The Beatles - While My Guitar Gently Weeps (1968年)~概要~ 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(以下「ホワイル・マイ~」)は、1968年11月22日に発売されたビートルズ10作目のアルバム
『ザ・ビートルズ(The Beatles)』 (通称;『ホワイト・アルバム』) に収録された楽曲です(A-7)。
英・米両国でのシングル・カットはありませんが、同アルバムから「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のB面として、日本・ドイツ・フランス・イタリア・オランダ等で発売され各国でヒットを記録しています。
作詞・作曲/リード・ヴォーカルはジョージ・ハリスン で、当時
クリーム(過去ログ) のギタリストとして人気絶頂にあった
エリック・クラプトン をリード・ギターに迎え演奏された
“泣きのギター” は特に有名です。
ジョージやエリックのキャリアに欠かせない代表曲であるだけでなく、
ロックの歴史に残る名曲 として絶大な人気があり、有名誌でも以下のように評価がなされています。
『ローリング・ストーン』誌 “500 Greatest Songs of All Time”136位(2011)
“100 Greatest Guitar Songs of All Time”7位(2008)
“100 Greatest Beatles Songs”10位(2011)
『GUITAR WORLD』誌 “100 Greatest Guitar Solos”42位(2008)
1968年2月、ビートルズはパーロフォンからの最後のシングルとなる
「Lady Madonna」(過去ログ) のレコーディングを終えると、2月15日からインドで瞑想修行を行い(メンバーによって滞在期間は異なる)、5月30日から約5カ月近くに亘る新たなアルバムのレコーディング・セッションに入っています。
「ホワイル・マイ~」のレコーディングが始まったのは
7月25日 のことで、ジョージのギブソン・J-200とポールのハーモニウムを一部被せただけの素朴な音源でした(
詳細次項)。
8月16日にメンバー4人が揃ったバンド編成で録音がなされ、その後も9月3日・9月5日と、
第44テイクまでレコーディングが重ねられたものの納得できるサウンドが得られず 、翌
9月6日 にジョージが友人のエリック・クラプトンを招きセッションしたことがあらゆる面で奏功し、ようやく
作品が完成 に至っています。
その後1971年12月の
『バングラデシュ難民救済コンサート』 と1987年の
『プリンス・トラスト』 ではジョージとエリック、リンゴ・スターが揃ったパフォーマンスが実現していますが、1971年時エリックはドラッグ中毒と盟友デュアン・オールマン急死(1971年10月29日)の影響を感じさせるものでした。
1991年には日本で12公演にも亘る
『ジョージ・ハリスンwith エリック・クラプトン and his band』 が催され、「ホワイル・マイ~」が目玉となっていたことをご記憶の方も多いでしょう。
ジョージの一周忌に催された2002年11月29日の
『コンサート・フォー・ジョージ(Concert for George)』 ではエリックがホスト役を務め、「ホワイル・マイ~」では元ビートルズのポール&リンゴに加えてジョージの長男ダーニ・ハリスンが演奏に参加し、盛大な追悼となりました。
VIDEO VIDEO VIDEO VIDEO ~Lyrics~ I look at the floor and I see it needs sweeping 床を見ると、それは掃き清められるべきと気づく The problems you sell are the troubles you're reaping あなたが売る問題の数々は、あなたが受ける苦労の種 今月発売された
『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション” のプロモとして「ホワイル・マイ~」の何種類かの未発表音源が公開されており、それを聴いてみると
レコーディング過程で歌詞が一部書き換えられていった ことがわかります。
上段は『ホワイト・アルバム』 に収録の最終ver. 、
下段は 音源として残っている恐らく最初期と思われる
1968年5月の最終週 、英サリー州イーシャーにあるジョージの家にメンバーが集まって27曲のアコースティック・デモを録音した
【Esher Demo】 の、[Verse 1]の同じラインを並べてみました。
何れも[sweeping/reaping]と韻を意識しているのは同じですが最終ver.は1行目の[I look at...]を反復しリズム感を重視しているのに対し、Esher Demoは歌詞に深みを感じます。
VIDEO I look at you all, see the love there that's sleeping 愛を眠らせたままのあなた While my guitar gently weeps 傍らで、僕のギターはそっと涙を零す ジョージがインド思想に造詣が深かったことは有名ですが、彼は古代中国の儒教・五経の一つ
『易経』 の本も持っていたそうです。
易経は
“あらゆる出来事は起こるべくして起こる” という占いの理論と方法を説く書で、これに感銘を覚えたジョージが両親の家を訪ねたとき
適当に取って開いた本のページにあった言葉【gently weeps】をテーマとして創作 した作品が、「ホワイル・マイ~」でした。
そういわれてみると、変更された上の[Esher Demo]のラインを含め、歌詞の随所に感じられる示唆的な言葉の表現が腑に落ちるのではないでしょうか…。
I look from the wings at the play you are staging. あなたが演じる芝居を舞台の袖から見ていよう As I'm sitting here doing nothing but aging ここに座り、ただ年老いてゆきながら 1968年
7月25日のセッション初日のテイクにはあった[Verse 5]の歌詞 です。
(最終ver.では[Verse 1]とほぼ同じ内容に差し替えられている)
このフレーズは
『The Beatles' Anthology 3』 で初めて公開された音源に含まれるものですが、2006年に
シルク・ドゥ・ソレイユによるラスベガスでのミュージカル常設公演『Love』 に提供されたのもこのバージョンにストリングス・アレンジを加えたもので(ビートルズもサウンドトラックとしてリミックス・アルバム『LOVE』を発売)、2016年には
その10周年を記念して新たにアーティスティックなミュージック・ビデオ も制作されています。
今回の『ホワイト・アルバム』 “50周年記念エディション”では1968年の同日録音された
【Take 2】 が公開されており、ここではジョージが歌の途中で“たぶん彼にもマイクを1本立てた方がいい”と指示を出しています。
ここでもやはり、差し替えられた歌詞の方が趣きがあるように思えます…。
そもそもが【gently weeps(静かに涙を流す)】 であることを考慮すると当初の寂しげなアコースティックver.が自然で、むしろ最終ver.の強烈な
エレキは【cry(声をあげて泣く)】 に近い感覚といえるかもしれません。
VIDEO VIDEO ~Epilogue~ 11月29日は、ジョージ・ハリスンの命日。
今月23日からは、エリック・クラプトンの半生を描いたドキュメンタリー
『エリック・クラプトン~12小節の人生~』 が劇場公開されました。
先日クイーンの映画も公開されましたがあちらは“エンターテインメント”色が強く、こちらは“ドキュメンタリー”なので、当時の時代背景やエリックの人間関係・[黒い歴史]に知識・興味を持つファン向けの作品といえるでしょう。
VIDEO VIDEO 「ホワイル・マイ~」での
ジョージの“迷走” は、【gently weeps】な歌を【cry】な方向に向けようとしたアプローチにあったといえるかもしれません(初期のアコースティックだけで十分「Something」に匹敵する美曲である)。
障害となったのは[ジョージの技能不足]で、彼はテーマのような
“泣きのギター”を表現しようと何度も試みた ものの上手くできず、《9月3日》に居残って逆回転を用いた録音であれこれ試みましたが果たせず、エンジニアによるとこの段階で“エリック・クラプトンを参加させる”案が出たそうです。
《9月5日》には“逃亡”していたリンゴがスタジオに復帰しお祝いムードの中、一気に
第44テイクまで録音されましたが結局満足できるサウンドは得られませんでした 。
エリックの記憶によると、“明日空いてる?”とジョージからの電話があったのはこの日だったそうです。
翌《9月6日》、二人同乗する車中で
突然ジョージが“レコーディングに参加してソロ弾かない?” と持ち掛け、エリックは“ビートルズなんて恐れ多い”と固辞したものの、“だからどうした?僕の曲だ”と半ば強引に、そのままエリックをスタジオへと連れて来たようです。
そのためエリックはギターを持たず同日スタジオ入りすることになりますが、そこには直近までエリックが所有し1968年8月初旬にジョージに譲った
【57年製ギブソン・レスポール“Lucy(ルーシー)”】 が置かれてありました(Lucyは9/4に撮影された
「Revolution」 のビデオで確認できる)。
エリックにとって「ホワイル・マイ~」は初めて聴いた曲であるにも拘らず、レコーディング・セッションはわずか2テイクで完了しました。
しかも
正式音源に採用されたのは最初のテイク といいますから、いくら即興に慣れているとはいえ、あれだけの“泣きのギター”を一発でやってのけるというのは、まさに“神”というほかはありません。
誘ったジョージ本人も“エリックがあれをプレイしたとき、本当に凄いと思った”と驚嘆していますが、エリック本人はNHK『SONGS』で
“僕には簡単なことだった” と語っています。
しかし“クラプトン効果”は、それだけに止まりません。
ホワイト・アルバムのレコーディング・セッションはスタジオ中に怒号が響き渡り、リンゴ・スターやエンジニアのジェフ・エメリックが“逃亡”してしまうほど険悪な空気の中で行われていましたが、ジョージによると
“エリックがいる間、みんな本当にお利口さんだった” といいます。
また、セッションの当初よりジョンもポールもジョージの曲に関心を示さず真剣に聴こうともせず、適当にレコーディングを済ませようとする風潮があったそうで、“
あれ以来、みんなもっと本気になった。 すごく真面目に仕事するようになった”と、ジョージは当時を振り返りました。
とりわけそれが顕著に表れているのは
ポールのベース・プレイ で、ここでの彼の素晴らしい演奏はエリックのギターが刺激となったのは想像に難くなく、共演したエリック自身も“ジョンやジョージも素晴らしいミュージシャンだけど、彼らの中で最高のプレイヤーはポールだ”と、評しています。
一方、「ホワイル・マイ~」を演じた伝説の主演女優
“Lucy”は1970年にジョージ宅で盗難の被害 に遭い、紛失してしまいます。
1973年に転売先の楽器店からの購入者が見つかり、同等の58年型レスポールとの交換によってLucyはジョージの元へ帰って来ました。
同等品を手に入れるのにジョージ自らがアメリカまで飛んだそうで、協力してくれたギターのコレクターはジョージへの敬意を込めて1500ドルで売ってくれたそうです。
2013年に伝説の女優・Lucyのカスタム・レプリカ
『GIBSON CUSTOM George Harrison / Eric Clapton Les Paul』 が世界100本限定生産で発売されましたが、価格は約200万円!
世界に一つしかない本物の伝説の女優には、一体いくらの値がつくのでしょう…。
「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」 VIDEO 続きはこちら >>
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