「黒くぬれ!」はローリング・ストーンズがイギリスで1966年5月13日にリリースしたシングルで、通算6曲目の全英No.1を達成した作品です。 アメリカは同年5月6日の発売で、Billboard Hot 100で通算3曲目のNo.1(2週/年間34位)を記録、翌6月発売のアルバム『アフターマス(Aftermath)』に収録されました(UK盤には未収録)。 ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 174位”に数えられる名曲であり、同誌の読者による“The Rolling Stones 10 Greatest Songs 3位”にも選ばれた、半世紀以上の歴史を誇るストーンズの代表曲の一つです。
1966年2月、ストーンズのオーストラリア・ツアー中のミック・ジャガー&キース・リチャーズの創作が元となった作品で、ミックはトルコ人歌手 Erkin Koray 1962年の作品「Bir Eylül Akşamı」との関連を1995年のインタビューで言及しています。 シングルとしてリリースされた当初のタイトルは「Paint It, Black」でしたがこれはオリジナルの表記ではなく、コンマ(,)が入ったのは事務側のミスであり、そのままだと“黒人にペンキを塗れと命令”しているような差別的誤解を招くため、その後コンマの入らない「Paint It Black」に改められました。
1966年3月、この曲がスタジオに持ち込まれた時まだ“ラフ・スケッチ”の状態で、演奏パートはメンバーによるセッションの中で構築されました。 当初アニマルズが1964年にヒットさせた「朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)」のようなアレンジが模索されましたが満足するものができず、その後ビル・ワイマンがストーンズの最初のマネージャー(元オルガン奏者だった)エリック・イーストンのモノマネでオルガンを弾いてベースのリフを発見、チャーリー・ワッツも【double-time(倍テン)】のドラム・パターンでテンポ・アップさせるなど、それぞれの創意が加えられゆきます。
そして本曲に決定的なサウンドを与えたのはギタリストのブライアン・ジョーンズによるインドの弦楽器【シタール】の導入で、キース・リチャーズは“シタールを使ったことで全く違った感じの曲になった”と証言しています。 こうした経緯から、「Paint It Black」の作者が【Jagger/Richards】とされていることについて、ビル・ワイマンは自伝で“あの曲は【Nanker Phelge】とクレジットされるべきだ”と言及しました。
その独特な作風のせいか、1997年のオカルト・スリラー映画『ディアボロス/悪魔の扉(The Devil's Advocate)』(キアヌ・リーヴス、アル・パチーノ、シャーリーズ・セロンらが出演)ほか、意味深で陰のある映画やドラマに多く起用されています。 また、「Paint It Black」自体は戦争を特定した作品ではありませんが、1988年の『フルメタル・ジャケット』など“ベトナム戦争”を題材とする映画やドキュメンタリーにも起用がみられます。 その同年には忌野清志郎率いるRCサクセションがアルバム『COVERS』で「黒くぬれ!」を日本語カバーしており、これがなかなかカッコイイです♪
~Lyrics~
「Paint It Black」の歌詞は“意味深”だらけで難解なので、オリジナルの並びではなくこちらが設定したテーマ毎にまとめてみました。
I see a red door and I want it painted black 赤い扉なんて、黒く塗ってしまったらいい No more will my green sea go turn a deeper blue これ以上、俺の緑の海が深い青に変わることはない
ここは、“彼の異常性”について…
【赤】というと火や太陽、情熱、あるいは時代背景から共産主義をイメージさせますが、【見たくない赤】であるなら“血”も当てはまります。 この詞で最も難解な一つは【my green sea】で、[sea]とは何か、[green]が[a deeper blue]に変わることは何を意味するのか、残念ながらそれを断定できる根拠は見当たりません。
With flowers and my love both never to come back 花々も、“my love”も、もう二度と戻ることはない I could not foresee this thing happening to you 俺は、お前の身に起きることを予見できなかった
「Taxman」のマスターはテイク12ですが【Aahh Mr. Wilson / Aahh Mr. Heath】の歌詞(コーラス部分)は、直前のテイク11で【Anybody got a bit of money?(誰か少しカネ持ってない?)】だったのが改められたものであり、これにエンディングのギター・ソロが追加され完成に至っていることを考えると、このちょっとした歌詞の変更が重要な意味を持っていると思われます。 また、本曲はビートルズのコンサートで演奏されることはなかったものの、1991年にジョージが日本だけでエリック・クラプトンとのジョイント・コンサートツアーを行った際に披露されており、ここではこの部分のコーラスに【Mr.Bush(当時のアメリカ大統領)】の名を紛れ込ませて歌っていました。
~Lyrics~
Let me tell you how it will be これからの仕組みについて、ご説明いたしましょう There's one for you, nineteen for me あなたが1なら、私は19
「エリナー・リグビー」は1966年8月5日にイギリスでリリースされたビートルズの13枚目のオリジナル・シングル(「Yellow Submarine」と両A面)で、同日発売の7thアルバム『リボルバー(Revolver)』に収録されました。 シングルとしてイギリスではNMEで4週/MMで3週No.1に輝き、アメリカではB面扱いとなったもののBillboard Hot 100で11位を記録、2004年にはローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 137位】にもランクされています。
作者はポールでお得意の“物語風”を展開させていますが、歌詞のアイデアが煮詰まって自己完結できず他のメンバーらにアイデアを出してもらって完成させたようです(詳細別項)。 リード・ヴォーカルはポールで、本曲の歌唱により1966年のグラミーで【Best Contemporary Pop Vocal Performance, Male】を受賞しました。 一方、コーラスにジョン・レノンとジョージ・ハリスンが参加した以外、演奏についてビートルズは一切関与しておらず、このためリンゴ・スターは全く出番がありませんでした。
ビートルズ時代を含め「Eleanor Rigby」は長年封印されていた作品でしたが1984年、ポールは自作映画『ヤァ!ブロード・ストリート(GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET)』で本曲を初めて再演、その際「エリナーの夢(Eleanor's Dream)」というインストゥルメンタル曲を新たに創作しメドレーとしています。 また、ライブとして最初に披露されたのは1989年9月からのワールド・ツアーで、ビートルズ時代には不可能とされたストリングスの音をキーボードで再現し、ファンを歓喜させてくれました。
カバーはジョーン・バエズ、ヴァニラ・ファッジ、アレサ・フランクリンなどが有名ですが、私は何といってもレイ・チャールズ! 彼は1968年に「Eleanor Rigby」をカバーしBillboard Hot 100で35位とヒットさせ、1990年にポールが“グラミー特別功労賞生涯業績賞”を受賞したステージで本曲をトリビュート演奏したことで、とりわけインパクトを残しました。
~Lyrics~
Ah look at all the lonely people すべての孤独な人々について考える…