I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
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Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


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George Harrison


Ringo Starr


「デヴィル・イン・ハー・ハート」ビートルズ

2020.06.29

category : Beatles & Solo

The Beatles - Devil in Her Heart (1963年)

音楽の楽しさとは、声を上げ、それを誰かと掛け合わすことから始まるのだと教えてくれる作品 ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1963年 ロック/ポップ コーラス ピュアな愛 ウィズ・ザ・ビートルズ 

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「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」ビートルズ

2016.03.25

category : Beatles & Solo

Beatles - Till There Was You1 Beatles - Till There Was You2


The Beatles - Till There Was You (1963年)



~ビートルズ・デビューのきっかけとなったレコードが7万7500ポンド!?~

ビートルズのデビューのきっかけとなった『Parlophone』(後の所属レコード会社)へ提出したデモ用の「Till There Was You / Hello Little Girl」のレコード《写真・左》が、先ごろ3月22日のオークションで予想価格1~2万ポンドを大きく上回る7万7500ポンド(約1250万円)で落札されました!
このレコードは1962年1月1日のデッカ・レコード・オーディション(不合格)のテープを、オックスフォード・ストリートのHMVストアで78回転・10インチ(約25cm)のアナログ・レコードにプレスし直したもので、“この世にただ一枚のレコード”であること、“ビートルズの運命を導いた歴史的意味”を考慮するとこれでも安いのかもしれません。

ところで、この競売はネットを含めた公開オークションであるため私もリアルタイムで参観しており、“終了時点での落札額は6万6000ポンド”だったはず《写真・右》ですが、一夜明けたら7万7500ポンド
オークションには、“続き”があった…?? 



~概要~

「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」は1963年11月22日に発表した2作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ(With the Beatles)』の収録曲です。
ビートルズがオリジナルではなく1957年のブロードウェイ・ミュージカル『Music Man』の劇中歌であり作者はアメリカの作曲家メレディス・ウィルソン(Meredith Willson)、女優Barbara Cookによって劇中で歌われました。

ビートルズがこの曲をレパートリーに入れた1962年(ハンブルグ巡業から)には同ミュージカルが映画化(歌唱はシャーリー・ジョーンズ)されていますが、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」を歌ったポール・マッカートニー本人は当初『Music Man』の曲とは知らなかったそうです。
ポールが「Till There Was You」を知ったのは、1961年にイギリスで30位を記録したアメリカの歌手ペギー・リーのカバーver.によってでした。

1963年7月18日、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」のレコーディングは始まり、ジョンもジョージもアコースティック系のギター(ギター・ソロはジョージ)というロック・バンドらしからぬ編成がなされていますが、さらに後日“この曲にドラムスは合わない”と“リンゴはボンゴ!”に回されています。
こうしたソフトなレパートリーはロックのコンサートには変わり種ですが、イギリス王室主催の『ロイヤル・ミュージック・パフォーマンス(The Royal Variety Performance)』のような場にはうってつけであり、後にこの音源は『The Beatles Anthology 1』に収録されました。

楽曲・アレンジ共に素朴な作品ですが、こうしたほのぼのしたテイストは後の自作曲「I'll Follow The Sun」(1964年)や「I will」「Blackbird」(1968年)など、“ポールに欠かすことのできない持ち味の雛型となった曲”といえるでしょう。
冒頭で紹介したデビュー前1962年1月のデッカ・オーディションの音源にはポールのヴォーカルやアレンジにもまだ野暮ったさがあり、この1年で見違えるほど彼らが成長を遂げていったことがよくわかるので聴き比べてみると面白いですよ♪

 
 



~Lyrics~

There were birds in the sky
空に、戯れあう鳥たち…
But I never saw them winging
だけど、その愛らしさもこの目に映らなかった

…飛んでいるのは、どんな鳥? (ボク…?

lyricsは同じでもアレンジや歌い方が違うと与える心象も変わるもので、ミュージカルver.を聴くと“遠くの空、優雅に飛びゆく白鳥”を思い浮かべますが、ここでの訳はビートルズver.のイメージを反映させたものです。
もちろんこれは聴く人によっても異なるでしょうが、私にとってビートルズver.には“のほほんとした優しさ”が感じられ、遠い空というより“近い空”、優雅な白鳥というより“愛らしい小鳥”が真っ先に浮かんだのでした。


They tell me in sweet fragrant meadows
…そして、教えてくれた
Of dawn and dew
朝露に濡れた草原の甘い芳(かぐわ)しさを

【dawn and dew】は[暁露]の方がより正確と思いますが“ぎょうろ”という仰々しい響きは、この曲に似つかわしくないでしょう?
夜の冷えで水蒸気が結露し夜が明け太陽が昇り気温が上がると、露の蒸発と共に大地のにおいを放散する…
日々繰り返される自然の営みですが、その芳香はまさに“露”と共に儚く消えてしまうもの。

“お寝坊さん”は、気づかない? 


There was love all around
世界は、こんなにも愛があふれていたのに
But I never heard it singing
その幸せの歌に、僕は耳を傾けようとしなかったんだね

この歌の主人公は“愛しい人”に出逢うことで、この世が“愛しいものに包まれている”ことを知りました。
すべてがバラ色に見えたかはわかりませんが、確かにそんな巡り合わせってあるものです。
でも“逆もまた真なり”で、一つの出逢いが周りの景色を一変させることもあれば、“何気ない周りの景色に愛しさ(幸せの歌)”を見出すことができる人だからこそ、“誰かを愛しい”と思えるのではないでしょうか…。

…あなたは、“幸せの歌”が聴こえていますか? 



~Epilogue~

Beatles - Till There Was You3
Sir George Martin 1926-2016

去る3月8日に亡くなったビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン(享年90)…
その偉大なる功績に敬意を表し、本記事を彼に捧げます。

ジョージ・マーティンの功績について、これまでも「In My Life」「Being for the Benefit of Mr. Kite!」などで触れてきました。
彼の死に際し、「Strawberry Fields Forever」や「A Day in the Life」などを取り上げるのが妥当といえますが、私は敢えて“出会い”をテーマとすることにしました。
何故なら、ジョンとポールという何十年~百年に一人の天才が同じ街に生まれ、出会い、パートナーとして活動を始めたこと自体“奇跡的”ではあるものの、それだけでは史実にあるような“本当の奇跡”はまず起きなかったと私は思っているからです。
その不可欠な要素こそが“ビートルズ愛”に溢れるマネージャーのブライアン・エプスタインとの出会いであり、“真の5人目のビートル”ジョージ・マーティンとの出会いであったと…。


1962年、デッカ・オーディションの不合格以降もビートルズの売り込みに苦戦を続けていたブライアンは、このオーディションで録音した音源からレコードを制作しレコード会社にデモとして配ることを思いつき、この時オックスフォード・ストリートのHMVでプレスした一枚が冒頭で触れた78回転盤の「Till There Was You / Hello Little Girl」でした。
そして、その際の担当者がビートルズに興味を持ちEMI系列の出版社のマネージャーを紹介してくれたため、そこからEMI傘下『Parlophone』のプロデューサーだったジョージ・マーティンと会う約束を取りつけることができました。

しかしブライアンがジョージに面会しレコードを聴いてもらうと彼の反応は芳しいものではなく、返答は“今かけてるこれで判断しろというなら、申し訳ないが断るしかない”でした。
この時のブライアンの落胆ぶりは相当なものだったようで、それを見たジョージは“ものすごく誠心誠意な若者だったので、本当に気の毒になって‘リヴァプールから連れてこれるなら、スタジオを1時間使っていいよ’”と、ついOKしてしまったそうです。

6月6日の午後、ビートルズがアビー・ロード第3スタジオに入ると、予定を大幅に延長し午後10時まで彼らの演奏を聴いてもらったもののこの時もジョージは“音楽は全くダメだと思った”そうです。
それでも彼は、この若者らに機材のことやプロの録音アーティストになるために彼らの何がどうダメなのか説明を重ねたといわれます。
その上で、ビートルズに対し“ずいぶん長々と言いたいことを言ってしまった。何も返事が無いようだけど、何か気に入らないことはあるか?”と尋ねました。
すると、メンバーの中からジョージ・ハリソンが…

“まず、おたくのネクタイが嫌いだ…”

このユーモアの利いた反撃に一堂の緊張が解け、以降互いにうち解けることができたそうです。
それが功を奏したか…結果、ジョージ・マーティンはビートルズと契約を結ぶことを決めました。
ジョージはその出会いについて、後にこう語っています。

“とてつもないカリスマ性だった。
一緒にいると、その分だけ自分の状態が良くなる。彼らがいなくなると、自分の何かが欠けたような気になる…
僕は恋に落ちたんだ。ただそれだけのことさ”


No, I never saw them at all
あぁ…ただの一度もこの目に映らなかった
Till there was you
君に出逢うまでは

奇跡の歯車は、回り始めた・・・



「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」


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tags : 1963年 ミュージカル 優しい愛 ウィズ・ザ・ビートルズ 

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「オール・マイ・ラヴィング」ビートルズ

2013.05.12

category : Beatles & Solo

Beatles - All My Loving1 Beatles - All My Loving2


The Beatles - All My Loving(1964年)



~Prologue~

ビートルズには、“ナンでこんな良い曲がシングル・カットされないのだろう?”と思うような作品が数多くあります。
「オール・マイ・ラヴィング」もその一つで、本国イギリスで1963年11月22日リリースの2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ(With the Beatles)』に収録されましたが、結局イギリス・アメリカ共に発売されることはありませんでした(アルバムからシングル・カットは1曲もない)。

但し翌年にカナダでシングル・カットされNo.1に輝くと、お隣アメリカにカナダ盤が輸入されBillboardで45位を記録する外、日本でも1964年5月5日に「ラヴ・ミー・ドゥ」とのカップリングでリリースされています。


~Extended Play~

イギリスでは1964年2月7日に“EP盤”として発売され8週間No.1を記録しました。
日本では“EP盤=シングル盤”を指しますが“Extended Play”は英語圏では“収録時間がLP(フル・アルバム)よりは短いがシングルよりは長い”という概念であり、EP盤「オール・マイ・ラヴィング」も4曲入りでした。


~Songwrite~

作品のクレジットは例によって“レノン=マッカートニー”ですが実質的にはポール・マッカートニーによる作品で、リード・ヴォーカルもポール。
ポールによると歌詞はヒゲを剃っていた時に思いつき、1963年5月からのロイ・オービソンとのツアー中のバスで出来上がったそうです。

彼にとってビートルズ初期を代表する名曲で、相棒ジョン・レノンも…
“悔しいほどいい曲さ。残念なことに作者はポールなんだけど(笑)。”と、褒め称えた程でした。


~Vocals~

ハート・ウォーミングなロック・ナンバーでそれだけでも元気をもらえるのですが、サウンドもまた素晴らしい!
ナンといっても衝撃的なのはイントロなしで入ってくるポールの“ダブル・ヴォーカル”で、ほとんど一発録りだった1stアルバムには見られなかった手法です。

当時モノラル録音の表現力の乏しさをカバーするために2トラックの一方に演奏と歌を録音した上で、もう一方には更に歌を入れてヴォーカルを多重録音することで音をふっくらさせていますが、声が微妙にズレているトコロがとてもいいカンジで、デジタル音源で耳の肥えた方が初めて聴いてもきっと新鮮に感じることでしょう…。

ここでは主にポールが三度上を自分でハモっていますが、ライブでは後半部分でジョージ・ハリスンに主旋律を歌わせポールがハモる形を採っていました。

 Live at The Hollywood Bowl


~Guitar~

一方、ギターも新しい試みが為されています。
ジョージは元々チェット・アトキンスのファンでしたが、この曲で初めてカントリー・タッチな“チェット・アトキンス奏法”を披露(間奏)しました。

また、ジョンも難しいリズム・ギターの“3連符弾き”(間を空けずコード・カッティングしながら左手でコードを変えていく奏法)に挑戦していて、上記のようにライブでジョージに歌を譲ったのもジョンがギターと歌を両立できなかったからでした。


~Lyrics~

歌詞はシンプルですが初期のビートルズの中では特に素晴らしく、しばらく離れ離れで会えなくなる恋人に“毎日手紙を書いて、愛を届けてあげる”と、やさしく励ます内容です。
ポールのビートルズ時代の恋人というと女優“ジェーン・アッシャー”が有名ですが、彼女との出逢いがまさに1963年4月頃なので、「オール・マイ・ラヴィング」はツアーで駆け回るポールが、残されるジェーンに宛てたメッセージだと考えられます。

…というコトで、今日はポールの“リアルなラブレター”をお楽しみください♪
また、ビートルズの曲は洋楽の中でも比較的歌い易くコーラスなど友達と一緒に歌えるので、洋楽カラオケ初心者の方にもオススメですよ!



「オール・マイ・ラヴィング」


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tags : 1964年 ロック/ポップ 優しい愛 ウィズ・ザ・ビートルズ 

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