I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ジャスト・ライク・ザット」ボニー・レイット

2023.02.10

category : Bonnie Raitt

Bonnie Raitt - Just Like That (2022年)

テイラー・スウィフト/ビヨンセ/アデルを退け本年グラミー【Song of the Year】に輝いた73歳

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tags : 2022年 フォーク アコースティック 親子愛 大切な人を失った悲しみ グラミー最優秀楽曲賞 

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「ティーチ・ユア・チルドレン」クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング

2022.05.02

category : Crosby, Stills, Nash & Young

Crosby, Stills, Nash & Young - Teach Your Children (1970年)

子どもにちゃんと教えよう、そして子どもに教わろう。きっとわかる、彼らがあなたを愛していると

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tags : 1970年 カントリー/ロック 親子愛 平和 コーラス 映画70's 小さな恋のメロディ 

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「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」アバ

2018.05.04

category : ABBA

ABBA - Slipping Through My Fingers1 ABBA - Slipping Through My Fingers2


ABBA - Slipping Through My Fingers (1981年)



~概要~

「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」はスウェーデンのポップ・グループ“ABBA”1981年11月の8th(最終)アルバム『The Visitors』の収録曲です。
作者はメンバーのビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソン、リード・ヴォーカルはアグネッタ・フォルツコグ。
一部を除きシングル・カットはなく、南米盤『The Visitors』にはスペイン語ver.も収録され、スペイン語圏でシングルもリリースされたそうです。
“母と娘の物語”をイメージさせる歌詞ですが、実際にビョルンとアグネッタの娘さんからインスピレーションを得て生まれた作品です。

日本では同年夏にコカ・コーラが販売促進用の企画として“スーパー・レコード”(写真左/非売品)を製作しています。
当時はコカ・コーラの瓶の王冠や缶のプルタブが“くじ”になっていて、それを集めると特別な賞品がもらえるというイベントがよくありましたが、これもその一つです。
このスーパー・レコードの企画にはアバ以外にもノーランズやドゥービー・ブラザーズ、三原順子、クリスタル・キングが参加しており、シングル盤は未発表曲の赤いカラー・レコード(裏面がピクチャーディスク仕様)、LPは独自選曲による編集盤となっていました。

「Slipping Through My Fingers」は、1999年に始まったABBAのヒット曲から成るミュージカル『マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)』の構成曲の一つでもあります。
2008年にはメリル・ストリープを主人公とした同映画が公開され、あの『タイタニック』を凌ぐイギリス史上最高のヒットを記録しました(後に『アバター』がその記録を更新)。


 



~Lyrics~

Schoolbag in hand, she leaves home in the early morning
通学かばんを手に、朝早く家を出るあの子
Waving goodbye with an absent-minded smile
ぼんやり笑顔で、行ってきますと手を振っている

「Slipping Through My Fingers」は、1973年に生まれた自身の長女Linda Elin Ulvaeusが7歳の時に学校へ行く姿をビョルンが見て創作したものだそうです。

子どもは好きなもの・興味のあるものに対する集中力が極めて高く、反面その瞬間それ以外の事象(路上での安全など)に対する集中力が【absent(不在の、欠けて)】になりがちです。
大人だと訓練されていて、そのとき何を優先すべきかある程度意識分散でコントロールできますが、子どもは興味次第の所もあるので切り替えがまだ上手くありません。
その辺りが“ぼんやり”に見えて、親にとっては心配になってしまうところでしょう…。


I'm glad whenever I can share her laughter
あの子と笑いを分け合うことが、いつだって私の喜び
That funny little girl
しあわせの笑みを誘う、小さな天使

一方、ビョルンとアグネッタは1978年末頃には別れを決意し1980年7月に離婚しているので、この曲が創作された頃は彼らにとってかなり難しい時期だったことでしょう。

『The Visitors』が発表される1か月前の1981年10月にアグネッタは『Nu tändas tusen juleljus』というスウェーデン向けのクリスマス・アルバムをリリースしていますが、これが実は娘リンダとのデュエット・アルバムでもありました《写真》。
このアルバムは後年CDとして再リリースされ、1990-2000年代にかけてベストセラーにもなったそうです。

ABBA - Slipping Through My Fingers3 



~2018年は“ABBAの年”!~

1982年の解散から36年が経つ2018年、今年はアバにとって解散以降最大の年となりそうです。

一つは、解散以来初めて4人がスタジオ入りして2曲の新曲を発表する予定である、ということ。
そのうち「I Still Have Faith in You」はメランコリックな曲だそうで、12月にアメリカと英国で放送されるテレビ番組内で“デジタルABBA”によって披露される予定となっています。
もう1曲の「Don’t Shut Me Down」はダンス・ミュージックではないがアップテンポな曲だそうで、2019年からの開催が計画されているABBAtarsなるホログラム・ツアーで聴くことができそうです。

もう一つはアメリカ・イギリスなどで7月20日、日本では8月24日から新作映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー(Mamma Mia! Here We Go Again)』が公開予定となっていることです。
タイトルのとおり2008年の映画『マンマ・ミーア!』の続編で、10年後の現在と、ドナがソフィの父親候補3人と出会った青春時代を描く内容となっています。
前作のキャストに加えて今作では若きドナ役を『シンデレラ』のリリー・ジェームズ、そして私が特にぶったまげたのがドナの母親役にあのシェールが出演するというのです!
(まさか、Tバックで歌わないでしょうね…?(御齢7×歳) 



何れにしても、今年はABBAから目が離せません!



~Epilogue~

映画『マンマ・ミーア!』は、シングル・マザーとして仕事と子育てに奮闘した母ドナ(メリル・ストリープ)と、一人娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)の物語。
ソフィが結婚式を挙げる日、母が娘のドレスの着付けを手伝う場面でドナが「Slipping Through My Fingers」を歌います。



ママは苦労したわ。子育てもホテルも何もかも1人で…
自分を育てるため、20年間苦労を一人で背負ってきた母を案じる娘。
でもそれでよかった。こんなに幸せだもの…”
娘の言葉に、長年の【苦労】を【幸せ】だったと答える母。

エスコートしてくれる?
バージン・ロードを実の父親にエスコートされることを夢みていたソフィは、その役目を20年間苦楽を共にした母ドナにお願いすることに決めました。
うれしさが込み上げ、何度もそれに頷くドナ。
母娘の心が、一つになった瞬間…。

Sometimes I wish that I could freeze the picture
写真みたいに、この瞬間を凍らせられたらいいのに…


自身の娘が学校に通う姿を見て作品を書いたビョルンは、「Slipping Through My Fingers」について次のように語っています。
親だったらみんなこの感覚に覚えがあるんじゃないかな?
たとえ子どもたちと起きている時間の全てを一緒に過ごしたとしても、まだ何か取り逃がしている気がすること
…”

Each time I think I'm close to knowing
ようやくそこに近づいたと思うたび
She keeps on growing
あの子はもっと先へと成長し
Slipping through my fingers all the time
いつだって、私の指からすり抜けていってしまう…

そんな“想い”もあったのだと、“あの頃”気づいてあげられた子どもはあまりいないでしょう。
でも成長を遂げた今なら、それを埋め合わせてあげられるかもしれません。 



「スリッピング・スルー・マイ・フィンガーズ」



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tags : 1981年 AC 親子愛 映画00's- 

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「ヴァロッテ」ジュリアン・レノン

2015.06.12

category : Julian Lennon

Julian Lennon - Valotte1 Julian Lennon - Valotte2


Julian Lennon - Valotte (1984年)



~問題です♪~

 「ヴァロッテ」は“6月第3日曜日(今年は6月21日)”に関連(私の勝手な解釈)しての選曲ですが、該当する記念日は次の3つのうちのどれでしょう?

夏至
父の日
松本伊代の誕生日

…ところで、今年はジュリアン・レノンにとって、とても悲しい出来事がありました。
お母さんのシンシア・パウエル(レノン)が、4月1日に亡くなってしまったからです(享年75)。
これで彼は現在52歳にして、記念日を祝うべき両親を失ってしまったことになります。
“天国のお父さん”は、一人になってしまった息子に何と言葉を掛けたのだろう…。

 …で、回答ナシかい!?
(みなさんは、もうお分かりですね?  ちなみに、上の3つは何れも6/21に該当しています)



~概要~

ジュリアン・レノンは“John Charles Julian Lennon”の本名が示すとおりジョン・レノンの第一子であり、ジュリアンの母シンシア・パウエルはジョンがビートルズのデビュー前リヴァプール・カレッジ・オブ・アート時代からの恋人でした。
ビートルズが「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)で初めて全英No.1を遂げた直後の1963年4月8日にジュリアンは誕生しますが、バンドの人気への影響を考慮し、当初母子の存在は公にはされませんでした。
ビートルズの代表曲「ヘイ・ジュード」は、両親の不和に胸を痛めていた幼いジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが書いた作品であり、他にも父親であるジョンによって彼にまつわる曲が複数生まれています。

その後ジョンとシンシアは1968年に離婚、ジュリアンは母とイギリスで暮らし、ビートルズ解散後ジョンはヨーコとアメリカへ旅立つことになります。
数奇な父子に再会が訪れるのはジョンとヨーコが別居した“失われた週末”の期間中のことで、この時11歳のジュリアンがアメリカに渡って1974年のアルバム『心の壁、愛の橋』に収録の「Ya Ya」でドラムを叩く“親子共演”を実現させるなど、離れ離れで暮らしているとはいえ、振り返ってみるとこの時父によって“運命”へと誘(いざな)われていたのかもしれません。
1980年にジョンが凶弾に倒れた後、ジュリアンは自身のバンドを結成しロンドンのクラブでギグを行うなど活動を本格化させ、デモ・テープによりレコード会社に実力が認められ、父より若い21歳でのデビューを飾りました。


「ヴァロッテ」は1984年の1stアルバム『Valotte』のタイトル曲で、アメリカでは1stシングルとしてBillboard Hot 100の9位(1985年の年間78位/イギリスでは2ndシングルとして週間55位)を記録し、これら一連の活躍が評価され1986年にグラミー新人賞にノミネートされています(受賞者はシャーデー)。
奇しくも同年1月にはジョンが死の直前までレコーディングし未完となっていた遺作『Milk And Honey』が発表されクローズアップされていた折、10月になって“父そっくりな風貌と歌声を持った息子”が登場したのですから、世間はアッと驚いたというワケです。
この人気は日本にも及び、「ヴァロッテ」が起用されたHONDAシティのCMにはジュリアン本人が出演し話題を呼びました。

【Valotte】とは歌詞やメッセージを示す言葉ではなく、ジュリアンらが作曲のため滞在したフランス中央部の静かな街ヌヴェール(Nevers)にある小さく美しい古城【Manor de Valotte】に由来しています。
一方、歌詞に度々登場する“川沿いの風景”はアルバムをレコーディングしたアメリカ・アラバマ州のスタジオ『Muscle Shoals』のそばを流れる“テネシー川”をイメージしているそうです。
作品は“哀愁漂うワケありのラブ・ソング”といった解釈が一般的ですが、端々にちりばめられた言葉を見るほどに、私には“アノ方へのメッセージ?”に思えてならない…(次項以下参照)。

 



~Lyrics~

Sitting on the doorstep of the house I can't afford
僕には買えない“その家”の玄関先に座っていると
I can feel you there
そこに、“あなた”を感じることができる

1969年3月20日にヨーコと結婚したジョンは同5月4日、新居としてロンドン近郊アスコットにある大豪邸“ティッテンハースト・パーク(Tittenhurst Park;『イマジン』が撮影された白い家)”を購入しました。
72エーカー(約8万8000坪・東京ドーム6個分!)の広さを誇るこの家に招かれたジュリアンはその時のことを、“父の家は宮殿みたいで湖もあってゴルフもできる、まるでおとぎの国だった”と語っています。

余人にはただの豪邸であっても、滅多にジョンに会うことのできない幼い息子にとっては、“懐かしい父のにおいを感じさせる家”だったのかもしれません…。


We've always got our troubles
いつだって揉め事ばかり
So we'll solve them at the bar
みんな法廷で解決してきたんだもの

ここに用いられている【bar】は飲食店のバーではなく、“法廷”のことだろうと思われます。
(barは、法廷内で傍聴席を仕切るための手摺)
ジョンとジュリアンが直接法廷で争ったわけではありませんが、離婚に際しての夫婦には“イロイロ”あるでしょ?
実際、シンシアと一刻も早く別れるためにジョンは“かなり無茶なコト”したし、特に“ジュリアンの親権”は大きな争点でした。
(ほとんど一方的にジョンに非があったので彼が負けたのは言うまでもありませんが、そうした一つひとつが幼いジュリアンの心を傷つけていたのは想像に難くありません。)


Wonderin' if we're really ever gonna get that far
いつか、二人はもっと良い関係を築けているのかな…
Do you know there's something wrong
あなたも、何かを間違えていたと気づいているでしょう?

私の知る限りジョンはジュリアンに対して良い父親ではなかったようだし、それはジョン自身も認めていました。
シンシアによると、家族全員でわいわい楽しくミッキー・マウスのパンケーキを作っていた時、ケラケラ笑うジュリアンの笑い方が気に入らないと突然ジョンが腹を立て延々と罵ったため、それ以来ジュリアンは滅多に声をあげて笑わなくなってしまったそうです。

そうした親子関係を裏付けるかのように今年2月、当時の家政婦による1968年の証言記録が発見され、子どものしつけに対する夫婦の意見の相違による口論や、ジョンが“結果的によくジュリアンをたたくこともあった”とも報じられています。
(※この証言記録は、ジョン側の離婚弁護士の依頼で書かれたもの)



~Epilogue~

ご存知の方も多いと思いますが、ジョンは幼少から両親とは別々に暮らし、ほとんど親の愛を知らぬまま成人しジュリアンを授かりました。
そのためか、ジョンは自分の子どものことなのに他人のポールに“どうしたらジュリアンが喜ぶか教えてくれ、やり方が分からないんだ”と問わねばならぬほど困惑していたようです。
彼の不幸な生い立ちを考慮すると同情したくもありますがそれはあくまで大人の事情であって、子どもにとっては“子どもをちゃんと愛してくれない親”に過ぎません。
少なくとも、“親と離れて暮らす子どもの淋しさ”を誰より分かってあげられるはずなのに、皮肉にも彼が息子に与えたものは“自分と同じ苦しみ”でした。


一方、2000年の『ジョンの20周忌』の際、ジュリアンはこんな声明文を伝えています(抜粋要約)。

僕は、実の父のことをあまり知りません。
John Lennonの子として生まれ共に数年間暮らしましたが、
その後亡くなるまでに顔を合わせたのは数えるほどで、本当に‘その人物’のことを知らないのです。
僕は、父がいる時もいない時も数々の愛憎関係を経てきたし、
10代・20代の頃の僕の人生は怒りに満ちていました。
なぜなら、何が起こっているのか、なぜこのような状況になっているのか理解できなかったからです。
父のだらしなさと愛と平和への態度にものすごく腹をたてていたし、
父の言う愛と平和は、僕の家庭には全くなかったのです…。



Thinking of a reason, well, it's really not very hard
理由なんて…そんな難しいことじゃないさ
to love you even though you nearly lost my heart
たとえあなたが僕を忘れようと、僕はあなたを愛さずにはいられないだけ

親子関係とは不思議なもので、“憎しみは愛情の裏返し”でもあったりします。
愛情が深いからこそ強い怒りも覚えるし、切っても切れない絆がそれを忘れさせてはくれず苦しめる…。
愛情があっても憎しみが邪魔をして表に出せなかったり、特に“男同士”は素直じゃないので、終生ギクシャクした関係が続くことも少なくありません。
でも、彼は“直接父に伝えられなかった感情”を、注ぐべき家族を見つけたようです…

“とにかく言いたいことは、彼が誰であろうと僕はそれを直視し、
同じ過ちを繰り返してはならないということです。
僕には弟がいて、ショーン(ヨーコの子)のことをとても愛しているし、
彼にも自分の運命にうまく対処していくことを望んでいます。
一つ確かなことは、何が起ころうと最後まで愛し守ってくれる兄が、ショーンにはいるということです。”


Julian Lennon




「ヴァロッテ」


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tags : 1984年 バラード/ピアノ 親子愛  CM曲 ジョン・レノン 

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「ジェニー・レベッカ」オリビア・ニュートン=ジョン

2014.05.07

category : Olivia Newton-John

Olivia Newton-John - Jenny Rebecca1 Olivia Newton-John - Jenny Rebecca2


Olivia Newton-John - Jenny Rebecca (1989年)


~もうすぐ“母の日”~

5月の第2日曜は、“母の日”(今年は11日)。
そこで本日は、オリビア・ママが歌う“ララバイ”をお届けいたします♪

ところで、世の男性の理想の女性像として古今東西高く支持されるのが“良妻賢母”ですよね!
以前北海道出身の大物フォーク歌手MCが理想の女性像として若尾文子・八千草薫らを挙げ、彼のような奔放な男でも理想の女性は古風な良妻賢母だったことにも象徴されます。
しかし、あまりの年上好みに“マザコン”を疑った司会者にツっ込まれるとMCは…
“バカやろう、オレのおっ母の子供の頃のアダ名を知ってるか?”

“番長だぞ、番長!” 

いろんなタイプのお母さんはありますが彼の場合、シッカリ“番長”の遺伝子を継いでいるみたいですね!?



~概要~

「ジェニー・レベッカ」は1989年の17thアルバム『美しい星と子供たちに〜ウォーム・アンド・テンダー(Warm and Tender)』の収録曲です。
アルバムのコンセプトの一つは、“lullaby(ララバイ/子守歌)”で、これは1986年に生まれたオリビアの愛娘クロエとの関わりが育んだものでした。
当初クロエには市販の子守歌を聴かせていたものの彼女はこれをイマイチお気に召さない様子だったことから、オリビアは彼女のためのアルバムを作る決心をしたのです。

そこでオリビアは、“どうせなら母と子が一緒に楽しめるような作品にしよう!”と思い立ちます。
そのため、赤ちゃんが目を覚まさないよう大合唱やオーケストラなどは用いず、やわらかなサウンドを心掛け制作されました。
しかし、“力強さを誇張する歌よりも’ささやくようなウィスパー・ヴォイス’こそがオリビアの無二の魅力”と考えていた私にとって、このアルバムは何よりのプレゼントでした♪
ただ、母親となってみて彼女自身もそんな風なやさしい歌い方が今の自分にとって一番心地よいと感じていたようです…。

「ジェニー・レベッカ」の楽曲自体はオリビアがオリジナルではなく、もっと古い歌。
最初に歌ったのがバーブラ・ストライサンドで、アメリカCBSチャンネル1965年のスペシャル番組『マイ・ネーム・イズ・バーブラ』で歌われ、彼女は“エミー賞”を授賞しました。
これらの楽曲は直後にアルバムとしてリリースされ大ヒット、グラミーでもバーブラは“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”に輝いています。



~Lyrics~

Jenny Rebecca, four days old
ジェニー・レベッカ…生まれて4日の小さな生命(いのち)
How do you like the world so far
この世界は気に入ってくれたかしら?

この歌の作者キャロル・ホールは自分の妊娠中にこの作品を書いたそうですが、当時の技術でお腹の子の性別を判別できたのでしょうか…
それとも、母親の勘?
私の母は、私がお腹の中にいた時に女の子だと思ってたそうですけど!?
でもお母さんって、お腹の中の我が子といつもこんな風に会話しているのでしょうね…。


Grass to be lying on
草原に寝そべって
Sun up above
お空のお日さまと、“おはよう”するの…

ココは、ちょっと“お化粧”しています。
“日が昇る”なので、“おはよう”させてあげましたっ!

この歌では木登りしたり馬に乗ったりと、自然豊かな環境にあるようですね。
親として子どもを育てるなら、この環境は憧れます…。


Dolls to be caring for
お人形をお世話し
Love to be giving
献(ささ)げる愛を覚えてゆくわ

ここのLoveは恋愛ではなく、“家族愛”のようなものをイメージしました。
子どもは“お人形さんごっこ”をしながら、大人の慣習を模倣し身につけていきますよね。
でも男の子の場合、大抵は“ヒーローごっこ”で、あまり実生活の勉強に役立っていないような?
この年代は女の子の方がマセているのは、そのせい…?



~Epilogue~

みなさんは幼少時、子守唄を歌ってもらいましたか?
残念ながら、私はほとんどその記憶がありません。
でも眠りに就こうとする時、“心地よい耳慣れた静かな音(物語や歌など)”が聴こえると何となく安心するというのは分かるような気がします。

オリビアは、言います…
“クロエが生まれて腕の中に抱いた時、それがこの世で一番大切なものであると実感したわ。
壁一面に飾られたゴールド・レコードの輝きも、全て色褪せてしまうほど…。”


この歌のメロディーに、言葉の一つひとつに、母親の我が子に対する深い愛情が感じられます。
赤ちゃんにとってその言葉の意味など知る由はないとしても、歌に込められたお母さんの願いはきっと伝わっていることでしょう。
子守唄は、お母さんと子どもにとって人生で最もやさしい時間の一つなのかもしれません。

でも叶うなら、オリビアに枕元で歌って欲しいナ…。
彼女の子どもじゃないし、いいオトナだけど!? 



「ジェニー・レベッカ」


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tags : 1989年 ララバイ 親子愛 ヒーリング 

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