I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ラヴ」ジョン・レノン

2022.12.01

category : Beatles & Solo

John Lennon - Love (1970年)

ピアノとアコースティック・ギターによるシンプルで、ジョン・レノンの中でも屈指に美しい楽曲 ♪

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tags : 1970年 バラード/ピアノ 安らかな愛 フィル・スペクター ドラマ ジョン・レノン 

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「愛はすべてを越えて」ルイ・アームストロング

2022.09.23

category : Louis Armstrong

Louis Armstrong - We Have All the Time in the World (1969年)

この世には表面的な美しさでも、富と栄誉でもない大切な何かがあることを“Satchmo”が歌う ♪

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tags : 1969年 バラード/Jazz 安らかな愛 映画-60's 007 

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「シー・ビリーヴス・イン・ミー」ケニー・ロジャース

2017.12.22

category : Kenny Rogers

Kenny Rogers - She Believes in Me1 Kenny Rogers - She Believes in Me2


Kenny Rogers - She Believes in Me (1979年)



~ケニー・ロジャース引退~

1958年から59年間のキャリアを積み上げてきたアメリカ・カントリー界の大御所ケニー・ロジャースが、この2017年を以って音楽界からの引退を発表しています。
今年8月に79歳となったケニーはこの10月まででツアーを完遂させており、最終25日のナッシュビルでのブリジストン・アリーナ公演にはドリー・パートンほか彼を慕って集まった多くの歌手によってライブ・パフォーマンスが行われました。



“アメリカでは国民的歌手”ともいわれ、1980年代には「We Are The World」のソロ・パート(1A-1A'[The greatest gift of all-We can't go on pretending day by day])を務めたにも拘らず、その偉大さを認識している日本人はごく僅かかもしれません。
でも“日本人好みの琴線”を持った歌手なので、カントリーという先入観を捨ててお耳を傾けてみてください。



~概要~

「シー・ビリーヴス・イン・ミー」は1978年12月の6thアルバム『The Gambler』に収録で、1979年4月に2ndシングルとしてリリース、Billboard Hot 100の5位(年間47位)を記録しました。
ケニーはそれまでもカントリー界のスターでしたが、本アルバムが3500万枚のセールスを挙げたことによりクロスオーバーな人気を築くきっかけとなった作品です。
「She Believes in Me」についてケニーは複数回セルフ・カバーしており、私は1990年の『The Very Best Of Kenny Rogers』で本曲を知ったのでそのバージョンをメイン動画としましたが、オリジナルが収録された『The Gambler』は聴いたことがないので、それと思われる音源を本項の最初に貼っておくこととします。

「She Believes in Me」の作者はSteve Gibbという人で、ケニーは1983年にビー・ジーズのバリー・ギブをプロデュースに迎えたアルバム『愛のまなざし(Eyes That See in the Dark)』を制作、バリーにはSteve Gibbという息子が実在します…
が、これは同名異人です。
『The Gambler』は有名無名を問わず有能なライターを集めて作曲されたアルバムで、Steve Gibbもその一人と思われます(英語版wikiにもSteve Gibb固有の項目は無い)。
詳細は不明ですが、「She Believes in Me」を最初にレコーディングしたのはSteve Gibb自身であったそうです。


2004年、アイルランドのヴォーカル・グループ Boyzone のローナン・キーティング(Ronan Keating)がオリジナルから歌詞を一部変えた「She Believes (In Me)」をカバー、全英2位をはじめヨーロッパでもヒットを記録しました。
2005年にはケニーがカントリー・ミュージック専門ケーブルテレビ・チャンネルCMTに出演、「She Believes in Me」を長年の友人ライオネル・リッチーと共演し、息の合ったパフォーマンスを披露しました。

 
 



~Lyrics~

While she lays sleeping
君が眠りに就いている頃…
I stay out late at night and play my songs
夜遅く、僕は外で歌を披露している

一般の仕事は日中であることが多いですが、彼らを相手のエンターテインメントの仕事の多くはその余暇時間、特にナイト・クラブなどでの演奏となると深夜に及びます。

ビートルズがレコード・デビュー前に演奏したのもこうした場所で、ハンブルク巡業では一晩8時間というステージもこなしたそうです。
そして、ビートルズをローカルからグローバルへと導く運命の人との出会いも、この場所(キャヴァーン・クラブ)でした。


I stumble to the kitchen for a bite
つまみ食いによろめき入った台所で
And I see my old guitar in the night
僕は暗がりに、古いギターを見つける

【my old guitar】は、解釈にもよりますが私には“こういう生活が長い”ことを連想させました。
もしこの曲を発表時のケニーの実年齢に重ねたとすると40歳で、“主人公は相当な苦労人”ということになりますが…。

しかし上には上がいるもので、1999年にメジャー・デビュー曲「孫」を240万枚売り上げた大泉逸郎は当時58歳、2009年に初ヒット「愛のままで…」がオリコン週間総合チャート1位を獲得した秋元順子は当時61歳7ヶ月でした([団塊世代の星]と呼ばれた)。


And she says to wake her up when I am through
そして君はこう言う…“やり遂げたら、起こしてね”
God her love is true
あぁ、君の愛はいつも真実…

マイナー歌手は収入も所属も不安定で本人も大変ですが、それを支える家族も苦労が絶えないことでしょう。
明日がどうなるかもしれない境遇に長く置かれると、その不満や不安から感情的になったり相手を詰(なじ)る女性も少なくないと思いますが、男性からするとそんな拷問が待っている家には帰りたくない…と、二人の距離はますます遠のいてしまいます。

“苦楽を共に”が[結婚の誓い]ですが、この場合一緒に起きて手伝ってもらっても創作が捗(はかど)るものではないし、[早く早く]と急かされたら逆効果です。
登場する女性は無駄なプレッシャーは与えず、夜遅く帰って来ても気配を察し声を掛けてくれるなど、愛情の使い分けがとても上手なような気がします。

 …これぞ、男を虜にする小悪魔ちゃんの極意♪



~Epilogue~

「She Believes in Me」を結ぶ時、歌手であるケニー・ロジャース自身のエピソードを提示できればよいのですが、それはちょっと難しいかもしれません。
…何せ、“5回の結婚歴”がある人ですから! 
[ただし、今回の引退は12歳になる双子の息子(※孫じゃありません!)のフットボールの試合を見に行く時間を作る…という家族愛を理由に掲げている]


…なので時節柄、(今上)明仁天皇と美智子皇后のエピソードをご紹介いたします。
美智子さまは皇太子・明仁親王(当時)とテニスコートでの自由恋愛をきっかけに、1959年(昭和34年)に初の平民出身の皇太子妃として皇室に入られた方です。

以降の仲睦まじい姿は国民によく知られるところですが昭和50年(1975年)、戦後初めて皇族としてお二人が沖縄県に入られた時のことです(沖縄海洋博出席のため)。
沖縄は太平洋戦争で多大な犠牲を強いられただけでなく戦後も1972年までアメリカ軍の統治下に置かれ、県民には戦争責任のある天皇家に恨みを抱く者が少なくありませんでした。
糸満市[ひめゆりの塔]にお二人が慰霊に訪れた際、過激派が明仁さまに向けて火炎瓶を投げつけたため、側にいた美智子さまは明仁さまの半歩前に進んで身を挺して守ろうとされたそうです。

また、共に天皇・皇后となられた平成4年(1992年)の山形県・べにばな国体では、明仁天皇が開会式のお言葉を述べている最中に男に発煙筒を投げつけられ、この時も美智子さまが素早く身を挺するように庇われている姿が映像として記録されています。

 


美智子さまの機敏な行動は、常日頃からの強いご覚悟と使命感で臨まれていなければこのような身の危険を顧みないとっさの動作に移れるものではありません。
『日本書紀』には日本武尊 (やまとたけるのみこと)を海難から救うため海神の怒りを鎮めようと自らの身を海に投じた弟橘媛(おとたちばなひめ)の伝説があり(彼女の遺品として流れ着いた櫛を祀ったのが千葉県茂原市の橘樹神社)、美智子さまはこの話に感銘を受け自らのお手本にしているともいわれ、天皇行幸の際に彼女が常に同行している第一の目的は[最後の楯]となって明仁天皇をお守りするためと、私は推察いたします。


こうした美智子さまの献身に対し、明仁天皇は平成25年(2013年)の自らの誕生日に際する記者会見で次のように述べています。

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています


But she has faith in me
それでも、君は僕を信じてくれる
And so I go on trying faithfully
だから僕も、固く信じて挑み続けられる

“私が大切にしたいと思うものを、共に大切に思ってくれる”…
“信じる”とは、そういうことなのかもしれません。



「シー・ビリーヴス・イン・ミー」


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tags : 1979年 バラード/Country 安らかな愛 夫婦愛 

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「アンフォゲッタブル」ナタリー&ナット・キング・コール

2016.01.15

category : Nat 'King' Cole / Natalie Cole

Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable1 Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable2


Natalie Cole with Nat 'King' Cole - Unforgettable (1991年)



~追悼、ナタリー・コール~

これまで9つのグラミーを受賞したR&B/ジャズ・シンガーのナタリー・コールが昨年12月31日、鬱血性心不全のため亡くなりました(享年65)。
ナタリーは2008年にC型肝炎を公表、翌年に腎移植手術を受けるなど健康に問題を抱えながらも歌うことを決して止めようとはせず、昨年11月からの公演は体調を崩しキャンセルとなったものの最後まで音楽と向き合う意思を持ち続けた人でした。
彼女と親交のあるアレサ・フランクリンは“涙をこらえなくては。ナタリーがどれだけ辛い闘いを強いられてきたかを知っているから。長い、長い闘いでした。”と、その闘病が苦しい日々であったことを語っています。

また、1月11日にはグラディス・ナイト、チャカ・カーン、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソンら多くの友人が葬儀に参列、スティーヴィー・ワンダーは“ナタリー、僕らがあなたの精神と思いやりを受け継ぐからね。”と言葉を贈りました。



~概要~

ナタリー・コールは言わずと知れたジャズ・ミュージック界の巨人ナット・キング・コールの実娘(次女)であり、1975年のデビュー以来何度もグラミーを受賞するなど、偉大な父に劣らぬ輝かしい実績を残した歌手です。
1991年、ナタリーは父ナット・キング・コールのカバー・アルバム『アンフォゲッタブル (Unforgettable... with Love)』を発表。
「Unforgettable」はその主題となる作品であり、名匠デイヴィッド・フォスターがプロデュースを担当、Billboard Hot 100で14位を記録するヒットとなりました。

「アンフォゲッタブル」はアメリカの作曲家アーヴィング・ゴードンの手による楽曲で、当初「Uncomparable(比べられない)」だったタイトルが「Unforgettable(忘れられない)」に改められたそうです。
1951年ナット・キング・コールが歌って世に知られるようになり(ナットのオリジナル音源は、2000年にグラミーの殿堂入りを果たしている)、その後1961年には改めてステレオver.がレコーディングされました(今回発見したBBCでの貴重なライブ映像もどうぞ♪)。
今回メインとした1991年のナット&ナタリーver.では“父娘デュエット”が実現していますが、ナットは1965年に他界してしまっているので生前のナットの音源(恐らく1961年ver.)をオーバー・ダビングした“バーチャル・デュエット”ということになります。

娘から父へのトリビュートとして捧げられたアルバムは大いなる共感とともにBillboard 200のNo.1に輝くと、全世界で1,400万枚のセールスを記録。
圧巻は同年度の第34回グラミー賞で、2次元の世界の父と3次元の娘がグラミーという晴れ舞台で共演する演出はお約束と分かっていても感動的であり、「Unforgettable」は“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”と“最優秀レコード賞(Record of the Year)”を含む4部門、アルバム『Unforgettable... with Love』は“最優秀アルバム賞(Album of the Year)”を含む3部門を受賞、最終的に主要3部門を含む7部門を独占しています。

カバーは多数あり、ナットのテイストに近いサミー・デイヴィスJr.(1965)やルー・ロウルズ(1977)、“クイーン・オブ・ソウル”アレサ・フランクリン(1964)、そして意表を突くJackie Chan(2002)…
ジャッキー・チェン!? 

 
 



~Lyrics~

Unforgettable, that's what you are
忘れられない…あなたのことが

この作品以降ジャズ・シンガーのイメージの強いナタリーですが、デビュー当初の彼女はR&Bシンガーでした。
偉大なジャズ・ミュージシャンである父ナットと、デューク・エリントンの楽団歌手だった母マリアという両親の下に育った彼女は、幼少時ナットによく「Kemo Kimo」という曲を歌ってもらっていたそうです。
(私も今回初めて聴いた曲ですがこのテイスト、大好き!こんなお父さん、ステキ過ぎ

R&Bやロックに傾倒するようになったのはアレサ・フランクリンやジャニス・ジョプリンの影響ともいわれますが、これほど濃密なジャズ一家に生育したナタリーは何故“その道”を歩まず、コンサートで父の曲のカバーを要望されても断ってきたのでしょうか…。

Natalie Cole with Nat King Cole - Unforgettable3  Kemo Kimo


ナタリーは15歳の時に父ナット(45歳)を失い、その後も最初の夫は34歳、兄弟も36歳と、何れも若くして大切な家族を亡くしていますが、人生で最も辛かった出来事がナットの死だったそうです。

私は一人の10代の少女として父を敬愛していました。そんな父の死でボロボロになり、何年もの間、父の思い出から逃げ、父の音楽さえ遠ざけていました。はからずも音楽の世界に入ったとき、リズム・アンド・ブルースの歌い方を学ぶことに興奮しました。ソウルを歌うのはとても楽しかったけれど、深い安らぎと大きな満足感を得られたのは、思い切って父に関係のある歌を歌ってからのことでした。

Unforgettable, though near or far
忘れられない…近くあろうと、遠くあろうと


ナタリーは、今となっては遺作となってしまった2013年のスペイン語アルバム『Natalie Cole en Español』で、ナットが1958年に歌った「Acércate Más」をカバーし再び“父娘共演”を果たしています。

‘Acercate Mas’は近づくという意味です。父を失っていてもお互いがより近づいたことで、心からの安らぎになり、私たちは死を深刻に考え過ぎているのではないかと思うようになりました。魂は死なないのです。音楽も死にません。そして魂を音楽と結び付ける愛に死は無縁です。その魂、音楽、愛は永遠なのです。

And forever more (and forever more)
そして、これからもずっと…





~Epilogue~

忘れられない人…

ナタリーが抱く父への【忘れられない】は、彼の死に始まりました。
そしてその想いは、彼女をその哀しみから逃れさせるために愛する父の音楽をも遠ざけてしまったのです。
それは本当の自分を偽ることでもあり、やがて彼女は薬物に溺れるようになってゆきます。

しかし、堕ちゆく娘を救ったのも父でした。
「Unforgettable」を包む父のぬくもりが、忘れていた大切なものを娘に思い出させたのです。
ナタリーが抱く父への【忘れられない】の意味が、変わってゆきました…。


【忘れられない】は、苦しみではない
それは、いつまでも消えることのない心のともし火
私が愛し、愛され生きた証し
あなたとめぐり逢えて…

That someone so unforgettable,
こんなにも、誰かのことが心を離れないなんて
Thinks that I am unforgettable too
どうかあなたも、そんな風に私を想っていてくれますように…


............................................................................................................. to 1.23



「アンフォゲッタブル」


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tags : 1991年 R&B 安らかな愛 デュエット グラミー最優秀レコード賞 グラミー最優秀楽曲賞 美声 

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「オール・スルー・ザ・ナイト」シンディ・ローパー

2015.01.09

category : Cyndi Lauper

Cyndi Lauper - All Through the Night1 Cyndi Lauper - All Through the Night2


Cyndi Lauper - All Through the Night (1984年)



~シンディ・ローパー・ソロ30周年ツアー~

シンディ・ローパーほど、日本に愛を傾けてくれた海外スターはいないのではないでしょうか?
1995年や2011年…2度の震災に際して彼女がくれた温かい支援は、本当に私たちを勇気づけてくれました。
そんなシンディの来日は15回目で、今回は彼女のソロ・デビュー・アルバム発表から30周年を記念した『シーズ・ソー・アンユージュアル 30th アニバーサリー&グレイテスト・ ヒッツ ジャパン・ツアー2015』として1/11~1/20の間に全国6都市6公演が予定されています。

「オール・スルー・ザ・ナイト」は昨年行われた同・北米ツアーのセットリスト曲ですが、ジャパン・ツアーのHPでは“ファンによるリクエスト投票”が行われており、1/11現在・上位5曲は以下のようになっていました。

1位;タイム・アフター・タイム
2位;ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン(「ハイスクールはダンステリア」)
3位;トゥルー・カラーズ
4位;オール・スルー・ザ・ナイト
5位;グーニーズはグッド・イナフ
上位4曲は既に北米ツアーのリストに入っていたので鉄板ですが、11日の大阪公演では「グーニーズ…」は歌われていないようです(※シンディはこの曲を嫌っている)。

当ブログではシンディの来日を記念し、次回も彼女の特集を予定していますのでお楽しみに♪



~概要~

「オール・スルー・ザ・ナイト」は1983年のシンディのソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル She's So Unusual(発売当時;N.Y.ダンステリア)』の収録曲で、当初「魅惑のスルー・ザ・ナイト」という邦題が付けられていましたが、後に原題をカタカナ表記したものに改められています。
後年、シンディに邦題への“お叱り”を受けた一連の結果と思われる。関連;「ハイスクールはダンステリア」(過去ログ)へ]

4thシングルとして1984年9月にリリースされたものの、当時PVは制作されておらずMTVの後押しがないハンデを乗り越えてBillboard Hot 100の5位(1985年の年間65位)を記録、更にはシンディ・ローパーの名を歴史に刻む記念すべき作品となりました。
これでシンディはアルバムの1stシングルから4枚連続で5位以内を達成したことになり、結果彼女は“Billboard史上初めてデビュー・アルバムから4曲連続トップ5入りした女性ソロ歌手”となったからです!
その後、マライア・キャリーがデビュー・アルバムから4曲連続No.1という離れ業を実現させている)

「オール・スルー・ザ・ナイト」はシンディによる乙女チックなイメージが強い作品ですが作者はJules Shearという男性シンガー・ソングライターで、元々は彼が1983年に自身のアルバム『Watch Dog』で発表したフォーク・ロック・ソングでした(シンディのバージョンにもバッキング・ヴォーカルで参加)。
意外といえば、未発表ながらカーズ(The Cars)もこの曲をレコーディングしていたそうで、他にも80年代後半に“ロクセット (Roxette) ”で大ブレイクする前のマリー・フレデリクソンが、1984年に「Natt efter natt」というスウェーデン語の作品としてカバーしています。
また、日本では森川由加里が1987年に大ヒットさせた「SHOW ME」のカップリング曲に「眠らないままで」というタイトルで日本語カバーをしています。

カバーというと2005年にシンディ自身がアルバム『The Body Acoustic』の中で、レゲエ歌手“シャギー”をフィーチャーし再レコーディングしています。
シンディは1983年当時もオリジナルのJules Shearのようなアコースティック・サウンドを当初目指していたとされますが、ここでは彼女自身アパラチアン・ダルシマー(Appalachian dulcimer)という弦楽器で独特の風合いを演出しました。

 



~Lyrics~


All through the night
夜が明けるまで
This precious time when time is new
この大切な時間、時は生まれ変わる

is new】は、上の【with you】と韻を踏ませる形。

二人は、そう頻繁には会えないのでしょうね。
この歌には、“その時間”の1秒をも愛おしむ気持ちが強く感じられます。
毎日、こんな風に会えたらいいのに…”

“長年、毎日顔を突き合わせている方”のご意見を、お待ちしております! …? 


All through the night
夜が明けるまで
Stray cat is crying so stray cat sings back
はぐれ猫が啼いては、別の猫も歌うように返す

“はぐれ猫”に“別の猫”とは、誰のこと?

彼らにとって、“日常”の暮らしは満たされたものではないのでしょう。
世の中には星の数ほど“別の猫”はいるのに、心地よく声を合わせられる相手とめぐり逢うのは容易いことではありません。
歌声だけでなく、心まで共鳴するような…。


And it goes running all through the night
一晩中、走り続けるから
Until it ends there is no end
朝が来るまで、果てることなく…

サビの最後のフレーズ。
特に歌のエンディングでの“no end…”の長伸ばしが印象的で、この季節の冷えて澄んだ夜空の果てまでも響き渡るようです。
これは、主人公の幸福感の絶頂を表しているのでしょうか…
それとも、“この瞬間がずっと続きますように…”という願い?



~Epilogue~

冬は、どうして夜空が美しいの? 
それは、空気中の水蒸気やチリ、光の乱反射が少なくなるから
人間関係も、それと同じなのかも
人と人の間に浮遊する雑念が多いほど、相手との距離感や心が見えなくなってしまう…

あなたは、どうですか?


We have no past, we won't reach back
過去なんていらない…それを遡ったりしない
Keep with me forward all through the night
ただ、朝までずっと私と前を見つめていてね

夜が明けると、二人はまた“退屈な日常”へと帰ってゆく
朝が動き出すと“あの夜”は、もう昨日
明日また“あの夜”に出会えるかは、手形のない不確かな希望
だから、今日あなたと共にあるこの一瞬を愛おしみ、心に刻もう…



「オール・スルー・ザ・ナイト」


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tags : 1984年 シンセポップ 安らかな愛 

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