2006年のトリノ・オリンピック、フィギュア・スケート荒川静香選手のエキシビションでテーマとなった「You Raise Me Up」で日本でもその名が知られるようになった女性音楽ユニット、ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)が6年振りの来日公演を行います。 日程等についてはメンバーからも日本の皆さんにお知らせが届いているので、映像でご覧下さい。
今回の来日は昨年リリースされたアルバム『Voices of Angels』に基づくツアーで、直前のインタビューで彼女らは “観客の皆さんが一曲ごとに、それぞれの曲が持つ要素と調和し、アイルランドの鼓動をコンサートを通して感じて欲しいです。実際にアイルランドに訪れたかのような感覚とそこにある心の温かさなどを、この公演を通して感じて頂ければと思います。” …と、語っています。
…そんな「Westering Home」はケルティック・ウーマンがオリジナルではなく、当地では小学校で習うほど親しまれるスコットランドの伝統歌です。 楽曲は1920年代にスコットランドのHugh S. Robertonの作とされる一方、実はこれも二次創作のようで、Wikiによると原曲はアイルランドに古くから伝わる「Trasna na dTonnta」(ゲール語)と言及されています(確かにメロディーは同じ)。 元々はアイルランド北部沿岸にあるグウィドー(Gaoth Dobhair)のことを歌っていたようで、それをHugh S. Robertonがスコットランド向けに歌詞を改め、言語も英語に変更したと推測されます。
~Lyrics~
Westering home with a song in the air 故郷の歌と共に、西へと向かう Light in the eye and its good by to care 瞳はきらめき、憂いにはさようなら
ジョン・レノンは1967年に『ジョン・レノンの 僕の戦争 How I Won the War』という作品で、ビートルズ以外では初めて映画に出演しました。 その際ジョンは兵士役を演じるため長髪をバッサリ切り落としていますが、その時の毛髪が半世紀を経て先日オークションされた…というハナシ。 出品者はハンブルクの理髪師(映画の撮影はドイツだった)で、長さ約10センチの髪の束《写真》は2月20日の競売で3万5000ドル(約400万円)で落札されたそうです。
「ペニー・レイン」は1967年2月(英;17日/米;13日)にリリースした14枚目のオリジナル・シングル(「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と両A面)で、イギリスでは1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)以来“4年ぶりに1位になれなかった”(3週2位)と騒がれたのは、ビートルズならではといえるのでしょう。 ビートルズ歴代でも屈指といえるこの超強力両A面シングルのNo.1を阻んだのはエンゲルベルト・フンパーディンクの「Release Me」という曲で、この出来事についてリンゴ・スターは“連続No.1がプレッシャーだったのでホッとした”と振り返り、『全曲解説シリーズ(2) ザ・ビートルズ』(邦題)でジョン・ロバートソンは“こんな結果になったことは、当時イギリスのレコード購買層だった者全員にとって永遠に恥じるべき”とまで言及しました。 一方アメリカBillboard Hot 100では「ペニー・レイン」が単独A面で、ビートルズ13番目のNo.1(1週/年間55位)に輝いています。 また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Timeで449位”にもランクインしている楽曲でもあります。
イギリスには戦没者を追悼する“Remembrance Day(11月11日)”という記念日があって、募金の協力者に赤いヒナゲシの造花を配ることから“Poppy Day”とも呼ばれています。 ちなみに、1995年にリリースされた「Free as a Bird」のPVにはこのフレーズを想起させるワン・シーンが込められているので、見逃していた方はリンクからどうぞ♪
報道によるとリヴァプール市議会は先日、ビートルズが同市に与える経済および文化的影響について『Beatles Heritage In Liverpool And Its Economic And Cultural Sector Impact』なる報告書として初めて発表しました。 それによると人口約43万人のリヴァプール市に於いて、解散後40年以上経つにも拘らずビートルズに関連する経済効果は毎年15%伸びており、その額は8,200万ポンド(約137億円)/年にも及んでいるといいます。
Penny Lane is in my ears and in my eyes ペニー・レインは、今も僕の目と耳に残る故郷の情景 There beneath the blue suburban skies 街はずれの青い空の下 I sit, and meanwhile back そこに座り、あの頃を思い出す
一方「Take Me Home, Country Roads」のオリジナルはオリビアではなく、アメリカのカントリー歌手ジョン・デンバーが1971年に発表しHot 100で2位(年間8位)の大ヒットを記録した作品です。 元々この楽曲は夫婦デュオ“Fat City”のビル・ダノフ(Bill Danoff)とタフィー・ナイバート(Taffy Nivert)の共作であり、当初メリーランド近くの曲がりくねった道から着想を得たバラードとして創作したものでした。 二人はこれを人気カントリー歌手ジョニー・キャッシュの所に売り込むつもりでしたが、ジョンが気に入って歌いたがったので予定を変更し、彼に合うよう舞台をウェスト・バージニア州にするなど3人で手直ししたそうです。 ここで紹介するジョン・デンバーver.はその3人が共演した貴重な映像となっていますので、お楽しみください♪
~Lyrics~
Almost heaven, West Virginia 天空の地、ウエスト・バージニア Blue Ridge Mountains, Shenandoah River ブルー・リッジ山脈に、シェナンドー川
現在アメリカは大統領選挙・予備選の真っ最中ですが、候補者の一人ヒラリー・クリントンは2008年のウェスト・バージニア州民主党予備選の演説で“You know, like the song says, 'It's almost heaven.'”と、このラインを引用し同州で大勝利を収めたそうです。 ウェスト・バージニア州はアメリカ東部にある面積・人口共に小さな州で、すべての地域が山岳内にあることから“山岳州(The Mountain State)”とあだ名されています。 ただし、実際は「カントリー・ロード」で紹介している“[ブルー・リッジ山脈]は全く同州を通っておらず、[シェナンドー川]も僅かにかすめる程度”なのだそうです! これは本作の作者である3人ともが同州の出身ではなく、当時十分確かめず発表してしまったために生じた誤解であり、このためジョン・デンバーは当地で歌う際は確かに同州に位置する[Appalachian Mountains(アパラチア山脈)]・[Monongahela River(モノンガヒラ川)]と言葉を替えて歌っていたそうです。
…とはいうものの本作は当地で熱烈に歓迎されており、「Take Me Home, Country Roads」は2014年に公式にウェスト・バージニア州の4番目の州歌となっています。
All my memories gathered 'round her 思い出すのは、彼女にまつわることばかり Miner's lady, stranger to blue water 鉱夫に囲まれ、青海原を知らぬ女性(ひと)