I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


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Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ドック・オブ・ベイ」オーティス・レディング

2023.02.25

category : Otis Redding

Otis Redding - (Sittin' On) The Dock Of The Bay (1968年)

朝な夕な波止場に座り海を眺めている男…そして彼は、この先もずっと船を眺め続けるだろう

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tags : 1968年 ソウル 孤独 人生 故郷 差別 偉大な歌手 偉大な曲  東日本大震災 

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「バースデイ」ビートルズ

2022.06.03

category : Beatles & Solo

The Beatles - Birthday (1968年)

“1/365の出逢い”は偶然、それとも運命?でも誕生日にそれが起きればこのテンションも納得 ♪

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tags : 1968年 ロック エキサイト 誕生 ホワイト・アルバム 

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「ロッキー・ラックーン」ビートルズ

2021.09.27

category : Beatles & Solo

The Beatles - Rocky Raccoon (1968年)

完成された美しさではないけれど、彼の中に無数のダイヤの原石が埋蔵していると抱かせる作品

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tags : 1968年 フォーク ラグタイム 物語 ホワイト・アルバム 

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「スカボロー・フェア/詠唱」サイモン&ガーファンクル

2018.05.18

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle1 Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle2


Simon & Garfunkel - Scarborough Fair/Canticle (1968年)



~概要~

「Scarborough Fair/Canticle」はサイモン&ガーファンクル(以下S&G)1966年の3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』に収録された作品です。
当初シングル・カットはありませんでしたが、1967年12月に「サウンド・オブ・サイレンス」と共にダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のサウンドトラックに起用、翌1968年にシングル・カットがなされBillboard Hot 100で11位(年間89位)を記録しました。


タイトルにあるように「Scarborough Fair」「Canticle」という異なる2つの歌が対位法的(複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いに調和させて重ね合わせる技法)に構築された楽曲です。
「Scarborough Fair」のクレジットに【Traditional】とあるように、その着想は元々イングランド・ケルト地方に17世紀頃から伝わるバラッド『The Elfin Knight(エルフィンナイト/妖精の騎士)』に由来するといわれます。
『エルフィンナイト』では超自然現象や意味の通らない内容が描かれており、本作でも“継ぎ目も針仕事もなしにシャツを作れ”や“革の鎌で刈り入れろ”ほか【ナンセンス】なものが散見できます。

伝承歌という性質上、歌詞やその構成、メロディに多くの派生が存在し、S&Gの「スカボローフェア」に見られる歌詞は18世紀末にほぼ成立していたようです。
また、19世紀末頃の楽譜によると当時の「Scarborough Fair」のメロディは“陽気でユーモラス”なものだったそうで、S&G ver.の叙情的な旋律はイングランドのフォーク歌手イワン・マッコール(Ewan MacColl)らによる1960年のバージョンの系譜によるとされます。

イワン・マッコールver.の影響を受けたのがイングランドのフォーク歌手マーティン・カーシー(Martin Carthy)で、アメリカ人であるポール・サイモンがこのイングランドの古い民謡と出合ったのは、デビュー・アルバムが泣かず飛ばずでイギリスへ“逃避行”していた1964年にマーティンが歌うのを聴いたことでした。
その後S&Gがマーティンver.のアレンジの影響を受けた「Scarborough Fair/Canticle」をヒットさせることになりますが、S&Gのみクレジットされたことに長年マーティンは快く思っていなかったようです(2000年に和解)。
一方ポールより先(1962年)にイギリスに渡っていた“フォークの貴公子”ボブ・ディランもイギリスの伝統的バラッドとマーティン・カーシーに多いに感化されており、ボブの1963年の作品「北国の少女(Girl from the North Country)」の音楽的要素と歌詞の一部はマーティンver.「Scarborough Fair」から引用しています。


一方「Canticle」はS&Gによるオリジナルで、1965年にポールがイギリスで発表したソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Songbook)』に収録された「The Side of a Hill」の歌詞の一部を引用・改変したものです(別項参照)。
邦題は「詠唱」となっていますが、これはオペラなどの“独唱曲(Aria)”や“単純な音程の繰り返しで祈り捧げる歌(chant)”といった意味の言葉で、【canticle】は“頌歌/しょうか(ode)”です。
頌歌は壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式で、抒情詩(じょじょうし)は“詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩”であることから、「Canticle」にはS&Gのそういうメッセージが込められた作品と思われます。
「Scarborough Fair/Canticle」の複雑なコーラスはライブでの再現が困難であるためか殆んど「Scarborough Fair」単体で演奏されているようですが、1968年の『アンディ・ウィリアムス・ショー』ではアンディを加えた3人で「Canticle」を含めた再現を確認できました。


 
 



~Lyrics~

Are you going to Scarborough Fair?
スカボローの定期市をお訪ねですか?
Parsley, sage, rosemary and thyme
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle3

【Scarborough】は、イングランド北部ノース・ヨークシャーの北海海岸沿いにある人口5万人ほどの町で、イングランド東海岸の主要な観光地の一つです《写真》。
「Canticle」に描かれるような緑の丘がとても美しく、北海に突き出した岬の断崖の頂にはスカーバラ城跡があります。
一説によるとこの町の名前は、10世紀ごろ当地に入ったヴァイキングの[Thorgils Skarthi]によって開かれた【borough(自治都市)】からだとか…。

近世まで、感染症など病気の原因はミアスマ(μίασμα/瘴気・悪い空気)であると考えられていたため、強い香りを放つハーブ類は予防効果があると信じられ重宝されてきました。
1630年、南フランスのトゥールーズでペストが大流行した際、病死した人々から盗みを働いて荒稼ぎした泥棒たちがいて、彼らは自分たちが“ペストに感染しなかったのはセージ、タイム、ローズマリー、ラベンダーなどを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだ”と証言したとされ、この酢は【4人の泥棒の酢(Four thieves vinegar)】として有名です。


On the side of a hill in the deep forest green
あの丘の斜面、深い森の緑
War bellows blazing in scarlet battalions
唸りを上げる戦争、燃え立つ深紅の大軍

「Canticle」の歌詞で、敢えてここは非連続のセンテンスを並べました、
「Canticle」はポール・サイモンが創った反戦歌「The Side of a Hill」を改変したものですが、「Scarborough Fair」には“そうした要素”はなく、何故ポールがこの二作品を一つに重ねたかは不明です。

ただ、その背景にはベトナム戦争への反戦感情があったであろうことは想像に難くはありません。
戦争とは、政府が国民の命の喪失を省みず強力な破壊兵器を用いて大量の人間を殺すという、極めて異常で非日常的な状態のことです。
当然そこには、ごく普通の平和な日常から戦争へと転換される瞬間があるわけですが、歴史を紐解くとその多くは何の脈絡もなくある日突然発生するのではなく、“戦争とは一見平和な日常が営まれる傍らで幾つか小さな予兆を重ね一歩ずつそこへ近づいてゆくもの”である気がします。
戦争は発生してから騒いでも遅いのであり、だからこそポールは“何気ない平和の中にその兆しを見逃すな”と、敢えてこうした表現を選択したのかもしれません。

 
The Side of a Hill / Simon & Garfunkel - Scarborough Fair (from The Concert in Central Park)



~“犠牲の精神”の分からない人間は、社会をよくすることができないのか?~

最近、国民に衝撃を与えている学生アメリカンフットボールの定期戦で発生した「悪質タックル問題」。
このニュースに接したとき、私は直ぐさまこの春から正式教科となった小学校の道徳の教科書に取り上げられている『星野君の二塁打』という題材への懸念と重なりました。

内容を簡単に説明すると…
“少年野球の試合で監督の送りバントの指示に従わず自己判断で打ちに行ったところタイムリー二塁打となってチームを勝利に導いた星野君が、試合後チームの輪(※原文ママ)を乱したとして監督から次の試合の出場禁止を告げられた…”
という話で、そこから【規則を尊重する態度を身につけさせる】ねらいの題材となっています。

この題材が生徒の個人評価を伴う正式教科となった道徳の教材として不適切なのは、「チーム勝利へ決定的貢献をした星野君」と「監督の指示に従わなかった星野君」という意見の割れる難しい論点を提示しているにも拘らず、政府(教科書)は最初から後者を断罪する監督を【正当】としているため、教師もその結論に沿って授業を展開し生徒を評価しなければならないことです。
組織の上位者の指示に従うことは誰も基本的に異論は無いと思いますが、もしも今回のアメフットのように上位者に「相手つぶせば出してやる」「できませんでしたじゃ すまされないぞ」と理不尽を命じられたら、これに従うことが道徳的に正しいといえるのでしょうか?

組織の上位者といえど人間であり欲に目が眩むこともあれば、判断を誤ることだってあります…

だからこそ彼らが迷走を始めた時、下位者がこれに盲従せず事実に基づいて自らの良心に従い善悪の判断し迷走を制御できる知性を備えていることが、組織のリスク回避のためにとても重要なはずです。
しかし非常時に知性を発揮するためには常日頃から一人ひとりが自分の頭で考え、行動する訓練が重ねられている必要があり、ただ規則や上位者に従ってさえいればよいという精神風土の下では、その知性は育まれません

それが欠如する組織だからこそ起こり得た現象が今回の「悪質タックル」であり、4月の大相撲春巡業で市長が土俵上で倒れた際「救命処置に駆けつけた女性看護師を退けるアナウンス」であり、政府与党と省庁で常態化している汚職の本質と思います。


そして、『星野君の二塁打』を道徳教科書の教材とした背景には隠された“本当のねらい”があると私は考えます。
道徳教材という性質上、通常であれば物語のクライマックスの部分に読者に教材のねらい(本作では「規則の尊重」)に誘導する“ある種の感動”が用意されているはずですが、本教材には読者に「やっぱり規則は守らないといけないな…」と強く思わせる根拠がありません(とても弱い)。
むしろ多くの読者の印象に残るのは、星野君の活躍を評価した子どもに対し監督が熱く反論する場面…

ぎせいの精神の分からない人間は、
社会に出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ


確かに、映画『アルマゲドン』のラスト・シーンのように自分が犠牲になって他者を生かそうとする行為は感動を覚えます…
でも、それは自分以外の他者に強要されるべきものではないし、強要されて行った犠牲は美徳とは全く異質の“別モノ”です。

普通ならここまで目くじらを立てることもないのですが、監督の言葉は現在この国の政権を握っている安倍晋三首相及び彼の支援団体【日本会議】の思想の“コアな部分”であり、現にこうした思想が国民の内心を罪に問う『共謀罪法』や、近い将来日本の世論を形成する子どもたちの価値観を左右する『教育基本法』と道徳の教材に色濃く反映されているのです。
【滅私奉公】の心掛けは奇特で立派ですが、政府が国民にそれを求める時、国民はよほど注意を払うべきであることは、この国を含むあらゆる世界の歴史が証明しています。



~Epilogue~

メディアではあまり報じられていませんが、私には最近特に気になる案件がもう一つあります。
自衛隊の関連団体に、『隊友会』という組織があることをご存知でしょうか?
隊友会は自衛隊退職者など約7万2000人を正会員とするOBの互助会組織ですが、他方で防衛及び防災関連施策等に対する各種協力や調査研究・政策提言などの事業を行っている公益社団法人でもあります。
その隊友会について今月、支部組織『東京都隊友会』が憲法改定を求める署名活動を行い、“その送付先を自衛隊東京地方協力本部”としていたことが報じられました。

一般に公益社団法人が政治活動を行うことは禁じられていませんが、言うまでもなく自衛隊員は【自衛隊法第61条】で“選挙権の行使を除く政治的行為をしてはならない”と定められており、改憲運動という政治的行為のために自衛隊の施設を提供することは問題があり、このことについて都隊友会の担当者も“うかつだった”と認めています。
ただ、調べてみると更に問題なのが、この隊友会は単なる自衛隊退職者による団体ではなく、現役自衛隊員約17万人が「賛助会員」として組織に組み込まれていることです。
【賛助】とは“事業の趣旨に賛成して力ぞえをすること”であり、言葉どおりに解釈すると“自衛隊が改憲運動の趣旨に賛成して力ぞえをするのか?”という疑念が浮かびますが、防衛省は“現役隊員は署名の集約に一切、関わっていない”と説明しています。

しかし、【上意下達】が鉄の掟の自衛隊が元上官からの頼み事を“それは違法です”と断れるのか、人事権を握る安倍首相の宿願でもある改憲の協力を拒むとどうなるか…想像してみてください。

防衛という特殊な事業を主としていることを考えると“隊友会にとって政府は極めて重要な顧客”であり、その顧問や相談役には自衛隊OBの自民党議員が名を連ねます。
2013年の参院選では公益法人である隊友会が自民党・佐藤正久参議院議の選挙活動で現金を配って支援した疑いが浮上し、公選法違反(買収)で逮捕者も出るなど、隊友会は極めて政治的で特定政党寄りの団体であるようにも見えます。


こうした自衛隊OBと現役自衛官で構成される隊友会の政治スタンスを知ってみると、4月に民進党の小西洋之参院議員が防衛省・統合幕僚監部指揮通信システム部に勤務する30代の3等空佐から敵対的態度で罵倒された事件の背景に何があったのか、腑に落ちました。
基本的に戦後の日本の政治システムは、戦前の軍部の強い政治介入によって捻じ曲げられ大戦争を招いた反省から、自衛隊は【文民統制】によって政治への参与が厳しく制限されてきましたが、隊友会という公益社団法人の看板を借りることで実質的に政治的行為を行うことが可能となっているといえるのでしょう。
これは憲法上、護憲義務のある安倍首相が日本会議など任意団体の看板を借りて改憲運動を推し進めているのと同じ手法でもあります(隊友会は日本会議とも連携した運動を展開している)。

隊友会は偕行社(大日本帝国陸軍の元将校・軍属と自衛隊元幹部の親睦組織)らとの連名で提出した「平成29年度政策提言書」の中で改憲の必要性を主張し、1-(4)では国民の国防意識の高揚が極めて重要であるとし、憲法に“国民の国を守る義務の明記”を提言しています。

しかし戦前の太平洋戦争へ突入した原因の一つは、軍事拡大のための予算増大の賛同を得ようと国民の国防意識に火を点け煽った軍部が、予想以上に大きく燃え広がった国民の戦意高揚がプレッシャーとなって無謀なアメリカとの開戦に踏み切らざるを得なくなったことだったはずです。
愛国心や国防意識の高揚は自衛隊の予算獲得には役に立つかもしれませんが、それは裏を返せば近隣国への敵愾心の高揚であり、それによる関係悪化と軍拡競争が本当に戦争を招くことになりかねません。
あれほどの惨禍を代償として得た教訓を忘れ、同じ過ちを繰り返してはならないのです。


Never think that war, no matter how necessary,
いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、
nor how justified, is not a crime.
戦争が犯罪だということを忘れてはいけない  Ernest Hemingway

平和な今だからこそ、改めて心に刻み直そう。



「スカボロー・フェア/詠唱」


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tags : 1968年 フォーク 反戦 難解 コーラス 映画-60's  

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「レボリューション」ビートルズ

2015.07.03

category : Beatles & Solo

Beatles - Revolution1 Beatles - Revolution2


The Beatles - Revolution (1968年)



~ジョン・レノンが目指した“Revolution(革命)”とは?~

『サージェント・ペパーズ~』で音楽の頂点を極めたビートルズは、“次の一手”に相当頭を痛めたことでしょう。
ビートルズ後期…とりわけヨーコと恋に落ちてからのジョン・レノンというと、どこかヤル気の無さを禁じ得ないイメージですが、当初はそうではなかったのかもしれません。
自分たちのやりたいことを具現化するための会社『アップル・コア』を立ち上げ、そこからの最初のシングルを目指してジョンが制作していたのが「Revolution」(革命)というタイトルの作品だったのですから!

さて、ジョンは“革命”を成し遂げることができたのでしょうか…?



~概要~

「レボリューション」はイギリスで1968年8月30日(米は8月26日)に発売された18枚目のオリジナル・シングル「ヘイ・ジュード」のカップリング曲で、「レボリューション」単体としてもBillboard Hot 100で12位(年間62位)を記録しました。
オリジナル・アルバムには収録されておらず、現在は企画盤『パスト・マスターズ Vol.2』やベスト盤『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』に収録されています。
「Revolution」はジョンが1968年2月ごろからのインド滞在中に作った曲でリード・ヴォーカルもジョンが執っていますが、複雑な経緯がある作品なので、順を追って説明いたします。


まず、“「Revolution」という作品”はアルバム『ザ・ビートルズ』のセッションで最初に取り上げられた楽曲で、当初完成版(第18テイク)は“12分に及ぶという大作”でした。
ジョンはこの作品を“アップルからの1stシングルに!”と意気込んでいましたが、“長過ぎる”とアッサリ却下されてしまいます。
そこで前半部分を「Revolution 1」(4:17)、後半部分を「Revolution 9」(8:21)に分けて「Revolution 1」をシングルにと提案すると、今度は“スロー過ぎる”と二度目の却下…。

諦めきれないジョンは楽曲をテンポ・アップし、ギターをアコースティック(エレアコ)からエピフォン・カジノに持ち替え、アンプを通さず“ギターとレコーディング機材を直接繋ぐ禁断技”に手を染め(イントロの凄まじい歪みはコレ)、“けたたましいシャウト”を演じてみせます。
さらに、ダメ押しとばかりにイギリス一と称されるキーボード・プレイヤー、ニッキー・ホプキンスを迎えるという念の入れようにより“これぞ革命!”に相応しいインパクトのあるロックの名曲に仕上がりました。
これを改めて「Revolution」と名づけ三度(みたび)1stシングルに名乗りを挙げますが、一方でこの時ポールが持ち込んだ曲こそ、あの「ヘイ・ジュード」だったのです!
同じ名曲対決でも“出せば大ヒットが約束!”な「ヘイ・ジュード」が相手とあっては、“キリスト発言の悪夢・再び!?”な危険をはらむ「レボリューション」はB面に収まるのがやっとでした。
この挫折が原因でジョンがヤル気を失くしたかはともかく、ビートルズというチームでは自分個人の本当にやりたいことはできないと痛感させられたかもしれません…。

「レボリューション」にはライブ・ヴォーカル仕様のプロモーション・フィルムが存在していますが「Revolution 1」の特徴も取り入れられており、ここでのポール&ジョージのコーラスはドゥーワップ調であること、そしてジョンの“問題の歌詞(後述)”も復活しています!


 
 



~Lyrics~

But if you go carrying pictures of Chairman Mao
だけど、君が毛主席の写真を持ち歩くなら
You ain't going to make it with anyone anyhow
誰と組もうと、どうせ上手くはいかない

毛主席=毛沢東のことであり、ジョンはこのラインが最も大事な歌詞と語っていることから、「Revolution」は“毛沢東思想”をテーマにしているものと思われます。
毛沢東思想とは…

権力は腐敗するものであるから常に革命が必要であり、若者は古い者を打倒すべきである。
革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。


…といった思想で、その手段としての暴力を肯定しています。
こうした思想の信奉者は“マオイスト(Maoist)”と呼ばれ、『毛沢東語録』とともに世界中に広まって学生運動やヒッピーなど特に若者に強い影響を与えました。
「Revolution」が発表された1968年頃は日本でも学生と機動隊が衝突する事件が全国で頻発していた時期で、有名な“全共闘 東大安田講堂事件”もこうした流れの一つといわれます。


But when you talk about destruction
だけど、君が破壊を語るというなら
Don't you know that you can count me out
僕を数のうちから外しておいてくれ

一般論として破壊や暴力は明白な犯罪であり“悪”ですが、毛沢東によると革命の手段としてのそれは許されます。
ジョンは「Revolution」で破壊を拒否する姿勢を示していながら、一方で「Revolution 1」では同じラインを【you can count me out “in(入れてくれ)”】と肯定しています。
この矛盾についてジョン本人は、“物事はいつか良くなると思うし、暴力的な革命を憎んでもいた。でもだんだん、他に何ができる?…と、確信が持てなくなった”と語っていますが、世界で最も影響力のある人物の言葉としては何ともリスキー!


But if you want money for people with minds that hate
だけど君が、それを嫌悪する人々のため金が必要というなら
All I can tell you is brother you have to wait
僕に言えるのは、“待つより外はない”とだけ

人の考えは千差万別であり、どんな名案にも反対意見はあるでしょう。
対立者を懐柔するか弾圧するかは権力側の考え方次第ですが、何れにしても【money】が必要…?

毛沢東が行った“文化大革命”は、言葉を換えると“毛沢東思想を用いて若者を扇動し、自らの復権を企てた権力闘争劇”だったとも言えます。
革命の名の下に、その実行部隊として組織されたのが少年らを中心とする“紅衛兵”であり、彼らの暴走を含め革命による死者・行方不明者は数百万~数千万人ともいわれるそうです。
当初世界の人々はそうした実態を知らず毛沢東思想の光の部分だけが一人歩きし、ジョンも毛沢東のバッジを身に付けるほど影響を受けていました。
その実態が明らかになるにつれ人々の評価は変わり、1972年にはジョンも“毛沢東について引用すべきでなかった”と考えを改めています。
(ただし、同年のアルバム『Sometime in New York City』の「We're All Water(ヨーコの作品)」で“毛主席とニクソンも、裸にすれば大差はない”としてアルバム・ジャケットにも写真が反映されているし、1980年の作品「Woman」にも毛沢東の詩の引用が見られる)



~Epilogue~

You say you'll change the constitution(※)
憲法を変えると、君は言う
You tell me it's the institution
君は、それこそあるべき法のかたちだと
※毛沢東を示唆しているとしたら、【constitution】は政体、【institution】は制度と捉えるのが適切だろう

憲法改正…
とりわけ、施行68年を経た現在も国民の支持が高い『憲法第9条』を変えることは、この国にとってまさに“Revolution(革命)”に等しいと言えるのではないでしょうか?
ご存知のように安倍首相は改憲論者ですがその本丸が憲法9条であり、“憲法改正するために政治家になった”と公言していることからもその本気度は歴代の首相とは全く異なります。
ただし、憲法改正には衆参両院で3分の2以上の賛同が必要であるものの参院が届かず発議が難しいため、最悪でも実効を得ようと10本の法案を“安全保障関連法案”として解釈改憲を試みました(明文改憲も諦めてはいない?)。

ところが、6月4日の衆院憲法審査会で自民・公明党推薦の長谷部恭男氏を含む3人全ての憲法学者がこの法案を“憲法違反”と断じたため事態が暗転します。
直後に『報道ステーション』が行った『憲法判例百選』の執筆者(=著名な憲法学者)198人に対するアンケートによると、[違憲;84%(127人)/違憲の疑い;13%(19人)/合憲;2%(3人)]という結果でした。
さらに、追い打ちをかけるようにこの法案に関する自民党の安倍首相に近しい若手の勉強会で、複数の議員によるマスコミに対する“圧力発言”が表沙汰になったことはご承知の通り…。


前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これは、問題視されている『日本国憲法第9条2項』
この文章を“自衛隊の存在と矛盾しない”と読解するとしたら、きっと国語のテストで落第してしまうでしょう?
明らかに、実態と矛盾があります。
しかし、一方で国民のほとんどは“国を守る”自衛隊が必要だと思っているはずです。
そういう意味で、憲法改正を望むのは間違いではありません。


ちなみに、2012年4月27日に出された“自民党の憲法改正草案の9条2項”では…

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

…という風に改められていて、草案Q&Aには“この「自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません”と明記されています。


いずれにしても、今回一連の流れからつくづく思ったことは、沖縄の正式な選挙で選ばれた知事が自民党の利害に反するからと会わなかったり、憲法学者と国民の大多数が違憲の疑念を持っているにも拘らず無視して法案成立を強行したり、“沖縄にある二つの新聞はつぶさないといけない”とか“マスコミを懲らしめる”という考え方の人たちに、憲法改正をして欲しくはありません。
68年間平和を守ってくれた憲法に敬意を寄せず、沖縄の民意である首長を侮り、権力に驕って国民の“自由と民主主義”を顧みようとしない人たちだけには。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.(※)
私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
(※フランスの哲学者ヴォルテールの言葉として有名ですが、定かではないらしい)

憲法は、そういう志を持った人にだけ、書き換える資格が許される…



「レボリューション」


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tags : 1968年 ロック プロテスト  ビートルズ(その他) 

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