I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
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The Beatles


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Let It Be


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Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ラヴ・ミー・テンダー」エルヴィス・プレスリー

2018.03.02

category : Elvis Presley

Elvis Presley - Love Me Tender1 Elvis Presley - Love Me Tender2


Elvis Presley - Love Me Tender (1956年)



~エルヴィス「Love Me Tender」清志郎~

「Love Me Tender」は言わずと知れた“King of Rock and Roll”エルヴィス・プレスリーの有名曲ですが、これには【元歌】があるってご存知だったでしょうか?
しかも、エルヴィスの「Love Me Tender」を元歌とした有名な日本語カバーまであるのです。
それこそ、“ザ・キング・オブ・ロック”忌野清志郎率いる伝説のロック・バンド・RCサクセション。
今回は【同じ曲なのに全く違う】、この二つの作品を特集いたします。

【2011.3.11】を決して忘れない…。



~概要~

日本で“ミスター”と言っただけで国民の多くがプロ野球の長嶋茂雄選手を思い浮かべるように、アメリカで“the King”で通用する存在こそエルヴィス・プレスリーです。
そのエルヴィスのデビューは1954年(55年までにインディーズで5枚のシングルをリリース)、そしてメジャーのRCAレコードに移籍した1956年には「Heartbreak Hotel」でいきなり大ブレイク、ここから“the King”伝説が始まります。

この年だけで既に4曲の全米No.1シングルを量産していたエルヴィスは、ミュージカル西部劇『やさしく愛して(Love Me Tender)』(当初のタイトルは『The Reno Brothers』)で映画デビューすることが決まり、劇中で彼は「Love Me Tender」を含む4曲を歌いました (End title version) 。
映画はアメリカ南北戦争(1861-1865)の頃を舞台としており、そうした経緯からか1861年にウィリアム・ホワイトマン・フォスディック作詞/ジョージ・R・プールトン作曲のアメリカ民謡「オーラ・リー (Aura Lee)」を、『王様と私』のケン・ダービー(Ken Darby)が歌詞を書き換え「Love Me Tender」が生まれました。

1956年9月9日、エルヴィスは『エド・サリヴァン・ショー』に初出演し「Love Me Tender」を披露すると、翌日には100万枚を越える予約が殺到したそうです。
9月28日にシングルが発売され、11月3日からBillboard chartsで5週No.1(年間15位)に輝いていますが、「Love Me Tender」に首位の座を奪われたのもエルヴィス自身の「Hound Dog/Don't Be Cruel」で、同一歌手によって1位が受け継がれたのは史上初の出来事であり、この間彼によって達成された【16週連続No.1】も歴史に残る大記録となりました。

また、「Love Me Tender」はナット・キング・コールやフランク・シナトラ、バーブラ・ストライサンド、ノラ・ジョーンズほか多くのミュージシャンにカバーされており、ローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 437位】にランクされました。
ちなみに、私が特に気になったジェイムズ・ブラウンver.は、予想通り原曲を留めてはいませんでした!?

 
 



~清志郎、 親会社・東芝に一世一代の大喧嘩?~

数多くカバーされた「Love Me Tender」の中でもとりわけ異色なのは、日本のロック・バンドRCサクセションの日本語カバーver.です。
論より証拠、出だしの歌詞をオリジナルと重ねてみると…

Love me tender, Love me sweet
何 言ってんだー、ふざけんじゃねぇー
Never let me go
核などいらねー



オリジナルの世界観を全く反映しない、強烈なプロテスト・ソングです(protest;抗議)! 

1988年、本作の作詞者でありRCサクセションのヴォーカリストでもある忌野清志郎(2009年に死去)は反戦・反核をテーマとした洋楽カバー・アルバム『COVERS』とシングル「ラヴ・ミー・テンダー」を制作、発売予定日まで明記して全国に告知をするも、所属レコード会社からの命令によって急遽発売中止となる騒ぎが起きました。
諦め切れない清志郎は、古巣キティレコードから作品の発表にこぎ着けますが…。

実は、RCサクセションの所属レコード会社とは『東芝EMI』であり、親会社『東芝』は日本を代表する原子力関連メーカーだったのです!



~2017年、名門・東芝の株式上場廃止危機の背景にある日本の危うさ~

2017年、東芝は原子力事業の巨額損失が仇となって株式上場廃止の危機に追い込まれました。
その大きな要因は2006年に適正価格の3倍の約54億ドル(約6370億円)の高値で買収したアメリカ原子力関連企業ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)が、2017年に1兆4000億円もの損失を出して経営破たんしたことでした。
ただそもそも原発事業自体、1979年の「スリーマイル島原子力発電所事故」や1986年の「チェルノブイリ原子力発電所事故」の事故リスクの甚大さを鑑みて基本的に商売として成立が難しくなっており、WECもアメリカとイギリスの間でたらい回しにされていた会社でした。

更には2011年に発生した東日本大震災及び「東京電力福島第一原発事故」によって日本国内での「原発の安全神話」は崩壊し、世界中が原発の危険性を確信したことを考えると、この破綻は自明の理であるように思えます。
しかし世界が震撼した福島第一原発事故発生直後でさえ、東芝・佐々木則夫社長(当時)が“(原発市場は)縮小というより、増えるのではないですか”(日経ビジネス11年8月29日号)と強気でいられたのは何故でしょう?


【“国策”の名の下に、沈みゆく東芝】

原発関連の情報を調べていると度々出てくる言葉に「国策」がありますが、やはり東芝問題でも例外ではありません。
国策…つまり「国家の基本的方針の下に進められる政策」であり、中には「経産省が東芝に“買え”と後押しした」という指摘もあります。

経済産業省は原子力政策を所管する国家機関であり、もちろんそれは「内閣の意思決定の下に行使される」という前提です。
特に2006年から現在までの(第1次~第4次)安倍内閣は経産省との結びつきが強く(安倍氏の祖父・岸信介元首相は戦前の商工省出身)、この間経産省出身の官僚として内閣総理大臣秘書官を務め、原発推進・再稼働ほか数々の安倍内閣の政策を立案し「影の総理」とも囁かれるほど重要な役割を果たしてきたのが今井尚哉氏でした。
今井氏の叔父・今井敬氏は日本原子力産業協会理事長(元経団連会長)であり、安倍家と今井家は岸信介氏の時代からの関わりであることを考えても、この政権にとって「原発推進が如何に外せない政策」であるかが窺えます。

第1次安倍内閣が発足すると、経産省は『エネルギー白書2007』で「原子力立国」「2030年以降も総発電電力量の30%~40%」「原子力産業の国際的展開を推進」など打ち出しており、世界でお荷物扱いされていたWECを東芝が相場の3倍の高値で買収したのも、この頃です(東芝の粉飾決算が始まったのもこの頃とされる)。
また、当時の東芝関係者は「周囲が“本当に大丈夫か”と不安視する案件でも、佐々木社長の後ろ盾と、今井氏とも繋がっている彼(WEC買収の担当者)に“国策だ”と言われると、誰も言い返せません。財務部門もストップをかけられなかった」と証言したとされます。


【“総理のご意向”では、世界に通用しない】

「政府が右というを左と言えぬ」「総理のご意向」「忖度」「神風が吹いた」「国策捜査」という近年の流行語も、これらが安倍首相に直接関わりのあった人たちから出た言葉であることを複合して考慮すると、今この国の政治でどのような運営がなされているのかは明白です。

しかし「総理のご意向」や「国策」は国内で通用しても、国外では全く通用しません
その最たる例こそ「原子力産業の国際的展開を推進」であり、福島第一原発事故発生直後は「原発は危険」という直感的反応でしたが、近年もはや世界は「脱炭素(再生可能エネルギー)こそ一獲千金の大ビジネスチャンス」と我先に投資先を競っている時流となっています。
「石油王ロックフェラー兄弟ファンドが化石燃料への投資から撤退」し環境ビジネスへの投資先を探し、世界一のCO2排出国が100基の石炭火力発電所の建設を中止して「風力・太陽光発電をここ5年で4倍に増やし再生可能エネルギー世界一となった中国」、石油大国アラブ首長国連邦が「太陽光パネルで2.6円/kWh(日本の石炭火力の1/5のコスト)の発電を実現」させているのです。


【日本国民の税金で「全額債務保証」してまで、外国の原発を造る必要性?】

東日本大震災直後、私は“資源に乏しく原発の危険性が証明された今だからこそ、日本が世界に先んじて再生可能エネルギーを進めるべき”と確信しましたが、先んじて動いたのはむしろ諸外国の方で、中国が4倍に増えた一方、日本は2016年の時点で'11年比+4.3%しか増えていません
何故なら、日本は安倍内閣の「2030年も電力の約2割を原発で賄う」方針により、新規中小事業者がいくら自然エネルギー発電を申請しても役所が書類で、既存大電力会社が“(実際は空きがあるのに原発用の容量を確保しておくため)送電網に空きがない”と撥ね付けているとの調査報告があります。

原発の輸出についても「東芝がダメなら日立&三菱重工」と、日立製作所の中西宏明会長を次期経団連会長に担ぎ、安倍首相はいまだ原発を売り込もうと彼らを連れて世界を飛び回っています。
しかも時代遅れとなった原発の不利を埋めるためか海外での原発新設に対し日本の3メガバンクと政府系金融JBICが融資を行い、さらに事故などによる貸し倒れの際には「日本政府(=日本国民の税金)が全額債務保証」するという特約まで付けているというのです(何兆円単位です!)。

空母の時代に戦艦大和、格安航空の時代にリニア新幹線、自然から電気が作れる時代に原子力発電
無用の長物に見合わぬ巨額投資…ツケは、それを許した国民が払わされるのです。



~原発のリスクは、あらゆる災害と切り離して考えられない~

2011年(平成23年)3月11日に発生した【東日本大震災】。
地震の規模M9.0は国内に於いてこの100年で最大、世界でも5番目に当たります。
天災は人命や自然、社会、財産、生活…あらゆるものに甚大な被害を及ぼしますが、この地震が史上類を見ない震災となったのはINESレベル7という最悪の【原子力発電所事故】を伴ったものだったからです。
2018.2.27現在も7万3000人の方が避難生活を強いられ、増え続ける福島第一原発構内の放射性物質を含んだ汚染水はあと5・6年で満杯となり、先月の世論調査で福島県民の66%が放射性物質に不安を感じている現状は、この震災が未だ終わっていないことを指し示しています。

しかし地震列島である日本に於いて、懸念すべきは既発の地震だけではありません。
政府の地震調査委員会が最近発表した長期評価における地震発生確率の変更で、特に気になったものを掘り下げてみました。


南海トラフ巨大地震

地震の規模 : M8~9
地震発生確率: 30年以内に70~80%程度

Elvis Presley - Love Me Tender3

南海トラフは静岡から四国にかけての太平洋側に存在する深さ4000m級の海溝《写真・左》で、これまでもM8クラスの大地震が約100~200年周期で発生しています。
西日本の太平洋側に沿うように長く伸びた海溝であることから東海・東南海・南海との連動型に発展することも想定され、2012年に内閣府は想定最大死者数:32万3000人と発表しました。
更に、付近には日本最大級の断層[中央構造線断層帯]《写真・右》が走っており、2016年の熊本地震(M 7.3)はこの断層で、過去に中央構造線断層上にある愛媛・大分・京都で連動して地震が発生しました。
また、静岡県浜岡原発は南海トラフ付近に、鹿児島県川内原発と愛媛県伊方原発は中央構造線断層帯上にあります。

[3.11]の約半年前に地震による原発事故が迫っていると警鐘を鳴らしたジャーナリストの広瀬隆氏は、西日本の原発大事故がもたらす被害について、次のように指摘しています。
台風は西から東へ偏西風の流れに沿って進みますが、原発の大事故のときに放射能が流れやすい進路も同じ。川内原発と伊方原発から偏西風の向きに放射能が流れれば、日本列島全域が汚染される


千島海溝沿い(十勝沖▽根室沖▽色丹島沖及び択捉島沖連動)地震

地震の規模 : M8.8以上
地震発生確率: 30年以内に7~40%

Elvis Presley - Love Me Tender4

上の数字は3つの領域が連動した場合のもので、個別では十勝沖M8.0-8.6(7%)、根室沖M7.8-8.5(70%)、色丹島沖7.7-8.5(60%)。
私がこの海域を着目する理由は、近くに[六ヶ所再処理工場]があるからです(ほかにも核施設が多い)。
六ヶ所再処理工場は青森県下北半島のつけ根にある上北郡六ヶ所村にある日本原燃が所有する核燃料の再処理工場で、ここには全国54基の原発から発せられた使用済み高レベル放射性廃棄物が3年前の時点で2827トン運び込まれほぼ満杯状態となっています。

福島第一原発の事故は、吉田昌郎所長が“東日本壊滅”を想定した史上最悪レベルの事故でした。
(風向きで放射能の8割が太平洋に運ばれるなど、偶然と幸運の連続によって結果的に被害が少なく済んだ)
六ヶ所再処理工場は全国54基の原発から排出された13年分の放射性廃棄物が蓄えられており、上記・広瀬隆氏の言葉を借りればこの再処理工場で大事故が起これば、日本が終るそうです。



~Epilogue~

安全性でも、経済性でも極めてリスクの高い原子力発電。
30年前、息子(清志郎)がそれを訴えるも、親(東芝)は耳を貸さず突き進み、やがて東芝は進退きわまり存亡の危機に陥りました。
[バブル崩壊]のように経済的失敗は後で取り返すことも可能ですが、放射能災害は経済的損失に止まらず人命や国土・郷土を半永久的に失う可能性があります。

今、世界はその事に気づき脱原発・脱炭素(再生可能エネルギー)へと加速しているのに、福島第一原発事故を体験した当の日本人だけ何故それができないのでしょう?
安倍政権の支持者の少なからず“大東亜戦争(太平洋戦争)は間違った戦争ではない、負けていない”と考えているそうですが、そのために精力を注いで過去の汚名を返上できたとしても、現在の世界から“19・20世紀型の発電から転換できない国”と批難され新エネルギーの競争に負けたのでは何の意味もありません

いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ
 ~清志郎

ガチガチ頭の親(安倍政権)が過ちを認めず、自ら悔い改めることができないなら、
子(国民)がそれを果たさないと、この国はやがて滅びます。
取り返しのつかないダメージを被る前に…。



「ラヴ・ミー・テンダー」


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tags : 1956年 偉大な曲 フォーク 映画-60's  東日本大震災 原発 

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「パワー」ジョン・ホール

2017.03.03

category : 1970年代

John Hall - Power1 John Hall - Power2


John Hall - Power (1979年)



~震災から6年~

2011年に発生した東日本大震災から、間もなく6年になろうとしています。
多くの人の命を奪い、故郷を破壊し、人生を変えてしまった災害…
そして、6年が経とうとする今現在も全国で約12万3000人の方が避難生活を余儀なくされているそうです。
2017.2.13現在/復興庁

また最近の報道では、原発事故のあった福島県から全国各地に避難している生徒が“放射能が来た”とか“放射能がうつる”といったいじめを受けている実態が次々と報じられており、放射能から物理的に遠ざかることはできてもその悪夢を断ち切ることの難しさを物語っています。
放射能問題は果たして想定外の“天災”か…それとも、人間の心に巣食う“人災”?



~概要~

「パワー」は、ジョン・ホール1979年の3rdソロ・アルバム『Power』のタイトル曲です。
ジョン・ホールは1973年にデビューしたアメリカのロック・バンド“オーリアンズ(Orleans)”のメンバーとして活躍し、1977年にソロへと転身しました。

バンド脱退の一因となったのが彼の反原発運動への参与であり、ニューヨーク州セメントン(Cementon)のハドソン川沿いに進められていた原子力発電所建設を止めることでした。
ジョンらの危惧は1979年3月28日にペンシルベニア州スリーマイル島にある原子力発電所で発生した重大な原子力事故(国際原子力事象評価尺度;レベル5)で現実のものとなり、彼をはじめ志を同じくするジャクソン・ブラウンやグラハム・ナッシュ、ボニー・レイットらが中心となってミュージシャンによる反原発活動『MUSE(Musicians United for Safe Energy)』を立ち上げます。

同年9月19~23日、MUSEはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで『No Nukes concerts』を開催、CSN(クロスビー、スティルス&ナッシュ)やブルース・スプリングスティーン、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、チャカ・カーン、ドゥービー・ブラザーズほか多数のミュージシャン仲間が参加し、最終日は20万人もの観衆が押し寄せました(メイン動画はこの時の映像)。
その歴史的イベントのテーマ・ソングとなっていたのがジョン・ホール作曲による「Power」だったというわけです。
そして、このイベントが影響を及ぼしたかは定かではありませんが、結果として以後アメリカでは現在まで1基の原発も新規で建設されてはいません。

2011年、日本での東日本大震災発生を受け、MUSEは32年ぶりに再集結しコンサートを開催、日本の津波・原子力災害救済のための資金を募ってくれました…。

 



~福島第一原子力発電所事故に学ぶべき教訓~

 そもそも、この原発事故の問題点とは何だったのか、まとめてみました。

低人口地帯を設けなくても原発建設を許可

福島第一原子力発電所の建設が計画された当時(営業運転開始は1971年)日本はまだ原子力発電に対するノウハウを殆んど持っておらずアメリカの原子炉やルールを輸入していますが、その導入には致命的な問題がありました。
核兵器の原料でもある原子力は非常に危険なものであるため、“アメリカの立地審査指針は原発の周囲に必ず低人口地帯を設けることを義務付けています”が、これを国土の狭い日本に適用させると条件を満たす建設地が無くなるため“日本では事実上低人口地帯を設けなくても建設を許可”するように変更されています。


敷地地盤高を35m⇒10mに削って建設+非常用電源を地下に設置

福島第一原子力発電所の所在地は、元々海岸に面した標高35mの台地でしたが、他の電源との競争に勝つため“コストを優先し標高10mまで掘削し施設が建設”されました。
また、原子炉の契約先であるアメリカGE社(ゼネラル・エレクトリック)のプラント規格では、“電源喪失時の非常電源となるディーゼル発電機が海側の地下に設置”されていたにも拘らず、元東京電力副社長の証言によると“誰も長年その事に気づかなかった”といいます(実際、震災時もそのまま地下に置かれていた)。


安全性に問題のある原子炉を、耐用期限を2度延長して使用し続けた

福島第一原発1号機から5号機までの原子炉はアメリカGE社の【マークⅠ型】ですが1975年に重大な事故につながる欠陥が見つかり、GEの技術者も会社に逆らい辞職してまでこの原子炉の使用停止を世界に訴え掛けましたが、福島第一原発は使い続けました
それに加えて第一原発では原子炉の耐用年数30年を超えて独自で期限を40年に延長、震災の発生した2011年に更に10年の使用延長許可が下りた矢先の事故でした。


“想定外”の津波?

標高10mの海岸にある福島第一原発は震災時、14~15mといわれる遡上高の津波に飲まれ、大事故を起こしました。
この大きな津波について当時東京電力は“想定外”を強調しましたが、実際は2002年に地震調査委員会の“三陸沖から房総沖にかけての日本海溝付近ではどこでもマグニチュード8クラスの地震が起きる可能性がある”との評価結果を踏まえ、2008年に福島県沖で明治三陸地震と同規模(M8.2-8.5)の地震が発生した場合の津波を自社内で試算、“遡上高15.7m”という結果を得ていました
しかしこの試算結果が設備改修などに反映されることはなく、更に2011年3月7日に保安院に報告されるまで公表されず、皮肉にもその4日後に震災が起きました…。


 参照

NHKスペシャル シリーズ原発危機『安全神話~当事者が語る事故の深層』
NHK ETV特集 『原発事故への道程』(前後編)文字起こし



~Epilogue~

ここまであれこれと原因を追及してきましたが、私が原発に反対する最大の理由は“原発があまりに嘘で塗り固められた政策”だからです。
原発導入を強引に推し進めた自民党、直接の利益を得る企業や研究者、有力な天下り先を得る官僚などいわゆる“原子力ムラ”の人たち…。

彼らの利益実現のためにはより多くの原子力発電所の建設が必要不可欠であり、それには“極めてリスクの高い原発を絶対安全”と偽らねば立地を引き受ける者などあろうはずもありません。
絶対安全を謳った政府と省庁は“安全対策に力を入れると原発が安全でないと自ら認めることになる”として本来最優先すべきシビアアクシデント(過酷事故)への対策を十分に考慮せず、監督者である国のその姿勢は原発運用の安全対策に余計なコストを求められない電力会社にとっても好都合…
“神話”は、こうした利害のために創り上げられました。


国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7(深刻な事故)と判定された福島第一原子力発電所の事故
それさえも、現場の当事者からすると“偶然と幸運の連続によって救われた結果”だったといいます。
その当事者とは、事故時第一原発の所長として現場を指揮しその2年後に食道癌で亡くなった吉田昌郎氏。
事故の現実について何も知らず、今も震災前と変わらぬ日常を当たり前のように過ごしている私たちですが、当時の現場は事故原因さえ分からずほとんど彼らが制御できない深刻な状況に陥っていたものの、“東京電力の対応とはほとんど無関係に、いつしか沈静化していった”のだそうです。

吉田氏によると、もしもこの幸運がなかったら東日本全体が放射能に覆われる“東日本壊滅”を想定したそうで、事実、当時の菅直人首相に提出された近藤駿介原子力委員長からの『最悪シナリオ』には、東京や首都圏住民の避難についての言及がなされており、菅氏本人も“最悪5000万人の避難が必要となる可能性があった”と証言しています。


There's so much to gain and so much to lose
得るものは大きいけれど、失うものもまた大きい
Everyone of us has to choose
だからこそ、みんなで選ぶべきことなんだ

一瞬で都市を灰燼(かいじん)と化し得る[Power]…
その“平和利用”に於いて、私たち現役世代は[gain(利益)]を受けることもできますが、それは“もの言わぬ未来世代への[lose(損失)]のつけ回し”の上に成り立っています。
そして、あなたは“その恩恵が日本壊滅のリスクとの引き換え”であることを、ご自覚でしょうか?

“世界で最も厳しい安全基準”を強調し原発再稼働を急ぎ、新たな高速炉“第2のもんじゅ”の始動を推し進める安倍政権…
危うく東日本を壊滅させかけた福島第一原発や、1兆円もの血税をムダにしたもんじゅの失敗に、彼らは何を学んだのだろう?
地震大国の上、国土が狭く人口密度も高いこの日本で、彼らの言葉は“新たな神話創造”としか響きません。
福島第一原子力発電所事故に私が学んだこと、それは…

この国に
“嘘で塗り固められた政治”も、“トイレのないマンション”も要らない。






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tags : 1979年 AC 環境 原発 プロテスト 東日本大震災  

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