I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
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Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
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The Beatles


Yellow Submarine


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Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ラヴ・ミー・ドゥ」ビートルズ

2022.03.11

category : Beatles & Solo

The Beatles - Love Me Do (1962年)

ビートルズの記念すべきデビュー曲。驚くほどシンプルですが、愛を伝えるのにこれ以上何が?

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


続きはこちら >>

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tags : 1962年 マージー・ビート ピュアな愛 プリーズ・プリーズ・ミー 

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「ツイスト・アンド・シャウト」ビートルズ

2016.09.23

category : Beatles & Solo

Beatles - Twist Shout1 Beatles - Twist Shout2


The Beatles - Twist & Shout (1963年)



~at the Hollywood Bowl / Eight Days A Week~

2016年9月は、ビートルズ・ファンにとって実り豊かな秋となりました!
まずは9月9日、ビートルズ解散後1977年にアナログ盤として発売されこれまでCD化されていなかった“ビートルズ唯一の公式ライブ・アルバム”『The Beatles at the Hollywood Bowl』が、最新リミックス&リマスターによって遂に初CD化が実現したことです。

そして9月22日、ロン・ハワード監督を迎え制作されたビートルズ公式ドキュメンタリー新作映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』が全国公開されました。
「Eight Days A Week」はもちろんビートルズの楽曲(過去ログ)から採られたものですがこれは当時の彼らが“あり得ないほど忙しかった”ことの象徴であり、この映画はそうしたビートルズのめまぐるしい日々をライブ映像を中心に構成したドキュメンタリーです。

まずは、その2作品のプロモ映像からどうぞ♪

 



~概要~

「ツイスト・アンド・シャウト」はビートルズのイギリス盤公式オリジナル・1stアルバム『Please Please Me』の収録曲であり、イギリスでは1963年7月12日に4曲入りEPとしてカットされNMEで2週連続4位・MMで2位を記録しました。
アメリカでは「抱きしめたい」(過去ログ)で“ビートルズ旋風”発生後の1964年3月2日にシングルとしてリリース(B面は「There's A Place」)、Billboard Hot 100で4週連続2位(年間40位)と悔しい結果に終わっていますが、これは全く同じタイミングで彼らの「Can't Buy Me Love」が5週連続No.1に君臨し続けていたためです。

ジョン・レノンのけたたましい“shout”はまさにビートルズを代表するロック・ナンバーといえる作品ですが作者はレノン=マッカートニーではなく、バート・ラッセル・バーンズとフィル・メドレーです。
「Twist And Shout」は、まず1961年にフィル・スペクターがプロデュースするThe Top Notesという新進ヴォーカル・グループに提供されたものの、作者のバート・ラッセル・バーンズはこの出来ばえに“歌を台無しにした”と不満を示し、1962年にR&Bグループのアイズレー・ブラザーズ (The Isley Brothers) を自らがプロデュースする形でレコーディングし直し、Hot 100の17位とヒットさせました。

ビートルズver.はアイズレー・ブラザーズに影響を受けたコーラスやスタイルが施されており、彼らがデビュー直後の1962年12月にハンブルクのスター・クラブの興行で早くもレパートリーとして取り入れています(『Live At The Star-Club In Hamburg, Germany; 1962.』に収録)。
1stアルバム『Please Please Me』はたった1日(十数時間)で全14曲のレコーディングを完了したといわれますが、「Twist And Shout」はその最終曲でした。
この日ジョンは風邪のためのどの調子が悪く牛乳や喉飴でケアをしながらの参加であり、激しいシャウトを求められる本曲を最後に回す配慮がなされたとはいえ、マスター音源となったテイク1(最後にある【Lyrics動画】を参照)で既にジョンは声が割れており、テイク2で気合いを入れるためシャツを脱いで頑張りましたがこの時もはや彼の声は使い物にならないほど嗄(か)れていたそうです。

 



~進化し続けた「Twist And Shout」~

恐らくファンの方にとって、「Twist And Shout」は“コンサートのオープニング・ナンバー”というイメージが強いことでしょう。
しかしそれは1964~65年頃のことで、1963年のツアーではラスト・ナンバーでした。
前述のとおり「Twist And Shout」はビートルズのオリジナルではないにも拘らず、デビュー直後の1962年から1965年8月のツアーの殆んどで演奏されており、そのことから考えると“ビートルズのコンサートに欠かすことのできないナンバー”といった方がより正確なようです。

1963年のレコードver.や同年のライブ演奏ではイントロのギターの後すぐにジョンのヴォーカルが入っていたのに対し、1964年頃のツアーでは、間奏やクロージングで用いていた“ジョン⇒ジョージ⇒ポールのAh...♪”をイントロにも導入してワクワク感が増し、ヴォーカルや演奏もよりエキサイティングになっており、私は特に後者の方が好きです。

ビートルズは1964年8月と1965年8月の2度、ロサンゼルスのハリウッド・ボウル(野外音楽堂)で公演を行っており、そのどちらでも「Twist And Shout」が演奏されました。
このうち『The Beatles at the Hollywood Bowl』に収録されている「Twist And Shout」の音源は1965年8月30日のもの《右》ですが、今回の検索では“1964年8月23日の演奏を舞台袖から撮影した映像”《左》を発見したので、マニアの方はぜひ1965年のものと比較しながらお楽しみください♪

 



~Epilogue~

「ツイスト・アンド・シャウト」というと、後世まで語り草となっている有名なエピソードがあります。

1963年、「Please Please Me」に端を発した一連の大ヒットにより国中がビートルズに夢中となっていたイギリス。
その11月4日、エリザベス女王やアン王女ら王侯貴族が多数列席する王室主催の音楽演奏会『The Royal Variety Performance』に、ロック・バンドとして歴史上初めてビートルズが招かれ演奏した舞台でのことです。
「From Me To You」-「She Loves You」-「Till There Was You」と歌い継ぎ、ジョンが最後の曲を次のように紹介しました…。


For our last number I'd like to ask your help.
The people in the cheaper seats clap your hands.
And the rest of you, if you'd just rattle your jewellery.

We'd like to sing a song called Twist And Shout.


ラスト・ナンバーでは、みなさんの助力をお願いします。
安いお席の方は手拍子を…
そのほか(高い席)の方々には、宝石をジャラジャラと鳴らしていただけたら幸いです。

それでは、「ツイスト・アンド・シャウト」!



この気の利いたジョークに対し7千人の観衆は沸き立ち、エリザベス女王はさすがの度量と気品の笑みで応え、翌日以降新聞は6日間この話題でもちきりとなり、国民の40%がこの番組を視聴したといわれています。
それにしても、ジョークが決まった後のジョンの“どや顔”… 

しかしこのジョークはアドリブではなく数週間前から準備して、事前に関係者の了解も得た上でのものでした。
…ただし、当初彼が思いついたバージョンには“[jewellery(宝石)]の前に【fucking】の一語”(おなじみ放送禁止の卑語)が入っていたそうで、さすがにこの案はマネージャーのブライアン・エプスタインに却下されていたものの、ジョンの性格をよく知るブライアンは、当日(ジョンが)禁句を言い出すのではと最後の瞬間まで気が気ではなかったそうです。

…でももし“その一語”を入れていたらこのハナシは伝説ではなく、タブーとして葬り去られていたかも? 



「ツイスト・アンド・シャウト」


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「P.S.アイ・ラヴ・ユー」ビートルズ

2015.11.27

category : Beatles & Solo

Beatles - PS I Love You2 Beatles - PS I Love You1


The Beatles - P.S. I Love You (1962年)



~ジョン・レノンのギターが3億円!~

昨年、ジョン・レノンが「ペイパーバック・ライター」のレコーディングで使用したギターが40万ポンド(約7300万円)で“売れなかった”というネタをお伝えしましたが、今年は面目躍如!
先日11月7日に行われたオークションで、「Love Me Do」や「P.S. I Love You」のレコーディングでジョンが使用したアコースティック・ギターGibson J-160E(1962年型)が241万ドル(約3億円)で落札されたというニュースに、驚きを覚えた方も多いことでしょう。
これまで最高額のギターは2013年に落札されたボブ・ディランのフェンダー・ストラトキャスター(1965年Newport Folk Festivalで使用)が付けた96万5,000ドル(当時約1億円)ですが、今回これを大幅に更新しました!

Beatles - PS I Love You6

このギターは1962年9月、ジョージ・ハリスンと一緒にリヴァプールの楽器店Rushworth's Music Houseでアメリカから取り寄せ購入、1963年12月にロンドンで開かれたクリスマス公演で紛失していたものでした。
出品者は1970年代にアメリカの中古店で200ドル(約2万5,000円)ほどで購入し、今回売却収益の半分はジョンとヨーコのチャリティー団体に寄付されるそうです。



~概要~

「P.S.アイ・ラヴ・ユー」は、1962年10月5日にイギリスで発表したビートルズのデビュー曲「Love Me Do」のB面曲です。
アメリカでは1964年に「抱きしめたい」の大ヒットによりビートルズ旋風が巻き起こり続々と“旧作”が発売、「Love Me Do / P.S. I Love You」も4月27日にリリースされ《写真・右》「P.S. I Love You」は単独でもBillboard Hot 100の10位を記録しました(「Love Me Do」はNo.1)。

「P.S. I Love You」はデビュー前EMIのオーディションのために作られた曲で、作者&リード・ヴォーカルはポール・マッカートニー
いわゆるレノン=マッカートニー作品ですが厳密にはデビュー・シングル(パーロフォン)は“Lennon-McCartney”、1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』では“McCartney / Lennon”とクレジットの並びが逆になっています。
本作は当初デビュー・シングルA面の有力な候補でしたが、1934年に創作されその後何度もカバーされたアメリカのポピュラー・ソング「P.S. I Love You」との混同を避けるため、見送られました。


デビュー後は一気にスター街道を走ったビートルズですがデビューするまではゴタゴタ続きで、ビートルズの作品として最初に発表されたこの曲も、複雑な経緯を持っています。
まず、「P.S. I Love You」は1962年6月6日のEMIのオーディションで初めてレコーディングされており、この時ドラムを叩いていたのはビートルズ初代ドラマーのピート・ベストでした。
しかしピートは技量不足とみなされ、8月15日にバンドを解雇されてしまいます。
そこでメンバーは旧知のリンゴ・スターを後任に推薦し、9月4日のセッションは彼がドラマーとして参加していますがこの時プロデューサーのジョージ・マーティンはリンゴのプレイにも不安を覚え、9月11日のセッションには独断でアンディ・ホワイトというドラマーを臨時に雇い「Love Me Do」「P.S. I Love You」などをレコーディング、これを正式テイクとしてしまったのです!
独り蚊帳の外に置かれたリンゴでしたが、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」では辛うじてマラカスを任されています。

…一方、そのアンディ・ホワイトがこの11月9日に脳卒中のため亡くなったと報じられています(享年85)。
彼がビートルズに参加したのは僅か3時間(報酬は5ポンド)でしたが、“彼らのことはよく知らなかったが、スペシャルなものを持っていると感じた”と、当時を振り返っていたそうです。

Beatles - PS I Love You3 Andy White 1930-2015


「P.S. I Love You」はビートルズ時代は恐らくツアーでは一度も演奏されたことはなく、そういう意味で今回BBCラジオ『Pop Go The Beatles』での音源(1963年6月25日O.A.)を発見できたのは大収穫!
幾つかのカバー・バージョンが存在する中で、何といっても興味深いのはポール自身によるカバーver.でしょう。
ポールは1989年の『ゲット・バック・ツアー』でこの曲を初披露していますが、その際ビートルズのデビュー・シングルとしてカップリングされた「ラヴ・ミー・ドゥ」と繋ぎ合わせた「P.S.Love Me Do」としてパフォーマンスされました(一部地域のみ;東京では演奏された)!

 



~Lyrics~

As I write this letter (Oh)
この手紙を書き上げ(Oh)
Send my love to you (You know I want you to)
今すぐ君に、愛を届けよう(そうさ、すぐにでも!)

このフレーズでは特に【As】が主人公の心情をよく表わしていて、[when]よりもっと同時性が強く、主人公が一秒でも早く想いを届けたい気持ちが伝わってきます。
それをまくし立てるようなジョンの【Oh】やポールの【You know I want you to】の“合いの手”によって、さらに情景が生き生きと浮かんでくるのではないでしょうか?

ポールといえば「All My Loving」「Paperback Writer」など、“手紙形式の歌詞”はお得意ネタ!
特に「All My Loving」は当時の恋人ジェーン・アッシャーに宛てた“リアル・ラブ・レター”といっていい内容ですが、実は「P.S.アイ・ラヴ・ユー」にも“そんな噂”があります。
この曲が生まれた1962年春はビートルズがハンブルク巡業に行き来していた時期で、ポールが遠い異国から当時のガール・フレンドDorothy Rhoneに宛てた手紙に基づいて創作された…という説(ただし、ポールはそれを否定している)。

Beatles - PS I Love You4 Beatles - PS I Love You5


Treasure these few words till we're together
また会う日まで、この言葉を大切に温めていて
Keep all my love forever
僕の心は、ずっと変わらないから

「P.S.アイ・ラヴ・ユー」の魅力の一つは全般に亘ってポール、ジョン、ジョージ3人の声が重なり合うコーラスですが、[Treasure...few...together...Keep all...forever]という風に、一定のリズムで浮かんでは消えるパターンは珍しいのではないでしょうか?

ポールとドロシーは1959年、リヴァプールにあるカスバ・コーヒー・クラブで出会い、交際を始めました。
[このクラブはピート・ベストのお母さんが経営していた店で、当時ビートルズ(クオリーメン)はここでライブ演奏をしていた]
1962年5月、ハンブルクから帰国したポールに待っていたのは、ドロシーからの妊娠の報告でした。
ポールはこれを喜び、早速11月に結婚する段取りを決めますが不幸にもドロシーは7月に流産、この事件がきっかけで二人の関係は急速に終息へと向かってしまったそうです。
そのドロシーは、ビートルズの「Love of the Loved」と“「P.S. I Love You」は、彼女についての作品”であると証言しています。





~Epilogue~

ビートルズの“ちょっとおシャレなタイトル”シリーズ、復活!?

当ブログでは、そのコンセプトとして過去に「Eight Days A Week」「And I Love Her」などを特集したことがありますが、ビートルズのタイトルって概してセンスがいいでしょ?
「P.S. I Love You」も、何か心をくすぐらるものがあります。
“P.S. I Love You”の言葉自体はポールが言い出したわけではなく上記したようにそれ以前から用いられてきたフレーズで、英語圏のみならず日本でも幾つか同じタイトルが見られます(PINK SAPPHIREの曲、中山美穂のラジオ番組など)。

【P.S.】は[postscript]の短縮形で“後で書かれたもの”を意味し、手紙では【追伸】として署名した後に追加で記されます。
本来“書き忘れ”の部分なのでオフィシャルや目上の人への手紙には不適切であり、だからこそ気心の知れた間柄だけに許容される“親密さの証”でもあるのです。
その親密さを逆手にとって、最も伝えたい大切な想いを、敢えて手紙を締めくくる最後の言葉として配置する…
“トドメにI Love You”を置くなんて、ナンとも心憎いですネっ♪

Keep all my love forever
僕の心は、ずっと変わらない
P.S. I love you...( you, you, you)
追伸 愛しているよ

でもそれとは正反対に、“いきなりI Love Youをカマす男”がいます!
…そう、男の名はジョン・レノン。
「P.S. I Love You」も収録されるアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』にはジョン作の「Ask Me Why」という曲があって、コレがいきなり“I Love You~”の歌詞で始まります。
二人のキャラクターの違いが、デビュー当初からよく表れているでしょ?
そういえば“いきなりI Love You”の名曲には尾崎豊の「I LOVE YOU」も印象的ですが、二人の性格には多くの共通点があるような…



あなたは、“いきなりI Love You”?  …それとも、“トドメのI Love You”? 



「P.S.アイ・ラヴ・ユー」


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「プリーズ・プリーズ・ミー」ビートルズ

2015.03.13

category : Beatles & Solo

Beatles - Please Please Me1 Beatles - Please Please Me2


The Beatles - Please Please Me (1963年)



~若さあふれる“Beatle”たち~

ポール・マッカートニーの“リベンジ公演”まで、約1カ月。
直前にまた特集を予定していますが、今回はもうすぐ春分を迎えるということで“春味”を意識してみました。

現在72歳のポールにとって「プリーズ・プリーズ・ミー」はもう半世紀以上前、21歳の時の作品です。
羽化して間もない若さあふれる“Beatle”たちをお楽しみください♪



~概要~

「プリーズ・プリーズ・ミー」は1963年1月11日にビートルズのデビュー2枚目のオリジナル・シングル(B面は「アスク・ミー・ホワイ」)として発表され、彼らにとって初めてイギリスでNo.1(MM/NME)を記録した作品であり、この曲が大ヒットしたことにより1stアルバム『Please Please Me』が制作されることになりました。
アメリカでまだキャピトルに相手にしてもらえなかったビートルズはブルース系の中堅レーベルVee-Jayと契約し、その第1号(=アメリカ・デビュー・シングル)として同年2月25日にリリースされましたが7,310枚しか売れず、チャート・インさえ叶いませんでした。
(このレコードは【The Beattles】の誤植や希少価値から、大変なコレクターズ・アイテムとなっている)

その後、「抱きしめたい」(過去ログ)がアメリカで大ヒットするとビートルズの旧作が見直され「プリーズ・プリーズ・ミー」も「フロム・ミー・トゥ・ユー」をB面に組み替え1964年1月3日に再リリース、Billboard Hot 100で2週連続3位(※この時の1・2位もビートルズ/年間16位)を記録しています。
ビートルズ初期を代表する1曲であると共に、ローリング・ストーン誌“500 Greatest Songs of All Time”の184位にランクされる作品です。

作者は“マッカートニー=レノン(McCartney-Lennon)”と、逆になっていますがこれは誤植ではありません。
実質的にはリード・ヴォーカル/楽曲共にジョン・レノンによる作品で印象的なハーモニカもジョン、そしてポールとジョージ・ハリスンの追っかけコーラスも初期ビートルズを象徴しています。
ジョンによると、リヴァプールにあるミミおばさんの家でロイ・オービソンの「Only The Lonely」をイメージして書いたスロー・ナンバーで、1962年9月11日のデビュー・シングルのセッションでも候補に挙がっていましたが十分ではないと判断され、デビュー曲は「ラヴ・ミー・ドゥ」に譲っています。

その後プロデューサーのジョージ・マーティンは続くシングルを、1stシングル候補でもあった外部ライターによる「How Do You Do It」がベストと考えていました。
しかしメンバーは自作曲に拘り、「プリーズ・プリーズ・ミー」について9月11日のセッションでマーティンにアドバイスされた“アップ・テンポで演奏してみたら?”を2カ月かけて練り直し“あのハツラツ感”へと辿り付きました。
これには、ついにマーティンも“この曲がビートルズの初のナンバー・ワン・ソングになるだろう”と太鼓判を押したそうです。



~マニアのお部屋?~

「プリーズ・プリーズ・ミー」は、単にステレオとモノラルというミキシングの違いだけでなく“複数の別テイク”が世に出回っています。
まず最初に出たのはモノラルver.で、これは1963年1月11日にリリースされたシングルとして用いられました。
ステレオver.はアルバム『Please Please Me(ステレオ盤)』に収録され、ここでは最後のサビで“I know you never~ ”の歌詞をジョンが“Why Know I Never~”と間違えてしまい(1分25秒過ぎ)、続く“C'mon”をおどけたように歌っているのが特徴です。

上記は何れも1962年11月26日に録音された正式ver.ですが、それ以前“9月11日”にレコーディングされたものがアウトテイク集『The Beatles Anthology 1』で公開されています。
一聴してお馴染みのハーモニカがないこと、ヴォーカルや演奏が粗削りなことはお気づきと思いますが…
最も重要なポイントは、“リンゴ・スターがドラムを叩いていない”こと!
“…だったらピート・ベスト?”の名を挙げた方はナカナカのものですがこの時彼は既にクビになっていて、ジョージ・マーティンが雇ったアンディ・ホワイトというドラマ-が叩いています。

ちょと変わったトコロでは、ビー・ジーズがオーストラリア時代に「プリーズ・プリーズ・ミー」をカバーした映像が残っていて、モーリスとロビンの幼さやカワイイ(?)振り付けが、ナンとも斬新ですョ!? 

 
2009 Mono Remaster / Stereo Remastered


Anthology 1 / Bee Gees ♥ Please, Please Me



~Lyrics~

Last night I said these words to my girl
昨夜、あの娘に言ってやった
I know you never even try, girl
君は、やってみてもくれないんだね?

主人公は恋人に対し、不満を募らせています。
20代独身男性を対象とするアンケート『面と向かっては言えないけど、彼女に言いたい不満TOP10』によると…

位;マメな連絡がないからって文句言うな! 21.5%
位;おごってもらって当たり前と思うな! 20.0%

みなさん、お心当たりがあるのでは?
でも、人は自分がされて嫌なコトを、相手には求めてしまうイキモノなのネっ!? 
(※位;こまめに連絡してこい!
ちなみに、私は位の“だんだん見た目に手を抜くな!”に噴き出してしまいました…。


You don't need me to show the way, love
そんな言い分、お構いなしの君(love)
Why do I always have to say "love"
何で、いつも僕だけ“love”って言わなきゃいけないの?

位;“もっと‘好き’って言え!” 18.5%(※上のアンケート)
主人公の不満も、ちゃんと上位に入ってます。

それにしても【girl】と【love】でリズムを形成し【C'mon】の連呼で感情を煽り、【Please】で切実さを訴える…
この言葉の重ね方、センスいいなぁ♪


I do all the pleasing with you, it's so hard to reason
君を喜ばすためなら何だってするけど、わかってもらえないね
With you, whoah yeah, why do you make me blue
ねぇ…どうして君はそんなに僕をブルーにさせるの?

それは、あなたが彼女に惚れてしまったから? 

心理学では、『最小関心の原理』と言うそうです。
恋愛関係に於いて“相手に関心の低い側が、その関係の主導権を握る”という説。
つまり関心の高い側(惚れてる側)が相手との関係を失いたくないため、言いなりにならざるを得ない…
ということですが…(あなたの経験則と当てはまります?)。



~Epilogue~

【Please】を重ねて使うアイデアは、ビング・クロスビーが1932年に歌った「Please」の“Oh, Please. Lend your little ear to my pleas”の一節で【please】と【pleas】(pleaの複数形;懇願)の表現から得たと、ジョンは語っています。
つまり、一語目の【Please】は“どうか…”という副詞、二語目は“喜ばせる”という動詞の意味として用いられていて、「Please Please Me」は“どうか私を喜ばせてください”というジョンお得意の“言葉遊び”になっているというワケです。

Please please me, whoa yeah, like I please you
お願いだから僕を喜ばせてよ、君を喜ばせてあげているように

「プリーズ・プリーズ・ミー」は、多くの人を惹き付ける要素がたくさん詰まっています。
それは曲であり、詞であり、歌であり、あるいは彼ら自身の魅力であるのかもしれません。
そして、この曲はビートルズとその周囲の運命を大きく変えました…。

「プリーズ・プリーズ・ミー」が発表された直後の1963年2月2日から、ビートルズは2曲のNo.1ヒットを持つヘレン・シャピロをメイン・スターとする11組のミュージシャンと合同で全英ツアーに参加していますが、当初その扱いは4番目でした。
しかし「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートを駆け上がるとともにステージでの人気も高まり、20日も過ぎた辺りにはヘレンと肩を並べるほどの喝采を浴びていたそうです。

また、私はドキュメンタリー映像『ザ・ビートルズ・アンソロジー』で、リヴァプールのファンの女の子が当時の心境を語っていたシーンが心に残っています。
ヘレン・シャピロのツアーと並行してビートルズは地元リヴァプールの『キャヴァーン・クラブ』にも出演していましたが、そこで「プリーズ・プリーズ・ミー」がNo.1に輝いた知らせが入りました。
女の子によるとその瞬間、ビートルズをよく知らない一般の客は歓声を上げ、熱心なファンは全員泣き出したそうです。
彼女は、淋しそうな目で振り返ります。

“彼らが、手の届かない所へ行ってしまうと直感した…。”

彼女の予感した通り、ビートルズはリヴァプールから全英、そして世界へと羽ばたいてゆきました。
ファンにとって、ひいきのスターの成長は何より誇らしいものですが、それは文字通り遠くで輝く星のような存在になってしまうことを受け入れねばならない道でもあります。
同じファンとして、そんな“星の誕生”に立ち会えた彼女らが羨ましいような、その切なさがよくわかるような…。



The Beatles - Please Please Me (Washington Coliseum, 1964)


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tags : 1963年 マージー・ビート プリーズ・プリーズ・ミー コーラス 偉大な曲 

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