I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と詳しい解説でお届けします♪

「エリナー・リグビー」ビートルズ

2017.09.01

category : Beatles & Solo

Beatles - Eleanor Rigby1 Beatles - Eleanor Rigby2


The Beatles - Eleanor Rigby (1966年)



~「エリナー・リグビー」のオリジナル・スコアがオークションに!~

ビートルズ屈指の美曲「エリナー・リグビー」のオリジナル・スコアが、9月11日のオークションに出品されることになりました。
競売はビートルズの出身地リヴァプール近郊のウォリントンで行われ、約280万円程の落札額が見込まれているそうです。

「エリナー・リグビー」の楽曲自体のクレジットはご存知【Lennon–McCartney】ですが、弦楽八重奏を起用しているため編曲はプロデューサーのジョージ・マーティンが担当し、鉛筆で手書きしたスコアにはマーティンとポールが署名を入れています。
今回の競売では他にも「エリナー・リグビー」にまつわる出品が予定されており、主催者は“世界中で激しい争奪戦になるはず”と息巻いているそうです。



~概要~

「エリナー・リグビー」は1966年8月5日にイギリスでリリースされたビートルズの13枚目のオリジナル・シングル(「Yellow Submarine」と両A面)で、同日発売の7thアルバム『リボルバー(Revolver)』に収録されました。
シングルとしてイギリスではNMEで4週/MMで3週No.1に輝き、アメリカではB面扱いとなったもののBillboard Hot 100で11位を記録、2004年にはローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 137位】にもランクされています。

作者はポールでお得意の“物語風”を展開させていますが、歌詞のアイデアが煮詰まって自己完結できず他のメンバーらにアイデアを出してもらって完成させたようです(詳細別項)。
リード・ヴォーカルはポールで、本曲の歌唱により1966年のグラミーで【Best Contemporary Pop Vocal Performance, Male】を受賞しました。
一方、コーラスにジョン・レノンとジョージ・ハリスンが参加した以外、演奏についてビートルズは一切関与しておらず、このためリンゴ・スターは全く出番がありませんでした。

本曲は「Yesterday」に続いて二度目の本格的ストリングス編成曲ですが、こうしたクラシック志向には当時の恋人であるジェーン・アッシャーの存在が大きく影響を与えています。
ジェーンのお母さんはロンドンの名門ギルドホール音楽演劇学校の教授で、ジョージ・マーティンにオーボエを指導した人であり、当時アッシャー宅に住み込んでいたポールも彼女からクラシック音楽やその知識を授かっていました。
「Eleanor Rigby」はそんなアッシャー宅の地下の音楽室にあるピアノから生まれた曲であり、ポールがジョージ・マーティンに編曲を依頼した際“(アントニオ)ヴィヴァルディ風の弦楽八重奏”と注文をつけた知識も、その産物だったのです。
こうした経緯から生まれたのがヴァイオリン4/ヴィオラ2/チェロ2本という、ビートルズ作品中でも極めて特徴的な音の響きでした。

しかし、「Eleanor Rigby」の特徴的な音の響きは弦楽八重奏だけではありません。
通常のステレオは、左右2つのスピーカーによって実際そばで演奏を聴いているような音に近づけるものですが、『リボルバー』に収録の(オリジナルの)「Eleanor Rigby」では基本的にポールのリード・ヴォーカルは右チャンネルに、コーラスは左チャンネルに、ストリングスは左右両方(中央から聴こえる)に分別され入っており、特にヘッドホンを使うとそれぞれの切り代わる独特な音の感覚を楽しむことができるでしょう。
ただし、後年リミックスが施された「Eleanor Rigby」メイン動画はこの音源)は音質がクリアになっている反面、全ての音が中央から聴こえる普通のステレオ形式に変更されているので、ファンとしては微妙な所です…。

ビートルズ時代を含め「Eleanor Rigby」は長年封印されていた作品でしたが1984年、ポールは自作映画『ヤァ!ブロード・ストリート(GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET)』で本曲を初めて再演、その際「エリナーの夢(Eleanor's Dream)」というインストゥルメンタル曲を新たに創作しメドレーとしています。
また、ライブとして最初に披露されたのは1989年9月からのワールド・ツアーで、ビートルズ時代には不可能とされたストリングスの音をキーボードで再現し、ファンを歓喜させてくれました。

カバーはジョーン・バエズ、ヴァニラ・ファッジ、アレサ・フランクリンなどが有名ですが、私は何といってもレイ・チャールズ
彼は1968年に「Eleanor Rigby」をカバーしBillboard Hot 100で35位とヒットさせ、1990年にポールが“グラミー特別功労賞生涯業績賞”を受賞したステージで本曲をトリビュート演奏したことで、とりわけインパクトを残しました。


 
 



~Lyrics~

Ah look at all the lonely people
すべての孤独な人々について考える…

【孤独】という物語の展開に行き詰ったポールは他のメンバーや、ジョンの家に遊びに来ていた元クオリーメンのピート・ショットンに相談を持ちかけており、このラインはジョージ・ハリスンのアイデアだといわれます。
ジョンは1971年に“歌詞の半分以上は僕が書いた”、1980年には“最初のヴァース以外全部僕が書いた”と発言していますが、ポールは“ジョンにはいくつかの言葉を助けてもらったけど、8割は僕が書いた”、ピート・ショットンは“ジョンの貢献は0”と、認識に差異があるようです。

ジョンの“全部僕が書いた”やピート・ショットンの“ジョンの貢献は0”はそれぞれ余りに極端で、不自然さが感じられたため少し掘り下げてみたところ、話し合いの中で「Eleanor Rigby」の結末についてピート・ショットンが“最後はマッケンジー神父がエリナー・リグビーの葬儀を取り仕切る”と提案したのに対し、ジョンはそれを反対するなど意見を異にしており、結果的にポールはピートの意見を採用したため、ジョンはプライドを傷つけられたのではないでしょうか…?
ただ、【孤独】は明らかにジョンの得意とする分野であり、彼は少なからずこの作品に対し“思い入れ(執着)”があったと思うので、“ジョンの作詞による「Eleanor Rigby」”も味わってみたかった気もします。


Eleanor Rigby, picks up the rice
エリナー・リグビーは米を拾う
In the church where a wedding has been
結婚式後の教会

ポールは最初【Miss Daisy Hawkins】の名を思いついたものの満足できず、映画『Help!』で共演した女優【Eleanor Bron】から[Eleanor]を、1966年1月に舞台公演中のジェーン・アッシャーに会うため訪れたブリストルで見掛けた酒店【Rigby&Evens Ltd】から[Rigby]を取って【Eleanor Rigby】としました。

エリナー・リグビーの人物設定についてポールは“何もかも上手くいかないオールド・ミスの掃除婦”としているようで、ライス・シャワーを浴びて若いカップルが人生最良の日を謳歌した宴の後始末を、オールド・ミスが行うというのは何ともせつないものがあります…。


Father McKenzie, writing the words
マッケンジー神父は言葉を綴っている
Of a sermon that no one will hear
誰の耳に届くこともない説教を

一方こちらは最初【Father McCartneyとしたものの、ピート・ショットンに“ポールの実父と誤解されるので変えた方がいい”と指摘され、電話帳を調べて【McKenzie】に決めたそうです。
また、このラインと[靴下を繕う]というアイデアを出したのはリンゴ・スターともいわれます。
確かに、社会的地位も高いであろう年代の男性が独り靴下を繕う姿というのは、侘びしさをかき立てますが…。
(俗人はともかく、そのくらい物を大事にして安易に他力を頼まない高潔さこそ、聖職者の本来あるべき姿?)

ちなみに【Father McKenzie】には[ハザマケンジ]の空耳があり、[ミッキー・マッケンジー(Miki McKenzie)]は水谷豊の最初の奥さまです。 



~Epilogue~

…ところで、この作品には不思議なエピソードがあります。

【Eleanor Rigby】は1966年にポールが架空の人物として創作した名前ですが、ジョンとポールが初めて出会ったリヴァプールのセント・ピーターズ教会、そのウールトン共同墓地の中に【Eleanor Rigby】の名が刻まれた墓石《写真・左》が、1980年代になって発見されたというのです!
どんな名前も、世界を探せば大抵[同名異人]が見つかるものですが、ポールの出生地(ウールトン)、しかもジョンとの運命の出会いがあった場所でそれが見つかるという偶然…?
ちなみに、ポール本人は近年も基本的に“Eleanor Rigbyは架空の人物”という立場を通している一方、現実との奇妙な一致について“無意識のうちに影響を受けたかもしれない”とも言及しています。

Beatles - Eleanor Rigby3 Beatles - Eleanor Rigby4
 右は「Eleanor Rigby」をモチーフとして、1982年にスタンリー・ストリートに設置されたエリナー・リグビーの銅像。


では墓地に埋葬されたEleanor Rigbyさんとは、一体どんな生涯を送った人なのでしょうか?

墓石の記録によると彼女は独り身ではなく既婚者で、1939年に44歳で亡くなっています。
別の情報によると彼女はリヴァプールの病院で働いていた経歴があり、私は1956年に47歳で亡くなったポールのお母さん(ウールトン病院の元看護師)の生涯との類似を感じました。
ポールはこの時14歳、母を亡くした悲しみはもちろん、それまで涙を見せたこともなかった父が大泣きしている姿に衝撃を覚え、本当に大変なことが起きたのだと悲しみを深くしたそうです。
もしも母を亡くして間もないポールがこの墓と出あっていたなら、きっとその事を思い出さずにいられないでしょう。
ポールが【Eleanor Rigby】に込めた想い、そして当初なぜ【Father McCartney】を登場させようとしたのか、彼の心に少し近づけたような気がします。


All the lonely people
孤独なるすべての人々
Where do they all come from?
それは、何処からやって来るのか…

人は、誰もが孤独なものである。
そして、かけがえないものを失った時、その宿命を識る。
暗闇があるからこそ、光を求め彷徨(さまよ)う。
“生きる”とは、後戻りできないその闇を“時間切れ”まで前に進むこと…。



「エリナー・リグビー」

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「エボニー・アンド・アイボリー」ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー

2017.08.18

category : Beatles & Solo

Paul McCartney Stevie Wonder - Ebony and Ivory1 Paul McCartney Stevie Wonder - Ebony and Ivory2


Paul McCartney & Stevie Wonder - Ebony and Ivory (1982年)



~Oh Lord, Why Don't We?~

「Ebony and Ivory」はもう35年前に発表された作品ですが、人類は現在も“この問題”を争い続けています…。
8月12日、アメリカ・バージニア州シャーロッツビルで集会した白人至上主義者らとそれに抗議する人々(カウンター)が衝突し、ナチス・ドイツの総統ヒトラーを崇拝する白人至上主義者の男がカウンターの群衆の中に車を突進させ女性1人が死亡、19人が負傷する事件が発生しました(⇒記事)。

アメリカは“自由の国”として実に多くの人種や民族・文化・宗教を受け入れ、それをエネルギーに変えて世界の超大国となりましたが、それだけに“異物が交わる軋轢”という内なる火種には歴代政権も相当の注意を払ってきました。
しかし、それを一つにまとめるべき役割を持つ政府が特定の小数派を“えこひいき”したとしたら…?



~概要~

「Ebony and Ivory」は1982年ポール・マッカートニーの4thアルバム『タッグ・オブ・ウォー(Tug of War)』からの1stシングルで、Billboard Hot 100は7週No.1(年間4位/2013年の“All-Time”ランクで69位)でビートルズ時代の「抱きしめたい」に並ぶ生涯2番目のNo.1獲得週数で、イギリスでも週間No.1を記録し、意外にもビートルズ以外では唯一の英米No.1達成シングルです。
白人ロック界のスーパースターのポールとブラック・ミュージックを代表するスティーヴィー・ワンダーという“夢の共演”の仕掛け人はポール本人で、コメディアンのスパイク・ミリガンの言葉"black notes, white notes, and you need to play the two to make harmony, folks!"から「Ebony and Ivory」を“ピアノの鍵盤で白人と黒人の調和の比喩”とするアイデアを得て、その相手[Ebony]として希望したのがスティーヴィーでした。
実は、ポールは“Little-”時代からスティーヴィーのファンで、ウイングス1973年の『Red Rose Speedway』アルバム・ジャケットに刻まれた“We love youの点字”がスティーヴィーに宛てたメッセージであることは有名です。

ただ、この時点で二人は直接連絡を取り合う関係ではなく、ポールの妻リンダのお父さんから更に別のレコード会社の知人を経由してスティーヴィーにオファーが届けられました。
一方のスティーヴィーもこの頃南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する歌を発表しており、“ポールとは似たような考え方だし、この曲も押し付けがましくないし音楽で社会のことを考えてみようと上品に訴えているのがいい”と乗り気で、1981年2月からポールのいるカリブ海のモンセラット島でのセッションに参加しています。
また、マルチ・プレイヤーの二人らしく、全ての演奏とヴォーカルはポールとスティーヴィーによる多重録音で完結させました。

反面、ポールとスティーヴィーがピアノを連弾する微笑ましいPVは実は“合成”で、二人はスケジュールが合わなかったためポールはロンドンで、スティーヴィーはロサンゼルスで撮影したものを一つに編集し、更にポールはこの頃習得した“分身の術”も披露しています。
デュエットという特殊形態のため二人による再現はごく限られていますが、1989年11月27日にポールのロサンゼルス公演にスティーヴィーが飛び入り参加したという記録があります。
また、2010年にポールは米国議会図書館がポピュラー音楽で世界の文化に大きな影響を与えた作曲家・演奏家に贈る“ガーシュウィン賞”を受賞していますが、6月2日に授賞式&トリビュート・コンサートがオバマ大統領出席のホワイトハウスで開催され、その際、前年同賞を受賞したスティーヴィーと「Ebony and Ivory」の再演を実現させました。

 
 



~We All Know That People Are The Same Where Ever We Go~

超大国アメリカを揺るがす人種差別問題

かつて黒人奴隷制度を布き、その後も多民族国家であり続けたアメリカでは、黒人が大統領になる時代が訪れても、人種差別やそれに起因するヘイトクライム(憎悪犯罪)が今も後を絶ちません。
8月12日に事件が発生したバージニア州シャーロッツビルはアメリカ東部にあって人口5万人弱、“アメリカ国内で最も住みやすい都市”にも選ばれたこともあるバージニア大学を中心とした小さな学園都市です。
でも何故、こんな田舎町で全米を揺るがすような大事件が起こってしまったのでしょうか…
テレビ・ニュースでは伝えられないその経緯について、調べてみました。


そもそも、争いの元となったのはシャーロッツビルの解放公園(旧:リー公園)に設置されている銅像を撤去する、しないの揉め事でした。
この銅像はバージニア州出身で南北戦争の南部連合・軍司令官も務めたロバート・E・リー将軍の像(リー将軍像)で、郷土の英雄である一方、“南軍は黒人奴隷制度存続のために戦い”、戦後ネイサン・フォレスト将軍が白人至上主義の秘密結社“クー・クラックス・クラン(KKK)を結成”するなど人種差別の歴史を示す“負の遺産”としての側面もあります。
特に2015年6月にアメリカ・サウスカロライナ州で黒人9人が殺害された【チャールストン教会銃撃事件】に於いて、“犯人の男が南部連合国旗を崇拝”していたことから全米に“南軍のモニュメントは人種差別を助長する”という警戒感が高まり、今年4月にシャーロッツビル市議会もリー将軍像の撤去を決定しました。

しかし黒人奴隷制度存続のために戦った南軍を崇拝する者にとってそれは許し難いことであり、オルタナティブ右翼(alt-right)は5月にリチャード・B・スペンサー氏がシャーロッツビルでリー将軍像撤去反対集会を開き、7月にはKKKも反対デモ行進を展開し23人の逮捕者を出す騒ぎとなりました。

そして、8/11-12の反対集会【ユナイト・ザ・ライト・ラリー(Unite the Right Rally)】では事前にネットで仲間の参加を呼び掛けたことにより当日シャーロッツビルには既出の右翼団体に加え、全国から"Heil Trump!" を唱える[ネオナチ]自動小銃を装備する物騒な連中を含む数百人が集まって来たためバージニア州知事は非常事態を宣言、警察当局が白人至上主義側に不法集会の解散を命じましたが、その後発生したのが日本のニュースでも報じられたネオナチの男が集会に抗議する市民の人波に車を突っ込ませたあの殺傷事件です。


しかしそれ以上に波紋を呼んでいるのは、自国民が人種差別主義者の活動に抵抗して生じた争いを“どっちもどっち”と人種差別を許容するかのように評定し、ヘイトクライム(憎悪犯罪)によって死者まで出した白人至上主義側の責任を名指しで言及することを避けたトランプ大統領の姿勢でした。

これには民主党だけでなく与党である共和党の元大統領ブッシュ氏父子までが連名でトランプ氏を批難、事件から次の休日となった19日には人種差別に反対する抗議デモが全米各地で行われ、ボストンでは白人の極右グループが数十人で集会を開くも差別を許さない市民らが4万人押し寄せ、数に圧倒された極右グループは警察の保護を受けて退出したそうです。



~Epilogue~

現代のアメリカに於いて殆んどの国民はもちろん、人種差別は悪であり白人至上主義やネオナチのような差別的な極右思想は恥ずべきものと認識しています。
…なのに何故、トランプ大統領は大多数の国民の反感を買うことを承知で、ごく少数派である極右側を擁護する立場をとったのでしょう?

それは、彼らがトランプ大統領当選に貢献し、その後も彼を自分たちのカリスマであるかのように熱烈に応援する貴重な支持者であるからです。
つまり、政策・言動次第で敵にも味方にも変わり寄付もくれない不特定多数の国民よりも、具体的利害を共有し多額の金もくれる金持ちや熱心に選挙応援してくれる極右団体を大事にした方が信用できる…という考え方なのでしょう。
しかし、残念ながら差別ヘイト団体と政権の蜜月は、日本も同じ…。


そして、奇しくも私はこの記事を編集中、整理していた古新聞の中に“ヘイトとの闘い~在日コリアン3世”(今年5/27付)という記事を見つけました(※同じ内容を扱った⇒毎日新聞web)。

川崎市桜本地区は[コリアタウン]とも呼ばれ、在日コリアンをはじめフィリピンや南米の出身者を受け入れ誰もが認め合い、尊重し合う“共生の街”
ある在日コリアン3世の女性は家族とそこで暮らしていますが2015年11月、桜本地区が突如ヘイト・デモの標的となり、彼らが繰り返し街にやって来るようになりました。
(※手元の新聞によるとこの団体は【在特会】であり、主催者の男は【日本第一党】の党首として今年都知事選に立候補している)

“ゴキブリ朝鮮人、祖国に帰れ、死ね、殺す…”

主催者の男は[日本浄化デモ]と題してネット上で参加者を募っては訪れ、そんな言葉を浴びせました。
そして、女性の中学生の息子が“差別を止めてください”と抗議すると、男らは指差して嘲笑ったといいます。
その様子を見て女性は“もう逃げない。子どもたちをヘイト・スピーチに触れさせない”と、闘うことを決めました。
実名を公表し、顔をさらして横浜地方法務局や参議院の法務委員会に訴え、その勇気ある言動が『ヘイトスピーチ対策法』成立※(2016年6月)の追い風になり、それによって役所や警察の対処も改善されたそうです。
(※日本は2014年、国連からヘイトスピーチ問題に毅然と対処し法律で規制するよう勧告を受けていた)


Ebony And Ivory Live Together In Perfect Harmony
黒鍵と白鍵、ピアノの上で寄り添い
Side By Side On My Piano Keyboard, Oh Lord, Why Don't We?
完璧なハーモニーで共に暮らしてる…あぁ神さま、どうして僕らはそうじゃないの?

法律は政治家や役人の不正を隠ぺいするためのものではなく、罪なく虐げられる国民を守るためのもの。
差別ある所に正義は立たず、その範はまず上に立つ者が示さなければなりません。
あなたの一挙一動で、国民は変わることもできるのです…。



「エボニー・アンド・アイボリー」

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「恋する二人」ビートルズ

2017.06.23

category : Beatles & Solo

Beatles - I Should Have Known Better1 Beatles - I Should Have Known Better2


The Beatles - I Should Have Known Better (1964年)



~ビートルズ記念日~

6月29日は、“ビートルズ記念日”。
ビートルズが羽田空港に降り立った日です(公演は6月30日~)。
今年は“『サージェント・ペパーズ』50周年”ということで何かと話題豊富ですが、最近は難しいネタばかり扱っていたので、このくらいシンプルな方がいいでしょう?

今日は、心置きなくお楽しみください♪



~概要~

「恋する二人」はビートルズ1964年のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』の収録曲です。
同アルバムのA面(前半7曲)はビートルズ初主演同名映画のサウンドトラックとなっており、「恋する二人」は乗り込んだ[列車内でビートルズがトランプをするシーン]、もう一つは[最後のライブ・シーン]で使われています。
本アルバムからは何といっても「A Hard Day's Night」(過去ログ)と「Can't Buy Me Love」が世界的大ヒットを遂げていますが、イギリスでは「I Should Have Known Better」のシングル・カットはなく(1976年に「Yesterday」のB面としてリリース)、アメリカでは「A Hard Day's Night」のB面曲としてBillboard Hot 100で53位、日本ではA面(B面は「I'll Cry Instead」)として4位(ミュージック・マンスリー洋楽チャート)を記録しました。

「I Should Have Known Better」の作者はジョン・レノンで、ヴォーカルも彼によるダブル・トラックです。
他にはジョージ・ハリスンの12弦ギターとジョンのハーモニカが印象的でフォーク・ロック調のテイストとなっていますが、これはジョンがボブ・ディランの『The Freewheelin' Bob Dylan』(過去ログ)の影響を受けたことによるもので、この頃彼はかなりディランにカブレていました。
また、本曲はモノラルとステレオ・ヴァージョン(メイン動画)の2種類があり、イントロのジョンのハーモニカでモノラルは同じフレーズを2度繰り返すのに対し、ステレオは2度目の最後に“溜め”が入ります。

ライブは1964年10月から僅か1カ月足らずのイギリス・ツアーでセットリスト入りしただけなのでyoutube上にも見当たらず、今回は“デモ音源”と“BBCでのスタジオ・ライブ”を見つけました。
また、興味深いカバーとしてはビーチ・ボーイズが1965年のアルバム『Beach Boys' Party!』で取り上げており、これもまた楽しいテイストなのでご紹介いたします。

 
 



~Lyrics~

Whoa, oh, I never realized what a kiss could be
気づかなかった、キスがこんなに素敵だったこと
This could only happen to me
まるで、幸せを一人占めした気分

この歌の魅力は、何といってもこの“素直さ”といってよいのではないでしょうか?
作者のジョンもこの歌を“この映画のベスト3に入る”と、お気に入りの曲だったそうです。
当時ジョンがそう思っていたであろう相手はもちろん、奥さまのシンシア。

ところが1980年になると、ジョンはこの曲について“貶(けな)すほどではないけれど、ただの歌さ”と評したといわれます! 
(もちろん、この時の奥さまはオノ・ヨーコですが…)


That when I tell you that I love you, oh
“I love you”ってささやくと
You're gonna say you love me too, oh
“I love you”って返してくれる

人は、“現在の自分が未熟な過去の進化形”であると思いたいもので、若い頃に抱いた価値観を“未熟”と捉えがちです。
でも私は、若い頃のジョンが書いたこの歌も40歳の彼の作品と同様“いいもの”があるように思えてなりません。

むしろ“このフレーズのこと”って、若い頃は湧きあがる心のまま言葉にすればよいだけですが、年を重ねるほど心に意識を刻んでおかないと互いを結びつけているのが“そういう感覚”であることさえ忘れてしまうような気がします…。



~Epilogue~

記事を編集していて楽しいことの一つは、“思わぬトリビア”に出あった時。
今回発見して思わず笑ったのは、映画『A Hard Day's Night』のテレビ版でビートルズの日本語吹替を担当した声優さんについてです。
だって…

Beatles - I Should Have Known Better3 を Beatles - I Should Have Known Better4 Mr.BOO!(声は広川太一郎さん)

Beatles - I Should Have Known Better5 の声を Beatles - I Should Have Known Better6 うっかり八兵衛(高橋元太郎さん)

…が担当したというのです! すんごいギャップでしょ? 


話を本筋に戻します…

映画『A Hard Day's Night』の撮影に入った時、ビートルズ4人のうち3人は実生活でも既に妻や恋人をもつ“恋する二人”でした。
しかしこの映画によって“残りの一人”も運命の人と出逢い、そしてまさに「恋する二人」の仲間入りを果たすこととなります。

Beatles - I Should Have Known Better7

その二人とは、ジョージ・ハリスンパティ・ボイド
パティはこの映画で同じ列車に乗り合わせた女子学生の一人を演じていますが、「恋する二人」の撮影の頃にはすでにジョージと“特別な仲”になっていたのかこのシーンで他の女の子たちが金網の外に隔てられているのに対し、彼女だけはビートルズと同じ金網の中に置かれています(ポールの近くに座っている)。
このパティこそ後のハリスン夫人であり彼に「Something」を創作させ、その親友エリック・クラプトンに「Layla」(過去ログ)と叫ばせた伝説の女性です。

ジョージがインド文化に傾倒していたことは有名ですが実はパティも元々東洋神秘学に関心があり、ジョージがヒンドゥー教の神学者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと会うことを勧めたのも彼女だったといわれます。
しかしその後ジョージは益々宗教へとのめり込み、その事が著しく彼の性格を変えて“取り返しがつかないほど彼女を遠ざけた”として二人の離婚の一因となってしまいました。
後にパティがジョージとの離婚を悔やむ結果となったことを考えれば、「I Should Have Known Better」はジョージとパティの出逢いの予言であり、“どんな時もその気持ちを忘れずに”という神さまから二人へのアドバイスだったようにも思えてきます。


I should have known better with a girl like you
もっと、ちゃんと気づくべきだった
That I would love everything that you do
君が何かするたび、胸がときめこうとしてたこと

出逢った頃も、歳月を重ねた後も、その大切さに変わりはありません。



「恋する二人」

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「恋することのもどかしさ」ポール・マッカートニー

2017.04.21

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Maybe Im Amazed1 Paul McCartney - Maybe Im Amazed2


Paul McCartney - Maybe I'm Amazed (1970年)



~ポール・マッカートニー ワン・オン・ワン ジャパン・ツアー2017~

23日(日)19:09、ポール・マッカートニーが羽田空港に到着、いよいよ25日からポールの来日公演が始まります!
今回は日本武道館と東京ドームでの4公演のみの予定ですが、愛妻家の彼らしくナンシー夫人を同行し、いつもの元気な笑顔をみせてくれました。

ワン・オン・ワン ジャパン・ツアーについてはポール本人から日本のみなさんにたくさんのメッセージが届けられているので、ご本人にご紹介いただきましょう♪
(…それにしてもただのプロモ動画なのに、いちいち演出が派手!?

 



~概要~

「恋することのもどかしさ」はポール・マッカートニーが1970年4月17日に発表した1stソロ・アルバム『ポール・マッカートニー(McCartney)』の収録曲です。
当時のシングル・カットはありませんでしたが、その後ポールが結成したウイングス(Wings)のワールド・ツアーで演奏され、そのアメリカ公演の模様を記録した1976年のライブ・アルバム『Wings Over America』から「Maybe I'm Amazed」のライブver.がシングルとしてリリース、US Billboard Hot 100で10位を記録しました。
(このバージョンは日本でもシングル・カットされましたが、それには「ハートのささやき」という1970年と異なる邦題が付けられていました…《写真》)

『McCartney』は、1970年4月10日のポールの“ビートルズ脱退表明”以前に制作されたものであり、収録曲は何れも彼がビートルズ在籍時に創作したものです。
しかしレコーディングの多くは音楽スタジオでさえないポール所有の別荘で、しかも楽器演奏とプロデュースを殆んど彼一人で行った荒削りなサウンドであったため、アルバム自体は当時の評論家から酷評されました。

一方「Maybe I'm Amazed」はロッド・スチュワートが在籍したフェイセズが1971年にカバーするなど評価が高く、ローリング・ストーン誌も“The 500 Greatest Songs of All Timeの338位”と、極めて高い評価を与えています(ビートルズ以外でランクインするポールの唯一の曲)。
ポール自身も“このアルバムで最高の作品”と認めているお気に入りで、ウイングス時代から彼のツアーの殆んどで演奏されてきたセット・リストの常連曲です。

時代を超えて愛され続ける要因には、ビートルズ時代に培った「The Long And Winding Road」の“哀愁”と、「Helter Skelter」の“熱情”を一つの作品の中で両立する至難を具現させていることにあるといえるのでしょう…。
こうした至難は、その対極にあるテイストを難なく歌いこなすポールのヴォーカリストとしての表現力の豊かさがあって初めて成立するものであり、それこそが甘いだけのバラードにはないこの曲の魅力となっているのです。

 
 



~Lyrics~

Baby, I'm amazed at the way
驚いてる
you love me all the time
どんなときも、僕を愛してくれる君に

“驚かせる”というと【surprise】が一般的ですがこれは特に“予期しないことで驚かせる”ことを意味し、辞書によると【amaze】は相手がおろおろしたり途方に暮れたりするくらいの驚きを与える“びっくり仰天させる”と定義されています。

「All My Loving」や「And I Love Her」ほか、ビートルズ時代のポールによる数々のラブ・ソングが捧げられた女優ジェーン・アッシャーとは1967年のクリスマスに婚約まで至っているものの、それから僅か約7ヶ月後には婚約破棄という結果に終わってしまいました。
たぶんポールがリンダを生涯の伴侶に選んだ最大の要因はこの【you love me all the time】で、それに対しジェーンはポールの妻であることより女優である自分に価値を置いていたといわれます。
(もっとも、ジェーンの側からすると別れた原因はポールの浮気 


Who's in the middle of something
もやもやした何かの中で
That he doesn't really understand.
“答え”を見出せず、彷徨っているだけの

1967年末~1970年頃、ポールに“もやもや”を与えていたのはジェーンとの破局だけではありませんでした。

『サージェント・ペパーズ~』で“史上最高”の評価を得るもののそれは同時に次作以降への重荷を背負うことであり、ますますバンドとしての結束を必要としていた時にマネージャーのブライアン・エプスタインを亡くし、これによりそれまで彼が担ってきたメンバー間の調整やビジネス経営、著作権の管理など、実に多岐に亘る問題を彼ら自身が突き付けられることとなります。

しかし、その何れも上手く回ってはゆかず…。


you pulled me out of time,
君が、時間の外へと連れ出し
You hung me on the line
境界線にいる僕を見守り続けてくれたこと

そんな内憂外患な【time】から逃れるためにポールはこの時期“浮き名”を流すようなことも重ねていたようですが、所詮それらは一時凌ぎにしかなりませんでした。
何故なら、【on the line】にいる人を一時的に【pulled me out of time(時間の外へと引き出す)】ことはできても、最後まで【hang on(手放すことなくじっと見守る)】ことは誰にでもできることではないからです。

しかし、とうとうポールはその相手を見つけました…。 



~Epilogue~


ポールの苦悩…
それは1969年9月20日、ビートルズの長年の相棒ジョン・レノンの一言に極まりました。
この日ビートルズの4人はキャピトル・レコードとの契約更新のサインのためアップル社で会していますが、その席上で“小規模なギグからコンサートを再開したい”というポールの提案に対し、ジョンはこう言い放ちました…

お前はアホか?…もうたくさんだ、俺は辞める!

ジョンによる“脱退宣言”は契約違反のため公にはされなかったものの、これ以降彼がビートルズとしてスタジオに戻ることはありませんでした。
この事件によって、誰よりもビートルズ存続を強く願い続けてきたポールの希望は完全に断たれ、そのあまりのショックに彼はスコットランド・キンタイア岬にある自宅農場に3カ月もの間引きこもり、外部との関係を閉ざしてしまいました(このことが都市伝説“ポール死亡説”の一因となる)

僕は不安になり、偏執症になっていた。
役立たずに思え、何をしたらよいかもわからなくなってしまっていた。
夜は眠れず朝はいつまでも起きず、ひげも剃らず、ウィスキーに手を伸ばしただぼーっとしていたんだ…



Paul McCartney - Maybe Im Amazed31

そんなポールを救ったのは、1969年3月12日に結婚式を挙げたばかりの新妻リンダでした。
本来なら大スターの妻として都会で華やかな生活を送るべきところ、彼女に待っていたのは絶望に沈む夫との慣れない田舎暮らしで、ネズミは出てもお湯は出ない掘っ立て小屋での隠遁生活だったのです。

しかしリンダは衣服を着飾ったり立身出世よりも自然や動物と接することを愛し、自由で自然なスタイルの生き方を望み、家族のために世話をすることを厭わない人で、この時の田舎暮らしも“家族にとって、最良の時だった”と語っているそうです。
そんなリンダがそばで見守っていてくれたからこそポールは安心して“落ち込みに専念”し、そして立ち上がることができたのでしょう。

Baby, I'm a man,
…そうさ、僕はただ一人ぼっちの男
And maybe you're the only woman who could ever help me.
そして君は、それを救い得るただ一人の女


 ありがとうリンダ、君と出逢えて本当によかった…

…あなたにも、ポールの声が聞こえてきませんか?
(※リンダ・マッカートニーは1998年4月17日、乳癌のため天国へと旅立ちました…)



「恋することのもどかしさ」

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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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「ベイビーズ・イン・ブラック」ビートルズ

2017.04.14

category : Beatles & Solo

Beatles - Babys In Black1 Beatles - Babys In Black2


The Beatles - Baby's In Black (1964年)



~ポール・マッカートニー日本武道館公演~

2015年4月の『Out There! Tour』から2年ぶりに、ポール・マッカートニーが日本へ帰ってきます♪
今回のポールの来日というと、昨年大晦日の第67回NHK紅白歌合戦に彼が映像で出演し“2017年、日本に行くからね”というサプライズ・メッセージを発表したことが日本中の話題となりましたが、追加となった4月25日(火)の日本武道館公演もポール本人のサプライズとして3月9日に届けられたものでした。



前回の武道館公演当時、本ブログでは“1966年のビートルズ公演のセット・リストの再現”を期待し「I'm down」(過去ログ)を特集しましたが、フタを開けてみると意外にも“当時の再現”に対するポールのこだわりはなかったようで、残念ながら通常の『Out There! Tour』のセット・リスト(「ペイパーバック・ライター」(過去ログ)と「イエスタデイ」が該当)以外にビートルズ公演で演奏された曲はありませんでした。

しかし、本ブログでは性懲りもなく2017年武道館公演直前特集として、ビートルズ公演のセット・リストの1曲「Baby's In Black」をご紹介いたします!



~概要~

「ベイビーズ・イン・ブラック」は1964年12月4日に発売された4枚目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ビートルズ・フォー・セール(Beatles for Sale)』の収録曲です。
本作はビートルズのアルバムの中ではカバー曲も多く一般的に地味なイメージがある作品ですが、当ブログではこれまで「Eight Days a Week」や「Mr. Moonlight」、「Rock and Roll Music」の3曲を取り上げており、こうしてみるとなかなかインパクトのあるナンバーが揃っていると思いませんか?

レノン=マッカートニー作品はその名に反し実はどちらか一方だけによる創作が多いですが、「抱きしめたい」(過去ログ)などジョンとポールが終始2人でヴォーカルを分け合うものは本当の共作(貢献度が同等)の場合が多く、2人で歌い通す「Baby's In Black」は数少ない“リアル Lennon–McCartney”の一つです。
あまりロックっぽくない6/8拍子の楽曲をジョンとポールが同時に1本のマイクでヴォーカル録音した臨場感あるハーモニーが全体に豊かな色彩を添えており、どちらがメインのメロディーかの問いに対し、ポールは“どちらもメインさ”と答えています。

「Baby's In Black」はシングル・カットこそなかったものの、アルバム・リリース後1965年6月のヨーロッパ・ツアーからビートルズ最後の公演となる1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートまで演奏され続けたセットリスト曲で、もちろん日本公演でも披露されました。
その間1965年にアメリカのハリウッド・ボウルで演奏されたライブ音源は1996年にアンソロジー・プロジェクトの一環としてリリースされたマキシ・シングル「Real Love」や、ビートルズ唯一の公式ライブ・アルバム『The Beatles at the Hollywood Bowl』が2016年に初CD化された際のボーナス・トラックに収録されています。



 
 



~Lyrics~

Oh dear, what can I do?
あぁ…一体、どうすればいいっていうの?
Baby's in black and I'm feeling blue
愛しい君は黒い服、僕の心はブルーなんて

【black】と【blue】の対比が効いています。
でも、彼女はなぜ黒を着るのでしょう…。

黒は重厚感や高級感、存在感があり、強さや神秘性を与える色のイメージ効果があります。
反面、無彩で光を反射せず色を吸収・遮断するので、絶望・孤独・恐怖など暗い(マイナスの)気持ちの象徴です。


She thinks of him and so she dresses in black
アイツのことで頭がいっぱいで、君は黒を纏(まと)う
And though he'll never come back, she's dressed in black
決して戻っては来ないのに、黒を纏う

彼女は「恋の奴隷」に? 
“あなた好みの女”になるため、黒を纏うというのでしょうか…。

確かに黒を纏った女性は“ミステリアス&セクシー”なイメージで、それを望む男性も多いでしょう。
でも、彼が決して戻っては来ないのに着続ける理由とは?



~Epilogue~

「Baby's In Black」は、ビートルズに纏(まつ)わる一人の女性がモデルになっているといわれます。
ジョンが美術を学んだリヴァプール・カレッジ・オブ・アートの親友で、1960年ごろビートルズのベーシストとして一時在籍したスチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)という人がいますが、彼の当時のガール・フレンドだったアストリッド・キルヒヘル(Astrid Kirchherr)です《写真》。

二人はビートルズのハンブルク巡業で出逢い、恋に落ちます(アストリッドはドイツ人)。
程なくスチュアートは単身ドイツに残り画家を志し、アストリッドと婚約することになりますが、1962年4月10日に脳出血のため21歳の若さで亡くなってしまいました。

I think of her, but she thinks only of him
僕は君で頭がいっぱいなのに、君はアイツのことばかり
And though it's only a whim, she thinks of him
ただの気まぐれなのに、アイツのことばかり…


しかしアストリッドがビートルズに与えた影響は、「Baby's In Black」だけではありません。
彼女はファッションやデザインに鋭い感覚の持ち主で、彼女が恋人であるスチュアートに施した[moptop]の髪型や彼に着せた[round neck]のジャケットは後に【マッシュルーム・カット】【襟なしスーツ】としてビートルズのヴィジュアル・イメージに大いに貢献した、というのがファンの間での定説となっています。
ただし、アストリッド本人によると[moptop]は当時既にドイツの男の子の間で流行しており、その髪型を大いに気に入ったスチュアートが彼女にカットしてもらったのが実情で、[round neck]のジャケットも彼女の洋服を借りて彼がステージで着用したのが始まりだったそうです。
これに対し、当時革ジャン&リーゼント(いわゆる典型的な不良スタイル)がトレードマークだったビートルズのメンバーは、そんなスチュアートのスタイルを“ママのジャケット”とからかったといいます。

彼女がもたらしたものはそれに止まらず、当時アストリッドは写真家の卵でハンブルク時代のビートルズを被写体として多く撮影していますが、彼女の写し出すモノクロの“half shadow(半影)”スタイルが斬新で、それを大いに気に入っていたビートルズは2ndアルバム『With the Beatles』のアルバム・ジャケットにこの手法を用いました(撮影はロバート・フリーマン)。
また、『With the Beatles』と並びアート・デザインとして人気のビートルズの7thアルバム『Revolver』のジャケット・デザインを手掛けたクラウス・フォアマン(後にマンフレッド・マンのベーシスト)も、アストリッドとの縁によるものです(彼女の元恋人)。

Beatles - Babys In Black3 Beatles - Babys In Black4 Beatles - Babys In Black5


23歳の女性にとって婚約者と死別することは、それを経験したことのない者の想像など決して及ばぬ辛い悲しみであることでしょう。
しかし、同じく“唯一無二”の親友を失ったジョンはアストリッドに対し“生きるか死ぬかはっきりしろ、悩む余地なんてないだろ?”と声を掛けたといいます。
かなり際どい言い回しですが、“生きなきゃならないのだから、前を見ろ”という彼なりの叱咤激励でした。

斯(か)くしてジョンの“愛のムチ”が功を奏したかは定かではありませんがアストリッドはその悲しみを乗り越え、スチュアートの死から5年後(1967年)にビートルズのライバルだったロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズでリンゴ・スターの後任ドラマーとなったGibson Kempと結婚を果たしました。

アストリッドはビートルズとの関係を、こう振り返っています…
“私が彼らと築いた最も大切なもの、それは[友情]です。”



「ベイビーズ・イン・ブラック」

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