ディープ・パープルというと“ハード・ロックの親玉”というイメージがありますがデビュー当初は“アート・ロック”を志向しており、ジョン・ロードやリッチー・ブラックモアはクラシック音楽の影響を強く受けた音楽家です。 1970年の「Deep Purple in Rock」からハード・ロックに転向していますがそうしたクラシック・テイストはその後も見られ、「ハイウェイ・スター」でも間奏のオルガンやギター・ソロにはJ・S・バッハ風のコード進行を応用していることをジョン・ロードが語っています。
当時本国イギリスで揺るぎない人気を確立していた彼らは多忙を極めイアン・ギランが肝炎を発症するなど体調管理もままならず、同じく人気が高まっていた日本では1972年5月に予定されていた公演が延期される事態が生じ、8月にようやく初来日が実現しました。 この時の公演の模様を日本限定販売として録音されたのがライブ・アルバム『Live in Japan』であり、オリコン14位を記録しています。 ジャケットが日本武道館のステージを写したものであるため武道館ライブの音源であるかのように思われがちですが実際にはトラックの半分以上は大阪フェスティバル・ホールのものであり、「ハイウェイ・スター」もその一つでした。
しかし、これが予想以上に出来が良かったためタイトルを『Made in Japan』として海外でも発売されることとなり、イギリスで16位/アメリカBillboard 200で6位と、世界的大ヒットに至っています。 なお、このアルバムはローリング・ストーン誌“50 Greatest Live Albums of All Time 32位”に選定されるなど、今なお名盤と評されるライブ記録であり、メイン動画はその映像です。
~Lyrics~
Nobody gonna take my car 誰も、オレの車を捕えられはしない I'm gonna race it to the ground レースできっちりカタをつけてやる
It's gonna break the speed of sound 音速も超える Oooh it's a killing machine 恍惚のマシーン
【the speed of sound】は“音速”であり、速度単位はマッハ(Mach)です。 自動車レースをテーマとした1967年のアニメに『マッハGoGoGo』というのがありましたが、果たして自動車が音速を突破することは現実に可能なのでしょうか?[マッハ1=1,224km/h(高度0m/気温15℃)]
グレンの死の翌日、イーグルスとともにアメリカを象徴するロック歌手であるブルース・スプリングスティーンは現在行われているツアーの中、急遽アコースティック・ギター1本で「Take It Easy」を演奏し同時代を生きた仲間に哀悼を捧げると、会場は大合唱と無数の光い包まれました…。
~概要~
「テイク・イット・イージー」は1972年5月1日にリリースされたイーグルスのデビュー曲で、彼らの1stアルバム『イーグルス・ファースト (Eagles)』に収録された作品です。 Billboard Hot 100では12位を記録、昨年ローリングストーン誌が行った“イーグルスのフェイバリット・ソング”読者投票で3位になるなどイーグルスの代表曲の一つであり、「Hotel California」と共にロックの殿堂『500 Songs That Shaped Rock and Roll』の楽曲でもあります。 日本では、テレビ東京系旅番組『田舎に泊まろう!』のテーマ曲としてもお馴染みですね♪
「Take It Easy」は元々1971年にジャクソン・ブラウンが1stアルバム『Jackson Browne』のために書いたものですが完成できず棚上げになっていた所、同じアパートに住み友人であったグレン・フライがこの曲を気に入りアドバイスして完成させた作品です(詳しくはLyricsの項を参照)。 発表はグレンがイーグルスで歌ったバージョンが最初ですが、ジャクソンも1973年に2ndアルバム『For Everyman』の中でセルフ・カバーしています。
ご存知のようにイーグルスはメンバーの不和などにより1982年に解散してしまいますが、1993年にはカントリー歌手トラヴィス・トリット(Travis Tritt)がイーグルスへのトリビュートとして「Take It Easy」をカバーし、Billboardのカントリー・チャートで21位とヒットさせました。 その際トラヴィスはイーグルスのメンバーにPVに出演してくれるようリクエストしており、ナンとこの要望は聞き届けられドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットらが映像にフィーチャーされています!
この共演がきっかけで友情を取り戻したイーグルスは1994年に再結成し、新曲4曲とMTVでのライブを収録したアルバム『Hell Freezes Over』を発表、このアルバムをサポートする大規模な世界ツアーは3年に渡って興行され、現在に至るまでバンド活動は継続されてきました。 さらに感慨深いのは、1998年! この年イーグルスは『ロックの殿堂』入りを果たしていますが、その式典に於いて上記5名に加え創設メンバーであるバーニー・レドン&ランディ・マイズナーの2名が参加し、“歴代メンバーが勢揃いして「Take It Easy」と「Hotel California」を演奏した”ということです!!
…こう辿ってみると、イーグルスにとって「Take It Easy」が如何に重要な役割を果たしてきたかお解りでしょう?
~Lyrics~
Well, I'm running down the road …そうさ、俺はあの道を駆け下り tryin' to loosen my load 抱えた重荷の紐を解こうとしているのさ
この“譜割り(音符への歌詞の乗せ方)”のフィーリングはまさにジャクソン・ブラウンで、グレンが歌ってもジャクソンの顔が浮かびます。 【road】と【load】のような韻も効いていますが、「Take It Easy」が多くの人に愛されるのはこの譜割りが生み出す心地よさやカッコよさなのではないでしょうか…。
彼の抱えている“重荷”も、気になりますが?
Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona …あぁそうさ、俺はアリゾナ・ウィンスローの街の一角に立っている It's such a fine sight to see 何ていい眺め…
1985年に国道66号線が廃線となり町は観光収入の危機に陥りますが、住民の努力と創意によって「Take it Easy」に歌われた一節が再現された“Standing On The Corner Park”が造設され、ウィンスローの新たな観光収入源として町を助けています。
It's a girl, my Lord, in a flatbed おぉ主よ、フラットベッド(トラック)に一人の女の子! Ford slowin' down to take a look at me そのフォードがこっちを見て、速度を落としてる
ジャクソンが上記【Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona, It's such a fine sight to see】に続くラインに困っていた所、グレンが考案したのがこの部分です! 確かに真面目なジャクソンにはこんなフレーズは浮かばないカンジですが、このグレンのインスピレーションが入ることによって物語の情景に臨場感を与えたような気がします。 特に、続くフレーズ…
Come on, baby, don't say maybe Come on, baby! “maybe(かもね)”なんて、言わないで?
…は私の一番のお気に入りで、【baby】と【maybe】の組み合わせは、このチャンスに懸ける主人公の心情を非常に生き生きとさせています。 “Standing On The Corner Park”で再現されているのはこの場面であり《写真》、多くの人にとってもこのシーンが最も印象的なのでしょう…。
~Epilogue~
“気楽にやる・のんきに構える”といった意味合いの【take it easy】は日常よく使われるフレーズで、私たち日本人にとっても耳馴染みのある英語です。 どちらかというと、相手を励ましたりリラックスさせようとする際に用いる良いイメージがありますよね? しかしこの物語はヒッチハイカー(?)の青年が下心満載で道端に立ち、トラックを運転する女性を“Come on, baby!”と、彼女が車に乗せてくれるのを期待する不埒(ふらち)な構図のようにも映ります。 そんな場面で、彼に“take it easy❤”なんて言われたら、あなたならどうします?
We may lose and we may win though 上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない…だけど we will never be here again この場を違えると、二人はもう二度と会えはしない
言うまでもなくマイケル・ジャクソンは“ジャクソン5”のメンバーとして1969年に「帰ってほしいの (I Want You Back)」でデビューし、以降Billboard Hot 100で4曲連続No.1という離れ業をやってのけましたが、 この時彼は11歳。 人気絶頂にあった1971年にはグループと並行してソロ活動も始め、いとも容易くTop5ヒットを2曲生み 1stアルバム『Got to Be There』も14位と大ヒットさせています。
その勢い止まぬ中リリースされたのが2ndアルバム『Ben』で、タイトル曲である「ベンのテーマ」はマイケルの13曲あるBillboard No.1ソング(「Say Say Say」含む)の記念すべき第一歩となりました(年間34位)。 また、「ベンのテーマ」が No.1となった時マイケルは14歳で、これはソロ歌手としては13歳のスティーヴィー・ワンダー、ダニー・オズモンドに次いで3番目の若さとなっています(全体ではマイケルのジャクソン5での11歳が最年少記録)。