I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「さよならロンリー・ラブ」エア・サプライ

2013.07.28

category : Air Supply

Air Supply - Even the nights are better1 Air Supply - Even the nights are better2


Air Supply - Even the nights are better(1982年)


~洋楽への誘(いざな)い~

みなさんにとって、洋楽を聴いてみようと思ったきっかけは何ですか?
私にとってそれは、この曲だったかもしれません。
ちょうどテレビの歌番組で流れる歌とは違うフィーリングを求めていた時期で、FMから流れる音楽の中にクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」やこの曲がありました。

何を歌っているかも知らないまま、「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」とか「さよならロンリー・ラブ」といった邦楽には無いロマンティックなタイトルに、“大人の世界”を想像し憧れたものです。
また、奇しくもこの2組は“声フェチ”で“メロ(ディー)フェチ”な私の好みをしっかり満たしていたワケで、洋学の世界へと誘ってくれた思い出の曲であり、今も変わらず大好きな作品でもあります…。


~概要~

エア・サプライは1976年にデビューしたオーストラリアのバンドで、1980年の「ロスト・イン・ラブ」を契機にアメリカへと進出しました。
バンド・メンバーは何人もいますがメディア的には、ギター・ピアノ・ヴォーカルのグラハム・ラッセル(左上の写真・左)とメイン・ヴォーカルのラッセル・ヒッチコック(同・右;この曲は主に彼が歌う)の2人が紹介されます。

当時流行したAOR(Adult-Oriented Rock;大人向けの落ち着いたロック)の代表的存在で、とりわけその爽やかで涼しげなサウンドは“ペパーミント”に喩えられました。
日本でも人気が高く、日本盤レコード・ジャケットには青い海やヨット・気球などが用いられていたので、当時は“夏の海というと、エア・サプライ!”というイメージが定着したほどです。


~Data~

「さよならロンリー・ラブ」は1982年のアルバム『Now and Forever』からの先行シングルで、BillboardのAC(アダルト・コンテンポラリー)チャートで4週No.1、Hot 100でも5位を記録しました。
これにより、彼らはアメリカ・デビューから“7曲連続Top5入り”の記録を達成したことになります!
作者はJ.L.ウォーレス、ケニー・ベル、テリー・スキナーで、彼らはカーペンターズ最後のTop40ヒット(16位)「タッチ・ミー」の作者でもありました。


~Story~

エア・サプライというと、“センチメンタルな失恋”の歌をイメージしてしまいますが原題の「Even the nights are better」が示すように、今回は明るい兆しが見える作品となっています。
センチメンタルなピアノに導かれ案の定失恋を引きずっているようですが、こんな時の特効薬といえば…
そう、“新たな恋”ですね!
これを得ることにより彼の心模様はV字回復を果たし、それを比喩したのが「Even the nights are better」というワケです。

ちなみに、邦題の「さよならロンリー・ラブ」に該当するフレーズはLyricsには存在しませんが、こちらのタイトルもストーリーを的確に捉え、かつロマンティックな妄想へと誘(いざな)う“名題”といえるでしょう♪


一方、その女性について彼は…

Cause you had been lonely too

…と語っていて、自らも孤独を経験した女性だからこそ、彼の淋しさも理解しその処方箋を持っているというのです。
確かに、人はID(同一性)を持つほど共感し結びつき易いし、それが価値観や心の中で大切にしているものといった“内面”に関するIDなら、尚更です。
苦労を重ねた人はその辛さを知っていて、孤独を味わった人はその淋しさを知っている…。

でも、この物語に語られる女性は、根本的に優しい心の持ち主なのでしょう。
どんなに経験豊富な人であっても、自分のことばかり考えている人は相手の気持ちにあまり配慮しません。
淋しさなんて感情を普段大人は“丸出し”にはしないし、そんな人が他人の心の奥に仕舞われた淋しさに気づけるとは思えないからです。


~Epilogue~

幼い日の思い出を、胸に手を当てて振り返れば…
親は、私がお腹を空いてないか、風邪を引かないか、いつも気に掛けてくれていました。
思えば、そういう事まで心配してくれるのはこの世に自分の親だけだったし、それこそが愛情なんだなぁ…と。

基本的に、男女の恋愛もこれと全く同じだと思うのです。
相手を大切に思うほどそうした事にも心を配るし、悩んだり苦しんだりしていれば放って置けるものではありません。

そういう感情を共有できる人との出逢い…
だからこその、「Even the nights are better」なのでしょう…。


「さよならロンリー・ラブ」



Writer(s): Terry Skinner, J.L. Wallace, Ken Bell/訳:Beat Wolf


僕は…孤独だった
何が間違っていたのだろう…
どうして恋が終わってしまったのか?
僕を置き去りにして…

心がとても乱れ
老人のように生気を失っていた僕は
ある日、君と出逢い
孤独から解放されたんだ

心の痛みに絞めつけられる毎日だった
胸が張り裂けるほど…
だけど、今の僕には君がいる

孤独な夜も明ける
今、ふたりは共にいる
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…
昼も、より輝いたものとなる
愛する人が傍にいてくれたなら
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…

君は…僕の“処方箋”を知っている
同じ孤独を歩んだ人だから
痛みの和らげ方を
示しくれたんだ

そして…
心の傷を癒す以上に
歩み出す勇気を、僕の心に灯してくれた人
君となら、同じひとつの途を
歩める気がするんだ

抱きしめてくれる人が現れるなんて、夢にも思わなかった
君が僕に話し掛け、君と出逢うまでは…
 
孤独な夜も明ける
今、ふたりは共にいる
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…

昼も、より輝いたものとなる
愛する人が傍にいてくれたなら
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…

抱きしめてくれる人が現れるなんて、夢にも思わなかった
君が僕に話し掛け、君と出逢うまでは…

孤独な夜も明ける
今、ふたりは共にいる
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…

昼も、より輝いたものとなる
愛する人が傍にいてくれたなら
孤独な夜も明ける
君と出逢ってから…


過去の“美しいラブ・ソング”…
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」クリストファー・クロス
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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tags : 1982年 AOR 希望の愛 美声 

comment(4) 

「オールウェイズ・ラヴ・ユー」ホイットニー・ヒューストン

2013.07.24

category : Whitney Houston

Whitney Houston - I Will Always Love You1 Whitney Houston - I Will Always Love You2


Whitney Houston - I Will Always Love You(1992年)


~今ごろ、ホイットニーの墓が完成!?~

昨年2月の急死以来、これまでニュージャージー州フェアビュー墓地にある父の墓の隣に墓石もなく埋葬されていたホイットニー・ヒューストン。
この墓地は一般人が気軽に出入りできる環境にあるため“その場所”は、盗掘を防ぐため24時間体制のガードマンに守られていたそうです。
それが、墓の周囲をコンクリートで固めることによって予防できるようになり、つい先日ようやく彼女の墓石が建てられました。

墓石は落ち着いたピンク色で、“涙”を象(かたど)った本体の内側にはハ-トがデザインされており、彼女の名前と“THE VOICE”の称号が刻まれています。
その下には、彼女を象徴する“ I will always love you”の言葉を添えて…。
(写真は、今回の動画の中に入れています)


~概要~

「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、1992年11月から公開された映画『ボディガード(The Bodyguard)』の主題歌です。
主演はホイットニー自身と、当時最も売れっ子だった俳優ケビン・コスナーの共演というだけあって、それだけでも話題となりました。
この映画はホイットニー演じる人気歌手を、ケビン演じる元シークレット・サービスの男が守るという設定の話ですが、元々は1970年代にダイアナ・ロスとスティーブ・マックイーンを主人公に想定して書かれた脚本でした。
ダイアナは他にも、『ドリームガールズ』やホイットニーの遺作映画『スパークル』でもモデルとされていて、さすがの影響力といえます…。

一方、映画のサウンドトラックは記録ずくめで、シングル「オールウェイズ・ラヴ・ユー」はBillboard14週連続No.1、ホイットニーが6曲歌ったアルバムは全世界で4200万枚・日本でも当時洋楽史上最高の280万枚を売り上げました!
グラミーでは“最優秀レコード賞”“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”の二冠を制し、MTVやアメリカン・ミュージック・アワードでも授賞しましたが、何故か“アカデミー歌曲賞”にはノミネートされていません。
(映画で歌った他の2曲「Run to You」と「I Have Nothing」はノミネートされた)


And I...
Will always love you

(いつの時も、あなたを愛するでしょう)

…のフレーズを超人的な力強さで歌い上げるホイットニーの歌唱によって、つい“情熱的な恋の歌”と思いがちですが実は“別れの歌”で、
“そばにいても何もしてあげられない私だから、(あなたのために)あなたの元を離れます。でも、 I will always love you…”
という切ない物語であり、この曲が流れる映画のエンディングと重なるのでは…?


~歌姫にとってのバイブル~

「I Will Always Love You」はホイットニーのオリジナルではなく作詞・作曲したドリー・パートンが1973年に自身のアルバムで発表したもので、74年と82年にBillboard カントリー・チャートで1位に輝いた作品です。
ドリーはこれを別れの淋しい気持ちを素朴に表現しましたが、ホイットニーは“ I will always love you”のフレーズを強調することで、より切ないストーリーへと昇華させました。

彼女のカバー以降女性歌手にとってこの曲は憧れの作品で、ホイットニーが亡くなった直後のグラミーで追悼したジェニファー・ハドソンやビヨンセ、シャリース・ペンペンコ、リアン・ライムスら多数がカバーし、ドラマ『glee』でも取り上げられています。


~Produced by David Foster~

この作品に於いてもう一つ忘れてならないのはプロデューサーのデイヴィッド・フォスターの存在で、ホイットニーの見事な歌唱は勿論のことではありますが、彼女の歌を上手く引き立てたのも彼の功績といえるでしょう。

みなさんも、もう一度この曲に耳を澄ましてお聴きになってみてください…。
華やかなイメージのするこの作品も、ヴォーカル以外のサウンドが驚くほど抑えられていて、特に前半はほとんどホイットニーのアカペラといっていい程でしょう。

プロデューサーの仕事は“化粧”と似ていて、化粧を施すほど自分の色を演出できますが、一歩間違えれば“厚化粧”と受け取られてしまいます。
ホイットニーのヴォーカルを“絶世の美女”と信じるからこそ、その美しさをそのまま生かすことで、素晴らしい作品を遺そうという彼の信念が感じられる“職人”ならではの仕事ですね…。


~さようなら…でも、愛してる~

最後に、この作品のテーマである“大好きな人なのに、相手の幸せのために敢えて別れる”という選択を、みなさんはどう受け取られたでしょう?
その真意は歌の冒頭部分…

I would only be in your way

…にありますが、直訳するとこれは
“私は、あなたのそばにいるだけ”というカンジですが、“最愛の人がそばにいてくれるだけで十分だよ!”とお考えの方も多いのではないでしょうか。
互いを想い合っているのに別れるなんて、ナンセンスだと…。

きっと…
彼女はとても愛情深い人なのでしょう。
“ずっとそばにいたい”という自らの望み以上に、“彼に幸せになってほしい”という願いが勝った故の決断だったと思います。
最愛の人だからこそ、自分が幸せに導いてあげたい…。
人を愛する誰もが、そう思うはず。
でも、自分にはそれを叶えてあげられないと気づいた時、あなたならどうしますか?
そんな、せつない状況を自分に置き換え、改めて作品の世界を辿ってみてくださいネ…。



「オールウェイズ・ラヴ・ユー」


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tags : 1992年 AC せつない愛 映画90's 年間No.1ソング グラミー最優秀レコード賞 デイヴィッド・フォスター 

comment(10) 

「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」ベリンダ・カーライル

2013.07.19

category : Belinda Carlisle

Belinda Carlisle - Heaven Is A Place On Earth Belinda Carlisle - Heaven Is A Place On Earth2


Belinda Carlisle - Heaven Is A Place On Earth(1987年)


~今日は、ちょっと…?~

みなさんは、天国が何処にあるかご存知ですか?

“ガンダーラ。”

…そ、そういうオチをいきなり言うのは、やめましょう!

コホンッ…
…そう、天上にあるから天国ですよね。
ところがこの歌によると、“それは地上にある”というのです…。

“そこぉ~にゆ~けばぁ~、どぉ~ん~なゆ~めもぉ~♪”

シツコイ…


~背景~

ベリンダ・カーライルはアメリカの歌手で、女の子だけのロック・バンド、ゴーゴーズ(The Go-Go's)の元ヴォーカリストでした。
1985年の解散後、翌年にはソロ・デビューを成功させ、1987年に2ndアルバム『Heaven on Earth』を発表します。

何せ“この世は天国”と宣(のたま)う程のお方ですから、この頃ベリンダは公私共に絶好調!
私生活では俳優ジェームズ・メイソンの息子・映画プロデューサーのモーガン・メイソンと86年に結婚、アルバムを出せば大ヒット…。


~Data~

1stシングル「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」も見事Billboard Hot 100のNo.1に輝いたほか、世界中で1位を獲得しました。
また、この曲でグラミー・最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされています。
日本でもJR東海スバル・プレオのCM曲に起用され、近年もフジテレビ系列『めざましどようび』などでお馴染みの方もあるでしょう。

作者はアルバムのプロデューサーでもあるリック・ノウェルズと、シンガー・ソング・ライターのエレン・シップリーで、この曲の成功により二人は次回作『Runaway Horses』のメイン・ライターにも起用されています。
当初二人はベリンダのイメージに合うとして「Heaven on Earth」というテーマで作品を創作しレコーディングも終えますが、リックはその出来に満足できずにいました。
その原因は歌詞にあると判断した彼は作詞者エレンに依頼して全面的に詞を書き換えそれをベリンダに相談すると、彼女は1ヶ月費やしたレコーディングを一からやり直すことに快く応じてくれたといいます。

一方で招聘されたゲストの顔ぶれもユニークで、カラフルなキーーボードは「彼女はサイエンス」のトーマス・ドルビー、バック・コーラスには元ママス&パパスのミシェル・フィリップスに加え、何故か歌手ではない人気作家のダイアン・ウォーレンまで参加しています。
また、光る地球儀のユニークなPV(プロモーションビデオ)を制作したのは“オスカー女優”ダイアン・キートンで、この映像でやたらベリンダと“ラブラブ”しているのは彼女の新婚のダンナ様・モーガン・メイソンです…。



~“地上の楽園”のイメージは?~

サウンドはGo-Go's時代からベリンダの持ち味である開放感ある陽性なロック調で、元気をくれるでしょっ♪
まさに“地上の楽園”、というカンジですが…
みなさんはこのサウンドを聴いて、どんな“楽園の光景”を思い浮かべました?

実は、歌詞を見るとこの“楽園は、夜に訪れる”ことになっています。
…なので当初私は動画の背景写真に夜景を模索しましたが、どうもこの活力あふれるサウンドにはしっくりきません。
そこで“エメラルド色の海”にしようか迷いましたが、最終的に“雲に浮かぶ”ような不思議な風景写真を選んだ次第です…。


~“Heaven”は何処に?~

また、この作品では“二人で楽園を造ろうよ”と歌っているワケですが、みなさんはどう思われました?
“夢物語”って、言われる方もあるかもしれません。
でも、天国のような“完璧”は無理としても、自分の幸せを成り行き任せにするのではなく自らの手で築こうとする姿勢に私は共感します。

だって、自分なりの夢を抱いてそれが実現できるよう一日一日を重ねた方が、楽しいでしょ?
人間は欲張りだから、たとえ幸せの極地にあってもやがてそれが当たり前として満足できなくなるものです。
だったら、不完全であっても少しずつ理想の楽園に近づく人生の方が、結果として幸せを実感できる気がします。
その過程での喜びや苦しみを大切な人と分かち合えるなら、それはもっと素晴らしいものになる。

そんな時間の中にこそ、きっと「Heaven on Earth」が潜んでいるのでしょう…。



「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」


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tags : 1987年 ロック/ポップ 楽しい愛 名作MV CM曲 

comment(8) 

「ドント・ストップ・ビリーヴィン」ジャーニー

2013.07.15

category : Journey

Journey - Dont Stop Believin2 Journey - Dont Stop Believin1


Journey - Don't Stop Believin'(1981年)


アメリカのミュージカル・コメディ・ドラマ『glee/グリー』でこの曲をカバーした
“ニュー・ディレクションズ!”のメンバーであるフィン・ハドソン役を演じたコリー・モンティスが亡くなりました。
そこで急遽予定を変更して、彼の関連曲を特集いたします。

Cory Monteith


~『glee/グリー』とは?~

2009年から放送開始された米国のミュージカル・コメディ・ドラマ・シリーズで、高校の“gleeクラブ(合唱+ダンス競技)”のメンバーが毎回何曲も楽しいパフォーマンスを見せてくれる音楽好きにとっては、タマらない作品です。
ドラマのサウンド・トラックは発売される度に世界中で大ヒットし、出演者によるライブ・ツアーまで組まれる人気振りで、これまで『シーズン4』まで放送されました。
コリー・モンティス演じるフィン・ハドソンはチーム“ニュー・ディレクションズ!”の中心メンバーで、ヒロインのレイチェルと対を成す重要な役所でした。

今回のコリーの死について詳細をお知りになりたい方は、こちらの記事が詳しいでしょう。
「グリー」出演C・モンティスさん死去…死因不明
愛される素顔の持ち主だった、「glee」スターのあまりに早過ぎる死
急死の「グリー」コリーさんの恋人リア・ミシェルが憔悴状態


~ニュー・ディレクションズにとって「ドント・ストップ・ビリーヴィン」とは~

『シーズン1』第1話、個性の強いgleeのメンバーは自己主張が強すぎて一向にまとまる気配がありません。
一方、顧問のシュースター先生は生まれてくる我が子の養育費の為に大好きなgleeと学校を辞め転職しようか迷っていました。
そこに、それまでの迷いを断ち切りgleeに本気で参加することを決心したフィンが持ち込んだ曲が、「ドント・ストップ・ビリーヴィン」だったのです。
結果、この曲は初めてニュー・ディレクションズが心を合わせて歌った作品となり、それを偶然陰から聴いたシュースター先生は“自分にとって本当に大切なもの”を再確認し、辞意の撤回を決意します!

このシーンは私も非常に印象が強く残っていて、後にドラマのサウンド・トラックに収録&シングル・カットされ、Billboard Hot 100で4位を記録する大ヒットとなります。
オリジナルはスティーヴ・ペリーの力強いヴォーカルですが、彼らのバージョンは色とりどりのコーラス・ワークが魅力でフレッシュな若さが溢れるようです!

元々、個性が強過ぎたりゲイや障害のために周囲からいじめを受け続け、それに負けじと闘ってきた彼らにとって“自分を信じることを止めないで”というこの歌のメッセージは、“自分が自分であるための処方箋”であり、これこそ異分子ニュー・ディレクションズに相応しいテーマだったといえるでしょう。


~Data~

「ドント・ストップ・ビリーヴィン」のオリジナルはアメリカのロック・バンド、ジャーニーが1981年に発表したアルバム『エスケイプ(Escape)』に収録されました。
このアルバムはジャーニーを一躍全米No.1バンドへと押し上げた作品で、これに大きく寄与したのが新加入のジョナサン・ケインです。
ジョナサンは元ベイビーズのキーボーディストで洗練されたメロディー・センスを持ったソング・ライターでもあり、彼の息吹がジャーニーに新たな可能性をもたらせたのは間違いありません。

1981年10月、アルバムの2ndシングルとしてリリースされBillboard Hot 100の9位(82年の年間73位)を記録しました。
一方、当時イギリスでは62位と振るいませんでしたが2009年に突如6位(年間62位)を記録していて、これにはやはり『glee/グリー』でのカバーが影響を与えています。
以来、今年の5月も23位を記録するなど驚異的な人気を持続していて、これまで通算214週チャート・インを達成しました。
また、iTunes Music Storeでは“21世紀以前の作品として最高のダウンロード数を記録”したそうで、レコードなど合わせるとこれまで800万以上のセールスを挙げています。

日本では2004年から2006年まで日産・エルグランドのCM曲として起用されたので、そちらをきっかけにご記憶の方もおありでしょう。


~作品~

「ドント・ストップ・ビリーヴィン」が現在も世界中で愛し続けられる理由は、やはり“Don't Stop Believin' ”という、人が生きる上で欠かすことのできない心のエネルギーがテーマに掲げられているからではないでしょうか?
物語に登場する田舎の女の子や都会の男の子の“孤独感”、酔っ払いを前にステージに立つ歌手らが抱く“このままでいいのだろうか?”といった漠然とした不安は、恐らくみなさんも心当たりがあることでしょう。
“街行く人はみんな何食わぬ顔をしているけど、誰もが君と同じような悩みを抱えているものなんだ、だから君も諦めちゃいけないよ。”
…そんなエールを送る力強いロック・サウンドは、折れそうな心に勇気を与えてくれるようです。


~Epilogue~

新たな世界へと旅立つ人、明日の礎として今日を忍ぶ人、家族に献身を捧げる人…
人間関係に疲れた人、現実に押し潰されそうな人、全てに失望している人…

人の数だけ、人生もさまざまです。
何処に生きても、どんな生き方をしても、自分を試される場面は必ず訪れます。
それを耐え抜いてこそ、実を結ぶ瞬間にも辿り着けるはず。

でも…

今回亡くなったコリー・モンティスは、一体どんな悩みを抱えていたのでしょう?
報道によると彼は恋人リア・ミシェルとは結婚秒読み状態だったというのに、薬物に依存しなければならなかった心の闇とは…(死因はまだ断定されていません)。
もし薬物が結婚直前の人間の幸福感すら容易に覆してしまうものであるなら、これはまさに“悪魔”そのもの。
改めて、“薬物は絶対に摂取してはならない”という思いを新たにしました。
一人の、未来あるスターの死によって…。



「ドント・ストップ・ビリーヴィン」


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tags : 1981年 ロック 励まし CM曲 ドラマ 

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「シー・オブ・ラヴ」ザ・ハニードリッパーズ

2013.07.12

category : Led Zeppelin

Honey Drippers - Sea Of Love1 Honey Drippers - Sea Of Love2


The Honey Drippers - Sea Of Love(1984年)



~もうすぐ“海の日”~

7月第3月曜日は“海の日”(今年は15日)ということで、海に因んだ歌をご紹介いたします♪


~“ハニードリッパーズ”?~

“ハニードリッパーズ?聞いたことないぞ。”
そんなこと言われるかもしれませんが、この人たちの名前はどうですか?
ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャース…

“みんな超大物じゃん、そんなの知ってるよ!”
じゃあ、彼らが一つのバンドを組んだら?
“えっ、ウソでしょう!?夢みたい…。”

それが実現したのが、ハニードリッパーズです!
改めて主なメンバーを紹介すると…

ロバート・プラント…元レッド・ツェッペリンのヴォーカリストで、ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なシンガー15位(2011年)。
ジミー・ペイジ…元レッド・ツェッペリンのメンバーで、ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なギタリスト3位。
ジェフ・ベック…レッド・ツェッペリンの源流・ヤードバーズでジミーの前任ギタリスト。ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なギタリスト5位。
ナイル・ロジャース…元シックのギタリストで、この年マドンナを『 ライク・ア・ヴァージン』でブレイクさせた売れっ子プロデューサー


~背景~

元々“The Honey Drippers”はレッド・ツェッペリン解散後ロバート・プラントが、自身の音楽志向を具現化させるために発足させたものです。
心当たりのスタジオ・ミュージシャンらを集め1981年にキール大学 (イギリス)でライブを行いますが、このメンバーでアルバムが制作されるまでには至りませんでした。
しかし、この時のステージをレッド・ツェッペリン時代の所属レーベル“アトランティック・レコード”の社長アーメット・アーティガンが見ていた事により、このバンドには“続き”が生まれることになるのです…。

その後アーメット・アーティガンは自身が好きな“1950年代の音楽のレコードを出したい”と思い立ちます。
実は81年のハニードリッパーズはこうした音楽を好んで演奏していて、これを気に入った彼がロバートにそれを要請したのが作品発表のきっかけでした。
かくして上記豪華メンバーが集められ、事情を知らぬファンの間では“すわ、ツェッペリン再結成!?”の期待が勝手に高まることになるワケです…。


~一度限りの『Volume One』~

やがて、1984年9月に届けられたアルバム『Volume One』50年代のR&B/R&Rのスタンダード・ナンバー5曲によるEP規格(日本でいうミニ・アルバム)で、ファンの期待を裏切る内容であったものの作品のクオリティは評価されアルバム・チャートBillboard 200では4位と大ヒットしました。
現実には続きはなかったのに、それがあるようなタイトル『Volume One』は恐らくレコード会社の願望で、当の本人たちはそのつもりはなかったでしょう(所属レコード会社も異なる)。


~Data~

ロバートはファンにバラード歌手へ変節したと思われるのを恐れ「シー・オブ・ラヴ」を「Rockin' at Midnight」のB面としてシングル・カットしますが、バラード好きなアメリカでは「シー・オブ・ラヴ」ばかりラジオ局で流れ、思惑とは反対にこの曲がBillboard Hot 100で3位と大ヒットしてしまうことになります。
(ちなみに「シー・オブ・ラヴ」のNo.1を阻んだのは、この曲と同じナイル・ロジャースのプロデュースによるマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」とデュラン・デュランの「ワイルド・ボーイズ」でした!)

「Sea Of Love」は黒人歌手フィル・フィリップス&ザ・トワイライターズ1959年に2位を記録した非常にシンプルなラブ・ソングで、ハニードリッパーズもこの時代のテイストを大切にカバーしていますが、ロバートはバラードを歌わせてもとにかく色っぽい!
途中のギター・ソロはジミー・ペイジで、残念ながらジェフ・ベックはこの曲に参加していません。


~Lyrics~

“恋人を海に誘って愛を告げたい男の歌”というのはすぐに分かりますが、その告白の舞台が何故“Sea Of Love(愛の海)”でなければならないのでしょう?

でも、“海で愛を語りたいから!”…なんて言われちゃうとストーリーが味気なくなるので、もう少し私の妄想にお付き合いください…。


…と、その前に気になるワードについて触れておきましょう!
全体的にはシンプルでストレートな歌詞ですが、2行目に…

I knew you were my pet
私は、あなたが私のペットだと知った(!?)

…なんていうフレーズがあります。
この“pet”は私たちが愛玩動物をペットと呼ぶ単語と同じものです。
しかしペットにプロポーズするワケはなく、この場合は“特別に愛する人”という意味で用います。
敢えてこの単語を用いたのは、1行目の“met”と韻を踏ませるためでしょう。

ちなみに、私たちが日常よく用いる“ペットボトル (PET bottle)”のPETは別のPET(Polyethylene terephthalate;ポリエチレンテレフタラートの略語)で、英語読みでは“ピー・イー・ティー”。
しかも、PET bottle自体立派な“和製英語”で、英語圏の人はコレを“plastic bottle”と呼びます。
“和製英語”の方が的を射た言葉と思いますが、悲しいコトにPET bottleといっても外国では通じない…?


さて、肝心のストーリーですが、“Sea Of Love(愛の海)”は“二人が出逢った場所(海)”と私は解釈して詞を訳しました。
そう解釈すればわざわざ“Sea Of Love”と呼ぶ意味も頷けるし、また告白する舞台としての必然性もあると思えます。
でも、派手なサプライズ演出よりもこういうシンプルなロマンティックの方が、私は好きです…。


~Epilogue~

梅雨も明けもうすぐ夏休みに突入、いよいよ本格的な海のシーズンを迎えます。
このところの猛暑の影響で夏バテ気味の方も海へと心が逸る方も、まずはこのゆったりとした歌で暫しの涼をお楽しみください…。



「シー・オブ・ラヴ」


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tags : 1984年 AC 優しい愛 スーパーグループ 

comment(2) 

「アイ・ドント・ウォナ・ファイト」ティナ・ターナー

2013.07.08

category : Tina Turner

Tina Turner - I Dont Want To Fight1 Tina Turner - I Dont Want To Fight2


Tina Turner - I Don't Wanna Fight(1993年)



~女王ティナの“不戦”宣言!?~

“ロック&ソウル界で最もワイルドでパワフルといって過言でない女性歌手”
ティナ・ターナーが「I Don't Wanna Fight」(闘いたくない)!??

“何て、似つかわしくない歌なんだろう!”
直感的に思ってしまいますが、よくよく耳を傾けてみると…

“なるほど!”
…頷いてしまう、そんな作品です。

今日の記事を読んで作品をお聴きいただくと、みなさんにもきっとそう思っていただけることでしょう♪


~Data~

ティナ・ターナーは夫アイク・ターナーと共に1960年から“アイク&ティナ・ターナー”としてデビューし、60年代半ばには大スターとなっていました(1991年にロックの殿堂入り)。
その後もヒットを重ねますが1975年頃には人気も低迷、人生の歯車も狂い始めます。
翌年には“ある事情”によりデュオは解散、1978年に二人が辿り着いたのは“離婚”という結末でした。
やがて1980年代にはティナが“グラミー受賞者”として脚光を浴びる一方、元夫アイクに待っていたのは“受刑者”という、同じ人生を歩んでいた者同士としては余りに皮肉な運命だったのです。

1986年にティナは自伝『I, Tina』を出版し、これを原作として制作されたのが1993年の映画『ティナ(What's Love Got to Do with It )』でした。
「アイ・ドント・ウォナ・ファイト」はこのサウンドトラックに収録された映画の主題歌で、アメリカBillboardで9位・イギリス7位・カナダ5週連続1位という大ヒットを記録しています。

作者はイギリスの女性歌手・女優をこなすルル(Lulu)らで、当初はシャーデー(Sade)に提供されるはずでしたが彼女がティナに譲ったようです。
ルルは自らもこの作品を歌っていて、ティナとは全く違うしなやかなテイストとなっています。


~“不戦宣言”の背景にあったもの~

上記のように「アイ・ドント・ウォナ・ファイト」は本人の手による作品ではありませんが、自伝映画の主題歌となっただけあってまさに“ティナの人生を象徴した内容”です。
実は当時の夫アイクは元々女グセが悪く、それに加え妻ティナへの暴力も常態的で、70年代半ばに人気が低迷するとアルコールやドラッグに溺れそれは一層激しいものとなりました。
上にあるデュオ解散の“ある事情”というのも、暴力に耐えかねたティナがショーの直前に逃亡したことにより生じたものです。

こうして“ロック史上・最も悲惨な結婚”と呼ばれた結婚生活は、その後ドロ沼の離婚訴訟の末にティナが勝訴しますが…
“ティナ・ターナーという芸名”を名乗る権利を得るために全財産を奪われ
アイク&ティナ・ターナー時代のヒット曲を歌う事も許されない
…という高い代償により、終止符が打たれることになります。

ところで「I Don't Wanna Fight」というタイトルには続きがあって、歌中では“no more”と添えられています。
“もうこれ以上は…”という言葉は、それまでのティナの壮絶な闘いを物語るには足りないかもしれませんが、率直な気持ちでもあったでしょう。
ベーシックなR&Bのリズムに乗ったこのミドル・ナンバーは何処か晴れやかで、ティナのアクの強いパワフルな歌声を以ってしても爽やかさを感じます。

この清々しさを大切にしたくて、映像表現には苦労させられました。
素敵な背景写真があってもドキュメント写真を合わせると中々しっくりせず、結局コーヒーカップにドキュメント写真を浮かべるアイデアで完成させたのですが、いかがだったでしょう…?


~苦難の果てに~

アイクと別れた後のティナの生き生きとした姿はこの作品で歌われる前向きな考え方をそのまま見ているようで、“女性は逞しい”といわれる所以はこうした“立ち直りの強さ”にあるのでしょう。

そんなティナはその後ずっと独身を貫いていましたが今年4月、“婚約”という報道がありました。
お相手は1985年以来彼女を公私共に支え続けた音楽プロデューサーのアーウィン・バック(57)で、ティナは73歳にして“初の再婚”です。


~Epilogue~

でも、どうして二人は27年間も愛を高め続けることができたのでしょう?
私は、その答えはこの作品の主題に当たるフレーズにあるような気がします。
喧嘩した後にそう思うのではなく、日常から心に刻むことで思いやりを忘れず決定的な心の亀裂を避けられると…。

I don't care who's wrong or right
どちらが正しくて間違いかなんて、どうでもいい
I don't really wanna fight no more
もうこれ以上争いたくないだけ



「アイ・ドント・ウォナ・ファイト」


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tags : 1993年 R&B 決意 映画 

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