I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「恋をあなたに」アニー・レノックス&アル・グリーン

2019.12.09

category : Soundtracks

Annie Lennox & Al Green - Put A Little Love In Your Heart (1988年)

Put A Little Love In Your Heart~みんながそうすれば世界はきっと、よりよい場所になる ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 80's デュエット ほっこり クリスマス 映画 偉大な歌手 ユーリズミックス アル・グリーン ジャッキー・デシャノン 

comment(4) 

「アクト・ナチュラリー」ビートルズ

2019.03.15

category : Beatles & Solo

The Beatles - Act Naturally (1965年)



~概要~

「アクト・ナチュラリー」は1965年8月6日にリリースされたビートルズの5thオリジナル・アルバム『4人はアイドル(Help!)』の収録曲です。
同アルバムは、A面にビートルズ主演の映画『ヘルプ!4人はアイドル』で使用された楽曲から7曲、B面には「Yesterday」をはじめとする映画とは別の新録7曲が収録されました。
本曲はB面1曲目、つまり映画の楽曲ではないため、純粋なサウンドトラック盤となっている米国キャピトル編集盤 『ヘルプ(四人はアイドル)(Help!)』には未収録なので、注意が必要です。

このためアメリカでは1965年9月13日に「Yesterday」のB面曲として「Act Naturally」もシングル・カット、Billboard Hot 100の47位を記録しました。
日本でも同じカップリングでシングル化されましたが、何故か「Act Naturally」がA面扱いとなっています。

「Act Naturally」のリード・ヴォーカルはリンゴ・スターで、ポール・マッカートニーがコーラスに加わっています。
作者はアメリカのシンガー・ソングライター、ジョニー・ラッセル(John Bright Russell)とヴォニー・モリソン(Voni Morrison)で、1963年にアメリカのカントリー・バンド、バック・オーウェンス・アンド・バッカルー( Buck Owens and The Buckaroos )によって歌唱され、Billboard Country Singles chart でNo.1に輝いた楽曲です。

『Help!』のセッションは1965年2月15日に始まり、当初リンゴの曲として同18日にレノン=マッカートニー作の「If You've Got Trouble」が録音されていましたが(『Anthology 2』に収録)、楽曲が不十分と判断されリンゴの曲はずっと棚上げになっていました。
結局最後まで十分な楽曲は完成できず、リンゴがバック・オーウェンスのレコードの中から気に入った「Act Naturally」を希望したため、これが選曲されました。
6月17日に計13テイクがレコーディングされ(うち12テイクまでは演奏だけの実質的にリハーサル)、同日『Help!』のセッションは終了しています。

「Act Naturally」は1965年のビートルズのツアー曲の一つであり、同年8月15日のニューヨーク“シェイ・スタジアム”コンサートや、9月12日の『エド・サリヴァン・ショー』などの映像が残されています。
1989年には最初に本曲を歌唱したバック・オーウェンスが「Act Naturally」をセルフ・カバーしており、その際にリンゴ・スターとのデュエットが実現していますが、制作された西部劇風のPVもまたリンゴらしくて一興です。
また、今回見つけた『The Muppet Show』の映像が面白いので、ご一緒にお楽しみください♪


 
 



~Lyrics~

「Act Naturally」は、“ある実話”がきっかけとなって創作されています。
作者ジョニー・ラッセルはある日、友人のミュージシャンからロサンゼルスでのレコーディング・セッションへの参加を依頼されました。
ところが、それを受けるためには約束していた恋人とのデートをキャンセルしなければなりません。
LAに行く理由を彼女に問い詰められたジョニーは、次のように説明しました…。

They're gonna put me in the movies
僕を映画に出演させてくれるって
They're gonna make a big star out of me
ビッグ・スターに仕立てるつもりらしい

これには思わず彼女も吹き出し、二人で大笑いしたそうです。 


Might win an Oscar you can never tell
オスカーだって獲れるかも…誰も想像さえしないだろうけど

アメリカ映画の祭典『アカデミー賞』で、受賞者がもらう【オスカー像(Oscar Statuette)】。
でもOscarってダレ?と、思った事ありませんか?
デザインは映画芸術科学アカデミー創設会員の一人で自らもアカデミー美術賞を11回受賞したセドリック・ギボンズ(Cedric Gibbons)で、モデルはエミリオ・フェルナンデス(Emilio Fernández)というメキシコ人俳優との定説があるそうですが、何れも[Oscar]ではありません。

呼称の由来には、“女優のベティ・デイヴィスが1935年の受賞式で当時の夫【Harmon Oscar Nelson】に似ていると発言”したとするなど諸説ありますが、1933年の新聞にオスカーの名称が登場していることから、“1931年にアカデミー賞事務局のマーガレット・ヘリック局員が初めて像を見た際に親類の【Oscar Pierce】に似ていると発言”したとする説が有力とされているようです。



~Epilogue~

リンゴ・スターが【RINGO STARR And His All Starr Band JAPAN TOUR 2019】として、来日いたします(3/27-4/11)。
盟友のポールも近年ほとんど休みなしといっていいほどツアー三昧の日々を送っていますが、ポールより2つ年長で78歳のリンゴも“老いて益々盛ん”で、2013年春から3回/6年の来日を数えます。
1989年以来、今回で14期目となる豪華なメンバーは以下のとおりです(予定)。

スティーブ・ルカサー(TOTO)
グレッグ・ローリー(ex.サンタナ / ジャーニー)
ヘイミッシュ・スチュワート(ex.アべレージ・ホワイト・バンド)
コリン・ヘイ(ex.メン・アット・ワーク)
ウォーレン・ハム(ex.ブラッド・ロック / カンサス / AD)
グレッグ・ビソネット(ex.デイヴ・リー・ロス)

昨年のツアーではTOTOやメン・アット・ワーク、10ccの曲を3曲ずつ入れていたので、恐らくそういう構成になるのでしょう。
今年はグレアム・グールドマン(10cc)に代わって、80年代から90年代にかけてポールのバンド・メンバーだったヘイミッシュ・スチュワートが入る予定なので、彼がその穴を埋めると思われます。


 


映画『Help!』が事実上リンゴ・スターの主演作であり、彼のキャラクターを知っている誰もが「Act Naturally」を“リンゴらしい”と評するでしょう。
リンゴにはジョンやポールのような他を圧倒する音楽的才能があるとは言えませんが、彼の持つ“天然”こそ、他のメンバーにはない優れた才能であり、彼はそれによってドラムスや俳優、人間関係に至るまで人々を魅了しました。

「Act Naturally」は一面【僕はビッグ・スターになる】という夢のある歌ですが、他方それを導く根拠には彼がそれまで歩んだ苦難が秘められていることに気づくはずです。
そうした苦しみを「Help!」と赤裸々に訴える者もあれば、「Let It Be」と全てを投げ出す者、「While My Guitar Gently Weeps」(過去ログ)とギターを泣かせる者もあります。


We'll make a film about a man that's sad and lonely
独りぼっち寂しい男の映画をつくる
And all I gotta do is act naturally
だから僕は、普段どおりふるまうだけでいいんだ

…でも、苦しみをユーモアに代える男もステキでしょ? 



「アクト・ナチュラリー」


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tags : ヘルプ! リンゴ・スター カントリー ほっこり 

comment(4) 

「パイプス・オブ・ピース」ポール・マッカートニー

2015.12.11

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Pipes Of Peace1 Paul McCartney - Pipes Of Peace2


Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983年)



~ポールの平和への願い~

今年12月5日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターでジョン・レノン生誕75周年を記念するイベント『IMAGINE:John Lennon 75th Birthday Concert』が、ジョン・フォガティ(元CCR)、スティーブン・タイラー(エアロスミス)、ランドン・フラワーズ(キラーズ)、ウィリー・ネルソン、シェリル・クロウ、そしてオノ・ヨーコらによって催されました(実際のジョンの誕生日は10月9日)。
「Imagine」や「Happy Xmas (War Is Over)」「Give Peace a Chance」など、“Peace”というとジョンのイメージが強いと思いますが、一方のポール・マッカートニーも平和を願う心では負けていません!

…その発想は、いかにもポールらしいものですけどね? 



~概要~

「パイプス・オブ・ピース」は1983年のアルバム『Pipes Of Peace』に収録された、そのテーマ曲です。
前作『Tug of War』と対を成すアルバムであり、『Tug of War』の二元的対立への問いに答える作品となっています。
この2つのアルバムは今年新たにリマスターした音源と未発表音源・映像を加え、“豪華再発シリーズとして10月に再発売されました(「Say Say Say」の新映像は当時紹介しました♪)。

アルバムからはまずマイケル・ジャクソンとの「Say Say Say」が先行してカットされ世界的大ヒットとなりましたが、「Pipes Of Peace」はイギリスでの2ndシングル(B面は「So Bad」)としてリリースされ、こちらは全英No.1を記録しました。
ポールはビートルズで17曲、ウイングスで1曲、スティーヴィー・ワンダーとの「Ebony and Ivory」やフェリー・エイドでの「Let It Be」などのコラボで5曲の全英No.1シングルを保持していますが意外にも純粋なソロ名義としての1位獲得曲は他に無く、現時点でこれが唯一の全英No.1です。

一方アメリカでは「So Bad」がA面(B面は「Pipes Of Peace」)として発売され、Billboard Hot 100で23位を記録しています。
ちなみに「So Bad」ではビートルズの同僚リンゴ・スターがドラムを叩いており、この曲のPVにも出演して話題となりました。
リンゴ・スターといえば、先日“ジョン・レノンのギターが3億円”というハナシをしましたが、12月初めのオークションに於いて「シー・ラヴズ・ユー」などでリンゴがプレイしたラディック社製のドラムセットが約220万ドル(約2億7000万円)で落札されたそうですよ!

1984年に自身が脚本・主演を務めた『ヤァ!ブロード・ストリート』を発表したことからも分かるとおり当時映画にも色気を持っていたポールは、「パイプス・オブ・ピース」のPVにも並々ならぬ情熱を注いで制作しています。
「Pipes Of Peace」のレコーディング映像に映るポールは“いつになくサッパリした髪型”をしていますが、これはPVで彼が演じる役柄のために短く切ったためだそうです。
その甲斐あってこの映像は私もお気に入りの一本ですが、その詳細は記事の後半にて…。 

 
 



~Lyrics~

I Light A Candle To Our Love
愛のキャンドルに、火を灯そう
In Love Our Problems Disapper
ぬくもりで、きっと僕らの問題も消えてなくなる

何事も、それで解決できたら誰も苦労しない…
いかにもポールらしい楽観的な考えですが、物事の道理とは案外単純明快です。

問題は、憎しみ合っている同士がどうやって互いを思いやる気持ちになれるか…
…その答えは、この歌の中にちゃんと記されています!
これもポールらしい答えの出し方ですが、意外にも既にこれが“実戦”で証明されているらしい!?
(これも後ほど


Help Them To Learn (Help Them To Learn)
子どもたちに教えてあげよう
Songs Of Joy Instead Of Burn, Baby, Burn (Burn, Baby Burn)
戦火の歌でなく、喜びの歌を

戦争が起きると当該国では反戦歌や戦意を萎えさせる歌は禁止され、軍歌など戦意を煽る勇ましい歌が推奨されます。
“世界で最も有名な軍歌”といえばビートルズの「All You Need Is Love」のイントロにも使われたフランス国歌ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」がありますが、その歌詞をみるとお洒落なパリのイメージとは正反対の忌まわしい言葉のオンパレード!(こんな歌詞を子どもに歌わせるの??

戦争が如何に醜いものかを物語る、好例です…。


Help Them To See (Help Them To See)
みんなに教えてあげよう
That The People Here Are Like You And Me (You And Me)
人は、誰もが君や僕と同じなんだって

戦争指導者は国民に人を殺す罪悪感を失わせるため(戦争に賛同させるため)、敵への憎しみを煽り相手の人間性を否定するプロパガンダを駆使するものです。
太平洋戦争に突入した日本はアメリカ・イギリスを“鬼畜”、アメリカは日本を“Yellow Monkey(黄色い猿)”と互いを人間以下の動物と蔑視しました。
[※鬼畜は、餓鬼(強欲な死者)・畜生(人間以外の生物)の略語]

怖いのは、戦争が始まってしまうとこの歌のような訴えは力ずくで排除されてしまうこと。
本当に国民を虐げているのは、誰…?



~Epilogue~

「パイプス・オブ・ピース」の楽曲を聴いているととても“ほんわか”していて、歌詞やPVを知らなければこの作品が“反戦歌”であると誰も思わないのではないでしょうか?
そういう意味からすると、この作品は楽曲とPVが一体となって初めて本当の意味を成すのだと思います。

PVの映像が戦場を舞台としているのは一目瞭然ですが、冒頭には“FRANCE,1914 Christmas Day”と記されていることにお気づきのことでしょう。
つまり、この映像は1914年に発生した“第一次世界大戦”のいわゆる“西部戦線”が舞台であり、その年のクリスマスに最前線で生じた“クリスマス休戦(Christmas truce)”の史実に基づいています。
1914年8月、ベルギーおよびルクセンブルクを撃破したドイツ軍はフランス北部に侵攻、パリまで70キロに迫るもそこから一進一退となり両軍塹壕を造築し長期戦の様相を呈し始めていたその年の暮れ…

Let Us Show Them How To Play The Pipes Of Peace
僕らにパイプの手ほどきさせておくれ
Play The Pipes Of Peace
共に、平和のバグパイプを奏でよう

クリスマス休戦は、フランドル地方に展開する一部の英・独軍の間で生じました。
ある戦線ではクリスマス・イブの夜、ドイツ兵が塹壕の中でクリスマス・ツリーを飾り「きよしこの夜」を歌っているとイギリス兵たちも呼応するように同じ歌を歌い、夜が明けると両軍の兵士がそれぞれ塹壕を出て停戦状態が生じたといいます。 (ポールの“答え”がちゃんと実戦で通用したでしょ?
その間両軍の兵士たちは合同で戦死者を埋葬したり食料や酒・タバコなど交換したり、記念写真を撮ったりサッカーの試合をするなどしてクリスマスを祝ったそうです。
停戦は正式なものではなく現場の判断でなされたものであり両国上層部もこのような非公式の停戦を今後認めないと厳命したため、以降1918年の終戦(公式の停戦)まで戦いは休みなく続けられました。



クリスマス休戦については2005年に当該国である仏・独・英による合作映画『戦場のアリア(Joyeux Noël』でも描かれていますが、PVでポールは英・独双方の兵士の二役をこなしています。
確かに、ここで起こったことはごく例外的でありその後も彼らは“共にサッカーした相手と戦争”し続けました。
…でも、きっと思ったはずです。

“俺、何でアイツと殺し合わなきゃならないんだ…?”


それから百年を経た今日、そのフランスで同時多発テロ事件が発生し、テロとナショナリズムの対立が世界に連鎖し広がっています。
しかし、こうした“現在のヨーロッパと中東に横たわる禍根は第一次世界大戦から生まれた”といっても過言ではありません。
この戦争でイギリスは、オスマン帝国のアラブ人勢力に対し帝国への反乱の見返りに彼らの地域の独立を認める約束(フサイン=マクマホン協定)を交わした一方で、ユダヤ商人から資金援助を得るためユダヤ人のパレスチナへの入植を支援する約束(バルフォア宣言)をしてしまい、今日にも至る“パレスチナ問題”となりました。
また、この戦争でイギリスがフランス及びロシアと交わした密約(サイクス・ピコ協定)によって彼らの利害でオスマン領分割の国境線を引いてしまったため、“クルド人問題”など同じ民族が複数の国に分断されたままの状態が今なお続いています。

テロとナショナリズム…
歴史を省みると、戦死者1,600万人・戦傷者2,000万人以上をもたらした“第一次世界大戦はテロへの報復から始まりました”
たった一つのテロが報復を生み、互いの同盟国が参戦し、あるものは融資先が敗戦国になっては困ると参戦し、そうして誰も予想しなかった大戦争へと発展したのです。

彼らは、自分がそんな危うい綱渡りをしていることに気づいているだろうか?
まずは、なぜ自分に敵意が向けられるのかを相手の立場になって冷静に考えてみること…
答えは、そこから見つかるような気がします。

But All In All We Soon Discover
だけど、大抵すぐに気づくものさ
That One And One Is All We Long To Hear
一個と一個が合わさって、みんなの願いとなることに


大切な人を失った人にも、やさしいクリスマスが訪れますよう… 



「パイプス・オブ・ピース」


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tags : 1983年 ポップ 平和 ほっこり ポール・マッカートニー 

comment(6) 

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」ビートルズ

2014.02.01

category : Beatles & Solo

Beatles - With A Little Help From My Friends1 Beatles - With A Little Help From My Friends2


The Beatles - With A Little Help From My Friends (1967年)


~Prologue~

1月26日(日本時間27日)に米・ロサンゼルスで第56回グラミー賞が行われ、ビートルズが“生涯業績賞(Lifetime Achivement Award)”を受賞、元メンバーのポール・マッカートニーとリンゴ・スターと共にオノ・ヨーコ、オリヴィア・ハリスンが一同に会しました。
授賞に際しポールの新曲「クイーニー・アイ」のパフォーマンスではリンゴがドラムを叩き、80歳のヨーコ(&ショーン)がそれを見て楽しそうに踊るサプライズも見られましたよ♪

また、翌日に行われた“ザ・ビートルズ・トリビュートライブ ~グラミー・スペシャル・コンサート(The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles)”では、ビートルズに敬意を表してスティーヴィー・ワンダーやジョー・ウォルシュ、スティーヴ・ルカサー、ユーリズミックス、、マルーン5、アリシア・キーズ、ジョン・メイヤー、ケイティ・ペリー他グラミー・アーティストがビートルズの楽曲を演奏しています。

このステージではポールとリンゴもそれぞれビートルズのヒット曲を披露(計10曲)、そして…
ラスト2曲ではポールとリンゴが共演し、盛大にその幕が閉じられました。
その2曲というのが「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」で、特に「ヘイ・ジュード」はビートルズ解散以降初の共演であり、約半世紀ぶりのことで感慨深いものがあります…。
(どうせなら、ジュリアンも招待して欲しかった!)

このライブの模様は2月11日にWOWOWで放送されるので、視聴可能な方は心にお留め置きくださいね♪


~概要~

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」(以下「ウィズ・ア~」)は1967年6月1日リリース(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲です。
このアルバムは1曲目のタイトル曲が“Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”という架空バンドの紹介作品になっていて、それに続く形でバンドの歌手“ビリー・シアーズ(リンゴ・スター)”が「ウィズ・ア~」を歌うという設定になっています。

クレジットはお馴染み“レノン=マッカートニー”ですが実際はポールの手による作品で、ビートルズによるシングル・カットはなく翌68年にカバーしたジョー・コッカーは全英1位(全米68位/因みに、ギターはジミー・ペイジ)を記録し彼の代表作となった他、1988年のウェット・ウェット・ウェット、2004年のサム・アンド・マークのバージョンも全英1位を獲得するなど時代を越えて愛され続け、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time”でも304位にランクされました。

友情をテーマにしたこの歌は、いかにも温厚な人柄のリンゴに似つかわしいテイストで、ソロになってからも彼にとって欠かせない作品です。
1989年から彼のライフ・ワークとなっている“リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド”によるツアーは、まさに彼の人望を物語る豪華な友人達で毎回編成され、この曲はその象徴曲でもあります。
しかし何と言ってもファンにとって嬉しいのは、2009年のデヴィッド・リンチ(映画監督;『ツイン・ピークス』が有名)主催のチャリティー・ライブでビートルズ解散後、初めて“盟友”ポールとこの曲を共演したことではなかったでしょうか!

今回グラミーで2度目が叶ったワケですが、残念ながらグラミーの映像は現在ないので2009年の貴重な映像をご覧ください♪




~この曲はリンゴが歌うからこそ、意味がある~

ビートルズの特筆すべき点の一つに、“メンバー全員がヴォーカルを執る”というのがあります。
ドラマーであるリンゴにも、デビュー以来アルバムで1曲はそれが任されていました(未収録のもある)。
しかし、他のメンバーと異なり元々彼はヴォーカル志向ではなかったし、幼少時病気がちで満足に学校教育を受けられなかったため識字が弱く、作詞作曲はおろか歌詞を見て歌うことにさえ不自由があったのです。
おまけに声域が狭いため、歌える曲も限られ…。

そのため彼は当初から古いカバー曲や、楽曲に余裕のあるジョンやポールに曲を提供してもらって“1曲 /アルバム”を果たしてきたのです。
しかしジョンもポールも、余裕がある限りに於いてはリンゴへの支援を惜しむことはありませんでした。
ユーモアがあって穏やかな彼の人柄は、誰からも愛されたからです。

「ウィズ・ア~」はポールが作りましたが、そんなリンゴの持ち味を上手く歌詞や曲調に込めています。
ただし、当のリンゴからはダメ出しを食らっていて、
“最後音程が上がって終わる所、高過ぎて歌えないから変えて!”
と彼に要求されましたが、そこはポールも“音楽の鬼”…。

“調子っ外れになっても僕は耳を傾けてあげるから、僕のために頑張って歌ってΨ(▼皿▼)♪”
…と言ったかどうかはワカりませんが、この要求を撥(は)ね退けたそうですよ!


~Lyrics~

Lend me your ears and I'll sing you a song,
そんな時も耳を傾けてくれたなら、君のために歌おう…
And I'll try not to sing out of key.
キーを外さないよう頑張ろう…って気持ちになれるんだ

上の、ポールのキツ~い切り返しの言葉は、この部分を用いたフィクションです(要求を撥ね退けたのは本当)。
でも、“こういうもの”ですよね…。
下手だからって誰も聴いてくれなければ、歌う気もなくなってしまいます。
根気強く聴いてあげて場数を踏めば、いつかはきっと上手くなる!

“…ジャイアンでも?”
げっ…!?


What would you think if I sang out of tune,
もし僕が調子っ外れで歌ったら、君はどうする?
Would you stand up and walk out on me.
席を立ち、見捨てて行ってしまう?

冒頭の部分。
実は“2行目”は当初、こうでした…
Would you stand up and throw tomatoes at me?
席を立ち、僕にトマトを投げつける


これを見たリンゴは“イヤな予感”がして、“将来この曲をステージで歌った時、本当にトマトを投げつけられたら嫌だ”と言って、ポールに書き換えてもらったそうですよ!
ナンとなく、ワカるような…?


What do you see when you turn out the light?
(灯りを消したら、何を見るの?)
I can't tell you, but I know it's mine.
そんなの人に言えないよ、僕だけの秘密さ

大好きなトコロです。
この歌はメイン・ヴォーカルのリンゴと、コーラスの“問答歌”となっています。
たぶんこれは“ベッドに入るとき何を想う?”という意味と思いますが、そりゃあ“ステキな夢”は自分だけのものにしておきたいでしょ!
(案外、“ムフフな夢”だったりして?


~Epilogue~

私たちが天から与えられた才能には差異があり、得意分野も人それぞれです。
ここでは曲を作れないリンゴが、才能豊かなジョンやポールに“おんぶに抱っこ”のように映るかもしれませんが、事実はそうではありません。
グループの人間関係が悪くなったとき彼らの天才は何の役にも立たず、彼らの間を取り持っていたのがリンゴでした。
リンゴが非公式にグループを脱退した時、彼らが必死になって留めようとしたことでもわかるように、彼らもリンゴの助けを必要としていたのです。

どんな人間であれ、誰かの助けなしに生きることなどできはしません。
実は、メロディーに収まらなかったため省かれましたが、この曲のタイトルは本来「With a little bit of help from my friends」というものでした。
“友達の助けの(一片)さえあれば…”

ビートルズが4人の友達であるために欠かせぬ大切な“bit(かけら)”こそ、
リンゴその人だったと私は思うのです…。



「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」


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tags : 1967年 友情 サージェント・ペパーズ ほっこり 偉大な曲 

comment(8) 

「ママがサンタにキスをした」ジャクソン5

2013.12.22

category : Christmas

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The Jackson 5 - I Saw Mommy Kissing Santa Claus(1970年)


~News~

先日Billboard誌が発表した“全世界のボックス・オフィスでのチケット・セールス・ランキング”によると、ここ1年(2012.11.14~2013.11.12)でチケットを最も売り上げたのは先頃来日したボン・ジョヴィの約211億円でした。
しかし3位ピンク、4位ブルース・スプリングスティーン、6位ローリング・ストーンズ、…14位マドンナ、16位ポール・マッカートニー…、22位レディー・ガガといったビッグ・ネームを抑えて堂々の2位に輝いたのが、約162億円を稼いだマイケル・ジャクソンです!

…んっ!?
マイケルは、“あの世”?

その通り、彼が亡き後“Michael Jackson The Immortal World Tour”を興行しているのはカナダのエンターテインメント集団“シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)”によるアクロバティック・ショーで、マイケルの音楽とダンス・パフォーマンスを応用したステージは日本でも行われました。
それにしても…
CDなどマイケルが直接パフォーマンスした“遺産”の人気は想定内ですが、彼の生んだ“創造”だけでもこれだけの存在感を示すとは、“King of Pop”という称号ですら彼を評するに小さな器なのかもしれませんネ…。


~クリスマス特集・第二弾~

今回は、マイケルが幼少から活躍したファミリー・グループ“ジャクソン5”の作品です。
ジャクソン5は、デビューした1969~70年に架けてBillboardで4曲連続No.1という絶頂期を迎えていますが、その直後の4thアルバムとして1970年10月にリリースされたのが『Jackson 5 Christmas Album』でした。
タイトル通りの“クリスマス・アルバム”で、前回紹介した「Someday at Christmas」のカバーや、今回の紹介曲「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」他が収録され、350万枚以上のセールスを記録しています。

「ママがサンタにキスをした」は声変わりする前のイタズラっぽいマイケルの歌声がとってもキュートで、歌の内容と相まって華やかさを演出してくれる楽しいクリスマス・ソングです♪
作品自体はカバー曲で、オリジナルは1952年に13歳の少年ジミー・ボイドにより歌われました。
ネタがネタだけに、当初一部のカトリック教会からお叱りが寄せられたこともあったそうですョ!

ジャクソン5でのシングル・カットはありませんが、ジミーのバージョンはHot 100が設立される前のBillboardで1位を記録しています。
ジャクソン5のバージョンと比べるとかなりゆったりしたオリジナルは、アメリカの高級百貨店で数十年間クリスマスカードのコマーシャルに用いられていたそうで、“古きよき時代”を思い起こさせるようです…。
この他にもスパイク・ジョーンズやザ・ロネッツ、リーバ・マッキンタイア、ジョン・メレンキャンプなどにカバーされ、日本でも後藤久美子、鈴木雅之らに歌われました。


~知ると、チョットうれしくなる作品背景~

この歌は“クリスマスの夜、ヤドリギの木の下でママがサンタにキスをした”という歌ですが、実はこれは西欧の“ある風習”を示しています。
ヤドリギ(宿り木;mistletoe)は他の樹木に寄生し生息する植物で、不思議な力を持つという言い伝えがあり常緑樹で冬でも緑色の葉を保つことから、クリスマスの飾り(リース)として広く用いられてきました。
その伝承の起源となったのが“北欧神話”で、これに関する概要は以下のようになっています。

光の神バルドルはヤドリギの矢で命を奪われますが幸いにして甦ることが叶い、その母フリッグは涙を流し喜びました。
その涙はヤドリギの実となり樹下を通るすべての者にキスを授け、最高位の女神である彼女によって“ヤドリギの下を通る者は誰であれそこで争いをしてはならず、ただ愛に満ちた口づけを交わすのみ”、という掟が定められたそうです。

これが“Kissing Under the Mistletoe”として…
クリスマスにヤドリギの下で出会った男女は、キスをしなければいけない
クリスマスにヤドリギの下でキスをした男女は、永遠に幸せになれる
この時キスを拒否した女性は、翌年結婚はできなくなる

掟を定めたフリッグは“愛の女神”であり予言の能力を持つことから西欧社会に広まり、イギリスでは“Kissing Ball”として浸透したようです。


~Lyrics~

I saw Mommy kissing Santa Claus
ママとサンタがキスしてるの、見ちゃったんだ
Underneath the mistletoe last night
昨日の夜、ヤドリギの木の下で

これが、上で説明した部分ですね♪
日本人には言葉以上の意味を持たないフレーズですが、背景を知るとナカナカ興味深いでしょ?


He saw Mommy kissing Santa Claus
(コイツ、ママとサンタがキスをしたのを見たらしいよ…)
I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
ボク、見たんだ! ホントに、ママとサンタがキスをしたのを
And I'm gonna tell my Dad
だから、パパに教えてあげるんだ

中間部にあるココと最後のセリフ部分はオリジナルのジミー・ボイドのバージョンには無いもので、ジャクソン5が兄弟グループである利点を生かしてストーリーを付け加えたのでしょう。
すなわち、“ママの秘密”を見てしまった幼い末っ子が“見たんだってば!“と必死に訴えようとするも、兄らは取り合わず半ばからかわれているようです。
でも子どもって、新しく知ったことを誰かに言わずにはいられませんよね…

・・・ん!?
それは、大人も同じ?
アハハ…


~Epilogue~

・・・ところでこの歌に於いて、最大の疑問であり問題点が解決されていませんね?

Wow! Mommy's kissing Santa Claus!
Wow! ママとサンタがキスしてる!

…そう、“コレ”です!
少年は寝ぼけていたのか、はたまた夢と混同しているのか?
あるいは、少年は本当にサンタを見たと仮定したなら…
サンタは誰? …それともホンモノ!?

・・・謎解きは、あなたにお任せいたします。
では、よいクリスマスを…♪



「ママがサンタにキスをした」



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tags : 1970年 楽しいクリスマス ほっこり 

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