I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
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With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


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Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


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Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ハロー・グッドバイ」ビートルズ

2021.03.19

category : Beatles & Solo

The Beatles - Hello, Goodbye (1967年)

一方が“hello”で他方が“goodbye”ならどうなる?平易な言葉で紡がれた詩は、意外に奥が深い

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tags : -60's サイケデリック マジカル・ミステリー・ツアー 

comment(4) 

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」ビートルズ

2020.11.30

category : Beatles & Solo

The Beatles - Strawberry Fields Forever (1967年)

ジョン・レノン案内によるマジカル・ミステリー・ツアー!ビートルズのベスト・ソングの一つ ♪

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tags : サイケデリック 偉大な曲 名作MV マジカル・ミステリー・ツアー 

comment(6) 

「フール・オン・ザ・ヒル」ビートルズ

2019.02.22

category : Beatles & Solo

The Beatles - The Fool On The Hill (1967年)


~概要~

「フール・オン・ザ・ヒル」は、1967年12月26日にイギリスBBC1で放映されたビートルズ制作・主演のテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)』に挿入された6曲の新作サウンド・トラックの一つです。
イギリスではこの6曲入りの2枚組EPが同年12月8日にリリースされましたが、アメリカでは米キャピトル・レコードがこれを踏襲せずA面にサウンド・トラック6曲、B面にシングル盤既発売曲の5曲を編集した11曲入りコンピレーション・アルバム『Magical Mystery Tour』を同年11月27日にリリースしました(現在はこの米キャピトル編集盤が公式オリジナル・アルバムと同等の扱いとなっている)。

「フール・オン・ザ・ヒル」の作者/ヴォーカルはポール・マッカートニーで、『Sgt. Pepper's』の「With a Little Help from My Friends」(過去ログ)のセッション中にアイデアを思いつき、ジョン・レノンに演奏して聴かせると“書き留めとけ”と勧められるほど気に入られ、1980年にもジョンは Playboy 誌のインタビューで“良い歌詞だ。彼の完璧な曲を書く才能を証明している”と絶賛しました。

「The Fool On The Hill」は1967年9月6日、最初にポールのピアノ弾き語りのデモテープとして録音されました(『The Beatles' Anthology 2』demo)。
その後9月25日に正規の録音が開始され、ジョン&ジョージのハーモニカとポールのリコーダー、リンゴのドラムを加えた「Take 4」を作成しますが(『The Beatles' Anthology 2』Take 4)この時点で歌詞は完成しておらず、翌9月26日に殆んどの楽器を差し替えた音源が作成され、これにフルートなどオーバーダビングしてマスターとなっています。
映画のサウンドトラックとはいえ、「The Fool On The Hill」は“摩訶不思議な行き先秘密の小旅行”がテーマの物語にそぐわない作風であった事に加え、楽曲に相応しい撮影場所が見つからなかったためポールがメンバーから離れ単身フランスのニースに渡って撮影しており、これが逆に美しく幻想的な風景と“ひとりぼっち”な雰囲気を醸し出す効果となりました。

ビートルズ自身のシングル・カットはありませんがブラジルのミュージシャン、セルジオ・メンデス(Sergio Mendes & Brasil '66)によるボサノヴァ風カバーが1968年にBillboard Hot 100 の6位(年間69位)を記録したほか、フォー・トップスやシャーリー・バッシー、ヘレン・レディなど多くのミュージシャンにカバーされました。
もちろんビートルズによるライブ演奏はないものの、ポール率いるウイングス1979年のツアーで初演され、また初めてビートルズの楽曲をふんだんに盛り込んだ1989-90年の『ゲット・バック・ツアー』ではポールの“この曲をジョン、ジョージ、リンゴに捧げます”の紹介から演奏が始められたことをご記憶の方も多いでしょう。


 
 



~【 The Fool On The Hill 】の人物像~

But the fool on the hill
愚か者は丘の上

言うまでもなく【fool】は[ばか者]の類いを意味する言葉ですが
[道化師、笑い者、阿呆、頓馬、 間抜け、虚(うつ)け、戯(たわ)け…]
この作品の主人公に合う fool の日本語が見つかりません。

本作の主人公について、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインのアシスタントとしてデビュー前からメンバーとプライベートな時間を共有してきたアリステア・テイラー(Alistair Taylor)の著書『Yesterday: My Life With the Beatles』によると、ポールと彼の愛犬マーサ(Martha)とロンドンのプリムローズ・ヒル (Primrose Hill)を散歩した際、不思議な男に出会ったことから着想を得ているとしています。
ポールが登る朝日を眺めている隙にマーサがいなくなってしまい、代わりにそこにはレインコートの紳士が立っていて、挨拶を交わし数秒後にふり返るといなくなっていた…というものです。

またポール自身は主人公を、ビートルズもインドでその瞑想修行に参加したことで知られるヒンドゥー教に由来する思想家“マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのような人物のことを歌っている”と言及したとの情報もあります。
それによるとマハリシを中傷する人は彼をそのような言葉で呼んでいたらしく、それでも超然とマントラ(मन्त्र /真言)を唱え続けるさまを表したのでしょうか…。

一方で1989-90年の『ゲット・バック・ツアー』で「The Fool On The Hill」のアウトロに、アメリカ公民権運動の指導者キング牧師(Martin Luther King, Jr.)の有名な【I Have a Dream】の演説が挿入されました。
単に“孤高の賢人”のイメージが重なるといえばそのとおりですが、私は別の共通点も見つけました。
キング牧師は1967年8月27日にイリノイ州シカゴのMt. Pisgah Baptist Churchで【Why Jesus Called a Man a Fool】と題する説教を行っており、その中に“And yet a Galilean peasant had the audacity to call that man a fool.(それでもまだキリスト教徒/ガリレオの小百姓は、あの男をばかと呼ぶ大胆さを持っていました)”という一節があるのです!
「The Fool On The Hill」のレコーディングは1967年9月以降なので、本作はこの説教からインスピレーションを得ているという説もアリ…?




And the eyes in his head
その頭の中に
See the world spinning around
回る地球を浮かべながら

このフレーズから、『地動説』を唱えてカトリック教会から有罪判決(無期刑)を受けた後も“E pur si muove「それでも(地球は)動く」”と主張した16-17世紀イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)を思い浮かべる方も多いでしょう。
ただしガリレオがこの発言をしたかは懐疑的とされ、彼は異端審問で「地動説を貫いて死を選ぶ」か「地動説を棄て生を得る」かを迫られ、後者を選択しています。
(当時カトリック教会の教義は『天動説』と一致しており、地動説はこれに反する考えだった)

ガリレオはその後、約8年間軟禁されたまま人生の幕を閉じました。
しかしこの間・彼はただ失意のどん底で死んでいったわけではなく、両眼を失明しながらも自らが生涯を懸けて発見した地動説の科学的真実を世に伝えようと、最後の著作『新科学対話』を編纂(1638年)しています。
この本はオランダなどプロテスタント国で発刊され多くの学者に広汎な影響を残し、奇しくもガリレオが没した1642年に生誕したアイザック・ニュートンによって後に地動説の正しさが裏付けられることになるのです。

「信念を貫き、真実に殉ずる」
「真実を棄て、魂を抜かれた亡者として長らえる」か…



~独裁者はこうして、“真実を告げる口”を封殺してゆく~

戦前の大日本帝国がどのようにして滅亡していったかを教訓として心に刻む私にとって、見逃すことのできない“危険な兆候”がまた一つ…
“公共放送・NHK”が、揺れています。


NHK組織大改変で“反権力”職員72名が提出した反論意見書 2019.02.17.

NHK上層部が今年6月からのスタートを検討している番組制作体制の改編案に対し、“一部署・全72名職員の抗議を表した要望書”(※管理職を含む/海外留学中の部員を除く)が提出される異例の事態が起きていると、報じられています。
提出したのは制作局【文化・福祉番組部】で、『ETV特集』や『こころの時代』、『ハートネットTV』『ろうを生きる 難聴を生きる』などを制作している部署。

改編案によると、現在の制作局「8部署」を「6制作ユニット」に再編すると謳っており、しかし組織図を見る限り実質的に既存部署の殆んどが横滑りする名目だけの変更で、“文化・福祉番組部だけが消滅し他ユニットに分割配分される”という偏った変革となっている印象です。
「文化・福祉番組部がなくなる=番組がなくなる」という意味ではありません)
この改編案に制作局は“幅広い制作スキルを育てるため”と説明する一方、『ハートネットTV』『ろうを生きる 難聴を生きる』の福祉系ディレクターが『あさイチ』を担当するユニットへの編入案が示されるなど、専門性を蔑ろにする編成に局内からも“公共放送としての番組の質の低下につながる”との反発が挙がっているそうです。
更に同局は“各ユニットには部長に相当するジャンル長がいて、人事発令がなくても、それぞれのジャンル長の判断でユニットをまたいだ異動ができるようになる”と説明していますが、つまりこれはジャンル長の人事権強化策であり、現場の局員はより切迫に人事異動の圧力を感じ上司の顔色を窺うことになりはしないでしょうか…。


なぜ文化・福祉番組部だけが複数ユニットに分割配分?

文化・福祉番組部は、『ハートネットTV』などその名が示すとおり、障がい者や精神疾患、認知症や難病・LGBT、いじめ、苦境にある本人とその家族…といった他人に相談しづらい悩みやマイノリティといった“生きづらさ”を抱えている人に寄り添う姿勢を何より大切にしている部署です。

一方で現在・過去を問わず様々な社会問題をテーマとするドキュメンタリー番組『ETV特集』を一言で表すなら“真摯”で、近年“誰かへの忖度で骨抜きになっしまった”局の看板番組『NHKスペシャル』より遥かに重厚なドキュメンタリーを提供してきました。
しかし【原子力政策及び原発事故】や【沖縄問題】【戦争犯罪及び歴史問題】など、その真実追及への真摯な姿勢こそが“歴史修正主義”といわれる安倍晋三氏の価値観と相容れぬものであり、現に第2次安倍内閣発足後の2013年4月から放送時間が深夜に下げられ、それでも権力に屈せず数多くの受賞を重ねてきたことから“最後の良心”と評される一方で近年、安倍首相の“お友だち”が占めるNHK幹部との軋轢(あつれき)が懸念されていた部署でもありました。



~文化・福祉番組部と、安倍首相との深い因縁~

しかしそんな文化・福祉番組部も、かつて“疑惑の当事者”となったことがあります。
2001年1月30日に放送されたNHK・ETV2001(現・ETV特集)「戦争をどう裁くか」シリーズ第2夜『問われる戦時性暴力』が、“政治家の圧力によって番組内容が改変されていた”と2005年1月12日に朝日新聞が報じた、いわゆる「NHK番組改変問題」です。
その圧力を与えたとされる政治家こそが、安倍晋三・内閣官房副長官(当時)と自民党・中川昭一議員でした。

報道の翌1月13日、この番組の制作現場作業の一切を取り仕切る立場にあった長井デスクは記者会見を行い、“改変によって番組の企画意図は大きく損なわれ、番組としての体を為さないものとなってしまった”と、問題について説明しました(以下は経過の要旨)。

2001年1月下旬、安倍・中川議員らにNHK国会対策担当のN幹部(総合企画室担当室長)が呼び出され、番組の放送中止を強く求められた
N幹部は放送前日の1月29日午後、M幹部(放送総局長)を伴って安倍・中川議員を再訪、説明し理解を求めるも了解は得られず、M幹部は「番組内容を変更するので、放送させてほしい」と発言。
同日、M幹部はNHKに戻り番組内容の変更を制作現場に指示、44分の番組は43分となる。
放送当日の1月30日夕方、M幹部は内容をさらに3分カットするよう指示、番組は40分となり放送される。
同番組の永田チーフプロデューサーは“(単純に)4分切ったというのではなく、どうでもよいものをいっぱい足して、足して…いったけども40分にしかならなかった”と証言

1月19日午後、NHKは記者会見を開きコンプライアンス(法令順守)推進室の調査結果を発表。
政治的圧力は感じなかったので政治的圧力はなかった”と結論づける…

しかし朝日新聞は番組改変の証拠とされる録音テープを所持しているとされ(音源自体は未公開)、NHK会見にも参加したM幹部を取材した録音テープの内容がフリージャーナリストにリーク・公開されており、それによるとM幹部は…
脅しとは思ったけど、より公平性、中立性、そういうものにきちっと責任持って作らねばならないという気持ちは持った。相手につけ入るスキを与えてはいけないという緊張感が出てきたのは事実”と、発言しています。

同日、コンプライアンス推進室からの調査結果を受け取った長井デスク
十三日の私の記者会見以降にNHKが取った対応から明らかなように、政治家に魂を売り渡してしまった現経営陣主導で行われた調査結果は、全く信用することができない。NHKの多くの職員から私に、ヒアリングを受けた関係者が、事実を隠ぺいし経営陣が書いたシナリオを受け入れるよう、大変な圧力を受けたと伝えられている。NHKが独自に真相を究明することが不可能なことは明らかだ。第三者機関による徹底的な調査を行い、真相を究明すべきだ”とのコメントを残しました。


永田浩三氏:政治権力による放送の私物化を許してはならない



~Epilogue~

安倍政権の誕生以来、公共放送・NHKのあり方が著しく変容しました。
2013年から安倍首相がNHKの最高決議機関の経営委員に自分の近しい人物を充てる異例の人事を行い、経営委員会がNHK会長を任免することで、“安倍首相が事実上NHKの最高決議者”となったからです。

【安倍一強】と呼ばれる絶大な支配力は、彼一人に決定権を集中させ自分に忠誠を誓った者だけにアメ玉を分け与える契約によって生まれます。

ご存知ないと思いますが、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』は安倍首相にとって最大の支援団体のお偉いさんの『ファミリーヒストリー』で、“誰も知らない松陰の妹がなぜ主人公?”の秘密がそこにあると私は考えます(詳細は過去ログ「フリーダム」ワム!へ)。
これがその典型であるように、安倍首相は右派団体古典芸能芸能界、スポーツ界などに強力な支持基盤があり、近年NHKではそれと重なる【日本(人)】【幕末~昭和】【能・歌舞伎】【お笑い・吉本】【ドラマ】をテーマとした番組が増加している現象と無関係ではないでしょう。

問題は、こうした安倍氏の自己都合によってコンテンツが【王様が支持者に配るアメ玉】として差配されていることで、公共放送として国民に知らせなければならないことや、提供すべき有用な教養・情報番組が削られてしまっていることです。
【不条理なえこひいき】の蔓延によって、上から与えられるアメ玉に喜々としている紛いものが栄え、森友スクープ記者のような“真実追及の心”を持ったジャーナリストを失うことです。


NHKがここまで安倍首相にすり寄るのは、彼の強権に諂(へつら)うだけではありません。
2017年12月には『NHK受信契約訴訟』で、加計学園関係者を含む安倍首相が任命した最高裁判事によって下された最高裁判決「テレビを設置した時点までさかのぼり受信料を支払う義務」を獲得し、昨年9月中間連結決算は受信料収入3.0%増で中間期として5年連続で過去最高を更新しました。
加えて今年も、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認する『放送法改正案』が3月上旬に国会に提出される予定であることを考えれば、NHK経営陣にとって安倍首相がどのような存在か想像に難くはないでしょう。

このように、「みなさまのNHK」にとって何より優先されるのは【カネ】であり、2001年に「NHK番組改変問題」を起こした原因も【カネ】だったといわれます。
1月下旬に安倍氏らが番組介入した時期は、ちょうど【自民党総務部会でNHK予算審議直前】であり、そんなタイミングで内閣官房副長官(当時)である安倍氏に“只では済まないぞ。勘繰れ”と言われ、幹部が不安になって過敏に忖度してしまった…というのが当時の複数の関係者の証言に一致するところです。


そして、いまこの時、NHKをはじめとするマスメディアはただ権力者に怯え忖度しているだけでなく、政治権力と手を結び、利害を一致させて目先の利益に走っている次元にあることを、この国の民は看過すべきではありません。

何故なら、“政治権力とメディアが利害を一致させた【挙国一致報道】こそが、この国を先の大戦へ向かわせる原動力だった”からです。
当初は新聞も軍や政府の不条理に抗していたものの圧力に屈して彼らの不正に口を噤(つぐ)み、やがて戦争によって新聞売り上げが倍増して味を占めると政府以上に戦争拡大を煽るようになりました。
また、戦前の近衛文麿首相はラジオ放送を独占運営する日本放送協会(現NHK)の総裁でもあり、自らの演説にラジオを巧みに活用して日中戦争に対する国民の戦意高揚を駆り立てました

…現在の状況と似ていると思いませんか?
でも、この国で二度とそんな歴史を繰り返させてはなりません。
たとえ、彼らに「The Fool On The Hill」と呼ばれようと…。

(※長~い文章にお付き合いくださり、本当のありがとうございました



「フール・オン・ザ・ヒル」


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tags : マジカル・ミステリー・ツアー バラード 美しい 物語  

comment(8) 

「ペニー・レイン」ビートルズ

2016.03.11

category : Beatles & Solo

Beatles - Penny Lane1 Beatles - Penny Lane2


The Beatles - Penny Lane (1967年)



~ジョン・レノン、髪を切る。~

ジョン・レノンは1967年に『ジョン・レノンの 僕の戦争 How I Won the War』という作品で、ビートルズ以外では初めて映画に出演しました。
その際ジョンは兵士役を演じるため長髪をバッサリ切り落としていますが、その時の毛髪が半世紀を経て先日オークションされた…というハナシ。
出品者はハンブルクの理髪師(映画の撮影はドイツだった)で、長さ約10センチの髪の束《写真》は2月20日の競売で3万5000ドル(約400万円)で落札されたそうです。

…ということで、本日は“床屋さん”を舞台としたビートルズ作品のご紹介です♪
(※先日亡くなったジョージ・マーティンについては、後日改めて特集いたします。)

Beatles - Penny Lane3 



~概要~

「ペニー・レイン」は1967年2月(英;17日/米;13日)にリリースした14枚目のオリジナル・シングル(「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と両A面)で、イギリスでは1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)以来“4年ぶりに1位になれなかった”(3週2位)と騒がれたのは、ビートルズならではといえるのでしょう。
ビートルズ歴代でも屈指といえるこの超強力両A面シングルのNo.1を阻んだのはエンゲルベルト・フンパーディンクの「Release Me」という曲で、この出来事についてリンゴ・スターは“連続No.1がプレッシャーだったのでホッとした”と振り返り、『全曲解説シリーズ(2) ザ・ビートルズ』(邦題)でジョン・ロバートソンは“こんな結果になったことは、当時イギリスのレコード購買層だった者全員にとって永遠に恥じるべき”とまで言及しました。
一方アメリカBillboard Hot 100では「ペニー・レイン」が単独A面で、ビートルズ13番目のNo.1(1週/年間55位)に輝いています。
また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Timeで449位”にもランクインしている楽曲でもあります。

作者&リードヴォーカルはポール・マッカートニー(詞の一部をジョンが手伝っている)で、彼は以前から故郷リヴァプールにある“Penny Lane”という地名に詩的な響きを感じそれをモチーフとした曲を作りたいと願望していたらしく、ジョンが故郷を題材とした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に取り掛かったのに触発され、本格的に創作を始めたといわれています。
「ペニー・レイン」は大ヒット曲であるにも拘らず公式アルバムに収められなかったため、同曲が収録された米キャピトル編集盤のサウンド・トラック『マジカル・ミステリー・ツアー』が長らく重宝されました。

ポップで聴き易い曲ですが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のセッションで録音されているため、サウンドはビートルズの中で最も手間が掛けられた作品の一つといえます。
レコーディングには1966年12月29日から1ヶ月近く費やしており、その間何度も録音→リダクション(トラックを整理)→オーバー・ダビングを繰り返し、特にピアノはポール、ジョン、ジョージ・マーティンらで6~7回ダビングを重ねたそうです。
それでもまだポールが満足できずいた1月11日の夜、BBCで放送されていたクラシック・コンサートでバッハの「ブランデンブルグ協奏曲第二番ホ長調」のトランペットに閃きを覚え、早速翌日この奏者デヴィッド・メイスンを呼び寄せいろいろ試した結果バロック調の“ピッコロ・トランペット”が選ばれ、「Penny Lane」で印象的なあの目の覚めるような間奏ソロが取り入れられました。

ビートルズのアウトテイク集『The Beatles' Anthology 2』ではさまざまなテイクからの音源を一つにした編集になっていますが、確かにあのトランペット・ソロが無いと気の抜けたサイダーのような物足りなさを覚え、ポールが最後までここに拘った理由がよくわかります。
「ペニー・レイン」はツアーをやめた直後の作品なのでビートルズでのライブ演奏は実現しておらず(何れにしても当時の機材では再現しようもない)、ポールがソロになってからの映像でお楽しみください♪

 



~Lyrics~

In Penny Lane there is a barber showing photographs
ペニー・レインにある床屋さんは、カットした
Of every head he's had the pleasure to know
数々の写真を人に見せるのが生き甲斐

イギリスにはイタリア系の理髪店が多いそうで、ポールによるとこの床屋はペニー・レインに実在した『BIOLETTI』《写真》というお店をモデルにしており(PVにもチラッと映っている)、写真が貼ってあったり立ち止まって挨拶を交わすクダリも実話だそうです。
現在もこの建物はありますが『BIOLETTI』は無くなっており、『Tony Slavin』という別の床屋が入っています。
ちなみに大のビートルズ・ファンとして知られる森高千里はこの地にオマージュを込めた「Tony Slavin」という作品を発表していますよ。(PVは“ご当地巡り”となっていて、ビートルズ・ファンも楽しめます♪)

Beatles - Penny Lane4 


And the banker never wears a mac
だってこのお偉いさん、どんな土砂降りでも
In the pouring rain, very strange
レイン・コートを着ないんだ…おかしいね?

【mac】は[Macintosh]の略で、スコットランドの化学者チャールズ・マッキントッシュが1823年にゴム製の防水布を発明したことから“レインコート”が生まれました。
もちろん、[McCartney]姓を持つ“ポールのあだ名”に引っ掛けてもいますよ♪

何故、彼は土砂降りでもレイン・コートを着ないのだろう…
なんて、真剣に考えた方はいませんか?
このエピソードについて、ポール本人は“多少でっち上げた”と語っているそうです。
…おかしいね? 


A four of fish and finger pies
4つの“フィッシュ・アンド・フィンガー・パイ”
In summer, meanwhile back
夏がくると、あの頃を思い出す

【fish and finger pies】は、素直に考えるとイギリスを代表する料理[fish-and-chips]を想像するでしょう。
ポールはこの点について、“殆んどの人は聞いたこともないだろうしご婦人方は決して口にしないだろうけど、【finger pies】は猥(わい)談好きなリヴァプールの若者にとってちょっとした冗談なんだ”と語っています。
すなわち【fish】【finger】【pies】は何れも“スラング的には性的表現”であり、夏がくるとそれを思い出すと言いたいらしい…? 


Behind the shelter in the middle of a roundabout
ラウンドアバウトの真ん中にある待合所の後ろで
The pretty nurse is selling poppies from a tray
かわいいナースがトレーを下げてヒナゲシを売っているよ

Beatles - Penny Lane5

【roundabout】は“環状交差点”を意味する主にイギリスで用いられる言葉で、日本ではアメリカ式の“ロータリー(rotary)”の方が一般的でしょう。
PVでこのフレーズの一瞬にチラッと流れる“バスロータリー”《写真》は実際ペニー・レインにあるもので、具体的にはこれをモデルとしていると思われます。

イギリスには戦没者を追悼する“Remembrance Day(11月11日)”という記念日があって、募金の協力者に赤いヒナゲシの造花を配ることから“Poppy Day”とも呼ばれています。
ちなみに、1995年にリリースされた「Free as a Bird」のPVにはこのフレーズを想起させるワン・シーンが込められているので、見逃していた方はリンクからどうぞ♪



~Epilogue~

ビートルズの故郷リヴァプール (Liverpool) は“海商都市リヴァプール”として世界遺産にも登録されるイギリスの歴史上も重要な役割を果たしてきた港町ですが、その発展の陰には“奴隷貿易の拠点”という負の歴史もある町です。
このうち【Penny Lane】はリヴァプールにある“通り(及び地区)の名前”であり、その歴史を物語るように名称は奴隷商人ジェイムズ・ペニーに由来しています。

報道によるとリヴァプール市議会は先日、ビートルズが同市に与える経済および文化的影響について『Beatles Heritage In Liverpool And Its Economic And Cultural Sector Impact』なる報告書として初めて発表しました。
それによると人口約43万人のリヴァプール市に於いて、解散後40年以上経つにも拘らずビートルズに関連する経済効果は毎年15%伸びており、その額は8,200万ポンド(約137億円)/年にも及んでいるといいます。


Penny Lane is in my ears and in my eyes
ペニー・レインは、今も僕の目と耳に残る故郷の情景
There beneath the blue suburban skies
街はずれの青い空の下
I sit, and meanwhile back
そこに座り、あの頃を思い出す


ビートルズのメンバーにとってペニー・レインは家からはおよそ2~3km離れた場所に位置し、ポールにとっては母校Liverpool Instituteやビートルズの演奏拠点だったCavern Clubへの通り道にあり、とりわけジョンは実際に住んだこともあったそうです。
「Penny Lane」に登場する人々は彼らのような大スターではなく、地元の人しか知らないようなごく普通の人たちばかり。

日本のお笑い界の大御所・志村けんの、彼が得意とする“爺さんコント”や“変なおじさん”は小学校教諭だった父・憲司さんをモデルにしたといわれ、また芸名の“けん”(本名;康徳)も父の名前から取ったものだそうです。
そう考えてみると、私たちの何気ない日常の中にもユーモアたっぷりで“おかしいね?”と思わずツッコミを入れたくなるような魅力的な人たちが埋もれているのかもしれません。

あした街を歩くあなたに、そんな楽しい出会いがありますように♪ 



「ペニー・レイン」


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tags : 1967年 偉大な曲 サイケデリック 故郷 物語 心地よい マジカル・ミステリー・ツアー 

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