I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」ビートルズ

2018.10.26

category : Beatles & Solo

Beatles - Being for the Benefit of Mr Kite1 Beatles - Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band1


The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967年)



~概要~

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(以降「サージェント・ペパーズ」)は1967年5月26日(米6/2,日7/5)に発売されたビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のタイトル曲です。
作詞/作曲のクレジットはレノン=マッカートニーですが実際の作者はポール・マッカートニーで、ポールはリード・ヴォーカル&ベースに加えて、リード・ギターも務めています。

1966年8月の『Revolver』の後、ビートルズは次回作のテーマを【少年時代】と設定し同年11月からジョンの「Strawberry Fields Forever」を、12月からポールの「Penny Lane」(過去ログ)のレコーディングを始めていますが、翌67年2月1日にポールが「サージェント・ペパーズ」の楽曲と“ビートルズがペパー軍曹(架空の人物)のバンドに扮したショウをアルバムに仕立てる”という新しいアイデアを持ち込むと、メンバーやプロデューサーのジョージ・マーティンもこれを承認、テーマは【サージェント・ペパーズ】に変更されることになりました。

こうした架空のバンドによるショウであることを印象づけるために考え出されたのが「サージェント・ペパーズ」と同じメロディーを基調としながらリズムやコードに変化を与えた「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」で、本流である「サージェント・ペパーズ」を【ウェルカム・ソング】という位置付けでアルバムの冒頭に置き、その支流である「リプライズ」を最後に配置して【グッバイ・ソング】とする…というロード・マネージャーのニール・アスピノールのアイデアが採用されたものです(但し、実際は「A Day in the Life」が最終曲で、厳密には更に一部の若者にしか聴こえない高周波音の「Sgt. Pepper Inner Groove」も隠しトラックとして存在する)。
こうして【世界初のコンセプト・アルバム】と後に評される企画は掲げられたものの、“ショウ”の臨場感を再現するコンセプトは実際はごく一部の作品に止まっており、寧ろもたらされたアルバム最大の産物は“高度なスタジオワークによって生み出された画期的なサウンド”だったといえます。


既にコンサート活動を止めていたためビートルズが本曲をライブ演奏することはありませんでしたが、「サージェント・ペパーズ」を世界で初めてライブ演奏したのは、デビューしたばかりのジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)でした。
ポールは当初からジミを非常に高く評価しており、彼がシャフツベリー・アベニューにあるサヴィル・シアターで行われたジミのコンサートを観に行ったところ「サージェント・ペパーズ」が演奏され。甚く感動したことを次のように語っています。
ビートルズの『サージェント・ペパーズ』が金曜日に発売されて、そのたった2日後の日曜日に、ジミはそれをステージで演奏したんだ。あの曲を初めてライブ演奏したのは、ビートルズではなくジミなんだよ。演奏は例の調子で、ギューン!バーン!と素晴らしかった…

ビートルズのメンバーで最初に本曲をコンサートでライブ演奏したのはもちろんポールですが(1989年)、実はそれ以前に【ほぼビートルズ】が演奏を披露していました!
実現したのは1979年5月19日のエリック・クラプトンとパティ・ボイドの結婚式で、式に参加したポール、ジョージ、リンゴとエリックによって演奏されています(ジョン・レノンは式に参加しておらず、“もし招待を受けていれば式に出席していただろう”と述べている)。
その後ポールのコンサートで度々演奏されていますが、リンゴのグラミー生涯業績賞の式典などで「With A Little Help From My Friends」(過去ログ)とのメドレーによって【半分ビートルズ】も成立させています。


そのほか特筆すべきといえば、1978年にミュージカル映画『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(邦題;サージャント・ペッパー)が制作されたことでしょう。
『サージェント・ペパーズ』の世界観やビートルズの楽曲に基づくロック・オペラのような内容ですが、驚くべきは出演者!
ピーター・フランプトン(ビリー・シアーズ)とビー・ジーズ(ヘンダーソン3兄弟)を中心としてエアロスミスやアリス・クーパー、アース・ウインド&ファイアーやビリー・プレストンほか超豪華なメンツによってビートルズの名曲の数々が演じられています。


 
 



~Lyrics~

Sgt. Pepper's lonely...
ペパー軍曹はひとりぼっち
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
ペパー軍曹の恋人募集バンド

【Sgt. Pepper】の由来は、1966年12月に移動中の飛行機内でロードマネージャーのマル・エヴァンスに“塩とコショウ(salt'n pepper)を取ってくれ”と言われたのを、ポールが[Sgt. Pepper]と聞き違え、そこから“ちょっと待てよ、いいアイデアを思いついた!”とアルバム・コンセプトに結び付けたことでした。
当時【Big Brother and the Holding Company】(独裁国家と持株会社;ジャニス・ジョプリンが所属)といった長たらしい意味不明なバンド名が流行っていたらしく、[Sgt. Pepper's...]というネーミングもそうした影響といわれます。

むしろ、興味深いのはそれに続く【Lonely Hearts Club Band】です。
ただのバンド名と解するのもいいですが、【lonely heart】は“交際[結婚]相手を求めている独身者”という意味もあり、新聞などで恋人募集欄のタイトルに用いられる一般的な言葉でもあります。
突拍子もない解釈に思われるかもしれませんが、以下に続く歌詞を勘案すると満更でも…? 

余談ですが、「サージェント・ペパーズ」と聞いてピンク・レディーの「ペッパー警部」を連想される方もあるでしょう。
「ペッパー警部」には英語ver.もあって、そのタイトルは「Sergeant Pepper」
【Sgt.(sergeant)】は、警察階級では一般的に“巡査部長”と訳されます)




You're such a lovely audience
これほど素敵なお客さま方
We'd like to take you home with us
あなたを家までお送りしてあげたい…

普通だと、この言葉は“社交辞令”と受け流すところですが…
バンド名の解釈を“恋人募集バンド”としてみると、こんなフレーズが含まれている説明もつきます。

軍隊というと男所帯と堅苦しいイメージであり、だからこそ鬼軍曹が指揮するバンド活動は意外と切実な事情からだった…と想像してみるのも一興かもしれません。
そもそもロック・バンドって、“そういう動機”もあるでしょう? 


So let me introduce to you
ご紹介させてください…
The one and only Billy Shears
天下に二人とないシンガー、ビリー・シアーズ!

【shear】は“大ばさみ・植木ばさみ”で、【pepper(コショウ)】同様どこかユーモラスです。
ポールはこの点について、“Shearsは単にyears(一番の歌詞)の語呂合わせさ。でも「Eleanor Rigby」(過去ログ)みたいに凄く雰囲気のある名前だと思った”と語っています。

ご存知のように「サージェント・ペパーズ」は2曲目の「With a Little Help from My Friends」(過去ログ)とメドレーになっており、それを歌っているのはリンゴ・スターであることから、ここに紹介される【Billy Shears】が誰を指すかは言うまでもありません。
本アルバムに於いてBilly Shearsの歌唱はこれ1曲のみですが、ビートルズ解散後1973年のリンゴのソロ・アルバム『Ringo』の「I'm the Greatest」(ジョン・レノン作)でリンゴ自身が[Yes, my name is Billy Shears]と歌っています。



~Epilogue~

24歳の若さで『サージェント・ペパーズ』という歴史的音楽を創作したポール・マッカートニーも、2018年の6月で76歳を迎えました。
24歳でコンサート活動を止めたはずのポールですが、76歳を迎えた今日にあっても24歳の頃に負けない情熱で世界を飛び回ってコンサート活動を続けています。

今年9月に発表した新作『Egypt Station』に基づいてスタートした『Freshen Up Tour』により、10/31から日本公演が予定されていますが、このお方は幾つになっても“変わったコト”がお好きです!
先月の【追加公演】告知ではポール本人が登場し、『両国国技館公演(11/5)』を発表しました。
ポールの相撲好きは有名ですが、まさか彼自身がその土俵…じゃなかった、ステージに立とうとは!
日本武道館に比べ音楽イベントのイメージの薄い両国国技館ですが、1985年に甲斐バンドが初めてコンサートを行い、1988年にはアイドル歌手ティファニーも公演に使用するなど、近年は年に数回程度コンサート会場として使われることがあるそうです。

 Beatles - Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band2


そんな明るい話題の一方、ビートルズ・ファンにとって【悲しい知らせ】もありました。
ビートルズやポール・マッカートニーの数々の作品を手掛けたことで知られるレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリック(Geoff Emerick/写真右)がこの10月2日に亡くなったことです(享年72)。

ジェフは16歳でアビー・ロード・スタジオのアシスタント・エンジニアとして採用され「Love Me Do」や「抱きしめたい」(過去ログ)などビートルズの数多くのレコーディング・セッションでアシスタントを務め、『Revolver』でチーフ・エンジニアに昇格、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』と『Abbey Road』でグラミー【Best Engineered Album, Non-Classical】を受賞するなど、ビートルズ・サウンドに欠かせないレコーディング・エンジニアでした。

とりわけビートルズ中期は革新的なサウンドを次々と世に送り出した時期ですが、ちょうどこれはジェフがチーフ・エンジニアに昇格した時期と重なります。
当時20歳前後と若いジェフの真骨頂ともいえたのが“古い常識に囚われないチャレンジ精神”で、高価でデリケートなマイクを楽器やアンプにベタ付けしたり、ドラムスの革に穴を開けて中にマイクを設置するといったタブーを恐れず挑戦するなど、そうした彼の姿勢が反映されたのが『Revolver』や『Sgt. Pepper's』の革新的なサウンドだったのです。

It's wonderful to be here
素晴らしいひととき
It's certainly a thrill
もちろん、ぞくぞく感も楽しめます


今回は、ポールの『Freshen Up Tour』のセットリストの中から、ジェフ・エメリックの貢献を感じさせる作品を選曲しました(ツアーで演奏されているのは「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)」)。
ビートルズのメンバーの中では特にポールと親しく、ウイングス時代の『Band on the Run』(過去ログ)でもエンジニアとしてグラミーを受賞し、結婚式もポールの田舎の家の近くで挙げるほど友情が育まれていたそうです。
そんなポールの、古き友への追悼の言葉…

僕は彼のことをいつだって深い愛情と共に思い出すだろうし、彼の仕事が音楽通の人たちの記憶に長く留まるだろうということを、僕は知っている

ここまで長い記事をお読みになるあなたなら、まさに同感でしょう? 



「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」


続きはこちら >>

スポンサーサイト



tags : サージェント・ペパーズ サイケデリック ギター 

comment(2) 

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」ビートルズ

2014.02.01

category : Beatles & Solo

Beatles - With A Little Help From My Friends1 Beatles - With A Little Help From My Friends2


The Beatles - With A Little Help From My Friends (1967年)


~Prologue~

1月26日(日本時間27日)に米・ロサンゼルスで第56回グラミー賞が行われ、ビートルズが“生涯業績賞(Lifetime Achivement Award)”を受賞、元メンバーのポール・マッカートニーとリンゴ・スターと共にオノ・ヨーコ、オリヴィア・ハリスンが一同に会しました。
授賞に際しポールの新曲「クイーニー・アイ」のパフォーマンスではリンゴがドラムを叩き、80歳のヨーコ(&ショーン)がそれを見て楽しそうに踊るサプライズも見られましたよ♪

また、翌日に行われた“ザ・ビートルズ・トリビュートライブ ~グラミー・スペシャル・コンサート(The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles)”では、ビートルズに敬意を表してスティーヴィー・ワンダーやジョー・ウォルシュ、スティーヴ・ルカサー、ユーリズミックス、、マルーン5、アリシア・キーズ、ジョン・メイヤー、ケイティ・ペリー他グラミー・アーティストがビートルズの楽曲を演奏しています。

このステージではポールとリンゴもそれぞれビートルズのヒット曲を披露(計10曲)、そして…
ラスト2曲ではポールとリンゴが共演し、盛大にその幕が閉じられました。
その2曲というのが「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」で、特に「ヘイ・ジュード」はビートルズ解散以降初の共演であり、約半世紀ぶりのことで感慨深いものがあります…。
(どうせなら、ジュリアンも招待して欲しかった!)

このライブの模様は2月11日にWOWOWで放送されるので、視聴可能な方は心にお留め置きくださいね♪


~概要~

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」(以下「ウィズ・ア~」)は1967年6月1日リリース(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲です。
このアルバムは1曲目のタイトル曲が“Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”という架空バンドの紹介作品になっていて、それに続く形でバンドの歌手“ビリー・シアーズ(リンゴ・スター)”が「ウィズ・ア~」を歌うという設定になっています。

クレジットはお馴染み“レノン=マッカートニー”ですが実際はポールの手による作品で、ビートルズによるシングル・カットはなく翌68年にカバーしたジョー・コッカーは全英1位(全米68位/因みに、ギターはジミー・ペイジ)を記録し彼の代表作となった他、1988年のウェット・ウェット・ウェット、2004年のサム・アンド・マークのバージョンも全英1位を獲得するなど時代を越えて愛され続け、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time”でも304位にランクされました。

友情をテーマにしたこの歌は、いかにも温厚な人柄のリンゴに似つかわしいテイストで、ソロになってからも彼にとって欠かせない作品です。
1989年から彼のライフ・ワークとなっている“リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド”によるツアーは、まさに彼の人望を物語る豪華な友人達で毎回編成され、この曲はその象徴曲でもあります。
しかし何と言ってもファンにとって嬉しいのは、2009年のデヴィッド・リンチ(映画監督;『ツイン・ピークス』が有名)主催のチャリティー・ライブでビートルズ解散後、初めて“盟友”ポールとこの曲を共演したことではなかったでしょうか!

今回グラミーで2度目が叶ったワケですが、残念ながらグラミーの映像は現在ないので2009年の貴重な映像をご覧ください♪




~この曲はリンゴが歌うからこそ、意味がある~

ビートルズの特筆すべき点の一つに、“メンバー全員がヴォーカルを執る”というのがあります。
ドラマーであるリンゴにも、デビュー以来アルバムで1曲はそれが任されていました(未収録のもある)。
しかし、他のメンバーと異なり元々彼はヴォーカル志向ではなかったし、幼少時病気がちで満足に学校教育を受けられなかったため識字が弱く、作詞作曲はおろか歌詞を見て歌うことにさえ不自由があったのです。
おまけに声域が狭いため、歌える曲も限られ…。

そのため彼は当初から古いカバー曲や、楽曲に余裕のあるジョンやポールに曲を提供してもらって“1曲 /アルバム”を果たしてきたのです。
しかしジョンもポールも、余裕がある限りに於いてはリンゴへの支援を惜しむことはありませんでした。
ユーモアがあって穏やかな彼の人柄は、誰からも愛されたからです。

「ウィズ・ア~」はポールが作りましたが、そんなリンゴの持ち味を上手く歌詞や曲調に込めています。
ただし、当のリンゴからはダメ出しを食らっていて、
“最後音程が上がって終わる所、高過ぎて歌えないから変えて!”
と彼に要求されましたが、そこはポールも“音楽の鬼”…。

“調子っ外れになっても僕は耳を傾けてあげるから、僕のために頑張って歌ってΨ(▼皿▼)♪”
…と言ったかどうかはワカりませんが、この要求を撥(は)ね退けたそうですよ!


~Lyrics~

Lend me your ears and I'll sing you a song,
そんな時も耳を傾けてくれたなら、君のために歌おう…
And I'll try not to sing out of key.
キーを外さないよう頑張ろう…って気持ちになれるんだ

上の、ポールのキツ~い切り返しの言葉は、この部分を用いたフィクションです(要求を撥ね退けたのは本当)。
でも、“こういうもの”ですよね…。
下手だからって誰も聴いてくれなければ、歌う気もなくなってしまいます。
根気強く聴いてあげて場数を踏めば、いつかはきっと上手くなる!

“…ジャイアンでも?”
げっ…!?


What would you think if I sang out of tune,
もし僕が調子っ外れで歌ったら、君はどうする?
Would you stand up and walk out on me.
席を立ち、見捨てて行ってしまう?

冒頭の部分。
実は“2行目”は当初、こうでした…
Would you stand up and throw tomatoes at me?
席を立ち、僕にトマトを投げつける


これを見たリンゴは“イヤな予感”がして、“将来この曲をステージで歌った時、本当にトマトを投げつけられたら嫌だ”と言って、ポールに書き換えてもらったそうですよ!
ナンとなく、ワカるような…?


What do you see when you turn out the light?
(灯りを消したら、何を見るの?)
I can't tell you, but I know it's mine.
そんなの人に言えないよ、僕だけの秘密さ

大好きなトコロです。
この歌はメイン・ヴォーカルのリンゴと、コーラスの“問答歌”となっています。
たぶんこれは“ベッドに入るとき何を想う?”という意味と思いますが、そりゃあ“ステキな夢”は自分だけのものにしておきたいでしょ!
(案外、“ムフフな夢”だったりして?


~Epilogue~

私たちが天から与えられた才能には差異があり、得意分野も人それぞれです。
ここでは曲を作れないリンゴが、才能豊かなジョンやポールに“おんぶに抱っこ”のように映るかもしれませんが、事実はそうではありません。
グループの人間関係が悪くなったとき彼らの天才は何の役にも立たず、彼らの間を取り持っていたのがリンゴでした。
リンゴが非公式にグループを脱退した時、彼らが必死になって留めようとしたことでもわかるように、彼らもリンゴの助けを必要としていたのです。

どんな人間であれ、誰かの助けなしに生きることなどできはしません。
実は、メロディーに収まらなかったため省かれましたが、この曲のタイトルは本来「With a little bit of help from my friends」というものでした。
“友達の助けの(一片)さえあれば…”

ビートルズが4人の友達であるために欠かせぬ大切な“bit(かけら)”こそ、
リンゴその人だったと私は思うのです…。



「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」


続きはこちら >>

tags : 1967年 友情 サージェント・ペパーズ ほっこり 偉大な曲 

comment(8) 

「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」ビートルズ

2013.10.07

category : Beatles & Solo

Beatles - Being for the Benefit of Mr Kite1 Beatles - Being for the Benefit of Mr Kite2


The Beatles - Being for the Benefit of Mr. Kite!(1967年)


~お知らせ~

これまで和訳動画とブログを同時並行で制作してまいりましたが負担も大きく、永続的なカタチではないと判断して和訳動画を毎回の必須とはしないことにしました。
動画を楽しみにしてくださった方にはとても心苦しい決断ですが、その際音楽は既存の動画を充てることになりますのでどうかご了承ください。
ただ、本筋である“Lyrics&和訳”はブログ上でこれからも公開していくつもりなので、引き続きお楽しみ頂けたらうれしいです。

“本文に解説文”を、“追記に歌詞”という形で分けて掲載いたしますので、“Lyrics&和訳”は動画の下にある
続きはこちら>>”をクリックして表示させてくださいね♪

以上、これからも当ブログを宜しくお願いいたします。


~Prologue~

先月のビートルズ特集に続いて、今回も11月12日からのポール・マッカートニーのワールド・ツアー『Out There!』を記念して、ツアーで演奏されている作品をご紹介しています。
えっ?“この曲はジョン・レノンの歌じゃないか!”って?
実は今回のツアーの目玉の一つは、“ポールが、今は亡き二人の曲を歌う”ことにあります。
…ということで、今回はそういう視点からの選曲となっていますよ♪

ところで、先日体操の世界選手権で金メダルを獲得した内村航平&白井健三・両選手が幼少から愛用し、
その強さの秘密こそがこの歌の主人公の得意技でもあるのですが、さてそれは一体何でしょう?
(ヒントは歌詞の中にあり、正解は本文中ので示しています!)


~概要~

「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」は1967年6月1日発売(英)のビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』の収録曲です(以降、「ミスター・カイト」『サージェント・ペパー』と略します)。
『サージェント・ペパー』は非常に実験的な試みに挑戦しながら、尚且つ専門家・大衆共に高い評価を得たという点で“ビートルズの最高傑作”であり、50年近く経つ現在もローリング・ストーン誌の“500 Greatest Albums of All Time”で堂々の1位にランクされています。

「ミスター・カイト」は、骨董品集めが趣味のジョン・レノンが「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の撮影でイングランド南東部ケント州・セヴンオークスを訪れた際、骨董屋で見つけた“古いサーカス団の宣伝ポスター”にインスピレーションを得た作品です(上の写真で、ジョンが指差してるポスターがそれ)。
もちろん作者・ヴォーカル共にジョンですが、ポールの自伝『Many Years From Now』に由るとポールとの共作とも伝えられています。
ジョンがハモンド・オルガンとピアノ、ポールがアコースティック・ギター と ベース、ジョージとリンゴがハーモニカ と打楽器類を担当する変わった編成となっていて、今回の動画の映像イメージは実際と一致しないことを心置きください。


~Sound~

“おがくずを床に敷いたサーカスの雰囲気”という難しいサウンド・イメージの注文をジョンに突きつけられたプロデューサーのジョージ・マーティンは、手動式のスティーム・オルガンを思い付きますが使えそうなものが無かったためヴィクトリア調で録音された古いレコードをテープに録り直し、これを数センチ毎に細切れにしてバラし、またそれをランダムに繋ぎ合わせ一つにミックスするという奇策で応えてみせました。
エンジニアのジェフ・エメリックがこの曲のタイトルを「フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」と間違った際に、わざわざ“「ビーイング~」だ”と念を押すほどこの作品に対し思い入れのあったジョンにとっても、彼の仕事の成果には大いに喜んだそうです。
ところが作品が発表されるやジョンは自ら“つまらない曲だ”と評すようになり、死の直前には“すばらしい曲だ”と一転させた…
というのは、いかにも彼らしいエピソードと言えるでしょうか…。
(作品に対するジョージ・マーティンの功績が大きく評価されたため、プライドが傷ついた?)

一方で「 Being…」という変なタイトルといい主人公を紹介する語り口といい、ポールの「Sgt. Pepper's…」をかなり意識したと思われる節があります。
このころ二人の主導権争いは熾烈で、ポール主導の『Sgt. Pepper's…』で進みそうなプロジェクトを、あわよくば“『 Being…』にしよう”という野心が隠されていると見るのは、飛躍し過ぎ…?


~Lyrics~

上でも少し触れたように、この作品は実在した“サーカス団の1843年のポスター”をヒントに
…というか、歌詞はポスターの宣伝文句をそのまま“頂いちゃって”マスっ!
まず主人公の“Mr. Kite”はポスターに記載されるメンバーの一人で、1842~43年頃パブロ・ファンク・サーカスに所属した“William Kite”という人物を指すといわれます。
“Mr. H”は“John Henderson”というらしく、歌われているスゴ技のほとんどはミスター・カイトではなく実際には彼がやっていたようです。
当時のサーカスについては、チャップリンが演じるこの映像(?)をご覧になれば雰囲気だけでも分かる(笑ってしまう?)でしょう。


それにしても…
And of course Henry The Horse dances the waltz!
もちろん、馬のヘンリーもワルツを踊りますよ!

…このシーン、実際に見てみたい気がするのは、私だけ?
でも、ここにも面白いアソビ心が仕掛けられていて、このフレーズを歌った直後にリズムを三拍子に転じる演出を入れているので、お確かめくださいね!

あと…
Over men and horses hoops and garters
の、“garter”は靴下留めのガーターと同じ単語ですが、この場合の意味が不明確なので敢えて訳しませんでしたのでお伝えしておきます。


サーカスといえば動物曲芸や地上曲芸(ジャグリング他)、道化芸(ピエロ)など様々な見所がありますが、その中での一番の"華"はやっぱり空中曲芸ですネ!
空中ブランコに、綱渡りやトランポリン…
私も、ドキドキ・ハラハラしながら見上げた思い出があります。
歌の主人公ミスター・カイトは特にトランポリン技を得意としているようで、イメージ的にはこんなカンジでしょうか?(ミスター・カイトの場合は、更に火の付いた樽をくぐるようです!


~Epilogue~

最近は映画でもCGにより、ごく普通の俳優さんが何mもジャンプしたりジャッキー・チェンもできない超絶アクションを見せてくれますが、私はこうした映像に感慨を覚えることがありません。
一方で、これより見た目“地味”なオリンピック・アスリートのパフォーマンスに感動を覚えるのは、彼らが見せる技の一つひとつには血の滲むような努力が積み重ねられていると想像できるからです。
それはサーカスの曲芸も同じことで、彼らが人を喜ばせ驚かせるために日々の鍛錬を重ね磨いた技だからこそ、私たちもドキドキ・ハラハラさせられるのでしょう。

「ミスター・カイト」という音楽作品もまた同じで、今から約半世紀も前、シンセサイザーも使わずこれだけ豊かな音の表現を成し得た彼らの創造力には、驚嘆せざるを得ません
“サンプリング”一つでどんな音も再現できる現代のデジタル・サウンドしか聴いたことのない世代の方にも、
ぜひ耳を傾けて欲しい作品です。

まぁ…
ポールがライブでこの曲を再現できるのは、“その恩恵”でもありますけどネっ♪



「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」


続きはこちら >>

tags : 1967年 サイケデリック 物語 サージェント・ペパーズ 

comment(6) 

プロフィール

Beat Wolf

Author:Beat Wolf
ジャンルを問わず音楽が大好き♪


参加ランキング
最新記事

全タイトルを表示
Artists
リンク
このブログをリンクに追加する
☆『相互』をご希望の方は、お気軽に♪
最新コメント
QRコード
QR

Copyright ©I Wish~洋楽歌詞和訳&解説. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.