I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
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Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ゴー」エイジア

2022.10.11

category : Asia

Asia - Go (1985年)

エイジアらしいドラマティックなサウンドと、ジャケット・アートが実写化されたMVが秀逸 ♪

《すべての記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1985年 プログレ・ハード 葛藤 熱い スーパーグループ 名作MV 新型コロナ  

comment(6) 

「ヒート・オブ・ザ・モーメント」エイジア

2017.02.10

category : Asia

Asia - Heat Of The Moment1 Asia - Heat Of The Moment2


Asia - Heat Of The Moment (1982年)



~追悼 ジョン・ウェットン~

今回は1月31日に亡くなったイギリスのロック・バンド、エイジアのヴォーカリスト/ベーシストのジョン・ウェットン(John Wetton/享年67)の追悼記事です。

ジョン・ウェットンは1970年代前半からプログレッシブ・ロックの五大バンドの一つに数えられるキング・クリムゾン (King Crimson) のメンバーとして名を上げ、その後もロキシー・ミュージックやU.K.としてイギリスのロック界に輝かしい足跡を残しました。
その彼の訃報に対し、エイジアのメンバーをはじめ数多くのミュージシャン仲間から追悼の言葉が寄せられています。

一方、2014年にクリームの盟友ジャック・ブルースをギターで追悼したエリック・クラプトン(過去ログ「ホワイト・ルーム」)は、同じ時代を生きた仲間であるジョンに対しても「For John W」と掲げ、自らのギターによって彼の冥福に祈りを捧げました…。





~概要~

エイジアを語る上で必ず挙げられるのが“スーパーグループ(Supergroup)”という形容で、まさにその名に相応しい大物ミュージシャンによって構成されました。
結成当初のメンバーは…

vo/b; ジョン・ウェットン "John Wetton"(元キング・クリムゾン)
g/vo; スティーヴ・ハウ "Steve Howe"(元イエス)
key ; ジェフリー・ダウンズ "Geoffrey Downes"(元バグルス/イエス)
ds ; カール・パーマー "Carl Palmer"(元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)

プログレ五大バンドのうち3つまでが参加という信じられない豪華な顔触れが実現したことから、当時ロック界では“衝撃”として受け止められました。
1982年3月、1stアルバム『詠時感~時へのロマン(原題:Asia)』がリリースされ、デビュー・シングルとなった「Heat of the Moment」がBillboard Hot 100で3週連続4位(年間40位)と人気を牽引すると、アルバムもBillboard 200で9週No.1(年間No.1)に輝くなど、全世界で1500万枚をセールスする大成功を収めました。

一方、本国イギリスではシングル/アルバムが46位/11位と、アメリカとは正反対の評価となりました。
そのイギリスでの「Heat of the Moment」のシングルB面曲はアルバム収録の「Time Again」だったのに対し、それ以外の国ではアルバム未収録の「Ride Easy」が選曲されており、これは作者ジョン・ウェットンにとってエイジアでのフェイバレット・ソングだそうです(私も好き♪)。
その後も「Ride Easy」はオリジナル・アルバムには収められることはなく、1986年に日本のみで発売されたEP『Aurora』や日本公演を記録したDVD『Fantasia - Live In Tokyo 2007』に収録されています。

また、「Heat of the Moment」が大ヒットした要因の一つには“斬新なPV”があります。
画面分割を巧みに用いた印象的なこの映像を制作したのは「I'm Not in Love」で有名なバンド“10cc”のメンバーでもあるゴドレイ&クレーム (Godley & Creme)で、この2人はハービー・ハンコックの「Rock It」やポリスの「Every Breath You Take」といった80年代を代表する数々の名作を生み出したクリエイターであり、覚えておいででしょうか…当ブログで過去に特集したジョージ・ハリスンの“長ぁ~い楽器のフシギな映像”「When We Was Fab」のPVも彼らによる創作なのです!


ところで、バンド名が“Asia”というだけあって何かと日本と縁のあるエイジアですが、初来日は1983年に発表された2ndアルバム『ALPHA』の後のワールド・ツアーでした。
しかしその直前に“バンドの声”であるジョン・ウェットンがアルコール中毒のため一時メンバーを外されており、そのため急遽元キング・クリムゾン/ELPのグレッグ・レイク(vo/b)を招聘し三重県志摩市の”ヤマハリゾート合歓の郷”で1ヶ月間リハーサルを積んだ上で公演が行われました。
何かと共通点の多いこの2人ですが、そのグレッグ・レイクがジョンの僅か2か月前、昨年12月7日にジョンと同じ癌闘病の末に亡くなったというのも不思議な巡り合わせというものでしょうか…。


 



~Lyrics~

I never meant to be so bad to you
君を傷つけるつもりじゃなかった
One thing I said that I would never do
それだけは、決してしないと誓ったはずなのに

いきなり“後悔の念”を匂わせるフレーズですが、これはタイトルの「Heat Of The Moment」の具現でもあります。
【heat of the moment】は“その場の勢い・ものの弾み”と訳されるように、“後悔を招く浅はかな一瞬の熱情”といったニュアンスが含まれる言葉。

男性が女性に“決してしない”と誓うことというと…? 


One thing lead to another, we were young
二人は若く、それが引き金となって
And we would scream together songs unsung
歌にもならない悲鳴を上げる破目になったのさ

「Heat Of The Moment」の歌詞は作者であるジョン・ウェットンの実情を綴ったものであり、当時の彼の恋人ジルとの関係を基に創作されました。
ただし実際に別れたわけではなく、そうならないために“僕が間違ってました、ごめんなさい”をしたそうです!
その甲斐あって(?)後に二人は結婚を果たし… … … (10年後に離婚)

 …なぁ~んだ、謝っても結局同じじゃん!
 う~ん(返す言葉がない)…。


You can concern yourself with bigger things
興味の対象は、より大きなもの…
You catch a pearl and ride the dragon's wings
真珠を手にし、竜の翼に乗ること

“恋に恋する乙女”も、やがては“真珠に恋する女”へと変わるということか…

 …でも“竜の翼に乗る”は、「The Neverending Story」(過去ログ)みたいでステキな夢ね?
 フッ…ガキにゃ解るまいけどオレたちの“小悪魔ちゃん”なんか、こんな風に言ってるぜ!
   “ルパンはあたしにとって、可愛い操り人形♪” by 峰不二子
 …ドラゴンが操り人形!?

これは“純粋さを失ってしまった”のか、はたまた人として“学習・経験を積み重ねた成長”か…。 



~Epilogue~

And now you find yourself in '82
…そして'82年、君は気づく
The disco hot-spots hold no charm for you
ディスコはもう心躍る場所ではなくなったと

この年代を経験した方は、何となく“あの社会現象”を引き合いにしているとピンとくることでしょう? 
大ヒットや大流行した文化は時代の象徴でもありますが、それだけに後世からみると“古臭い”とか“時代遅れ”の標的とされるものでもあります。
それはディスコに限らず、エイジアもその宿命からは逃れ得ないようです…。

2005年、「Heat Of The Moment」はアメリカのコメディ映画『40歳の童貞男(The 40 Year Old Virgin)』の劇中歌に使われていますが、この主人公(スティーヴ・カレル)は21世紀になっても1982年の『Asia』のポスターを後生大事に部屋に飾ってあるキャラクターとして描かれており、彼が女性から相手にされない一つの象徴としてエイジアがネタとなっています。
ただし、当のジョン・ウェットンはそういう作品の使われ方を許容しているばかりか、この映画の大ファンなのだそうですよ!

 


It was the heat of the moment
それは一瞬の熱情
Telling me what my heart meant
心の奥が、訴えかける

目映いばかりに光を放って燃えた熱情…
たとえそれはただ一瞬の興奮に過ぎなかったとしても、その小さな火種が心の奥にある限り
またいつか、きっとすべてを熱く灯す炎となって甦ることだろう。



「ヒート・オブ・ザ・モーメント」


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tags : 1982年 ロック 名作MV ゴドレイ&クレーム 映画00's- スーパーグループ 

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「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」バッド・イングリッシュ

2014.02.24

category : John Waite

Bad English - When I See You Smile1 Bad English - When I See You Smile2


Bad English - When I See You Smile (1989年)


~最高の“ Smile ”ありがとう~

ソチ・オリンピック・フィギュアスケート女子フリー・スケーティング(FS)で浅田真央選手が見せた歓喜の笑顔、
そして競技の緊張から開放されたエキシビションでの、イタズラっぽい少女の笑顔…。
私たちがが見たかったのは“それ”だったのだと、改めて思わされました。

今日は、彼女が届けてくれた素敵な“ Smile ”のお礼として…


~Bad English~

“80年代最後のスーパー・グループ誕生!”
…そんな触れ込みで登場したロック・バンドがバッド・イングリッシュで、メンバーのニール・ショーン(g)とジョナサン・ケイン(key)は”ジャーニー (Journey)“、ジョナサンとジョン・ウェイト(Vo)、リッキー・フィリップス(B)が“ベイビーズ(The Babys)”だったことから、当初このプロジェクトは“ジャーニー復活!”とか“ベイビーズ再結成?”と囁かれました。

しかし実際にはベイビーズはジャーニーの前座としてツアーを回っていたほど実績に差があり、エイジアなどと比べると“スーパー・グループ”は少し大袈裟な看板だったかもしれません。
そんな“格上”ジャーニーの後任キーボーディストにジョナサンが抜擢されることでベイビーズは解散、ジャーニーは全米No.1バンドへと飛躍するワケですが…。

1987年、ジャーニーはスティーヴ・ペリー(Vo)の脱退により活動休止状態に陥ってしまったため、ジョナサンは当時ソロ歌手として成功を収めていたジョンにベイビーズ再結成を持ちかけ、それにニールも乗ったことで“新たなバンド”が産声を揚げることとなります。
“Bad English”は悪いイギリス人という意味ではなく、ジョンに依ると“Englishはビリヤードで球を突く意味であり、そのミス・ショットのことをBad English”と呼ぶのだそうです。


~概要~

1989年、彼らは1stアルバム『Bad English』でデビューを飾り、「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」はその2ndシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100では2週連続No.1(年間34位)を記録しました。
作者はセリーヌ・ディオンの「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」やエアロスミスの「ミス・ア・シング」など、ロマンティックなバラードを書かせたら当代随一のダイアン・ウォーレン

イントロから刻まれる美しいジョナサンのキーボード、愁いを帯びたジョンのヴォーカル、情熱的なニールのギター・ソロ…
洗練されたそのサウンドはどれも楽曲に劣らぬ名演奏で、ロック・バラードとしては同年発表されたボン・ジョヴィの「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」と双璧といえるほど、私のお気に入りです♪

また、日本ではリーバイスのCMでお馴染みの方も多いのではないでしょうか…。


~Lyrics~

Sometimes I wonder how I'd ever make it through
時に、思うんだ… “どう乗り越えただろう
Through this world without having you
この世界で、君がそばにいてくれなかったなら”って…

みなさんも、こんなことを考えたことがあるのではありませんか?
私は幼いころ何度も迷子になっていますが、親切な人たちに助けられていなかったら今頃は…
ん…?
そんな喩えじゃナイ!?

きっと“大切な人”とは、その人がいなかったら人生が大きく変わってしまう存在をいうのでしょうね。
多ければいい、というモノでもありませんが…。


And when the rain is falling
雨が降ろうと
I don't feel it, 'cause you're here with me now
関係ない…だって、君がここにいてくれる

…そう思える相手を得ることは、生涯の幸運です。
できるなら“雨”には遭いたくないものですが、共に乗り越えられたなら強い絆を育みます。
相合傘なら、多少濡れるも好し…?


~Epilogue~

今回のオリンピック・ショート・プログラムでの浅田選手の結果は、4年間掲げてきた彼女の目標を一瞬で無にする残酷なものでした。
多くの人はフリーも彼女本来の演技は望めないダメージと思っただろうし、浅田選手自身“もうスケートができない”というほどショックを受け、フリー当日朝の練習も体が動かないままだったそうです。
しかしギリギリまでイメージ・トレーニングを続け試合直前の6分間練習で感覚を取り戻し、フリー本番では目指していた演技が叶い、彼女の4年間は“歓喜の涙と笑顔”として溢れました。

それにしても…
前夜どん底に落とされた浅田選手が、どうして一夜にして奇跡的な回復を果たせたのでしょう?
SP終了後の、コーチや周囲の励ましが救ってくれたのかもしれません。

しかしそれも、“彼女自身の積年の努力があったからこそ”と、私は思うのです。

4年間の目標が一瞬で失われることはあっても、4年間積み重ねた努力は無にはならない
ことを浅田選手がFSで証明してくれた…

だからこそ私たちはそれを自分のことのように喜び、彼女と一緒になって泣き笑いしたのではないでしょうか?

When I see you smile
君が微笑んでくれるなら…
I can face the world
僕はこの世界と向き合える

浅田選手から届けられた最高の“涙と笑顔の贈りもの”…
私は、生涯忘れることはないでしょう



「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」


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tags : 1989年 バラード/Rock 情熱の愛 スーパーグループ CM曲 ダイアン・ウォーレン 

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「シー・オブ・ラヴ」ザ・ハニードリッパーズ

2013.07.12

category : Led Zeppelin

Honey Drippers - Sea Of Love1 Honey Drippers - Sea Of Love2


The Honey Drippers - Sea Of Love(1984年)



~もうすぐ“海の日”~

7月第3月曜日は“海の日”(今年は15日)ということで、海に因んだ歌をご紹介いたします♪


~“ハニードリッパーズ”?~

“ハニードリッパーズ?聞いたことないぞ。”
そんなこと言われるかもしれませんが、この人たちの名前はどうですか?
ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャース…

“みんな超大物じゃん、そんなの知ってるよ!”
じゃあ、彼らが一つのバンドを組んだら?
“えっ、ウソでしょう!?夢みたい…。”

それが実現したのが、ハニードリッパーズです!
改めて主なメンバーを紹介すると…

ロバート・プラント…元レッド・ツェッペリンのヴォーカリストで、ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なシンガー15位(2011年)。
ジミー・ペイジ…元レッド・ツェッペリンのメンバーで、ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なギタリスト3位。
ジェフ・ベック…レッド・ツェッペリンの源流・ヤードバーズでジミーの前任ギタリスト。ローリング・ストーン誌・史上最も偉大なギタリスト5位。
ナイル・ロジャース…元シックのギタリストで、この年マドンナを『 ライク・ア・ヴァージン』でブレイクさせた売れっ子プロデューサー


~背景~

元々“The Honey Drippers”はレッド・ツェッペリン解散後ロバート・プラントが、自身の音楽志向を具現化させるために発足させたものです。
心当たりのスタジオ・ミュージシャンらを集め1981年にキール大学 (イギリス)でライブを行いますが、このメンバーでアルバムが制作されるまでには至りませんでした。
しかし、この時のステージをレッド・ツェッペリン時代の所属レーベル“アトランティック・レコード”の社長アーメット・アーティガンが見ていた事により、このバンドには“続き”が生まれることになるのです…。

その後アーメット・アーティガンは自身が好きな“1950年代の音楽のレコードを出したい”と思い立ちます。
実は81年のハニードリッパーズはこうした音楽を好んで演奏していて、これを気に入った彼がロバートにそれを要請したのが作品発表のきっかけでした。
かくして上記豪華メンバーが集められ、事情を知らぬファンの間では“すわ、ツェッペリン再結成!?”の期待が勝手に高まることになるワケです…。


~一度限りの『Volume One』~

やがて、1984年9月に届けられたアルバム『Volume One』50年代のR&B/R&Rのスタンダード・ナンバー5曲によるEP規格(日本でいうミニ・アルバム)で、ファンの期待を裏切る内容であったものの作品のクオリティは評価されアルバム・チャートBillboard 200では4位と大ヒットしました。
現実には続きはなかったのに、それがあるようなタイトル『Volume One』は恐らくレコード会社の願望で、当の本人たちはそのつもりはなかったでしょう(所属レコード会社も異なる)。


~Data~

ロバートはファンにバラード歌手へ変節したと思われるのを恐れ「シー・オブ・ラヴ」を「Rockin' at Midnight」のB面としてシングル・カットしますが、バラード好きなアメリカでは「シー・オブ・ラヴ」ばかりラジオ局で流れ、思惑とは反対にこの曲がBillboard Hot 100で3位と大ヒットしてしまうことになります。
(ちなみに「シー・オブ・ラヴ」のNo.1を阻んだのは、この曲と同じナイル・ロジャースのプロデュースによるマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」とデュラン・デュランの「ワイルド・ボーイズ」でした!)

「Sea Of Love」は黒人歌手フィル・フィリップス&ザ・トワイライターズ1959年に2位を記録した非常にシンプルなラブ・ソングで、ハニードリッパーズもこの時代のテイストを大切にカバーしていますが、ロバートはバラードを歌わせてもとにかく色っぽい!
途中のギター・ソロはジミー・ペイジで、残念ながらジェフ・ベックはこの曲に参加していません。


~Lyrics~

“恋人を海に誘って愛を告げたい男の歌”というのはすぐに分かりますが、その告白の舞台が何故“Sea Of Love(愛の海)”でなければならないのでしょう?

でも、“海で愛を語りたいから!”…なんて言われちゃうとストーリーが味気なくなるので、もう少し私の妄想にお付き合いください…。


…と、その前に気になるワードについて触れておきましょう!
全体的にはシンプルでストレートな歌詞ですが、2行目に…

I knew you were my pet
私は、あなたが私のペットだと知った(!?)

…なんていうフレーズがあります。
この“pet”は私たちが愛玩動物をペットと呼ぶ単語と同じものです。
しかしペットにプロポーズするワケはなく、この場合は“特別に愛する人”という意味で用います。
敢えてこの単語を用いたのは、1行目の“met”と韻を踏ませるためでしょう。

ちなみに、私たちが日常よく用いる“ペットボトル (PET bottle)”のPETは別のPET(Polyethylene terephthalate;ポリエチレンテレフタラートの略語)で、英語読みでは“ピー・イー・ティー”。
しかも、PET bottle自体立派な“和製英語”で、英語圏の人はコレを“plastic bottle”と呼びます。
“和製英語”の方が的を射た言葉と思いますが、悲しいコトにPET bottleといっても外国では通じない…?


さて、肝心のストーリーですが、“Sea Of Love(愛の海)”は“二人が出逢った場所(海)”と私は解釈して詞を訳しました。
そう解釈すればわざわざ“Sea Of Love”と呼ぶ意味も頷けるし、また告白する舞台としての必然性もあると思えます。
でも、派手なサプライズ演出よりもこういうシンプルなロマンティックの方が、私は好きです…。


~Epilogue~

梅雨も明けもうすぐ夏休みに突入、いよいよ本格的な海のシーズンを迎えます。
このところの猛暑の影響で夏バテ気味の方も海へと心が逸る方も、まずはこのゆったりとした歌で暫しの涼をお楽しみください…。



「シー・オブ・ラヴ」


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tags : 1984年 AC 優しい愛 スーパーグループ 

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