マイケル・ジャクソンは『Thriller』の大ヒットから次作『Bad』を発表するのに実に5年の歳月を費やしましたが、プリンスは1984年6月の『Purple Rain』がBillboardで約半年間No.1に居座り続けるロングセラーとなったにも拘らず、僅か10ヶ月後の1985年4月に7thアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ (Around the World in a Day) 』を発表しました。 しかもこの間6か月のツアーとアルバムの作詞・作曲+レコーディング、独自レーベル(ペイズリー・パーク・レコード)の設立を果たしてここに至っているというのですから、驚くほかはありません!
まさにその出発に相応しい華やいだテイストに仕上がった「ラズベリー・ベレー」はアルバムからの1stシングルで、Billboard Hot 100で2位(年間51位)を記録しました。 作詞・作曲はプリンスで、元々は1982年に録音した未発表曲を再レコーディングした作品です。 アレンジはフィンガー・シンバルやストリング・セクション、ハーモニカなどアコースティックを取り入れており、基本ファンクでありながらプリンスとしてはこれまでにないまろやかなサウンドとなっています。
そのサイケデリックなサウンドとアルバムのカバーがビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を想起させ話題を呼びましたが、「ラズベリー・ベレー」のPVはそこから抜け出たようなスカイ・ブルーの背景と衣装、その晴れやかさを象徴するようなプリンスの笑顔が印象的です。 歌が始まる前わざわざ彼がせき込むシーンが挿入されていることから、ファンは“何か意味がある…?”と色めき立ちましたが、当のプリンスは“単に具合が悪かっただけ…”と否定しました。 また、この作品をよりハートフルにさせているのが映像に編集されている水彩のようなやさしいタッチのアニメーションで、これは日本人アニメーターによる貢献だそうです。
残念ながらプリンス&ザ・レボリューションによるライブ映像は現時点でyoutube上にありませんが、プリンスの死後はザ・レボリューションの後継バンド【The New Power Generation】が世界中でプリンスの曲の演奏活動を続けており、この3/20からは来日公演を予定しています。 また、プリンスの死を悼んだColdplayとBeckは自身のステージで「Raspberry Beret」を捧げました。
~Lyrics~
I was working part time in a five-and-dime 雑貨店のパートタイムで働いていた My boss was Mr. McGee ボスはミスター・マギー
ミニー・リパートンはアメリカ・シカゴ出身の歌手で、“5オクターブ”ともいわれる広い声域を駆使した美しい歌声は、後世マライア・キャリー(過去ログ)やセリーヌ・ディオン(過去ログ)など多くの歌姫たちに影響を及ぼしました。 ミニーは音楽一家に生まれ、両親は早くから彼女の声の才能に気づきシカゴのLincoln CenterやHyde Park High Schoolでオペラを専門的に学ばせています。 こうした恵まれた環境の下、15歳で早くもガール・グループ“ジェムス(The Gems)”の一員としてレコード契約、その後ソロ・デビューも果たし(Andrea Davis名義)、私生活でもプロデューサーのリチャード・ルドルフと結婚、2人の子どもにも恵まれる順調ぶりでした。 しかし当時ミニーが唯一得られなかったのが“歌手としての成功”で、育児の忙しさもあって彼女は20代前半にして引退同然の2年間を過ごしています。
そんなミニーにも、憧れのシンガーがありました。 同じ黒人シンガーとして当時名声を欲しいままにしていた、スティーヴィー・ワンダー(過去ログ)です。 彼女はスティーヴィーと歌うことを夢みていましたが、実は彼も以前からミニーの歌声に注目していて、そうした相思相愛からミニーは彼のバンド“Wonderlove”にバックコーラスとして参加する機会を与えられ、スティーヴィーがグラミー・最優秀アルバム賞を受賞した1974年の作品『Fulfillingness' First Finale』のレコーディングにも貢献しています。
そうした経緯からスティーヴィーがミニーの復帰に一役買ったのが、同年発表したミニーの2ndアルバム『パーフェクト・エンジェル(Perfect Angel)』でした。 このアルバムでスティーヴィーはプロデュースに加え5種類の楽器演奏及び2曲の楽曲提供で支援し、さらにはWonderloveのメンバーだったデニース・ウィリアムスやマイケル・センベロまで応援に駆け付けています。 (※ただし、レコード会社との権利上の問題を避けるためスティーヴィーは“El Toro Negro”や“A Very Special Fan”という名で記されている)
「Lovin' You」はこのアルバムからのシングル・カットで、Billboard Hot 100では1975年4月5日付でNo.1(1週/年間13位)に輝きました。 当初『パーフェクト・エンジェル』には8曲が用意されましたがスティーヴィーはあと1曲必要と思い、ミニーとリチャードに“君たちにとって、一番照れ臭い歌はない?”と尋ねたところ思い当たったのが、娘のマーヤ(現在、マルチ・タレントとして活躍するMaya Rudolph)の子守唄として歌っていた“melody”でした。 この“melody”を手直しして完成したものが「Lovin' You」であり、そのため同曲のアルバムver.やミニーの一部のパフォーマンスでは歌の終わりで“Maya...”と繰り返されています。 あまりにもミニーのイメージが強いせいか意外にカバーは少なく、1992年にシャニースがBillboard R&Bチャートで59位に入ったのが最高で、日本では1991年のジャネット・ケイのバージョンが有名でしょうか…。
Minnie Riperton / Shanice
~Lyrics~
Lovin' you is easy あなたを好きになるのは、たやすいこと cause you're beautiful だって、あなたは本当に美しい人なんだもの
「You Are So Beautiful」(過去ログ)や「What Makes You Beautiful」(過去ログ)のように英語では【beautiful】は頻繁に使われますが、日本語に変換するのにこれほど厄介な言葉はありません。 【美しい】という言葉は価値があり過ぎて重いというか…日本人は軽々しく口にしませんよね? 増してや“男性に対する形容としての【beautiful】”は、相当違和感が…?
Lovin' you I see your soul come shinin' through 愛してる…あなたの心の奥を知るほどに And every time that we oooooh 二人の心がまた一つ、ふれあうたびに I'm more in love with you あなたをもっと好きになってゆく
Stay with me while we grow old 齢をとっても、ずっとそばにいてね And we will live each day in springtime きっと、一日一日を春の陽だまりの中で暮らしてる
1979年5月、アルバム『Minnie』がリリースされ、ミニーは6月15日に『Mike Douglas Show』に新作のプロモーションとして出演していますが、具合が悪いのかここでは患部と思われる右腕はずっと固定したままで歌っています(腋の下にある“腋窩リンパ節”は、乳がんが転移し易い場所)。 彼女には、もう“時間”が残されていませんでした…。
MEMORY LANE - MINNIE RIPERTON Live on Mike Douglas Show
この最後のテレビ出演直後ミニーは寝たきりとなり、7月10日に入院。 11日夜にスティーヴィー・ワンダーが見舞いに訪れ“Minnie Get Well Soon(早く良くなって)”と歌い掛けると、彼女は“私の待っていた最後の人が来てくれた”と応え、翌朝その歌を聴きながら夫リチャードの腕の中で息を引き取りました(享年31)。