「サウンド・オブ・サイレンス」は言うまでもなくサイモン&ガーファンクルの代名詞としてあまりに有名な作品であり、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 156位”にも数えられた歴史的名曲です。 ただし、ヒットに至るまで意外にも紆余曲折のある作品なので、それも併せてご紹介しましょう。
「The Sound of Silence」はポール・サイモンが21歳(1962年頃)の時に書いたものが元となった作品で、ポールは大学を卒業後6か月ほど出版社やレコード会社に本曲を含む自作曲の売り込みをかけましたが相手にされず、結局自分で歌うことを決意しました(一時「The Sound of Silence」などの権利を彼らに譲渡するつもりだったものの対立が発生し取り止めた)。 その後アート・ガーファンクルとのコンビを復活させた(1957年に【Tom & Jerry】を結成)ところをコロムビア・レコードのプロデューサー、トム・ウィルソンに見出されコーラスとアコースティック・ギターのみで構成された非常にシンプルな「The Sound of Silence」の最初の音源を含む1stアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』を1964年に発表しました。 しかし発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったためポールはヨーロッパへ放浪、アートも学業の道に戻るなどS&Gはデビュー早々から解散含みの状態に陥ってしまいます。
1965年、ポールのロンドンを拠点とする音楽活動が軌道に乗り始め、BBCのラジオ番組で曲が放送され好評を博したためイギリスでソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』を発表、ここでも「The Sound of Silence」は“ポールのソロ作品”として再レコーディング・収録されました。 しかし“瓢箪(ひょうたん)から駒”とはこの事で、同じ頃アメリカのFM局でも「The Sound Of Silence」の人気が高まる現象が起こっていたため『水曜の朝、午前3時』のプロデューサーのトム・ウィルソンは、自身が当時担当していたボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」のレコーディング・ミュージシャンを使って、1964年ver.の「The Sound Of Silence」を独断でエレクトリック・ギターとドラムスを加えるなどフォーク・ロック調にリミックスし直して同年9月にシングルとして発売、これが翌年1月にBillboard Hot 100で2週No.1(1966年の54位)という思わぬ大成果を挙げています。
この“棚から牡丹餅”的幸運(?)によって、解散の危機にあったサイモン&ガーファンクルの二人が急きょ招集され、1966年に本シングルを含む2ndアルバム『サウンド・オブ・サイレンス(Sounds of Silence)』を発表すると、これが世界中でベストセラーを記録し、一気に彼らの人気を確固たるものとしました。 翌1967年にはダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のテーマ曲となり、S&Gの作品群をメインとしたサウンドトラックも全米No.1に輝いています。
~Lyrics~
Hello darkness, my old friend 暗闇よ、こんにちは…僕の古い友だち I've come to talk with you again また君と話しに来た
イントロからの悲しくも寂しげなギターの旋律が印象的であり、出だしから“[darkness]を[my old friend]と呼ぶ主人公”について興味を覚えずにはいられないでしょう。 辞書によると【darkness】には“暗さ、暗やみ、心のやみ、無知、腹黒さ、邪悪、不明瞭、あいまい、秘密…”などネガティブなイメージの定義が並びます。 ただし、ポール自身にとって“darkness(暗闇)は集中力を高めるもの”だそうで、だからこそ[my old friend]なのでしょう。 彼は風呂場で蛇口から流れる水の音を聞くのが好きで、“「The Sound of Silence」は風呂場で電気を消して真っ暗の中で作曲した”そうです。 そんなリラックス・モードから生まれたせいか、歌の出だしは当初“【Aloha(ハワイ語の挨拶)】 darkness”だったと、アートが証言していますよ!
もちろん、本作の主人公にとって[darkness]がポールと同じ意味をもつとは限りませんが…。
And the people bowed and prayed …そして人々は額(ぬか)ずき、祈った To the neon god they made 自らが創り出したネオンの神に向かって
このセンテンスが含まれる3番の歌詞には“形だけのコミュニケーションに終始する人々”が描かれており、“自分の意思を伝えようとも、相手の気持ちに耳を傾けようとも、そしてそんな社会の風潮に抗おうともせずただ沈黙しているだけの人々のさまを【the sound of silence】”と形容しているようにも思えます。
「ノトーリアス」はデュラン・デュラン1986年の4thアルバム『Notorious』からの1stシングルで、Billboard Hot 100の2位(1987年の年間25位)を記録した作品です。 1985年のライヴ・エイドを最後にロジャー・テイラーがショー・ビジネスに疲れて音楽業界を引退し実家の農場経営に専念、残った4人で『Notorious』の創作に取り掛かりますがギタリストのアンディ・テイラーの志向する音楽と他のメンバーとの隔たりは大きく、作業は途中で挫折してしまいます。 レコーディング継続を渋るアンディをスタジオに復帰させるため法的措置まで取って彼を連れ戻し作業を再開したものの、得られたのは全員にとって不快極まりない結果でしかありませんでした。
そこで結局アンディとのセッションは諦め、1983年の「The Reflex」でリミックスを担当したナイル・ロジャースの力を借りることにしました。 ナイルは優秀なギタリストであるだけでなく、80年代にはデヴィッド・ボウイの『Let's Dance』やマドンナの『Like a Virgin』を大ヒットさせた当代随一のプロデューサーであり、この選択は本作の成功の大きな要因となります。 「Notorious」のサウンドで特徴的な“ファンク”とブラス・セクションはナイルによるアイデアであり、とりわけ彼のファンクなギター・プレイには一聴で“それでいこう!”となったそうです(ただし、本曲のギターには[Additional musicians]としてアンディの名も残されている)。
And who really gives a damn for a flaky bandit? そんな危うい無法者を誰が本気で相手にする? Don't ask me to bleed about it そして、俺の血をアテにしないでくれ
歌詞のストーリーは映画『汚名』とは類似していないように思いますが、【悪名高い誰か】を批判しています。 デュラン・デュランは体制批判のバンドではないし[当時彼らが置かれていた状況]から、作者の一人サイモン・ル・ボンが“[who really gives a damn for a flaky bandit]は【the guitarist】への当て擦り”と言及したという話もありますが、定かではありません(wikiでは[要出典]が付されている)。