I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「民衆の歌」~ミュージカル『レ・ミゼラブル』より

2021.07.30

category : Soundtracks

Les Misérables - Do You Hear The People Sing? (1980年)

フランス国民が帝政から“共和制”を勝ち取るまでの苦難を描いた19世紀を舞台としたミュージカル

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comment(6) 

「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」アバ

2018.05.04

category : ABBA

ABBA - Slipping Through My Fingers1 ABBA - Slipping Through My Fingers2


ABBA - Slipping Through My Fingers (1981年)



~概要~

「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」はスウェーデンのポップ・グループ“ABBA”1981年11月の8th(最終)アルバム『The Visitors』の収録曲です。
作者はメンバーのビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソン、リード・ヴォーカルはアグネッタ・フォルツコグ。
一部を除きシングル・カットはなく、南米盤『The Visitors』にはスペイン語ver.も収録され、スペイン語圏でシングルもリリースされたそうです。
“母と娘の物語”をイメージさせる歌詞ですが、実際にビョルンとアグネッタの娘さんからインスピレーションを得て生まれた作品です。

日本では同年夏にコカ・コーラが販売促進用の企画として“スーパー・レコード”(写真左/非売品)を製作しています。
当時はコカ・コーラの瓶の王冠や缶のプルタブが“くじ”になっていて、それを集めると特別な賞品がもらえるというイベントがよくありましたが、これもその一つです。
このスーパー・レコードの企画にはアバ以外にもノーランズやドゥービー・ブラザーズ、三原順子、クリスタル・キングが参加しており、シングル盤は未発表曲の赤いカラー・レコード(裏面がピクチャーディスク仕様)、LPは独自選曲による編集盤となっていました。

「Slipping Through My Fingers」は、1999年に始まったABBAのヒット曲から成るミュージカル『マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)』の構成曲の一つでもあります。
2008年にはメリル・ストリープを主人公とした同映画が公開され、あの『タイタニック』を凌ぐイギリス史上最高のヒットを記録しました(後に『アバター』がその記録を更新)。


 



~Lyrics~

Schoolbag in hand, she leaves home in the early morning
通学かばんを手に、朝早く家を出るあの子
Waving goodbye with an absent-minded smile
ぼんやり笑顔で、行ってきますと手を振っている

「Slipping Through My Fingers」は、1973年に生まれた自身の長女Linda Elin Ulvaeusが7歳の時に学校へ行く姿をビョルンが見て創作したものだそうです。

子どもは好きなもの・興味のあるものに対する集中力が極めて高く、反面その瞬間それ以外の事象(路上での安全など)に対する集中力が【absent(不在の、欠けて)】になりがちです。
大人だと訓練されていて、そのとき何を優先すべきかある程度意識分散でコントロールできますが、子どもは興味次第の所もあるので切り替えがまだ上手くありません。
その辺りが“ぼんやり”に見えて、親にとっては心配になってしまうところでしょう…。


I'm glad whenever I can share her laughter
あの子と笑いを分け合うことが、いつだって私の喜び
That funny little girl
しあわせの笑みを誘う、小さな天使

一方、ビョルンとアグネッタは1978年末頃には別れを決意し1980年7月に離婚しているので、この曲が創作された頃は彼らにとってかなり難しい時期だったことでしょう。

『The Visitors』が発表される1か月前の1981年10月にアグネッタは『Nu tändas tusen juleljus』というスウェーデン向けのクリスマス・アルバムをリリースしていますが、これが実は娘リンダとのデュエット・アルバムでもありました《写真》。
このアルバムは後年CDとして再リリースされ、1990-2000年代にかけてベストセラーにもなったそうです。

ABBA - Slipping Through My Fingers3 



~2018年は“ABBAの年”!~

1982年の解散から36年が経つ2018年、今年はアバにとって解散以降最大の年となりそうです。

一つは、解散以来初めて4人がスタジオ入りして2曲の新曲を発表する予定である、ということ。
そのうち「I Still Have Faith in You」はメランコリックな曲だそうで、12月にアメリカと英国で放送されるテレビ番組内で“デジタルABBA”によって披露される予定となっています。
もう1曲の「Don’t Shut Me Down」はダンス・ミュージックではないがアップテンポな曲だそうで、2019年からの開催が計画されているABBAtarsなるホログラム・ツアーで聴くことができそうです。

もう一つはアメリカ・イギリスなどで7月20日、日本では8月24日から新作映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー(Mamma Mia! Here We Go Again)』が公開予定となっていることです。
タイトルのとおり2008年の映画『マンマ・ミーア!』の続編で、10年後の現在と、ドナがソフィの父親候補3人と出会った青春時代を描く内容となっています。
前作のキャストに加えて今作では若きドナ役を『シンデレラ』のリリー・ジェームズ、そして私が特にぶったまげたのがドナの母親役にあのシェールが出演するというのです!
(まさか、Tバックで歌わないでしょうね…?(御齢7×歳) 



何れにしても、今年はABBAから目が離せません!



~Epilogue~

映画『マンマ・ミーア!』は、シングル・マザーとして仕事と子育てに奮闘した母ドナ(メリル・ストリープ)と、一人娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)の物語。
ソフィが結婚式を挙げる日、母が娘のドレスの着付けを手伝う場面でドナが「Slipping Through My Fingers」を歌います。



ママは苦労したわ。子育てもホテルも何もかも1人で…
自分を育てるため、20年間苦労を一人で背負ってきた母を案じる娘。
でもそれでよかった。こんなに幸せだもの…”
娘の言葉に、長年の【苦労】を【幸せ】だったと答える母。

エスコートしてくれる?
バージン・ロードを実の父親にエスコートされることを夢みていたソフィは、その役目を20年間苦楽を共にした母ドナにお願いすることに決めました。
うれしさが込み上げ、何度もそれに頷くドナ。
母娘の心が、一つになった瞬間…。

Sometimes I wish that I could freeze the picture
写真みたいに、この瞬間を凍らせられたらいいのに…


自身の娘が学校に通う姿を見て作品を書いたビョルンは、「Slipping Through My Fingers」について次のように語っています。
親だったらみんなこの感覚に覚えがあるんじゃないかな?
たとえ子どもたちと起きている時間の全てを一緒に過ごしたとしても、まだ何か取り逃がしている気がすること
…”

Each time I think I'm close to knowing
ようやくそこに近づいたと思うたび
She keeps on growing
あの子はもっと先へと成長し
Slipping through my fingers all the time
いつだって、私の指からすり抜けていってしまう…

そんな“想い”もあったのだと、“あの頃”気づいてあげられた子どもはあまりいないでしょう。
でも成長を遂げた今なら、それを埋め合わせてあげられるかもしれません。 



「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」



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comment(4) 

「ヒート・オブ・ザ・モーメント」エイジア

2017.02.10

category : Asia

Asia - Heat Of The Moment1 Asia - Heat Of The Moment2


Asia - Heat Of The Moment (1982年)



~追悼 ジョン・ウェットン~

今回は1月31日に亡くなったイギリスのロック・バンド、エイジアのヴォーカリスト/ベーシストのジョン・ウェットン(John Wetton/享年67)の追悼記事です。

ジョン・ウェットンは1970年代前半からプログレッシブ・ロックの五大バンドの一つに数えられるキング・クリムゾン (King Crimson) のメンバーとして名を上げ、その後もロキシー・ミュージックやU.K.としてイギリスのロック界に輝かしい足跡を残しました。
その彼の訃報に対し、エイジアのメンバーをはじめ数多くのミュージシャン仲間から追悼の言葉が寄せられています。

一方、2014年にクリームの盟友ジャック・ブルースをギターで追悼したエリック・クラプトン(過去ログ「ホワイト・ルーム」)は、同じ時代を生きた仲間であるジョンに対しても「For John W」と掲げ、自らのギターによって彼の冥福に祈りを捧げました…。





~概要~

エイジアを語る上で必ず挙げられるのが“スーパーグループ(Supergroup)”という形容で、まさにその名に相応しい大物ミュージシャンによって構成されました。
結成当初のメンバーは…

vo/b; ジョン・ウェットン "John Wetton"(元キング・クリムゾン)
g/vo; スティーヴ・ハウ "Steve Howe"(元イエス)
key ; ジェフリー・ダウンズ "Geoffrey Downes"(元バグルス/イエス)
ds ; カール・パーマー "Carl Palmer"(元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)

プログレ五大バンドのうち3つまでが参加という信じられない豪華な顔触れが実現したことから、当時ロック界では“衝撃”として受け止められました。
1982年3月、1stアルバム『詠時感~時へのロマン(原題:Asia)』がリリースされ、デビュー・シングルとなった「Heat of the Moment」がBillboard Hot 100で3週連続4位(年間40位)と人気を牽引すると、アルバムもBillboard 200で9週No.1(年間No.1)に輝くなど、全世界で1500万枚をセールスする大成功を収めました。

一方、本国イギリスではシングル/アルバムが46位/11位と、アメリカとは正反対の評価となりました。
そのイギリスでの「Heat of the Moment」のシングルB面曲はアルバム収録の「Time Again」だったのに対し、それ以外の国ではアルバム未収録の「Ride Easy」が選曲されており、これは作者ジョン・ウェットンにとってエイジアでのフェイバレット・ソングだそうです(私も好き♪)。
その後も「Ride Easy」はオリジナル・アルバムには収められることはなく、1986年に日本のみで発売されたEP『Aurora』や日本公演を記録したDVD『Fantasia - Live In Tokyo 2007』に収録されています。

また、「Heat of the Moment」が大ヒットした要因の一つには“斬新なPV”があります。
画面分割を巧みに用いた印象的なこの映像を制作したのは「I'm Not in Love」で有名なバンド“10cc”のメンバーでもあるゴドレイ&クレーム (Godley & Creme)で、この2人はハービー・ハンコックの「Rock It」やポリスの「Every Breath You Take」といった80年代を代表する数々の名作を生み出したクリエイターであり、覚えておいででしょうか…当ブログで過去に特集したジョージ・ハリスンの“長ぁ~い楽器のフシギな映像”「When We Was Fab」のPVも彼らによる創作なのです!


ところで、バンド名が“Asia”というだけあって何かと日本と縁のあるエイジアですが、初来日は1983年に発表された2ndアルバム『ALPHA』の後のワールド・ツアーでした。
しかしその直前に“バンドの声”であるジョン・ウェットンがアルコール中毒のため一時メンバーを外されており、そのため急遽元キング・クリムゾン/ELPのグレッグ・レイク(vo/b)を招聘し三重県志摩市の”ヤマハリゾート合歓の郷”で1ヶ月間リハーサルを積んだ上で公演が行われました。
何かと共通点の多いこの2人ですが、そのグレッグ・レイクがジョンの僅か2か月前、昨年12月7日にジョンと同じ癌闘病の末に亡くなったというのも不思議な巡り合わせというものでしょうか…。


 



~Lyrics~

I never meant to be so bad to you
君を傷つけるつもりじゃなかった
One thing I said that I would never do
それだけは、決してしないと誓ったはずなのに

いきなり“後悔の念”を匂わせるフレーズですが、これはタイトルの「Heat Of The Moment」の具現でもあります。
【heat of the moment】は“その場の勢い・ものの弾み”と訳されるように、“後悔を招く浅はかな一瞬の熱情”といったニュアンスが含まれる言葉。

男性が女性に“決してしない”と誓うことというと…? 


One thing lead to another, we were young
二人は若く、それが引き金となって
And we would scream together songs unsung
歌にもならない悲鳴を上げる破目になったのさ

「Heat Of The Moment」の歌詞は作者であるジョン・ウェットンの実情を綴ったものであり、当時の彼の恋人ジルとの関係を基に創作されました。
ただし実際に別れたわけではなく、そうならないために“僕が間違ってました、ごめんなさい”をしたそうです!
その甲斐あって(?)後に二人は結婚を果たし… … … (10年後に離婚)

 …なぁ~んだ、謝っても結局同じじゃん!
 う~ん(返す言葉がない)…。


You can concern yourself with bigger things
興味の対象は、より大きなもの…
You catch a pearl and ride the dragon's wings
真珠を手にし、竜の翼に乗ること

“恋に恋する乙女”も、やがては“真珠に恋する女”へと変わるということか…

 …でも“竜の翼に乗る”は、「The Neverending Story」(過去ログ)みたいでステキな夢ね?
 フッ…ガキにゃ解るまいけどオレたちの“小悪魔ちゃん”なんか、こんな風に言ってるぜ!
   “ルパンはあたしにとって、可愛い操り人形♪” by 峰不二子
 …ドラゴンが操り人形!?

これは“純粋さを失ってしまった”のか、はたまた人として“学習・経験を積み重ねた成長”か…。 



~Epilogue~

And now you find yourself in '82
…そして'82年、君は気づく
The disco hot-spots hold no charm for you
ディスコはもう心躍る場所ではなくなったと

この年代を経験した方は、何となく“あの社会現象”を引き合いにしているとピンとくることでしょう? 
大ヒットや大流行した文化は時代の象徴でもありますが、それだけに後世からみると“古臭い”とか“時代遅れ”の標的とされるものでもあります。
それはディスコに限らず、エイジアもその宿命からは逃れ得ないようです…。

2005年、「Heat Of The Moment」はアメリカのコメディ映画『40歳の童貞男(The 40 Year Old Virgin)』の劇中歌に使われていますが、この主人公(スティーヴ・カレル)は21世紀になっても1982年の『Asia』のポスターを後生大事に部屋に飾ってあるキャラクターとして描かれており、彼が女性から相手にされない一つの象徴としてエイジアがネタとなっています。
ただし、当のジョン・ウェットンはそういう作品の使われ方を許容しているばかりか、この映画の大ファンなのだそうですよ!

 


It was the heat of the moment
それは一瞬の熱情
Telling me what my heart meant
心の奥が、訴えかける

目映いばかりに光を放って燃えた熱情…
たとえそれはただ一瞬の興奮に過ぎなかったとしても、その小さな火種が心の奥にある限り
またいつか、きっとすべてを熱く灯す炎となって甦ることだろう。



「ヒート・オブ・ザ・モーメント」


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tags : 1982年 ロック 名作MV ゴドレイ&クレーム 映画00's- スーパーグループ 

comment(10) 

「ボヘミアン・ラプソディ」クイーン

2015.12.04

category : Queen

Queen - Bohemian Rhapsody1 Queen - Bohemian Rhapsody2


Queen - Bohemian Rhapsody (1975年)



~「Bohemian Rhapsody」40周年~

今年はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が1975年10月31日に発表されて、ちょうど40年。
その「Bohemian Rhapsody」が全英チャートNo.1を独走していた最中、『A Night at the Opera Tour』同年のクライマックスとしてクリスマス・イヴの夜、彼らが立ったステージがロンドンのハマースミス・オデオン(現:イヴェンティム・オデオン)でした。
その模様が最新の技術によってレストアされ、今回『クイーン——オデオン座の夜 ~ハマースミス1975』としてこの11月20日にBlu-rayはじめマルチ・フォーマットでリリースされたことを、ご存知のファンも多いことでしょう。

クイーンがバンドとして大ブレイクした瞬間の爆発力とクリスマスのお祭りムードが相まって、とても素晴らしいコンサートとなっていますが、その中から一部の映像が公開されています。

 



~概要~

「ボヘミアン・ラプソディ」は4thアルバム『オペラ座の夜(A Night at the Opera)』の先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで9週連続No.1を記録したクイーンの代名詞的作品です。
イギリスでは244万枚を売り上げ、2014年7月時点で「Candle in the Wind 1997」(同492万枚)、「Do They Know It's Christmas?」(同378万枚)に次ぐ歴代3位にランクされています(4位はウイングスの「Mull of Kintyre」)。

アメリカでもBillboard Hot 100で9位(1976年の年間18位)に入る初のTop10ヒットを記録するなど、世界的な大ヒットとなりました。
ローリング・ストーン誌“the 500 greatest songs of all timeの166位”にも選出されている楽曲であり、2002年のギネス・ワールド・レコーズ社によるアンケートでは“英国史上最高のシングル曲の1位”という結果も残っています。

作者はフレディ・マーキュリーで、ブライアン・メイによると“すべてフレディの頭の中に構想があって、彼とロジャー(・テイラー)とジョン(・ディーコン)でバッキング・トラックとしてそれぞれのパートを決めていった。”といい、ブライアンのパートであるギターについても“ヘヴィなリフはフレディが思いついた。彼が左手を使ってピアノで弾いたもので、僕はそれを参考にした。”と語っており、更には“『オペラ座の夜』の成功がなかったら、クイーンは解散していただろう。”とまで言及しています。
そんな彼は40年経った現在でも、ラジオからこの曲が流れるとボリュームを上げ、聴き入ってしまうそうです。

作品の構成は、①アカペラバラードオペラロックバラード(②のアウトロ)という多彩なジャンルから成る組曲形式で6分近い大作でありながら、そこに一片の無駄も存在せずビートルズの「ゴールデン・スランバーズ~」に勝るとも劣らない歴史的傑作です。
いくら名曲といってもライブでの再現に困るのがこのテの壮大な作品であり、1975年のハマースミス・オデオンでは[②バラード~キラー・クイーン~マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン~⑤バラード]という苦肉の策を採っていましたが、1977年以降は[②バラード~③オペラ(音声・映像)~④ロック~⑤]の形に定着しました。

「Bohemian Rhapsody」が傑出している点は音楽だけでなく映像面にもみられ、当時まだ広まっていなかった“プロモーション・ビデオ(PV)”を最新テクノロジーを駆使してクイーンのもつヴィジュアル・インパクトを最大限に引き出し、世界に反響を及ぼしました。
実は、これはTV出演のスケジュールが合わなかったため急遽2時間の撮影で制作されたそうで、新たな創造とは意外にも切羽詰まった状況から生まれるものなのかもしれません(ビートルズも、同じきっかけからPVを制作するようになった)。
ビートルズとの共通点というとフレディが弾いているピアノで、レコーディングには「Hey Jude」でポールが弾いたピアノが使用されています。

 



~Lyrics~

Is this the real life?
これは現実なのか…
Is this just fantasy?
それとも、ただの幻想?

冒頭のアカペラはメンバー4人による美しいハーモニーで構成されますが、残念ながらライブでは省略されている部分です。
PVの“暗闇に浮かぶ顔”はアルバム『Queen II』のジャケットがモチーフとなっている有名なカットで、後に様ざまな形で派生がみられました。

Caught in a landslide(地滑りに引き込まれる)
主人公にとって【this】は、抗い得ない運命のようなものだったのかもしれません。


Mama, just killed a man,
Mama...たった今、人を殺してきた
Put a gun against his head,
奴の頭に銃口を突きつけ

バラードの冒頭部分で、強いインパクトを与えずには置かないラインです。
ここで和訳に用いた【銃爪(ひきがね)】に、覚えのある方もおありでしょう?
これは世良公則&ツイストが1978年に放ったヒット曲「銃爪(ひきがね)」を引用したもので、作者・世良公則の造語といわれます。

殺人というと重要なのが“動機”ですが、ここでは何も語られてはいません。
あるのは罪悪感と未来に対する絶望、そして“Mama”…。


Easy come, easy go, will you let me go?
気ままに生きただけだ…俺を見逃してくれ
Bismillah! No, we will not let you go. (Let him go!)
ビスミッラー!いいや、お前を見逃すわけにはいかない(彼を赦し給え!)

オペラ風のパートですが[opera]は元々イタリア語で、【Scaramouch(イタリア喜劇の空威張りする道化役者)】【Galileo】【Figaro】【Magnifico】【mama mia】などイタリアに関連した言葉がたくさん用いられています。
一方【Bismillah(بسم الله الرحمن الرحيم)】はアラビア語で“神(アッラー)の御名において”という意味の言葉であり、主人公は裁きを受け、彼と周囲は赦しを乞うている様子が窺えます。

リアルタイムで歌と詞をなぞるとやり取りが面白く、何度も赦しを乞うものの終に【Never, never let you go】と言い切られてしまい、その絶望感を極端な低音の【No, no, no, no, no, no, no.】で表現しています。
主人公は落胆の心情を【Mama mia, let me go.(愛するママ、俺を助けて)】と吐露し、困り果てた彼はあろうことか魔王【Beelzebub】に助けを求めてしまう…というオチ!
“溺れる者は藁をも掴む”といいますが、切羽詰まった人間の心情がよく出ています。



~Epilogue~

ところで、本作品は「Bohemian Rhapsody」というタイトルを掲げながら、その言葉自体は歌詞中に一切登場していません。
…では、このタイトルは一体何を訴えかけているのでしょう?

【rhapsody】は日本語では一般に“狂詩曲(きょうしきょく)”と訳され、“歌をつなぎ合わせること”というギリシャ語の語源に由来する通り、さまざまな曲調がメドレーとして組み込まれていてこの曲はまさにそれを体現しています。
一方【Bohemian】は文字通り“ボヘミアに居住する人”ですが、イギリスのバンドであるクイーンが何故ボヘミア(チェコの西部・中部地方を指す歴史的地名)なのか、イマイチ腑に落ちません…。

ブライアン・メイは「Bohemian Rhapsody」について、“何のことかって? 僕らの誰もわからないよ。僕が知る限り、フレディはそのことについて話さなかったし、それを望んでもいなかった。彼の心の中には何か思うことはあったんだろうけど、彼はこういった魔法のかけらをスピンするのが大好きだった。現実を少し、ファンタジーを少しってね。いろんな解釈ができるのを楽しんでいたと思う。”と語っています。

“現実を少し、ファンタジーを少し”

私は、この言葉が最も真実に近いような気がします。
実は【Bohemian】には派生した言葉の意味があって、15世紀フランスに流入していたジプシーの多くがボヘミア地方からの民であったことから、“定住性に乏しく、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの蔑視をものともしない人々”のことをボヘミアンに喩えるようになったそうです。

“定住性に乏しく、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの蔑視をものともしない人々”

私は、この言葉に“彼の宿命”を重ねずにはいられません。
誰しも身の上について他人に語りたくないものはあるであろうし、それが世間一般の規範に反するものであったなら尚更です。
“逆境”の宿命に生まれた彼は、[Bohemian]の生きざまに自らの希望を重ね合わせていたかもしれません。

Nothing really matters to me.
大したことじゃない
Anyway the wind blows.
どのみち、風は吹く…

“彼”に吹いたのは、どちらへ導く風だったのでしょう…



「ボヘミアン・ラプソディ」


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comment(4) 

「涙色の微笑」バリー・マニロウ

2015.03.06

category : Barry Manilow

Barry Manilow - Cant Smile Without You Barry Manilow - Somewhere In The Night2


Barry Manilow - Can't Smile Without You (1977年)



~Can't Smile Without You~

東日本大震災から4年…
NHK(3月7日)によると、関連死を含めた震災による死者と行方不明者は少なくとも2万1672人に上ったそうです。
亡くなった方の無念はもちろんですが、それはその何倍にも及ぶ家族や親しい関係者らの哀しみが存在することを意味します。

“あの日”から4度目の3月11日…
故郷の人と天国の人が、穏やかな微笑みで再会を迎えられることを願って…。



~概要~

「涙色の微笑」は、バリー1978年の5thスタジオ・アルバム『愛と微笑の世界(Even Now)』に収録された曲。
奇しくも過去に紹介した作品「夜のしじまに」も「コパカバーナ」もこのアルバムの収録曲ですが単なる偶然で、ただ一つのアルバムから何曲も紹介できるこの頃のバリーが充実していた証といえるでしょう。

その1stシングルとしてBillboard Hot 100で3週連続3位(年間27位)を記録していますが1978年は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が世界的な社会現象にも発展した年で、同関連曲がほぼ半年チャートのトップを独占していました。
「涙色の微笑」がピークを迎えた4月第4週~5月第1週は、1位「恋のナイト・フィーバー」・2位「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(イヴォンヌ・エリマン)共に“サタデー・ナイト・フィーバー/ビー・ジーズ楽曲”が居座り続ける時流であり、「涙色の微笑」も通常であればNo.1になれたかもしれません。

ハートウォーミングなメロディーの「涙色の微笑」はSANYOやvodafone、現在も“【TOYOTOWN】プリウスα かくれんぼ篇”(堺雅人出演)など、これまで何度もCMソングに起用され、バリーを知らない方も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
映画での起用も複数あり、2002年のキャシー・ベイツ主演映画『夢見る頃を過ぎても(Unconditional Love)』ではバリーが本人役で登場しこの曲を歌い、2008年の映画『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー(Hellboy II: The Golden Army)』では半魚人と悪魔がこの曲をデュエットするというフシギなシーンに用いられました。

その親しみ易さのせいか、楽曲は80年代に入ってちょっとした騒動に巻き込まれてしまいます。
1984年にリリースされ、クリスマスの定番曲として有名なワム!の「ラスト・クリスマス」
(察しの良い人は、ここでピンとくる?
が「涙色の微笑」のメロディーに類似しているとして、作者のジョージ・マイケルを音楽出版社ディック・ジェイムズ・ミュージック (Dick James Music Ltd.)が訴えるという事件が起きてしまったからです!
ジョージ側はこれを認め、「ラスト・クリスマス」の初年度の印税をバンドエイドに寄付することで法廷外で和解しました。

 
Unconditional Love / Hellboy II: The Golden Army



~Carpenters ver.~

バリーの代表曲の一つに数えられる「Can't Smile Without You」ですが、実は元々カーペンターズ1976年のアルバム『見つめあう恋(A Kind of Hush)』に提供された楽曲でした。
シングルとしてはその翌年、「星空に愛を(Calling Occupants of Interplanetary Craft)」のB面に収録されHot 100で32位を記録しています。

カレンの歌は彼女らしいチャーミングなものでしたがリチャード・カーペンターは自分のアレンジに満足していなかったようで、後にバリーが見事なアレンジでこの曲を大ヒットさせた時、リチャードは悔しがったそうです。
聴き比べてみるとお判りになるようにカーペンターズのバージョンはバリーのものと歌詞が一部異なっており、更に日本では邦題も「微笑の泉」と微妙に違っていました。


The Carpenters - I Can't Smile Without You



~Lyrics~

You know I can't smile without you
君がいないと、僕は微笑むことさえできないよ
I can't smile without you
君なしでは…

邦題は「涙色の微笑」ですが実際歌われている心情は“微笑むことはできない”で、歌詞だけ見ているととても切ない歌です。
でも“笑えない”ニュアンスより、“心に涙を湛(たた)えて微笑む”方が意味アリ気で妄想が膨らむでしょ?
(私は好きです、こういう邦題♪)
メロディーは切ないというより優しいし、バリーはステージで戯(おど)けながら歌ったりもしているし、「涙色の微笑」の方がイメージに合うような気がします。




You see I feel sad when you're sad
君が悲しむと、僕は悲しくなり
I feel glad when you're glad
君が喜ぶと、僕も嬉しくなる…

…主人公がYouをどんな気持ちで見つめているか、お分かりですね♪
“共感”は、相手の感情を理解するだけでなく自分も同じ感情を持つものであり、人間には本能的に備わっているのだとか…。
これに“愛情”が加わると、当人以上に喜んだり悲しんだり…
(子どもに対する親の共感って、まさに“それ”でしょ? 


You came along just like a song
君は、まるで歌のように現れ
And brightened my day
僕を明るくしてくれた

“歌のように現れる”って、どんな出逢いだったのでしょう…
「夜のしじまに」のように、そっとやさしく?
それとも、「コパカバーナ」のように情熱的?
あるいは、ラブリーな口笛…

想い出はいつまでも心の中で美しいままだけれど、それは遥か彼方に輝く星のよう… 



~Epilogue~

東日本大震災から4年…
“被災地の復興はいっこうに進んでいない”という話をよく耳にします。
実際、NHKのアンケートを見ても被災者の方の65%が復興の遅れを、80%近くが震災の風化(最多は“政府の支援策”に対してで、約7割が該当)を感じているようです。

昨年私が震災をテーマとしたダイアナ・ロスの「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」の記事で“震災3年経っても77%が避難生活のまま”とお伝えしましたが、4年経った現在(H.26年12月/復興庁による)でも23万3,512人の方が避難生活を強いられ、これはピーク時34万6,987人(H.24年6月)と比べても“今だ67%の方たちが避難生活に取り残されたまま”の現実を指し示しています。
阪神・淡路大震災では4年目で避難生活にあった方は約10%、5年目で仮設住宅は全て解消されていることを考えると本当に遅い…。
特に心が痛むのは“彼らの57.3%が1年後の自分の未来は明るくないと予想”していることで、大半の方にとって出口さえ見えていないというのが実態なのかもしれません。


一方、安倍政権が誕生以来、整備新幹線の開業前倒しや東京オリンピック招致など巨大事業の建設ラッシュと円安政策により作業員不足や資材の高騰が生じ、震災復興の足枷(かせ)の一因になっていると聞いていましたが…
今回、予想以上の復興の遅れを再確認しただけに、調べて明らかになった現実は被災者の方々の気持ちを考えると本当にやりきれない気持ちにさせられるものでした。

安倍首相が外交に熱心なのは先刻承知と思いますが、彼が2013年5月~2015年2月までに円借款・無償資金協力・融資など外国に対して支援またはその約束をした総額は記載されているだけで10兆円を超えています(詳細はNAVER まとめへ)。
国連安保理常任理事国入りや世界での発言力も大事かもしれないけれど、彼がその関心と権力の何分の一かでも国内で避難生活を強いられている人に割いてくれていたなら…。

本当はもっと明るく元気の出るようにまとめたかったのですが、被災者の方のことを調べるほどに単なる励ましで救われる状況ではないと痛感させられ、方向を修正しました。
少しシリアスな結末になってしまいましたが、震災復興について思いを致していただけたらうれしいです…。



「涙色の微笑」


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tags : 1977年 AC せつない愛 励まし CM曲 映画00's- 

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