I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ロッキー・ラックーン」ビートルズ

2021.09.27

category : Beatles & Solo

The Beatles - Rocky Raccoon (1968年)

完成された美しさではないけれど、彼の中に無数のダイヤの原石が埋蔵していると抱かせる作品

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


続きはこちら >>

スポンサーサイト



tags : 1968年 フォーク ラグタイム 物語 ホワイト・アルバム 

comment(2) 

「フール・オン・ザ・ヒル」ビートルズ

2019.02.22

category : Beatles & Solo

The Beatles - The Fool On The Hill (1967年)


~概要~

「フール・オン・ザ・ヒル」は、1967年12月26日にイギリスBBC1で放映されたビートルズ制作・主演のテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)』に挿入された6曲の新作サウンド・トラックの一つです。
イギリスではこの6曲入りの2枚組EPが同年12月8日にリリースされましたが、アメリカでは米キャピトル・レコードがこれを踏襲せずA面にサウンド・トラック6曲、B面にシングル盤既発売曲の5曲を編集した11曲入りコンピレーション・アルバム『Magical Mystery Tour』を同年11月27日にリリースしました(現在はこの米キャピトル編集盤が公式オリジナル・アルバムと同等の扱いとなっている)。

「フール・オン・ザ・ヒル」の作者/ヴォーカルはポール・マッカートニーで、『Sgt. Pepper's』の「With a Little Help from My Friends」(過去ログ)のセッション中にアイデアを思いつき、ジョン・レノンに演奏して聴かせると“書き留めとけ”と勧められるほど気に入られ、1980年にもジョンは Playboy 誌のインタビューで“良い歌詞だ。彼の完璧な曲を書く才能を証明している”と絶賛しました。

「The Fool On The Hill」は1967年9月6日、最初にポールのピアノ弾き語りのデモテープとして録音されました(『The Beatles' Anthology 2』demo)。
その後9月25日に正規の録音が開始され、ジョン&ジョージのハーモニカとポールのリコーダー、リンゴのドラムを加えた「Take 4」を作成しますが(『The Beatles' Anthology 2』Take 4)この時点で歌詞は完成しておらず、翌9月26日に殆んどの楽器を差し替えた音源が作成され、これにフルートなどオーバーダビングしてマスターとなっています。
映画のサウンドトラックとはいえ、「The Fool On The Hill」は“摩訶不思議な行き先秘密の小旅行”がテーマの物語にそぐわない作風であった事に加え、楽曲に相応しい撮影場所が見つからなかったためポールがメンバーから離れ単身フランスのニースに渡って撮影しており、これが逆に美しく幻想的な風景と“ひとりぼっち”な雰囲気を醸し出す効果となりました。

ビートルズ自身のシングル・カットはありませんがブラジルのミュージシャン、セルジオ・メンデス(Sergio Mendes & Brasil '66)によるボサノヴァ風カバーが1968年にBillboard Hot 100 の6位(年間69位)を記録したほか、フォー・トップスやシャーリー・バッシー、ヘレン・レディなど多くのミュージシャンにカバーされました。
もちろんビートルズによるライブ演奏はないものの、ポール率いるウイングス1979年のツアーで初演され、また初めてビートルズの楽曲をふんだんに盛り込んだ1989-90年の『ゲット・バック・ツアー』ではポールの“この曲をジョン、ジョージ、リンゴに捧げます”の紹介から演奏が始められたことをご記憶の方も多いでしょう。


 
 



~【 The Fool On The Hill 】の人物像~

But the fool on the hill
愚か者は丘の上

言うまでもなく【fool】は[ばか者]の類いを意味する言葉ですが
[道化師、笑い者、阿呆、頓馬、 間抜け、虚(うつ)け、戯(たわ)け…]
この作品の主人公に合う fool の日本語が見つかりません。

本作の主人公について、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインのアシスタントとしてデビュー前からメンバーとプライベートな時間を共有してきたアリステア・テイラー(Alistair Taylor)の著書『Yesterday: My Life With the Beatles』によると、ポールと彼の愛犬マーサ(Martha)とロンドンのプリムローズ・ヒル (Primrose Hill)を散歩した際、不思議な男に出会ったことから着想を得ているとしています。
ポールが登る朝日を眺めている隙にマーサがいなくなってしまい、代わりにそこにはレインコートの紳士が立っていて、挨拶を交わし数秒後にふり返るといなくなっていた…というものです。

またポール自身は主人公を、ビートルズもインドでその瞑想修行に参加したことで知られるヒンドゥー教に由来する思想家“マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのような人物のことを歌っている”と言及したとの情報もあります。
それによるとマハリシを中傷する人は彼をそのような言葉で呼んでいたらしく、それでも超然とマントラ(मन्त्र /真言)を唱え続けるさまを表したのでしょうか…。

一方で1989-90年の『ゲット・バック・ツアー』で「The Fool On The Hill」のアウトロに、アメリカ公民権運動の指導者キング牧師(Martin Luther King, Jr.)の有名な【I Have a Dream】の演説が挿入されました。
単に“孤高の賢人”のイメージが重なるといえばそのとおりですが、私は別の共通点も見つけました。
キング牧師は1967年8月27日にイリノイ州シカゴのMt. Pisgah Baptist Churchで【Why Jesus Called a Man a Fool】と題する説教を行っており、その中に“And yet a Galilean peasant had the audacity to call that man a fool.(それでもまだキリスト教徒/ガリレオの小百姓は、あの男をばかと呼ぶ大胆さを持っていました)”という一節があるのです!
「The Fool On The Hill」のレコーディングは1967年9月以降なので、本作はこの説教からインスピレーションを得ているという説もアリ…?




And the eyes in his head
その頭の中に
See the world spinning around
回る地球を浮かべながら

このフレーズから、『地動説』を唱えてカトリック教会から有罪判決(無期刑)を受けた後も“E pur si muove「それでも(地球は)動く」”と主張した16-17世紀イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)を思い浮かべる方も多いでしょう。
ただしガリレオがこの発言をしたかは懐疑的とされ、彼は異端審問で「地動説を貫いて死を選ぶ」か「地動説を棄て生を得る」かを迫られ、後者を選択しています。
(当時カトリック教会の教義は『天動説』と一致しており、地動説はこれに反する考えだった)

ガリレオはその後、約8年間軟禁されたまま人生の幕を閉じました。
しかしこの間・彼はただ失意のどん底で死んでいったわけではなく、両眼を失明しながらも自らが生涯を懸けて発見した地動説の科学的真実を世に伝えようと、最後の著作『新科学対話』を編纂(1638年)しています。
この本はオランダなどプロテスタント国で発刊され多くの学者に広汎な影響を残し、奇しくもガリレオが没した1642年に生誕したアイザック・ニュートンによって後に地動説の正しさが裏付けられることになるのです。

「信念を貫き、真実に殉ずる」
「真実を棄て、魂を抜かれた亡者として長らえる」か…



~独裁者はこうして、“真実を告げる口”を封殺してゆく~

戦前の大日本帝国がどのようにして滅亡していったかを教訓として心に刻む私にとって、見逃すことのできない“危険な兆候”がまた一つ…
“公共放送・NHK”が、揺れています。


NHK組織大改変で“反権力”職員72名が提出した反論意見書 2019.02.17.

NHK上層部が今年6月からのスタートを検討している番組制作体制の改編案に対し、“一部署・全72名職員の抗議を表した要望書”(※管理職を含む/海外留学中の部員を除く)が提出される異例の事態が起きていると、報じられています。
提出したのは制作局【文化・福祉番組部】で、『ETV特集』や『こころの時代』、『ハートネットTV』『ろうを生きる 難聴を生きる』などを制作している部署。

改編案によると、現在の制作局「8部署」を「6制作ユニット」に再編すると謳っており、しかし組織図を見る限り実質的に既存部署の殆んどが横滑りする名目だけの変更で、“文化・福祉番組部だけが消滅し他ユニットに分割配分される”という偏った変革となっている印象です。
「文化・福祉番組部がなくなる=番組がなくなる」という意味ではありません)
この改編案に制作局は“幅広い制作スキルを育てるため”と説明する一方、『ハートネットTV』『ろうを生きる 難聴を生きる』の福祉系ディレクターが『あさイチ』を担当するユニットへの編入案が示されるなど、専門性を蔑ろにする編成に局内からも“公共放送としての番組の質の低下につながる”との反発が挙がっているそうです。
更に同局は“各ユニットには部長に相当するジャンル長がいて、人事発令がなくても、それぞれのジャンル長の判断でユニットをまたいだ異動ができるようになる”と説明していますが、つまりこれはジャンル長の人事権強化策であり、現場の局員はより切迫に人事異動の圧力を感じ上司の顔色を窺うことになりはしないでしょうか…。


なぜ文化・福祉番組部だけが複数ユニットに分割配分?

文化・福祉番組部は、『ハートネットTV』などその名が示すとおり、障がい者や精神疾患、認知症や難病・LGBT、いじめ、苦境にある本人とその家族…といった他人に相談しづらい悩みやマイノリティといった“生きづらさ”を抱えている人に寄り添う姿勢を何より大切にしている部署です。

一方で現在・過去を問わず様々な社会問題をテーマとするドキュメンタリー番組『ETV特集』を一言で表すなら“真摯”で、近年“誰かへの忖度で骨抜きになっしまった”局の看板番組『NHKスペシャル』より遥かに重厚なドキュメンタリーを提供してきました。
しかし【原子力政策及び原発事故】や【沖縄問題】【戦争犯罪及び歴史問題】など、その真実追及への真摯な姿勢こそが“歴史修正主義”といわれる安倍晋三氏の価値観と相容れぬものであり、現に第2次安倍内閣発足後の2013年4月から放送時間が深夜に下げられ、それでも権力に屈せず数多くの受賞を重ねてきたことから“最後の良心”と評される一方で近年、安倍首相の“お友だち”が占めるNHK幹部との軋轢(あつれき)が懸念されていた部署でもありました。



~文化・福祉番組部と、安倍首相との深い因縁~

しかしそんな文化・福祉番組部も、かつて“疑惑の当事者”となったことがあります。
2001年1月30日に放送されたNHK・ETV2001(現・ETV特集)「戦争をどう裁くか」シリーズ第2夜『問われる戦時性暴力』が、“政治家の圧力によって番組内容が改変されていた”と2005年1月12日に朝日新聞が報じた、いわゆる「NHK番組改変問題」です。
その圧力を与えたとされる政治家こそが、安倍晋三・内閣官房副長官(当時)と自民党・中川昭一議員でした。

報道の翌1月13日、この番組の制作現場作業の一切を取り仕切る立場にあった長井デスクは記者会見を行い、“改変によって番組の企画意図は大きく損なわれ、番組としての体を為さないものとなってしまった”と、問題について説明しました(以下は経過の要旨)。

2001年1月下旬、安倍・中川議員らにNHK国会対策担当のN幹部(総合企画室担当室長)が呼び出され、番組の放送中止を強く求められた
N幹部は放送前日の1月29日午後、M幹部(放送総局長)を伴って安倍・中川議員を再訪、説明し理解を求めるも了解は得られず、M幹部は「番組内容を変更するので、放送させてほしい」と発言。
同日、M幹部はNHKに戻り番組内容の変更を制作現場に指示、44分の番組は43分となる。
放送当日の1月30日夕方、M幹部は内容をさらに3分カットするよう指示、番組は40分となり放送される。
同番組の永田チーフプロデューサーは“(単純に)4分切ったというのではなく、どうでもよいものをいっぱい足して、足して…いったけども40分にしかならなかった”と証言

1月19日午後、NHKは記者会見を開きコンプライアンス(法令順守)推進室の調査結果を発表。
政治的圧力は感じなかったので政治的圧力はなかった”と結論づける…

しかし朝日新聞は番組改変の証拠とされる録音テープを所持しているとされ(音源自体は未公開)、NHK会見にも参加したM幹部を取材した録音テープの内容がフリージャーナリストにリーク・公開されており、それによるとM幹部は…
脅しとは思ったけど、より公平性、中立性、そういうものにきちっと責任持って作らねばならないという気持ちは持った。相手につけ入るスキを与えてはいけないという緊張感が出てきたのは事実”と、発言しています。

同日、コンプライアンス推進室からの調査結果を受け取った長井デスク
十三日の私の記者会見以降にNHKが取った対応から明らかなように、政治家に魂を売り渡してしまった現経営陣主導で行われた調査結果は、全く信用することができない。NHKの多くの職員から私に、ヒアリングを受けた関係者が、事実を隠ぺいし経営陣が書いたシナリオを受け入れるよう、大変な圧力を受けたと伝えられている。NHKが独自に真相を究明することが不可能なことは明らかだ。第三者機関による徹底的な調査を行い、真相を究明すべきだ”とのコメントを残しました。


永田浩三氏:政治権力による放送の私物化を許してはならない



~Epilogue~

安倍政権の誕生以来、公共放送・NHKのあり方が著しく変容しました。
2013年から安倍首相がNHKの最高決議機関の経営委員に自分の近しい人物を充てる異例の人事を行い、経営委員会がNHK会長を任免することで、“安倍首相が事実上NHKの最高決議者”となったからです。

【安倍一強】と呼ばれる絶大な支配力は、彼一人に決定権を集中させ自分に忠誠を誓った者だけにアメ玉を分け与える契約によって生まれます。

ご存知ないと思いますが、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』は安倍首相にとって最大の支援団体のお偉いさんの『ファミリーヒストリー』で、“誰も知らない松陰の妹がなぜ主人公?”の秘密がそこにあると私は考えます(詳細は過去ログ「フリーダム」ワム!へ)。
これがその典型であるように、安倍首相は右派団体古典芸能芸能界、スポーツ界などに強力な支持基盤があり、近年NHKではそれと重なる【日本(人)】【幕末~昭和】【能・歌舞伎】【お笑い・吉本】【ドラマ】をテーマとした番組が増加している現象と無関係ではないでしょう。

問題は、こうした安倍氏の自己都合によってコンテンツが【王様が支持者に配るアメ玉】として差配されていることで、公共放送として国民に知らせなければならないことや、提供すべき有用な教養・情報番組が削られてしまっていることです。
【不条理なえこひいき】の蔓延によって、上から与えられるアメ玉に喜々としている紛いものが栄え、森友スクープ記者のような“真実追及の心”を持ったジャーナリストを失うことです。


NHKがここまで安倍首相にすり寄るのは、彼の強権に諂(へつら)うだけではありません。
2017年12月には『NHK受信契約訴訟』で、加計学園関係者を含む安倍首相が任命した最高裁判事によって下された最高裁判決「テレビを設置した時点までさかのぼり受信料を支払う義務」を獲得し、昨年9月中間連結決算は受信料収入3.0%増で中間期として5年連続で過去最高を更新しました。
加えて今年も、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認する『放送法改正案』が3月上旬に国会に提出される予定であることを考えれば、NHK経営陣にとって安倍首相がどのような存在か想像に難くはないでしょう。

このように、「みなさまのNHK」にとって何より優先されるのは【カネ】であり、2001年に「NHK番組改変問題」を起こした原因も【カネ】だったといわれます。
1月下旬に安倍氏らが番組介入した時期は、ちょうど【自民党総務部会でNHK予算審議直前】であり、そんなタイミングで内閣官房副長官(当時)である安倍氏に“只では済まないぞ。勘繰れ”と言われ、幹部が不安になって過敏に忖度してしまった…というのが当時の複数の関係者の証言に一致するところです。


そして、いまこの時、NHKをはじめとするマスメディアはただ権力者に怯え忖度しているだけでなく、政治権力と手を結び、利害を一致させて目先の利益に走っている次元にあることを、この国の民は看過すべきではありません。

何故なら、“政治権力とメディアが利害を一致させた【挙国一致報道】こそが、この国を先の大戦へ向かわせる原動力だった”からです。
当初は新聞も軍や政府の不条理に抗していたものの圧力に屈して彼らの不正に口を噤(つぐ)み、やがて戦争によって新聞売り上げが倍増して味を占めると政府以上に戦争拡大を煽るようになりました。
また、戦前の近衛文麿首相はラジオ放送を独占運営する日本放送協会(現NHK)の総裁でもあり、自らの演説にラジオを巧みに活用して日中戦争に対する国民の戦意高揚を駆り立てました

…現在の状況と似ていると思いませんか?
でも、この国で二度とそんな歴史を繰り返させてはなりません。
たとえ、彼らに「The Fool On The Hill」と呼ばれようと…。

(※長~い文章にお付き合いくださり、本当のありがとうございました



「フール・オン・ザ・ヒル」


続きはこちら >>

tags : マジカル・ミステリー・ツアー バラード 美しい 物語  

comment(8) 

「星空のエンジェル・クイーン」デラ・セダカ

2018.12.21

category : Soundtracks

Dara Sedaka - Angel Queen1 Dara Sedaka - Angel Queen2


Dara Sedaka - Angel Queen (1982年)



~概要~

デラ・セダカは1978年に歌手デビューしたアメリカの歌手で、【Sedaka】姓が物語るとおり1960年代に「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard to Do)」や「恋の片道切符(One Way Ticket)」などヒットを量産したニール・セダカの娘です。
1980年に父ニールとのデュエット「面影は永遠に(Should've Never Let You Go)」が全米19位を記録しているので、そちらでご記憶の方もあるでしょう。

一方、日本では1980年から漫画家・松本零士による『新竹取物語 1000年女王』の連載が、1981年からTVアニメ版の放送が始まっており、同年には劇場版『1000年女王』の企画が進められ7月に前年「シルクロードのテーマ」でブレイクしたキーボーディスト・喜多郎の音楽担当の起用が決まりました。
彼は『銀河鉄道999』からの松本零士ファンで、早速サウンドトラックの創作に取り掛かったもののこの時点で映像は完成しておらず、松本零士との打ち合わせと絵コンテからイメージを創り上げていったため、逆に音楽に引っ張られていくように映像ができていった感覚があったそうです。


主題歌である「星空のエンジェル・クイーン」は作詞:MOKO NANRI(南里元子)/作曲:喜多郎によって創作されましたが、喜多郎はキーボード専門であるため歌手を別に用意する必要があり、音楽プロデューサーのデイヴィッド・フォスターにデラ・セダカを薦められたことから、彼女の起用が決まっています(作詞者・南里元子の夫・南里高世は喜多郎のプロデューサーであり、デイヴィッド・フォスターの初ソロ・アルバム『THE BEST OF ME』のプロデューサーの一人でもある)。

「星空のエンジェル・クイーン」は映画のEDクレジットで使用されていますが、サウンドトラック・アルバムには収録されておらず、デラ・セダカ1982年の1stアルバム『ガールフレンド(I'M YOUR GIRL FRIEND)』の収録曲です。
同アルバムのプロデューサーはデイヴィッド・フォスターで、大物プロデューサーだけあってゲストも豪華。
スティーヴ・ルカサー/スティーヴ・ポーカロ(TOTO)、マイケル・ランドウ、リチャード・ペイジ/スティーヴ・ジョージ(後のMr.ミスター)、ブライアン・アダムスほか一流どころがズラリと揃っています。

映画の公開後「星空のエンジェル・クイーン」はシングル・カット(B面は喜多郎による同曲のインストゥルメンタル)されており、同年4月にオリコン総合11位(洋楽チャート2週連続1位)を記録しました。


 



~Lyrics~

1,000 years she rules the earth
千年の間、地球を統べる
lovely angel queen, it's you.
美しい天使の女王…それがあなた

【1000年女王】とは、人類誕生以前より惑星ラーメタルから1000年周期で地球へと派遣されてきたラーメタル人で、“人知れず地球を治める存在”とされています。
作品では【ラー・アンドロメダ・プロメシュームII世】が現世の1000年女王ですが、映画では卑弥呼や楊貴妃、クレオパトラもかつての1000年女王として描かれました。

余談ですが、松本零士が本作を創作したのが1980年ごろ。
本作の時代設定は【1999年】なので未来を描いた作品ですが、この時点で自動運転化された車が路面に浮いて走行するさまが描かれています。
現実の2018年の先日、国交/経産省が“2020年代半ばに「空飛ぶ車」を離島・山間部の人や物資輸送の手段として活用し、30年代には都市部内の人の移動にも使う”工程表を提示しましたが、空想だけのSFと数百kgの鉄塊が都市上空から墜落するリスクを伴う現実の区別さえ、この国の政府首脳はつかないというのでしょうか…。


Touching others like a child
あらゆるもの、幼子のように触れ
loving others for awhile
束の間に愛を注いでいる

1000年女王は母星ラーメタルからの使命を帯びて活動し、任期終了で次の女王に交代することになっていますが、中には地球を愛し地球の土となることを選んだ女王も存在しました。
現世の女王プロメシュームもその一人で、彼女は母星からの使命とは別に、極秘で地球が危機的事態に陥った際の救済のために“ある壮大な備え”を施していたのです。

ラーメタルより地球の人間を愛してしまったこと…それは、私の生き甲斐だった。
その全てが水の泡のように儚いものになろうとしている
…”




~Epilogue~

地球人にとっての1000年が、彼らの1年に過ぎないという時間軸に生きるラーメタル人。
しかしラーメタルは地表温度が-273℃に達する酷寒の惑星で、人々は1000年のうち999年9ヶ月を生命維持装置の中で冬眠することを余儀なくされる宿命と共に生きています。
そのため彼らには眠っている間これらの機能を支える労働力が必要で、実は1000年女王の重要な使命とは、労働力となる奴隷としての地球人をラーメタルへと派遣することだったのです(※TV版による)。
そうした背景から、作品に於いて1000年女王以外の殆んどのラーメタル人は地球人を【サル】と呼び、卑しむ意識を持っていました。

しかし両者の間にこうした意識のずれがあったため、1999年の地球最接近の際にラーメタルが軍事侵攻して地球人から地球を奪い、ラーメタル人を移住させる計画を企てていたことは1000年女王に知らされていませんでした。
騙されていたことに気付いた1000年女王はラーメタル側と【地球人との共存】の説得を試みますが、ラーメタル側に“サルとは一緒に住めない”と断られてしまいます。
愛する地球を侵略から守るため母星に背き、ラーメタルの圧倒的な軍事力に立ち向かう事を決意する1000年女王でしたが…。


 Dara Sedaka - Angel Queen1


“1000年女王は メーテルなのか?”

当時のテレビCMキャッチコピーですが、腰まで伸びた金髪や切れ長の瞳など…
『銀河鉄道999』に登場する謎の美女【メーテル】と、1000年女王(プロメシューム)は確かに面立ちがそっくりです。
この点について、『銀河鉄道999』をご覧の方は【プロメシューム】の名前から“もしや?”と思われたかもしれませんが、原作者・松本零士も“『1000年女王』はメーテルの母親にまつわる物語”と明言しています。
ただしこうした設定は当初から徹底されていたわけではなく、劇場版・TV版『1000年女王』の結末など、関連作品に於いて整合性が取れないエピソードも少なくない)

憂いを帯びた瞳…

『1000年女王』でプロメシュームは母星ラーメタルに逆らい、これと戦いましたが、彼女が戦ったラーメタルの指導者・聖女王ラーレラは彼女の実の母親でもありました。
しかし、その未来を描いた『銀河鉄道999』では、プロメシューム自身が娘のメーテルに背かれる…という同じ悲劇を母娘に亘って繰り返すことになります。

また、そもそもラーレラが地球侵略を目論んだのは、暗黒太陽の異変によるラーメタル人滅亡の危機から人々を救おうとしてのことでした。
地球を去った後プロメシュームは母の後を継いでラーメタルの女王に即位するものの、かつて彼女自身が地球移住を阻止したためラーメタル人滅亡の危機は残されたままで、民衆は飢餓にあえいでいました。
それを解消すべく彼女が採った施策が民衆に機械化人となる手術を義務づける機械化政策ですが、急激な機械化は市民の反発を招き、独裁体制を布いて生身の人間を虐げたため娘のメーテルに背かれることになったのです。

『1000年女王』で地球に愛を傾けたプロメシュームは、メーテルにとっても“鉄郎のお母さんにも負けないくらい優しい母”だったといいます。
しかしそんなやさしい心を持った女性が、何故あの“『銀河鉄道999』のプロメシューム”に変わってしまったのでしょう…

数奇に魅入られた美しき女王の宿命は、冬の夜空の藍のように深く、哀しい。



「星空のエンジェル・クイーン」


続きはこちら >>

tags : 1982年 電子 バラード/Pop 物語 映画80's 宇宙 日本で人気 

comment(20) 

「レディ・マドンナ」ビートルズ

2018.06.22

category : Beatles & Solo

Beatles - Lady Madonna1 Beatles - Lady Madonna2


The Beatles - Lady Madonna (1968年)



~概要~

「レディ・マドンナ」は1968年3月15日(米は3/18)にビートルズが発表した17枚目のオリジナル・シングル曲で、B面はジョージ・ハリスンによるインド・テイストな作品「The Inner Light」、同年ビートルズはアップル・レコードを設立したため英・Parlophone/米・Capitolレーベルとして最後のシングルとなりました。
イギリスでは30万枚以上を売り上げNME;2週連続No.1/MM;2位、アメリカでは100万枚以上のセールスを挙げBillboard Hot 100で4位(年間60位)を記録しています(「The Inner Light」は週間96位、ジョージ作品として初のチャート・イン)。

オリジナル・アルバムには入っておらず、1970年に米キャピトル編集盤『Hey Jude』や1973年の“青盤”『The Beatles / 1967-1970』、1988年のCD『PAST MASTERS VOLUME TWO』などにステレオ・ヴァージョンが収録されています。
また、1996年の『The Beatles' Anthology 2』にはテイク3とテイク4をリミックスした音源が公開されました(この記事を編集時点で日本のyoutubeでは視聴不可)。


ビートルズは1968年3月中旬にシングル・リリース、メンバー4人には2月中旬から約3カ月間に及ぶインドへ瞑想修行の予定が控えていたため、2/3~2/15というごく短い期間で本曲を含む4曲がレコーディングされました。
作者は主にポール・マッカートニーで、ジョン・レノンは“たぶん歌詞を幾らか助けたけど、自慢できるほどでもない”と言及しています(別項詳細)。

ビートルズにしては珍しいジャズ・テイストなピアノは、同じパーロフォン所属のハンフリー・リッテルトン(Humphrey Lyttelton)が1956年に発表した「Bad Penny Blues」がヒントになっているといわれます。
PVではジョンがピアノを弾いている姿が見られますが実際に本曲を演奏しているのはポールであり、これは同じセッションでレコーディング中だった「Hey Bulldog」の演奏風景を撮影して「Lady Madonna」のPVに充てたためです(このとき撮影された映像は後年「Hey Bulldog」のPVにも編集使用されている)。

また、ポールによる“エルヴィス・プレスリー風のヴォーカル”も特徴的で、恐らく本曲を聴いた多くの人は本家本元“エルヴィスの歌声でも聴いてみたい”と願望したことでしょう。
しかし、今回の検索でその“エルヴィス本人によるカバーver.”を発見いたしました!
これは1970年頃の即興スタジオ・ジャムの一部音源で、ビートルズよりブルース色が濃く、エルヴィスは歌詞もうろ覚えですが、さすが期待を裏切らない“the King”の風格です。

2月6日夜までのセッションで「Lady Madonna」の一通りの録音作業は終了していますが、ジョン、ポール、ジョージによる“サックスの口真似コーラス”だけでは満足できなかったか、当夜突然ポールが“本物のサックスを使う”と言い出しました。
急遽テナー・サックス2名(ロニー・スコットを含む)+バリトン・サックス2名が招集され、その一人ハリー・クラインは“夕方6時半頃、入浴中に電話で呼び出された…”と、慌ただしさを語っています。
さらに楽譜もパートも決まってない状態から始まったため進行は当を得ておらず、挙げ句ポールに101回ものやり直しを求められ、作業は夜遅くまでかかったそうです。

本曲発表時すでにコンサート活動を止めていたため残念ながらビートルズでのライブ演奏はありませんが、1976年ウイングスの『Wings Over America』以来ポールのライブでよく演奏されるビートルズ・ソングの1つでもあります。


 
 



~Lyrics~

See how they run
駆け回る彼らをご覧

コーラスとして度々登場するこのフレーズはジョンのアイデアという説があり、1967年の彼の作品「I Am the Walrus」にも【See how they run】のフレーズが使われているので、まず間違いはないのでしょう。
ただしジョンというとイングランドの伝承童謡『マザー・グース (Mother Goose)』好きとして有名であり、【See how they run】は彼によるオリジナルではなくそのマザー・グースにもある有名なフレーズです。
マザー・グース『Three blind Mice スリー・ブラインド・マイス』には【Three blind mice. Three blind mice./See how they run. See how they run.】というフレーズがあって、“3匹の盲目ねずみが農家の奥さんを追いかけ回す歌”となっています。

また、1964年のアメリカNBCのTVムービーに『小さな逃亡者(See how they run)』という作品があり、“父親を殺され孤児となった三人の子供が組織に追われるストーリー”で、こちらが影響を与えた可能性も無きにしも非ず?

 

Tuesday afternoon is never ending
火曜の午後はいつ終わるとも知れない
Wednesday morning papers didn't come
水曜の朝は新聞が来ない

マザー・グースでは“1週間の歌”は子どもに曜日を覚えさせる定番曲であり、幾つもの歌がみられます。
そのうちの一つ、谷川俊太郎も訳したことで知られる「Monday's Child」は“占いの歌”となっていて、【Monday's child is fair of face 美しいのは 月曜日の子ども /Tuesday's child is full of grace 品のいいのは 火曜日の子ども… 】という風に誕生日の曜日ごとに子どもの性質を伝えています。

日本で“1週間の歌”といって私が思い浮かぶのは、川崎のぼる原作のアニメ『てんとう虫の歌』のEDテーマ「ぼくらそろって一週間」です。
タイトルは【てんとう虫】に由来していますが、実際は[日曜子(ひよこ)][月美(つきみ)]…ら曜日が充てられた7人きょうだいの物語となっています。


Friday night arrives without a suitcase
金曜の夜はスーツケースもなしに到着
Sunday morning creeping like a nun
日曜の朝は尼さんみたいに忍び歩き

“土曜日”だけ抜けているのは、何故だろう…
なぜ土曜かは不明ですが、曲の構成上“七曜日を1番と2番で3日+3日に削るしかなかった”ことは想像できますね?

ただ、ポールによると【1週間の歌】というアイデアはマザー・グースではなく、ファッツ・ドミノ1956年の「Blue Monday」から得たそうです。
ファッツ・ドミノはポールの敬愛するピアニスト&ロックンローラーであり、1968年にはそのファッツがビートルズの「Lady Madonna」をカバーしています。

 



~Epilogue~

ファッツ・ドミノの「Blue Monday」は【Got to work like a slave all day 一日中奴隷みたいに働かなければならない】男の1週間を描いた作品ですが、歌詞を顧みると確かに「Lady Madonna」は“その女性版”ともいえる趣きがあります。
ポールによると「Lady Madonna」は当初【聖母マリア】をテーマとしていたものの、その後主人公を【リヴァプールの労働者階級の女性】に変更したそうです。

a working-class woman ...

それを意識した表現かは定かではありませんが、本曲は“ポールのヴォーカルやギターの音をエフェクターで歪ませ”たり、“ジョンとジョージがポテトチップスを食べながらコーラス”したり、“ピアノに安っぽいマイクを使ってコンプレッサーとリミッターを大量にかける”…といった明らかに音を劣化させる作業にわざわざ手間をかけ録音されています。
【Mother Mary】なる存在が登場し、ゴスペル風のオルガンを響かせピアノの余韻で終わらせた「Let It Be」とは真逆の趣きです。


ポールにテーマを変えさせたのは、“1枚の写真”との出あいでした。
それは『ナショナル ジオグラフィック(National Geographic)』誌1965年1月号に、
「Mountain Madonna」というタイトルで掲載されていた一人の女性の写真…
アジアの貧しい山あいの村人を思わせるその女性は半裸で、まさに【一人の乳飲み児を胸に抱えて授乳し】、【足元にいるもう一人の子どもの相手】をしながら何か作業をしている母親の日常を捉えたであろう一枚です。
これを見たポールは、僕には聖母マリアのように見えたと後に語っています。

Beatles - Lady Madonna3 Nursing Madonna

そのさまは、“この世で最も尊い営み”です。
彼女が聖母であるとか、人種や貴賎の違いに分け隔てなく…
子を想う愛情が自らの体内で母乳を生成させ、触れあう肌のぬくもりを通してそれを直接分け与える能力は、男性にとって“神秘”であり、まるで“神の領域”です。

Lady Madonna, baby at your breast
レディ・マドンナ、乳飲み児を胸に抱え
Wonders how you manage to feed the rest
どうやってほかの子を食べさせるのだろう

【Lady(貴婦人)】と【Madonna(the~)聖母マリア】…
二つを重ね合わせたタイトルにこそ、彼女に対するポールの本当の想いが込められているのです。



「レディ・マドンナ」


続きはこちら >>

tags : ビートルズ(その他) 物語 ピアノ 

comment(4) 

「エリナー・リグビー」ビートルズ

2017.09.01

category : Beatles & Solo

Beatles - Eleanor Rigby1 Beatles - Eleanor Rigby2


The Beatles - Eleanor Rigby (1966年)



~「エリナー・リグビー」のオリジナル・スコアがオークションに!~

ビートルズ屈指の美曲「エリナー・リグビー」のオリジナル・スコアが、9月11日のオークションに出品されることになりました。
競売はビートルズの出身地リヴァプール近郊のウォリントンで行われ、約280万円程の落札額が見込まれているそうです。

「エリナー・リグビー」の楽曲自体のクレジットはご存知【Lennon–McCartney】ですが、弦楽八重奏を起用しているため編曲はプロデューサーのジョージ・マーティンが担当し、鉛筆で手書きしたスコアにはマーティンとポールが署名を入れています。
今回の競売では他にも「エリナー・リグビー」にまつわる出品が予定されており、主催者は“世界中で激しい争奪戦になるはず”と息巻いているそうです。



~概要~

「エリナー・リグビー」は1966年8月5日にイギリスでリリースされたビートルズの13枚目のオリジナル・シングル(「Yellow Submarine」と両A面)で、同日発売の7thアルバム『リボルバー(Revolver)』に収録されました。
シングルとしてイギリスではNMEで4週/MMで3週No.1に輝き、アメリカではB面扱いとなったもののBillboard Hot 100で11位を記録、2004年にはローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 137位】にもランクされています。

作者はポールでお得意の“物語風”を展開させていますが、歌詞のアイデアが煮詰まって自己完結できず他のメンバーらにアイデアを出してもらって完成させたようです(詳細別項)。
リード・ヴォーカルはポールで、本曲の歌唱により1966年のグラミーで【Best Contemporary Pop Vocal Performance, Male】を受賞しました。
一方、コーラスにジョン・レノンとジョージ・ハリスンが参加した以外、演奏についてビートルズは一切関与しておらず、このためリンゴ・スターは全く出番がありませんでした。

本曲は「Yesterday」に続いて二度目の本格的ストリングス編成曲ですが、こうしたクラシック志向には当時の恋人であるジェーン・アッシャーの存在が大きく影響を与えています。
ジェーンのお母さんはロンドンの名門ギルドホール音楽演劇学校の教授で、ジョージ・マーティンにオーボエを指導した人であり、当時アッシャー宅に住み込んでいたポールも彼女からクラシック音楽やその知識を授かっていました。
「Eleanor Rigby」はそんなアッシャー宅の地下の音楽室にあるピアノから生まれた曲であり、ポールがジョージ・マーティンに編曲を依頼した際“(アントニオ)ヴィヴァルディ風の弦楽八重奏”と注文をつけた知識も、その産物だったのです。
こうした経緯から生まれたのがヴァイオリン4/ヴィオラ2/チェロ2本という、ビートルズ作品中でも極めて特徴的な音の響きでした。

しかし、「Eleanor Rigby」の特徴的な音の響きは弦楽八重奏だけではありません。
通常のステレオは、左右2つのスピーカーによって実際そばで演奏を聴いているような音に近づけるものですが、『リボルバー』に収録の(オリジナルの)「Eleanor Rigby」では基本的にポールのリード・ヴォーカルは右チャンネルに、コーラスは左チャンネルに、ストリングスは左右両方(中央から聴こえる)に分別され入っており、特にヘッドホンを使うとそれぞれの切り代わる独特な音の感覚を楽しむことができるでしょう。
ただし、後年リミックスが施された「Eleanor Rigby」メイン動画はこの音源)は音質がクリアになっている反面、全ての音が中央から聴こえる普通のステレオ形式に変更されているので、ファンとしては微妙な所です…。

ビートルズ時代を含め「Eleanor Rigby」は長年封印されていた作品でしたが1984年、ポールは自作映画『ヤァ!ブロード・ストリート(GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET)』で本曲を初めて再演、その際「エリナーの夢(Eleanor's Dream)」というインストゥルメンタル曲を新たに創作しメドレーとしています。
また、ライブとして最初に披露されたのは1989年9月からのワールド・ツアーで、ビートルズ時代には不可能とされたストリングスの音をキーボードで再現し、ファンを歓喜させてくれました。

カバーはジョーン・バエズ、ヴァニラ・ファッジ、アレサ・フランクリンなどが有名ですが、私は何といってもレイ・チャールズ
彼は1968年に「Eleanor Rigby」をカバーしBillboard Hot 100で35位とヒットさせ、1990年にポールが“グラミー特別功労賞生涯業績賞”を受賞したステージで本曲をトリビュート演奏したことで、とりわけインパクトを残しました。


 
 



~Lyrics~

Ah look at all the lonely people
すべての孤独な人々について考える…

【孤独】という物語の展開に行き詰ったポールは他のメンバーや、ジョンの家に遊びに来ていた元クオリーメンのピート・ショットンに相談を持ちかけており、このラインはジョージ・ハリスンのアイデアだといわれます。
ジョンは1971年に“歌詞の半分以上は僕が書いた”、1980年には“最初のヴァース以外全部僕が書いた”と発言していますが、ポールは“ジョンにはいくつかの言葉を助けてもらったけど、8割は僕が書いた”、ピート・ショットンは“ジョンの貢献は0”と、認識に差異があるようです。

ジョンの“全部僕が書いた”やピート・ショットンの“ジョンの貢献は0”はそれぞれ余りに極端で、不自然さが感じられたため少し掘り下げてみたところ、話し合いの中で「Eleanor Rigby」の結末についてピート・ショットンが“最後はマッケンジー神父がエリナー・リグビーの葬儀を取り仕切る”と提案したのに対し、ジョンはそれを反対するなど意見を異にしており、結果的にポールはピートの意見を採用したため、ジョンはプライドを傷つけられたのではないでしょうか…?
ただ、【孤独】は明らかにジョンの得意とする分野であり、彼は少なからずこの作品に対し“思い入れ(執着)”があったと思うので、“ジョンの作詞による「Eleanor Rigby」”も味わってみたかった気もします。


Eleanor Rigby, picks up the rice
エリナー・リグビーは米を拾う
In the church where a wedding has been
結婚式後の教会

ポールは最初【Miss Daisy Hawkins】の名を思いついたものの満足できず、映画『Help!』で共演した女優【Eleanor Bron】から[Eleanor]を、1966年1月に舞台公演中のジェーン・アッシャーに会うため訪れたブリストルで見掛けた酒店【Rigby&Evens Ltd】から[Rigby]を取って【Eleanor Rigby】としました。

エリナー・リグビーの人物設定についてポールは“何もかも上手くいかないオールド・ミスの掃除婦”としているようで、ライス・シャワーを浴びて若いカップルが人生最良の日を謳歌した宴の後始末を、オールド・ミスが行うというのは何ともせつないものがあります…。


Father McKenzie, writing the words
マッケンジー神父は言葉を綴っている
Of a sermon that no one will hear
誰の耳に届くこともない説教を

一方こちらは最初【Father McCartneyとしたものの、ピート・ショットンに“ポールの実父と誤解されるので変えた方がいい”と指摘され、電話帳を調べて【McKenzie】に決めたそうです。
また、このラインと[靴下を繕う]というアイデアを出したのはリンゴ・スターともいわれます。
確かに、社会的地位も高いであろう年代の男性が独り靴下を繕う姿というのは、侘びしさをかき立てますが…。
(俗人はともかく、そのくらい物を大事にして安易に他力を頼まない高潔さこそ、聖職者の本来あるべき姿?)

ちなみに【Father McKenzie】には[ハザマケンジ]の空耳があり、[ミッキー・マッケンジー(Miki McKenzie)]は水谷豊の最初の奥さまです。 



~Epilogue~

…ところで、この作品には不思議なエピソードがあります。

【Eleanor Rigby】は1966年にポールが架空の人物として創作した名前ですが、ジョンとポールが初めて出会ったリヴァプールのセント・ピーターズ教会、そのウールトン共同墓地の中に【Eleanor Rigby】の名が刻まれた墓石《写真・左》が、1980年代になって発見されたというのです!
どんな名前も、世界を探せば大抵[同名異人]が見つかるものですが、ポールの出生地(ウールトン)、しかもジョンとの運命の出会いがあった場所でそれが見つかるという偶然…?
ちなみに、ポール本人は近年も基本的に“Eleanor Rigbyは架空の人物”という立場を通している一方、現実との奇妙な一致について“無意識のうちに影響を受けたかもしれない”とも言及しています。

Beatles - Eleanor Rigby3 Beatles - Eleanor Rigby4
 右は「Eleanor Rigby」をモチーフとして、1982年にスタンリー・ストリートに設置されたエリナー・リグビーの銅像。


では墓地に埋葬されたEleanor Rigbyさんとは、一体どんな生涯を送った人なのでしょうか?

墓石の記録によると彼女は独り身ではなく既婚者で、1939年に44歳で亡くなっています。
別の情報によると彼女はリヴァプールの病院で働いていた経歴があり、私は1956年に47歳で亡くなったポールのお母さん(ウールトン病院の元看護師)の生涯との類似を感じました。
ポールはこの時14歳、母を亡くした悲しみはもちろん、それまで涙を見せたこともなかった父が大泣きしている姿に衝撃を覚え、本当に大変なことが起きたのだと悲しみを深くしたそうです。
もしも母を亡くして間もないポールがこの墓と出あっていたなら、きっとその事を思い出さずにいられないでしょう。
ポールが【Eleanor Rigby】に込めた想い、そして当初なぜ【Father McCartney】を登場させようとしたのか、彼の心に少し近づけたような気がします。


All the lonely people
孤独なるすべての人々
Where do they all come from?
それは、何処からやって来るのか…

人は、誰もが孤独なものである。
そして、かけがえないものを失った時、その宿命を識る。
暗闇があるからこそ、光を求め彷徨(さまよ)う。
“生きる”とは、後戻りできないその闇を“時間切れ”まで前に進むこと…。



「エリナー・リグビー」


続きはこちら >>

tags : 1966年 偉大な曲 バロック 物語 美しい グラミー リボルバー 

comment(2) 

プロフィール

Beat Wolf

Author:Beat Wolf
ジャンルを問わず音楽が大好き♪


参加ランキング
最新記事

全タイトルを表示
Artists
リンク
このブログをリンクに追加する
☆『相互』をご希望の方は、お気軽に♪
最新コメント
QRコード
QR

Copyright ©I Wish~洋楽歌詞和訳&解説. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.