヴォーカルとGuns N' Roses「Paradise City」の演奏のマッシュアップ】で、これがまた絶品!
…以来、私の中ではヘビーローテーションしています♪


「汚れた街」は一般に人種差別に対する抗議のメッセージが込められていると解されていますが、実際にアルバム『Innervisions』を発表する数ヶ月前の1973年4月28日、ニューヨークで10歳の黒人少年が白人(私服)警察官によって射殺される事件が発生し、周辺地区で暴動に発展して多数の負傷者が出る騒ぎとなっています。
(警官は起訴されたものの、白人11人/黒人1人という陪審員によって無罪判決が下された)

少年の葬儀には何千人もの人が参列し、スティーヴィーもその一人で、その時のインタビューで彼は次のように語ったそうです。
“僕の心にアメリカの愚かさがまた一つ刻まれてしまった。黒人の人たちが事の重大さを認識して、行動を起こすことを期待します…”


  
 



~Lyrics~

A boy is born in hard time Mississippi
ミシシッピが厳しい時に生まれた少年
Surrounded by four walls that ain't so pretty
汚れた壁に囲まれた場所だった

主人公は黒人少年とその家族で、彼らは不当に安い対価での労働と貧しい生活を強いられています。
その暮らしぶりについて【just enough】と表されていますが、その実情は“過不足ない”より“ぎりぎり(で生きている)”印象です。
彼らは有色人種であるという理由で雇用差別を受けており、正当な職業に就けない弱みにつけ込まれ、生きてゆくために不当な労働を受けざるを得ない…といった事情でしょう。

作品の間奏部分で、成長した主人公の“その後”と思われる寸劇が挿入されています。
彼は憧れのニューヨークへ到着し、バスから降りてその光景に感慨を覚えていると突然パトカーがやって来て、状況が理解できぬ間に逮捕され“10年の罪”を着せられてしまう内容です。
まるで、前項で言及したニューヨークの事件のよう…。


Her skirt is short but Lord her legs are sturdy
スカートは短いけれど、脚は健康的
To walk to school she's got to get up early
学校に歩いて通うため、早起きしなくてはならない

アメリカ南部諸州には、1964年まで『ジム・クロウ法(Jim Crow laws)』という州法が存在しました。
ジム・クロウ法は黒人労働力に依存する南部白人農園主たちの“黒人が白人と平等になっては困る”という思惑を代弁する人種差別法で、“有色人種(主に黒人)に対し一般公共施設の利用の禁止・制限”を定めています。

(アラバマ州では)公共交通機関の利用は禁じていませんでしたが“白人優先席”が設けられており、1955年に市営バスに乗車した黒人女性が運転手の指示に従わず白人優先席に座ったため逮捕されるという事件が起こりました(モンゴメリー・バス・ボイコット事件)。
これを知ったキング牧師らがバスへの乗車ボイコットを呼びかけると、バス利用者の約4分の3を占める黒人が一斉に利用しなくなって逆に市側が経済的大打撃となり、連邦最高裁もこの人種隔離政策に違憲を下したため、約1年で問題が収束しています。



~Living For The City~

スティーヴィー・ワンダーが「Living For The City」を発表したのは、1973年。
ニューヨークで10歳の黒人少年が白人(私服)警察官によって射殺される事件が発生した年ですが、40年以上が経過した現在もアメリカではヘイトクライム(人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる暴行等の犯罪行為)が後を絶たず、FBIの犯罪統計によると、2017年に通報されたヘイトクライムは7175件(前年比約17%増)で、3年連続で増加とのことです。

2017年に“メキシコとの国境に壁”という極端な公約を掲げたドナルド・トランプ政権が誕生して世界を驚かせましたが、トランプ氏を熱烈に支持しているのはメキシコからの(不法)移民に仕事を奪われる脅威を感じた南部地方を中心とする白人労働者階級。
“自由の国”を標榜するが故にアメリカには長年多数の移民が流入し、結果1960年に人口の85%を占めていた白人は2014年時点で62.2%まで低下、そうした事態にアメリカでの主導権を他民族に奪われる危機感を覚えた白人層が右傾化、一部が白人至上主義やヘイトクライムなど過激化し、極端な考え方の政権を誕生させてしまったといえるのではないでしょうか…。
しかも“2050年に白人は47%で半数を割る”と予測されており、将来的にアメリカの政治体制は政治理念に基づくのではなく【共和党(白人)】と【民主党(非白人;ヒスパニック+黒人+アジア系)】という人種・民族の主導権争いになってしまうのかもしれません。


【危機的な日本の国会…でも、国民の多くはそれに無関心?】

一方日本に目を転じると、これまで医者や弁護士など「高度な専門人材」に限って認められた外国人の就労目的での日本在留資格を、建設・コンビニ・介護など「単純労働者」にも拡大する移民政策の大転換について、政府に白紙委任することを定めた『出入国管理法(入管法)改正案』がスケジュール通り衆議院を通過し、会期末(10日)前12/7の成立を目指して参議院で審議中です。
しかし予想どおり審議はこれが国権の最高機関かと疑う惨状で、政府は法案の内容についての質問にマトモに答えないばかりか、11/29の参院法務委では昨年自民党自らが強引に増やした「与党3:野党7」の質問時間割当の責任を、長谷川岳議員(自民)と伊藤孝江議員(公明)が全うせず、合計57分を使い切らぬまま質問を終了してしまいました。


しかもあまりに絶望的な現実は、森友事件や働き方改革での文書があれほど“あり得ない捏造”と非難されたはずなのに、今回の審議でも政府は全く反省なく虚偽を用いていることです。
昨年からの1年半で技能実習生が1万1368人失踪した問題について、法務省は摘発された実習生2870人の聴取票を集計し、実習生の失踪動機を「より高い賃金を求めて」が86.9%と、同省は11/8の野党合同ヒアリングで説明しましたが、事前に要望された全員分の聴取票のコピーは拒否し、白紙の聴取票見本のみを提示しました(⇒野党は重ねて聴取票の提示を要求)。

その後も野党が“中身が公表されない限り法案審議できない”と聴取票の開示を要求し続けた結果、11/16にようやく一部黒塗りにして聴取票が開示され、さらに法務省は同日“「より高い賃金を求めて」は67.2%だった”と訂正たものの、実際の聴取票の失踪動機についての質問の答えの選択肢に「より高い賃金を求めて」は存在せず、事実は「低賃金」「低賃金(契約賃金以下)」「低賃金(最低賃金以下)」の3つであり、真実は“実習生の失踪動機の67.2%は「低賃金」”だったことが判明しています。
また、同省は聴取票のコピー・持ち出しを禁止したため、野党はデータを同省で1枚1枚手書きで書き写すことから始めなければなりませんでした。
その間に法案は衆院を通過し、12/3に野党が独自に分析した結果を公表、“「低賃金」=1929人(67.2%)”、“月給「10万円以下」1627人(56.7%)”でした。

ここまで生産性の低い国会運営を強いる政府・与党が、”生産性の高い移民政策”を施策する
というブラック・ジョーク…(であって欲しい)。


【移民を増やすほど、シアワセになれるんだよ… オレが!

「移民の歌」の記事で、外国人労働者の誘致拡大すると、安倍内閣の国家戦略特区諮問会議民間議員を務める竹中平蔵氏の人材派遣業大手『パソナ』が多大な利益を得るカラクリを言及しましたが、得をするのは人材派遣業だけではありません。
現行の外国人技能実習生制度は、受け入れ企業が『監理団体』に実習生一人当たり毎月数万円の「監理費」を支払い(※監理団体によって差がある)、『監理団体』が『公益財団法人・国際研修協力機構(JITCO)』に「会費」を上納(JITCOは今年度17億3300万円の収入)する仕組みで運営されていますが、JITCOには役員として9/15人の省庁OBの天下りがあるそうです。

一方、受け入れ企業を監査するという『監理団体』は、大物政治家のオンパレード
ベトナム人技能実習生受け入れの監理団体『公益財団法人東亜総研』の代表理事・会長は武部勤・元自民党幹事長、特別顧問は二階俊博・自民党幹事長。
ミャンマー人技能実習生受け入れの監理団体から手数料(年会費5万円/初年10万円/実習生が3人増える毎に1万円ずつ上乗せ)を徴収している『日本ミャンマー協会(JMA)』の名誉会長は中曽根康弘・元総理大臣、最高顧問は麻生太郎・副総理兼財務相…以下、何でこれだけの大物政治家が多数名を連ねる必要があるのかと思うほど豪華な組織です。
でも、“豪華布陣のコスト”は最終的に誰が払わされているのでしょう…

そもそも、“顧客”の要望する法案を1本でも多く通すことが、政府・与党が給与以外の“カネと票”を得るための“営利活動”のようです。
先の国会で西日本豪雨対応より優先させて成立を急いだ『カジノ法』は、トランプ大統領の支援者である「ラスベガス・サンズ」「シーザーズ・エンターテインメント」「MGMリゾーツ」といった米国カジノ企業への利益供与するためのものであり、麻生太郎財務大臣、野田聖子総務大臣、西村康稔官房副長官、岩屋毅議員ら国会議員15人が米国カジノ企業にパーティー券を購入してもらっていたことが報じられています。
政治資金規正法22条の5』は、“政治団体・政治家は、外国人や外国法人、株式の過半数を外国人等が保有している上場5年未満の株式会社などから、政治的寄附を受けてはならない”としている)



~Epilogue~

“Wir riefen Arbeitskräfte und es kamen Menschen.”
我々は労働力を呼んだ。だが、やってきたのは人間だった

移民政策を論じる際、必ず言及されるというスイスの作家マックス・フリッシュの言葉です。
「いわゆる移民政策をとることは考えていない」…独善の定義で世界通念を無視し、数年に亘って外国に居住・労働する人を“民(国家社会を構成する人)”と認めない安倍首相の心に、この教訓が刻まれているとは思えません。
“差別の心”とはそのような認識を言うのであり、その心を持つ安倍首相による移民政策で“地縁・血縁なく選挙権もない発展途上国出身の単純労働者”がどのように扱われるかは、これまでの外国人技能実習制度で証明済みです。

外国人技能実習制度は、長時間労働や低賃金(及び未払い)、契約違反(放射能除染作業を含む)、不当な強制(人身取引を含む)、実習生365人が死亡(1992-2014まで)するなど、国連人権委員会から度々制度の変更・廃止を勧告され、厚労省の調査でも受け入れ事業所の7割以上から労働基準法違反が確認された問題のある制度であるにも拘らず、長年放置されてきました。
しかし今国会、更なる移民迎え入れについての審議で、次々と法案の信頼性を根底から覆す虚偽が発覚したにも拘らず、政府・与党は法案の信頼を回復せぬまま強行採決によって成立させる予定です。
“圧倒的強者の不正義”に支配された外国人技能実習制度は、悲しいことに同じ“強者の不正義”によってまた新たに生まれ変わろうとしているのです。


ただ、こうした“強者の不正義による支配”は、外国人労働者だけの苦しみではありません。
「一億総中流」と形容された終身雇用の時代から、首の切り易い「非正規雇用」が正社員の担ってきた責任を負わされ、職業安定法が禁じてきた賃金の中間搾取を認める「労働者派遣法」が施行され、さらに今年「残業代ゼロ」時代に突入…。
この労働環境の変化って、すべて“雇用側が得をし、労働者が損をするルール変更”でしょう?
加えて言うならこの間「法人税は減税、消費税は増税」、「円安誘導で輸出企業は増収、(ドル換算で)労働者は減収」で、単純移民労働者を50万人入れると単純労働の賃金は13.82%減少するという試算から「移民政策で得をするのも雇用側、損をするのは労働者」ということになります。

ちなみに、1988年に国家公務員推計463万円/民間男性平均468万円と、民間が5万円多かった年収は、2018年は国家公務員678万円、民間正規494万円/非正規175万円/男性532万円/女性287万円(17年)と、官民で所得が大きく逆転しています。
こうした富める者がより得をし、貧しき者がより損をする社会は自然の流れでなっているわけでなく、政・官・財の「鉄のトライアングル」の我田引水によってもたらされているのです。


また、そもそも「働き手が足りない」⇒「移民労働者を増やす」という『入管法』は、議論の“出発点が間違って”います
「働き手が足りない」という現象は“結果”であって、その原因は「少子化」であり、「それをどうするのか」という議論から始めるのが筋で、それは政権の一存で決めてよいものでは決してなく、「国民に相当な負担を強いるものであるから、国民全体を巻き込んだ議論でなくてはならない」と思うのです。

「少子化」┳「人口減少を容認」(亡国の可能性)
     ┃
     ┗「容認しない」┳「自力で増やす」(女性一人当たり2人出産でも人口は減少)
             ┃
             ┗「移民を入れる」┳「期間限定」(亡国の可能性)
                      ┃
                      ┗「永住を許可」(移民族 > 日本民族の可能性)

この『入管法』は「癌に絆創膏」を貼るようなものであり、一時的に労働力不足は緩和できても人口減少を治癒するものではありません。
法案の強行採決を許すことは、国民がその大事な決定に関与せず、安倍首相に白紙委任することを意味するのです。



「汚れた街」


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「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ビートルズ

2018.11.18

category : Beatles & Solo

Beatles - While My Guitar Gently Weeps1 Beatles - While My Guitar Gently Weeps2


The Beatles - While My Guitar Gently Weeps (1968年)



~概要~

「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(以下「ホワイル・マイ~」)は、1968年11月22日に発売されたビートルズ10作目のアルバム『ザ・ビートルズ(The Beatles)』(通称;『ホワイト・アルバム』) に収録された楽曲です(A-7)。
英・米両国でのシングル・カットはありませんが、同アルバムから「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のB面として、日本・ドイツ・フランス・イタリア・オランダ等で発売され各国でヒットを記録しています。
作詞・作曲/リード・ヴォーカルはジョージ・ハリスンで、当時クリーム(過去ログ)のギタリストとして人気絶頂にあったエリック・クラプトンをリード・ギターに迎え演奏された“泣きのギター”は特に有名です。
ジョージやエリックのキャリアに欠かせない代表曲であるだけでなく、ロックの歴史に残る名曲として絶大な人気があり、有名誌でも以下のように評価がなされています。

『ローリング・ストーン』誌
“500 Greatest Songs of All Time”136位(2011)
“100 Greatest Guitar Songs of All Time”7位(2008)
“100 Greatest Beatles Songs”10位(2011)
『GUITAR WORLD』誌
“100 Greatest Guitar Solos”42位(2008)

1968年2月、ビートルズはパーロフォンからの最後のシングルとなる「Lady Madonna」(過去ログ)のレコーディングを終えると、2月15日からインドで瞑想修行を行い(メンバーによって滞在期間は異なる)、5月30日から約5カ月近くに亘る新たなアルバムのレコーディング・セッションに入っています。
「ホワイル・マイ~」のレコーディングが始まったのは7月25日のことで、ジョージのギブソン・J-200とポールのハーモニウムを一部被せただけの素朴な音源でした(詳細次項)。
8月16日にメンバー4人が揃ったバンド編成で録音がなされ、その後も9月3日・9月5日と、第44テイクまでレコーディングが重ねられたものの納得できるサウンドが得られず、翌9月6日にジョージが友人のエリック・クラプトンを招きセッションしたことがあらゆる面で奏功し、ようやく作品が完成に至っています。


その後1971年12月の『バングラデシュ難民救済コンサート』と1987年の『プリンス・トラスト』ではジョージとエリック、リンゴ・スターが揃ったパフォーマンスが実現していますが、1971年時エリックはドラッグ中毒と盟友デュアン・オールマン急死(1971年10月29日)の影響を感じさせるものでした。
1991年には日本で12公演にも亘る『ジョージ・ハリスンwith エリック・クラプトン and his band』が催され、「ホワイル・マイ~」が目玉となっていたことをご記憶の方も多いでしょう。

ジョージの一周忌に催された2002年11月29日の『コンサート・フォー・ジョージ(Concert for George)』ではエリックがホスト役を務め、「ホワイル・マイ~」では元ビートルズのポール&リンゴに加えてジョージの長男ダーニ・ハリスンが演奏に参加し、盛大な追悼となりました。


 
 



~Lyrics~

I look at the floor and I see it needs sweeping
床を見ると、それは掃き清められるべきと気づく
The problems you sell are the troubles you're reaping
あなたが売る問題の数々は、あなたが受ける苦労の種

今月発売された『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション”のプロモとして「ホワイル・マイ~」の何種類かの未発表音源が公開されており、それを聴いてみるとレコーディング過程で歌詞が一部書き換えられていったことがわかります。

上段は『ホワイト・アルバム』 に収録の最終ver.下段は音源として残っている恐らく最初期と思われる1968年5月の最終週、英サリー州イーシャーにあるジョージの家にメンバーが集まって27曲のアコースティック・デモを録音した【Esher Demo】の、[Verse 1]の同じラインを並べてみました。
何れも[sweeping/reaping]と韻を意識しているのは同じですが最終ver.は1行目の[I look at...]を反復しリズム感を重視しているのに対し、Esher Demoは歌詞に深みを感じます。




I look at you all, see the love there that's sleeping
愛を眠らせたままのあなた
While my guitar gently weeps
傍らで、僕のギターはそっと涙を零す

ジョージがインド思想に造詣が深かったことは有名ですが、彼は古代中国の儒教・五経の一つ『易経』の本も持っていたそうです。
易経は“あらゆる出来事は起こるべくして起こる”という占いの理論と方法を説く書で、これに感銘を覚えたジョージが両親の家を訪ねたとき適当に取って開いた本のページにあった言葉【gently weeps】をテーマとして創作した作品が、「ホワイル・マイ~」でした。

そういわれてみると、変更された上の[Esher Demo]のラインを含め、歌詞の随所に感じられる示唆的な言葉の表現が腑に落ちるのではないでしょうか…。


I look from the wings at the play you are staging.
あなたが演じる芝居を舞台の袖から見ていよう
As I'm sitting here doing nothing but aging
ここに座り、ただ年老いてゆきながら

1968年7月25日のセッション初日のテイクにはあった[Verse 5]の歌詞です。
(最終ver.では[Verse 1]とほぼ同じ内容に差し替えられている)
このフレーズは『The Beatles' Anthology 3』で初めて公開された音源に含まれるものですが、2006年にシルク・ドゥ・ソレイユによるラスベガスでのミュージカル常設公演『Love』に提供されたのもこのバージョンにストリングス・アレンジを加えたもので(ビートルズもサウンドトラックとしてリミックス・アルバム『LOVE』を発売)、2016年にはその10周年を記念して新たにアーティスティックなミュージック・ビデオも制作されています。
今回の『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション”では1968年の同日録音された【Take 2】が公開されており、ここではジョージが歌の途中で“たぶん彼にもマイクを1本立てた方がいい”と指示を出しています。

ここでもやはり、差し替えられた歌詞の方が趣きがあるように思えます…。
そもそもが【gently weeps(静かに涙を流す)】であることを考慮すると当初の寂しげなアコースティックver.が自然で、むしろ最終ver.の強烈なエレキは【cry(声をあげて泣く)】に近い感覚といえるかもしれません。

 



~Epilogue~

11月29日は、ジョージ・ハリスンの命日。
今月23日からは、エリック・クラプトンの半生を描いたドキュメンタリー『エリック・クラプトン~12小節の人生~』が劇場公開されました。
先日クイーンの映画も公開されましたがあちらは“エンターテインメント”色が強く、こちらは“ドキュメンタリー”なので、当時の時代背景やエリックの人間関係・[黒い歴史]に知識・興味を持つファン向けの作品といえるでしょう。

 

「ホワイル・マイ~」でのジョージの“迷走”は、【gently weeps】な歌を【cry】な方向に向けようとしたアプローチにあったといえるかもしれません(初期のアコースティックだけで十分「Something」に匹敵する美曲である)。
障害となったのは[ジョージの技能不足]で、彼はテーマのような“泣きのギター”を表現しようと何度も試みたものの上手くできず、《9月3日》に居残って逆回転を用いた録音であれこれ試みましたが果たせず、エンジニアによるとこの段階で“エリック・クラプトンを参加させる”案が出たそうです。
《9月5日》には“逃亡”していたリンゴがスタジオに復帰しお祝いムードの中、一気に第44テイクまで録音されましたが結局満足できるサウンドは得られませんでした
エリックの記憶によると、“明日空いてる?”とジョージからの電話があったのはこの日だったそうです。

翌《9月6日》、二人同乗する車中で突然ジョージが“レコーディングに参加してソロ弾かない?”と持ち掛け、エリックは“ビートルズなんて恐れ多い”と固辞したものの、“だからどうした?僕の曲だ”と半ば強引に、そのままエリックをスタジオへと連れて来たようです。
そのためエリックはギターを持たず同日スタジオ入りすることになりますが、そこには直近までエリックが所有し1968年8月初旬にジョージに譲った【57年製ギブソン・レスポール“Lucy(ルーシー)”】が置かれてありました(Lucyは9/4に撮影された「Revolution」のビデオで確認できる)。

エリックにとって「ホワイル・マイ~」は初めて聴いた曲であるにも拘らず、レコーディング・セッションはわずか2テイクで完了しました。
しかも正式音源に採用されたのは最初のテイクといいますから、いくら即興に慣れているとはいえ、あれだけの“泣きのギター”を一発でやってのけるというのは、まさに“神”というほかはありません。
誘ったジョージ本人も“エリックがあれをプレイしたとき、本当に凄いと思った”と驚嘆していますが、エリック本人はNHK『SONGS』で“僕には簡単なことだった”と語っています。

しかし“クラプトン効果”は、それだけに止まりません。
ホワイト・アルバムのレコーディング・セッションはスタジオ中に怒号が響き渡り、リンゴ・スターやエンジニアのジェフ・エメリックが“逃亡”してしまうほど険悪な空気の中で行われていましたが、ジョージによると“エリックがいる間、みんな本当にお利口さんだった”といいます。
また、セッションの当初よりジョンもポールもジョージの曲に関心を示さず真剣に聴こうともせず、適当にレコーディングを済ませようとする風潮があったそうで、“あれ以来、みんなもっと本気になった。すごく真面目に仕事するようになった”と、ジョージは当時を振り返りました。
とりわけそれが顕著に表れているのはポールのベース・プレイで、ここでの彼の素晴らしい演奏はエリックのギターが刺激となったのは想像に難くなく、共演したエリック自身も“ジョンやジョージも素晴らしいミュージシャンだけど、彼らの中で最高のプレイヤーはポールだ”と、評しています。


一方、「ホワイル・マイ~」を演じた伝説の主演女優“Lucy”は1970年にジョージ宅で盗難の被害に遭い、紛失してしまいます。
1973年に転売先の楽器店からの購入者が見つかり、同等の58年型レスポールとの交換によってLucyはジョージの元へ帰って来ました。
同等品を手に入れるのにジョージ自らがアメリカまで飛んだそうで、協力してくれたギターのコレクターはジョージへの敬意を込めて1500ドルで売ってくれたそうです。
2013年に伝説の女優・Lucyのカスタム・レプリカ『GIBSON CUSTOM George Harrison / Eric Clapton Les Paul』が世界100本限定生産で発売されましたが、価格は約200万円!

世界に一つしかない本物の伝説の女優には、一体いくらの値がつくのでしょう…。 



「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」


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「禁じられた愛」ボン・ジョヴィ

2018.11.16

category : Bon Jovi

Bon Jovi - You Give Love A Bad Name1 Bon Jovi - You Give Love A Bad Name2


Bon Jovi - You Give Love A Bad Name (1986年)



~概要~

「禁じられた愛」は1986年8月18日に発売されたボン・ジョヴィの3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』からの先行シングルで、ほぼ初めてのヒットで初めてのBillboard Hot 100のNo.1(年間30位)を記録した作品です。
ボン・ジョヴィは1984年にデビューし、日本では当時から「Runaway」(のカバー)がドラマ主題歌(1985年)に起用されるなど想定外の人気を獲得していましたが、本国アメリカでは2枚のアルバムまでで想定したレベルの成功は得られていませんでした。


そこでメンバーは、【Kiss】のポール・スタンレーに紹介されたデズモンド・チャイルド(Desmond Child)を楽曲のライターに迎えることを決断します(ボン・ジョヴィは1984年にキッスのサポートとしてヨーロッパ・ツアーに帯同した)。
デズモンド・チャイルドは1979年にポールと「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made For Lovin' You)」を共作し、後年ボン・ジョヴィ以外にもエアロスミスの復活やリッキー・マーティン大ブレイク(「Livin' la Vida Loca」の作者)の立役者となる人物です。
そのデズモンドと最初の共同作業となったのが、「禁じられた愛」でした。
ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラ、デズモンドの3人はニュージャージーにあるリッチーのお母さんの家の地下に集まり、創作を始めました。
以下、リッチーによると…

タイトルはすぐ浮かんだ…ジョン;‘「You Give Love A Bad Name」はどう?’-‘それだ!’僕は叫んだよ。次にリフが生まれ、それに合うコーラスを書き、詞を当てはめていったら1日でできた。バンドが演奏を繰り返すうちに、転調とコーラスがいい感じで、そこからヴォーカルとギターのパートを作っていったんだ…

但し、イントロ無しで冒頭から歌唱されるインパクトあるサビのメロディを考えたのは、デズモンド・チャイルドです。
1986年7月にリリースされた「禁じられた愛」の少し前、5月にボニー・タイラーが「If You Were a Woman (And I Was a Man)」という曲を発表していますが作者はデズモンドで、歌詞は異なっているものの、この曲のサビはほぼ同じものが使われています。


【ボン・ジョヴィ=visual】というイメージが確立されたのも本作が最初で、ジョンやリッチーの甘いルックスの魅力を最大限に引き出したPVは、女性を中心としてファン層を飛躍的に拡げることに貢献しました。
当時ボン・ジョヴィはサザン・ロック・バンドの代表格・38スペシャルのオープニングアクトとしてツアーを回っていましたが、MTVが「禁じられた愛」のPVを流すようになると人気が逆転、たちまちボン・ジョヴィがヘッドライナーを務めるようになったといいます。
以降80年代後半はHR/HMがトレンドな時代となりますが、その多くがボン・ジョヴィのような“美形”を擁したバンドで、爽やかでスポーティーな映像美に彩られたPVが量産されるようになったという意味で、「禁じられた愛」が大きな流れを作ったといえるでしょう。


 
 



~Lyrics~

Paint your smile on your lips
その唇に微笑みを彩り
Blood red nails on your fingertips
指先には、朱殷(しゅあん)の爪

【An angel's smile】と、【put me through hell】を併せ持つ女性…
【Blood red nails】は、その後者をイメージさせます。

【朱殷(しゅあん)】は日本の赤系の伝統色で、“時間がたった血のような暗い朱色”のこと。
源頼朝の墓所である法華堂跡の碑文にも、“一族郎等 五百余人ト偕 ニ自尽シ 満庭 朱殷ニ染メシ処トス”と記されています。
海外では実際に【Blood red nails】といった使われ方はあるようですが、日本のファッションの世界で【ブラッドレッド】と言うのだろうか…?


A school boy's dream, you act so shy
ウブな少年の夢、女はウブを演じる
Your very first kiss was your first kiss goodbye
お前の最初の口づけは、さよならのキス

ここも、サビの【I play my part/And you play your game】に通じるものがあります。
“男はロマンチスト、女はリアリスト”というのは耳にしたことはありますが…
男性は女にウブの幻想を抱き、女性はそれを計算に入れて演じ、お目当ての男を手に入れる?

…だとしても、【first kiss goodbye】というのはあんまりでしょう。
【you can't break free】は、男の精一杯の強がり?


Shot through the heart And you're to blame
息子さーんは中3で~
You give love a bad name (bad name)
受験勉強してーた~(してーた~)

主人公は受験生なので、「禁じられた愛」というタイトル…
…な、ワケはありません! 

日本語は、2010年に放送された『日清カップヌードル』のCMで歌われた替え歌です。
これはお馴染みの有名曲のPVで歌手が替え歌するというシリーズ(MISIA、ジャミロクワイ、GLAY)の第4弾で、ボン・ジョヴィが起用されたものでした(BJのはライブ映像)。
当時、本人が替え歌を歌っているのか話題となったシリーズですが、果たして本作はジョン本人が歌唱している?





~Epilogue~

私は幸運にもデビュー時からボン・ジョヴィを聴く機会に恵まれていましたが、「禁じられた愛」を初めて聴いた時の衝撃は忘れられません。
ちょうどそれはレコード店にいた時のことで、冒頭のアカペラ・コーラスを聴いた瞬間鳥肌が立ち、“これで彼らはNo.1になる”と確信しました。

「禁じられた愛」は明らかにそれまでの作品群にはなかった“威風”を放つ楽曲に思えますが、当初ジョンは“まるでマイケル・ジャクソンみたい”と、リズムを嫌がっていたそうです。
でもそれを受け入れたことが、彼自身の大きな成長に繋がったんだ…”デスモンドはこの時の彼が下した決断を、そう評しています。
最初はみんな【Bon Jovi】って何なのかさっぱり知らなかったんだ。バンド名がジーンズなのかピザ屋なのかも分かってなかった…”
それ以前を振り返るジョンの言葉は、「禁じられた愛」がもたらした彼自身の運命の激変を物語っています。


Shot through the heart
撃ち抜かれた心
And you're to blame
お前のせいさ

このラインはジョンのアイデアといわれますが、実は1984年の1stアルバム『Bon Jovi』でも彼は「Shot Through The Heart」という曲を発表しており、歌詞も「禁じられた愛」と同様のテーマで、何か“特別な拘り”を感じさせます。
1984年というとジョンが女優ダイアン・レインと交際していた頃で、ダイアンによるとその期間は僅か5か月だったそうです。

Bon Jovi - You Give Love A Bad Name4 Diane Lane 1984

「禁じられた愛」についてダイアンとの関係が投影されたとする説もあり、ボン・ジョヴィの元ツアー・マネージャーの告白本には、ダイアンがリッチー・サンボラと時間を過ごすようになり始めたのをジョンが嫉妬していたという言及もあったようです(ただし、ダイアンとリッチーが実際に交際に至ったかは写真など実証に乏しい)。
一方で、同書には当時人気絶頂だったジョンの“ロック・スターらしい[やんちゃ]ぶり”も掲載されており、こちらは“動かぬ証拠”でネタとしても圧倒的にインパクトがありました。
(※教育上よろしくないので、その具体的な内容についてはお知らせいたしません

You give love a bad name (bad name)
お前は、愛に汚名を着せる

若いころはやんちゃもした… Jon Bon Jovi

その後、ジョンは1989年にドラティア・ハーレイさんと結婚…
以来ふたりは30年近く“愛の美名”を守り続け、来年結婚30周年を迎えます。



「禁じられた愛」


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ジャンルを問わず音楽が大好き♪
古い歌の“温故”から、歳月を重ねた“知新(いま思う・いま考える)”を綴ります。



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