Simon & Garfunkel - Scarborough Fair/Canticle (1968年)
~概要~
「Scarborough Fair/Canticle」はサイモン&ガーファンクル(以下S&G)1966年の3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』に収録された作品です。 当初シングル・カットはありませんでしたが、1967年12月に「サウンド・オブ・サイレンス」と共にダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のサウンドトラックに起用、翌1968年にシングル・カットがなされBillboard Hot 100で11位(年間89位)を記録しました。
イワン・マッコールver.の影響を受けたのがイングランドのフォーク歌手マーティン・カーシー(Martin Carthy)で、アメリカ人であるポール・サイモンがこのイングランドの古い民謡と出合ったのは、デビュー・アルバムが泣かず飛ばずでイギリスへ“逃避行”していた1964年にマーティンが歌うのを聴いたことでした。 その後S&Gがマーティンver.のアレンジの影響を受けた「Scarborough Fair/Canticle」をヒットさせることになりますが、S&Gのみクレジットされたことに長年マーティンは快く思っていなかったようです(2000年に和解)。 一方ポールより先(1962年)にイギリスに渡っていた“フォークの貴公子”ボブ・ディランもイギリスの伝統的バラッドとマーティン・カーシーに多いに感化されており、ボブの1963年の作品「北国の少女(Girl from the North Country)」の音楽的要素と歌詞の一部はマーティンver.「Scarborough Fair」から引用しています。
一方「Canticle」はS&Gによるオリジナルで、1965年にポールがイギリスで発表したソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Songbook)』に収録された「The Side of a Hill」の歌詞の一部を引用・改変したものです(別項参照)。 邦題は「詠唱」となっていますが、これはオペラなどの“独唱曲(Aria)”や“単純な音程の繰り返しで祈り捧げる歌(chant)”といった意味の言葉で、【canticle】は“頌歌/しょうか(ode)”です。 頌歌は壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式で、抒情詩(じょじょうし)は“詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩”であることから、「Canticle」にはS&Gのそういうメッセージが込められた作品と思われます。 「Scarborough Fair/Canticle」の複雑なコーラスはライブでの再現が困難であるためか殆んど「Scarborough Fair」単体で演奏されているようですが、1968年の『アンディ・ウィリアムス・ショー』ではアンディを加えた3人で「Canticle」を含めた再現を確認できました。
~Lyrics~
Are you going to Scarborough Fair? スカボローの定期市をお訪ねですか? Parsley, sage, rosemary and thyme パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…
On the side of a hill in the deep forest green あの丘の斜面、深い森の緑 War bellows blazing in scarlet battalions 唸りを上げる戦争、燃え立つ深紅の大軍
「Canticle」の歌詞で、敢えてここは非連続のセンテンスを並べました、 「Canticle」はポール・サイモンが創った反戦歌「The Side of a Hill」を改変したものですが、「Scarborough Fair」には“そうした要素”はなく、何故ポールがこの二作品を一つに重ねたかは不明です。
「Love Me Tender」は言わずと知れた“King of Rock and Roll”エルヴィス・プレスリーの有名曲ですが、これには【元歌】があるってご存知だったでしょうか? しかも、エルヴィスの「Love Me Tender」を元歌とした有名な日本語カバーまであるのです。 それこそ、“ザ・キング・オブ・ロック”忌野清志郎率いる伝説のロック・バンド・RCサクセション。 今回は【同じ曲なのに全く違う】、この二つの作品を特集いたします。
この年だけで既に4曲の全米No.1シングルを量産していたエルヴィスは、ミュージカル西部劇『やさしく愛して(Love Me Tender)』(当初のタイトルは『The Reno Brothers』)で映画デビューすることが決まり、劇中で彼は「Love Me Tender」を含む4曲を歌いました (End title version) 。 映画はアメリカ南北戦争(1861-1865)の頃を舞台としており、そうした経緯からか1861年にウィリアム・ホワイトマン・フォスディック作詞/ジョージ・R・プールトン作曲のアメリカ民謡「オーラ・リー (Aura Lee)」を、『王様と私』のケン・ダービー(Ken Darby)が歌詞を書き換え「Love Me Tender」が生まれました。
1956年9月9日、エルヴィスは『エド・サリヴァン・ショー』に初出演し「Love Me Tender」を披露すると、翌日には100万枚を越える予約が殺到したそうです。 9月28日にシングルが発売され、11月3日からBillboard chartsで5週No.1(年間15位)に輝いていますが、「Love Me Tender」に首位の座を奪われたのもエルヴィス自身の「Hound Dog/Don't Be Cruel」で、同一歌手によって1位が受け継がれたのは史上初の出来事であり、この間彼によって達成された【16週連続No.1】も歴史に残る大記録となりました。
また、「Love Me Tender」はナット・キング・コールやフランク・シナトラ、バーブラ・ストライサンド、ノラ・ジョーンズほか多くのミュージシャンにカバーされており、ローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 437位】にランクされました。 ちなみに、私が特に気になったジェイムズ・ブラウンver.は、予想通り原曲を留めてはいませんでした!?
~清志郎、 親会社・東芝に一世一代の大喧嘩?~
数多くカバーされた「Love Me Tender」の中でもとりわけ異色なのは、日本のロック・バンドRCサクセションの日本語カバーver.です。 論より証拠、出だしの歌詞をオリジナルと重ねてみると…
Love me tender, Love me sweet 何 言ってんだー、ふざけんじゃねぇー Never let me go 核などいらねー