「ドント・ノー・ホワイ」はノラ・ジョーンズ2002年のデビュー・アルバム『ノラ・ジョーンズ(Come away with me)』の収録曲で、2ndシングルとしてBillboard Hot 100の30位(2003年の97位)を記録した作品です。 ノラ・ジョーンズというと日本でもファンが多く、デビューから全米No.1が当たり前のイメージがありますがそれはアルバムに於いてであり、これまでHot 100でTop 40に入ったのは本曲のみという意外な側面もあります。
ノラ・ジョーンズの代表曲であり、彼女はシンガー・ソングライターでもあることから「Don't Know Why」はノラが作曲したものと思いがちですが実はカバーで、作者はジェシー・ハリス(Jesse Harris)という“男性”です(アメリカのシンガー・ソングライター)。 「Don't Know Why」はジェシー・ハリスが1999年に自身のアルバム『Jesse Harris and the Ferdinandos』で発表した作品で、そこに学業(北テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻)よりニューヨークのソングライターたちとのセッションに刺激を受け、そこに入り浸るようになっていたノラが意気投合し彼のバンドに参加するようになりました。 それがきっかっけでノラが歌うようになった一つが「Don't Know Why」で、その歌声に惚れ込んだブルーノート・レーベル社長ブルース・ランドヴァル(Bruce Lundvall)直々の引きで、2001年1月には契約を交わすに至っています。
圧巻は第45回グラミー賞(2003年)で、『Come away with me』の創作により8部門ノミネートで8部門受賞、うちノラが主要3部門を含む5部門を受賞、曲目「Don't Know Why」は“最優秀レコード賞(Record of the Year)”と“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞(Best Female Pop Vocal Performance)の3部門を受賞しました! グラミー8冠はマイケル・ジャクソンの『スリラー』と同規模であり、この年の主要4部門独占したことを考え合わせれば本作が史上稀にみる快挙であったことは疑いありません。 (※主要4部門独占のうち最優秀楽曲賞は作者ジェシー・ハリスに対してであり、アーティスト自身が全て獲得しての主要4部門独占は、現在も1981年のクリストファー・クロスのみです)
主人公は【die in ecstasy(恍惚の中、人生を終える)】ことを夢みて大切な人を【the house of fun(楽しみの家)】に置き去りにしてしまったものの、それが一時の迷いであったことにすぐ気づき、【come(あなたの所へ戻りたい)】と願う。 …とはいえ、身勝手をした自分からそれを口にすることもできず【Driving down the road alone(このまま一人、道を下ってゆくだろう)】と自分に言い聞かせた。 だけど…
My heart is drenched in wine どれほど心にワインを浸しても But you'll be on my mind 胸の中には、あなたがいる
「ハロー」は、今やイギリス(…いや、世界)を代表する女性歌手アデルの3rdアルバム『25』からの1stシングルで、Billboard Hot 100の10週No.1(2016年の年間7位)をはじめ世界中でNo.1に輝くなど、2015年末までに1,230万枚がリリースされました。 歴代記録を塗り替えることとなったYouTubeでは、公開24時間で2770万回の再生回数を記録し(VEVO)、最速(5日間)で1億回を達成、2017年2月19日現在までで約18億8000万回再生されています!
・最優秀レコード(Record Of The Year) ・最優秀楽曲(Song Of The Year) ・最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス(Best Pop Solo Performance) (※アルバム『25』は、“Album Of The Year”と“Best Pop Vocal Album”の2部門を受賞)
…要するに最高栄誉とされる“主要4部門”のうち資格のない新人賞以外の3部門を独占したわけで、まさに堂々たる“この年の顔”であり、またしても前作『21』に続いての圧倒的な強さを見せつけた形となりました。 しかしAlbum Of The Yearに関してはビヨンセの『Lemonade』を予想した専門家やミュージシャンも多く、当のアデル本人も授賞式のスピーチで…
YouTubeのマッシュアップが、先に“実現”させちゃいました! この映像は、2人がそれぞれのPVで電話越しに“Hello”を応答する形で編集されていますが、続けてライオネルが“Is it me you're looking for?(君が捜しているのは僕なんだろう?)”と切実に問い掛ける最中アデルが取った行動、そして直後のライオネルの反応が…!?
アデルがアルバムのタイトルに自身の年齢(制作に着手した当時の年齢)を掲げていることは有名ですが、『25』はまさに制作に着手した2013年の年齢であり、実際に『25』を発表できた時は既に27歳となっていたことがその“難産”を物語っています。 2013年、アデルは前作『21』プロデューサーのリック・ルービンと共に“母性”をテーマに制作を始めるもののアルバム全体があまりに退屈な出来ばえだったため廃棄、休暇を取ってアイデアを練るも何も生まれなかったほど極度のスランプに陥っていました。 そのため友人のキッド・ハープーン (Kid Harpoon) をプロデューサーに迎えてみたものの肝心のアデル本人はスランプのままで、さらには「Rumour Has It」のライアン・テダー(Ryan Tedder)とセッションを試みても決定的な成果は得られませんでした。
転機となったのは翌年、2人組の音楽ユニットThe Bird and the Beeのグレッグ・カースティンとの出会いで、「Hello」は彼とアデルによる共作です。 しかしそれでもアデルは“相変わらず”だったそうで、そのため曲の完成まで約6ヶ月を要したといいます。 この気の長くなるような共同作業について、グレッグは“いつまで経っても曲は未完成のままでアデルが曲を仕上げるつもりがあるのかともどかしかったけれど、ただ彼女を信じて待つしかなかった”とふり返っています。
Hello from the outside Hello...あなたの外の世界から呼び掛けた At least I can say that I've tried そして、これだけは言える… To tell you I'm sorry for breaking your heart “傷つけたこと、ごめんね”って、伝えようとしていたの
「ムーン・リバー」は、1961年のオードリー主演映画『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)』の(非公式の)主題歌です。 作詞;ジョニー・マーサー/作曲;ヘンリー・マンシーニによって創られた楽曲であり、劇中では3つのバージョンを聴くことができます。 1つは主人公ホリー(オードリー)がニューヨーク5番街にある宝石店『Tiffany & Co.』の前で朝食のパンを食べる有名なオープニングでのインストゥルメンタルver.、2つ目はホリーが劇中で歌う歌詞ありver.、3つ目はオリジナルをアレンジした「Moon River Cha Cha」です。
このうちヘンリー・マンシーニ楽団による“1つ目”の「Moon River」がシングル・カットされBillboard Hot 100の11位、これらを収録した『ティファニーで朝食を』のサウンドトラックはアルバム・チャートBillboard 200でNo.1を記録し90週間ランク・インする大ヒットとなりました。 これを受けて「ムーン・リバー」は“アカデミー歌曲賞”、グラミーでも“最優秀レコード賞”・“最優秀楽曲賞”・“最優秀編曲賞”という最高の栄誉を受賞しました。
ただし、この輝かしい栄誉には本記事の主役である“オードリーの歌唱ver.”は含まれてはいません。 何故なら、オードリーが劇中で歌った「ムーン・リバー」はサウンドトラック・アルバムには含まれていなかっただけでなく、その後もずっと正式な音源としてレコードやCDに記録されなかったためラジオでも流れづらく、一般的にはカバーの一つであるアンディ・ウィリアムスver.の方が有名になるという現象を生みました。 しかしオードリー死後の1993年、彼女が劇中で歌った「ムーン・リバー」はベスト盤CD『Music from the Films of Audrey Hepburn』に初めて収録され、2004年にはオードリーの「ムーン・リバー」が映画音楽の歴史的名曲として『アメリカ映画主題歌ベスト100』の4位に選出されています。
~Lyrics~
I'm crossing you in style いつの日か、きっと someday 胸を張って、川の向こうへと辿り着きたい
OPで、ホリーが『Tiffany & Co.』のショー・ウインドウ前でパンを食べるシーンが浮かびます…。 『Breakfast at Tiffany’s』というタイトルは、“ティファニーで朝食を食べる身分になりたい”という主人公ホリーの願望を象徴するものです。 ちなみにこのシーンでオードリーが身につけているジバンシィのシンプルな黒のカクテルドレス (Little black Givenchy dress of Audrey Hepburn)は、“史上最も有名なドレス”といわれているのだとか!
We're after the same rainbow's end ふたりひとつの“虹の終わり”を追い求めたい Waiting round the bend その“入口”で待っていて
1行目は【pot of gold at the end of the rainbow(虹の先が地面に接する所に黄金入りの壺がある)】という伝説に基づいた表現と思われます…。 そして、二人は“同じ見果てぬ夢【the same rainbow's end】”を追い求める同志です。 【bend】は[曲がり目]のことですが、私は“虹の入り口”と解釈しました。
ホリーの当初の【rainbow's end】は、きっと“誰にも縛られない自由”と“Breakfast at Tiffany's”でした。 でもそれは彼女ひとりのための夢であり、実際ポール(ジョージ・ペパード)に求愛されても“人は誰のものでもないわ。私は、誰の鳥籠にも入らない”と突っぱねています。 その心の氷を解かすのも、最終的にやっぱり彼の言葉だったわけですが…。
My huckleberry friend 私のハックルベリー・フレンド Moon river and me あなた、そして私…
【huckleberry】は一般にマーク・トウェインの小説『トム・ソーヤーの冒険』で主人公の“相棒”として登場するハックルベリー・フィンと認識されていますが、作詞者ジョニー・マーサーの自伝によると“幼少のころ一緒に川下りをした彼の友人”をイメージしたものだそうです。 【Moon river】も、ジョージア州サバンナにあるジョニー・マーサーの実家の下を流れる“The Back River”をイメージしたものとされます。
「セイリング」は1979年12月に発表されたクリストファー・クロスのデビュー・アルバム『南から来た男(Christopher Cross)』からの2ndシングルで、翌年8/30付Billboard Hot 100のNo.1(1週/年間32位)に輝いた曲です。 アルバムからは既にドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドがバック・ヴォーカルを務めた1stシングル「Ride Like The Wind」が大ヒットし、続くシングルには「I Really Don't Know Anymore」が第一候補に挙がっていましたがこれもマイケルのヴォーカルをフィーチャーしていたため権利関係に問題が生じるのを回避し次善として選ばれたのが「Sailing」でした。