I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「恋を抱きしめよう」ビートルズ

2020.10.15

category : Beatles & Solo

The Beatles - We Can Work it Out (1965年)

甘いだけ、辛いだけでないポールとジョンの対照性が融合したリアル・レノン=マッカートニー ♪

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tags : -60's フォーク・ロック 未熟な愛 ビートルズ(その他) 

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「シー・ラヴズ・ユー」ビートルズ

2019.06.21

category : Beatles & Solo

The Beatles - She Loves You (1963年)

最高度の旋律・和声・律動が凝縮された、ビートルズの魅力を象徴する初期の傑作 ♪

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tags : ビートルズ(その他) ロック コーラス 偉大な曲 

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「レディ・マドンナ」ビートルズ

2018.06.22

category : Beatles & Solo

Beatles - Lady Madonna1 Beatles - Lady Madonna2


The Beatles - Lady Madonna (1968年)



~概要~

「レディ・マドンナ」は1968年3月15日(米は3/18)にビートルズが発表した17枚目のオリジナル・シングル曲で、B面はジョージ・ハリスンによるインド・テイストな作品「The Inner Light」、同年ビートルズはアップル・レコードを設立したため英・Parlophone/米・Capitolレーベルとして最後のシングルとなりました。
イギリスでは30万枚以上を売り上げNME;2週連続No.1/MM;2位、アメリカでは100万枚以上のセールスを挙げBillboard Hot 100で4位(年間60位)を記録しています(「The Inner Light」は週間96位、ジョージ作品として初のチャート・イン)。

オリジナル・アルバムには入っておらず、1970年に米キャピトル編集盤『Hey Jude』や1973年の“青盤”『The Beatles / 1967-1970』、1988年のCD『PAST MASTERS VOLUME TWO』などにステレオ・ヴァージョンが収録されています。
また、1996年の『The Beatles' Anthology 2』にはテイク3とテイク4をリミックスした音源が公開されました(この記事を編集時点で日本のyoutubeでは視聴不可)。


ビートルズは1968年3月中旬にシングル・リリース、メンバー4人には2月中旬から約3カ月間に及ぶインドへ瞑想修行の予定が控えていたため、2/3~2/15というごく短い期間で本曲を含む4曲がレコーディングされました。
作者は主にポール・マッカートニーで、ジョン・レノンは“たぶん歌詞を幾らか助けたけど、自慢できるほどでもない”と言及しています(別項詳細)。

ビートルズにしては珍しいジャズ・テイストなピアノは、同じパーロフォン所属のハンフリー・リッテルトン(Humphrey Lyttelton)が1956年に発表した「Bad Penny Blues」がヒントになっているといわれます。
PVではジョンがピアノを弾いている姿が見られますが実際に本曲を演奏しているのはポールであり、これは同じセッションでレコーディング中だった「Hey Bulldog」の演奏風景を撮影して「Lady Madonna」のPVに充てたためです(このとき撮影された映像は後年「Hey Bulldog」のPVにも編集使用されている)。

また、ポールによる“エルヴィス・プレスリー風のヴォーカル”も特徴的で、恐らく本曲を聴いた多くの人は本家本元“エルヴィスの歌声でも聴いてみたい”と願望したことでしょう。
しかし、今回の検索でその“エルヴィス本人によるカバーver.”を発見いたしました!
これは1970年頃の即興スタジオ・ジャムの一部音源で、ビートルズよりブルース色が濃く、エルヴィスは歌詞もうろ覚えですが、さすが期待を裏切らない“the King”の風格です。

2月6日夜までのセッションで「Lady Madonna」の一通りの録音作業は終了していますが、ジョン、ポール、ジョージによる“サックスの口真似コーラス”だけでは満足できなかったか、当夜突然ポールが“本物のサックスを使う”と言い出しました。
急遽テナー・サックス2名(ロニー・スコットを含む)+バリトン・サックス2名が招集され、その一人ハリー・クラインは“夕方6時半頃、入浴中に電話で呼び出された…”と、慌ただしさを語っています。
さらに楽譜もパートも決まってない状態から始まったため進行は当を得ておらず、挙げ句ポールに101回ものやり直しを求められ、作業は夜遅くまでかかったそうです。

本曲発表時すでにコンサート活動を止めていたため残念ながらビートルズでのライブ演奏はありませんが、1976年ウイングスの『Wings Over America』以来ポールのライブでよく演奏されるビートルズ・ソングの1つでもあります。


 
 



~Lyrics~

See how they run
駆け回る彼らをご覧

コーラスとして度々登場するこのフレーズはジョンのアイデアという説があり、1967年の彼の作品「I Am the Walrus」にも【See how they run】のフレーズが使われているので、まず間違いはないのでしょう。
ただしジョンというとイングランドの伝承童謡『マザー・グース (Mother Goose)』好きとして有名であり、【See how they run】は彼によるオリジナルではなくそのマザー・グースにもある有名なフレーズです。
マザー・グース『Three blind Mice スリー・ブラインド・マイス』には【Three blind mice. Three blind mice./See how they run. See how they run.】というフレーズがあって、“3匹の盲目ねずみが農家の奥さんを追いかけ回す歌”となっています。

また、1964年のアメリカNBCのTVムービーに『小さな逃亡者(See how they run)』という作品があり、“父親を殺され孤児となった三人の子供が組織に追われるストーリー”で、こちらが影響を与えた可能性も無きにしも非ず?

 

Tuesday afternoon is never ending
火曜の午後はいつ終わるとも知れない
Wednesday morning papers didn't come
水曜の朝は新聞が来ない

マザー・グースでは“1週間の歌”は子どもに曜日を覚えさせる定番曲であり、幾つもの歌がみられます。
そのうちの一つ、谷川俊太郎も訳したことで知られる「Monday's Child」は“占いの歌”となっていて、【Monday's child is fair of face 美しいのは 月曜日の子ども /Tuesday's child is full of grace 品のいいのは 火曜日の子ども… 】という風に誕生日の曜日ごとに子どもの性質を伝えています。

日本で“1週間の歌”といって私が思い浮かぶのは、川崎のぼる原作のアニメ『てんとう虫の歌』のEDテーマ「ぼくらそろって一週間」です。
タイトルは【てんとう虫】に由来していますが、実際は[日曜子(ひよこ)][月美(つきみ)]…ら曜日が充てられた7人きょうだいの物語となっています。


Friday night arrives without a suitcase
金曜の夜はスーツケースもなしに到着
Sunday morning creeping like a nun
日曜の朝は尼さんみたいに忍び歩き

“土曜日”だけ抜けているのは、何故だろう…
なぜ土曜かは不明ですが、曲の構成上“七曜日を1番と2番で3日+3日に削るしかなかった”ことは想像できますね?

ただ、ポールによると【1週間の歌】というアイデアはマザー・グースではなく、ファッツ・ドミノ1956年の「Blue Monday」から得たそうです。
ファッツ・ドミノはポールの敬愛するピアニスト&ロックンローラーであり、1968年にはそのファッツがビートルズの「Lady Madonna」をカバーしています。

 



~Epilogue~

ファッツ・ドミノの「Blue Monday」は【Got to work like a slave all day 一日中奴隷みたいに働かなければならない】男の1週間を描いた作品ですが、歌詞を顧みると確かに「Lady Madonna」は“その女性版”ともいえる趣きがあります。
ポールによると「Lady Madonna」は当初【聖母マリア】をテーマとしていたものの、その後主人公を【リヴァプールの労働者階級の女性】に変更したそうです。

a working-class woman ...

それを意識した表現かは定かではありませんが、本曲は“ポールのヴォーカルやギターの音をエフェクターで歪ませ”たり、“ジョンとジョージがポテトチップスを食べながらコーラス”したり、“ピアノに安っぽいマイクを使ってコンプレッサーとリミッターを大量にかける”…といった明らかに音を劣化させる作業にわざわざ手間をかけ録音されています。
【Mother Mary】なる存在が登場し、ゴスペル風のオルガンを響かせピアノの余韻で終わらせた「Let It Be」とは真逆の趣きです。


ポールにテーマを変えさせたのは、“1枚の写真”との出あいでした。
それは『ナショナル ジオグラフィック(National Geographic)』誌1965年1月号に、
「Mountain Madonna」というタイトルで掲載されていた一人の女性の写真…
アジアの貧しい山あいの村人を思わせるその女性は半裸で、まさに【一人の乳飲み児を胸に抱えて授乳し】、【足元にいるもう一人の子どもの相手】をしながら何か作業をしている母親の日常を捉えたであろう一枚です。
これを見たポールは、僕には聖母マリアのように見えたと後に語っています。

Beatles - Lady Madonna3 Nursing Madonna

そのさまは、“この世で最も尊い営み”です。
彼女が聖母であるとか、人種や貴賎の違いに分け隔てなく…
子を想う愛情が自らの体内で母乳を生成させ、触れあう肌のぬくもりを通してそれを直接分け与える能力は、男性にとって“神秘”であり、まるで“神の領域”です。

Lady Madonna, baby at your breast
レディ・マドンナ、乳飲み児を胸に抱え
Wonders how you manage to feed the rest
どうやってほかの子を食べさせるのだろう

【Lady(貴婦人)】と【Madonna(the~)聖母マリア】…
二つを重ね合わせたタイトルにこそ、彼女に対するポールの本当の想いが込められているのです。



「レディ・マドンナ」


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tags : ビートルズ(その他) 物語 ピアノ 

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「レボリューション」ビートルズ

2015.07.03

category : Beatles & Solo

Beatles - Revolution1 Beatles - Revolution2


The Beatles - Revolution (1968年)



~ジョン・レノンが目指した“Revolution(革命)”とは?~

『サージェント・ペパーズ~』で音楽の頂点を極めたビートルズは、“次の一手”に相当頭を痛めたことでしょう。
ビートルズ後期…とりわけヨーコと恋に落ちてからのジョン・レノンというと、どこかヤル気の無さを禁じ得ないイメージですが、当初はそうではなかったのかもしれません。
自分たちのやりたいことを具現化するための会社『アップル・コア』を立ち上げ、そこからの最初のシングルを目指してジョンが制作していたのが「Revolution」(革命)というタイトルの作品だったのですから!

さて、ジョンは“革命”を成し遂げることができたのでしょうか…?



~概要~

「レボリューション」はイギリスで1968年8月30日(米は8月26日)に発売された18枚目のオリジナル・シングル「ヘイ・ジュード」のカップリング曲で、「レボリューション」単体としてもBillboard Hot 100で12位(年間62位)を記録しました。
オリジナル・アルバムには収録されておらず、現在は企画盤『パスト・マスターズ Vol.2』やベスト盤『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』に収録されています。
「Revolution」はジョンが1968年2月ごろからのインド滞在中に作った曲でリード・ヴォーカルもジョンが執っていますが、複雑な経緯がある作品なので、順を追って説明いたします。


まず、“「Revolution」という作品”はアルバム『ザ・ビートルズ』のセッションで最初に取り上げられた楽曲で、当初完成版(第18テイク)は“12分に及ぶという大作”でした。
ジョンはこの作品を“アップルからの1stシングルに!”と意気込んでいましたが、“長過ぎる”とアッサリ却下されてしまいます。
そこで前半部分を「Revolution 1」(4:17)、後半部分を「Revolution 9」(8:21)に分けて「Revolution 1」をシングルにと提案すると、今度は“スロー過ぎる”と二度目の却下…。

諦めきれないジョンは楽曲をテンポ・アップし、ギターをアコースティック(エレアコ)からエピフォン・カジノに持ち替え、アンプを通さず“ギターとレコーディング機材を直接繋ぐ禁断技”に手を染め(イントロの凄まじい歪みはコレ)、“けたたましいシャウト”を演じてみせます。
さらに、ダメ押しとばかりにイギリス一と称されるキーボード・プレイヤー、ニッキー・ホプキンスを迎えるという念の入れようにより“これぞ革命!”に相応しいインパクトのあるロックの名曲に仕上がりました。
これを改めて「Revolution」と名づけ三度(みたび)1stシングルに名乗りを挙げますが、一方でこの時ポールが持ち込んだ曲こそ、あの「ヘイ・ジュード」だったのです!
同じ名曲対決でも“出せば大ヒットが約束!”な「ヘイ・ジュード」が相手とあっては、“キリスト発言の悪夢・再び!?”な危険をはらむ「レボリューション」はB面に収まるのがやっとでした。
この挫折が原因でジョンがヤル気を失くしたかはともかく、ビートルズというチームでは自分個人の本当にやりたいことはできないと痛感させられたかもしれません…。

「レボリューション」にはライブ・ヴォーカル仕様のプロモーション・フィルムが存在していますが「Revolution 1」の特徴も取り入れられており、ここでのポール&ジョージのコーラスはドゥーワップ調であること、そしてジョンの“問題の歌詞(後述)”も復活しています!


 
 



~Lyrics~

But if you go carrying pictures of Chairman Mao
だけど、君が毛主席の写真を持ち歩くなら
You ain't going to make it with anyone anyhow
誰と組もうと、どうせ上手くはいかない

毛主席=毛沢東のことであり、ジョンはこのラインが最も大事な歌詞と語っていることから、「Revolution」は“毛沢東思想”をテーマにしているものと思われます。
毛沢東思想とは…

権力は腐敗するものであるから常に革命が必要であり、若者は古い者を打倒すべきである。
革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。


…といった思想で、その手段としての暴力を肯定しています。
こうした思想の信奉者は“マオイスト(Maoist)”と呼ばれ、『毛沢東語録』とともに世界中に広まって学生運動やヒッピーなど特に若者に強い影響を与えました。
「Revolution」が発表された1968年頃は日本でも学生と機動隊が衝突する事件が全国で頻発していた時期で、有名な“全共闘 東大安田講堂事件”もこうした流れの一つといわれます。


But when you talk about destruction
だけど、君が破壊を語るというなら
Don't you know that you can count me out
僕を数のうちから外しておいてくれ

一般論として破壊や暴力は明白な犯罪であり“悪”ですが、毛沢東によると革命の手段としてのそれは許されます。
ジョンは「Revolution」で破壊を拒否する姿勢を示していながら、一方で「Revolution 1」では同じラインを【you can count me out “in(入れてくれ)”】と肯定しています。
この矛盾についてジョン本人は、“物事はいつか良くなると思うし、暴力的な革命を憎んでもいた。でもだんだん、他に何ができる?…と、確信が持てなくなった”と語っていますが、世界で最も影響力のある人物の言葉としては何ともリスキー!


But if you want money for people with minds that hate
だけど君が、それを嫌悪する人々のため金が必要というなら
All I can tell you is brother you have to wait
僕に言えるのは、“待つより外はない”とだけ

人の考えは千差万別であり、どんな名案にも反対意見はあるでしょう。
対立者を懐柔するか弾圧するかは権力側の考え方次第ですが、何れにしても【money】が必要…?

毛沢東が行った“文化大革命”は、言葉を換えると“毛沢東思想を用いて若者を扇動し、自らの復権を企てた権力闘争劇”だったとも言えます。
革命の名の下に、その実行部隊として組織されたのが少年らを中心とする“紅衛兵”であり、彼らの暴走を含め革命による死者・行方不明者は数百万~数千万人ともいわれるそうです。
当初世界の人々はそうした実態を知らず毛沢東思想の光の部分だけが一人歩きし、ジョンも毛沢東のバッジを身に付けるほど影響を受けていました。
その実態が明らかになるにつれ人々の評価は変わり、1972年にはジョンも“毛沢東について引用すべきでなかった”と考えを改めています。
(ただし、同年のアルバム『Sometime in New York City』の「We're All Water(ヨーコの作品)」で“毛主席とニクソンも、裸にすれば大差はない”としてアルバム・ジャケットにも写真が反映されているし、1980年の作品「Woman」にも毛沢東の詩の引用が見られる)



~Epilogue~

You say you'll change the constitution(※)
憲法を変えると、君は言う
You tell me it's the institution
君は、それこそあるべき法のかたちだと
※毛沢東を示唆しているとしたら、【constitution】は政体、【institution】は制度と捉えるのが適切だろう

憲法改正…
とりわけ、施行68年を経た現在も国民の支持が高い『憲法第9条』を変えることは、この国にとってまさに“Revolution(革命)”に等しいと言えるのではないでしょうか?
ご存知のように安倍首相は改憲論者ですがその本丸が憲法9条であり、“憲法改正するために政治家になった”と公言していることからもその本気度は歴代の首相とは全く異なります。
ただし、憲法改正には衆参両院で3分の2以上の賛同が必要であるものの参院が届かず発議が難しいため、最悪でも実効を得ようと10本の法案を“安全保障関連法案”として解釈改憲を試みました(明文改憲も諦めてはいない?)。

ところが、6月4日の衆院憲法審査会で自民・公明党推薦の長谷部恭男氏を含む3人全ての憲法学者がこの法案を“憲法違反”と断じたため事態が暗転します。
直後に『報道ステーション』が行った『憲法判例百選』の執筆者(=著名な憲法学者)198人に対するアンケートによると、[違憲;84%(127人)/違憲の疑い;13%(19人)/合憲;2%(3人)]という結果でした。
さらに、追い打ちをかけるようにこの法案に関する自民党の安倍首相に近しい若手の勉強会で、複数の議員によるマスコミに対する“圧力発言”が表沙汰になったことはご承知の通り…。


前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これは、問題視されている『日本国憲法第9条2項』
この文章を“自衛隊の存在と矛盾しない”と読解するとしたら、きっと国語のテストで落第してしまうでしょう?
明らかに、実態と矛盾があります。
しかし、一方で国民のほとんどは“国を守る”自衛隊が必要だと思っているはずです。
そういう意味で、憲法改正を望むのは間違いではありません。


ちなみに、2012年4月27日に出された“自民党の憲法改正草案の9条2項”では…

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

…という風に改められていて、草案Q&Aには“この「自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません”と明記されています。


いずれにしても、今回一連の流れからつくづく思ったことは、沖縄の正式な選挙で選ばれた知事が自民党の利害に反するからと会わなかったり、憲法学者と国民の大多数が違憲の疑念を持っているにも拘らず無視して法案成立を強行したり、“沖縄にある二つの新聞はつぶさないといけない”とか“マスコミを懲らしめる”という考え方の人たちに、憲法改正をして欲しくはありません。
68年間平和を守ってくれた憲法に敬意を寄せず、沖縄の民意である首長を侮り、権力に驕って国民の“自由と民主主義”を顧みようとしない人たちだけには。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.(※)
私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
(※フランスの哲学者ヴォルテールの言葉として有名ですが、定かではないらしい)

憲法は、そういう志を持った人にだけ、書き換える資格が許される…



「レボリューション」


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tags : 1968年 ロック プロテスト  ビートルズ(その他) 

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「アイム・ダウン」ビートルズ

2015.04.17

category : Beatles & Solo

The Beatles - Im down1 The Beatles - Im down2


The Beatles - I'm down (1965年)



~武道館を“音楽の聖地”に変えた男~

前回は、ポール・マッカートニーのワールド・ツアー『Out There! Tour』のラスト・ナンバーをご紹介しましたが、今回は4月28日に用意された特別追加『日本武道館公演』を想定し、1966年のビートルズ武道館公演のラスト・ナンバー選曲してみました。

“音楽の聖地・日本武道館”の歴史の扉を開いたビートルズ…
その起源となったロックの魅力がちりばめられた「I'm down」、たっぷりご堪能ください♪



~概要~

あなたは、「アイム・ダウン」をご存知ですか?
この曲はビートルズの公式オリジナル・アルバムにもベスト盤にも収録されておらず、これをご存知の方なら一廉(ひとかど)のビートルズ・フリークを自認しておられることでしょう。
「I'm down」は1965年7月23日(UK)に10枚目のオリジナル・シングル「ヘルプ!」のB面曲として発表され、ビートルズ解散後の企画盤『Rock 'n' Roll Music』に収録されたのみで(未CD化)、1988年以降はレア音源を編集したアルバム『パスト・マスターズ Vol.1』に収められています。
一方で、れっきとしたレノン=マッカートニー作品(ポール作)でありリード・ヴォーカルもポール、B面ながらBillboard Hot 100では101位を記録しました。

ビートルズは1964年1月~65年7月のツアーではリトル・リチャードのロック・ナンバー「ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)」でライブを締めくくっていましたが、これに代わり得るオリジナル・ソングを目指して作られたのが「I'm down」です。
65年8月からのアメリカ・ツアーに始まり、武道館公演を経て1966年8月29日にビートルズが公演旅行を止めるまでの約1年間、ラスト・ナンバーとしてライブに華を添えました

“ビートルズ屈指”の激しいロック・ナンバーで、まさにリトル・リチャードばりのポールのシャウトが実にカッコいいですが、とても“「イエスタディ」を歌った同じ人”とは思えませんよね?
でも実際には、「アイム・ダウン」は「イエスタデイ」や「夢の人」と同日にレコーディングされており、「イエスタデイ」のあの“静寂”と「アイム・ダウン」の“熱狂”という相反性を両立できる所がポールのヴォーカルの凄さであり魅力なのだと、私は思っています。
「I'm down」のマスターは“Take 7”ですが『Anthology 2』では“Take 1”が公開されており、ここではコーラスもなくジョンは“おとなしく”オルガンを弾いているものの、“Take 7”の頃にはコーラスが加えられジョンのオルガンもかなり“ハジけ”ていて、1:32頃には“バカ笑い(ジョン?)”が出るほどのお祭り騒ぎ!

また、1965年の全米ツアーで当時の世界記録となる観客動員55600人を挙げたシェイ・スタジアムのライブ(メイン動画では、リンゴがこの日“完全にキレてた”と振り返るジョンは既に無双状態で、オルガンを肘でメチャクチャに弾いたり、まるで子供のようにはしゃいでマスっ!!
(でもこの映像にこそ、ビートルズが人を魅了して止まない所以が溢れていると思う)

カバーはエアロスミスが1987年に『Permanent Vacation』で取り上げたものが有名で、スティーヴン・タイラーは2010年にもポールに対するトリビュートとして「ゴールデン・スランバーズ~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンド」をパフォーマンスしています。



 
I'm Down- The Beatles“Take 7” / Aerosmith - Houston 02-15-1988



~Lyrics~

You telling lies thinking I can't see
僕が気づかないだろうって、君は嘘をつく
You don't cry cos you're laughing at me
心の中で笑いものにして、涙も流さない

前奏なしにいきなり歌い出す、ビートルズお得意のパターン!
強いインパクトを与えることができる手法ですが、“ハズす”とその分ハズかしい…。
(カラオケもそうですよね?)

1966年のミュンヘン公演ではポールがこの歌詞をド忘れして、それをジョンが事前に教えてくれたにも関わらず何故か2番の歌詞から歌い出してしまい、頭が真っ白になったのか続くフレーズがシドロモドロになって自分で噴き出すさまをリンゴも大ウケしている貴重な映像が残っています! 
“『ロックの殿堂』入り” おめでとう、リンゴ♪ )

 The Beatles - I m Down Live in Germany


We're all alone and there's nobody else
二人っきりで他に誰もいないのに
You still moan, "Keep your hands to yourself!"
キミったら、いつまで経っても“触っちゃダメ!”

せっかくイチャイチャするチャンスなのに、“おあずけ”を食らうなんて…
男たるもの、シャウトせずにはいられません!
でも、それは人間だけの苦悩ではないようで…?




I'm down (I'm really down)
そりゃぁないよ
I'm down (Down on the ground)
地べたに打ちのめされるくらい、ヘコんじゃう

ビートルズの大きな魅力である“追っかけコーラス”♪
リードがなぞる感情を、バックがすかさずフォローするチームワークのよさが彼らの持ち味であり、特にツアーを中止するまでの中期(人間関係が壊れる前)は充実していました。

でもこの“トホホ感”…
男性のみなさんは、覚えアリ!? 



~Epilogue~

1966年6月29日午前3時39分、台風のため11時間遅れてビートルズは羽田空港に降り立ち、武道館公演は6月30日~7月2日にかけて計5回行われれました。
現在の『Out There! Tour』では39曲前後/約3時間に及ぶ盛り沢山なライブを構成しているポールですが、当時ビートルズが日本で演奏したのは僅か11曲/約30分で、そのセットリストは以下の通りです。

1. Rock And Roll Music
2.She's A Woman(過去ログ)
3. If I Needed Someone
4. Day Tripper
5. Baby's In Black
6. I Feel Fine
7. Yesterday
8. I Wanna Be Your Man
9. Nowhere Man
10.Paperback Writer(過去ログ)
11. I'm Down


ビートルズがコンサートを行うというとどの国でも大騒ぎになるものですが、武道館公演では安全のため1万人の観客に対し3千人の警官を配備する厳戒態勢が敷かれ、メンバー自身も宿泊先である東京ヒルトン・ホテル(現キャピトル東急ホテル)に“ほぼ”軟禁状態に置かれました。
この間退屈を持て余した4人は、日本のファンのため1枚のキャンパスに寄せ書きした絵画『Images of a Woman』の制作に励み、これをビートルズ・ファン・クラブ会長に贈っています。

The Beatles - Im down3 The Beatles - Im down4

以前、過去ログ「ハード・デイズ・ナイト」で劇中のポールが変装してファンから逃れるシーンを言及していますが、コレは“現実のポールが得意とする手口”であり、彼はツアーの時つけヒゲやカツラ、帽子といった七つ道具を旅行カバンにいつも忍ばせていたそうです。
この特技を用いたかはともかく、ポールは7月1日にホテルを抜け出して皇居を見物していますが、すぐに連れ戻されてしまいました。
むしろ“知能犯はジョン”で、その裏をかいくぐって原宿や麻布、青山を回り趣味の骨董品の買い付けに成功しています(『サージェント・ペパーズ~』のアルバム・ジャケットに写る“福助人形”は、この時購入したもの)。

The Beatles - Im down5 The Beatles - Im down6


…さて、ポールは49年ぶりに武道館で「I'm Down」を歌ってくれるかは分かりませんが、彼は人を喜ばせることが好きな人だから何か“仕掛け”を用意しているのではないでしょうか?
ジョンはその生き方や死にざまによってビートルズの伝説に、より鮮烈なインパクトを刻みましたが、
ポールは半世紀が過ぎた今なお、ビートルズの素晴らしさを直接後世に伝え続けています。

生きて、ビートルズを伝える…
それこそが、誰よりもビートルズを愛したポールが歌い続ける意味なのではないでしょうか? 



「アイム・ダウン」


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tags : 1965年 ロック エキサイト ビートルズ(その他) 

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Beat Wolf

Author:Beat Wolf
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