I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「サタデイ・イン・ザ・パーク」シカゴ

2023.06.28

category : Chicago & Solo

Chicago - Saturday in the Park (1972年)

【土曜日】と【公園】は万国共通の“憩い”の時所。【7月4日】はアメリカ人にとって“特別な日”

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tags : 1972年 ソフト・ロック 平和 反戦 CM曲 映画  

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「ドクター・マイ・アイズ」ジャクソン・ブラウン

2022.03.18

category : Jackson Browne

Jackson Browne - Doctor, My Eyes (1972年)

空が見えなくなったのは病か、苦しみを忘れるため学んだ術か…彼は私たちに何を問い掛けている?

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tags : 1972年 ソフト・ロック 葛藤  反戦 新型コロナ 

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「ハイウェイ・スター」ディープ・パープル

2016.05.06

category : Deep Purple

Deep Purple - Highway Star1 Deep Purple - Highway Star2


Deep Purple - Highway Star (1972年)



~ディープ・パープル武道館伝説、再び!~

1968年デビューのハード・ロック界のレジェンドでありながら、今なお創作&ツアーをこなす“現役”として精力的に活動を続けるディープ・パープルの日本公演が、間もなくスタートします(5/9~18)。
ディープ・パープルはこの4月8日、奇しくも“武道館つながり”のチープ・トリックと共に『ロックの殿堂』入りを果たしており、現在ニュー・アルバムも制作中でメンバーのイアン・ギランは“しばらくツアーから離れていたのでバンド内のエネルギーは爆発寸前なんだ、覚悟しておいてくれ!”といった趣旨のメッセージを日本のファンに伝えているそうです。

残念ながらオリジナル・メンバーのジョン・ロード(2012年に死去)やリッチー・ブラックモア(諸々の事情…)は参加していませんが、イアン・ペイス〈Ds.〉/イアン・ギラン〈Vo.〉/ロジャー・グローヴァー〈B.〉など「ハイウェイ・スター」当時のメンバーは今も健在です。
今回のツアーでは1972年・伝説の武道館の再現が試みられる趣向もあるそうで、もちろん「ハイウェイ・スター」も披露されることでしょう♪





~概要~

「ハイウェイ・スター」はディープ・パープル1972年の6thアルバム『マシン・ヘッド(Machine Head)』の収録曲でシングル・カットはありませんが(日本はされた)、彼らの代表曲の一つとして認識される楽曲です。
この曲は1971年、ポーツマスに向かうツアー・バスの中でリッチー・ブラックモアがアコースティック・ギターでリフを弾いているとそれにイアン・ギランが即興で歌詞を付けていくという形で生まれ、最終的にメンバー全員によって仕上げられました。

ディープ・パープルというと“ハード・ロックの親玉”というイメージがありますがデビュー当初は“アート・ロック”を志向しており、ジョン・ロードやリッチー・ブラックモアはクラシック音楽の影響を強く受けた音楽家です。
1970年の「Deep Purple in Rock」からハード・ロックに転向していますがそうしたクラシック・テイストはその後も見られ、「ハイウェイ・スター」でも間奏のオルガンやギター・ソロにはJ・S・バッハ風のコード進行を応用していることをジョン・ロードが語っています。


当時本国イギリスで揺るぎない人気を確立していた彼らは多忙を極めイアン・ギランが肝炎を発症するなど体調管理もままならず、同じく人気が高まっていた日本では1972年5月に予定されていた公演が延期される事態が生じ、8月にようやく初来日が実現しました。
この時の公演の模様を日本限定販売として録音されたのがライブ・アルバム『Live in Japan』であり、オリコン14位を記録しています。
ジャケットが日本武道館のステージを写したものであるため武道館ライブの音源であるかのように思われがちですが実際にはトラックの半分以上は大阪フェスティバル・ホールのものであり、「ハイウェイ・スター」もその一つでした。

しかし、これが予想以上に出来が良かったためタイトルを『Made in Japan』として海外でも発売されることとなり、イギリスで16位/アメリカBillboard 200で6位と、世界的大ヒットに至っています。
なお、このアルバムはローリング・ストーン誌“50 Greatest Live Albums of All Time 32位”に選定されるなど、今なお名盤と評されるライブ記録であり、メイン動画はその映像です。

 



~Lyrics~

Nobody gonna take my car
誰も、オレの車を捕えられはしない
I'm gonna race it to the ground
レースできっちりカタをつけてやる

作品の舞台となっている【highway】は日本では“高速道路”という認識で用いられることが多いですが、欧米では“(都市や町を結ぶ一般道を含めた)主要幹線道路”を指します。
つまり主人公はプロのレーサーではなく、俗にいう“走り屋”なのでしょう。

でも欧米の走り屋はスケールが違って、アメリカでは1970年代にNYからLA(約4,528km)までアメリカ大陸横断自動車レース“キャノンボール”(非合法)が行われており、近年これを模したヨーロッパの公道5000kmを走るラリー“ガムボール3000が毎年行われているそうです(もちろん非合法)!

 

It's gonna break the speed of sound
音速も超える
Oooh it's a killing machine
恍惚のマシーン

【the speed of sound】は“音速”であり、速度単位はマッハ(Mach)です。
自動車レースをテーマとした1967年のアニメに『マッハGoGoGo』というのがありましたが、果たして自動車が音速を突破することは現実に可能なのでしょうか?[マッハ1=1,224km/h(高度0m/気温15℃)]

国際自動車連盟 (FIA) によるこれまでの最高速度記録は1997年にイギリスのスラストSSC (Thrust SSC)が記録した1,227.985km/hで、これはマッハ1.016と人類初の“超音速”を達成しているものの時間制限に遅れたため公認はされていません。
ちなみに、この車両は全長16.5m/全幅3.7m/重量10.5tで“ジェット戦闘機のエンジンを2基搭載”するという私たちがイメージする自動車の概念とは全く別モノであり、“翼のないジェット機”といった方が当てはまりそう…?
また、現在もこのプロジェクトは継続しており、後継車ブラッドハウンドSSCはロケット技術を投入し1,609km/hを目指し開発が進められているそうですよ!(興味のある方は《動画・右》をどうぞ♪)


Nobody gonna take my girl
誰も、オレの女に触れさせはしない
I'm gonna keep her to the end
命尽きるまで、オレのもの

1番では【it】だったものが、2番では【my girl/her】に変わっていますョ!
車好きの中には“愛車に恋人と匹敵する愛情”を注ぐ人もいると聞きますが、この場合の[her]は…?
収入に不釣り合いの高価な車や過重な改造など、そのあまりの熱心さに大抵の女性は嫉妬するか呆れるかのどちらかでしょうネ?

でも、車好きの男性にとって“車=オレ”であり、“かっこいい車=かっこいいオレ”なのです!
女性に置き換えるなら、“ブランド物への執着心”を想像すると彼の気持ちも理解できるのでは? 



~Epilogue~

ディープ・パープルは、日本でも歴代屈指に愛されたハード・ロック・バンド。
驚異的な演奏テクニックはアマチュア・バンドにとって大きな目標となってきただけでなく、インパクトのあるサウンドは度々CMに起用され、更にいろいろな形にカバーされたりして親しまれてきました。

「Highway Star」のカバーといって多くの方が恐らく真っ先に思い浮かべるのは、王様「高速道路の星」でしょう。
英語詞を直訳し原曲に乗せて歌うという直訳ロックのスタイルは独特のコミカル感があり、カラオケでは“最強のネタ”として盛り上がったのでは?
また、リコーダーやウクレレを用いて原曲のハード・ロックとは正反対のかわいいテイストを開拓した栗コーダーカルテットver.も忘れられません。

…でも何れのカバーも非常にユニークであり、こういう発想って日本人にしかできないと思いませんか?
日本人は没個性的だなんて言われることがありますがそれは表面に出さないからであって、頭の中には面白い創造がいっぱい詰まっているのだと再認識させられます♪




さて…
ゴールデン・ウイークも終わりましたが、“五月病”は無事越えられましたでしょうか?
それにしても、今年は山口県の山陽道や福島県の常磐道をはじめ大きな交通死亡事故が相次ぎました。

重大な交通事故といえば真っ先に“スピードの出し過ぎ”を思い浮かべますが、近年は高齢者や運輸ドライバーの過重労働による“思いがけない事故”も増えています。
交通事故の大半は自分の能力を超えた無理を強いることによって生じるものですが(高齢・疲労もこれに入る)、これからはこうした他者による“巻き込まれ”にも十分注意する必要がありそうです。
事故は自分が起こしても、巻き込まれても、死んでしまった人が一番損をしますから。

Alright hold tight
いいぞ、しっかり食らいつけ
I'm a highway star
オレたちがハイウェイ・スターだ!

夜に輝くお星さまは空の彼方にあってこそ美しいものですが、人間の【star】はこの地上で生きてこそ輝くことができます。
自動車運転はその全ての一瞬が生命と運命の輝きを奪い得るものであることを、どうかお忘れなきよう…。



「ハイウェイ・スター」


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tags : 1972年 HR/HM スポーツ/ドライブ 日本で人気 

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「テイク・イット・イージー」イーグルス

2016.01.29

category : Eagles & Solo

Eagles - Take It Easy1 Eagles - Take It Easy2


Eagles - Take It Easy (1972年)



~Glenn Frey 1948-2016 R.I.P.~

アメリカの国民的ロック・バンド、イーグルスを創設し中心メンバーとして活躍したグレン・フライが1月18日、リウマチ性関節炎・大腸炎・肺炎から生じた合併症により亡くなりました(享年67)。
これについてイーグルスのマネージャーは、“グレンは15年以上リウマチ性関節炎の薬を服用していて、大腸炎と肺炎は薬剤の副作用だった”と言及しているようです。
また、長年の友人ボブ・シーガーは“11月から入院していた。最高の医師を探し当て、グレンには8人の専門家がついた。でも1ヶ月くらい前、手の施しようがなくなったんだ。”と病状を語っています。

グレンの死の翌日、イーグルスとともにアメリカを象徴するロック歌手であるブルース・スプリングスティーンは現在行われているツアーの中、急遽アコースティック・ギター1本で「Take It Easy」を演奏し同時代を生きた仲間に哀悼を捧げると、会場は大合唱と無数の光い包まれました…。





~概要~

「テイク・イット・イージー」は1972年5月1日にリリースされたイーグルスのデビュー曲で、彼らの1stアルバム『イーグルス・ファースト (Eagles)』に収録された作品です。
Billboard Hot 100では12位を記録、昨年ローリングストーン誌が行った“イーグルスのフェイバリット・ソング”読者投票で3位になるなどイーグルスの代表曲の一つであり、「Hotel California」と共にロックの殿堂『500 Songs That Shaped Rock and Roll』の楽曲でもあります。
日本では、テレビ東京系旅番組『田舎に泊まろう!』のテーマ曲としてもお馴染みですね♪

「Take It Easy」は元々1971年にジャクソン・ブラウンが1stアルバム『Jackson Browne』のために書いたものですが完成できず棚上げになっていた所、同じアパートに住み友人であったグレン・フライがこの曲を気に入りアドバイスして完成させた作品です(詳しくはLyricsの項を参照)。
発表はグレンがイーグルスで歌ったバージョンが最初ですが、ジャクソンも1973年に2ndアルバム『For Everyman』の中でセルフ・カバーしています。


ご存知のようにイーグルスはメンバーの不和などにより1982年に解散してしまいますが、1993年にはカントリー歌手トラヴィス・トリット(Travis Tritt)がイーグルスへのトリビュートとして「Take It Easy」をカバーし、Billboardのカントリー・チャートで21位とヒットさせました。
その際トラヴィスはイーグルスのメンバーにPVに出演してくれるようリクエストしており、ナンとこの要望は聞き届けられドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットらが映像にフィーチャーされています!

この共演がきっかけで友情を取り戻したイーグルスは1994年に再結成し、新曲4曲とMTVでのライブを収録したアルバム『Hell Freezes Over』を発表、このアルバムをサポートする大規模な世界ツアーは3年に渡って興行され、現在に至るまでバンド活動は継続されてきました。
さらに感慨深いのは、1998年!
この年イーグルスは『ロックの殿堂』入りを果たしていますが、その式典に於いて上記5名に加え創設メンバーであるバーニー・レドン&ランディ・マイズナーの2名が参加し、“歴代メンバーが勢揃いして「Take It Easy」と「Hotel California」を演奏した”ということです!!

…こう辿ってみると、イーグルスにとって「Take It Easy」が如何に重要な役割を果たしてきたかお解りでしょう?

 
 



~Lyrics~

Well, I'm running down the road
…そうさ、俺はあの道を駆け下り
tryin' to loosen my load
抱えた重荷の紐を解こうとしているのさ

この“譜割り(音符への歌詞の乗せ方)”のフィーリングはまさにジャクソン・ブラウンで、グレンが歌ってもジャクソンの顔が浮かびます。
【road】と【load】のような韻も効いていますが、「Take It Easy」が多くの人に愛されるのはこの譜割りが生み出す心地よさやカッコよさなのではないでしょうか…。

彼の抱えている“重荷”も、気になりますが? 


Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona
…あぁそうさ、俺はアリゾナ・ウィンスローの街の一角に立っている
It's such a fine sight to see
何ていい眺め…

アリゾナ州はアメリカの南西、メキシコと国境を接する内陸にある州で、ウィンスローはかつて“The Mother Road”と呼ばれた国道66号線 (Route 66)の沿線にある小さな町。
映画などでよく見られる、果てしなく広がる荒野にどこまでも伸びる1本の道路だけが走ってるようなイメージ…?
そんな田舎町が舞台となったのは、この頃ジャクソンがアリゾナ州セドナ(Sedona)への旅行中にウィンスローで車が故障して何日か当地に滞在した体験からだそうです。

1985年に国道66号線が廃線となり町は観光収入の危機に陥りますが、住民の努力と創意によって「Take it Easy」に歌われた一節が再現された“Standing On The Corner Park”が造設され、ウィンスローの新たな観光収入源として町を助けています。


It's a girl, my Lord, in a flatbed
おぉ主よ、フラットベッド(トラック)に一人の女の子!
Ford slowin' down to take a look at me
そのフォードがこっちを見て、速度を落としてる

ジャクソンが上記【Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona, It's such a fine sight to see】に続くラインに困っていた所、グレンが考案したのがこの部分です!
確かに真面目なジャクソンにはこんなフレーズは浮かばないカンジですが、このグレンのインスピレーションが入ることによって物語の情景に臨場感を与えたような気がします。
特に、続くフレーズ…

Come on, baby, don't say maybe
Come on, baby! “maybe(かもね)”なんて、言わないで?

…は私の一番のお気に入りで、【baby】と【maybe】の組み合わせは、このチャンスに懸ける主人公の心情を非常に生き生きとさせています。
“Standing On The Corner Park”で再現されているのはこの場面であり《写真》、多くの人にとってもこのシーンが最も印象的なのでしょう…。

Eagles - Take It Easy3 



~Epilogue~

“気楽にやる・のんきに構える”といった意味合いの【take it easy】は日常よく使われるフレーズで、私たち日本人にとっても耳馴染みのある英語です。
どちらかというと、相手を励ましたりリラックスさせようとする際に用いる良いイメージがありますよね?
しかしこの物語はヒッチハイカー(?)の青年が下心満載で道端に立ち、トラックを運転する女性を“Come on, baby!”と、彼女が車に乗せてくれるのを期待する不埒(ふらち)な構図のようにも映ります。
そんな場面で、彼に“take it easy❤”なんて言われたら、あなたならどうします?

We may lose and we may win though
上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない…だけど
we will never be here again
この場を違えると、二人はもう二度と会えはしない

まぁ、女性が見知らぬ男を車に乗せるかはともかく…
旅先での出会いはその一つひとつがまさに“一期一会(いちごいちえ)”であり、通り過ぎた出会いが再びまみえることはまずないでしょう。
そう考えてみると、この青年の主張(下心?)も一理あるように思えてくるから不思議です。


グレン・フライとドン・ヘンリーがまだ別々のバンドで活動していた1970年頃、二人は顔見知りではあったもののレーベルのオフィスですれ違い、行きつけのクラブでも言葉を交わすことのない間柄でした。
無口でシャイなドンと、外向的で自信に溢れたグレン
正反対な彼らではあったものの、ドンは密かにグレンのカリスマ性に感心し、新たなバンドの構想を抱いていたグレンはドンの艶っぽいハスキーな歌声を“僕の秘密兵器”と呼び一目を置いていました。

ある晩二人はテーブルを共にし、グレンは“リンダ・ロンシュタットのバンドにドラマーとして参加しないか?”とドンを誘います。
ドンの答えは、“もちろん。”

…そう、これがイーグルスの始まりです。
もしもグレンが、ドンを“とっつきにくい奴”と声を掛けなかったら、この偉大なバンドは生まれていなかったかもしれません。
こうして考えてみると、この歌は“陽気なグレンの人生のテーマ・ソング”にも思えるし、“シャイなドンへの応援歌”のようにも思えてきます。
積極的な人も、消極的な人も…

Take it easy
とりあえず、やってみようぜ?



「テイク・イット・イージー」


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tags : 1972年 カントリー/ロック 

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「ベンのテーマ」マイケル・ジャクソン

2013.09.29

category : Michael Jackson

Michael Jackson - Ben1 Michael Jackson - Ben2


Michael Jackson - Ben(1972年)



~『glee 3』よりの選曲~

今日は、前回に引き続き10月2日(水)午前0時50分からNHKで放送予定のドラマ『glee 3』第11話よりの選曲です。

州大会を直前にしてブレイン(ダレン・クリス)が大変な事態に陥ってしまい、意気消沈する彼をカート(クリス・コルファー)らが励ましたのが「ベンのテーマ」でした。
それにしても、このシーンでのブレインの“アレ”が気になる…!?

NHK『glee 3 ホームページ』


~概要~

言うまでもなくマイケル・ジャクソンは“ジャクソン5”のメンバーとして1969年に「帰ってほしいの (I Want You Back)」でデビューし、以降Billboard Hot 100で4曲連続No.1という離れ業をやってのけましたが、
この時彼は11歳。
人気絶頂にあった1971年にはグループと並行してソロ活動も始め、いとも容易くTop5ヒットを2曲生み
1stアルバム『Got to Be There』も14位と大ヒットさせています。

その勢い止まぬ中リリースされたのが2ndアルバム『Ben』で、タイトル曲である「ベンのテーマ」はマイケルの13曲あるBillboard No.1ソング(「Say Say Say」含む)の記念すべき第一歩となりました(年間34位)。
また、「ベンのテーマ」が No.1となった時マイケルは14歳で、これはソロ歌手としては13歳のスティーヴィー・ワンダー、ダニー・オズモンドに次いで3番目の若さとなっています(全体ではマイケルのジャクソン5での11歳が最年少記録)。


~映画『ベン』の主題歌~

「ベンのテーマ」とあるようにこの作品は同年公開された映画『ベン』の主題歌で、病弱で友達がいない少年と家ネズミの友情物語…
…ですが、実はこの映画はネズミが人を襲うサスペンス・パニック映画『ウイラード』の続編であり、当然『ベン』はそういった側面も継承している作品です。

“Ben”とは少年と友達になるネズミに付けられた名で、映画の制作者はベンが人々に追われ傷を負って少年の元に帰って来るエンディングに相応しい曲を探していました。
まず、その話は作曲者ウォルター・シャーフの元に持ち込まれ、彼が作詞者ドン・ブラックを誘ったという経緯があったようです。
このドン・ブラックという人は1966年に映画『野生のエルザ』のテーマ「Born Free」の作者で、本人の弁によると“ライオンの詞が書けるならネズミも書けるだろうって思われて、声が掛かったのだろう”と振り返っています。

「Ben」の歌い手として、当初ダニー・オズモンドが想定されましたが彼はツアー中で無理ということで、次善の策としてマイケルが選ばれることになったというワケでした。
この提案もドン・ブラックによるもので、大の動物好きで知られるマイケルにこの件を持ち掛けると案の定、“とても興味を示し、乗り気だった”そうです。
こうしてマイケルにより歌われた「ベンのテーマ」は見事に大ヒットし、ゴールデン・グローブ“主題歌賞”を授賞、
アカデミー賞にもノミネートされる結果となりました。


~少年とネズミの友情物語~

上記の通り“Ben”はネズミであり映画の設定上、少年とネズミという種を越えた友情を描いたストーリーになっています。
害獣として人々に疎まれるベンと、病気のために世の中から隔絶されて生きる少年
両者の間には共に孤独があったことは想像に難くはなく、ベンを“嫌われ者だから”という理由で差別しない少年の“無垢”があったからこそ、互いを解り合えたのでしょう。

そういえば、宇宙人との触れ合いを描いたスティーヴン・スピルバーグの映画『E.T.』もこれと同じテーマが根底にあり、E.T.を“何かの目的のために活用しようとする大人”に対し、“純粋な好奇心で仲良しになろうとする子ども”の姿が描かれているのを思い出します。
マイケルはこうした世界が大好きで“彼”との面会も果たしていますが、動画にもその模様を入れてあるので見つけてあげてくださいネ♪
(…ん!?“彼”って、動物じゃない…!?


~Epilogue~

私たち人間の暮らしにとって、ペットは今や友達どころか家族のような存在になっています。
少子化や世帯家族の減少により孤独を覚える機会の多くなった私たちに無垢な心でそれを埋めてくれるだけで
なく、彼らの癒しの力は認知症にも効果があるとされる程です。
ペットではないけれど、秋の夜長に奏でられる虫の音を聴いていると短い生命を懸命に果たそうとしている彼らの営みが愛しく思え、それだけでもつい笑みがこぼれてしまいます。

最近、人間の居住区にヒグマが出没し子グマが射殺されたというニュースもありましたが、
彼らに罪はあったのでしょうか…。
私たち人間は、元々あった彼らの居住区を奪って繁栄している歴史を忘れることなく、彼らと関わっていくべきという気がしてなりません。



「ベンのテーマ」


最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

tags : 1972年 バラード/soul 友情 映画70's 美声 ハロウィン 

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