I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「想い出のサンフランシスコ」トニー・ベネット

2023.07.26

category : Tony Bennett

Tony Bennett - I Left My Heart in San Francisco (1962年)

暑中お見舞い申し上げます。熱に疲れた身体に水浴、暑さに疲れた心には涼やかなジャズバラード

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1962年 バラード/Jazz 郷愁 偉大な歌手 歴史的名曲 グラミー最優秀レコード賞  

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「ホワイト・クリスマス」ビング・クロスビー

2020.12.14

category : Christmas

Bing Crosby - White Christmas (1942年)

発表から80年近く…時代が移ろうとも、変わることなく夢に描き続けられたクリスマスへの憧憬 ♪


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tags : 1942年 静かなクリスマス 映画-60's アカデミー歌曲賞 歴史的名曲 

comment(2) 

「想い出のサマー・ナイツ」ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン=ジョン

2018.07.12

category : Olivia Newton-John

Olivia Newton - Summer Nights1 Olivia Newton - Summer Nights2


John Travolta & Olivia Newton - Summer Nights (1978年)



~概要~

「想い出のサマー・ナイツ」は1978年の北米興行収入No.1の大ヒットを記録したアメリカの学園ミュージカル映画『グリース(Grease)』 の挿入曲です。
同映画からはサウンドトラック・アルバムもBillboard 200のNo.1に輝いて2800万枚をセールスしており(『Saturday Night Fever』に次いで年間2位)、アルバムからも4曲のTop5ヒットが生まれていますが本曲もその一つで、Billboard Hot 100の5位(年間69位)を記録しました。
とりわけ『グリース』 のイギリスでの人気は高く、同アルバムからの「You're the One That I Want」に次ぐ7週No.1に輝いて年間3位、同年を代表するヒット曲となっています。

歌っているのは(=劇中で歌唱している)ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョン、そしてその他のキャストがコーラスとして参加しています。
同映画の主役である二人は劇中でデュエットも多く、本曲を含む3曲を共に歌唱しました。
劇中でキャストと一緒に歌うという特殊な条件であるため通常のコンサートではオリジナルの顔触れで再現することは至難な性質の作品ですが、2002年の『Grease DVD Party』ではトラボルタを含むオリジナルのメンバーが実現しています!
(ただし近年、一部のメンバーがオリビアのコンサートに参加することもある)

映画『グリース』 はミュージカル『Grease』を原作とし、「Summer Nights」もその作者であるジム・ジェイコブスとウォーレン・ケイシーによって作詞・作曲された作品ですが、シカゴでの初演時(1971年)には「Foster Beach」というタイトルだったようです。
「Summer Nights」は2004年に『AFI's 100 Years...100 Songs』の70位に選出された“アメリカ映画の歴史に残る名曲”であり、2010年にはBillboardの『Best Summer Songs of All Time』9位に選ばれる“長く愛され続けた夏歌”でもあります。

夏の定番曲だけあってカバーも多い楽曲ですが、名前もジャンルも近いことから取り上げ易かったのがミュージカル・ドラマ『glee/グリー』で、Season 3 第10話 「プロポーズ大作戦」(Yes/No)で使用されています。
主に歌っているのはサムとメルセデスの元カップルの二人で、残りのメンバーがそれぞれ男女に分かれて訊き役に回っている中…カート・ハメル(クリス・コルファー)は【the Pink Ladies】に属して歌っています。
このアイデアを出したのはカートの恋人ブレイン・アンダーソン役のダレン・クリスで、脚本を読んで“カートは男子といたってつまらないだろうから、女子とサンドイッチやチーズバーガーを食べながら、おしゃべりする方を選ぶはず”とプロデューサーに提言したものだったそうです。
ちなみにこの映像は映画『グリース』で「Summer Nights」が撮影された、実在のロサンゼルス・ヴェニス高校で撮影されており、ダレンが“映画とそっくり同じベンチで撮影したんだよ”と興奮して語ったとされるように、かなり当時を忠実に再現して編集されており、今回は映画とドラマのシーンを重ねた映像を発見したので、ファンの方はぜひ見比べてみて下さい。


 



~Lyrics~

Summer loving had me a blast
夏の恋は、一陣の風のように
Summer loving happened so fast
夏の恋は、あっという間に起こったわ

映画のプロローグの部分では、きれいな海辺でダニー(トラボルタ)とサンディ(オリビア)が仲睦まじく愛し合うシーンが編集されています。
これは本編に入る前の夏休みに避暑地で出逢い、恋に落ちた二人のエピソードを示唆するものであり、サンディはオーストラリアに帰る身の上であったため“ひと夏の恋”で終わらなければならなかった、という事情がありました。
二人は再会を信じつつ、泣く泣く別れることになりますが…。


Tell me more, tell me more, Did you get very far?
おい、もっと教えろよ…オマエ、行く所まで行ったんだろ?
Tell me more, tell me more, Like does he have a car?
ねぇ、もっと教えて…その人、クルマ持ってそう?

…ところが夏休みが終わり新学期が始まる早々、ダニーが通うアメリカの高校にサンディが転校してくる…という奇跡的な展開!
二人は“ひと夏の恋”について、それぞれ男子グループ【the T-Birds】《写真・左》と女子グループ【the Pink Ladies】《写真・右》に追及されることになりますが、その応答が「Summer Nights」のシーンになっています。

上が【the T-Birds】で下が【the Pink Ladies】のパートですが、質問の切り口が男女の違いそのもの!? 

Olivia Newton - Summer Nights3


I saved her life, she nearly drowned
危うく溺れる所、オレが命を助けてやったのさ
He showed off splashing around
あの人、子供のように水を跳ね上げ人目を引こうとしていたの

ここは上がダニー、下がサンディによる二人の馴れ初めについての言及ですが…
えっ! 互いに言っていることが全然違ってる?

このギャップは転校して二人が再会した際、ダニーが海で会った彼とは別人のような態度だったことに、サンディが受けたショックの原因にも重なります。
【夏の海】と違っていたのはダニーの人格そのものではなく“彼の背後にいる存在”であり、このシーンで再会した瞬間は【夏の海のダニー】だったのに、背後の存在を意識してからは【もう一人のオレ】に変身、この間うつろうトラボルタの演技が絶品です!

とかく男は【武勇伝】を語りたがる生き物であり、仲間の前で女性にデレデレした姿を晒すことは彼らに軽んじられる原因となりますが…
…にしてもダニー、今回はちょっと“盛り過ぎ”? 





~Epilogue~

『グリース』は高校3年の“少年・少女たち”が織りなす学園物語…
ですが撮影時トラボルタは23歳、オリビアに至っては29歳(!)という実年齢で、彼女の出演を要望したのはトラボルタだったといいます。

オリビアは当時既に多くのヒット曲を抱えたポピュラー音楽界のスターでしたが、ヘレン・レディのディナー・パーティーでプロデューサーのアラン・カーに映画『グリース』のヒロイン役のオファーを持ちかけられた際、二つ返事で受けられない事情がありました。
何故なら、オリビアは1970年にイギリスのミュージカル映画『Toomorrow』で主演し散々な目に遭ったトラウマがあったこと、サンディの役柄の一部がそれまでのオリビアのイメージを壊すリスクがあること、高校生を演じるにはあまりに実年齢と離れていたことに不安があったのです。
そこで事前にスクリーン・テストを受け、相手役のトラボルタと話しをしてみてようやく安心し、引き受けることにしたといいます。

…そんなオリビアの不安を緩和するためか(?)、その周りには彼女が少女に見える“大人びた高校生”がいっぱい!
リッゾことストッカード・チャニングは当時33歳、ソニーことマイケル・トゥッチ31歳、ジャンことジェイミー・ドネリー30歳…ほかも20代後半です。

 ちなみに、『8時だョ!全員集合』で「学校コント」のドリフターズはみんな30代以上
 …比べるなっ!


さて、多くの学校にとって【夏休み】が始まります。
今年は直前に西日本豪雨が発生し、多くの人が亡くなり、多くの町や家が土砂に流されました。
被災地の学生さんたちにとって、今年の夏休みは後片付けなどに追われ忙しかったり、今後への不安に苛まれる方も少なくないことでしょう。

筋肉トレーニングを行うと腕が太くなるのは広く知られることですが、これは非日常的で過大な負荷を受けて筋線維の一部が破断された後に起きる現象です。
この時あなたの体は“この筋肉の太さでは危ない”と危機感を覚え、秘めたる能力を発揮し筋線維を以前より少し太く修復(超回復)するため、筋肉量が増えて筋力もアップします。
精神や人生もこれと同じで、大きな苦労を乗り越えた時に人は強く、大きく成長できるのです。

Summer days drifting away
夏の日々は流れ去り
To, uh oh, those summer nights
夏の夜の思い出となった

この特別な夏に悩み、苦しみ、泣いたこと…
その稀なる厳しい経験が、あなたのこれからの長い人生を支える太い柱となってくれますように。



「想い出のサマー・ナイツ」


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tags : 1978年 楽しい愛 ミュージカル グリース 映画70's  歴史的名曲 

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「Y.M.C.A.」ヴィレッジ・ピープル

2018.05.25

category : 1970年代

Village People - YMCA1 Village People - YMCA2


Village People - Y.M.C.A. (1978年)
西城秀樹 - YOUNG MAN (Y.M.C.A.) (1979年)



~概要~

「Y.M.C.A.」は、アメリカのディスコ・グループ、ヴィレッジ・ピープル(Village People)1978年の3rdアルバム『Cruisin'』に収録されたダンス・ナンバーです。
US Billboard Hot 100の2位(1979年の年間8位)をはじめ各国でNo.1を記録、全世界では1000万枚を超える売り上げを記録しました。
アメリカのケーブルテレビ・チャンネル『VH1』は、2000年に本曲を【The 100 Greatest Dance Songs of the 20th Century】の7位に位置づけています。

メンバーのデイヴィッド・ホードー(David Hodo/建設作業員)によると、『Cruisin'』にあと1曲必要ということでプロデューサーのジャック・モラリ(Jacques Morali)が約20分でメロディーとコーラス、アウトラインを書いた曲を、ヴィクター・ウィリス(Victor Willis/警察官)に“残りを埋めてくれ”と渡し、それにヴィクターが【Y.M.C.A.】をテーマとしたストーリーを書き加え創作された作品です。
更にデイヴィッドはそれまでの自分たちの作品については少し懐疑的に思っていたものの、「Y.M.C.A.」には“何か特別なもの”があると感じたと言葉を添えています。


日本では翌1979年2月21日に西城秀樹が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」として日本語カバーしオリコン5週連続No.1を記録、累計売上80.8万枚を売り上げました。
この波及効果によりヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」もオリコン洋楽チャートで1979年1 月22日付から10週連続1位を獲得、30万枚を売り上げる大ヒットとなっています。

中でも「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の伝説的なエピソードとして語られるのは、当時人気の歌番組『ザ・ベストテン』で史上ほかに為し得た者のない最高得点“9999点”を2度(4/5・4/12)獲得したことでしょう。
しかも同番組での歴代高得点の16位(9866点)以上を「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が6回到達、通算でも歴代3位に当たる“9週連続1位”という圧倒的な記録を残しました。
ただし同番組の記録によると「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は“年間7位”という意外な成績で、同年の年間1位は小林幸子「おもいで酒」(週間では最高5位だが20位以内に31週間ランク)となっています。


「Y.M.C.A.」は当時流行のディスコ・ナンバーですが今日まで世界的に長く愛され続け、特にスポーツの世界ではそれが顕著です。
トリノオリンピック開会式をはじめ、アメリカ・メジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースのホーム・ゲーム(ヤンキー・スタジアム)では5回終了時に「Y.M.C.A.」が流され、グラウンドキーパーが【Y】【M】【C】【A】のパフォーマンスを行うことでも知られます。
また、日本ハムファイターズやJリーグ・川崎フロンターレの試合でも同様の観客サービスが行われており、それぞれ西城秀樹が参加してパフォーマンスを披露することもありました。


 
 



~Lyrics~

Young man, there's a place you can go.
Young man そこには、君の行く場所がある
I said, young man, when you're short on your dough.
Young man 少しぐらいおカネがなくたって

「Y.M.C.A.」は【Young Men's Christian Association(キリスト教青年会)】の略語であり、キリスト教主義に基づいた教育・スポーツ・福祉・文化などの分野で様々な事業を展開する世界最大規模の非営利団体で、1844年にイギリスで誕生し1880年(明治13年)には日本にも『東京YMCA』が組織されました(現在では全国主要都市にYMCAが置かれている)。

Y.M.C.A.の事業の一つに宿泊施設があって、非営利事業なので料金が比較的安価です。
ただし若者の教育や交流活動を目的の一つとしている施設のため、一般ホテルのような完全個室だけでなくバス・トイレが共同であったり、ドミトリー(相部屋)の部屋もあります。


They have everything for young men to enjoy,
若者を楽しませる全てが揃っていて
You can hang out with all the boys...
みんな仲良くなれるんだ

日本のYMCAでは“互いを認め合い、高め合う【ポジティブネット(Positive Net)】”をコンセプトに掲げ、“したい何かがみつかり、誰かとつながる。私がよくなる、かけがえのない場所。”を提供すべき価値としているそうで、そういう開かれたコミュニケーションを旨としているからこそ、広く異質と交わることも可能といえます。

一方で、外国人や異文化の人たちとじっくり語り合えるのはとてもよい人生経験ですが、見知らぬ人との相部屋はセキュリティ面で不安に思う人も少なくないでしょう。
とりわけ女性にとってそれは気軽に参加し辛い要素であり、そうなると必然、宿泊客の中心は【the boys】ということに…?(もちろん、女性限定施設もある)


It's fun to stay at the Y.M.C.A.
Y.M.C.A.にお泊りすると、楽しいよ

YMCAが“若い男性がいっぱい集まる宿”となればそれは一つの特徴であり、“それを目当てに集まる人”も…
すなわち“YMCAはゲイの人にとって貴重な出会いの場”であり、それが本作の隠れたテーマです。

ヴィレッジ・ピープル自体ゲイ・マーケットをターゲットに売り出されたグループであり、もう一つの代表曲「Go West」も“Go West(ゲイの聖地)”というメッセージが込められています。



~“ヒデキ”の情熱が結実させた「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」~

アイドルがこんな歌を歌えるわけ無いだろう!

それが、「Y.M.C.A.」のカバーとシングル化をレコード会社に直訴した際の担当者の反応でした。
西城秀樹と「Y.M.C.A.」の出あいは1978年、CM撮影のため訪れたロサンゼルスのホテルでラジオから流れる「Y.M.C.A.」を聴いて、そのノリのよさに“絶対歌いたい”と心を奪われたことでした。
彼はすぐさまこの曲のレコーディングを決意しますが、「Y.M.C.A.」はゲイ・ソングであったことから、レコード会社の猛反対を喰らったというワケです。

しかし彼は諦め切れず、コンサートのステージで歌うことを試みます。
まずマネージャーのあまがいりゅうじ(天下井隆二)に依頼して“健全な若者応援歌”を印象づけるようタイトルを「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」とし、ゲイ色を取り払った日本語歌詞(訳詞)とアレンジ(大谷和夫)に創り替えました。
また、振付師・一の宮はじめと相談して【Y】【M】【C】【A】の人文字を考案、スポーティーなイメージを強調させる振り付けを取り入れました。

こうして迎えた1979年1月4日からの大阪・厚生年金ホールでの新春コンサートで「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が初披露されると、ファンから予想を上回る反響がありファン・クラブにも問い合わせが殺到、これにはレコード会社も方針を翻し急遽シングルの発売(同年2月21日)を決定せざるを得ませんでした。
ところが既に生産中のレコードを中止させ、新たなレコードを20日でプレスしなければならないという強行スケジュールであったため工場から無理とのクレームが入り、説得のため西城自らが工場を訪問し各所に頭を下げて回り「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を実際に歌ってみせて工場側の協力を取り付けたそうです。



~Epilogue~

5月16日深夜、急性心不全のため63歳の若さで亡くなった歌手の西城秀樹さん。

ご存知のように西城さんはこれまで2003年と2011年、2度の脳梗塞発症により構音障害や運動障害が生じ入院・治療・リハビリの連続でした。
特に2度目の脳梗塞の時はその病気の恐ろしさを知っていた上、それまでの努力が水の泡で治療とリハビリをゼロからやり直さなければならないことが何十倍ものショックだったそうです。
しかし現実の再発の後遺症は1度目より遥かに厳しいもので、ボールを持ち上げるといった単純なことさえできなくなった自分と向き合わねばならないことや、“そんな西城秀樹”に対する周囲の突き刺さるような好奇の視線が何よりも辛かったといいます。

ヤングマン プライドを捨てて すぐに行こうぜ

“西城秀樹”であらねばならないと思うことが無駄に疲れる原因だと気づいた西城さんは、西城秀樹というキャラクターを脱ぎ捨てて一患者として“ありのままの自分”を見てもらおうと改心し、とても気持ちが楽になったそうです。
以前の自分は“100と言われて120やってきた”所があって、でも“コップの水は目一杯入れるより7~8割に入れた方が運びやすいし飲みやすい”ことに、病気をして初めて気づいたといいます。

“自分をさらけ出すのは恥ずかしいよ。でもさらけ出したから、みんなも涙してくれたんじゃないかな。
来年はもっとよくなったぼくの姿をみんなに見せたいな”
 西城秀樹



西城さんは後遺症が顕著になった2度目の脳梗塞以降もステージに立ち、さまざまな活動を続けてきました。
国民の憧れのスターが変わり果てた痛々しい姿をメディアに晒すことは、ある意味それまで築き上げた“輝かしい伝説”に自ら泥を塗り、ファンを失望させる恐れがあります。
しかし、それは“現実から逃げる生き方こそ西城秀樹を汚す”という彼一流の美学であり、自分を偽らず病と闘い抜く意思を示すことが、心から彼を応援してくれる家族やファンに応える最善だったと思うのです。

“病状も心情も、よくなったり悪くなったり、刻々と変化していくが、それをすべて受け入れよう。
現状を肯定するところからしか、前へは進めない。”
 西城秀樹

今まであまり考えたこともありませんでしたが、こうして西城さんの闘病を辿ってみると、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の歌詞“西城さんの生き方そのもの”だったように思えます。
オリジナルの「Y.M.C.A.」自体ゲイというマイノリティを勇気づけるものですが、逆境にある人にとって非常に強いメッセージ性があることに気づかされました。
また、誰しもが病気や老化といった苦況に置かれるものであることを考えると、これは全ての人に当てはまるテーマです。


4月25日、自宅で意識を失い“早ければ4日。もっても1週間”と告知され、それでも22日間頑張り続けた西城さん。
後遺症や全ての苦痛から解き放たれた昭和の大スター西城秀樹は、おもいっきり手足を伸ばして、天国から私たちに歌いかけていることでしょう…

ゆううつなど 吹き飛ばして
君も元気出せよ


 



「Y.M.C.A.」


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tags : 1978年 歴史的名曲 ダンス/Funk LGBT 日本で人気 追悼 

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「赤鼻のトナカイ」ジーン・オートリー

2017.12.15

category : Christmas

Gene Autry - Rudolph The Red Nosed Reindeer1 Gene Autry - Rudolph The Red Nosed Reindeer2


Gene Autry - Rudolph The Red Nosed Reindeer (1949年)



~マライアさんちのクリスマス~

クリスマスというと、トナカイの引くソリに乗ったサンタクロースが空を飛んでやって来るイメージで、寒さ厳しくなるこの季節にあたたかさを灯してくれます。
私たち一般人はそんなイメージを実際目の当たりにできることはまずありませんが、“クリスマスの女王”とも形容されるマライア・キャリーは例外のようです。
そのマライアはツアー中のロンドン公演で、次のように語っています。

(クリスマスは)最高の時間を過ごすわ。
みんなのクリスマスと比べ、私の方が凄いなんてことは言えない。でも、本物のトナカイが来るのよ。それにもちろん、サンタクロースもね♪


“みんな”って、どこの世界に住んでいる人たちのことだろう…? 



~概要~

「赤鼻のトナカイ」は「ジングルベル」「サンタが街にやってくる」と並ぶ三大クリスマス・ソングの一つで、日本でも“真っ赤なお鼻のトナカイさんは…♪”の日本語訳詞(新田宣夫)でお馴染みの歌です。
作者はクリスマス・ソングを専らとするアメリカのソングライター、ジョニー・マークス

オリジナルの発表は[The Singing Cowboy]として親しまれたカントリー歌手ジーン・オートリー (Gene Autry) で、1949年9月1日にリリースされると200万枚を売り上げてBillboardでもNo.1に輝いています(※Hot 100が生まれる前のチャート)。
1949年10月8日、ジーンはラジオ番組に出演して歌を披露しており、さすがに当時の映像は無いだろうと思ったら1953年のものが今回見つかりました。

その後ビング・クロスビーやポール・アンカ、スプリームス、ジャクソン5に坂本九、石原裕次郎、フィンガー5…といった豪華な顔ぶれがカバーするなど、1985年までに「赤鼻のトナカイ」の総売上は1億5000万枚を突破したとされています。
カバーがたくさんあって限定するのに困るのですが、私は古き良き時代の匂いがするエラ・フィッツジェラルドディーン・マーティン、美しいハーモニー&かわいいアニメが楽しいビヨンセのデスティニーズ・チャイルドver.がお気に入りです。

また子どもにとって夢のある歌だけに、日本では『オバケのQ太郎』や『怪物くん』『Dr.スランプ アラレちゃん』『美少女戦士セーラームーン』ほか多数のアニメ・キャラクターにより歌唱されてきました。
一方かなり意外なキャラクターも本曲へのアプローチを試みており、泉谷しげるやザ・デストロイヤーver.はお好み次第でドウゾ?


 
 



~Lyrics~

You know Dasher and Dancer
みんなが知ってるダッシャーにダンサー
And Prancer and Vixen
プランサーにヴィクセン

サンタクロースそのものの起源は4世紀頃とされていますが、今日一般的な“トナカイのソリに乗ったサンタ”という概念は1821年にニューヨークで出版された作者不詳の詩『Old Santeclaus with Much Delight』が最初だとされています(ただし、この時点ではトナカイは1頭のみ)。

その後1823年12月23日にアメリカ・ニューヨークの新聞Sentinel紙に無名で発表された詩『サンタクロースがきた(A Visit from St. Nicholas)』で、Dasher, Dancer以下8頭の名前を持つトナカイが登場し、これが米国内で定着し世界に広まってゆきました。


Rudolph the red-nosed reindeer
赤鼻のトナカイ、ルドルフは
Had a very shiny nose
とてもつやつやした鼻の持ち主

【赤鼻のトナカイ、ルドルフ】は、大手総合小売り業チェーン『モンゴメリー・ウォード (Montgomery Ward)』の広告コピーライターのロバート・ルイス・メイ (Robert Lewis May)が、1939年に同社の宣伝配布用の小冊子のために書いた詩文『ルドルフ 赤鼻のトナカイ(Rudolph the Red-Nosed Reindeer)』の主人公として創作されたキャラクターです。

1948年、ロバートの義理の兄弟ジョニー・マークスがルドルフの詩に基づいた歌曲「Rudolph the Red-Nosed Reindeer」を作詞・作曲しビング・クロスビーらへの楽曲提供を試みるものの断られ、1949年にジーン・オートリーによって初めて世に発表されることとなりました。
その後『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』は1964年にNBCでパペット・アニメーションが制作され、以来現在に至るまで日本はもちろん世界中で同アニメが放送・DVDなどで愛され続けています。

ちなみにトナカイの鼻について、wikiには【鼻の色は黒、もしくは白い毛が混じったもので歌にあるような赤ではない】と記述されており、私が写真と動画を何点か確認した所見を補足すると、鼻部は黒か白の毛で覆われていて皮膚は殆んど露出しておらず、毛が白い場合は部分的にピンク色に見えるものもありました。
(※トナカイの自然分布は北極圏周辺と極寒の環境であり、鼻は呼吸の際に体温を放出しないよう機能が備わっているそうです)

 


All of the other reindeer
だけど他のトナカイたちはみんな
Used to laugh and call him names
それを笑いものにしたり、悪口を言って

12/9のTBS『報道特集』で、“色覚検査の是非”についてのレポートがありました。
昔は学校での色覚検査は定期健康診断の必須項目でしたが2003年に必須から外されて行われなくなり、そのため自分の色覚異常を認識せぬまま進路決定がなされ、採用時にそれが発覚し就職できなくなるケースが相次いでいるというのです(※このため昨年度から一部で検査が実施されるようになった)。

学校で色覚検査が行われなくなくなった理由は“色覚異常に対する差別や偏見”で、学校での色覚検査に反対という男性の体験によると、検査時の誤答を教師が笑いのネタにしたため他の生徒たちに笑われ、心に深い傷を負ったといいます。
ただこの場合、原因は検査そのものではなく色覚異常という個人情報を公然として扱ったたこと、加えて教師の言行があまりに不適切であったように私には映りました。
人間関係にユーモアは必要ですが、人を貶めて取る笑いは最低です。



~Epilogue~

詩文『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』の作者ロバート・L・メイには1939年当時、癌の病を抱えた妻イヴリン (Evelyn) と4歳になる娘バーバラ (Barbara) の家族がありました。
この年のはじめロバートは所属会社の上司から、クリスマスの買い物客への宣伝配布用の冊子として、動物を主人公とした元気が出る内容のものを書くよう依頼されます。

そこで彼は、娘バーバラが大好きな鹿(deer)を主人公とする物語を思いつき、ルドルフの話を詩として彼女に読み聞かせ反応を確かめながらストーリーを創作してゆきました。
しかし妻イヴリンは物語の完成を待つことなく同年7月に帰らぬ人となり、心配した上司が絵本づくりの仕事を他の者に交代させることを提案しますがロバートはそれを断り、翌月に完成させて誰よりも最初にまずバーバラとイヴリンの両親に読み聞かせたといわれます。

Gene Autry - Rudolph The Red Nosed Reindeer3


“どうして、うちのママはみんなと違うの…?”

【赤鼻のトナカイ】は、そんな4歳の愛娘バーバラの問いから生まれました。
イヴリンの癌は1937年に見つかったといいますから、バーバラが2歳の頃からのことであり、彼女にとって母との思い出の殆んどは“闘病生活”だったのでしょう。
そんな“バーバラの言葉は彼女の幼い心の中でもやもやした疑問であり不安”、そして言葉が純粋であるからこそ、それは“ロバートにとっては最愛の妻と娘の不幸を救えない無力な自分の映し鏡”だったに違いありません。
そして、父であるロバートは娘の“問い”に答える責務がありました…。

"Rudolph with your nose so bright,
“ルドルフや、おまえの輝くその鼻で
Won't you guide my sleigh tonight?"
今晩、わしのソリを道案内しておくれ?”

人と違う人生には、人より多くの孤独と苦難が訪れるかもしれない。
でも人と違うからこそ、人にはない輝きが秘められていることを忘れちゃいけないよ。
大切なのは恐れて輝きを失うことではなく、信じてそれを磨くことなんだ。
 (※個人の解釈です)

父から、愛する娘への願い… 
今年も赤鼻のトナカイは“贈りもの”をあなたの心へ届けるため、世界を駆け巡ります。



「赤鼻のトナカイ」


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tags : 1949年 歴史的名曲 祈りのクリスマス 

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Author:Beat Wolf
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