こうした架空のバンドによるショウであることを印象づけるために考え出されたのが「サージェント・ペパーズ」と同じメロディーを基調としながらリズムやコードに変化を与えた「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」で、本流である「サージェント・ペパーズ」を【ウェルカム・ソング】という位置付けでアルバムの冒頭に置き、その支流である「リプライズ」を最後に配置して【グッバイ・ソング】とする…というロード・マネージャーのニール・アスピノールのアイデアが採用されたものです(但し、実際は「A Day in the Life」が最終曲で、厳密には更に一部の若者にしか聴こえない高周波音の「Sgt. Pepper Inner Groove」も隠しトラックとして存在する)。 こうして【世界初のコンセプト・アルバム】と後に評される企画は掲げられたものの、“ショウ”の臨場感を再現するコンセプトは実際はごく一部の作品に止まっており、寧ろもたらされたアルバム最大の産物は“高度なスタジオワークによって生み出された画期的なサウンド”だったといえます。
ビートルズのメンバーで最初に本曲をコンサートでライブ演奏したのはもちろんポールですが(1989年)、実はそれ以前に【ほぼビートルズ】が演奏を披露していました! 実現したのは1979年5月19日のエリック・クラプトンとパティ・ボイドの結婚式で、式に参加したポール、ジョージ、リンゴとエリックによって演奏されています(ジョン・レノンは式に参加しておらず、“もし招待を受けていれば式に出席していただろう”と述べている)。 その後ポールのコンサートで度々演奏されていますが、リンゴのグラミー生涯業績賞の式典などで「With A Little Help From My Friends」(過去ログ)とのメドレーによって【半分ビートルズ】も成立させています。
そのほか特筆すべきといえば、1978年にミュージカル映画『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(邦題;サージャント・ペッパー)が制作されたことでしょう。 『サージェント・ペパーズ』の世界観やビートルズの楽曲に基づくロック・オペラのような内容ですが、驚くべきは出演者! ピーター・フランプトン(ビリー・シアーズ)とビー・ジーズ(ヘンダーソン3兄弟)を中心としてエアロスミスやアリス・クーパー、アース・ウインド&ファイアーやビリー・プレストンほか超豪華なメンツによってビートルズの名曲の数々が演じられています。
~Lyrics~
Sgt. Pepper's lonely... ペパー軍曹はひとりぼっち Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band ペパー軍曹の恋人募集バンド
【Sgt. Pepper】の由来は、1966年12月に移動中の飛行機内でロードマネージャーのマル・エヴァンスに“塩とコショウ(salt'n pepper)を取ってくれ”と言われたのを、ポールが[Sgt. Pepper]と聞き違え、そこから“ちょっと待てよ、いいアイデアを思いついた!”とアルバム・コンセプトに結び付けたことでした。 当時【Big Brother and the Holding Company】(独裁国家と持株会社;ジャニス・ジョプリンが所属)といった長たらしい意味不明なバンド名が流行っていたらしく、[Sgt. Pepper's...]というネーミングもそうした影響といわれます。
むしろ、興味深いのはそれに続く【Lonely Hearts Club Band】です。 ただのバンド名と解するのもいいですが、【lonely heart】は“交際[結婚]相手を求めている独身者”という意味もあり、新聞などで恋人募集欄のタイトルに用いられる一般的な言葉でもあります。 突拍子もない解釈に思われるかもしれませんが、以下に続く歌詞を勘案すると満更でも…?
ご存知のように「サージェント・ペパーズ」は2曲目の「With a Little Help from My Friends」(過去ログ)とメドレーになっており、それを歌っているのはリンゴ・スターであることから、ここに紹介される【Billy Shears】が誰を指すかは言うまでもありません。 本アルバムに於いてBilly Shearsの歌唱はこれ1曲のみですが、ビートルズ解散後1973年のリンゴのソロ・アルバム『Ringo』の「I'm the Greatest」(ジョン・レノン作)でリンゴ自身が[Yes, my name is Billy Shears]と歌っています。
ジェフは16歳でアビー・ロード・スタジオのアシスタント・エンジニアとして採用され「Love Me Do」や「抱きしめたい」(過去ログ)などビートルズの数多くのレコーディング・セッションでアシスタントを務め、『Revolver』でチーフ・エンジニアに昇格、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』と『Abbey Road』でグラミー【Best Engineered Album, Non-Classical】を受賞するなど、ビートルズ・サウンドに欠かせないレコーディング・エンジニアでした。
It's wonderful to be here 素晴らしいひととき It's certainly a thrill もちろん、ぞくぞく感も楽しめます
今回は、ポールの『Freshen Up Tour』のセットリストの中から、ジェフ・エメリックの貢献を感じさせる作品を選曲しました(ツアーで演奏されているのは「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」)。 ビートルズのメンバーの中では特にポールと親しく、ウイングス時代の『Band on the Run』(過去ログ)でもエンジニアとしてグラミーを受賞し、結婚式もポールの田舎の家の近くで挙げるほど友情が育まれていたそうです。 そんなポールの、古き友への追悼の言葉…
また、翌日に行われた“ザ・ビートルズ・トリビュートライブ ~グラミー・スペシャル・コンサート(The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles)”では、ビートルズに敬意を表してスティーヴィー・ワンダーやジョー・ウォルシュ、スティーヴ・ルカサー、ユーリズミックス、、マルーン5、アリシア・キーズ、ジョン・メイヤー、ケイティ・ペリー他グラミー・アーティストがビートルズの楽曲を演奏しています。
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」(以下「ウィズ・ア~」)は1967年6月1日リリース(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲です。 このアルバムは1曲目のタイトル曲が“Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”という架空バンドの紹介作品になっていて、それに続く形でバンドの歌手“ビリー・シアーズ(リンゴ・スター)”が「ウィズ・ア~」を歌うという設定になっています。
クレジットはお馴染み“レノン=マッカートニー”ですが実際はポールの手による作品で、ビートルズによるシングル・カットはなく翌68年にカバーしたジョー・コッカーは全英1位(全米68位/因みに、ギターはジミー・ペイジ)を記録し彼の代表作となった他、1988年のウェット・ウェット・ウェット、2004年のサム・アンド・マークのバージョンも全英1位を獲得するなど時代を越えて愛され続け、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time”でも304位にランクされました。
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」は1967年6月1日発売(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』の収録曲です(以降、「ミスター・カイト」『サージェント・ペパー』と略します)。 『サージェント・ペパー』は非常に実験的な試みに挑戦しながら、尚且つ専門家・大衆共に高い評価を得たという点で“ビートルズの最高傑作”であり、50年近く経つ現在もローリング・ストーン誌の“500 Greatest Albums of All Time”で堂々の1位にランクされています。
「ミスター・カイト」は、骨董品集めが趣味のジョン・レノンが「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の撮影でイングランド南東部ケント州・セヴンオークスを訪れた際、骨董屋で見つけた“古いサーカス団の宣伝ポスター”にインスピレーションを得た作品です(上の写真で、ジョンが指差してるポスターがそれ)。 もちろん作者・ヴォーカル共にジョンですが、ポールの自伝『Many Years From Now』に由るとポールとの共作とも伝えられています。 ジョンがハモンド・オルガンとピアノ、ポールがアコースティック・ギター と ベース、ジョージとリンゴがハーモニカ と打楽器類を担当する変わった編成となっていて、今回の動画の映像イメージは実際と一致しないことを心置きください。