その後1971年12月の『バングラデシュ難民救済コンサート』と1987年の『プリンス・トラスト』ではジョージとエリック、リンゴ・スターが揃ったパフォーマンスが実現していますが、1971年時エリックはドラッグ中毒と盟友デュアン・オールマン急死(1971年10月29日)の影響を感じさせるものでした。 1991年には日本で12公演にも亘る『ジョージ・ハリスンwith エリック・クラプトン and his band』が催され、「ホワイル・マイ~」が目玉となっていたことをご記憶の方も多いでしょう。
ジョージの一周忌に催された2002年11月29日の『コンサート・フォー・ジョージ(Concert for George)』ではエリックがホスト役を務め、「ホワイル・マイ~」では元ビートルズのポール&リンゴに加えてジョージの長男ダーニ・ハリスンが演奏に参加し、盛大な追悼となりました。
~Lyrics~
I look at the floor and I see it needs sweeping 床を見ると、それは掃き清められるべきと気づく The problems you sell are the troubles you're reaping あなたが売る問題の数々は、あなたが受ける苦労の種
一方、「ホワイル・マイ~」を演じた伝説の主演女優“Lucy”は1970年にジョージ宅で盗難の被害に遭い、紛失してしまいます。 1973年に転売先の楽器店からの購入者が見つかり、同等の58年型レスポールとの交換によってLucyはジョージの元へ帰って来ました。 同等品を手に入れるのにジョージ自らがアメリカまで飛んだそうで、協力してくれたギターのコレクターはジョージへの敬意を込めて1500ドルで売ってくれたそうです。 2013年に伝説の女優・Lucyのカスタム・レプリカ『GIBSON CUSTOM George Harrison / Eric Clapton Les Paul』が世界100本限定生産で発売されましたが、価格は約200万円!
歌の内容は、アメリカに暮らすロシア人の青年が何年ぶりかで“Back In The U.S.S.R.(ソ連に帰る)”というものですが、タイトルは当時イギリス政府が推進していた“I'm Backing The U.K.”から採って当初「I'm Backing The U.S.S.R.」だったとされます。 しかし、当時のビートルズの影響力からサスガに“I'm Backing The U.S.S.R.(ソ連を支持する)”ではシャレで済まない騒ぎになるとして、現在のタイトルに改められました。 ソ連政府は西側諸国のロックを固く禁じていたので、国内にはビートルズがツアーで訪れることはおろかレコード販売も許されていませんでしたが若者からの人気は絶大で、密輸や海賊盤が多数流入し中でもやはり「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の人気が一番だったそうです。
Well the Ukraine girls really knock me out ウクライナの娘たちには、マイッタよ They leave the West behind “西側”の話なんか、見向きもしない
このフレーズには、ビーチ・ボーイズの「California Girls」のエキスが詰まってます! 「California Girls」は全米各地の素敵なGirlsを紹介する歌ですが、ウクライナは美人が多いことで有名な土地柄ですね(現在ウクライナは独立国)♪ そんな女の子に“knock me out”という趣旨は、まさに「California Girls」から受け継いでいます。
And Moscow girls make me sing and shout モスクワの娘らにかかったら、歌い叫ばずにはいられなくなる That Georgia's always on my my my my my my my mind. “Georgia's always on my mind”…ってね!
ココも、面白いネタが隠されています! ここでいうGeorgiaは直接的にはアメリカ・ジョージア州のことではなく、旧ソ連の“グルジア”を指します。 グルジアをグルジア語で表記すると“საქართველო”という見慣れぬものですが、英語表記するとGeorgia(ジョージア)となることを知ったポールは、レイ・チャールズのカバーで有名なスタンダード・ナンバー「Georgia on my mind(我が心のジョージア)」に引っ掛けたのです♪
Let me hear your balalaika's ringing out あと、バラライカもたっぷり聴かせてよ Come and keep your comrade warm. 君の“同志”にも迎えてね