I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「イッツ・オンリー・ラヴ 」ビートルズ

2022.08.20

category : Beatles & Solo

The Beatles - It's Only Love (1965年)

へそ曲がりのジョンが「It's Only Love」を掲げると、歌詞がやけに素直になってしまう件 ♪

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tags : 1965年 カントリー/ロック せつない愛 ヘルプ! 

comment(9) 

「恋のアドバイス」ビートルズ

2021.06.18

category : Beatles & Solo

The Beatles - You're Gonna Lose That Girl (1965年)

ジョン・レノンが“恋のキューピット”?でも彼のやり方は“スパルタ式”なのでそのお覚悟を!

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1965年 ロック 楽しい愛 コーラス ヘルプ! 

comment(4) 

「サウンド・オブ・サイレンス」サイモン&ガーファンクル

2017.11.10

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - The Sound of Silence1 Simon Garfunkel - The Sound of Silence2


Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1965年)



~“沈黙”に支配された声~

11月5日に76歳の誕生日を迎えたサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルが、現在来日中です(11/17まで)。
“天使の歌声”と評される声の持ち主であるアートですが、さすがに76歳ではどうだろう…
とYoutubeを探してみると、今年の映像がありました!

やっぱり天使の歌声♪   (…でも頭頂部は齢相応?)

「サウンド・オブ・サイレンス」は歴史に残る美しい曲である一方、謎の多い作品です…。



~概要~

「サウンド・オブ・サイレンス」は言うまでもなくサイモン&ガーファンクルの代名詞としてあまりに有名な作品であり、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 156位”にも数えられた歴史的名曲です。
ただし、ヒットに至るまで意外にも紆余曲折のある作品なので、それも併せてご紹介しましょう。

「The Sound of Silence」はポール・サイモンが21歳(1962年頃)の時に書いたものが元となった作品で、ポールは大学を卒業後6か月ほど出版社やレコード会社に本曲を含む自作曲の売り込みをかけましたが相手にされず、結局自分で歌うことを決意しました(一時「The Sound of Silence」などの権利を彼らに譲渡するつもりだったものの対立が発生し取り止めた)。
その後アート・ガーファンクルとのコンビを復活させた(1957年に【Tom & Jerry】を結成)ところをコロムビア・レコードのプロデューサー、トム・ウィルソンに見出されコーラスとアコースティック・ギターのみで構成された非常にシンプルな「The Sound of Silence」の最初の音源を含む1stアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』を1964年に発表しました。
しかし発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったためポールはヨーロッパへ放浪、アートも学業の道に戻るなどS&Gはデビュー早々から解散含みの状態に陥ってしまいます。

1965年、ポールのロンドンを拠点とする音楽活動が軌道に乗り始め、BBCのラジオ番組で曲が放送され好評を博したためイギリスでソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』を発表、ここでも「The Sound of Silence」は“ポールのソロ作品”として再レコーディング・収録されました。
しかし“瓢箪(ひょうたん)から駒”とはこの事で、同じ頃アメリカのFM局でも「The Sound Of Silence」の人気が高まる現象が起こっていたため『水曜の朝、午前3時』のプロデューサーのトム・ウィルソンは、自身が当時担当していたボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」のレコーディング・ミュージシャンを使って、1964年ver.の「The Sound Of Silence」を独断でエレクトリック・ギターとドラムスを加えるなどフォーク・ロック調にリミックスし直して同年9月にシングルとして発売、これが翌年1月にBillboard Hot 100で2週No.1(1966年の54位)という思わぬ大成果を挙げています。

この“棚から牡丹餅”的幸運(?)によって、解散の危機にあったサイモン&ガーファンクルの二人が急きょ招集され、1966年に本シングルを含む2ndアルバム『サウンド・オブ・サイレンス(Sounds of Silence)』を発表すると、これが世界中でベストセラーを記録し、一気に彼らの人気を確固たるものとしました。
翌1967年にはダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のテーマ曲となり、S&Gの作品群をメインとしたサウンドトラックも全米No.1に輝いています。


 
 



~Lyrics~

Hello darkness, my old friend
暗闇よ、こんにちは…僕の古い友だち
I've come to talk with you again
また君と話しに来た

イントロからの悲しくも寂しげなギターの旋律が印象的であり、出だしから“[darkness]を[my old friend]と呼ぶ主人公”について興味を覚えずにはいられないでしょう。
辞書によると【darkness】には“暗さ、暗やみ、心のやみ、無知、腹黒さ、邪悪、不明瞭、あいまい、秘密…”などネガティブなイメージの定義が並びます。
ただし、ポール自身にとって“darkness(暗闇)は集中力を高めるもの”だそうで、だからこそ[my old friend]なのでしょう。
彼は風呂場で蛇口から流れる水の音を聞くのが好きで、“「The Sound of Silence」は風呂場で電気を消して真っ暗の中で作曲した”そうです。
そんなリラックス・モードから生まれたせいか、歌の出だしは当初“【Aloha(ハワイ語の挨拶)】 darkness”だったと、アートが証言していますよ!

もちろん、本作の主人公にとって[darkness]がポールと同じ意味をもつとは限りませんが…。


And the people bowed and prayed
…そして人々は額(ぬか)ずき、祈った
To the neon god they made
自らが創り出したネオンの神に向かって

【the neon god】は現在も一般的な言葉ではないようで、恐らくポールによる造語と思われます。
これについて巷では[テレビ]や[文明]といった具体的な言及もあるようですが、定かではありません。
ただ、明らかであるのは“それはthey(people)が作ったもの”であり“人々から神の如く崇拝されている”、ということ。

そうした人々と[the neon god]との関係は、主人公にどう映っているのでしょう…。


People writing songs that voices never share
人々は、声を共にするでもない歌を書いている
And no one dared
そして、敢えて
Disturb the sound of silence
沈黙の世界を乱す者もない

「サウンド・オブ・サイレンス」について、ポールは“若者特有の感情を歌ったもの”と説明しているようですが【People】への言及も多く、これは単純に個人的な苦悩だけでなく“【社会】との苦悩”も含まれるのかもしれません。
S&Gと同時代のライバルには“プロテストソングの旗手”と評されるボブ・ディランがあり、ポール自身“ディランの存在なしにこの歌が書けたとは思わない”と認めているほど彼に強い影響を受けていました。
(※プロテストソングとは、政治的抗議のメッセージを含む歌)

このセンテンスが含まれる3番の歌詞には“形だけのコミュニケーションに終始する人々”が描かれており、“自分の意思を伝えようとも、相手の気持ちに耳を傾けようとも、そしてそんな社会の風潮に抗おうともせずただ沈黙しているだけの人々のさまを【the sound of silence】”と形容しているようにも思えます。

そんな社会に耐えきれなくなった主人公は、4番で遂にその疑問を人々へと投げ掛けますが…。



~Epilogue~

The Sound of Silence...

第2次安倍政権発足から間もなく5年、日本は『報道の自由度ランキング』で2012年(野田内閣)の22位から2017年に72位(先進7カ国中最下位)に低下したデータが物語るように、この国を覆う“沈黙の声”は拡大するばかりです。
メディアの中でも最も権力による統制の影響が感じられるのはやはりテレビで、地上波ではここ数年で政権に“もの言う”キャスターやコメンテイターが一掃され[真相究明から腰の引けた報道姿勢]が増え、安倍首相の価値観を反映した番組や出演者が増えた実感があります。

私はこれまで安倍氏の目指す【美しい日本】について[=戦前(特に明治~終戦)の制度や価値観]と認識し、そこへ向かおうとする彼の言動を注視してきました。
その指標の重要な一つとしたのが【メディア統制】で、それは戦前の大日本帝国が【メディアを支配者の利害のための広報】と成さしめることによって国民を容易に欺き、強固な支配体制を築くことを可能にしたからです。
しかし戦前にも[大正デモクラシー]があったように、全体主義に対するリベラル(自由)な精神が尊重された時代もありました。
それを一変させたのが1931年(昭和6年)の【満州事変】で、そこから[覆い隠さなければならない不都合な真実]が増え、嘘を国民に知られないためにメディア統制を強めてゆくことになるのです。


2011年に放送された『NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(第3回 "熱狂”はこうして作られた)』によると、満州事変以降戦争の拡大により【挙国一致報道】に与した新聞各社の発行部数は日米開戦までで約2倍に増え、こうなると挙国一致報道は国家による単なる押し付けではなく新聞社自身の利益の源であり、もはや権力側と一蓮托生の間柄となっていたように思われます(このため新聞各社は満州事変が関東軍による謀略であることを早くから知っていたにも拘らず、終戦までその事実を一切報じなかった)。
一方、挙国一致報道に抵抗していた朝日新聞などは【国益のため】と説き伏せられ、“木造家屋が密集する日本は空襲されたら終わりである。防空演習は役に立たない”と軍部を批判した信濃毎日新聞などは【不買運動圧力】によって屈服させられました。
そして私が特に印象深かったのが、信濃毎日新聞の件の翌年に行われた
【在京大手6社の新聞記者11人による会合での会話】

記者
“信濃毎日の桐生悠々も防空演習を論じて結局やめる羽目になりましたね”
記者
“経営的圧迫と言いますか自分の新聞が売れなくなるような事は、書かない方がいいと思います”
記者
資本主や自分の同僚に迷惑を及ぼしちゃあいすまんという気持ちが記者にあるんじゃないですか”
記者
“最近は政府の禁止事項が非常に多いんですよ、非常に細かい物まで何十と来てます。いっそ禁止してくれた方が良い、そうなれば苦心して書く必要が無くなります…”


この会話、あなたはどう感じられたでしょう…
私にはまるで、これが現代の記者たちが報道圧力を受けた後の座談会として週刊誌に掲載されていたとしても、何の違和感もありません。

現に、ニュース解説で知られるジャーナリストの池上彰氏は“安倍政権になってから自民党は主なニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる”と証言しており、これをしつこく繰り返されるとテレビ局も“面倒くさいから文句を言われない表現にしよう”となってしまうそうです。
特に安倍氏は自民党が野党に下野した時代に『自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)』という支援組織を立ち上げており(2017年時点の会員数は約1万9000人)、これがネット上で世論誘導を行い、政権批判した番組及びそのスポンサー企業に対し[一斉に抗議・不買圧力の電話]を実行して自民党をサポートしているといわれます。


本来であれば憲法上、政府の独走を【国権の最高機関である国会】(憲法 第41条)と【違憲審査権を有する最高裁】(憲法 第81条)がこれを正すはずですが【国会の2/3は与党】、【政府に違憲を下す判事を内閣が選任するはずがない】という絶望的な現実により、機能停止に陥っています
【第4の権力・メディア】もNHKは政府が人事を支配し、民間はあらゆる懐柔と圧力によって報道を抑圧されています。
偽りの政治がやがて破たんすることは宿命ですが、それが長期に亘ると私たち国民の被害が大きくなることもこの国の歴史が証明するところです。


"Fools", said I, "You do not know
僕は言葉にして言った “愚かな…誰もわかってない
Silence like a cancer grows
沈黙は、癌を育むようなもの

多数の沈黙は、小数の声に支配されます。

この国が健全な機能を取り戻すために私たちができること…
それは、“多数が声を示すこと”です。



「サウンド・オブ・サイレンス」


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tags : 1965年 偉大な曲 フォーク・ロック メッセージ 映画-60's プロテスト  

comment(8) 

「サティスファクション」ローリング・ストーンズ

2017.07.07

category : Rolling Stones

Rolling Stones - (I Cant Get No) Satisfaction1 Rolling Stones - (I Cant Get No) Satisfaction2


The Rolling Stones - (I Can't Get No) Satisfaction (1965年)



~ローリング・ストーンズ記念日~

7月12日は、“ローリング・ストーンズ記念日”。
1962年7月12日、当時【The Rollin' Stones】を名乗っていた彼らがロンドンにあるナイトクラブ『マーキー・クラブ(Marquee Club)』で初めてのギグを行いました。

「カム・オン」でレコード・デビュー(1963年6月)を果たす約1年前のことで、その顔触れはミック・ジャガー(vo)、キース・リチャーズ(g)、ブライアン・ジョーンズ(g)、エルモ・ルイス(g)、イアン・スチュワート(key)、ディック・テイラー(b)、ミック・エイヴォリー(dr)と、まだ未確定でした。

でもその彼らが55年経った2017年現在も“転がり続けている”とは、誰ひとり予想しなかったでしょうね?
…現在、平均年齢73歳! )



~概要~

「サティスファクション」は1965年6月6日にアメリカでリリースされたローリング・ストーンズのシングルで、彼らにとって記念すべき初の全米No.1曲であり、Billboard Hot 100で4週連続No.1(年間3位/イギリスでは2週1位)を記録しました。
アルバムは同年7月発表のアメリカ盤『アウト・オブ・アワ・ヘッズ(Out Of Our Heads)』に収録されましたが、シングル曲をアルバムに含めない慣習のイギリス盤には収録されていません。

ストーンズはデビュー1年後の1964年にはイギリス国内で1位獲得が当たり前の存在にまでなっていましたが、さすがにアメリカは敷居が高く、本国ほどの成績を挙げることができていませんでした。
当時の彼らの最大の弱点はオリジナル曲や“自作曲に乏しい”ことで、多くをカバー曲に頼らざるを得なかった点にあったといえます。
そのためこの頃の作品は独自な個性が十分反映できておらず、消化不良感が否めませんでした(ビートルズも「Love Me Do」はそんな感じがある)。
しかし1965年5月に“ジャガー/リチャーズ”によって創作された「サティスファクション」は半世紀以上経った現在でも“これぞストーンズ!”といえる独自性に到達しており、ミック自身も“この曲が俺達を一介のロック・バンドから巨大な怪物バンドに変えた”と語っています。

その大きなインパクトとして第一に挙げられるのは何といってもキース・リチャーズによるギター・リフで、1965年5月にアメリカ・ツアーで訪れたフロリダ州クリアウォーターのホテルの一室で生み出されたものです。
独特なギター音の歪みはギブソン製マエストロのファズ・ボックス型エフェクターを使用したもので、この【FZ-1 Fuzz Tone】は1962年に発売されたものの当初あまり売れず、「サティスファクション」のヒットにより4万台以上を売り上げる大ヒットとなりました。
楽曲については、キースがギター・パートと【I can't get no satisfaction】のフレーズを、それ以外の歌詞とヴォーカル・パートをミックが創作したといわれています。


「サティスファクション」はローリング・ストーンズの代表曲であるだけでなく後世多くのミュージシャンに影響を与え、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 2位”にも選出されています。
アレサ・フランクリンブリトニー・スピアーズなど大物がカバーしていますが特に著名なのはアメリカのソウル歌手オーティス・レディングで、1965年のアルバム『Otis Blue』でカバー、ストーンズも同年ライブでオーティスの「I've Been Loving You Too Long」をカバーし、ライブ・アルバム『Got Live If You Want It!(US盤)』に収録しました。

オーティスver.は特にキースのお気に入りで、彼はストーンズver.もオーティスのようなアレンジにしたかったといわれます。
そのせいかキースがボブ・ディラン(過去ログ)に“俺は「サティスファクション」を書けただろうが、お前には俺の「廃墟の街(Desolation Row)」は書けないだろう”と貶され、キースは“オーティス・レディングは俺の「サティスファクション」はカバーしたが、お前の「廃墟の街」はしてないぜ”と反論したというエピソードがあるそうです。


P.S.
本項右上の2016年のライブ映像では6'40"あたりでミックがキースにヒップ・アタック⇒それにキースが反撃し“バトル勃発”!
…という演出がお楽しみになれますよ♪ 

 
 



~Lyrics~

I can't get no satisfaction
満足できるものなど、何もない

歌詞は基本的にミックが書きましたが、このフレーズだけはキースのアイデア…
ですが、チャック・ベリー1955年の「Thirty Days」に【If I don't get no satisfaction from the judge】のフレーズがあり、そこからの引用ではないかとミックは指摘しています。
(デビュー当初ストーンズはチャック・ベリーのカバーを多用していた)

こういう正規ではない言語表現はアメリカの黒人文化では広く浸透しているものであり、R&Bに傾倒しチャック・ベリーの大ファンであるキースにとって、この言葉遣いこそが“blues”だったのかもしれません。


And he's tellin' me more and more
次から次と並べ立てる
About some useless information
ものの役にも立たぬ情報

一方、【I can't get no satisfaction】というキーワードを託されたミックにとって満足できなかったものとは、“アメリカのラジオやテレビ”だったようです。
よもやストーンズの曲を流す番組まで【useless(役に立たない)】とは言わないでしょうが、確かにメディアで流される情報の大半は娯楽内容であるかもしれません。

まぁ…どんなありがたい念仏も、お馬さんには役に立たない音でしかないこともあるでしょうが? 


How white my shirts can be
“シャツがこんなに真っ白に!”って
But he can't be a man 'cause he doesn't smoke
…でも奴は、喫煙者でもなければ

…こんなCM、50年以上経った今現在でもやってますよね? 
私は喫煙者でないので意識したことがありませんが、やはり煙草は匂いだけでなく衣服に“ヤニ汚れ(黄ばみ)”が染みついてしまうようです。

…でもご安心を!
“ハ○ターなら、シャツがこんなに真っ白になります!”
(すっかりCMみたいですが、リンク先は広告ではなく『ヤニ汚れの落とし方』のコツが書かれています)

…ちなみにミックは大げさなCMを嫌ってこの歌のネタにしたという説もありますが、嫌うどころかそれを積極的に取り入れ、後に“ミックは商売上手”としても知られています♪



~Epilogue~

最後にもう一つ、「サティスファクション」についてのエピソードをご紹介いたしましょう。

キースがあのギター・リフを生み出した1965年5月6日の夜、ギターの演奏をテープに録音しながら創作を始めたもののいつの間にか眠ってしまい、翌日音声を聴いてみるとそこには“約2分間のリフと、40分のいびき”が記録されていたそうです!
しかし夢うつつで創ったそのリフがあまりにマーサ&ザ・ヴァンデラスの「Dancing in the Street」(1985年にミックもカバー)と似ていたため、そのことをキース自身かなり心配していたといわれます。

他のメンバーやスタッフみんながこの曲のシングル化に賛成だったにもかかわらず最後までキース一人が反対し、リフについてもギターではなくホーン・セクションで多重録音することを主張していました。
転機はギブソン社からファズ・ボックス型エフェクターのサンプルが送られてきたことで(※別項参照)、それによってギター・リフに“あの独特の歪み感”が生まれましたが、それでもキースはホーン・セクションに拘り続けました。
しかしマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムはこのファズ・エフェクターの音源をベストと判断、キースの許可を得ず強引に6/6にシングルとしてリリースしてしまったのです(結果としてこれは英断?)!

当然自分の意向を無視されたキースは怒り、悔しがりましたが曲が大ヒットしオーティスやアレサがカバー(※別項参照)するなど高い評価を得たこともあって気持ちも変わってゆきました。
しかし、本曲にはチャック・ベリーの歌詞引用(※別項参照)など複数の著作権がらみの“爆弾”を抱えていたことを考えると、彼が「サティスファクション」のシングル化に反対だった気持ちもわからないでもありません。
ただし…

どの道、作者であるミック&キースらに「サティスファクション」の著作権料は入ってきません!

彼らからその権利を奪ったのは「Dancing in the Street」の作者でもチャック・ベリーでもなく、この年ストーンズが節税対策に雇った会計士アラン・クレイン(Allen Klein)。
(細かい話は省きますが)ストーンズは騙されて“「サティスファクション」を含む1969年までの全ての楽曲の権利をクレインに搾取されてしまった”のです。
(ちなみに、ビートルズの版権を他者に売り渡したのもクレイン!)


I can't get no satisfaction
何もかも、満足できないものばかり
'Cause I try and I try and I try and I try
何度も、何度もやってみたけれど
I can't get no, I can't get no
得られるものなど、何一つない

“そんな恨み節”にも聴こえてきませんか…? 



「サティスファクション」


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tags : 1965年 Rock/ブルース 不満 偉大な曲 

comment(6) 

「カリフォルニア・ガールズ」ザ・ビーチ・ボーイズ

2016.03.18

category : Beach Boys

Beach Boys - California Girls1 Beach Boys - California Girls2


The Beach Boys - California Girls (1965年)



~一粒で二度おいしい…??~

3月23~26日に『50 Years of Good Vibrations』ツアーで来日公演を行うアメリカのロック・バンド、ザ・ビーチ・ボーイズ(マイク・ラヴ&ブルース・ジョンストン)。
一方4月12~15日には、ブライアン・ウィルソン&アル・ジャーディン(+ブロンディ・チャップリン)というお馴染みのビーチ・ボーイズ・メンバーが『ペット・サウンズ50周年アニバーサリー・ジャパン・ツアー』で来日予定です。
そして、その何れでも「California Girls」や「素敵じゃないか」(過去ログ)がセットリストに入っています。

これは“一粒で二度おいしい”と考えるべきか、それとも…?



~概要~

「カリフォルニア・ガールズ」はビーチ・ボーイズ1965年のアルバム『サマー・デイズ[Summer Days (and Summer Nights!!)]』の収録曲で、シングルとしてもBillboard Hot 100で3位(年間49位)を記録し、全世界で400~500万枚といわれる彼ら最大のセールスを挙げたヒット曲です。
時代を越えて愛され続けた作品で、『ロックの殿堂』は“500 Songs That Shaped Rock and Roll”に、『ローリングストーン誌』は“500 Greatest Songs of All Timeの71位”(2004年)と“Best Summer Songs of All Timeの4位”に、2010年には『グラミー殿堂賞(Grammy Hall Of Fame Award)』に選出されています。

作曲はブライアン・ウィルソンで、彼が初めて使用した麻薬による幻覚の経験が及ぼしたといわれています。
ブライアン自身“ビーチ・ボーイズの代表曲”と胸を張るほどの自信作であり、バッハの「Jesu, Joy of Man's Desiring(主よ、人の望みの喜びよ)」のリズムからインスピレーションを得ているそうで、特徴的な“シャッフル・ビート”(タンタ、タンタ…というリズム)もバッハから閃きを得たようです。

1960年代の“カリフォルニア・サウンドの象徴”とされるサウンドであり、ロネッツの「Be My Baby」(過去ログ)など“ウォール・オブ・サウンド”の生みの親であるフィル・スペクターを敬愛するブライアンのサウンドへの追及心は高まるばかりで、膨大な労力が費やされました。
カール・ウィルソンによる12弦ギターやブラス・セクション、オルガンなどで構成される美しいイントロはブライアンが満足するまで44テイクを要し、更にヴォーカル・トラックには2か月費やし何度もオーバー・ダブを積み重ねたそうです。

 



~ビーチ・ボーイズ以外の「California Girls」~

「California Girls」といえば、オリジナルのビーチ・ボーイズに劣らず有名なのが1984年12月にリリースされたデイヴィッド・リー・ロスver.でしょう♪
デイヴは言わずと知れたHR/HMバンド“Van Halen”(過去ログ)のヴォーカリストで、ソロ名義のEP『Crazy from the Heat』からのシングルとして発表し、Hot 100で3位を記録しました(直後にVHを脱退)。

このデイヴver.のバック・コーラスにはビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと、クリストファー・クロス(過去ログ)が参加したことでも話題を呼びましたが、それ以上に語られることが多いのが『MTV Video Music Awards』にもノミネートされたPVです。
何といってもデイヴ自身この歌を地でゆくようなキャラでハマっているし、“RothLosの観光案内をする”というダジャレをはじめ個性的な観光客やたくさんの水着ギャル、VH時代から定評のあるサービス精神旺盛(過剰?)な彼のパフォーマンスは本作の楽しさを増幅させてくれています♪

 

また、「California Gurls」といえば2010年にBillboardの年間4位(6週No.1)に輝き、近年若い世代の間でビーチ・ボーイズより有名になった作品があります。
それを成し遂げたのは自身が“リアル・カリフォルニア・ガール”であり、2015年11月現在“Twitter フォロワー数世界一”(約7,717万)という人気女性歌手ケイティ・ペリー

この曲はビーチ・ボーイズとは別の作品ですが、歌詞の最後の一節にビーチ・ボーイズでサビとして有名な[I wish they all could be California girls]が使われており実はこれが無断使用だったことが判明したものの、作詞者であるビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは“光栄に思っている。彼女の曲は素晴らしいと思うよ。世界中で成功することを願っている”と、逆にエールを送ったそうです。



~Lyrics~

Well East coast girls are hip
東海岸の女の子って、カッコいいな
I really dig those styles they wear
ホント、洋服のスタイルには感心する

【East coast】はまさにアメリカ東海岸で、世界が憧れる街“ニューヨーク”があります。
【hip】は“進んでいる・格好の良い・利口な”といった意味があり、まさに“都会の女”のイメージにぴったりです。
男たるもの、才色兼備の女性にググっとくるのは当然として、同性にとっても憧れの存在であることでしょう。

“ファッションの都”NYでは、最近こんなファッションが流行っている!? 
でも最先端のオシャレって、みなさん意外と気づいてくれないもののようです…。




And the Southern girls with the way they talk
それと、南部の娘の話し方ときたら…
They knock me out when I'm down there
ボクはもう、ノック・アウトされちゃうよ

アトランタ・オリンピックを開催したジョージア州やメキシコと国境を接する“テキサス州”などがこれに該当する地域です。
南部アメリカ英語には“southern drawl”と形容される、母音を引き伸ばして発音する独特の訛りがあり(例えばMy name is...を“マ― ネ―ム イ―ズ...”)、ゆったりとやわらかい響きがあります。

方言というと、昔は“地方出身者のコンプレックス”として上京するとそれを封印する人が大半でしたが、近年は“方言(女子)はかわいい”と持て囃されることもあるようで、特に人気なのが“京都弁”と“博多弁”です。
でも、何となく日本もアメリカも好まれる話し方には共通点がありそう…? 


The West coast has the sunshine
西海岸は太陽燦々
And the girls all get so tanned
女の子たちは、こんがり小麦色

やっぱり、“カリフォルニア・ガール”といえばこのイメージ? 
陽気で、おおらかでフレンドリー…
きっと当地の人々は、日本人が抱く“良い意味でのアメリカ人像”に多大に貢献していますネっ♪

やっぱり明るい太陽と温暖な気候が、そこに暮らす人々の気質に影響を及ぼすのでしょうか…。
もちろんカリフォルニアはビーチ・ボーイズのメンバーの故郷であり、彼らの音楽や精神風土もこの地の文化に根差しています。



~Epilogue~

愛らしいカリフォルニア・ガールのナンシー、あなたは私たち全員にとってインスピレーションでした…。

ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは3月7日、今回のツアーのステージでカリフォルニアに所縁ある偉大な一人の女性を悼みました。
彼女はカリフォルニア州のファースト・レディを務め、後にアメリカ合衆国のファースト・レディに登り詰めたロナルド・レーガン大統領夫人だったナンシー・レーガン(享年94/※彼女の出身はニューヨーク)。
レーガン夫妻は予て(かね)よりビーチ・ボーイズのファンであり、彼らは1985年の大統領就任式後の舞踏会で夫妻のために歌った「Their Hearts Were Full of Spring」を、見事なコーラスと共にアカペラで彼女に捧げました。


I wish they all could be California
あぁ…どの娘もみんな
I wish they all could be California girls
カリフォルニア・ガールだったらいいのに


でも愛らしいのは、何もカリフォルニア・ガールだけじゃありませんよね?
日本にだって、“秋田美人”・“京美人”・“博多美人”(いわゆる日本三大美人)があります!
秋田美人は色白で手足が長くハーフのような顔立ち(佐々木希など)、京美人は品があっておっとりとした話し方(中村玉緒など)、博多美人はオシャレで明るく人懐っこい性格(浜崎あゆみなど)…という特徴があるそうです。
何れにも共通しているのは健康的な美しさと、人を癒し元気にさせる内面的魅力を兼ね備えているトコロでしょう…。
やっぱり日本人には、“大和撫子”が一番ですネっ!” 

“セクシー自慢のカリフォルニア・ガールが、キミを待っているよ~♪” 
(カリフォルニア出身の有名人;ベリンダ・カーライル、グウェン・ステファニー、アンジェリーナ・ジョリー、ミシェル・ファイファー、キャメロン・ディアス、マリリン・モンロー…)

うぅ~む… (コラっ、そこで悩むなっ!



「カリフォルニア・ガールズ」


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Beat Wolf

Author:Beat Wolf
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