I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「すてきな Somebody」ホイットニー・ヒューストン

2021.03.12

category : Whitney Houston

Whitney Houston - I Wanna Dance with Somebody (Who Loves Me) (1987年)

ホイットニーの華やかな作品は、桜到来の“ キタ - ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚ - ッ!!”に重なる?

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 80's R&B ポップ ダンス グラミー  

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「ラズベリー・ベレー」プリンス&ザ・レボリューション

2018.03.16

category : Prince

Prince The Revolution - Raspberry Beret1 Prince The Revolution - Raspberry Beret2


Prince & The Revolution - Raspberry Beret (1985年)



~【紫殿下】、恋の花が咲く~

3/15、全国に先駆けて高知市で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表されていよいよ桜の季節がスタート、今回はそのイメージで選曲してみました♪ 
(※歌詞が反映された[桜ソング]ではありません)

…でも、あのプリンスが桜のイメージ?

ご存知のようにプリンスの作品というと“性的表現”が極めて多く、1985年にティッパー・ゴア(後の副大統領アル・ゴア夫人)らが設立した音楽検閲組織【PMRC】の“Filthy 15(下品な15曲)”に彼の作品が3曲も指定されており、“そのジャンル”での存在感を物語っています。
こうした介入が影響したかわかりませんが、いつもと違うプリンスをお楽しみください。



~概要~

マイケル・ジャクソンは『Thriller』の大ヒットから次作『Bad』を発表するのに実に5年の歳月を費やしましたが、プリンスは1984年6月の『Purple Rain』がBillboardで約半年間No.1に居座り続けるロングセラーとなったにも拘らず、僅か10ヶ月後の1985年4月に7thアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ (Around the World in a Day) 』を発表しました。
しかもこの間6か月のツアーとアルバムの作詞・作曲+レコーディング、独自レーベル(ペイズリー・パーク・レコード)の設立を果たしてここに至っているというのですから、驚くほかはありません!

まさにその出発に相応しい華やいだテイストに仕上がった「ラズベリー・ベレー」はアルバムからの1stシングルで、Billboard Hot 100で2位(年間51位)を記録しました。
作詞・作曲はプリンスで、元々は1982年に録音した未発表曲を再レコーディングした作品です。
アレンジはフィンガー・シンバルやストリング・セクション、ハーモニカなどアコースティックを取り入れており、基本ファンクでありながらプリンスとしてはこれまでにないまろやかなサウンドとなっています。

そのサイケデリックなサウンドとアルバムのカバーがビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を想起させ話題を呼びましたが、「ラズベリー・ベレー」のPVはそこから抜け出たようなスカイ・ブルーの背景と衣装、その晴れやかさを象徴するようなプリンスの笑顔が印象的です。
歌が始まる前わざわざ彼がせき込むシーンが挿入されていることから、ファンは“何か意味がある…?”と色めき立ちましたが、当のプリンスは“単に具合が悪かっただけ…”と否定しました。
また、この作品をよりハートフルにさせているのが映像に編集されている水彩のようなやさしいタッチのアニメーションで、これは日本人アニメーターによる貢献だそうです。

残念ながらプリンス&ザ・レボリューションによるライブ映像は現時点でyoutube上にありませんが、プリンスの死後はザ・レボリューションの後継バンド【The New Power Generation】が世界中でプリンスの曲の演奏活動を続けており、この3/20からは来日公演を予定しています。
また、プリンスの死を悼んだColdplayBeckは自身のステージで「Raspberry Beret」を捧げました。

 



~Lyrics~

I was working part time in a five-and-dime
雑貨店のパートタイムで働いていた
My boss was Mr. McGee
ボスはミスター・マギー

[dime]は10セント貨で、【five-and-dime】は“5セント・10セント均一店”を指します。
もちろん10セント(約10円)はずっと昔のことで、現在は【1ドルストア(Dollar store)】とも呼ばれています。

日本でも100円ショップは全国至る所にありますが意外にもこうした均一店はそれ以前にも存在し、1930年(昭和5年)には【十銭均一ストア】なるお店が開設されていたそうです。
しかし当時その店舗を展開していたのが、現在は高級百貨店として有名なあの『高島屋』だったというのも、意外でしょ(1941年までに全国106店舗を展開)? 


She wore a raspberry beret
ラズベリー・ベレーの女の子
The kind you find in a second hand store
古着屋で見かける帽子

【raspberry】はヨーロッパ原産のバラ科キイチゴ属の低木で、赤や紫、黒紫色の果実(直径1~2cm程)は酸味が強く、甘味が少ないのでジャムや洋菓子などとして食用されます。
アメリカには最低な映画を表彰する【ゴールデン・ラズベリー賞(Golden Raspberry Award)】という映画賞がありますが、これは【raspberry】の“軽蔑の念”の意味に由来し、プリンス自身も1987年に『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』で最低主演男優賞、最低監督賞、最低主題歌賞の三冠を獲得しています。

【beret】はスペイン・フランス国境のバスク地方発祥の丸くて平らな鍔や縁のない帽子で、ピカソや手塚治虫らの[芸術家]やアメリカ陸軍のグリーン・ベレーなど[軍隊の制帽]のイメージがある一方、【beret】【ベレー帽】を検索してみると[女性のおしゃれ帽]のイメージが圧倒的です。


I put her on the back of my bike And we went riding
彼女をバイクの後ろに乗せ
Down by old man Johnson's farm
ジョンソンじいさんの農場のそばを下る

日本で【バイク】というと普通“オートバイ”を指しますが、英語で【bike】は普通“自転車”です。
ちなみに【ライディング】を検索すると殆んど“バイクに跨った運転手”の画像が出てくるのに対し、【riding】だと“馬に跨った騎手”ばかりというのも、面白いでしょ?

それにしても、あのプリンスが農場をチャリンコで走る…なんて
あまりにギャップがあり過ぎて戸惑ってしまいますが、PVに描かれるアニメではバイクに乗っている(プリンスではない)ので訳もバイクとしました。



~Epilogue~

「Raspberry Beret」が生まれた1982年当時、プリンスには交際していた恋人がありました。
1980年にAmerican Music Awardsで出会った、カナダ出身でモデル・女優のデニース・マシューズ(Denise Matthews)《写真・右》。
プリンスは彼女に【Vanity】の名を与え、彼女を中心とした女性ユニット【ヴァニティ6】をプロデュース、映画『パープル・レイン』でも恋人役として出演予定でしたが、その過程に於いて破局してしまいました。

Prince The Revolution - Raspberry Beret1 Prince The Revolution - Raspberry Beret3

2016年2月15日に彼女が他界した翌日、プリンスはツアー中のメルボルン公演で“ヴァニティのこと話していいかな?今夜はちょっと僕には辛い夜だから。僕らは深く愛し合い、喧嘩もした。きっと彼女はその死を嘆くのではなく、祝福してもらいたがっている”と彼女のために歌を捧げ、奇しくもそれから間もない4月21日にプリンス自身もこの世を去ってしまいます。


But different than the day before
でも、その日を境に変わったんだ
That's when I saw her, Ooh, I saw her
あの娘に出逢った日…

赤や黒、紫など一見してインパクトの強い色を実らせるラズベリー…
まるで“誰か”の個性を象徴するかのような果実です。
しかしその花は、それとは似ても似つかない“純白”を咲かせます。

Prince The Revolution - Raspberry Beret4 Rubus hirsutus

男の心に咲いた、純白の花…。



「ラズベリー・ベレー」


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tags : 1985年 ファンク サイケデリック  

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「ラヴィング・ユー」ミニー・リパートン

2015.03.27

category : 1970年代

Minnie Riperton - Lovin You1 Minnie Riperton - Lovin You2


Minnie Riperton - Lovin' You (1975年)



~Lovin' You~

桜の季節…
特に花びらが舞う頃になると私は、「Lovin' You」と、その作者であり歌唱したミニー・リパートンのことを思い浮かべずにはいられません。
楽曲や歌の美しさだけでも十分普遍的価値のある作品ですが、その魅力の源泉であるミニー・リパートンという一人の女性について知った時、あなたはもっとこの歌を好きになるでしょう。

その一助になることを願って…。



~概要~

ミニー・リパートンはアメリカ・シカゴ出身の歌手で、“5オクターブ”ともいわれる広い声域を駆使した美しい歌声は、後世マライア・キャリー(過去ログ)セリーヌ・ディオン(過去ログ)など多くの歌姫たちに影響を及ぼしました。
ミニーは音楽一家に生まれ、両親は早くから彼女の声の才能に気づきシカゴのLincoln CenterやHyde Park High Schoolでオペラを専門的に学ばせています。
こうした恵まれた環境の下、15歳で早くもガール・グループ“ジェムス(The Gems)”の一員としてレコード契約、その後ソロ・デビューも果たし(Andrea Davis名義)、私生活でもプロデューサーのリチャード・ルドルフと結婚、2人の子どもにも恵まれる順調ぶりでした。
しかし当時ミニーが唯一得られなかったのが“歌手としての成功”で、育児の忙しさもあって彼女は20代前半にして引退同然の2年間を過ごしています。

そんなミニーにも、憧れのシンガーがありました。
同じ黒人シンガーとして当時名声を欲しいままにしていた、スティーヴィー・ワンダー(過去ログ)です。
彼女はスティーヴィーと歌うことを夢みていましたが、実は彼も以前からミニーの歌声に注目していて、そうした相思相愛からミニーは彼のバンド“Wonderlove”にバックコーラスとして参加する機会を与えられ、スティーヴィーがグラミー・最優秀アルバム賞を受賞した1974年の作品『Fulfillingness' First Finale』のレコーディングにも貢献しています。

そうした経緯からスティーヴィーがミニーの復帰に一役買ったのが、同年発表したミニーの2ndアルバム『パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)』でした。
このアルバムでスティーヴィーはプロデュースに加え5種類の楽器演奏及び2曲の楽曲提供で支援し、さらにはWonderloveのメンバーだったデニース・ウィリアムスマイケル・センベロまで応援に駆け付けています。
(※ただし、レコード会社との権利上の問題を避けるためスティーヴィーは“El Toro Negro”や“A Very Special Fan”という名で記されている)

「Lovin' You」はこのアルバムからのシングル・カットで、Billboard Hot 100では1975年4月5日付でNo.1(1週/年間13位)に輝きました。
当初『パーフェクト・エンジェル』には8曲が用意されましたがスティーヴィーはあと1曲必要と思い、ミニーとリチャードに“君たちにとって、一番照れ臭い歌はない?”と尋ねたところ思い当たったのが、娘のマーヤ(現在、マルチ・タレントとして活躍するMaya Rudolph)の子守唄として歌っていた“melody”でした。
この“melody”を手直しして完成したものが「Lovin' You」であり、そのため同曲のアルバムver.ミニーの一部のパフォーマンスでは歌の終わりで“Maya...”と繰り返されています。
あまりにもミニーのイメージが強いせいか意外にカバーは少なく、1992年にシャニースがBillboard R&Bチャートで59位に入ったのが最高で、日本では1991年のジャネット・ケイのバージョンが有名でしょうか…。

 
Minnie Riperton / Shanice



~Lyrics~

Lovin' you is easy
あなたを好きになるのは、たやすいこと
cause you're beautiful
だって、あなたは本当に美しい人なんだもの

「You Are So Beautiful」(過去ログ)や「What Makes You Beautiful」(過去ログ)のように英語では【beautiful】は頻繁に使われますが、日本語に変換するのにこれほど厄介な言葉はありません。
【美しい】という言葉は価値があり過ぎて重いというか…日本人は軽々しく口にしませんよね?
増してや“男性に対する形容としての【beautiful】”は、相当違和感が…?

でもミニーの、夫リチャードに対する想いはやっぱり【美しい】なのだと思います♪
そのココロは、Epilogueにて…)


No one else can make me feel
私の心を彩るなんてできない
The colors that you bring
あなたがもたらす色のほかには

【The colors】がとても素敵な意味を持つと思うので、節全体を“色”に拘って表現してみました。
人は、それぞれに“色”を持ち、たとえそれが単体としてどんなに美しい色であったとしても他の色と隣り合うと“調和する色・しない色”があったりします。
また、色は“混ざり合う”ことで新たな色が生まれ、あるいは共感し合って“色が似てくる”こともあるでしょう。

「Lovin' you」は、そんな“二人の色”が混ざり合った結晶のようなもの…。


Lovin' you I see your soul come shinin' through
愛してる…あなたの心の奥を知るほどに
And every time that we oooooh
二人の心がまた一つ、ふれあうたびに
I'm more in love with you
あなたをもっと好きになってゆく

あなたなら、2行目の【oooooh】に隠れる部分にどんな言葉を充てますか?

長所だけ知ることができたらいいのに、普通は短所も漏れなく知ることができるのが困ったトコロです。
特に恋愛は“ラブラブ”から始まるだけに、次第に減点してゆくのが宿命…
…ナンてことはありませんよね!(たぶん…?)



~Epilogue~

…この物語には、“続き”があります。
「Lovin' you」の大ヒットから明けた1976年、ミニーを待っていたのは“乳がん”の宣告でした。
同年4月、乳房の切除手術が成功すると彼女は乳がんの啓発のために自分が乳房を切除したことを公にし、広く女性に訴え掛けました。

“毎月の胸の検診、腫れ物に対する初期の診断と早期治療がとても重要です。そして、万一もし除去手術になっても何も落胆することはありません。胸を取ったからといって女性らしさが失われることは何もないのです。”

翌77~78年、ミニーは精力的にツアーをこなす一方で乳がんの啓蒙活動に奔走しました。
1978年、彼女はレーベルをキャピトルへと移籍、5thアルバム『ミニーと出会ったら(Minnie)』の制作を始めます。
しかし…


Stay with me while we grow old
齢をとっても、ずっとそばにいてね
And we will live each day in springtime
きっと、一日一日を春の陽だまりの中で暮らしてる


1979年5月、アルバム『Minnie』がリリースされ、ミニーは6月15日に『Mike Douglas Show』に新作のプロモーションとして出演していますが、具合が悪いのかここでは患部と思われる右腕はずっと固定したままで歌っています(腋の下にある“腋窩リンパ節”は、乳がんが転移し易い場所)。
彼女には、もう“時間”が残されていませんでした…。


MEMORY LANE - MINNIE RIPERTON Live on Mike Douglas Show

この最後のテレビ出演直後ミニーは寝たきりとなり、7月10日に入院。
11日夜にスティーヴィー・ワンダーが見舞いに訪れ“Minnie Get Well Soon(早く良くなって)”と歌い掛けると、彼女は“私の待っていた最後の人が来てくれた”と応え、翌朝その歌を聴きながら夫リチャードの腕の中で息を引き取りました(享年31)。


病床にあって、ミニーは家族のために最期まで笑顔を絶やさなかったといいます。
彼女が壮絶ながんとの闘病生活の中で何故このように明るくいられたかについて、スティーヴィーは2005年の「Positivity」という作品の中で彼女の生前の言葉を引用しています。

Like fine wine I like seeing the glass of life as half full than half empty
グラスの中の美味しいワイン…
“半分しかない”より、私は“半分もある”ってみるの


もちろん、これはミニーが乳房を片方失ったことをネガティヴに捉えず前向きに生きようとする決意の表れですが、手術時28歳の女性にとって乳房を失うことは決して軽い決断ではなかったはずです。
しかしその重い決断を支えていたのは、最愛の夫リチャードでした。
ミニーは言います…

“夫は、私の傷を私の個性のしるしだと言うの。一つになった胸を、この世で最も素晴らしくかけがえのないものだと。なぜなら、その傷のお陰で私が生きていられるから…。”

何故ミニーが彼のことを“beautiful”と形容したのか、もう説明不要でしょう。
…そう、「Lovin' you」はミニーがリチャードに宛てたラブ・レターであり、彼にめぐり逢い、共に生きることができた人生への悦びの歌です。
彼女の生涯は31年で幕を閉じましたが、きっと彼女なら自らの人生についてこう振り返るでしょう…

“half full...(半分だけど、精一杯生きたわ)”



「ラヴィング・ユー」


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tags : 70's ソウル ピュアな愛 美声  

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