I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ハロー」アデル

2017.02.17

category : Adele

Adele - Hello1 Adele - Hello2


Adele - Hello (2015年)



~アデル、またしてもグラミー5冠!~

日本時間2月13日午前に行われた『第59回グラミー賞授賞式』に於いて、やっぱりアデルが強かった!
アデルは今回グラミーで5部門にノミネートされていましたがその全て“5部門受賞”を成し遂げ、2009年の最優秀新人賞以来同授賞式での“不敗伝説”を更新する結果となりました。

一方、長年ロック界の重要人物と評されトータル・セールス1億枚以上を誇りながらも殆んどグラミーとは縁の無かったスーパースター、デヴィッド・ボウイが最期のアルバム『★(Blackstar)』関連でアデルと並ぶ最多5部門を受賞したことも大きな話題となった授賞式でした。
(※これまでデヴィッドの受賞は1985年の最優秀短編ミュージック・ビデオ賞と2006年の特別功労賞生涯業績賞のみ)



~概要~

「ハロー」は、今やイギリス(…いや、世界)を代表する女性歌手アデルの3rdアルバム『25』からの1stシングルで、Billboard Hot 100の10週No.1(2016年の年間7位)をはじめ世界中でNo.1に輝くなど、2015年末までに1,230万枚がリリースされました。
歴代記録を塗り替えることとなったYouTubeでは、公開24時間で2770万回の再生回数を記録し(VEVO)、最速(5日間)で1億回を達成、2017年2月19日現在までで約18億8000万回再生されています!

5部門を受賞した『第59回グラミー賞授賞式』では、うち3部門が本曲による受賞で、その内訳は以下のとおりとなっています。

最優秀レコード(Record Of The Year)
最優秀楽曲(Song Of The Year)
最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス(Best Pop Solo Performance)
(※アルバム『25』は、“Album Of The Year”と“Best Pop Vocal Album”の2部門を受賞)

…要するに最高栄誉とされる“主要4部門”のうち資格のない新人賞以外の3部門を独占したわけで、まさに堂々たる“この年の顔”であり、またしても前作『21』に続いての圧倒的な強さを見せつけた形となりました。
しかしAlbum Of The Yearに関してはビヨンセの『Lemonade』を予想した専門家やミュージシャンも多く、当のアデル本人も授賞式のスピーチで…

この賞は多分、受け取れない。とても畏れ多くて、すごく感謝していて嬉しく思っているけど、私の人生で最愛のアーティストはビヨンセなの。私にとってあのアルバム、『Lemonade』は、とてつもなく偉大で、思慮深く、すごく美しくて、ソウルに満ち、あなたのいつもとは違う面を私たちに見せてくれた。私たちはそのことを感謝している。私たちアーティストはみな、あなたを崇拝しています。あなたは私たちの光です。そしてあなたは、私や私の友人たち、私の黒人の友人達を力づけた。自分たちのために立ち上がろうという気にさせる。愛してます。ずっとそうだったし、これからもずっと

…とまでビヨンセを称え、彼女を涙ぐませる一幕もありました。
(※グラミーは元々保守的であり、黒人でヒラリー・クリントン支援者として有名なビヨンセが不利に扱われたという風説も背景にある)
それに反して、いとも簡単に5部門受賞を達成したかに見えるアデルですが、『25』は他人には全く想像もつかない“難産の末”に生まれた作品でした…(これについては後ほど詳しくお伝えします)。


 



~Lyrics~

Hello, it's me
Hello...私
I was wondering if after all these years
あれから、何年もこの胸に問い掛けてきたの

【hello】は広範に使える呼び掛け・挨拶ですが、日本の【こんにちは】は日中にしか使えないし電話以外で【もしもし】とは言いません。
歌詞を読むと、この物語は“何年も前に別れた元恋人への叶わぬ慕情と謝罪”であり、そんなせつないストーリーにのほほんと【こんにちは】もナイでしょ?
MVでアデルが何度も電話しているシーンが編集されていることから、電話の設定で【もしもし】として問題ないと思うのですが…

個人的には電話だけでなく、“電話できずに(あるいは電話していない間も)心のうちで届かぬ想いを彼に宛てている”せつなさにも含みを持たせたいと思ったので、敢えて日本語化せず【Hello】のままにしておきました。


Hello, can you hear me?
Hello...ねぇ聞こえてる?
I'm in California dreaming about who we used to be
いま私、あの頃ともに抱いた“カリフォルニアの夢”の中にいるの

アデルはロンドン育ちのイギリス人ですが、スーパースターとなって以降の活動の拠点はアメリカで、現在は家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスのビバリーヒルズに豪邸を構えて暮らしています。
カリフォルニアは19世紀にアメリカで起きた“ゴールドラッシュ”の舞台であり、人々が金脈を目当てに各地から続々と移住した伝説は【California Dream】として語り継がれました。
アデルの場合、ビジネスの成功があってカリフォルニアに移住できたとも思えますが、彼女はこの地に“家族とのCalifornia Dream”を築こうとしていたのかもしれません。

しかしドナルド・トランプが大統領に当選したことでアデル自身はイギリスへの帰国を真剣に考えているとも言われ、子どものことと考え合わせ決めかねているとも伝えられます。


Hello, how are you?
Hello...元気でいる?
It's so typical of me to talk about myself. I'm sorry
…ごめん、これじゃ自分のことばかり喋るいつもの私ね

…ところで、今回も“ネタ”をご用意いたしました!

「Hello」というと、80年代フリークの方は“あの人”を思い起こすのではないでしょうか?
…そう、ライオネル・リッチーが1984年に大ヒットさせた名バラード、「Hello」
アデルの「Hello」が一時は盗作とも騒がれたものの(トム・ウェイツの「Martha」との類似も指摘されている)、当のライオネルは熱烈に彼女とのコラボを望んでいるとされていましたが…

YouTubeのマッシュアップが、先に“実現”させちゃいました!
この映像は、2人がそれぞれのPVで電話越しに“Hello”を応答する形で編集されていますが、続けてライオネルが“Is it me you're looking for?(君が捜しているのは僕なんだろう?)”と切実に問い掛ける最中アデルが取った行動、そして直後のライオネルの反応が…!? 





~Epilogue~

“21世紀で最も売れたアルバム”に認定された『21』のリリース後、次々ともたらされる栄誉以外にアデルの身には公私に亘り大きな変化が起きています。
2011年には歌手生命にも係わる喉頭炎の手術をし、2012年秋には事実婚のパートナー、サイモン・コネッキーとの間に男児を出産、アデルは24歳で母となりました。

アデルがアルバムのタイトルに自身の年齢(制作に着手した当時の年齢)を掲げていることは有名ですが、『25』はまさに制作に着手した2013年の年齢であり、実際に『25』を発表できた時は既に27歳となっていたことがその“難産”を物語っています。
2013年、アデルは前作『21』プロデューサーのリック・ルービンと共に“母性”をテーマに制作を始めるもののアルバム全体があまりに退屈な出来ばえだったため廃棄、休暇を取ってアイデアを練るも何も生まれなかったほど極度のスランプに陥っていました。
そのため友人のキッド・ハープーン (Kid Harpoon) をプロデューサーに迎えてみたものの肝心のアデル本人はスランプのままで、さらには「Rumour Has It」のライアン・テダー(Ryan Tedder)とセッションを試みても決定的な成果は得られませんでした。

転機となったのは翌年、2人組の音楽ユニットThe Bird and the Beeのグレッグ・カースティンとの出会いで、「Hello」は彼とアデルによる共作です。
しかしそれでもアデルは“相変わらず”だったそうで、そのため曲の完成まで約6ヶ月を要したといいます。
この気の長くなるような共同作業について、グレッグは“いつまで経っても曲は未完成のままでアデルが曲を仕上げるつもりがあるのかともどかしかったけれど、ただ彼女を信じて待つしかなかった”とふり返っています。

一方のアデルにとって「Hello」は単なる“特定の元恋人への慕情や謝罪”ではなく、友達や元恋人、家族、ファン…そして彼女自身へのメッセージだったそうです。
スーパースターに登り詰め、手術、出産を経て迎えた25歳という年齢は彼女にとってターニング・ポイントであり、そういう意味でもこのタイミングで創作することとなったアルバム『25』は単なるアーティストとしての一作品ではなく、同時に一人の人間として人生を問い直す壮大な旅と重なったための難産だったといえるのでしょう。

『21』は、[破局(break-up)]についてのレコードだった。
もし『25』をそういう意味づけするとしたら、[償い(make-up)]ね。
自分自身との関係を修復し、失われた時間を取り戻す。
これまでしてきたこと、してこなかったことすべてに対しての償いの気持ちが込められている
の。


今までみたいに、もう過ぎてしまった過去の断片にしがみついている時間はないわ。
かつての思春期と、成熟した大人の境目で揺れながら、トラックに山積みの自分の過去というガラクタを手放して、何者でもない自分として生きていくって決めたの。


Hello from the outside
Hello...あなたの外の世界から呼び掛けた
At least I can say that I've tried
そして、これだけは言える…
To tell you I'm sorry for breaking your heart
“傷つけたこと、ごめんね”って、伝えようとしていたの


“Hello”に込められた想い… 



「Adele - Hello」


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comment(10) 

「ラザルス」デヴィッド・ボウイ

2016.01.22

category : David Bowie

David Bowie - Lazarus1 David Bowie - Lazarus2


David Bowie - Lazarus (2015年)



~デヴィッド・ボウイ…“art”に命を捧げた男~

1月10日、“ロック界のカリスマ”デヴィッド・ボウイが肝臓がんのため亡くなりました(享年69)。
かつて“メジャーなカルト・ヒーロー”と形容されたように、難解な一面を持ちながらトータル・セールス1億3000万枚以上を達成する“artistの理想形”といえるそのスタイルは、後進に多大な影響を与えた偉人でした。

そして彼の最期を飾ったシングル「Lazarus」を以って、“生涯を懸けたartは完結”…
デヴィッド・ボウイからのラスト・メッセージ、お聴き届け下さい。



~概要~

「ラザルス」は、デヴィッド・ボウイの69回目の誕生日であり彼が亡くなる2日前の2016年1月8日に発売された25枚目のアルバム『★』(“Blackstar”と読む)の収録曲です。
プロデューサーは1969年から現在に至るまで12作ものアルバム制作に携わり“デヴィッドを知り尽くした盟友”、トニー・ヴィスコンティ
アルバムからは昨年11月に先行シングル「★」がデジタル配信されており、それに続く2ndシングルとして12月17日に「ラザルス」が配信されました。

UK Official Singles Chartでは1/15付・初登場45位、US Billboard Hot 100では1/30付・初登場40位(これは、この週の最高位ランク・イン)を記録しており、デヴィッドにとってHot 100のTop40ヒットは1987年の「Never Let Me Down」以来のことです。
また、デヴィッドの死去に伴ってUKチャートでは「Heroes」(12位)・「Life On Mars」(16位)・「Starman」(18位)・「Let's Dance」(23位)・「Space Oddity」(24位)など、トップ100に彼の過去の作品を含め13曲がランク・インする現象が起きています。
一方UKアルバム・チャートでは『★』が初登場1位を記録し10枚目のNo.1となったのをはじめシングル・チャート同様トップ100内にデヴィッドのアルバム19枚がチャート・インする騒ぎとなり、US Billboard 200でも初登場1位に輝きましたが意外にも彼のアルバムが全米No.1を獲得したのはこれが初めてのことです(これまでの最高は2013年『The Next Day』の2位)。

さらに「ラザルス」は、オフ・ブロードウェイの劇場“New York Theatre Workshop”で昨年12/7~1/20に限定公演されたミュージカル『Lazarus』のためデヴィッドによって創作された楽曲でもあります(『Lazarus』の主演はマイケル・C・ホール)。
この舞台は1976年にデヴィッドが初めて主演したカルト映画『地球に落ちて来た男(The Man Who Fell To Earth)』の40年後を描いた内容となっており、デヴィッド自らも脚本など共同制作者として数年懸かりで密かに精力を注いできたプロジェクトでした。
デヴィッドの突然の死を受け、ニューヨーク市は彼の長年に亘る芸術への功績に敬意を表しミュージカル『Lazarus』の最終日である1月20日を“David Bowie Day”とすることを定め、当日のカーテンコールで宣言書が授与されたそうです。

 



~Lyrics~

Look up here, I’m in heaven
見上げるがいい、俺は天国(ここ)にいる
I’ve got scars that can’t be seen
この傷痕、見ること能(あた)わず

まるでデヴィッド自身に起こる運命を予言していたかのような一節…
【scars】は“癌による傷あと”? …それとも、69年の波乱の生涯を生きた“心の傷”?

【Lazarus】というと、欧米では“イエス・キリストの友人で新約聖書に記される聖人”を思い浮かべることが多いようです。
『ヨハネによる福音書』に拠ると、ラザルス(ラザロ)は一旦病死するものの4日後に墓を訪れたイエスによって蘇り、布に巻かれたまま墓から出てきた…というのです!
包帯で巻かれたような不気味な目隠しといい、デヴィッドは死病に憑かれたラザルスに自分を重ねたのでしょうか…(それとも、奇跡の蘇生を望んだ?)。


I’ve got drama, can’t be stolen
この趣向、これを出し抜くこと能わず
Everybody knows me now
そしてその瞬間、誰もが俺を認識している

予言めいた歌と映像、直後に訪れたデヴィッドの死、訃報が駆け巡り世界じゅうが彼の死を悼んだ…
これはまるで、今回“デヴィッド周辺で起きた現実が彼自身による演出”であるかのようでさえあります。
…だとしても最近はマイケル・ジャクソンやマドンナなど、正式発表前に不法リークされてしまう事件が後を絶ちません。
そんなに上手くゆくのでしょうか…?(~Epilogueへと続く~


Then I used up all my money
やがて、金も使い果たし
I was looking for your ass
あいつを追い求めていった

【your ass】は、恐らく最もデヴィッドの実像を示していると思われる言葉です。
まず【your】は“あなた”を意味することに変わりありませんが、“相手の性別を特定しない都合良さ”がこの表現のポイントであったのではないでしょうか?
その二人の関係を暗示しているのが【ass】ですが、これは“学校では決して教えない類いの言葉”であり敢えて訳は“あいつ”に止めておいたので、“禁断”をお知りになりたい方はこっそりとお調べくださいね? 



~Epilogue~

『★』のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティは今回の一連の出来事が“死期を悟ったデヴィッド自身が綿密に計画した、ファンへの別れのメッセージ”であることを認めています。
偶然ではなく、発表の時期も含めたすべてが故意に行われたものであったと…。

“彼の死も、彼の生と変わりなくアートの一部なんだ。
彼は『★』をみんなのために作った。別れの贈り物として…。”


それゆえ、デヴィッドの命を懸けたプロジェクトの漏洩を防ぐためアルバム『★』のレコーディングとミュージカル『Lazarus』の計画は完全秘密裏に遂行され、デヴィッドの病のことはごく一部の人間だけが共有し録音に参加したミュージシャンにさえそのことは伏せられていたそうです。
ミュージカル『Lazarus』の舞台監督イヴォ・ヴァン・ホーヴェは、終末へと向かうデヴィッドの最期の日々について以下のように語っています(要約編集)。

“1年3ヵ月以上前、彼から肝癌を患っていると告げられた。それが理由で、責務を全うできない可能性があることも…。壇上のボウイは元気そうだと報道されていたが、舞台裏では極度の疲労のため倒れていた。でも彼は作業を中止するのを拒み、病と必死に闘っていた。舞台挨拶の日、彼はステージから降りると椅子が必要なほど弱っていたにも関わらず‘さあ、次のを創ろう’と言ったんだ。”

David Bowie - Lazarus5

This way or no way
これ以外に道はない…


デヴィッドは死の2日前で、自身の69歳の誕生日である1月8日に長年彼を撮り続けてきたフォトグラファー、Jimmy Kingとフォト・セッションを行っています(恐らく生前最後の公式写真)。
ここでの彼は、この世に残された時間が僅か48時間であるというのに、全く“死の影”を感じさせません…。

David Bowie - Lazarus3 David Bowie - Lazarus4

18か月に亘りガンと闘い続けたデヴィッドは、家族に言いました。
“騒がれずに逝きたい、葬式はしないでほしい…。”
彼はスーパースターDavid Bowieに相応しい終幕だけでなく、一人の人間David Robert Haywood Jonesとしての終末の意思も明確でした。
デヴィッドは大きなショーやファンファーレに浴することを望まず、自らは“ただ消え去る最期”を、世界中のファンには“彼と音楽を共有した‘いい時間’だけ覚えていてほしい”と望んでいたそうです。

トニー・ヴィスコンティは、次のようにデヴィッドの遺志を代弁しています。
“彼は常に自分のしたいことをしました。そして自分流のやり方で、ベストのことをしたいと思っていました。
彼の人生と同じように、彼の死も芸術作品だったのです。彼が残したレコードは彼からの訣別のプレゼントです。”


Ain’t that just like me
…俺らしいだろ?

David Bowie , R.I.P. 



「ラザルス」


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tags : 2015年 アート・ロック メッセージ ミュージカル 

comment(6) 

「ビルディング・アワ・オウン・フューチャー」ハワード・ジョーンズ

2015.08.07

category : Howard Jones

Howard Jones - Building Our Own Future1 Howard Jones - Building Our Own Future2


Howard Jones - Building Our Own Future (2006年)



~we're building our own future~

8月15日は、“終戦記念日(終戦の日)”
1945年8月14日、日本政府は太平洋戦争(大東亜戦争)での無条件降伏を求める“ポツダム宣言”の受諾を連合国側に通告し、翌15日に昭和天皇による“玉音放送”によって国民にその旨が知らされました。

戦争を全く知らない私にとっても、子どもの頃に見た“焼け野原の自分の街”や“子どもを抱いたまま炭のように真っ黒に焼け焦げた母親”などの古い写真に衝撃を覚え、以来“あの戦争”について強い関心を持つようになりました。
それだけに、戦後70年を前に先日放送された『櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争』での“10代後半~30代の46%は8月15日は何の日か知らない”という結果は、“何か”を語り掛けているように思えてならないのです…。
(※男女200人に対する街頭インタビュー)



~概要~

ハワード・ジョーンズは80年代前半の“テクノ・ポップ”全盛時代に登場したイギリスのミュージシャンで、当時その独特なヘア・スタイルと共に日本の若者にも注目された存在でした(今も片鱗?)。
1990年代以降はピアノやギターもアコースティックを取り入れるようになり、叙情的な作品も多くなっています。

「Building Our Own Future」は元々2006年にPodcast限定で配信された楽曲で、“PMC Top10”で4週No.1を記録しました。
その後ハワードは2009年に9thアルバム『Ordinary Heroes』を発表していますが、日本盤のみボーナス・トラックとして「Building Our Own Future」が追加されています(日本盤の発売は2010年4月21日)。

2010年、4月22日の“アース・デイ(※)”の啓蒙活動として『ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル(日本)』が「Building Our Own Future」をテーマ曲に選び、“Earth Day 2010 ver.”のミュージック・ビデオが制作されました。
ハワードも当日このイベントのライブに参加するため来日予定でしたが、同年4月に発生した“アイスランド火山噴火”によって西ヨーロッパ及び北ヨーロッパ全域の空港が閉鎖されてしまい参加は叶いませんでした。
(※“Earth Day”は2009年の国連総会で“地球環境について考える日”として採択された記念日で、翌2010年から実施された)


2012年2月に『1st&2ndアルバムの再現ライブ』で再び日本を訪れた際は、“大震災に見舞われてからの日本の皆さんの勇気と決意、事態に立ち向かう毅然とした姿に深い感銘を受けました。そんな皆さんにこの曲を捧げたい。”と言って、アンコールで「Building Our Own Future」を歌ってくれました。
また、同年11月には国際的な初等教育カリキュラムIPC(Internatinal Primary Curriculum)及び同・中等教育カリキュラムIMYCに参加している世界中の学校と児童・生徒1000人以上が、アフリカの学校を支援するプロジェクトの一環としてこの歌をテーマに掲げ、活動しています。

 



~Lyrics~

People cryin' out for some peace
平和を求め、叫びを上げる人々
There’s a lot of people listening
その声に耳を傾ける、たくさんの人々

あなたも、最近このような光景に思い当たる節があることでしょう?
懸命に平和を訴えている“彼ら”の姿は、心を揺さぶるものがあります。
しかしそれは大多数の国民には届いても、“訴えを本当に聞いて欲しい相手”の心には決して届かないのだろう。
その虚しさは、先日行われた広島・長崎の式典で、“ご本人”を目の前にした市民との空気で改めて思いました…。


Putting people’s lives at the top
何より、まず人の生命を
Is the first consideration
第一に考えよう

先の大戦に於いてゼロ戦(零式艦上戦闘機)は開戦当初、その優れた格闘性能で米軍に恐れられましたが機体に用いられている板が極端に薄く、燃料タンクや操縦席にも全く防御が施されていなかったため、被弾時のパイロットの死亡率に著しく高いものがありました。
そのため熟練のパイロットを消耗品のようにたちまち失い、新たなパイロットを育成するに十分な資源も時間も無いため、幼年兵に着艦訓練を授けぬまま(=死にに行くのだから、着艦を教える必要がないという発想)敵艦に体当たりさせる“特攻”という非情手段に頼ることになります。

また、この戦争での日本人兵士の死者は230万人といわれますが、その6割(約140万人)は戦死ではなく“餓死”だったという事実をご存知でしょうか?
戦争に於いて領地・領海を拡大する以上に大事なのはその後の補給路を確保することですが、日本はそれに戦力を多く割かなかったため補給路が断たれ、前線では弾薬も食料も援軍もないまま玉砕や餓死、病死で命を落とす悲劇が常態的になっていました。


Just one by one, Day by day,
一人ひとり、一日一日
Free to choose a life that's better for all of us.
より良い人生を選ぶ自由は、僕らみんなにある

戦前の思想・言論弾圧の元となった法的根拠に、『治安維持法』があります。
これは元々は国体変革や共産主義革命を取り締まる法律でしたが、太平洋戦争へと突入する1941年に“国家の方針に従わないという理由だけで取り締まれる法”として改定されました。
戦後GHQの命令で廃止されるまでに逮捕者数十万人、拷問や虐殺・病気などで命を落とした人は1000人以上あったと言われます。

このような法政下にあっては個人がより良い人生を主張できるはずもありませんが、それって単なる昔話で済むハナシ…?



~Epilogue~

5月に『安全保障関連法案』を提出した当初“説明不足”と言われていましたが、8月になっても批判は高まるばかりで内閣支持率は40%を切り、不支持率がそれを上回る状態が続いています。
しかしこの法案への与党の説明を聞けば聞くほど、国民とはかけ離れた彼らの意識に驚かされるばかりです。
8月5日の中谷元防衛相の答弁によるとこの法律によって、“(想定はしないが)他国軍の後方支援のため核ミサイルの輸送は法文上可能”であることが明らかにされ、横畠裕介内閣法制局長官は日本の核兵器保有について“憲法上、核兵器を保有してはならないということではない”という認識を示しました。

しかし、そもそもは改憲が難しいから“代替の法律を充て無理矢理な解釈変更”で望みを果たそうとしているため、“身内”以外には“それは違憲だ”としか言いようがないのです。
はっきりと“日本は独立国なのだから、他国と同等の権利(世界に展開できる軍事力及び核兵器保有)を行使したい、そのために憲法改正を目指します!”と言えば少なくとも議論はできるのに…。


こうした法案には、戦争を体験した80~90代の高齢者の方も“戦前みたい…”と疑念を持っておられるようですが、戦前を思い起こさせる条文は、まだあります。
前項で戦前の思想・言論弾圧の元となった『治安維持法』に触れましたが、これについて現在の『日本国憲法第21条』は以下のように保障しています。

1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


これに対し、2012年4月27日に出された『自民党の憲法改正草案第21条2項』は現・2項を削除し、こう規定しています。
2.公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的とした結社をすることは、認められない。

ここで、戦前の『治安維持法・第1条(昭和3年改定)』と比べてみると…
“国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他
指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ…”


オウム真理教による“地下鉄サリン事件”などを想定すると当り前の規定のようにも思えますが、『治安維持法』も当初は対象が限定されており、やがて“国民監視法”として暗躍しました。
“検閲は、これをしてはならない…”の項をわざわざ削除している所に、“彼らの本心”が透けて見える…?


So take a stand, in this place,
だから自分の考えをはっきり示そう、この場所から
Cos' we're building our own future
だって、未来を築くのは僕ら自身なんだ

“戦後70年”…
私たちはこれからの未来を、どう築くべきなのでしょうか?
近隣国には、世代が替わった現在も私たちに憎しみを向ける人がいるし、この国にも“あの戦争は正当”と主張する人たちが存在します。

先日、広島・長崎に原爆投下を指示したアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンの孫…という人の活動が報じられていました。
当然、原爆投下の正当性を信じて半生を過ごした彼ですがある日、広島で被爆し白血病を発症し12歳で亡くなった佐々木禎子さんの物語『サダコと千羽鶴』と出合い、広島・長崎で何が起きていたのかを初めて知ったそうです。
“原爆投下は間違いである”と気づいた彼はトルーマンの孫として、いま自分がすべきことは“広島・長崎で起こった真実と被爆者の声をアメリカ社会に伝え、核兵器を減らすこと”として活動を始めました。
“謝罪はしない”という彼の姿勢は賛否の分かれるところですが、確かに“加害者とは別人格の孫”に罪を背負わせるのは、“自分に全く覚えのない従軍慰安婦への罪”を問われているような居心地の悪さと同じであり、それを責められたら“友達になろう”なんて雰囲気にはなり得ません。


戦後70年が過ぎ、戦争体験者の方がほとんど亡くなってしまうであろう戦後80年・90年は、これまで以上に達成が難しい戦後となるでしょう。
だからこそ戦争を知らない私たちが平和について正しく学び、これをしっかり政治に反映させ、教訓を後世に伝える役割を果たさなければなりません。
だけど、もしもあなたが途に迷った時、ある被爆者の方の言葉を思い出してください…

“平和とは、人の痛みがわかる心をもつこと。” 



「ビルディング・アワ・オウン・フューチャー」


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tags : 2006年 AC 平和 環境 メッセージ  

comment(4) 

「リヴィング・イヤーズ」マイク&ザ・メカニックス

2014.06.06

category : Genesis+

Mike + The Mechanics - The Living Years1 Mike + The Mechanics - The Living Years2


Mike + The Mechanics - The Living Years (1988年)


~もうすぐ“父の日”~

6月第3日曜日(今年は15日)は、“父の日”。
母の日に比べ何となく地味な印象を拭えませんが、先月マイナビが女性会員を対象に行った(何で女性だけかは分かりません)アンケートによると“78.2%が父を尊敬・感謝している”と答えたそうです。

私のイメージからすると“意外な高評価”な気もしますが、みなさんはお父さんにその気持ちを伝えておられるでしょうか?
今日は、そんな想いを伝えることが出来なかった男の、哀しみの歌です…。



~Mike + The Mechanics~

マイク&ザ・メカニックスはイギリスのロック・バンド“ジェネシス”のギタリスト/ベーシストであるマイク・ラザフォードが1985年に結成したバンドです。
ジェネシスといえば1960年代から続くロックの名門として成功を収めたバンドと広く認められていますが、当初のピーター・ガブリエルやその後のフィル・コリンズら稀代の牽引役の影響力が大き過ぎて、マイクにとって必ずしも自分の創作を存分に発揮できる場ではありませんでした。
1980年代初頭にソロ・アルバムの発表を経て“サポートしてくれる仲間が必要”と実感し、結成に至ったのがマイク&ザ・メカニックスでした。

ところで、このヴォーカリストに見覚えはあるでしょう?
・・・えっ? フィル・コリンズ!?(確かに似てますが
違いますよ! 彼の名はポール・キャラック
4月にこのブログで紹介した「ウォーク・イン・ザ・ルーム」で、素敵な歌声を聴かせてくれた人です!
私は、彼のヴォーカルが好きだなぁ…♪



~概要~

「リヴィング・イヤーズ」は1988年の2ndアルバム『Living Years』からの2ndシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100でNo.1(89年・年間31位)に輝いた他、オーストラリア・カナダ・アイルランドで1位を記録しました。
日本では高嶋政伸主演のドラマ『HOTEL』第2シリーズ主題歌として、1992年に島田歌穂(『がんばれ!!ロボコン』のロビンちゃん)が「FRIENDS」というタイトルでカバーしているので、そちらをご記憶の方もあるかもしれません。

この作品は作者のマイク・ラザフォードとB. A. ロバートソンの実体験が組み込まれており、出版者やレコード会社の影響力を排除し公平公正に楽曲や作曲家を審査をすることで知られるイギリスで非常に権威の高い『アイヴァー・ノヴェロ賞(Ivor Novello Awards)』で、“Best Song Musically & Lyrically”(1989年)を授賞しました。
また、1996年には「雨にぬれても」や「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」など多数の名曲を輩出した著名な作曲家バート・バカラックによって、“この10年で最も優れた詞の一つ”と評されました。

私が特に印象に残っているのが1990年のグラミーで、「リヴィング・イヤーズ」は最優秀楽曲賞にノミネートされマイク&ザ・メカニックスは式場でパフォーマンスを披露しています。
(ちなみに、この時の授賞曲はベット・ミドラーの「愛は翼にのって」)

ここでは歌詞の世界観を象徴するように、子どもと大人という異なる世代がバック・コーラスとして融合されていて、当時私はこの演出に甚く感動を覚えたものでした。
実はこの演出はMVを再現したもので、MVでは演奏シーン以外でもマイクがストーリーを演じていますが、一緒に登場する男の子は彼の実の息子さんです。

32nd Annual Grammy Awards



~Lyrics~

Every generation
どの世代も
Blames the one before
前の世代を非難するもの

年配者の決まり文句といえば“今の若い者は…”ですが、現代は年配者の方が分の悪い時代といえるのではないでしょうか?
昔話に語られるようなのんびりした時代だったら“亀の甲より年の功”が通用したかもしれませんが、社会のしくみやテクノロジーが日進月歩の今日では、年配者は余程努力を重ねていない限り若者の目には“時代遅れ”と映ってしまうかもしれません。
むしろ、“返すアテもなく膨れ上がった大借金”・“10万年先まで危険を及ぼす放射性廃棄物”・“地球温暖化などの環境破壊”など、将来世代へ重い責任を押し付ける行いは、非難されて然るべき事柄のような気もします…。


We all talk a different language
互いに“異なる言語”で話し
Talking in defense
弁解ばかりしてるんだ

攻撃を仕掛ければ相手は防御するし、当然隙を衝いて反撃も返ってくる…
互いを尊重しない同士の会話は、まるで言語が異なるようにもどかしいものです。

親の苦労を知る我が子だから、解ってくれるはず…
子を愛するはずの親だから、解ってほしい…
いいえ、親子だからこそ争わねばならないのかも知れません。


I'm sure I heard his echo
確かに父の声を聞いたのだ
In my baby's new born tears
生命を授かった我が子の産声の中に

実は、作者のマイク・ラザフォードは「リヴィング・イヤーズ」を発表する前年の1986年にお父さんを亡くしています。
この時彼はジェネシスのツアー中で父の死に目には会えず、その後悔がストーリーの根幹として綴られているわけです。
また、それから間もなく彼は第3子・次男を授かっていて(1986年生まれ)、本当にこういう感覚を得たのかもしれません…。



~Epilogue~

マイクのお父さんは元海軍士官で、軍人らしく非常に厳格な人だったようです。
彼は幼い頃から、“海軍士官の息子に相応しく振る舞い、強くあれ”としつけられました。
学校も父の意向で進学させられ、そこで後のジェネシスのメンバーに出会いますがギターを禁じられ反抗し中退、マイクは父のルールに従って生きることを止めました。

その後ジェネシスは成功を収め、お父さんはコンサートに訪れたりマイクが両親に毎年の船旅をプレゼントするなど関係は改善していたものの、二人が打ち解けて言葉を交わすことはなかったようです。
しかし、父は親に背いて音楽の道を志したマイクを金銭的に支援したり、マイクも父が亡くなった際“一番の後悔は、僕の人生に於いて父がどんなに大切な存在であったか伝えられなかったこと”と語るように、互いに親子としての情愛がなかったわけではありません。
なのに何故、二人は親しく交わることができなかったのでしょう…?
それについてマイク自身は、“二人は共有する言語を持たなかった”と振り返っています。

Say it loud, say it clear
自分の想いは、大きな声ではっきり伝え
You can listen as well as you hear
相手の言葉は、でき得る限りに耳を傾けよう

父と息子…
私もその端くれとして実感していますが、血の繋がった男同士というのは意外に難しいものです。
女性は年を取っても時代の変化や新しいものを柔軟に受容し順応できる気がしますが、男性は保守的で時代が変わっても自分の固定観念から抜け切れない所があります。
そのため、彼らが今の時代を生きる息子をあるがままに認めることは難しいのかもしれません。

この歌は、息子であるマイクが“父に伝えておけばよかった…”と後悔の念を込めた作品ですが、後に彼は思わぬ形で父からのメッセージを受け取ることとなります。
それは遺品を整理した際に発見した彼の“回顧録”で、そこにはマイクが「リヴィング・イヤーズ」で宛てた父への想いと同じ気持ちが綴られていて、そのことに深く感銘を覚えた彼は“最高の遺産”と喜んだそうです。
こうして数十年に亘って繰り広げられた父と息子の葛藤は、二人が“同じ言語を共有する”ことでようやく心の底から分かち合える“真の親子”へと辿り着きました…。



「リヴィング・イヤーズ」


続きはこちら >>

tags : 1988年 AOR メッセージ  

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「風に吹かれて」ボブ・ディラン

2014.04.01

category : Bob Dylan

Bob Dylan - Blowing In The Wind2 Bob Dylan - Blowing In The Wind1


Bob Dylan - Blowing In The Wind (1963年)


~4年ぶりの“降臨”~

1962年のデビュー以来、メッセージ性の強いフォークやロックで後世に多大な影響を及ぼし、今なお第一線で活躍するアメリカのシンガー・ソングライター、ボブ・ディランが現在日本公演の真っ最中!
通常、このクラスの大物だと“ドームで一気に数万人を集め数公演でパッと帰っちゃう”という効率の良い興行形態となりがちですが、サスガに“神”は違います!
観客と近い2千人クラスのライブ・ハウス(Zepp)で14公演、東京・札幌・名古屋・福岡・大阪を3/31~4/21と3週間もかけて念入りに回ってくれちゃうのです♪

初日の東京では全19曲が演奏され、今回の紹介曲はアンコールのラスト・ナンバーでした…。


~概要~

「風に吹かれて」は1962年4月、ディランが友人たちと黒人の公民権運動について議論したことがきっかけで生まれました。
“そうしたテーマ”を扱うことが多く、世間は彼の作品を“プロテスト・ソング”と位置づけしたがりますが本人はそうした扱いを嫌っていて、この歌詞についても“言いたいことを書いただけ”と淡々としています。
また、曲については“カーター・ファミリー(1930年代に活躍したカントリー・ミュージック・バンド)のレコードか何かで聴いた古い霊歌に、言葉を当てはめた”と語っているそうです。
10分で書いたとされるこの曲は早くからステージで歌われ、周囲の好感触も得てリリース前からテレビでも披露されていました(1963年3月の映像)。

1963年5月、この曲が収録された2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin' Bob Dylan)』がリリース。
このアルバムはジャケット(写真参照)も有名で、これは彼が住んでいたアパート近くの通りで当時の恋人スーズ・ロトロと共に撮られたものですが、ナンとも微笑ましい一枚ですネ…。 

Bob Dylan - Blowing In The Wind1 Bob Dylan - Blowing In The Wind3  …ん?違う写真が紛れ込んでる!? 

ただ、この時まだディランは全く著名な存在ではなく(1stアルバムの売り上げは僅か5000枚)、「風に吹かれて」も当初シングル化されぬまま一般には知られてはいませんでした。


~ピーター・ポール&マリーによるカバー~

ボブ・ディランが有名になったのは「風に吹かれて」がきっかけでしたが、それは彼自身の歌唱によってもたらされたものではなく、カバー曲のヒットによってでした。
当時彼のマネージャーがフォーク・グループ“ピーター・ポール&マリー(PP&M)”を兼任していた縁から、彼らもディランの発表の翌月にシングルとしてこの曲をリリース、Billboard Hot 100で2位と大ヒットさせたことにより作者であるディランにも注目が集まり、彼のアルバムもヒットすることとなったのです。
ちなみにPP&Mのバージョンは1983年に日本のドラマ『金曜日の妻たちへ』に起用されたので、ご記憶の方もあるかもしれません…。



PP&Mのハーモニーは秀逸で、サスガに誰もを魅了する洗練された美しさがあります。
しかし歌詞を考慮した場合、味も素っ気もないディランのヴォーカルの方が“何かリアル”なカンジがして、これはコレで味わい深くてクセになる魅力があると思うのです…。
ディランは1985年の『ライヴ・エイド』でもキース・リチャーズ&ロン・ウッドと共演するなどこの曲を折りある毎に披露してきましたが、直近(2013年)ではこのように歌われているようですよ♪


~Lyrics~

How many seas must a white dove sail
どれほど遠く海を航(わた)ったなら
Before she sleeps in the sand?
白鳩は、砂に安息を得るのだろう

二つ、興味深い点がありました。
“鳩が海を渡る!?”
違和感がありますが、この歌には“平和への願い”が感じられることを思えば“白い鳩”は、そういう意味なのでしょうか…。

“鳩なのに、sail!?”
[sail]というとヨットなど帆船に用いるイメージがありますが、鳥などの場合には“飛ぶ”という意味もあります。
折角[sail]という海に関連した単語を引っ張り出しているので、こちらも応えて“航(わた)る”を充ててみました♪


Yes, how many years can some people exist
どれほど長い歳月を重ねたなら
Before they're allowed to be free?
人は、自由であることを許されるのだろう

この歌は黒人の公民権運動が出発点と上記しましたが、この辺りでしょうか…。
日本では、人が生きてゆく上で当たり前の“自然権”のように思われがちですが世界的には、自由とは“勝ち取って得られる権利”といえます。
実際にもアメリカでは“公民権運動の賛歌”として愛され続けているそうで、こうした長年の功績からディランはデビュー50周年を迎えた2012年に、文民に贈られる最高位の勲章“大統領自由勲章”を授与されたそうです。


Yes, how many deaths will it take till he knows
幾つ人の死を積み重ねたなら
That too many people have died?
彼は、その犠牲の大きさに胸を痛めるのだろう

この歌の詞は最初から最後まで“How many ~”の定型で綴られていますが、今回の訳では3番だけ敢えて“幾つ~”という形で表記してみました。
時代背景からすると、“ベトナム戦争”を想定しているのでしょうか…
このテの一節が現代でも思い当たってしまうというのは、悲しいことですね。



~Epilogue~

人は皆…
この歌の問いに対する“The answer”を、ディランに求めます。
しかし、彼の答えは決まってこうです。

The answer is blowin' in the wind.
吹かれるがまま、風の中を彷徨っている

“答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ。
紙切れみたいに飛ばされ、時に地上に降りても誰も拾って読もうとしない。”


だとしたら…
“その答え”に辿り着けないのは、私たち自身に問題があるからなのでしょう。
風は、いつも私たちの身近にあるのに目で捉えることはできず、手で掴もうとしても掌からすり抜けてしまう存在。

この作品に歌われる大きな問題とは、実は私たちの何気ない日常の中に潜んでいて、その“違和感”に鈍感だったり“見ぬふり”をしているうちに一人ひとりのそれが肥大化・集積し社会全体の問題となって、やがては“破裂”を招くという現象のことなのかもしれません。

それはきっと、私たち一人ひとりの責任…。


「風に吹かれて」


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tags : 1963年 フォーク 偉大な曲 メッセージ 社会 

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