I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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Lil Dicky - Earth1
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Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


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Ringo Starr


「イン・マイ・ライフ」ビートルズ

2014.01.11

category : Beatles & Solo

Beatles - In My Life1 Beatles - In My Life2


The Beatles - In My Life (1965年)


~『glee 3』よりの選曲~

NHKで放送中のドラマ『glee 3』も、いよいよ次回が最終話。
次回1月15日(水) 午前0時40分~からの第22話のテーマは“卒業”で、送別向きな曲がメインとなっています。
…だからってカートのお父さんが“アノ曲”を歌うとは、おっタマげた!?

紹介曲以外の作品は、以下の通りです♪

Sit Down, You're Rocking The Boat / ミュージカル「ガイズ&ドールズ (Guys and Dolls)」
Forever Young / Rod Stewart
Single Ladies (Put A Ring On It) / Beyoncé “アノ曲”
I'll Remember / Madonna
You Get What You Give / New Radicals
Glory Days / Bruce Springsteen
Roots Before Branches / Room For Two


~概要~

「イン・マイ・ライフ」は1965年12月3日にリリースされたビートルズ6作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』の収録曲で、後世ローリング・ストーン誌"The 500 Greatest Songs of All Time"の23位にランクされる名曲ですが、彼らによるシングル・カットはありませんでした。
作品はジョン・レノンが“リヴァプール時代”を回想して書いた詞で、曲については“真ん中の部分はポールが手伝ってくれた”と自身の主導を示唆する発言をしていますが、ポール・マッカートニーは“作曲は僕一人でした”と主張し相違があるようです。
リード・ヴォーカルはジョンで、冒頭などリード・ギターはジョージ・ハリスンが弾いています。

ビートルズ楽曲中で最もよくカバーされる作品の一つで、1991年の映画『フォー・ザ・ボーイズ』でベッド・ミドラーが歌ったバージョンが有名です。
『ラバー・ソウル』はビートルズ最後のツアーの対象アルバムでしたが彼らはこの曲を一度もライブ披露したことはなく、後年ジョージ・ハリスンが1974年に自身のライブでカバーした時“In My Life, I Love God More”と歌詞を変えて歌い、観客からブーイングを浴びた“事件”をご存知の方もあるのでは?


~Sound~

楽曲的には文句なく名曲と呼ぶに相応しい作品ですが、演奏は後世からするとちょっと物足りない気もします…。
しかし、その中でも聴者に“おっ!?”を思わせるのは、後半に配置されるバロック調のピアノ間奏ではないでしょうか!

この曲のレコーディングには2回のセッションが行われ、1回目ではこの間奏部分が定まらないまま、2回目までにプロデューサーのジョージ・マーティンに“何らかの形”で埋めるよう託されていたそうです。
そこで彼はオルガンやピアノを試みますがテンポが合わず、結局ピアノを録音した4トラック・テープを半分の速度で再生しながら空きトラックへオーバー・ダビングし、それを元の速度に戻して再生させることで見事に応えてみせました。

こうした彼の“職人技”は『サージェント・ペパーズ…』の「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」など、高度なサウンドを探求すればするほどその存在が欠かせぬものとなりますが、一方でその名声がジョンやポールの嫉妬を買うことにもなるのです…。


~Lyrics~

「イン・マイ・ライフ」は、ジョンが自宅から街へ向かうバスの中で故郷の場所や友人らを回想したことから生まれた作品です。
実は今回、ジョンの所縁の地や人物を紹介した動画を制作したのですがブロックに遭ってしまい、みなさまに映像で各個をお目にかけることができないのが残念でなりません…。

There are places I remember
僕にとって、生涯忘れられない場所がある…
All my life, though some have changed
すっかり変わってしまった所もあるけれど

動画にはビートルズの起源となった“クオリーメン”由来のジョンの学校や、ジョンの生家、ジョンとポールが出逢った教会、リヴァプール時代のメイン・ステージ“キャヴァーン・クラブ”など入れていました。
ジョンの個人的な“忘れられない場所”といえば歌にもなった"Strawberry Field"や"Penny Lane"が有名ですが、これらは実際にジョンがずっと住んでいたミミおばさんの家の近所にあります。


Some are dead and some are living
亡くなってしまった人、今も元気な人もいるけれど
In my life I've loved them all
僕の人生に欠かせない、大切な人たちさ

“亡くなってしまった人”といえば、まず浮かぶのがジョンのお母さんジュリア。
彼女はジョンが17歳の時に交通事故で亡くなっており、彼にとって深い心の傷となりました…。

もう一人重要な人物は、美術学校時代の親友スチュアート・サトクリフ。
ジョンにとって恐らく生涯最も心を許した友人で、画家志望だった彼を無理矢理ジョンがビートルズに引き込むなど、ポールが嫉妬するほど仲が良かったそうです。
画家に専念するためバンドを脱退して1年、脳出血により亡くなっています。


But of all these friends and lovers
そんな大切な人たちの中でも
There is no one compares with you
君だけは、特別な人なんだ

ジョンの“最愛の人”というとオノ・ヨーコが浮かびますが、二人の出逢いは1966年11月のことなので彼女を想定したものではありません。
妥当なのは美術学校時代の恋人で1962年に結婚したシンシア・パウエルが挙げられますが、ジョンがこの歌に謳うほどに、この時彼女を愛していたかはやや疑念が残ります…。


~Epilogue~

ところでリヴァプール時代、ジョンはどんな少年だったのでしょう?
幼稚園で早くも“退園処分”を受けていることでも分かるように、以来“生まれながらの問題児”と評された少年時代を送っています。
昨年、それを裏付ける学校での“特別指導記録”が競売に出され、話題を呼びました。
15歳のジョンが“教室でけんかをした”“迷惑行為をした”“授業をサボった”など具体的な問題行動が記されており、当時の教師も“いかにもジョン・レノンらしい内容だ。彼は極めてやんちゃな少年だった。”とコメントしたそうです。

そんな“札付きのワル”だったジョンが地元レコード店経営者ブライアン・エプスタインに出会い、彼の尽力でパーロフォンのジョージ・マーティンへと辿り着き“世界のスーパースター”へと上り詰めたことは、
彼はまさに“宝の人”を得たが故でした。
もしジョンがポールやブライアンに出会わなかったら、彼の人生は随分違ったものとなっていたことでしょう。
つくづく人生とは個別の才能や努力だけでなく、人との巡り合わせが大切なのだと思わされました。

現在ある幸せは、あなたのそばにいる“誰か”によってもたされたものなのかもしれません…。



「イン・マイ・ライフ」


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tags : 1965年 ロック/ポップ 郷愁 ラバー・ソウル 偉大な曲 

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