ビートルズ末期の作品であり80年代はポール自身がツアーを行わなかったことから長年ライブで披露されることはありませんでしたが、1989年の『The Paul McCartney World Tour(通称;ゲット・バック・ツアー』のリハーサルでポールがこの曲を演奏したところスタッフが涙を流して喜んだことから、セットリスト入りが決まったそうです。 ポールにとってウイングス以来約10年ぶり(ソロとして初)となるこのツアーは1990年に日本でも東京ドームで6公演が催され、私はこの時の「ゴールデン・スランバーズ~」のライブでの素晴らしい再現にとても感動を覚えた思い出があります。
Live-1989-90 / George Martin, Eric Clapton, Mark Knopfler,Phil Collins,Robbie McIntosh,Ray Cooper join Paul in the closing of The Concert for Montserrat
Golden slumbers fill your eyes, やすらかな黄金色が夢を彩り smiles awake you when you rise やさしい微笑みが目覚めを促してくれる
趣ある一節ですが実はコレ、“殆んどパクリ”です! ポールの義妹ルース(父ジェームスの再婚相手の連れ子)に読んであげた絵本の中にイギリスの作家トマス・デッカーの「Golden Slumbers」という詩を見つけ、そこから“Golden slumbers kiss your eyes/Smiles awake you when you rise/Sleep, pretty wantons, do not cry/And I will sing a lullaby”の4行を殆んどそのまま引用しています。 ただし、17世紀の作品であるため法的問題は生じない…というワケです。
~「Carry That Weight」~
メドレー2曲目ですがここでもジョージがベース&リード・ギター、ポールがリズム・ギターという変則的な編成で、ジョンはかろうじてコーラスに加わっているようです。 当初ポールは“この部分”を「Golden Slumbers」の一部と捉えていたようで、途中から「Carry That Weight」として分けられました。
Boy you're gonna carry that weight あぁ、君はその重荷を背負ってゆくんだ
I never give you my pillow, もう君に枕を与えることはない I only send you my invitations あとは、ささやかな招待状を送るだけ
これも意味深で、【pillow】や【invitations】は何を象徴している? このフレーズは同じ『アビイ・ロード』B面に収録される“「You Never Give Me Your Money」の替え歌”になっていて、同曲がビートルズの設立した会社『アップル・コア』の財政難を言及していることから考えると、ここでの“【you】=アップル”という仮説も成り立つでしょう。 すなわち、“僕はもうアップルに楽曲を提供することは無いし、後は法的決着だけ。世間が騒いでいる最中にね…” この予言通り(?)、4人はこの後アップルを巡ってドロ沼の法廷闘争を繰り広げることとなります。
「カム・トゥゲザー」は1969年10月31日(アメリカは10月6日)にリリースされたビートルズ21枚目のオリジナル・シングル(「サムシング」との両A面シングル)で、NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)で5位/MM(メロディ・メーカー)で4位を記録しました。 US Billboard Hot 100では“「カム・トゥゲザー」単独”として2位(キャッシュボックス誌では3週連続No.1)を記録し、途中でチャート集計方法の変更により「サムシング」と合算され「カム・トゥゲザー/サムシング」として1週No.1(年間4位)に輝きました。 また、2011年ローリング・ストーン誌の“The 500 Greatest Songs of All Timeで205位”・同“100 Greatest Beatles Songsでは9位”の評価を受けています。
1996年の『The Beatles Anthology 3』にはこの曲のテイク1が収録されていて、マスターver.でジョンが時折発する“Shoot”(と聞こえる)は、ここでは“Shoot me”と歌っていることが確認できますが… 後世の彼の運命を知る者にとっては、複雑な思いを抱かせる言葉です。 …それはともかく、「カム・トゥゲザー」はジョン自身“レノンの作品の中でも、お気に入りのひとつ”と語る作品であり、ビートルズ解散後1972年8月30日のニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデンで行ったコンサート『One to One』では唯一ビートルズ名義の作品としてライブで披露されました。 (※この音源・映像は、後に『Live in New York City』として商品化された)
一方でこの部分の歌詞についてチャック・ベリー1956年のシングル「You Can't Catch Me」の一節“Here come a flattop, he was movin' up with me”を無断で引用したとして1973年に盗作騒動が持ち上がり(創作過程で既にポールにも指摘されていた)、「You Can't Catch Me」ほか出版権者(モリス・レヴィ)所有の3曲をジョンのアルバムに入れることで和解するに至りました(1975年のアルバム『Rock 'n' Roll』に収録)。
One thing I can tell you is 一つ、言えることは You got to be free お前は、やがてきっと解き放たれる…
He got walrus gumboot ‘ セイウチ’ のゴム長靴を履き He got Ono sideboard Onoという‘ サイドボード’ を手に入れ
主人公“He”はここまで得体の知れない人物として描かれていますが、ここではかなり具体的です。 【walrus】は、“本人”が「I Am the Walrus」って言ってるでしょ? (「Glass Onion」ではその当人が“…The walrus was Paul”とも歌ってますが!?) まず【bag production】は、当時ジョンとヨーコの人権提唱“Bagism(バギズム※)”が想定され、“Bag Productions Ltd”はそのPR会社。
また、「カム・トゥゲザー」のレコーディングは1969年7月21日から始まっていますが、同年3月20日にジョンは“ヨーコという伴侶”を得(結婚)、“Ono”というミドルネームを手に入れました(本名;John Winston Ono Lennon)。 その後二人はスコットランドにバカンスに出ていますが、道中7月1日に自動車事故に遭いジョン17針・ヨーコ14針を縫う怪我で6日間入院を余儀なくされています。