I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ザ・パウンド・イズ・シンキング」ポール・マッカートニー

2022.05.09

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - The Pound Is Sinking (1982年)

小品ながらビートルズ+ポールらしさが凝縮された佳曲。こういう曲を創れるとき彼は絶好調です!

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tags : 1982年 AOR お金 郷愁 ポール・マッカートニー  

comment(6) 

「ジャンク/シンガロング・ジャンク」ポール・マッカートニー

2020.11.24

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Junk / Singalong Junk (1970年)

ポールも自分を“Junk”と思うことがあるのだろうか…「Yesterday」に劣らない甘美と黄昏 ♪

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tags : 70's フォーク 哀愁 アコースティック ポール・マッカートニー 

comment(4) 

「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」ポール・マッカートニー

2019.01.18

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - No More Lonely Nights1 Paul McCartney - No More Lonely Nights2


Paul McCartney - No More Lonely Nights (1984年)



~概要~

「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」はポール・マッカートニー1984年の5thアルバム『ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)』の収録曲です。
アルバムから唯一のシングルで、1984年9月24日にリリースされ US Billboard Hot 100 で6位(1985年の年間72位)、全英は2位(年間22位)を記録しました。
楽曲はポール自らが主演/脚本/音楽を務めた1984年のミュージカル映画『ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)』の主題歌として創作され、1984年『ゴールデングローブ賞』[Best Original Song]、1985年『英国アカデミー賞』[Original Song Written for a Film]にノミネートされています。


「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」には【バラード編】「No More Lonely Nights (Ballad)」と【プレイアウト編】「No More Lonely Nights (playout version)」があり、本記事で主に扱うのは【バラード編】です。

【バラード編】は「Yesterday」や「My Love」に通じる甘くせつないバラードで、デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)とエリック・スチュワート(10cc)がゲスト参加しており、特に間奏部やアウトロのデヴィッドによるギター・ソロは甘さ一辺倒を緩和する効果を与え、聴き所の一つです。
またバラード編は3種類あって、[アルバム ver.]は冒頭に雨音のSEとベースが入っており、[シングル ver.]はいきなりの歌い出し、「バラード/リプライズ ver.」は「No Values〜No More Lonely Nights (ballad reprise)」と表記され判り辛いのですがこのパートの終末部に入っている僅か十数秒ほどのストリングス・インストゥルメンタルで、「No Values」と次曲「For No One」の橋渡しとなっています。

意外に面白いのが、しっとりバラードをダンス調に変えた【プレイアウト編】です。
「No More Lonely Nights」のオリジナルは【バラード編】ですが、ポールらしいというか、やっぱり映画は素人というか…
実は、映画が出来上がって配給元の20世紀フォックスに見せた所、エンドロールに音楽がないことを指摘され、主題歌をアップテンポにしたものを入れたらと要望を受けて【プレイアウト編】が生まれました。
そのためかギター系、キーボード、ドラムスをポール一人で演奏しており、せつないはずのメロディを残しながらリズムを崩して楽しいダンス調に変える芸当をいとも簡単にやってしまう彼の音楽センスには、改めて驚かされるばかりです。


残念なのは、「No More Lonely Nights」がチャート的にも、楽曲的にもポールの80年代のベストに入る作品でありながら、恐らくツアーで演奏されていないことです。
80年代のの楽曲では「Coming Up」(過去ログ)が多用されるくらいで、後は89年からの【ゲット・バック・ツアー】で直近の『Flowers In The Dirt』の楽曲や「Ebony And Ivory」(過去ログ)が取り上げられたことはありますが…。
ポールにとって80年代は、“忘れ去りたい時代”? 


 
 



~『ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)』~

1980年に【日本での麻薬所持による逮捕】と【ジョン・レノン暗殺】で幕を開けた80年代は、ポールにとって混迷の時代でした。
76歳を迎えた現在でも世界を駆け巡っている彼が、80年代という長い期間ツアー活動を殆んど行わなかったというのはかなり異常なことであり、それは音楽作品に対する彼のアプローチをも変化させた気がします。
以前からその方面への興味はあったともいわれますが、このタイミングで映画を試みたのには、そんな背景も影響していたかもしれません。


1982年11月、ポール自らが主演/脚本/音楽を務めるミュージカル映画『ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)』がクランク・イン。
ミュージカル映画で最も大事な要素といえば【音楽】ですが、そこはギネスブックに【ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家】として認定されたポール、何の心配も要りません!
ポールがポール・マッカートニーというミュージシャンを演じる物語であり、“僕の映画にビートルズの曲が入っていなければ観る人は納得しないだろう”と考え、解散後初めてビートルズの楽曲を再録音することを決め「Yesterday」「The Long And Winding Road」(過去ログ)ほか6曲を採用、ウイングスからも「心のラヴ・ソング」、近年のソロ3曲、新曲3曲ほか珠玉の名曲の数々をセルフ・カバー&新録しています。

また、ビートルズ・サウンドといえばメンバーのリンゴ・スターであり、プロデューサーのジョージ・マーティン&エンジニアのジェフ・エメリックで、彼らもこの企画に賛同し快く参加してくれました。
ただしリンゴは映画への参加は快諾したものの“1/2のビートルズはごめんだ”と、ビートルズ曲の演奏については固辞しています。
(※この辺がリンゴらしいのですが、ジョージ一人がのけ者になるようなことを嫌ったのでしょう)


豪華なのは、楽曲に限りません。
リンゴ以外でレコーディングに参加したゲスト・ミュージシャンはデヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)やエリック・スチュワート(10cc)、ジョン・ポール・ジョーンズ(元レッド・ツェッペリン)、デイヴ・エドモンズ、クリス・スペディング、スティーヴ・ルカサー/ジェフ・ポーカロ(TOTO)ほか、超豪華な顔ぶれでした。

ポールがミュージシャンという設定からライブ・シーンが満載ですが、中でもクライマックスは「心のラヴ・ソング」(過去ログ)でしょう。
ゲスト・プレイヤーはジェフ・ポーカロ&スティーブ・ルカサー、ルイス・ジョンソン(ブラザーズ・ジョンソン)で、劇中ではまっ白猫のような姿に扮して演奏しており、途中ムーン・ウォークで入ってくるダンサーはマイケル・ジャクソンにそれを教えたシャラマー(Shalamar)のジェフリー・ダニエルです。

 


“あの映画の失敗でポールも目が覚めた” ジョージ・ハリスン

一方、映画作品としての評価はジョージのそれが象徴しています。
本作は、ポールのニュー・アルバムのマスター・テープが行方不明になり、それを探索する物語であり、この発想自体はセックス・ピストルズ1977年のスタジオ・アルバム『勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)』のオリジナル・マスター・テープが紛失した事件からヒントを得ているといわれます。
(同作のプロデューサー、クリス・トーマスはウイングスの『Back to the Egg』のプロデューサーでもある)

大命題は【(レコード会社乗っ取りを阻止するため)24時間以内にテープを発見すること!】であるにも拘らず、スクリーンの中のポールは歌や演奏に忙しく、(イメージの中で)19世紀の貴族となって優雅に舟遊びしています…。
ポールが企画したということで、ビートルズのテレビ映画『Magical Mystery Tour』を引き合いに出されることがありますが、『Magical Mystery Tour』を評価する一人として、両者は[似て非なるもの]と考えます。
『Magical Mystery Tour』は[ナンセンス]であってそもそも論理も果たすべき目的もありませんが、『ヤァ!ブロード・ストリート』は[24時間以内にテープを発見する]という明確な目的を謳いながらそれを果たそうとせず、別のことばかりやっているために生じる論理矛盾が不評の原因です。
しかも、【終幕の引き方】がそれにトドメを刺す…。 
(詰まる所、ポールが本当にやりたかったのは映画ではなく、ライブだったのでしょう)


…とまぁ、散々な書き方をしましたが、ファンにとっては“ここでしか聴けない(見られない)ポール”があるので貴重な映像集です。
私の宝物はサントラに収録されていない、ここでしか聴けない「Yesterday」!
たぶんこれはゲリラ的にやったのだろうけど、彼ってこういう仕掛けが好きですよね? 



~Epilogue~

「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」はメロディ・メーカー、ポール・マッカートニーの名に恥じない美曲ですが、この映画の主題といえるほどの共通点はありません。
劇中では物語の終盤、会社乗っ取り期限10分前の23:50ころマスター・テープを探して行き着いたブロード・ストリート駅で、ポールが“ひとりぼっち”佇むシーンに使われており、この場面にはよく馴染んでいます(※ブロード・ストリート駅は1986年に閉鎖された)。
しかしこのシーンは元々BGMもないままに編集が一旦終了しており、映画完成後の見直しの時点で物足りなさを覚えたポールがこの場面に合わせて書き下ろしたのが「No More Lonely Nights」だったそうです。




むしろ、私が一番好きな「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」は、PV ver. (メイン動画)です。
全般として映画と歌い手の歌唱シーンを編集したよくあるタイプの映像ですが、私が好きなのは歌が始まるまでの【前置き】の部分
前置きの長いPVは当時スーパースターの証で、これが災いしてTV放映の際この前置きの部分がカットされてしまうことも少なくありません。
しかし「No More Lonely Nights」に限って言うなら、【前置きこそがこの映像で最も大事】です。

冒頭でポールが一人コーヒーを作りながら電話を掛けるものの、相手は出そうにありません。
諦めて少し残念そうに受話器を置くと、コーヒーを持って口笛を吹きながら屋上へと上がり、朝日に向かってこう口ずさむのです…。

I can wait another day
また一日、待てばいい
until I call you
明日、君に電話するまで…

繋がらない電話にショックを受けたり絶望するでもなく、“少し悲しそう”なところが、逆に“その日常性”を感じさせます。
愛に、代わり得るものなどない…
「No More Lonely Nights」は、そんな誰かの心のささやきです。



「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」


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tags : 80's ポール・マッカートニー バラード せつない愛 

comment(14) 

「カミング・アップ」ポール・マッカートニー

2018.08.31

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - Coming Up1 Paul McCartney - Coming Up2


Paul McCartney - Coming Up (1980年)



~概要~

「カミング・アップ」はポール・マッカートニー1980年5月16日(UK)発表の2ndソロ・アルバム『マッカートニーII (McCartney II)』の収録曲で、同4月11日に先行シングルとしてカットされ、全英2位/アメリカBillboard Hot 100でNo.1(3週/年間7位)を記録しました。
本曲のスタジオ音源はポールのソロ作品ですが、それ以前にもウイングスのUKツアーで演奏されており、シングルB面には1979年12月17日に行われたWingsのグラスゴー公演(スコットランド)のライブ音源「Coming Up(Live at Glasgow)」が収録されています。
アメリカでは、契約先であるコロムビア・レコードが“アメリカ人はポールの本当の声の方を好む”との判断から、B面のライブver.をプロモート(事業推進)する独自の方針が採られ、ラジオ局も主にライブver.を流し、シングルを買った人の多くもそれを想定して購入していたため、実質的に「Coming Up(Live at Glasgow)」がA面と認識されました。

「Coming Up」はウイングスの『Back to the Egg』発表後の1979年夏にポールがスコットランド自宅農場のスタジオでワンマン・レコーディングしたもので、スタジオver.はポールがヴォーカル/キーボード/ギター/ベース/ドラムス、奥さんのリンダがコーラスを担当しました。
当時はクラフトワークやYMOなど“テクノポップ”(Technopop)が世界的なブームとなっており、サウンドにはその影響が強く感じられます。
実際にポールは、まず最初にドラム・トラックから取り掛かり、ギターとベースを加え、ヴォーカルは後回しというリズム重視の創作過程が採られ、ポールの声も【vari-speed】というテープマシンを使用して録音されました。

PVもワンマンな創りとなっていて、“The Plastic Macs”なる怪しげなバンド(Plastic Ono Bandに敬意を表したネーミング)をポールとリンダが一人何役も務めています。
その何れも個性的なキャラクター揃いですが実在の人物で、ハンク・マーヴィン(The Shadowsのギタリスト)やロン・メイル(Sparksのキーボード)、ジョン・ボーナム(Led Zeppelinのドラマー)、バディ・ホリー、アンディ・マッケイ(Roxy Music.のサックス)、フランク・ザッパなどをポールが一人で演じました。
でも、忘れてはならないのはそこにBeatles時代のポール自身も含まれていることで、それについてポールは“(役が多過ぎて)最後はほとんどウンザリしてしまったよ。でも昔の衣装を着たらそれが過去のことだと思えなくて、本当に20年前に戻ったような感覚だった”と語っています。

意外な所ではジョン・レノンが“a good piece of work”と高く評していることで、とりわけ“ライブ・バージョンよりスタジオ・テイクの方がぶっ飛んでて好き”と言及したそうです。
ジョンは1980年10月に「(Just Like) Starting Over」で音楽界に復帰していますが、ポールの「Coming Up」がそれを早めたとする説もあります。

「Coming Up」は1989年からの『The Paul McCartney World Tour』以降ライブで取り上げられることの多いナンバーで、2009年にポールが出演した『Late Show with David Letterman』ではビートルズ時代以来の『Rooftop Concert』を実現させていますが、本曲もそのセットリストの一つとして演奏されました。


 
 



~Lyrics~

You want a friend you- can rely on
頼れる友だちがお望みかい?
One who will never fade away
決して色褪せることのないやつ

このラインは、何れも短命に終わったビートルズやウイングスのことを思い起こさせます。
特にウイングスはセールスこそ好調だったもののアルバム毎にメンバーが入れ替わっているような内情で、常にポールの悩みの種でした。

ポールにとってビートルズ時代はジョン・レノンがよき相談相手でしたが、いざ互いに袂を分けてみると音楽界の頂点に立つ彼らの領域にアドバイスできる人間などそうそういるものではなく、加えて“(友情の)色褪せることのないやつ”となると…
そういう意味で、ビートルズ解散後ジョンもポールも孤独だったといわれます。


You're not alone, we all could use it
きみは一人ぼっちじゃない、みんながそれを望んでいる
Stick around we're nearly there
だから離れずいるんだよ、もうすぐだから

サウンドが“おフザケ”気味なので歌詞もチャラいと思うかもしれませんが、意外とマジメでしょ?
平和とか自由とか、よりよい未来とか…。

そう、それを望んでいるのは一人だけじゃない、“みんなが望んでいる”だけに、時にそれを巡って争いが生じてしまうこともあります。
争って“Winner Takes It All(勝者が全て取る)”か、争いを避け“share(みんなで分け合う)”か…

あなたなら、どっち?


It's coming up, it's coming up
芽生えの時が近づいている
It's coming up like a flower
It's coming up, 花のように

「Coming Up」はポールにしては珍しいテクノポップ調の曲ですが、日本のテクノポップ・バンド YMOのアルバム『増殖』収録の「NICE AGE」に、こんなフレーズ(間奏部分)があります。

“ニュース速報…22番は今日で1週間経ってしまったのですけれども、でももうそこにはいなくなって彼は花のように姿を現わします。Coming up like a flower…”

「Coming Up」は1980年4月発売、『増殖』は同年6月発売…これは単なる偶然の一致?





~Epilogue~

「Coming Up」が発表された“1980年”は、ポールにとって決して忘れることのできない年。
一つは同年12月8日に発生した“ジョン・レノン殺害事件”(過去ログ)、そしてもう一つは1月16日にポール自身が起こした“日本での大麻所持による逮捕”です。
この来日はウイングスの日本公演のためのものですが、ポールの逮捕によって同公演は全て中止となっただけでなく、結果的にウイングスの活動休止から解散への流れを導きました。

そして、この時日本の留置場で付けられたポールの番号が“22番”でした。
また、YMOの「NICE AGE」で“22番”“Coming up like a flower”とアナウンスしている女性はサディスティック・ミカ・バンドの加藤ミカ(1975年以降は福井ミカ)で、実は1月16日の事件当日ポールに同行していたメンバーの一人だったのです。
ウイングス1979年のアルバム『Back to the Egg』にはビートルズの『ホワイト・アルバム』のアシスタント・プロデューサーだったクリス・トーマス(Chris Thomas)がプロデューサーとして携わっていますが、彼は1974年にサディスティック・ミカ・バンドのプロデューサーも務めており、以来ミカとは恋仲で、そうした縁から彼女はポールの来日に際しての案内役を任され、事件が起こらなければウイングスとYMOのセッションが行われる予定だったといいます(YMOの高橋幸宏も元ミカ・バンドのメンバー)。


当時ポールがYMOに少なからず影響を受けていたことは、彼に“らしくないアルバム”『McCartney II』を創らせたことからも想像に難くありませんが、特にそれを感じさせるのがインストゥルメンタルの「Frozen Jap」
日本での逮捕から4カ月後に発表された作品のタイトルに【Jap】という日本人への蔑称を用いたことから(※日本盤では「Frozen Japanese/フローズン・ジャパニーズ」に変更された)、事件を知っている誰もが“日本人への遺恨”を連想すると思いますが、曲自体はYMO 1978年の「FIRECRACKER」を彷彿とさせる“癒やしアジアンテイストなテクノポップ”です(※「FIRECRACKER」はアメリカの作曲家Martin Dennyのカバー)。

ただし「Frozen Jap」の“録音時期は来日前(1979年 6-7月)”であり、ここからは個人的な推測ですが、ウイングス初の来日公演で日本の観客を喜ばせようと日本をイメージした曲をレコーディングしたものの、予想外の日本側の仕打ちに“わからず屋め!”という愛憎を込めてタイトルだけ「Frozen Jap」に変更したのではないでしょうか…。

 


ところで、ポールは今年6月にCBSのトーク番組『The Late Late Show with James Corden』の人気コーナー【Carpool Karaoke(相乗りカラオケ)】に出演し、日本で逮捕され留置場に入れられた際のエピソードについて回顧しています。
ポールがこの事件で拘留されたのは1980年の1/16-1/25までの9日間ですが、“有名人じゃなかったら7年間の労役だった”と告白しました。
また、留置場で最後の日に他の囚人と一緒に共同浴場で入浴したそうで、その理由について“イチゴ畑で永遠に(Strawberry Fields Forever)働いてるような匂いがしてきたから”と、彼ならではのユーモアを交えてその時の状況を説明したそうです。

ここに紹介したエピソードはアメリカで8月20日に放送されたSP版で加えられた映像の中で語られた話で、下の動画はそれが含まれない通常版と思われます。
ただし、内容はポールがリヴァプールで当時暮らしていた家やペニー・レイン(過去ログ)を巡ったり、現地パブでサプライズ・ギグを行うなど、非常に楽しい内容になっているのでファンの方は必見です(字幕は日本語翻訳も可)!



今月ニュー・アルバム『Egypt Station』を発表し、来月は日本公演が控えている御齢76歳の“Sir Paul McCartney”。
この映像を見ていると、彼がツアーを止められない理由がよくわかるでしょう? 



「カミング・アップ」


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tags : 1980年 テクノ 名作MV ポール・マッカートニー 

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「エボニー・アンド・アイボリー」ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー

2017.08.18

category : Beatles & Solo

Paul McCartney Stevie Wonder - Ebony and Ivory1 Paul McCartney Stevie Wonder - Ebony and Ivory2


Paul McCartney & Stevie Wonder - Ebony and Ivory (1982年)



~Oh Lord, Why Don't We?~

「Ebony and Ivory」はもう35年前に発表された作品ですが、人類は現在も“この問題”を争い続けています…。
8月12日、アメリカ・バージニア州シャーロッツビルで集会した白人至上主義者らとそれに抗議する人々(カウンター)が衝突し、ナチス・ドイツの総統ヒトラーを崇拝する白人至上主義者の男がカウンターの群衆の中に車を突進させ女性1人が死亡、19人が負傷する事件が発生しました(⇒記事)。

アメリカは“自由の国”として実に多くの人種や民族・文化・宗教を受け入れ、それをエネルギーに変えて世界の超大国となりましたが、それだけに“異物が交わる軋轢”という内なる火種には歴代政権も相当の注意を払ってきました。
しかし、それを一つにまとめるべき役割を持つ政府が特定の小数派を“えこひいき”したとしたら…?



~概要~

「Ebony and Ivory」は1982年ポール・マッカートニーの4thアルバム『タッグ・オブ・ウォー(Tug of War)』からの1stシングルで、Billboard Hot 100は7週No.1(年間4位/2013年の“All-Time”ランクで69位)でビートルズ時代の「抱きしめたい」に並ぶ生涯2番目のNo.1獲得週数で、イギリスでも週間No.1を記録し、意外にもビートルズ以外では唯一の英米No.1達成シングルです。
白人ロック界のスーパースターのポールとブラック・ミュージックを代表するスティーヴィー・ワンダーという“夢の共演”の仕掛け人はポール本人で、コメディアンのスパイク・ミリガンの言葉"black notes, white notes, and you need to play the two to make harmony, folks!"から「Ebony and Ivory」を“ピアノの鍵盤で白人と黒人の調和の比喩”とするアイデアを得て、その相手[Ebony]として希望したのがスティーヴィーでした。
実は、ポールは“Little-”時代からスティーヴィーのファンで、ウイングス1973年の『Red Rose Speedway』アルバム・ジャケットに刻まれた“We love youの点字”がスティーヴィーに宛てたメッセージであることは有名です。

ただ、この時点で二人は直接連絡を取り合う関係ではなく、ポールの妻リンダのお父さんから更に別のレコード会社の知人を経由してスティーヴィーにオファーが届けられました。
一方のスティーヴィーもこの頃南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する歌を発表しており、“ポールとは似たような考え方だし、この曲も押し付けがましくないし音楽で社会のことを考えてみようと上品に訴えているのがいい”と乗り気で、1981年2月からポールのいるカリブ海のモンセラット島でのセッションに参加しています。
また、マルチ・プレイヤーの二人らしく、全ての演奏とヴォーカルはポールとスティーヴィーによる多重録音で完結させました。

反面、ポールとスティーヴィーがピアノを連弾する微笑ましいPVは実は“合成”で、二人はスケジュールが合わなかったためポールはロンドンで、スティーヴィーはロサンゼルスで撮影したものを一つに編集し、更にポールはこの頃習得した“分身の術”も披露しています。
デュエットという特殊形態のため二人による再現はごく限られていますが、1989年11月27日にポールのロサンゼルス公演にスティーヴィーが飛び入り参加したという記録があります。
また、2010年にポールは米国議会図書館がポピュラー音楽で世界の文化に大きな影響を与えた作曲家・演奏家に贈る“ガーシュウィン賞”を受賞していますが、6月2日に授賞式&トリビュート・コンサートがオバマ大統領出席のホワイトハウスで開催され、その際、前年同賞を受賞したスティーヴィーと「Ebony and Ivory」の再演を実現させました。

 
 



~We All Know That People Are The Same Where Ever We Go~

超大国アメリカを揺るがす人種差別問題

かつて黒人奴隷制度を布き、その後も多民族国家であり続けたアメリカでは、黒人が大統領になる時代が訪れても、人種差別やそれに起因するヘイトクライム(憎悪犯罪)が今も後を絶ちません。
8月12日に事件が発生したバージニア州シャーロッツビルはアメリカ東部にあって人口5万人弱、“アメリカ国内で最も住みやすい都市”にも選ばれたこともあるバージニア大学を中心とした小さな学園都市です。
でも何故、こんな田舎町で全米を揺るがすような大事件が起こってしまったのでしょうか…
テレビ・ニュースでは伝えられないその経緯について、調べてみました。


そもそも、争いの元となったのはシャーロッツビルの解放公園(旧:リー公園)に設置されている銅像を撤去する、しないの揉め事でした。
この銅像はバージニア州出身で南北戦争の南部連合・軍司令官も務めたロバート・E・リー将軍の像(リー将軍像)で、郷土の英雄である一方、“南軍は黒人奴隷制度存続のために戦い”、戦後ネイサン・フォレスト将軍が白人至上主義の秘密結社“クー・クラックス・クラン(KKK)を結成”するなど人種差別の歴史を示す“負の遺産”としての側面もあります。
特に2015年6月にアメリカ・サウスカロライナ州で黒人9人が殺害された【チャールストン教会銃撃事件】に於いて、“犯人の男が南部連合国旗を崇拝”していたことから全米に“南軍のモニュメントは人種差別を助長する”という警戒感が高まり、今年4月にシャーロッツビル市議会もリー将軍像の撤去を決定しました。

しかし黒人奴隷制度存続のために戦った南軍を崇拝する者にとってそれは許し難いことであり、オルタナティブ右翼(alt-right)は5月にリチャード・B・スペンサー氏がシャーロッツビルでリー将軍像撤去反対集会を開き、7月にはKKKも反対デモ行進を展開し23人の逮捕者を出す騒ぎとなりました。

そして、8/11-12の反対集会【ユナイト・ザ・ライト・ラリー(Unite the Right Rally)】では事前にネットで仲間の参加を呼び掛けたことにより当日シャーロッツビルには既出の右翼団体に加え、全国から"Heil Trump!" を唱える[ネオナチ]自動小銃を装備する物騒な連中を含む数百人が集まって来たためバージニア州知事は非常事態を宣言、警察当局が白人至上主義側に不法集会の解散を命じましたが、その後発生したのが日本のニュースでも報じられたネオナチの男が集会に抗議する市民の人波に車を突っ込ませたあの殺傷事件です。


しかしそれ以上に波紋を呼んでいるのは、自国民が人種差別主義者の活動に抵抗して生じた争いを“どっちもどっち”と人種差別を許容するかのように評定し、ヘイトクライム(憎悪犯罪)によって死者まで出した白人至上主義側の責任を名指しで言及することを避けたトランプ大統領の姿勢でした。

これには民主党だけでなく与党である共和党の元大統領ブッシュ氏父子までが連名でトランプ氏を批難、事件から次の休日となった19日には人種差別に反対する抗議デモが全米各地で行われ、ボストンでは白人の極右グループが数十人で集会を開くも差別を許さない市民らが4万人押し寄せ、数に圧倒された極右グループは警察の保護を受けて退出したそうです。



~Epilogue~

現代のアメリカに於いて殆んどの国民はもちろん、人種差別は悪であり白人至上主義やネオナチのような差別的な極右思想は恥ずべきものと認識しています。
…なのに何故、トランプ大統領は大多数の国民の反感を買うことを承知で、ごく少数派である極右側を擁護する立場をとったのでしょう?

それは、彼らがトランプ大統領当選に貢献し、その後も彼を自分たちのカリスマであるかのように熱烈に応援する貴重な支持者であるからです。
つまり、政策・言動次第で敵にも味方にも変わり寄付もくれない不特定多数の国民よりも、具体的利害を共有し多額の金もくれる金持ちや熱心に選挙応援してくれる極右団体を大事にした方が信用できる…という考え方なのでしょう。
しかし、残念ながら差別ヘイト団体と政権の蜜月は、日本も同じ…。


そして、奇しくも私はこの記事を編集中、整理していた古新聞の中に“ヘイトとの闘い~在日コリアン3世”(今年5/27付)という記事を見つけました(※同じ内容を扱った⇒毎日新聞web)。

川崎市桜本地区は[コリアタウン]とも呼ばれ、在日コリアンをはじめフィリピンや南米の出身者を受け入れ誰もが認め合い、尊重し合う“共生の街”
ある在日コリアン3世の女性は家族とそこで暮らしていますが2015年11月、桜本地区が突如ヘイト・デモの標的となり、彼らが繰り返し街にやって来るようになりました。
(※手元の新聞によるとこの団体は【在特会】であり、主催者の男は【日本第一党】の党首として今年都知事選に立候補している)

“ゴキブリ朝鮮人、祖国に帰れ、死ね、殺す…”

主催者の男は[日本浄化デモ]と題してネット上で参加者を募っては訪れ、そんな言葉を浴びせました。
そして、女性の中学生の息子が“差別を止めてください”と抗議すると、男らは指差して嘲笑ったといいます。
その様子を見て女性は“もう逃げない。子どもたちをヘイト・スピーチに触れさせない”と、闘うことを決めました。
実名を公表し、顔をさらして横浜地方法務局や参議院の法務委員会に訴え、その勇気ある言動が『ヘイトスピーチ対策法』成立※(2016年6月)の追い風になり、それによって役所や警察の対処も改善されたそうです。
(※日本は2014年、国連からヘイトスピーチ問題に毅然と対処し法律で規制するよう勧告を受けていた)


Ebony And Ivory Live Together In Perfect Harmony
黒鍵と白鍵、ピアノの上で寄り添い
Side By Side On My Piano Keyboard, Oh Lord, Why Don't We?
完璧なハーモニーで共に暮らしてる…あぁ神さま、どうして僕らはそうじゃないの?

法律は政治家や役人の不正を隠ぺいするためのものではなく、罪なく虐げられる国民を守るためのもの。
差別ある所に正義は立たず、その範はまず上に立つ者が示さなければなりません。
あなたの一挙一動で、国民は変わることもできるのです…。



「エボニー・アンド・アイボリー」


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