“アメリカでは国民的歌手”ともいわれ、1980年代には「We Are The World」のソロ・パート(1A-1A'[The greatest gift of all-We can't go on pretending day by day])を務めたにも拘らず、その偉大さを認識している日本人はごく僅かかもしれません。 でも“日本人好みの琴線”を持った歌手なので、カントリーという先入観を捨ててお耳を傾けてみてください。
~概要~
「シー・ビリーヴス・イン・ミー」は1978年12月の6thアルバム『The Gambler』に収録で、1979年4月に2ndシングルとしてリリース、Billboard Hot 100の5位(年間47位)を記録しました。 ケニーはそれまでもカントリー界のスターでしたが、本アルバムが3500万枚のセールスを挙げたことによりクロスオーバーな人気を築くきっかけとなった作品です。 「She Believes in Me」についてケニーは複数回セルフ・カバーしており、私は1990年の『The Very Best Of Kenny Rogers』で本曲を知ったのでそのバージョンをメイン動画としましたが、オリジナルが収録された『The Gambler』は聴いたことがないので、それと思われる音源を本項の最初に貼っておくこととします。
「She Believes in Me」の作者はSteve Gibbという人で、ケニーは1983年にビー・ジーズのバリー・ギブをプロデュースに迎えたアルバム『愛のまなざし(Eyes That See in the Dark)』を制作、バリーにはSteve Gibbという息子が実在します… が、これは同名異人です。 『The Gambler』は有名無名を問わず有能なライターを集めて作曲されたアルバムで、Steve Gibbもその一人と思われます(英語版wikiにもSteve Gibb固有の項目は無い)。 詳細は不明ですが、「She Believes in Me」を最初にレコーディングしたのはSteve Gibb自身であったそうです。
2004年、アイルランドのヴォーカル・グループ Boyzone のローナン・キーティング(Ronan Keating)がオリジナルから歌詞を一部変えた「She Believes (In Me)」をカバー、全英2位をはじめヨーロッパでもヒットを記録しました。 2005年にはケニーがカントリー・ミュージック専門ケーブルテレビ・チャンネルCMTに出演、「She Believes in Me」を長年の友人ライオネル・リッチーと共演し、息の合ったパフォーマンスを披露しました。
~Lyrics~
While she lays sleeping 君が眠りに就いている頃… I stay out late at night and play my songs 夜遅く、僕は外で歌を披露している
ナタリー・コールは言わずと知れたジャズ・ミュージック界の巨人ナット・キング・コールの実娘(次女)であり、1975年のデビュー以来何度もグラミーを受賞するなど、偉大な父に劣らぬ輝かしい実績を残した歌手です。 1991年、ナタリーは父ナット・キング・コールのカバー・アルバム『アンフォゲッタブル (Unforgettable... with Love)』を発表。 「Unforgettable」はその主題となる作品であり、名匠デイヴィッド・フォスターがプロデュースを担当、Billboard Hot 100で14位を記録するヒットとなりました。
娘から父へのトリビュートとして捧げられたアルバムは大いなる共感とともにBillboard 200のNo.1に輝くと、全世界で1,400万枚のセールスを記録。 圧巻は同年度の第34回グラミー賞で、2次元の世界の父と3次元の娘がグラミーという晴れ舞台で共演する演出はお約束と分かっていても感動的であり、「Unforgettable」は“最優秀楽曲賞(Song of the Year)”と“最優秀レコード賞(Record of the Year)”を含む4部門、アルバム『Unforgettable... with Love』は“最優秀アルバム賞(Album of the Year)”を含む3部門を受賞、最終的に主要3部門を含む7部門を独占しています。
「オール・スルー・ザ・ナイト」は1983年のシンディのソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル She's So Unusual(発売当時;N.Y.ダンステリア)』の収録曲で、当初「魅惑のスルー・ザ・ナイト」という邦題が付けられていましたが、後に原題をカタカナ表記したものに改められています。 [後年、シンディに邦題への“お叱り”を受けた一連の結果と思われる。関連;「ハイスクールはダンステリア」(過去ログ)へ]
4thシングルとして1984年9月にリリースされたものの、当時PVは制作されておらずMTVの後押しがないハンデを乗り越えてBillboard Hot 100の5位(1985年の年間65位)を記録、更にはシンディ・ローパーの名を歴史に刻む記念すべき作品となりました。 これでシンディはアルバムの1stシングルから4枚連続で5位以内を達成したことになり、結果彼女は“Billboard史上初めてデビュー・アルバムから4曲連続トップ5入りした女性ソロ歌手”となったからです! (その後、マライア・キャリーがデビュー・アルバムから4曲連続No.1という離れ業を実現させている)