I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「しあわせの予感」ポール・マッカートニー&ウイングス

2022.05.27

category : Beatles & Solo

Paul McCartney & Wings - With A Little Luck (1978年)

あなたが欲しいのは“大きな葛籠(つづら)”、それとも“小さな葛籠”?ポールのオススメは…。


《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


続きはこちら >>

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tags : 1978年 ソフト・ロック 人生 メッセージ ウイングス 

comment(4) 

「あの娘におせっかい」ウイングス

2019.05.10

category : Beatles & Solo

Wings - Listen To What The Man Said (1975年)

一緒に歌わずにはいられない歌い出しの心地よさ…ポール・マッカートニー究極のポップ・ソング ♪


続きはこちら >>

tags : ウイングス 優しい愛 楽しい 

comment(8) 

「夢の旅人」ウイングス

2014.09.12

category : Beatles & Solo

Wings - Mull Of Kintyre1 Wings - Mull Of Kintyre2


Wings - Mull Of Kintyre (1977年)



~本日のテーマは、“スコットランド”~

あなたはスコットランドというと、何を思い浮かべますか?

私は“タータン・チェック”の“ベイ・シティ・ローラーズ”に“ネス湖のネッシー”、それと…
アナタニモ、チェルシー(※)、アゲタイ”♪
(※;このお菓子は、スコットランド地方のスカッチ・キャンディを基に作られた)

また、近年話題を集めた『ハリー・ポッター』シリーズの原作者J・K・ローリングはスコットランドのエディンバラ在住(生まれはイングランド)で、物語の舞台となるホグワーツ魔法魔術学校はエディンバラに実在するフェテス・カレッジをモデルにしているとも言われます。

でも、そんなスコットランドが今、大変なコトになっています…。
(詳細は後ほど)



~概要~

ウイングスは「心のラヴ・ソング」の大ヒットと大規模なワールド・ツアーの成功により人気が絶頂にまで達していましたが、その後最初に制作・発表されたシングルが「夢の旅人」です。
この頃ウイングスはメンバーのジミー・マカロックとジョー・イングリッシュが脱退し、さらにポール・マッカートニーの奥さんのリンダも産休に入ったため、実質活動できるのはポールとデニー・レインだけでした。
この作品はその二人によって書かれており、歌詞は伝統音楽に詳しいデニーが手助けしています。

1977年11月11日、イギリスではウイングス16枚目のシングル(「ガールズ・スクール」との両A面扱い)としてリリースされバンドにとって初の全英No.1を獲得、9週トップを独走するメガ・ヒットによりそれまでビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」が持つシングル売り上げ130万枚の歴代記録を大きく上回る250万枚を記録しました。
(この記録は、1984年にバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」によって更新された)
ヨーロッパ各国やオーストラリアでも1位に輝いたものの、アメリカでは「ガールズ・スクール」のB面に甘んじています(33位)。
当初オリジナル・アルバムには収録されませんでしたが、後に『ロンドン・タウン』のボーナス・トラックとして追加されました。


原題の「Mull of Kintyre」は、スコットランド南西部のキンタイア半島の先端にある岬のことで、ここにはビートルズ時代の1966年にポールが買った“ハイ・パーク・ファーム”という農場があります。
ご存知の通りポールはイングランドのリヴァプール生まれですがアイルランド移民の末裔で、スコットランドは同じケルト族が住む地です。
また、ポールの姓にある“Mc‐”はケルト族が使うゲール語の特徴(“… の息子”という意味)で、同じ民族が住み海を隔ててアイルランドが見渡せるこの地を気に入ったのでしょう。

この曲の大きな特徴といえば、三拍子の“スコティッシュ・ワルツ”と“バグパイプ”♪
バグパイプはスコットランドの伝統音楽に欠かすことのできない楽器で、ここでは地元キンタイアのキャンベルタウンのバンドが演奏し、PVにも出演しています。

 Mull Of Kintyre [Version II]



~Lyrics~

Vast painted deserts, the sunsets on fire
広大な荒野と燃える夕陽が
As he carries me home to the Mull of Kintyre
僕を、安らぎ満ちたこの地へと向かわせる

ちょっと地図で調べてみましたが、現在も見事に“ナ~ンにも無い”トコロですっ! 
普段のアグレッシブなポールからはこういうスロー・ライフは想像もつきませんが、彼のような有名人が家族水入らずで過ごすには最適だったでしょう。

ビートルズ後期、“ポール死亡説”なる都市伝説が広まったのも彼が家族と共にここに引きこもったのが一因で、解散後もしばらくこの地が拠点となっていました。


Sweep through the heather like deer in the glen
桃紫彩るヘザーの森を往く峡谷の鹿のように
Carry me back to the days I knew then
懐かしいあの頃へと連れ戻しておくれ

heather】は、“ギリュウモドキ”という桃紫色の花を咲かせるツツジ科の低木です。
素直に豊かな自然を歌っていると受け取ることもできますが、たぶんこれはダブル・ミーニング!
ポールの妻リンダには【Heather】という連れ子がいて(リンダは再婚)、結婚してからもポールはヘザーを甚く可愛がり1972年には「Mama's Little Girl」という歌も作っています。
花や樹に囲まれ、楽しそうに遊ぶ愛娘を重ねているのかもしれませんね…。 

Mama's Little Girl


Smiles in the sunshine and tears in the rain
陽射しを浴びては笑い、 雨に打たれては涙した
Still take me back where my memories remain
忘れ難い思い出は、今もその場所へと心誘(いざな)い

何となくビートルズの「イン・マイ・ライフ」を思い出すのは、私だけ?

思い出とは、泣いたり笑ったり…
そこには必ず、心を動かされた“何か”があるはずです。
同じ思い出なら、室内よりも広い空の下で体験できた方が強く心に残りそう…。 



~Epilogue~

彼らが“極東”と呼ぶように、私たち日本人にとってイギリスはあらゆる面で遠い国。
日本では中学校(最近は小学校)から英語を学びますが、その第一歩で“英語・イギリス人=English”と教わるので、“イギリス=England”と誤解している人が大半ではないでしょうか?
対訳はともかく、概念として正しくは“England=イングランド /English=イングランド語・人”であり、もし“イギリスという概念”をより正確に理解するなら“グレートブリテン及び北アイルランド連合王国( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)”となります。

つまり
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(UK)とは

Great Britain(GB);グレート・ブリテン島の3国に、
(イングランド、ウェールズ、スコットランド)

Northern Ireland(アイルランドの一部
を加えた連合王国であり、お馴染みの国旗(ユニオン・フラッグ)の由来は以下のようになっています。

Wings - Mull Of Kintyre3


何でこんなに面倒臭い説明をするかというと、イギリス(UK)という主権国家は日本とは異なり、イングランドが民族も言語も異なる他の3国を長い戦いの歴史の末に併合して成立させた国だからです。
メル・ギブソンのアカデミー受賞作『ブレイブハート』はそんなスコットランドの独立運動を描いた作品として有名ですが、今回の騒動の根底には時が経っても消すことのできないこうした民族意識も影響しているでしょう。
それに加え、スコットランドの領海にある北海油田の恩恵の大半を中央政府に独占されている現状も、住民の不満を募らせる一因となりました。

その住民感情は、2011年の選挙で独立推進派のスコットランド国民党が議席の過半数を占めたことで大きく動き、結果スコットランド自治政府は“2016年3月24日を独立の期日”と定め、今年9月18日に賛否を問う住民投票を実施することとなったのです。

My desire is always to be here
僕の思いは、いつだってこの地と共に
Oh Mull of Kintyre
美しきキンタイア岬…


でも、もしもスコットランドがイギリスから離脱したら…
想像してみてください、離婚後の夫婦関係を?
別れても隣り合わねばならない両国の間に、さまざまな問題が待ち受けていることは想像に難くありません。

そして…
やがていつの日か“UK”という概念は世界から消滅し、本当に“イギリス=England”となる日がやって来るのかもしれません…。



「夢の旅人」


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tags : 1977年 フォーク 郷愁 歴史的名曲 ウイングス 

comment(14) 

「心のラヴ・ソング」ウイングス

2014.05.11

category : Beatles & Solo

Wings - Silly Love Songs1 Wings - Silly Love Songs2



Wings - Silly Love Songs (1976年)



~“タダイマー!”~

“マタ、アイマショウ♪”から6ヶ月足らずで、ポール・マッカートニーが再び日本に帰って来てくれるなんて!
今回の来日公演は、東京オリンピックに向けた新競技場の建設に伴い解体される国立競技場の最後をポールに飾って欲しいという日本側の達(たっ)ての要望に応えたもので、5月17・18日の国立競技場に加え24日の大阪・ヤンマースタジアム長居(長居陸上競技場)でのステージが予定されています。
(それにしても、時期がまた大相撲夏場所と重なるのは偶然?
また直近(10日)には、21日の日本武道館での公演が追加されたことも発表されました!!

今回の公演も昨年12月と同様『アウト・ゼアー ジャパン・ツアー 2014』と題されていますが“セットリストも演出も前回と変更した内容”となるそうで、現在続けられているワールド・ツアーのセットリストは参考にはなりません。
…となると、前回の『アウト・ゼアー~』では演奏されなかったこの曲が有力と予想し、特集することにいたしました…。

 日本のファンに向けたポールからのメッセージ



~概要~

「心のラヴ・ソング」はポールがビートルズ解散後に結成したバンド“ウイングス(時により、ポール・マッカートニー&ウイングス)”が1976年3月25日発表した5thアルバム『スピード・オブ・サウンド(Wings at the Speed of Sound)』の収録曲です。
1stシングルとしてアメリカでは4月1日・イギリスでは4月30日にリリースされ、それぞれ1位/2位を記録しました。
Billboard Hot 100に於いては、5月22日にNo.1に達するものの翌週にはダイアナ・ロスの「ラヴ・ハングオーバー」にその座を明け渡してしまいますが、その3週後にはトップに返り咲き4週それを維持するという驚異的な粘り腰で計5週No.1に君臨し、年間チャートでもNo.1に輝いたウイングス最大のヒット曲です。
また、「心のラヴ・ソング」は“Billboard Hot 100・50年の歴代に於いても31位のヒット曲”であり、ポールがこの曲で成し遂げた3度目の年間No.1獲得(過去;「抱きしめたい」・「ヘイ・ジュード」)は、未だ破られぬ前人未到の快挙でもあります!

ウイングスは1975年9月からワールド・ツアーを行っていましたが、ちょうど全米ツアーの時期と「心のラヴ・ソング」のリリースが重なったためアメリカでは相乗効果となって大旋風を巻き起こしました。
その大盛況の様子が後に3枚組(LP)ライヴ盤『ウイングス・オーヴァー・アメリカ(ウイングスU.S.A.ライヴ!!)』や映画『ロックショウ』として記録されています。
ウイングスにとって、“創作の頂点”が『バンド・オン・ザ・ラン』とすると、“人気の頂点”を象徴したのが「心のラヴ・ソング」でありこの時期(75~76年頃)だったといえるでしょう…。

今回の選曲理由として「心のラヴ・ソング」はポールのライブの定番であることに加え、5月の爽やかな風が吹く国立競技場でこの曲を聴いたら最高だろうなぁ…と想像したからです。
心地よいフィーリングに心を奪われがちですがサウンドは意表をつく展開で、ピンク・フロイドの「マネー」(過去ログ)にヒントを得たというイントロは工場の機械のようだし、ライブ演奏は別ですがオリジナル音源ではエレキ・ギターが使われていない(少なくとも、ほとんど聴こえない)というのも、とても大胆なアレンジだと思います。
また、この曲は1984年のポール主演による映画『ヤァ!ブロード・ストリート(GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET)』でもセルフ・カバーされました。

 ライブ映像



~Lyrics~

You'd Think That
“くだらないラヴ・ソングなんて、みんな飽き飽きしてる”
People Would Have Had Enought Of Silly Love Songs.
…そう君は考えてるみたいだけど

Sillyとは“愚かな”といった意味合いの言葉ですが、「Silly Love Songs」を作るきっかけとなったのがある評論家による“ポールはバラードしか書けない”という批判でした。
ビートルズ時代からバラード・ヒットの多いポールは元々ロック系の評論家にウケが悪く、ビートルズ解散後は“別の感情”も重なり特に風当たりが強かったといえるでしょう。

ただ、私個人の考えですが、音楽評論家はもっと謙虚であるべきと思います。
プロ野球の評論家と違い、彼らのほとんどは音楽家またはプレイヤーとして一流の実績を残したわけではありません。
批評されるプレイヤーが批評する自分より遥かに高度な技能や創作能力を発揮しているにも拘らず、一部の評論家が何故か“上から目線”なのは、違和感を感じます。
私は批判そのものを否定しているわけではなく、評論家は批評対象への愛情と敬意が伴って初めて成立する稼業と思うのです…。


Some People Wanna Fill The World With Silly Love Songs.
そんなラヴ・ソングで、世界を満たしたい人間だっているのさ
And What's Wrong With That?
でも、それの何がいけないの?

音楽は、人を愛する悦びや切なさの表現と相性の良い文化です。
一方で、ロックは怒りや不満の感情表現と親和性が高い側面もあります。

世の中には“喜怒哀楽”いずれの音楽性も楽しめるタイプもいれば、単一の音楽性しか好まない人もいます。
でも“男社会”の中では、ポップスやバラードを聴く男よりロックを聴く男の方が“男らしい”、という価値観が根強いのも事実です。
まぁ、“音楽の趣味が男らしい事と、人間として男らしく立派であることは全く別物”と、私は考えますが…。


I Can't Explain The Feeling's Plain To Me;
この気持ち、理屈なんかじゃ説明できないさ
Now Can't You See?
君にはわからない?

もし“愛という感情”を知らない人が存在したとして、その人に愛を理解させるとしたらどう説明するだろう…。
私はふと、映画『ターミネーター2』を思い出しました。

有名な、エンディングの溶鉱炉のシーン…
敵を倒し全てが終わったにも関わらず、“危険なプロセッサが自分の体内に残っている”と、ジョン・コナーの制止命令にも従わず我が身を溶鉱炉に投じたターミネーターT-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)。
彼の行為は単なるジョンを守るというプログラムに過ぎないのか、それとも自己犠牲という名の愛なのか…
何れにしても、愛って説明するものじゃありませんよね?



~Epilogue~

“クダラナイ曲”って、何だろう…
私にとって、通常それは“詞・曲ともに潤いのない作品”のことであり、実はポールの楽曲の中にもそれを感じる対象はあります。
しかし、それとは別格にクダラナイと感じるケースがあります。
それは“全く正当性のない理由で誰かを傷つけるための悪意が込められた歌”のことで、一時期ジョンとポールがやりあったコトもあったでしょ?
(この曲も、ジョンの批判に対するポールの反論という説もありますが…)


It Isn't Silly, No, It Isn't Silly,
“それ”は愚かなことじゃない
Love Isn't Silly At All.
人を愛することが、くだらないはずがないじゃないか

そして、これがこの論争に対するポールの結論です。
どんなクールであろうと争いや暴力、ドラッグの歌より“他愛ないラヴ・ソング”の方が遙かにマシと、思います。
“男らしさ”を誇りたいなら、相手は他愛ないラヴ・ソングなどではなく社会のもっと大きな理不尽に対して向けるべきであり、それこそがロックの真価であるはずです。
“生きる勇気を奮い立たせて”くれたり“誰かを幸せにしたい”という願いが込められた歌であるならば、
いつだって私は歓迎します…。



「心のラヴ・ソング」


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tags : 1976年 Rock/ファンク 優しい ウイングス 年間No.1ソング 歴史的名曲 

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「バンド・オン・ザ・ラン」ポール・マッカートニー&ウイングス

2013.11.08

category : Beatles & Solo

Paul McCartney Wings - Band On The Run1 Paul McCartney Wings - Band On The Run2



Paul McCartney & Wings - Band On The Run(1974年)


~ポール・マッカートニー来日公演『アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー』がいよいよスタート!~

いよいよ今月11日の大阪公演を皮切りに、ポール・マッカートニー来日公演『アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー』がスタートいたします!
それを目前に控え、9・10日限定でウイングス時代のコンサート・フィルム『ロック・ショウ』が東京TOHOシネマズ&六本木ヒルズに於いて上映されるそうです。
また、同日ハードロックカフェ東京でも同様のイベントが催される予定です。

イベントに参加できない方にも朗報があって、11日にはビートルズ初期の貴重なスタジオ・ライブ音源第2弾『ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2』が発売されます。
あと、9日23:20からはNHK『SONGS』でポールの特集番組が放送されるので、お見逃しなく。
モチロン、当ブログでもビートルズのコンテンツをたくさん用意してあるので、ゆっくりお楽しみくださいネ♪


~概要~

「バンド・オン・ザ・ラン」はビートルズ解散後としては5作目、ウイングス名義では3作目となる1973年のアルバム『Band on the Run』のタイトル曲で2ndシングルとしてリリースされBillboard Hot 100で2週連続No.1(年間19位)に輝きました。
アルバム『Band on the Run』はBillboard 200で4週No.1を含む記録的ロング・セラーにより年間2位という商業的大成功を収めただけでなく、1975年にはグラミーで“最優秀ポップ・パフォーマンス賞”を授賞し、ポールの天敵(!?)ローリング・ストーン誌さえ“500 Greatest Albums Of All Time”の418位にランクさせる趣きのある作品です。

レコーディングはポールの思いつきにより、ナイジェリアのラゴスで始められましたが出発直前にヘンリー・マッカロク(g)とデニー・シーウェル(ds)が突然脱退してしまったためポールと妻のリンダ、デニー・レインの3人のみで執り行われました。
この曲の冒頭のふわふわしたムーグ・シンセサイザーはリンダで、ポールはベースに加えギター&ドラムスも担当し奮闘しています。
ポールのライブでは全時代を通して欠かせないナンバーの一つで、今回は第4期ウイングスのスタジオ・ライブの映像と、今年のツアーの映像の二つをご紹介しておきます。


~「Band On The Run」って?~

ところで、「Band On The Run(逃げるバンド)」って、どういうコトだと思います?
“バンドが逃げる”というとまず浮かぶのは、熱狂的なファンやしつこいマスコミから逃れるというイメージですが…。
ちょっと、アルバム・ジャケット(写真・右)を見てみてください
みんなが同じ黒の服を着て、暗闇の中でスポットを当てられ驚いているでしょ?
(“ドリフターズのコント”じゃありませんよ!?)

そう、この作品は囚人が牢獄から脱走するストーリーで、バンドは警察から逃げ回っているというワケです。
ポールはこのテの“おフザケ”が大好きで、1986年の「スパイズ・ライク・アス」のPVでもダン・エイクロイドらと“そんなコト”、やってマス!


~ポールは、自分の未来を“予言”していた!?~

でも、ロック・バンドが警察から逃げ回るというとよくある理由が“薬物所持”で、ポールもコレでイタい目に遭っています。
1980年1月16日、世界一のバンドとなったウイングスを率いてビートルズ以来14年ぶりとなる公演のため颯爽と日本に乗り込んできたポールでしたが、成田空港の入管で“大麻取締法違反”により現行犯逮捕されるという大事件!
そのまま10日間拘留されただけでなく公演は全てキャンセル、その損害分はポールの自腹で賄われたワケですが…

実は今回の選曲理由には、先月湯川れい子さんのインタビューにより明らかにされたこの時の“牢中のエピソード”が面白くて、みなさんにも紹介したかったからです。
普通、留置場に入れられると囚人という立場からも陰鬱な気持ちになりそうなものですが…
ポールは言葉もわからないにも関わらず近隣の囚人に語り掛け、“ホンダ!…カワサキ!”といった日本のブランド名を連呼して大笑いさせ、すぐに彼らと仲良くなったといいます。
(コンな時でも囚人同士仲良くなろうという発想が、彼らしいでしょ?
しかも“背中に大きな刺青を入れた人”にさえ、“いいタトゥーだね!”と気軽に話し掛けて“気が合った”そうです!

他のソースによると、ポールがよく発する“オッス”という挨拶はこの時囚人から“日本のクールな挨拶”として教わったもので、彼らのリクエストに応えて歌も歌ってあげていたらしいです。
いずれにしてもポールにとって囚人は初めての体験であり、「バンド・オン・ザ・ラン」を発表した時点では、まさか自分がその当事者になるとは夢にも思わなかったでしょうね!?


~Lyrics~

作品は三部構成になっていて、それぞれの歌詞に応じて曲も全く違ったものになっています。

Sent inside for ever
そこに永久に閉じ込められちゃ
Never seeing no one, nice again, Like you, mama…
大好きな人にも二度と会えないよ、君とかママみたいな人に…

第1部は“動機”を窺わせる部分になっていて、家族と会えない淋しさは囚人の宿命ともいえるでしょう。
オシドリ夫婦として知られたポールは、実際にも日本での拘留を含め二度ほどしか奥さんのリンダと離れたことがないそうで(回数は正確ではないかも?)、留置場での10日間は相当キツかったのではないでしょうか…。

If I ever get out of here
もしも、ここを出られるなら
Thought of giving it all away To a registered charity
持ってるもの全部、チャリティーにくれてやろう

第2部は“願望”を匂わせる部分になっていて、“If I ever get out of here”のフレーズはビートルズ時代にアップル・レコードの会議でメンバーのジョージ・ハリスンが発した言葉がそのまま用いられています。
囚人とすぐに打ち解けたポールも“クサいメシ”は合わなかったようで、その時出された味噌汁のトラウマからその後何年もそれを口にできなかったとか…(今は、好きらしい)。

Well the rain exploded with a mighty crash
やれやれ…お天道さまの下に出た途端
As we fell into the sun
叩き付けるような、激しい雨のお出迎え

Well…で始まる第3部は作品のメインであり、囚人(Band)が“逃亡”するさまを描いています。
個人的に好きなフレーズで、脱走した途端大雨に降られる“オチ”のような感覚がお気に入り。
ここからメロディーが明るく転調されていて、脱獄逃走という危険な行為もどこかほのぼのしているのは、どこまでも陽性なポールの性格といえるでしょうか?


~Epilogue~

現在71歳にしてなお世界ツアーを駆け巡り、何万という観衆を前にしたステージに立ち続けるポール。
上記紹介したインタビューで湯川れい子さんが、“十分に印税で暮らしていけるのに、何故これだけ苦しい思いをしてワールド・ツアーを?”という質問をしています。
(愚問ですよ、湯川さん…?)
そう思いながら読み進めると、ポールの答えは案の定…

“好きだからさ!”
“とにかく素晴らしいオーディエンスなんだ。一度でいいから、僕らのショウを観に来てごらん。なぜ僕がライブを続けているか分かるはずさ!”

人生を楽しむって、そういうことなのでしょうね…♪



「バンド・オン・ザ・ラン」


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tags : 1974年 プログレ ウイングス グラミー 偉大な曲 

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Author:Beat Wolf
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