ミニー・リパートンはアメリカ・シカゴ出身の歌手で、“5オクターブ”ともいわれる広い声域を駆使した美しい歌声は、後世マライア・キャリー(過去ログ)やセリーヌ・ディオン(過去ログ)など多くの歌姫たちに影響を及ぼしました。 ミニーは音楽一家に生まれ、両親は早くから彼女の声の才能に気づきシカゴのLincoln CenterやHyde Park High Schoolでオペラを専門的に学ばせています。 こうした恵まれた環境の下、15歳で早くもガール・グループ“ジェムス(The Gems)”の一員としてレコード契約、その後ソロ・デビューも果たし(Andrea Davis名義)、私生活でもプロデューサーのリチャード・ルドルフと結婚、2人の子どもにも恵まれる順調ぶりでした。 しかし当時ミニーが唯一得られなかったのが“歌手としての成功”で、育児の忙しさもあって彼女は20代前半にして引退同然の2年間を過ごしています。
そんなミニーにも、憧れのシンガーがありました。 同じ黒人シンガーとして当時名声を欲しいままにしていた、スティーヴィー・ワンダー(過去ログ)です。 彼女はスティーヴィーと歌うことを夢みていましたが、実は彼も以前からミニーの歌声に注目していて、そうした相思相愛からミニーは彼のバンド“Wonderlove”にバックコーラスとして参加する機会を与えられ、スティーヴィーがグラミー・最優秀アルバム賞を受賞した1974年の作品『Fulfillingness' First Finale』のレコーディングにも貢献しています。
そうした経緯からスティーヴィーがミニーの復帰に一役買ったのが、同年発表したミニーの2ndアルバム『パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)』でした。 このアルバムでスティーヴィーはプロデュースに加え5種類の楽器演奏及び2曲の楽曲提供で支援し、さらにはWonderloveのメンバーだったデニース・ウィリアムスやマイケル・センベロまで応援に駆け付けています。 (※ただし、レコード会社との権利上の問題を避けるためスティーヴィーは“El Toro Negro”や“A Very Special Fan”という名で記されている)
「Lovin' You」はこのアルバムからのシングル・カットで、Billboard Hot 100では1975年4月5日付でNo.1(1週/年間13位)に輝きました。 当初『パーフェクト・エンジェル』には8曲が用意されましたがスティーヴィーはあと1曲必要と思い、ミニーとリチャードに“君たちにとって、一番照れ臭い歌はない?”と尋ねたところ思い当たったのが、娘のマーヤ(現在、マルチ・タレントとして活躍するMaya Rudolph)の子守唄として歌っていた“melody”でした。 この“melody”を手直しして完成したものが「Lovin' You」であり、そのため同曲のアルバムver.やミニーの一部のパフォーマンスでは歌の終わりで“Maya...”と繰り返されています。 あまりにもミニーのイメージが強いせいか意外にカバーは少なく、1992年にシャニースがBillboard R&Bチャートで59位に入ったのが最高で、日本では1991年のジャネット・ケイのバージョンが有名でしょうか…。
Minnie Riperton / Shanice
~Lyrics~
Lovin' you is easy あなたを好きになるのは、たやすいこと cause you're beautiful だって、あなたは本当に美しい人なんだもの
「You Are So Beautiful」(過去ログ)や「What Makes You Beautiful」(過去ログ)のように英語では【beautiful】は頻繁に使われますが、日本語に変換するのにこれほど厄介な言葉はありません。 【美しい】という言葉は価値があり過ぎて重いというか…日本人は軽々しく口にしませんよね? 増してや“男性に対する形容としての【beautiful】”は、相当違和感が…?
Lovin' you I see your soul come shinin' through 愛してる…あなたの心の奥を知るほどに And every time that we oooooh 二人の心がまた一つ、ふれあうたびに I'm more in love with you あなたをもっと好きになってゆく
Stay with me while we grow old 齢をとっても、ずっとそばにいてね And we will live each day in springtime きっと、一日一日を春の陽だまりの中で暮らしてる
1979年5月、アルバム『Minnie』がリリースされ、ミニーは6月15日に『Mike Douglas Show』に新作のプロモーションとして出演していますが、具合が悪いのかここでは患部と思われる右腕はずっと固定したままで歌っています(腋の下にある“腋窩リンパ節”は、乳がんが転移し易い場所)。 彼女には、もう“時間”が残されていませんでした…。
MEMORY LANE - MINNIE RIPERTON Live on Mike Douglas Show
この最後のテレビ出演直後ミニーは寝たきりとなり、7月10日に入院。 11日夜にスティーヴィー・ワンダーが見舞いに訪れ“Minnie Get Well Soon(早く良くなって)”と歌い掛けると、彼女は“私の待っていた最後の人が来てくれた”と応え、翌朝その歌を聴きながら夫リチャードの腕の中で息を引き取りました(享年31)。
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