I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「オール・ライト」クリストファー・クロス

2020.04.27

category : Christopher Cross

Christopher Cross - All Right (1983年)

透き通ったハイトーン・ヴォイスと、洗練され都会的な演奏…80's AORの粋が凝縮した作品 ♪

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tags : 80's AOR  心地よい 新型コロナ 

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「カリフォルニアの青い空」アルバート・ハモンド

2019.07.05

category : Albert Hammond

Albert Hammond - It Never Rains In Southern California (1972年)

“雨は決して降らない”という南カリフォルニア。“青い空”を心に描き移住した青年の物語。

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tags : 70's AC 心地よい  

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「青空のヴァレリー」スティーヴ・ウィンウッド

2019.06.24

category : Steve Winwood

Steve Winwood - Valerie (1982/87年)

「青空」もいいけどこの季節、「星空」に物語を描いてみては? 少年少女の心を持つ大人の方へ ♪

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tags : 80's ポップ 心地よい 恋愛 偉大な歌手 

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「ディス・ワン」ポール・マッカートニー

2017.03.10

category : Beatles & Solo

Paul McCartney - This One1 Paul McCartney - This One2


Paul McCartney - This One (1989年)



~ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの誕生日を祝う~

去る2月25日、ポール・マッカートニーはTwitterに《写真・右上》を投稿しました。
この日は旧友・故ジョージ・ハリスンの誕生日で、以下のような言葉を添えています。

“My lovely friend George! Still celebrating his birthday.
Lucky to have had him in my life.”

僕の素敵な友人、ジョージ!今も彼の誕生日を祝っている。
僕の人生に彼がいてくれたのはラッキーだった。


一方、3月9日(木)には【#ThrowbackThursday #tbt】(“木曜日は、思い出の画像を投稿しよう”という意味)のハッシュタグに、以下のような画像を付けて投稿しました。

Paul McCartney - This One3

 “Sir” Paul McCartney ♪ 



~概要~

「ディス・ワン」はポール・マッカートニー1989年の8thソロ・アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート(Flowers In The Dirt)』からの2ndシングルで、イギリスでは1stシングル「My Brave Face」と同じ18位とそこそこヒットしましたが、アメリカBillboard Hot 100では94位と、ポールらしからぬ散々な成績に終わりました。
ただしアルバム自体は全英No.1に輝くなど好調で、80年代では1982年の『Tug of War』に次ぐ評価を得た作品といえるでしょう。
近年ポールは次々と旧作の“アーカイヴ・コレクション”をリリースしていますが、その第10弾としてこの3月24日に『Flowers In The Dirt』が発売されることになっています。

「This One」で特筆すべきといえばその“インド志向”で、ビートルズ・ファンが懐かしさを感じるサウンドにはポール自らが奏でるインド弦楽器“シタール”があります。
また、その志向は「ディス・ワン」のシングル・ジャケットやPVを見れば一目瞭然で、これらに登場する横笛を吹く白鳥に乗った青い肌の少年はヒンドゥー教の“神聖さ、愛、知、美の神”クリシュナであり、映像の中でポールとリンダは慣れない(?)あぐらをかいて瞑想しています。
ただし、ビートルズ時代インドでの修行を真っ先に逃げ出した前科のある彼はじっと瞑想などしていられるはずもなく、“目蓋に創意”(上で紹介の写真)を凝らすなど、全く世俗を忘れることができていません! 

『Flowers In The Dirt』はポールが成田空港での“あの事件”以来約10年ぶりにワールド・ツアーに復帰するきっかけとなった作品で、「This One」もその1989年9月からのツアー『The Paul McCartney World Tour(通称;ゲット・バック・ツアー)』で演奏されました。
その後ポールは何度もワールド・ツアーを重ねていますがあまりにヒット曲が多いポールのセット・リスト入りは至難であり、恐らくその後一度も演奏されたことはないと思われます。
ただし今回は『Flowers In The Dirt』の再発プロモのお陰で当時の貴重な音源も公開されていたので、それらも併せてお楽しみください。


 
 



~Lyrics~

The Swan Is Gliding Above The Ocean,
神さまをその背に乗せ
A God Is Riding Upon His Back
海に上を優雅に飛びゆく白鳥

「This One」の創作の経緯を、ポールは次のように語っています(要約)。

【this one】という言葉から【this swan】が浮かび、白鳥というとインドで見掛けたクリシュナのポスターを思い出したんだ。彼がピンクのユリを持ち白鳥に乗って澄んだ池の上を漂っているその絵はとてもスピリチィアルで、心を落ち着かせるものがあった。僕は特定の宗教は信仰していないけど、ああいう絵からはいい瞬間が得られるね

…って、きっかけは“ダジャレ”かいっ!? 


Did I Ever Take You In My Arms,
これまで君を腕の中に抱いて
Look You In The Eye, Tell You That I Do,
その瞳を見つめ語りかけたこと、あったかな

ポールによると、「This One」は“基本的にはラブ・ソング”だそうです。
ビートルズ時代は恋人ジェーン・アッシャーへ宛てて数々のラブ・ソングを書いてきた彼ですが、結婚後は愛妻のリンダ一筋!
ポールとリンダの“おしどり”ぶりは、ロック界でも有名でした。
果たして、本作はリンダへ宛てられたもの…?


Did I Ever Open Up My Heart
心を開いて
And Let You Look Inside.
この胸の内を見せたことが…

一方で、ポールはこの歌を“【後悔】がテーマ”と説明しています。
どんな時に後悔するかについて彼は[口論]を挙げており、冷静になって“君の方が正しい”と言えなかったことを悔いているそうです。

ポールの仲違いというと真っ先にジョン・レノンとのことを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、それはビートルズ解散の前後数年のことで、彼が“…でもしばらくして僕からジョンに電話をするようになって、最終的にはまた仲良くなれたんだ。ジョンに赤ちゃんが生まれて僕も育児中だった頃は、子育ての話もよくしたよ”と語るように、ジョンが亡くなるまでにポールが何度も彼を訪ねるほどの関係を取り戻していたそうです。



~Epilogue~

ジョンとは比較的早く関係を修復できたポールでしたが、同じく法廷で争った元ビートルズのジョージ・ハリスンとは十数年経ってもなかなかきっかけさえ掴めませんでした。
僕は幸運だった。ジョンが死ぬ直前には親友に戻れたから。
でもジョージは最後までジョンと話をしなかったから、とても悔やんだと思うんだ…


しかしこれは、当時ジョージと仲直りを果たせぬままだったポールにとっての悔いでもありました。
“だからこの曲を作った。いま言わなければもう言えないかもしれない。だからいま好きだよって言おうって…”


There Never Could Be A Better Moment
でもそれに相応しい瞬間って外にないんじゃないかな
Than This One, This One.
今、この時を於いて

…そう、「This One」にちりばめられた“インド”は、インドの文化に傾倒しヒンドゥー教徒でもあったジョージへの、ポールからの“サイン”だったのです!
直接この曲がきっかけとなったかは分かりませんが、ポールのこの思いは1993年からの『The Beatles Anthology』プロジェクトに於いて、天国のジョンを含めたビートルズ4人の共演が実現したことに結実します。
ご存知のようにその後まもなくジョージは癌を発症、2001年11月29日に58歳の若さで亡くなってしまいますが、群がるマスコミを遠ざけ家族と静かな最期の時を過ごせるよう国外の別荘を提供したのもポールだったといわれます。
ポールは語っています…。

過去を振り返り、未来を夢みる人が多いけど、今を大事にしてない。
生きているこの瞬間をもっと大切にすれば、人生がよりよいものになる気がするんだ


This One(今、この瞬間)… 



「ディス・ワン」


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tags : 1989年 ポップ 友情 心地よい ポール・マッカートニー 

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「ペニー・レイン」ビートルズ

2016.03.11

category : Beatles & Solo

Beatles - Penny Lane1 Beatles - Penny Lane2


The Beatles - Penny Lane (1967年)



~ジョン・レノン、髪を切る。~

ジョン・レノンは1967年に『ジョン・レノンの 僕の戦争 How I Won the War』という作品で、ビートルズ以外では初めて映画に出演しました。
その際ジョンは兵士役を演じるため長髪をバッサリ切り落としていますが、その時の毛髪が半世紀を経て先日オークションされた…というハナシ。
出品者はハンブルクの理髪師(映画の撮影はドイツだった)で、長さ約10センチの髪の束《写真》は2月20日の競売で3万5000ドル(約400万円)で落札されたそうです。

…ということで、本日は“床屋さん”を舞台としたビートルズ作品のご紹介です♪
(※先日亡くなったジョージ・マーティンについては、後日改めて特集いたします。)

Beatles - Penny Lane3 



~概要~

「ペニー・レイン」は1967年2月(英;17日/米;13日)にリリースした14枚目のオリジナル・シングル(「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と両A面)で、イギリスでは1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)以来“4年ぶりに1位になれなかった”(3週2位)と騒がれたのは、ビートルズならではといえるのでしょう。
ビートルズ歴代でも屈指といえるこの超強力両A面シングルのNo.1を阻んだのはエンゲルベルト・フンパーディンクの「Release Me」という曲で、この出来事についてリンゴ・スターは“連続No.1がプレッシャーだったのでホッとした”と振り返り、『全曲解説シリーズ(2) ザ・ビートルズ』(邦題)でジョン・ロバートソンは“こんな結果になったことは、当時イギリスのレコード購買層だった者全員にとって永遠に恥じるべき”とまで言及しました。
一方アメリカBillboard Hot 100では「ペニー・レイン」が単独A面で、ビートルズ13番目のNo.1(1週/年間55位)に輝いています。
また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Timeで449位”にもランクインしている楽曲でもあります。

作者&リードヴォーカルはポール・マッカートニー(詞の一部をジョンが手伝っている)で、彼は以前から故郷リヴァプールにある“Penny Lane”という地名に詩的な響きを感じそれをモチーフとした曲を作りたいと願望していたらしく、ジョンが故郷を題材とした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に取り掛かったのに触発され、本格的に創作を始めたといわれています。
「ペニー・レイン」は大ヒット曲であるにも拘らず公式アルバムに収められなかったため、同曲が収録された米キャピトル編集盤のサウンド・トラック『マジカル・ミステリー・ツアー』が長らく重宝されました。

ポップで聴き易い曲ですが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のセッションで録音されているため、サウンドはビートルズの中で最も手間が掛けられた作品の一つといえます。
レコーディングには1966年12月29日から1ヶ月近く費やしており、その間何度も録音→リダクション(トラックを整理)→オーバー・ダビングを繰り返し、特にピアノはポール、ジョン、ジョージ・マーティンらで6~7回ダビングを重ねたそうです。
それでもまだポールが満足できずいた1月11日の夜、BBCで放送されていたクラシック・コンサートでバッハの「ブランデンブルグ協奏曲第二番ホ長調」のトランペットに閃きを覚え、早速翌日この奏者デヴィッド・メイスンを呼び寄せいろいろ試した結果バロック調の“ピッコロ・トランペット”が選ばれ、「Penny Lane」で印象的なあの目の覚めるような間奏ソロが取り入れられました。

ビートルズのアウトテイク集『The Beatles' Anthology 2』ではさまざまなテイクからの音源を一つにした編集になっていますが、確かにあのトランペット・ソロが無いと気の抜けたサイダーのような物足りなさを覚え、ポールが最後までここに拘った理由がよくわかります。
「ペニー・レイン」はツアーをやめた直後の作品なのでビートルズでのライブ演奏は実現しておらず(何れにしても当時の機材では再現しようもない)、ポールがソロになってからの映像でお楽しみください♪

 



~Lyrics~

In Penny Lane there is a barber showing photographs
ペニー・レインにある床屋さんは、カットした
Of every head he's had the pleasure to know
数々の写真を人に見せるのが生き甲斐

イギリスにはイタリア系の理髪店が多いそうで、ポールによるとこの床屋はペニー・レインに実在した『BIOLETTI』《写真》というお店をモデルにしており(PVにもチラッと映っている)、写真が貼ってあったり立ち止まって挨拶を交わすクダリも実話だそうです。
現在もこの建物はありますが『BIOLETTI』は無くなっており、『Tony Slavin』という別の床屋が入っています。
ちなみに大のビートルズ・ファンとして知られる森高千里はこの地にオマージュを込めた「Tony Slavin」という作品を発表していますよ。(PVは“ご当地巡り”となっていて、ビートルズ・ファンも楽しめます♪)

Beatles - Penny Lane4 


And the banker never wears a mac
だってこのお偉いさん、どんな土砂降りでも
In the pouring rain, very strange
レイン・コートを着ないんだ…おかしいね?

【mac】は[Macintosh]の略で、スコットランドの化学者チャールズ・マッキントッシュが1823年にゴム製の防水布を発明したことから“レインコート”が生まれました。
もちろん、[McCartney]姓を持つ“ポールのあだ名”に引っ掛けてもいますよ♪

何故、彼は土砂降りでもレイン・コートを着ないのだろう…
なんて、真剣に考えた方はいませんか?
このエピソードについて、ポール本人は“多少でっち上げた”と語っているそうです。
…おかしいね? 


A four of fish and finger pies
4つの“フィッシュ・アンド・フィンガー・パイ”
In summer, meanwhile back
夏がくると、あの頃を思い出す

【fish and finger pies】は、素直に考えるとイギリスを代表する料理[fish-and-chips]を想像するでしょう。
ポールはこの点について、“殆んどの人は聞いたこともないだろうしご婦人方は決して口にしないだろうけど、【finger pies】は猥(わい)談好きなリヴァプールの若者にとってちょっとした冗談なんだ”と語っています。
すなわち【fish】【finger】【pies】は何れも“スラング的には性的表現”であり、夏がくるとそれを思い出すと言いたいらしい…? 


Behind the shelter in the middle of a roundabout
ラウンドアバウトの真ん中にある待合所の後ろで
The pretty nurse is selling poppies from a tray
かわいいナースがトレーを下げてヒナゲシを売っているよ

Beatles - Penny Lane5

【roundabout】は“環状交差点”を意味する主にイギリスで用いられる言葉で、日本ではアメリカ式の“ロータリー(rotary)”の方が一般的でしょう。
PVでこのフレーズの一瞬にチラッと流れる“バスロータリー”《写真》は実際ペニー・レインにあるもので、具体的にはこれをモデルとしていると思われます。

イギリスには戦没者を追悼する“Remembrance Day(11月11日)”という記念日があって、募金の協力者に赤いヒナゲシの造花を配ることから“Poppy Day”とも呼ばれています。
ちなみに、1995年にリリースされた「Free as a Bird」のPVにはこのフレーズを想起させるワン・シーンが込められているので、見逃していた方はリンクからどうぞ♪



~Epilogue~

ビートルズの故郷リヴァプール (Liverpool) は“海商都市リヴァプール”として世界遺産にも登録されるイギリスの歴史上も重要な役割を果たしてきた港町ですが、その発展の陰には“奴隷貿易の拠点”という負の歴史もある町です。
このうち【Penny Lane】はリヴァプールにある“通り(及び地区)の名前”であり、その歴史を物語るように名称は奴隷商人ジェイムズ・ペニーに由来しています。

報道によるとリヴァプール市議会は先日、ビートルズが同市に与える経済および文化的影響について『Beatles Heritage In Liverpool And Its Economic And Cultural Sector Impact』なる報告書として初めて発表しました。
それによると人口約43万人のリヴァプール市に於いて、解散後40年以上経つにも拘らずビートルズに関連する経済効果は毎年15%伸びており、その額は8,200万ポンド(約137億円)/年にも及んでいるといいます。


Penny Lane is in my ears and in my eyes
ペニー・レインは、今も僕の目と耳に残る故郷の情景
There beneath the blue suburban skies
街はずれの青い空の下
I sit, and meanwhile back
そこに座り、あの頃を思い出す


ビートルズのメンバーにとってペニー・レインは家からはおよそ2~3km離れた場所に位置し、ポールにとっては母校Liverpool Instituteやビートルズの演奏拠点だったCavern Clubへの通り道にあり、とりわけジョンは実際に住んだこともあったそうです。
「Penny Lane」に登場する人々は彼らのような大スターではなく、地元の人しか知らないようなごく普通の人たちばかり。

日本のお笑い界の大御所・志村けんの、彼が得意とする“爺さんコント”や“変なおじさん”は小学校教諭だった父・憲司さんをモデルにしたといわれ、また芸名の“けん”(本名;康徳)も父の名前から取ったものだそうです。
そう考えてみると、私たちの何気ない日常の中にもユーモアたっぷりで“おかしいね?”と思わずツッコミを入れたくなるような魅力的な人たちが埋もれているのかもしれません。

あした街を歩くあなたに、そんな楽しい出会いがありますように♪ 



「ペニー・レイン」


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tags : 1967年 偉大な曲 サイケデリック 故郷 物語 心地よい マジカル・ミステリー・ツアー 

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