I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「想い出のサンフランシスコ」トニー・ベネット

2023.07.26

category : Tony Bennett

Tony Bennett - I Left My Heart in San Francisco (1962年)

暑中お見舞い申し上げます。熱に疲れた身体に水浴、暑さに疲れた心には涼やかなジャズバラード

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1962年 バラード/Jazz 郷愁 偉大な歌手 歴史的名曲 グラミー最優秀レコード賞  

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「ドント・ノー・ホワイ」ノラ・ジョーンズ

2017.04.07

category : Norah Jones

Norah Jones - Dont Know Why1 Norah Jones - Dont Know Why2


Norah Jones - Don't Know Why (2002年)



~ノラ・ジョーンズ、4年半ぶりの来日公演~

21世紀を代表する“癒しの歌姫”、ノラ・ジョーンズの日本公演が4/9からスタートいたしました(~4/21)!
昨年10月、ノラは自身6枚目となるオリジナル・アルバム『Day Breaks』をリリースしており、今回の来日はその『Daybreaks World Tour』の一環です。

ノラはこのアルバムでデビュー以来、実に15年ぶりに原点であるジャズとピアノ弾き語りのスタイルに回帰したことが話題を呼んでいますが、近年の彼女にとっては最愛のパートナーと2つの小さな生命を授かったことも大きな原動力になっています。
結婚や出産という大きな人生経験を重ねて熟成された「Don't Know Why」も、楽しみですね♪





~概要~

「ドント・ノー・ホワイ」はノラ・ジョーンズ2002年のデビュー・アルバム『ノラ・ジョーンズ(Come away with me)』の収録曲で、2ndシングルとしてBillboard Hot 100の30位(2003年の97位)を記録した作品です。
ノラ・ジョーンズというと日本でもファンが多く、デビューから全米No.1が当たり前のイメージがありますがそれはアルバムに於いてであり、これまでHot 100でTop 40に入ったのは本曲のみという意外な側面もあります。

ノラ・ジョーンズの代表曲であり、彼女はシンガー・ソングライターでもあることから「Don't Know Why」はノラが作曲したものと思いがちですが実はカバーで、作者はジェシー・ハリス(Jesse Harris)という“男性”です(アメリカのシンガー・ソングライター)。
「Don't Know Why」はジェシー・ハリスが1999年に自身のアルバム『Jesse Harris and the Ferdinandos』で発表した作品で、そこに学業(北テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻)よりニューヨークのソングライターたちとのセッションに刺激を受け、そこに入り浸るようになっていたノラが意気投合し彼のバンドに参加するようになりました。
それがきっかっけでノラが歌うようになった一つが「Don't Know Why」で、その歌声に惚れ込んだブルーノート・レーベル社長ブルース・ランドヴァル(Bruce Lundvall)直々の引きで、2001年1月には契約を交わすに至っています。

圧巻は第45回グラミー賞(2003年)で、『Come away with me』の創作により8部門ノミネートで8部門受賞、うちノラが主要3部門を含む5部門を受賞、曲目「Don't Know Why」は“最優秀レコード賞(Record of the Year)”と“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞(Best Female Pop Vocal Performance)の3部門を受賞しました!
グラミー8冠はマイケル・ジャクソンの『スリラー』と同規模であり、この年の主要4部門独占したことを考え合わせれば本作が史上稀にみる快挙であったことは疑いありません。
(※主要4部門独占のうち最優秀楽曲賞は作者ジェシー・ハリスに対してであり、アーティスト自身が全て獲得しての主要4部門独占は、現在も1981年のクリストファー・クロスのみです)


それ以外のエピソードとして、アメリカの子ども向けテレビ教育番組『セサミストリート(SESAME STREET)』はご存知の方も多いと思いますが、アルファベットの文字“Y(ワイ)”がいなくなってしまった寂しさをノラ・ジョーンズが「Don't Know Why」の替え歌として番組の名物マペット“エルモ(Elmo)”と歌うシーンがあります。
公式日本語字幕版も公開されているので、ぜひお楽しみください♪

また、ノラに負けない透明感が魅力の日本の原田知世も近年(2015年)カバー・アルバム『恋愛小説』の中で本曲をカバーしており、ここではオリジナルの作者ジェシー・ハリスとのデュエットを実現させています!


 
 



~Lyrics~

When I saw the break of day
夜明けを見届けたとき
I wished that I could fly away
このまま、飛んでゆけたらと思った

【fly away(飛び去る・飛び立つ)】というと、今回ふと「気球にのってどこまでも」を思い出しました。
空を飛べない私たち人間にとって大空を舞うことは永遠の憧れであり、その純粋な想いを描いたこの曲は子どもたちの清らかな歌声が良く似合います。

でもこのラインに続くセンテンスに綴られているとおり、大人になると“別の意味”で飛び去りたくなることも…?


Out across the endless sea
終わりない海の向こう
I would die in ecstasy
恍惚の中、人生を終えるつもりだったけれど

鳥は、なぜ渡るのか…
一般には、食料や繁殖の事情、冬の寒さを逃れるためと言われますが、つまり飛び立った先には“より良い環境”が想定されるが故です。
でも人間って、“渡り鳥”でしたっけ…? 


I waited 'til I saw the sun
お日さまにあうまで、待っていた
I don't know why I didn't come
でも、どうして私は行かなかったのだろう…

冒頭のこのライン、主人公はなぜ太陽を待っていたのでしょう…
【the sun】はそのまま“太陽”と捉えて不都合はありませんが、“何かの象徴”と仮定するなら、これは単なる情景描写ではなく、主人公にとって非常に大きな意味を指し示しているようにも思えてきます。

例えば、太陽は多くの生物の活動にとって欠かせぬものであり、【saw the sun】によってそれは始まります。
主人公にとっても、それは静から動へと転じる“転機の瞬間”を意味するものであったとしたら…? 



~Epilogue~

タイトルにもなっている【(I) don't know why】は、歌詞中では【I didn't come】についての言及となっています。
どうやら“なぜ自分は~しなかったのかわからない”が主題となっていることは理解できますが、その不明の対象である【come】がなかなかクセ者で、素直に適用すると“なぜ自分は来なかったのかわからない”と文章として不自然で、何だかモヤモヤした気分になるでしょう。
ただ、【come】という言葉に内包されている意味を掘り下げてみると、その隠されたメッセージに近づくことができるような気もします。

【come】は[go(行く)]の範囲を限定した言葉であり、わざわざ行き先を補足しなくても通常は“動作者が話し手のいる方へ近づく(=来る)”意味が含まれます。
しかし話し手自身が動作者でもある場合“自分が自分に近づく”矛盾が生じてしまい、これをそのまま適用することができません。
ただし、これが話し手の心理的視点が相手の所にある場合主体は入れ替わって“話し手が相手のいる方へ近づく(=行く)”と解釈することが可能で、この歌の【I didn't come】も、そうした解釈をすることができそうです。


主人公は【die in ecstasy(恍惚の中、人生を終える)】ことを夢みて大切な人を【the house of fun(楽しみの家)】に置き去りにしてしまったものの、それが一時の迷いであったことにすぐ気づき、【come(あなたの所へ戻りたい)】と願う。
…とはいえ、身勝手をした自分からそれを口にすることもできず【Driving down the road alone(このまま一人、道を下ってゆくだろう)】と自分に言い聞かせた。
だけど…

My heart is drenched in wine
どれほど心にワインを浸しても
But you'll be on my mind
胸の中には、あなたがいる

…ロックより、ジャズの方が“大人の味”がします。 



「ドント・ノー・ホワイ」


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tags : 2002年 ジャズ/Pop せつない愛 グラミー最優秀レコード賞 グラミー最優秀楽曲賞 

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「ハロー」アデル

2017.02.17

category : Adele

Adele - Hello1 Adele - Hello2


Adele - Hello (2015年)



~アデル、またしてもグラミー5冠!~

日本時間2月13日午前に行われた『第59回グラミー賞授賞式』に於いて、やっぱりアデルが強かった!
アデルは今回グラミーで5部門にノミネートされていましたがその全て“5部門受賞”を成し遂げ、2009年の最優秀新人賞以来同授賞式での“不敗伝説”を更新する結果となりました。

一方、長年ロック界の重要人物と評されトータル・セールス1億枚以上を誇りながらも殆んどグラミーとは縁の無かったスーパースター、デヴィッド・ボウイが最期のアルバム『★(Blackstar)』関連でアデルと並ぶ最多5部門を受賞したことも大きな話題となった授賞式でした。
(※これまでデヴィッドの受賞は1985年の最優秀短編ミュージック・ビデオ賞と2006年の特別功労賞生涯業績賞のみ)



~概要~

「ハロー」は、今やイギリス(…いや、世界)を代表する女性歌手アデルの3rdアルバム『25』からの1stシングルで、Billboard Hot 100の10週No.1(2016年の年間7位)をはじめ世界中でNo.1に輝くなど、2015年末までに1,230万枚がリリースされました。
歴代記録を塗り替えることとなったYouTubeでは、公開24時間で2770万回の再生回数を記録し(VEVO)、最速(5日間)で1億回を達成、2017年2月19日現在までで約18億8000万回再生されています!

5部門を受賞した『第59回グラミー賞授賞式』では、うち3部門が本曲による受賞で、その内訳は以下のとおりとなっています。

最優秀レコード(Record Of The Year)
最優秀楽曲(Song Of The Year)
最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス(Best Pop Solo Performance)
(※アルバム『25』は、“Album Of The Year”と“Best Pop Vocal Album”の2部門を受賞)

…要するに最高栄誉とされる“主要4部門”のうち資格のない新人賞以外の3部門を独占したわけで、まさに堂々たる“この年の顔”であり、またしても前作『21』に続いての圧倒的な強さを見せつけた形となりました。
しかしAlbum Of The Yearに関してはビヨンセの『Lemonade』を予想した専門家やミュージシャンも多く、当のアデル本人も授賞式のスピーチで…

この賞は多分、受け取れない。とても畏れ多くて、すごく感謝していて嬉しく思っているけど、私の人生で最愛のアーティストはビヨンセなの。私にとってあのアルバム、『Lemonade』は、とてつもなく偉大で、思慮深く、すごく美しくて、ソウルに満ち、あなたのいつもとは違う面を私たちに見せてくれた。私たちはそのことを感謝している。私たちアーティストはみな、あなたを崇拝しています。あなたは私たちの光です。そしてあなたは、私や私の友人たち、私の黒人の友人達を力づけた。自分たちのために立ち上がろうという気にさせる。愛してます。ずっとそうだったし、これからもずっと

…とまでビヨンセを称え、彼女を涙ぐませる一幕もありました。
(※グラミーは元々保守的であり、黒人でヒラリー・クリントン支援者として有名なビヨンセが不利に扱われたという風説も背景にある)
それに反して、いとも簡単に5部門受賞を達成したかに見えるアデルですが、『25』は他人には全く想像もつかない“難産の末”に生まれた作品でした…(これについては後ほど詳しくお伝えします)。


 



~Lyrics~

Hello, it's me
Hello...私
I was wondering if after all these years
あれから、何年もこの胸に問い掛けてきたの

【hello】は広範に使える呼び掛け・挨拶ですが、日本の【こんにちは】は日中にしか使えないし電話以外で【もしもし】とは言いません。
歌詞を読むと、この物語は“何年も前に別れた元恋人への叶わぬ慕情と謝罪”であり、そんなせつないストーリーにのほほんと【こんにちは】もナイでしょ?
MVでアデルが何度も電話しているシーンが編集されていることから、電話の設定で【もしもし】として問題ないと思うのですが…

個人的には電話だけでなく、“電話できずに(あるいは電話していない間も)心のうちで届かぬ想いを彼に宛てている”せつなさにも含みを持たせたいと思ったので、敢えて日本語化せず【Hello】のままにしておきました。


Hello, can you hear me?
Hello...ねぇ聞こえてる?
I'm in California dreaming about who we used to be
いま私、あの頃ともに抱いた“カリフォルニアの夢”の中にいるの

アデルはロンドン育ちのイギリス人ですが、スーパースターとなって以降の活動の拠点はアメリカで、現在は家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスのビバリーヒルズに豪邸を構えて暮らしています。
カリフォルニアは19世紀にアメリカで起きた“ゴールドラッシュ”の舞台であり、人々が金脈を目当てに各地から続々と移住した伝説は【California Dream】として語り継がれました。
アデルの場合、ビジネスの成功があってカリフォルニアに移住できたとも思えますが、彼女はこの地に“家族とのCalifornia Dream”を築こうとしていたのかもしれません。

しかしドナルド・トランプが大統領に当選したことでアデル自身はイギリスへの帰国を真剣に考えているとも言われ、子どものことと考え合わせ決めかねているとも伝えられます。


Hello, how are you?
Hello...元気でいる?
It's so typical of me to talk about myself. I'm sorry
…ごめん、これじゃ自分のことばかり喋るいつもの私ね

…ところで、今回も“ネタ”をご用意いたしました!

「Hello」というと、80年代フリークの方は“あの人”を思い起こすのではないでしょうか?
…そう、ライオネル・リッチーが1984年に大ヒットさせた名バラード、「Hello」
アデルの「Hello」が一時は盗作とも騒がれたものの(トム・ウェイツの「Martha」との類似も指摘されている)、当のライオネルは熱烈に彼女とのコラボを望んでいるとされていましたが…

YouTubeのマッシュアップが、先に“実現”させちゃいました!
この映像は、2人がそれぞれのPVで電話越しに“Hello”を応答する形で編集されていますが、続けてライオネルが“Is it me you're looking for?(君が捜しているのは僕なんだろう?)”と切実に問い掛ける最中アデルが取った行動、そして直後のライオネルの反応が…!? 





~Epilogue~

“21世紀で最も売れたアルバム”に認定された『21』のリリース後、次々ともたらされる栄誉以外にアデルの身には公私に亘り大きな変化が起きています。
2011年には歌手生命にも係わる喉頭炎の手術をし、2012年秋には事実婚のパートナー、サイモン・コネッキーとの間に男児を出産、アデルは24歳で母となりました。

アデルがアルバムのタイトルに自身の年齢(制作に着手した当時の年齢)を掲げていることは有名ですが、『25』はまさに制作に着手した2013年の年齢であり、実際に『25』を発表できた時は既に27歳となっていたことがその“難産”を物語っています。
2013年、アデルは前作『21』プロデューサーのリック・ルービンと共に“母性”をテーマに制作を始めるもののアルバム全体があまりに退屈な出来ばえだったため廃棄、休暇を取ってアイデアを練るも何も生まれなかったほど極度のスランプに陥っていました。
そのため友人のキッド・ハープーン (Kid Harpoon) をプロデューサーに迎えてみたものの肝心のアデル本人はスランプのままで、さらには「Rumour Has It」のライアン・テダー(Ryan Tedder)とセッションを試みても決定的な成果は得られませんでした。

転機となったのは翌年、2人組の音楽ユニットThe Bird and the Beeのグレッグ・カースティンとの出会いで、「Hello」は彼とアデルによる共作です。
しかしそれでもアデルは“相変わらず”だったそうで、そのため曲の完成まで約6ヶ月を要したといいます。
この気の長くなるような共同作業について、グレッグは“いつまで経っても曲は未完成のままでアデルが曲を仕上げるつもりがあるのかともどかしかったけれど、ただ彼女を信じて待つしかなかった”とふり返っています。

一方のアデルにとって「Hello」は単なる“特定の元恋人への慕情や謝罪”ではなく、友達や元恋人、家族、ファン…そして彼女自身へのメッセージだったそうです。
スーパースターに登り詰め、手術、出産を経て迎えた25歳という年齢は彼女にとってターニング・ポイントであり、そういう意味でもこのタイミングで創作することとなったアルバム『25』は単なるアーティストとしての一作品ではなく、同時に一人の人間として人生を問い直す壮大な旅と重なったための難産だったといえるのでしょう。

『21』は、[破局(break-up)]についてのレコードだった。
もし『25』をそういう意味づけするとしたら、[償い(make-up)]ね。
自分自身との関係を修復し、失われた時間を取り戻す。
これまでしてきたこと、してこなかったことすべてに対しての償いの気持ちが込められている
の。


今までみたいに、もう過ぎてしまった過去の断片にしがみついている時間はないわ。
かつての思春期と、成熟した大人の境目で揺れながら、トラックに山積みの自分の過去というガラクタを手放して、何者でもない自分として生きていくって決めたの。


Hello from the outside
Hello...あなたの外の世界から呼び掛けた
At least I can say that I've tried
そして、これだけは言える…
To tell you I'm sorry for breaking your heart
“傷つけたこと、ごめんね”って、伝えようとしていたの


“Hello”に込められた想い… 



「Adele - Hello」


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tags : 2015年 ソウル メッセージ グラミー最優秀レコード賞 グラミー最優秀楽曲賞 

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「ムーン・リバー」オードリー・ヘプバーン

2016.09.09

category : Soundtracks

Audrey Hepburn - Moon River1 Audrey Hepburn - Moon River2


Audrey Hepburn - Moon River (1961年)



~中秋の名月~

2016年の“八月十五夜(十五夜)”は、9月15日(木)。
…ということで、今年もここで“月”の名曲をご紹介いたします。
でも今週は全国的に雨模様が続き、月曜の時点で15日木曜の予報は…。

一方、今年の夏は空梅雨から記録的猛暑の流れがあり“嫌な予感”がしていたところ、やはり“その修正のやり方は乱暴”なものであり、8月末からの台風は各地に大きな被害をもたらしました(ただし利根川上流8ダムの貯水量は9/9現在、平年比103%に回復)。
穏やかな秋となるよう、願いを込めて…。



~概要~

オードリー・ヘプバーンはアメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI)の“最も偉大な女優3位”にも数えられるハリウッド女優であり、スレンダーで妖精のような美しさとかわいらしさを併せ持つ彼女は日本でも特に女性の憧れとして長く愛され続けました。
『ローマの休日』(1953年)、『麗しのサブリナ』(1954年)といった彼女の魅力を最大限に引き出す運命の作品とめぐり合い、一躍大スターへの階段を駆け上がったことは誰もがご存じのことでしょう。
そして1961年、再びオードリーのキャリアを語る上で欠かせない作品と出あうことになります…。

「ムーン・リバー」は、1961年のオードリー主演映画『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)』の(非公式の)主題歌です。
作詞;ジョニー・マーサー/作曲;ヘンリー・マンシーニによって創られた楽曲であり、劇中では3つのバージョンを聴くことができます。
1つは主人公ホリー(オードリー)がニューヨーク5番街にある宝石店『Tiffany & Co.』の前で朝食のパンを食べる有名なオープニングでのインストゥルメンタルver.、2つ目はホリーが劇中で歌う歌詞ありver.、3つ目はオリジナルをアレンジした「Moon River Cha Cha」です。

このうちヘンリー・マンシーニ楽団による“1つ目”の「Moon River」がシングル・カットされBillboard Hot 100の11位、これらを収録した『ティファニーで朝食を』のサウンドトラックはアルバム・チャートBillboard 200でNo.1を記録し90週間ランク・インする大ヒットとなりました。
これを受けて「ムーン・リバー」は“アカデミー歌曲賞”、グラミーでも“最優秀レコード賞”・“最優秀楽曲賞”・“最優秀編曲賞”という最高の栄誉を受賞しました。

ただし、この輝かしい栄誉には本記事の主役である“オードリーの歌唱ver.”は含まれてはいません。
何故なら、オードリーが劇中で歌った「ムーン・リバー」はサウンドトラック・アルバムには含まれていなかっただけでなく、その後もずっと正式な音源としてレコードやCDに記録されなかったためラジオでも流れづらく、一般的にはカバーの一つであるアンディ・ウィリアムスver.の方が有名になるという現象を生みました。
しかしオードリー死後の1993年、彼女が劇中で歌った「ムーン・リバー」はベスト盤CD『Music from the Films of Audrey Hepburn』に初めて収録され、2004年にはオードリーの「ムーン・リバー」が映画音楽の歴史的名曲として『アメリカ映画主題歌ベスト100』の4位に選出されています。


 



~Lyrics~

I'm crossing you in style
いつの日か、きっと
someday
胸を張って、川の向こうへと辿り着きたい

 

OPで、ホリーが『Tiffany & Co.』のショー・ウインドウ前でパンを食べるシーンが浮かびます…。
『Breakfast at Tiffany’s』というタイトルは、“ティファニーで朝食を食べる身分になりたい”という主人公ホリーの願望を象徴するものです。
ちなみにこのシーンでオードリーが身につけているジバンシィのシンプルな黒のカクテルドレス (Little black Givenchy dress of Audrey Hepburn)は、“史上最も有名なドレス”といわれているのだとか!

“玉の輿”を夢みて近くの安アパートに暮らし、精一杯のオシャレをしてティファニーのショー・ウインドウを見つめるホリーですが、そのたったガラス一枚の向こうの世界はどう映っていたのでしょう。
このシーンで流れる歌詞のない「ムーン・リバー」は、どこか彼女を見守っているかのようにやさしい…。 


We're after the same rainbow's end
ふたりひとつの“虹の終わり”を追い求めたい
Waiting round the bend
その“入口”で待っていて

1行目は【pot of gold at the end of the rainbow(虹の先が地面に接する所に黄金入りの壺がある)】という伝説に基づいた表現と思われます…。
そして、二人は“同じ見果てぬ夢【the same rainbow's end】”を追い求める同志です。
【bend】は[曲がり目]のことですが、私は“虹の入り口”と解釈しました。

ホリーの当初の【rainbow's end】は、きっと“誰にも縛られない自由”と“Breakfast at Tiffany's”でした。
でもそれは彼女ひとりのための夢であり、実際ポール(ジョージ・ペパード)に求愛されても“人は誰のものでもないわ。私は、誰の鳥籠にも入らない”と突っぱねています。
その心の氷を解かすのも、最終的にやっぱり彼の言葉だったわけですが…。


My huckleberry friend
私のハックルベリー・フレンド
Moon river and me
あなた、そして私…

【huckleberry】は一般にマーク・トウェインの小説『トム・ソーヤーの冒険』で主人公の“相棒”として登場するハックルベリー・フィンと認識されていますが、作詞者ジョニー・マーサーの自伝によると“幼少のころ一緒に川下りをした彼の友人”をイメージしたものだそうです。
【Moon river】も、ジョージア州サバンナにあるジョニー・マーサーの実家の下を流れる“The Back River”をイメージしたものとされます。

何れにしても、作詞者ジョニー・マーサーにとって“Moon River”は幼少期に起源する現在進行形の大切な想いを象徴するものなのかもしれません…。



~Epilogue~

『ティファニーで朝食を』原作者のトルーマン・カポーティは主人公ホリー役にマリリン・モンローを据えることを条件に映画化を承諾したといわれます。
原作でのホリーは娼婦であり、“セックス・シンボル”と称されたマリリンこそ適役と思われましたが当の本人に拒否されてしまい、その代役として浮上したのがおよそそれに似つかわしくないオードリーでした。
ところがそのオードリーにも“娼婦の演技はできない”と言われ、“娼婦ではないホリー”として脚本が書き換えられた経緯があったそうです。


一方「ムーン・リバー」作曲者のヘンリー・マンシーニはマリリンをイメージした曲がどうしても浮かばず悩んでいたものの、主役がオードリーに替わった途端メロディが自然に浮かんできたといいます。
“「ムーン・リバー」はオードリーに出会ってメロディが浮かび、オードリーの声域に合わせて創ったんだ…”

そういう経緯があったせいか、オードリー自身も「ムーン・リバー」をとても気に入っていました。
彼女が劇中で歌うシーンは今でも歴史に残る名シーンとして認識されていますが、映画の制作過程に於いてある日、配給元 パラマウント映画の社長が“あの歌(オードリーが歌うシーン)は削った方がいい”と言い出し、これに対してオードリーが“いいえ、絶対削らせません”と断固食い下がったためこのシーンが残されることになったというエピソードがあります(感情論はともかく、歴史に残る名シーンと評される程のものを嗅ぎ分けられない映画会社社長の嗅覚というのも、どうかと思う)。

マンシーニは言います…
“この曲はその後千回以上も録音されたけれど、いつもオリジナルを聴きたくなる。オードリーは心を込めて歌っていて、歌詞に魂が感じられるんだ。彼女の歌う「ムーン・リバー」が一番好きだ”

マンシーニはこの曲でオードリーと出逢って以来、33年間ずっと彼女に片想いをしていたという説もあります《写真》。
もしこれが本当だとしたら「ムーン・リバー」は“一人の男の、手の届かぬ女への慕情”であり、その“主人公はマンシーニ”“【Moon River】はオードリー”だったという仮説も成立し得るのかもしれません。
そして彼はオードリーがこの世を去った翌年、1994年に彼女の後を追うように70年の人生を終えています。

最後にご紹介するのは1961年に作者であるマンシーニとジョニー・マーサーが録音したデモver.
マンシーニのオードリーへの想いを歌詞に重ね合わせ、お聴きください…。

Audrey Hepburn - Moon River3  

Moon river, wider than a mile
Moon River...きらめく川面が、1マイル彼方まで広がっている
I'm crossing you in style someday
いつの日かきっと、胸を張って川の向こうへと辿り着きたい…



「ムーン・リバー」


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tags : 1961年  月/星 映画-60's グラミー最優秀レコード賞 グラミー最優秀楽曲賞 アカデミー歌曲賞 歴史的名曲 

comment(10) 

「セイリング」クリストファー・クロス

2016.07.15

category : Christopher Cross

Christopher Cross - Sailing1 Christopher Cross - Sailing2


Christopher Cross - Sailing (1980年)



~海のシーズンの始まり~

7月18日、九州~東海地方で“梅雨明け”が発表されました。
全国各地では同日から真夏日を記録、早い所では小学校が夏休みに入り、本格的に海のシーズンの始まりです!

『海の日』でもあるこの期間、大型練習帆船“海王丸”(97.05m/2,238.40t)が展示される富山県射水市では7/16-18に『海王丸パークフェスティバル』が催され、17日には“海を愛するタモリの日本一楽しいヨットレース”『タモリカップ富山大会』も開催されました。

…今回は、そんな選曲です♪ 



~概要~

「セイリング」は1979年12月に発表されたクリストファー・クロスのデビュー・アルバム『南から来た男(Christopher Cross)』からの2ndシングルで、翌年8/30付Billboard Hot 100のNo.1(1週/年間32位)に輝いた曲です。
アルバムからは既にドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドがバック・ヴォーカルを務めた1stシングル「Ride Like The Wind」が大ヒットし、続くシングルには「I Really Don't Know Anymore」が第一候補に挙がっていましたがこれもマイケルのヴォーカルをフィーチャーしていたため権利関係に問題が生じるのを回避し次善として選ばれたのが「Sailing」でした。

ヒット・チャート以上に圧巻だったのは1981年の第23回グラミーで、クリストファーは「セイリング」で“最優秀レコード賞”“最優秀楽曲賞”“最優秀ヴォーカル入りインストゥルメンタル編曲賞”を受賞、アルバム『Christopher Cross』は“最優秀アルバム賞”を、さらに“最優秀新人賞”を加え都合5部門に輝いたことで話題を呼びました。
とりわけこの年のクリストファーが成し遂げた“グラミー主要4部門独占”史上初の快挙であり、58回を数えた現在までもそれを達成し得たのは彼以外にありません。


「Sailing」の魅力は何といってもクリストファーの純水のように澄み切った美しい歌声と、静かに流れる風と穏やかな波を思わせるギターの音色で、そこに派手さはないものの涼しげな心地よさはまさにAORを象徴する上品な大人テイスト。
クリストファーはこの作品を自身の最高傑作の一つと捉えており、デビュー作にしてあまりに洗練された完成度の高いアルバムを生み出してしまったせいか、グラミーにノミネートされた後も“デビュー・アルバムの勢いが今すぐ止まり2ndアルバムのころ僕という存在が忘れ去られてしまったとしても、年老いた僕は死の床で、昔全米No.1を記録しグラミー5部門にノミネートされたんだよ、って言える”と言及するほど、これを誇りにしていたそうです。
しかしこれほど類い稀なる美声を持ち、「Sailing」をはじめとする作曲能力を備えながら、本人の言葉通り翌年の「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(過去ログ)を境に本当に失速してしまうとは、この時誰が想像したことでしょう…。

 時代は、“美声より美男”を求めたってことじゃね?

 



~Lyrics~

Well, it's not far down to paradise
パラダイスは遠くはない
At least it's not for me
…少なくとも、僕にとっては

クリストファーがこの作品の創作を始めた時、すぐに最初の部分が閃いたそうです。
そのあまりの出来ばえに、“Wow, これメチャクチャいい感じ!”と有頂天になってアパートを飛び出すほどでした…
…が、全体を完成させるまで実に2年かかったそうです! 

サスガに2年は無くとも、ブログをやっているとこんな経験ってありません?


It's not far to never-never land
ネバーランドは遠くはない
No reason to pretend
それを偽る理由もない

【never-never land】は“おとぎの国・(夢や空想にしか存在しない)理想郷”という意味であり、【Neverland】はマイケル・ジャクソンの邸宅…
…ではなくて、ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーター・パン』に出てくる国
原作でネバーランドは“海を2つ、夜を3回越えた先に存在する”とされ、子どもたちは年をとることがない…
…とされますが、実はその裏にはとっても怖いヒミツが隠されている!? 

 “うまい話にゃ裏がある”…、オレたちの世界の常識さ♪


Sailing takes me away
Sailing... 連れて行っておくれ
To where I've always heard it could be
ずっと、夢でしか叶わないといわれた場所

【sail】は“帆”であり、この静かな曲調から直感的に穏やかな内海でヨットを楽しんでいるようにも思えますが、歌詞全体を見渡すと意外に“大航海”なのかもしれません。
主人公は、その魅力に取り憑かれているのでしょうか…。

【Sailing】をテーマにした理由についてクリストファー自身は、少年時代に毎年夏に友人とセイリングして遊んだ思い出を挙げており、当時のいろんな悩みを忘れさせてくれたと語っています。
私の少年時代は毎年素潜りを楽しみにしていましたが、あなたは何を楽しみにしていたでしょうか…。



~Epilogue~

現在も人や大量の物資を世界中に届け、食料供給や文明発展の大きな役割を担っている船舶。
確認されている最古の記録によると、人類が風を動力とした帆船を用いたのは少なくとも紀元前4,000年頃からだそうです。
帆船が最も輝かしい功績を挙げたのは、新大陸をはじめ世界の未知なる航路を次々と発見した15~18世紀の“大航海時代”。
19世紀は全盛と衰退の時期で、世紀の後半には産業革命の産物である蒸気船に海の主役の座を奪われることとなります。

帆船の特徴は何といっても風を捉えるための大きな帆(sail)ですが、帆船ってどれ位の速度で推進するかご存知でしょうか?
たとえば日本最大のクルーズ客船『飛鳥Ⅱ』(241m/50,142t)の巡航速度は約18ノット=33.3km/h(最高21ノット)であるのに対し、現代・世界有数の速度を誇る日本の大型帆船『海王丸II世』(110.09m/2,556t)はISTA(国際セイルトレーニング協会)の帆船レースで平均速度11.2ノット=20.7km/h(124時間で1,394海里を帆走)という歴代最高(1995年)を記録しているそうです。
…しかし一旦無風状態が続くと1日の航走距離が僅か13kmということもあるそうで、それも“風頼み”の宿命といったところでしょう(このため、補助動力としてディーゼル・エンジンも搭載されている)。


And if the wind is right
もしも風が力を貸してくれたなら
you can sail away and find serenity
君は航海を遂げ、麗らかな世界へと辿り着けよう

21世紀の風は、私たちにどんな恵みをもたらせてくれるのでしょう…。
確かに、化石燃料と原動機の開発により、風は人類の繁栄に重要な意味を持たなくなったかもしれません。
しかし化石燃料資源を殆んど埋蔵しないこの国だからこそ、21世紀はますます風の力が必要になると、私は思っています。

あたたかい太陽の光や、爽やかに流れる風、膨大な海の水を世界に巡らす潮、火山国だからこそ尽きることなく湧き出す熱…
豊かな自然は時に災害を併せ持つけれど、だからこそ彼らを汚したり怒らせたりする営みを慎み、学び、セイリングの時のように自然と語り合いたい。
海は広い心で迎え入れ、きっと麗らかな世界へと導いてくれる…。



「セイリング」


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tags : 1980年 AC  清涼感 美声 グラミー最優秀レコード賞 グラミー最優秀楽曲賞 

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