I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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Lil Dicky - Earth1
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Beatles(the other songs)


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Paul McCartney


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George Harrison


Ringo Starr


「バースデイ」ビートルズ

2022.06.03

category : Beatles & Solo

The Beatles - Birthday (1968年)

“1/365の出逢い”は偶然、それとも運命?でも誕生日にそれが起きればこのテンションも納得 ♪

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tags : 1968年 ロック エキサイト 誕生 ホワイト・アルバム 

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「ロッキー・ラックーン」ビートルズ

2021.09.27

category : Beatles & Solo

The Beatles - Rocky Raccoon (1968年)

完成された美しさではないけれど、彼の中に無数のダイヤの原石が埋蔵していると抱かせる作品

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tags : 1968年 フォーク ラグタイム 物語 ホワイト・アルバム 

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「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ビートルズ

2018.11.18

category : Beatles & Solo

Beatles - While My Guitar Gently Weeps1 Beatles - While My Guitar Gently Weeps2


The Beatles - While My Guitar Gently Weeps (1968年)



~概要~

「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(以下「ホワイル・マイ~」)は、1968年11月22日に発売されたビートルズ10作目のアルバム『ザ・ビートルズ(The Beatles)』(通称;『ホワイト・アルバム』) に収録された楽曲です(A-7)。
英・米両国でのシングル・カットはありませんが、同アルバムから「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のB面として、日本・ドイツ・フランス・イタリア・オランダ等で発売され各国でヒットを記録しています。
作詞・作曲/リード・ヴォーカルはジョージ・ハリスンで、当時クリーム(過去ログ)のギタリストとして人気絶頂にあったエリック・クラプトンをリード・ギターに迎え演奏された“泣きのギター”は特に有名です。
ジョージやエリックのキャリアに欠かせない代表曲であるだけでなく、ロックの歴史に残る名曲として絶大な人気があり、有名誌でも以下のように評価がなされています。

『ローリング・ストーン』誌
“500 Greatest Songs of All Time”136位(2011)
“100 Greatest Guitar Songs of All Time”7位(2008)
“100 Greatest Beatles Songs”10位(2011)
『GUITAR WORLD』誌
“100 Greatest Guitar Solos”42位(2008)

1968年2月、ビートルズはパーロフォンからの最後のシングルとなる「Lady Madonna」(過去ログ)のレコーディングを終えると、2月15日からインドで瞑想修行を行い(メンバーによって滞在期間は異なる)、5月30日から約5カ月近くに亘る新たなアルバムのレコーディング・セッションに入っています。
「ホワイル・マイ~」のレコーディングが始まったのは7月25日のことで、ジョージのギブソン・J-200とポールのハーモニウムを一部被せただけの素朴な音源でした(詳細次項)。
8月16日にメンバー4人が揃ったバンド編成で録音がなされ、その後も9月3日・9月5日と、第44テイクまでレコーディングが重ねられたものの納得できるサウンドが得られず、翌9月6日にジョージが友人のエリック・クラプトンを招きセッションしたことがあらゆる面で奏功し、ようやく作品が完成に至っています。


その後1971年12月の『バングラデシュ難民救済コンサート』と1987年の『プリンス・トラスト』ではジョージとエリック、リンゴ・スターが揃ったパフォーマンスが実現していますが、1971年時エリックはドラッグ中毒と盟友デュアン・オールマン急死(1971年10月29日)の影響を感じさせるものでした。
1991年には日本で12公演にも亘る『ジョージ・ハリスンwith エリック・クラプトン and his band』が催され、「ホワイル・マイ~」が目玉となっていたことをご記憶の方も多いでしょう。

ジョージの一周忌に催された2002年11月29日の『コンサート・フォー・ジョージ(Concert for George)』ではエリックがホスト役を務め、「ホワイル・マイ~」では元ビートルズのポール&リンゴに加えてジョージの長男ダーニ・ハリスンが演奏に参加し、盛大な追悼となりました。


 
 



~Lyrics~

I look at the floor and I see it needs sweeping
床を見ると、それは掃き清められるべきと気づく
The problems you sell are the troubles you're reaping
あなたが売る問題の数々は、あなたが受ける苦労の種

今月発売された『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション”のプロモとして「ホワイル・マイ~」の何種類かの未発表音源が公開されており、それを聴いてみるとレコーディング過程で歌詞が一部書き換えられていったことがわかります。

上段は『ホワイト・アルバム』 に収録の最終ver.下段は音源として残っている恐らく最初期と思われる1968年5月の最終週、英サリー州イーシャーにあるジョージの家にメンバーが集まって27曲のアコースティック・デモを録音した【Esher Demo】の、[Verse 1]の同じラインを並べてみました。
何れも[sweeping/reaping]と韻を意識しているのは同じですが最終ver.は1行目の[I look at...]を反復しリズム感を重視しているのに対し、Esher Demoは歌詞に深みを感じます。




I look at you all, see the love there that's sleeping
愛を眠らせたままのあなた
While my guitar gently weeps
傍らで、僕のギターはそっと涙を零す

ジョージがインド思想に造詣が深かったことは有名ですが、彼は古代中国の儒教・五経の一つ『易経』の本も持っていたそうです。
易経は“あらゆる出来事は起こるべくして起こる”という占いの理論と方法を説く書で、これに感銘を覚えたジョージが両親の家を訪ねたとき適当に取って開いた本のページにあった言葉【gently weeps】をテーマとして創作した作品が、「ホワイル・マイ~」でした。

そういわれてみると、変更された上の[Esher Demo]のラインを含め、歌詞の随所に感じられる示唆的な言葉の表現が腑に落ちるのではないでしょうか…。


I look from the wings at the play you are staging.
あなたが演じる芝居を舞台の袖から見ていよう
As I'm sitting here doing nothing but aging
ここに座り、ただ年老いてゆきながら

1968年7月25日のセッション初日のテイクにはあった[Verse 5]の歌詞です。
(最終ver.では[Verse 1]とほぼ同じ内容に差し替えられている)
このフレーズは『The Beatles' Anthology 3』で初めて公開された音源に含まれるものですが、2006年にシルク・ドゥ・ソレイユによるラスベガスでのミュージカル常設公演『Love』に提供されたのもこのバージョンにストリングス・アレンジを加えたもので(ビートルズもサウンドトラックとしてリミックス・アルバム『LOVE』を発売)、2016年にはその10周年を記念して新たにアーティスティックなミュージック・ビデオも制作されています。
今回の『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション”では1968年の同日録音された【Take 2】が公開されており、ここではジョージが歌の途中で“たぶん彼にもマイクを1本立てた方がいい”と指示を出しています。

ここでもやはり、差し替えられた歌詞の方が趣きがあるように思えます…。
そもそもが【gently weeps(静かに涙を流す)】であることを考慮すると当初の寂しげなアコースティックver.が自然で、むしろ最終ver.の強烈なエレキは【cry(声をあげて泣く)】に近い感覚といえるかもしれません。

 



~Epilogue~

11月29日は、ジョージ・ハリスンの命日。
今月23日からは、エリック・クラプトンの半生を描いたドキュメンタリー『エリック・クラプトン~12小節の人生~』が劇場公開されました。
先日クイーンの映画も公開されましたがあちらは“エンターテインメント”色が強く、こちらは“ドキュメンタリー”なので、当時の時代背景やエリックの人間関係・[黒い歴史]に知識・興味を持つファン向けの作品といえるでしょう。

 

「ホワイル・マイ~」でのジョージの“迷走”は、【gently weeps】な歌を【cry】な方向に向けようとしたアプローチにあったといえるかもしれません(初期のアコースティックだけで十分「Something」に匹敵する美曲である)。
障害となったのは[ジョージの技能不足]で、彼はテーマのような“泣きのギター”を表現しようと何度も試みたものの上手くできず、《9月3日》に居残って逆回転を用いた録音であれこれ試みましたが果たせず、エンジニアによるとこの段階で“エリック・クラプトンを参加させる”案が出たそうです。
《9月5日》には“逃亡”していたリンゴがスタジオに復帰しお祝いムードの中、一気に第44テイクまで録音されましたが結局満足できるサウンドは得られませんでした
エリックの記憶によると、“明日空いてる?”とジョージからの電話があったのはこの日だったそうです。

翌《9月6日》、二人同乗する車中で突然ジョージが“レコーディングに参加してソロ弾かない?”と持ち掛け、エリックは“ビートルズなんて恐れ多い”と固辞したものの、“だからどうした?僕の曲だ”と半ば強引に、そのままエリックをスタジオへと連れて来たようです。
そのためエリックはギターを持たず同日スタジオ入りすることになりますが、そこには直近までエリックが所有し1968年8月初旬にジョージに譲った【57年製ギブソン・レスポール“Lucy(ルーシー)”】が置かれてありました(Lucyは9/4に撮影された「Revolution」のビデオで確認できる)。

エリックにとって「ホワイル・マイ~」は初めて聴いた曲であるにも拘らず、レコーディング・セッションはわずか2テイクで完了しました。
しかも正式音源に採用されたのは最初のテイクといいますから、いくら即興に慣れているとはいえ、あれだけの“泣きのギター”を一発でやってのけるというのは、まさに“神”というほかはありません。
誘ったジョージ本人も“エリックがあれをプレイしたとき、本当に凄いと思った”と驚嘆していますが、エリック本人はNHK『SONGS』で“僕には簡単なことだった”と語っています。

しかし“クラプトン効果”は、それだけに止まりません。
ホワイト・アルバムのレコーディング・セッションはスタジオ中に怒号が響き渡り、リンゴ・スターやエンジニアのジェフ・エメリックが“逃亡”してしまうほど険悪な空気の中で行われていましたが、ジョージによると“エリックがいる間、みんな本当にお利口さんだった”といいます。
また、セッションの当初よりジョンもポールもジョージの曲に関心を示さず真剣に聴こうともせず、適当にレコーディングを済ませようとする風潮があったそうで、“あれ以来、みんなもっと本気になった。すごく真面目に仕事するようになった”と、ジョージは当時を振り返りました。
とりわけそれが顕著に表れているのはポールのベース・プレイで、ここでの彼の素晴らしい演奏はエリックのギターが刺激となったのは想像に難くなく、共演したエリック自身も“ジョンやジョージも素晴らしいミュージシャンだけど、彼らの中で最高のプレイヤーはポールだ”と、評しています。


一方、「ホワイル・マイ~」を演じた伝説の主演女優“Lucy”は1970年にジョージ宅で盗難の被害に遭い、紛失してしまいます。
1973年に転売先の楽器店からの購入者が見つかり、同等の58年型レスポールとの交換によってLucyはジョージの元へ帰って来ました。
同等品を手に入れるのにジョージ自らがアメリカまで飛んだそうで、協力してくれたギターのコレクターはジョージへの敬意を込めて1500ドルで売ってくれたそうです。
2013年に伝説の女優・Lucyのカスタム・レプリカ『GIBSON CUSTOM George Harrison / Eric Clapton Les Paul』が世界100本限定生産で発売されましたが、価格は約200万円!

世界に一つしかない本物の伝説の女優には、一体いくらの値がつくのでしょう…。 



「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」


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tags : ホワイト・アルバム ロック 偉大な曲 偉大なギター 

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「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」ビートルズ

2014.02.04

category : Beatles & Solo

Beatles - Back In The USSR1 Beatles - Back In The USSR2


The Beatles - Back In The U.S.S.R. (1968年)


~いよいよ、ソチ・オリンピック!~

いよいよ、現地時間2月7日午後8時14分(日本時間8日午前1時14分)の開会式により幕を開ける“ソチ・オリンピック(XXII Olympic Winter Games)”。
そこで、大会の公式テーマ・ソング(ロンドン大会・ミューズの「サバイバル」のような)を調べてみましたが見つからず(設けられていない?)、開(閉)会式の式典の内容は本番まで極秘で演奏曲や参加ミュージシャンなどの情報もほとんど伝わっていませんでした(一部、噂などあるが…?)。

そこで、今回は私の願望も込めて、開(閉)会式での演奏予想曲をお届けいたします!


~概要~

「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は、1968年11月22日リリース(英)のビートルズ9作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『The Beatles(通称;ホワイト・アルバム)』のオープニングを飾る作品です。
作詞作曲/リード・ヴォーカル共にポール・マッカートニーで、当時のシングル・カットはありませんが1976年にイギリスでリリースされ19位を記録しています。
ビートルズがビーチ・ボーイズ風のコーラスを取り入れたことや、当時イギリスやアメリカと“冷戦”状態にあったソ連(U.S.S.R./現在のロシア)を歌った作品として話題を呼びました。

歌の内容は、アメリカに暮らすロシア人の青年が何年ぶりかで“Back In The U.S.S.R.(ソ連に帰る)”というものですが、タイトルは当時イギリス政府が推進していた“I'm Backing The U.K.”から採って当初「I'm Backing The U.S.S.R.」だったとされます。
しかし、当時のビートルズの影響力からサスガに“I'm Backing The U.S.S.R.(ソ連を支持する)”ではシャレで済まない騒ぎになるとして、現在のタイトルに改められました。
ソ連政府は西側諸国のロックを固く禁じていたので、国内にはビートルズがツアーで訪れることはおろかレコード販売も許されていませんでしたが若者からの人気は絶大で、密輸や海賊盤が多数流入し中でもやはり「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の人気が一番だったそうです。

そんな彼らの願いが叶ったのはこの曲が発表されてから実に35年後の2003年、ポールによるロシア公演で、この時“モスクワ・赤の広場で真っ赤なシャツを纏い「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を歌う”ステージは、もはや伝説です!
このライブはプーチン大統領も観覧予定でしたが演奏時刻に遅れて来場したため、大統領のためにもう一度演奏し直されたという逸話まであり、映像にはシッカリとプーチン大統領も映っていますよ♪



冒頭で私がオリンピックでこの曲の演奏を期待したのは、プーチン大統領とのこうした因縁に由るもので、大統領が要望すればポールが断るはずはないと思ったからです。
ひょっとしたら、グラミーの流れからリンゴ・スターがドラムを叩くと期待するのは、妄想…!?


~パロディー・ソングとして~

「Back In The U.S.S.R.」はパロディー・ソングとしても有名ですが、その元歌となったのがチャック・ベリー「Back In The U.S.A.」
タイトルからして解り易いですが、主人公が飛行機で帰ってくることや祖国の良さを思うなど、趣旨もよく似ています。

また、ビーチ・ボーイズのパロディーという側面もあり、コーラスだけでなく彼らのいろんなエキスが注入された作品です。
ビートルズは1968年2月からインドのリシケシでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの瞑想修行に参加していますが、ここでビーチ・ボーイズのマイク・ラヴと一緒になり、ビーチ・ボーイズ風にするコツを伝授されています。
この作品でソ連の各地の女の子について語られているのはそのせいで、特に彼らの「California Girls」からは歌詞の一部も引用されました。

もっとも、瞑想なんて柄じゃないポールがこうした修行など長続きするハズもなく、“収穫♪”を得ると(メンバー中二番目に)サッサと帰国してしまったとさっ!
(ちなみに真っ先に逃げ出したのはリンゴ・スターで、ナンとなくワカるような…。


~リンゴ・スターが脱退!?~

修行を途中で放り出した災いか、この頃リンゴには“シャレにならない逃亡劇”が待っていたのです…。
メンバーが帰国後『ホワイト・アルバム』のセッションが始まりますが、ありがたい修行を積んだはずの彼らにかつてのチーム・ワークは存在せず、その心も行動もバラバラでした。

8月22日、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の打ち合わせでリンゴはポールにドラミングの注文を受けます
しかしその際、“こういう風に叩いてよ…”と難しいプレイを事も無げにポールがドラムを叩いて見せたことが、リンゴのプライドを傷つけました。
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」で少し触れたように、ずっとバンドに対する自らの貢献度に引け目を持っていたリンゴにとって、ポールの巧みなドラミングを見せられたことは“唯一”であるドラマーとしての存在価値を揺るがすモノだったに違いありません。

いたたまれなくなったリンゴはメンバーに脱退の意思を告げ、放浪の旅へと出てしまいます。
「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は彼が不在の間にレコーディングされた作品で、ここではポールがドラムを叩き、リード・ギターも務めました。
しばらくしてリンゴがバンドへと戻ってきますが、彼はポールのドラム・プレイを素直に讃え、自分のプレイで録音し直すようなこともしませんでした…。


~Lyrics~

この作品にはパロディーを含め、たくさん“仕掛け”が施されています

Well the Ukraine girls really knock me out
ウクライナの娘たちには、マイッタよ
They leave the West behind
“西側”の話なんか、見向きもしない

このフレーズには、ビーチ・ボーイズの「California Girls」のエキスが詰まってます!
「California Girls」は全米各地の素敵なGirlsを紹介する歌ですが、ウクライナは美人が多いことで有名な土地柄ですね(現在ウクライナは独立国)♪
そんな女の子に“knock me out”という趣旨は、まさに「California Girls」から受け継いでいます。


And Moscow girls make me sing and shout
モスクワの娘らにかかったら、歌い叫ばずにはいられなくなる
That Georgia's always on my my my my my my my mind.
“Georgia's always on my mind”…ってね!

ココも、面白いネタが隠されています!
ここでいうGeorgiaは直接的にはアメリカ・ジョージア州のことではなく、旧ソ連の“グルジア”を指します。
グルジアをグルジア語で表記すると“საქართველო”という見慣れぬものですが、英語表記するとGeorgia(ジョージア)となることを知ったポールは、レイ・チャールズのカバーで有名なスタンダード・ナンバー「Georgia on my mind(我が心のジョージア)」に引っ掛けたのです♪


Let me hear your balalaika's ringing out
あと、バラライカもたっぷり聴かせてよ
Come and keep your comrade warm.
君の“同志”にも迎えてね

ここもロシア風のネタが仕込まれています!
ギターではなくロシアの弦楽器“バラライカ”を引き合いに出してみたり、また特に“comrade”が特殊な意味を果たすのです。
comradeは仲間という意味ですが、敢えて friendを使わないのは“ここがソ連だから”!
つまり、この単語には“ 同志(共産党員)”という意味もあることから、この言葉を用いたと思われます。


~Epilogue~

この作品の面白さはビートルズ屈指のギター・サウンドやパロディーだけでなく、当時世界を二分した“東西”社会のギャップを一つの作品に組み込んだことにあります。
もし、“西側”・自由主義の盟主“アメリカ(U.S.)”と、東側・共産主義の盟主“ソ連(U.S.S.R.)”が交わったら…
だからこそ、U.S.S.R.を舞台としたこの作品で、最もアメリカらしさを象徴するビーチ・ボーイズ的なロックでアップローチしたのでしょう。

かつて東西社会の緊張は、“オリンピックのボイコット”という愚行を犯しました。
世界はそのような愚かな時代を克服したように見えますが、文化や利害の対立を根源とする“テロの脅威”は現在も増すばかりです。
異なる文化との出合いは、自らのアイデンティティーを識ることであり新たなものを生み出す可能性であって、異質を破壊するものではありません。
ソチ・オリンピックがそういう“出合いの場”であることを、強く願います…。



「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」


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tags : 1968年 ロック ホワイト・アルバム 

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