I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
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With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


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Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「イエスタデイ・ワンス・モア」カーペンターズ

2023.03.11

category : Carpenters

Carpenters - Yesterday Once More (1973年)

素敵な人との出会いが人生を豊かにするように、名曲は生涯あなたと素敵な泣き笑いを共にする

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1973年 AC 郷愁 ラジオ CM曲 美声  

comment(6) 

「マネー」ピンク・フロイド

2020.06.12

category : Pink Floyd

Pink Floyd - Money (1973年)

ピンク・フロイドの名盤『狂気』より。R.ウォーターズの意味深な詞&D.ギルモアのギター名演 ♪

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tags : 1973年 プログレ 偉大なギター プロテスト  

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「ユア・シックスティーン」リンゴ・スター

2018.01.05

category : Beatles & Solo

Ringo Starr - Youre Sixteen1 Ringo Starr - Youre Sixteen2


Ringo Starr - You're Sixteen (1973年)



~リンゴ・スターにナイト爵位~

12月29日イギリスで新年の叙勲名簿が発表され、元ビートルズのリンゴ・スター(77歳)にナイト(Knight Bachelor;下級勲爵士)が授与されることが明らかになりました(ビー・ジーズのバリー・ギブも同時に叙勲)。
リンゴ本人によると[音楽と慈善活動が認められた]とのことで、例によって“Peace and love”を添えて喜びのコメントをフェイスブックに発表しています。
ビートルズ・ファミリーとしてはこれまでポール・マッカートニーとジョージ・マーティンがナイトを授かっており、今回のリンゴで3人目。

翌日、早速ポールもリンゴとの2ショット写真をツイッターに投稿し、“Best drummer best pal(仲間)!”と祝福しました。
一方、亡きジョン・レノンの妻ヨーコ・オノのフェイスブックにも“love, hugs and kisses”の言葉と共に、やはり2ショット写真が投稿されています。

おめでとう、"sir" リンゴ♪ 



~概要~

「ユア・シックスティーン」はリンゴ・スター1973年の3rdアルバム『リンゴ(Ringo)』からの2ndシングルで、アメリカでは1973年12月にカットされてBillboard Hot 100のNo.1(1974年の年間31位)に輝いた作品で、本アルバムからは「想い出のフォトグラフ」に続いて2曲連続のNo.1となりました。

楽曲の作者はディズニー映画音楽の作曲者で、「小さな世界(It’s a small world)」の作者として知られるシャーマン兄弟(Sherman Brothers)です。
1960年にロカビリー歌手ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)によって最初の発表がなされ、Hot 100の8位を記録しています。
1973年夏にジョージ・ルーカス監督・脚本の青春映画『アメリカン・グラフィティ』が大ヒット、そのサウンドトラックにはジョニー・バーネットver.の「You're Sixteen」が挿入されており、そうした背景もリンゴver.ヒットの一因だったかもしれません。
そうした縁からか、1978年にアメリカNBCで放送されたテレビ映画『Ringo』でリンゴの相手役として、前年大ヒットを記録した映画『スター・ウォーズ』から[レイア姫]キャリー・フィッシャーが抜擢されており、今回のメイン動画に掲げた「You're Sixteen」のMVもここから編集されたものです。

本アルバムはビートルズの元メンバー4人が(別個で)参加したアルバムとして大きな話題となりましたが、「You're Sixteen」に関与したのはポール・マッカートニーです。
ある日プロデューサーのリチャード・ペリー(Richard Perry)の元にポールからTVスペシャルの音楽監督の依頼があり、ちょうどリチャードがアルバム『リンゴ』のプロデュースに携わっていたことから、ポールの『リンゴ』への参加と楽曲提供が実現しました。
ポールが本曲で担当した楽器についてリチャードは“カズーみたいに聞こえるやつ(※)”と言及しており、それは“僕たちがそのトラックをやり直している時、ポールが自然にやった”と経緯を説明しています。
(※間奏から入ってくるサックスのような音がそれですが、ポールは口で擬音を出している可能性もある)

それ以外の参加ミュージシャンも錚々たる顔ぶれであり、本曲だけで「レボリューション」のニッキー・ホプキンス(key)、『リボルバー』ジャケットのクラウス・フォアマン(b)、「ウィザウト・ユー」のハリー・ニルソン(vo)他がリンゴをバックアップしています。
“錚々たる顔ぶれ”というとリンゴには【Ringo Starr & His All-Starr Band】があり、毎回変わる豪華な顔ぶれがリンゴならではの顔の広さで、本項で紹介する映像のツアーでもジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット、トッド・ラングレン、シーラ・E、ハワード・ジョーンズほかが参加しました。

 
 



~Lyrics~

You come on like a dream, peaches and cream
君はまるで夢のように現れる、ピーチとクリームの頬
Lips like strawberry wine
ストロベリー・ワインの唇

…やっぱり16才って、こんなイメージ?

You're all ribbons and curls
巻き毛の髪にリボン

でも[16才でリボン]って、あんまり見たことがないような…?


You walked out of my dreams, into my arms
夢の中から抜け出し、この腕に舞い降りた人
Now you're my angel divine
神さまから授かった僕の天使

恋をした人の多くが、覚えのある感覚でしょう。
何気ないラインのように見えて【xx out of my dreams, into my xx】という形式から、新たなフレーズを創作した後世の歌手がいるのですが、それが誰の何という曲か思い当たる方はありませんか?

答えはビリー・オーシャン1988年の「Get Outta My Dreams, Get into My Car」で、そう言えば『ベストヒット USA』でビリーの作曲方法について“過去のヒット曲を参考にしている”といったような彼自身の言葉が紹介されていたのを思い出しました。


What shall we do with the drunken sailor?
…この酔いどれ水夫をどうしたらいい?

最後の一行にある歌詞です。
曲の末尾でリンゴ呟いていますが、フェードアウトしているので実際に聴いてこのラインを判別できないかもしれません。
実は、このフレーズは有名な[sea shanty](水夫たちの労働歌)の一つ「Drunken Sailor」から引用したものです。
【What shall we do with the drunken sailor?】と問い、それに解決策で応じる形式となっていますが、その答えの一つが【Shave his belly with a rusty razor】(※敢えて訳しません!)など、海の荒くれ男たちらしいジョーク(?)に思わず笑ってしまいます。

「You're Sixteen」の中で【drunken(酔っている)】のは…?



~Epilogue~

「You're Sixteen」のタイトルが示すように本作品のテーマは、【16才】です。
でも考えてみると、【16才】は歌曲のタイトルや歌詞に於いて非常に多く引用される年齢でもあります。

例えば、タイトルとして…
小泉今日子「私の16才」、村下孝蔵「16才」、佐野元春「SWEET 16」、シャネルズ「夢見る16歳」
ニール・セダカ「Happy Birthday Sweet Sixteen」、キッス「Christine Sixteen」…ほか

歌詞に於いて…
松本伊代「センチメンタル・ジャニー」、山下達郎「寒い夏」、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」
三田寛子「駈けてきた処女」、倉沢淳美「プロフィール」、浜田省吾「路地裏の少年」…ほか

“十五、十六、十七と私の人生暗かった”

そういえば、そんな16才もありました…。


日本で16歳の多くは高校生であり、自動二輪車の運転免許や女性が結婚可能となる年齢です。
しかし彼らにとってそれらは必ずしも現実的なことではなく、16歳という年齢が特に意識されることは少ないのでしょう。

一方アメリカでも16歳の多くは高校生であり、多くの州で自動車の運転免許や条件付きで結婚が可能となる年齢です。
しかし日本と異なるのは実際に運転免許を取得する人が多いことであり、それを親からの自立の第一歩として認め[16歳は大人の仲間入りする年齢]と見做す社会的慣習があることです(※法的成年は州によって18-21歳)。
とりわけ女の子の16歳は【sweet sixteen】と呼ばれ、誕生日には盛大なパーティーを開いてお祝いする慣習があるため、16歳という年齢は特別に意識されるのでしょう。

「You're Sixteen」のオリジナル歌手であるジョニー・バーネットver.を聴いているとエルヴィス・プレスリーばりのお色気ムンムンで、歌っている彼の表情からも“早速口説こう”としている歌のように見えます。
一方のリンゴver.は【概要】のライブ映像で、会場にいる16歳の女の子を舞台そばに呼んで祝福するなど“ほのぼの”させる雰囲気があり、それもまた彼らしくて魅力的です。
16歳をどんな風に受け止めるかは、人によってそれぞれ…? 


You're sixteen, you're beautiful
君は16才、とってもきれい
And you're mine. (mine, all mine)
…そして、僕のもの(全部、僕のもの)

遠い将来…
やがて70才になった時
誰かにそんな風に言ってもらえる
新たな魅力を備えたあなたでありますように。



「ユア・シックスティーン」


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tags : 1973年 カントリー/ロック リンゴ・スター 優しい愛 

comment(12) 

「追憶」バーブラ・ストライサンド

2017.11.03

category : Barbra Streisand

Barbra Streisand - The Way We Were1 Barbra Streisand - The Way We Were2


Barbra Streisand - The Way We Were (1973年)



~古い歌を追憶したら、意外な真実を発見!~

秋が深まり、暦の上で立冬を迎えるこの時節は、バーブラ・ストライサンドの「追憶」がぴったり…
などと想いを巡らせていたところ、俄かに私の脳裏に甦ったのが荒木とよひさ作詞・作曲「四季の歌」の[秋]についてのフレーズでした。
子供心にも秋が“心深き人”というのは理解できましたが、“ぼくの恋人”に喩えられる【ハイネ】って何だろうと思いながら歌っていました。
なので、この際だからと調べてみると…!??

あなたは、【ハイネ】の意味をご存知でした? 



~概要~

「追憶」は1973年の映画『追憶(The Way We Were)』のために書き下ろされた主題歌であり、主演であるバーブラ・ストライサンド自らが歌った歌曲です。
作詞は1982年の映画『トッツィー』の「君に想いを」(過去ログ)の作者でもあるアラン&マリリン・バーグマン(Alan and Marilyn Bergman)夫妻、作曲は舞台『A Chorus Line』のマーヴィン・ハムリッシュ(Marvin Hamlisch)、プロデュースはTOTOのデヴィッド・ペイチのお父さんマーティ・ペイチ。

1973年9月27日に映画に先行してシングルがリリース、10月に映画が公開されると同年の北米興行収入5位に相当する大ヒットを記録しました。
年が明けた1月1日、映画のオリジナル・サウンドトラック『The Way We Were: Original Soundtrack Recording』とバーブラの15thアルバム『The Way We Were』が同日発売されるというトラブルが発生したものの、どちらもBillboard 200で20位とNo.1という成功を収めています。
そして2月、シングル「The Way We Were」もBillboard Hot 100で3週No.1(1974年の年間No.1)に輝き、バーブラに初のNo.1曲をもたらしました。

1974年4月の第46回アカデミーに於いて「The Way We Were」はアカデミー作曲賞(Academy Award for Original Music Score;マーヴィン・ハムリッシュ)とアカデミー歌曲賞(Academy Award for Best Original Song;作詞アラン&マリリン・バーグマン/作曲マーヴィン・ハムリッシュ)を、更にはゴールデン・グローブ主題歌賞(Golden Globe Award for Best Original Song)も受賞しました。
また、翌年グラミー最優秀楽曲賞(Song of the Year)にも輝いています。

バーブラを代表する曲の一つであり現在まで多くのパフォーマンスを披露したほか、2014年にはライオネル・リッチーとのデュエットでセルフ・カバーも果たしています。
そのほかのカバーはグラディス・ナイト&ピップスver.が有名で、1975年にHot 100で11位を記録しました(まったりテイスト)。
また、2008年の『Kennedy Center Honors』でバーブラの目前で捧げられたビヨンセのパフォーマンスは、“これぞ女王”の美しさです!
意外なのは(バーブラ熱の高くない)日本での人気で、松田聖子や薬師丸ひろ子、テレサ・テン、岩崎宏美、桜田淳子、尾崎紀世彦ほか多くの歌手がカバーしています。


 
 



~Lyrics~

Memories

バーブラのハミングから続くこのやわらかなオープニング・ラインは、とても印象に残ります。
出だしの言葉は当初【Daydream】(白日夢、空想)だったものの、バーブラのアイデアで【Memories】(思い出)に変更されたそうです。
どちらも心が関与して描かれることに変わりはありませんが【Daydream】だと“過去”のイメージに直結せず、詩的な憧憬を抱かせる邦題の「追憶」というタイトルが生まれることもなかったのではないでしょうか…。


Light the corners of my mind
思い出は、この胸の片隅まで照らすともし火
Misty watercolor memories
ぼんやりかすんだ水彩の思い出たち

【watercolor(水彩画)】は誰もが小学校で体験する画法ですが、私の場合、記憶を省みればぬり絵の延長でただ色を塗っていただけで、特に感慨はありませんでした。
でもそれは(恐らく根本的に)間違ったアプローチをしていたからで、大人になってその【Misty(霧がかかったように淡い)】なやさしい世界観に触れ、強い魅力を感じるようになりました。
画像検索してみると、これだけで[Misty]な色合いに心を癒されます…。


What's too painful to remember
思い出すには、あまりに辛すぎて
We simply to choose to forget
安易に忘却を選んでしまう

…でも、【painful(苦痛な)】が入るだけでイメージが一変! 
確かに、忘れてしまいたくなります…(予想以上に上のイメージとギャップがある)。 
【忘却】は感情を併せ持つ私たち人間に必要不可欠な機能であり、もしこんな不快なイメージが頭にこびりついて忘却(消去)できないままであったなら、精神が破綻してしまうでしょう。

 …なぁんだ、ボクが3歩歩くと忘れるのは正常な機能なんだ♪



~Epilogue~

「The Way We Were」は劇中、ケイティが同じ大学の学生だったハベル(ロバート・レッドフォード)と偶然再会し、当時の思い出に入ってゆくオープニングに使われています。
この再会が契機となって二人は結婚まで至りますがお互いの本質的な価値観の違いは致命的で、夫婦生活は長くは続きませんでした。



それから歳月が過ぎ…
相変わらずニューヨークの街で反戦運動を続けているケイティは偶然ハベルと再会しますが、彼は新たな妻を同伴していました。
かつての愛おしさが二人のまなざしやその仕草に甦る一方、そこへ戻りたい…戻ってはならないと言い聞かせるような言葉の遣り取りが印象的です。

そのエンディングに流れるフレーズ…

Whenever we remember
いつだって、思い出すのは
The way we were
二つの笑みが交わっていた日のこと
The way we were
二人で歩んだ道程…

私たちの人生は基本、【The way I am】
幸いにして、共に歩んでくれるパートナーが現れたなら【The way we are】
不幸にして、それが過去のものになってしまったなら【The way we were】

どんな道を選んでもその足取りには希望と失望、喜びと悲しみが常に表裏一体で、絶対不変の幸福などありません。
大切なのは何気ないやさしさや幸せを感じ取れる感性であり、過去の悲しみをわざわざ引っ張り出してまで現在という貴重な一瞬を悲しみ色に染めてしまわない知性です。

悲しみの記憶は“教訓”に、そして喜びの記憶は心を照らす“ともし火”に



「追憶」


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tags : 1973年 AC せつない愛 映画70's 年間No.1ソング アカデミー歌曲賞 グラミー最優秀楽曲賞 

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「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」オリビア・ニュートン=ジョン

2016.03.04

category : Olivia Newton-John

Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads1 Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads2


Olivia Newton-John - Take Me Home, Country Roads (1973年)



~故郷へ帰りたい~

2016年2月10日現在まで2万4,608人の死者・行方不明者を出した東日本大震災の発生から、間もなく5年。
復興庁によると全国の避難者等の数は今年2月12日現在17万4,471人で、これはピーク時(34万6,987人)の1/2であるものの、一方で“5年経ってもまだ半数は避難生活のまま”という厳しい現実を示す数字でもあります。
また、同庁によると震災関連死(避難生活下での体調悪化や自殺による死)による死者数は2015年9月30日現在3,407人を数えており、特に福島県に於いては地震による直接死の数を上回っています。

昨年“シリア難民問題”が世界を揺るがし多くの関心が寄せられましたが、今この国にも5年間故郷を離れ避難生活を強いられたままの多くの人たちがいる…。



~概要~

「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」はオリビア・ニュートン=ジョンの1973年のアルバム『Let Me Be There』の収録曲で、1stシングルとしてリリースされますがBillboard Hot 100では119位と全くヒットせず、辛うじてイギリスで15位を記録しています。

その後、日本では1976年に朝の情報番組『おはよう700』の看板コーナーで、アメリカ大陸を自動車で縦断する国外取材記“キャラバンII”のテーマ曲に採用されると人気に火が付き、「たそがれの恋」との両A面でシングルカットされオリコン洋楽チャートで11月29日付から15週連続1位という大ヒット(37.6万枚)となり、お茶の間の誰もが知る洋楽曲となりました。
(「故郷へ帰りたい」というタイトルなのに遠い異国を旅するテーマというのも、アレですが?

また、1995年にはスタジオ・ジブリのアニメ映画『耳をすませば』のオープニングにオリビアver.が再び採用されただけでなく、映画の主人公・月島雫が作詞し歌う(※)挿入歌/エンディングとなったことから、再び脚光を浴びたことをご記憶の方も多いでしょう。
(※実際の作詞は鈴木敏夫の娘・鈴木麻実子と宮崎駿、歌は月島雫を演じた本名陽子)
ちなみに、この日本語カバーの歌詞もオリジナルとは真逆の“…帰れない、さよならカントリー・ロード”という内容になっています!

一方「Take Me Home, Country Roads」のオリジナルはオリビアではなく、アメリカのカントリー歌手ジョン・デンバーが1971年に発表しHot 100で2位(年間8位)の大ヒットを記録した作品です。
元々この楽曲は夫婦デュオ“Fat City”のビル・ダノフ(Bill Danoff)とタフィー・ナイバート(Taffy Nivert)の共作であり、当初メリーランド近くの曲がりくねった道から着想を得たバラードとして創作したものでした。
二人はこれを人気カントリー歌手ジョニー・キャッシュの所に売り込むつもりでしたが、ジョンが気に入って歌いたがったので予定を変更し、彼に合うよう舞台をウェスト・バージニア州にするなど3人で手直ししたそうです。
ここで紹介するジョン・デンバーver.はその3人が共演した貴重な映像となっていますので、お楽しみください♪

 



~Lyrics~

Almost heaven, West Virginia
天空の地、ウエスト・バージニア
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
ブルー・リッジ山脈に、シェナンドー川

現在アメリカは大統領選挙・予備選の真っ最中ですが、候補者の一人ヒラリー・クリントンは2008年のウェスト・バージニア州民主党予備選の演説で“You know, like the song says, 'It's almost heaven.'”と、このラインを引用し同州で大勝利を収めたそうです。
ウェスト・バージニア州はアメリカ東部にある面積・人口共に小さな州で、すべての地域が山岳内にあることから“山岳州(The Mountain State)”とあだ名されています。
ただし、実際は「カントリー・ロード」で紹介している“[ブルー・リッジ山脈]は全く同州を通っておらず、[シェナンドー川]も僅かにかすめる程度”なのだそうです!
これは本作の作者である3人ともが同州の出身ではなく、当時十分確かめず発表してしまったために生じた誤解であり、このためジョン・デンバーは当地で歌う際は確かに同州に位置する[Appalachian Mountains(アパラチア山脈)]・[Monongahela River(モノンガヒラ川)]と言葉を替えて歌っていたそうです。

…とはいうものの本作は当地で熱烈に歓迎されており、「Take Me Home, Country Roads」は2014年に公式にウェスト・バージニア州の4番目の州歌となっています。


All my memories gathered 'round her
思い出すのは、彼女にまつわることばかり
Miner's lady, stranger to blue water
鉱夫に囲まれ、青海原を知らぬ女性(ひと)

歌に度々登場する【her】は、どうやら主人公の思慕の対象者であることが理解できるでしょう。
これを男性のジョン・デンバーが歌うと“初恋の相手”かもしれないし、女性のオリビアだと“お母さん”…なのかもしれません。
また、[her]に限らず歌に登場する風景の一つひとつが“故郷=母のぬくもり”のイメージと重ねられているような気もします。

ウェスト・バージニアは国内第2位の石炭生産量を誇る一大産地であり、内陸にあるため【blue water(海)】には面していません。
【Miner's lady】は、[her]を母とするか娘とするかで随分イメージが変わってきそう…?


Dark and dusty, painted on the sky
暗く、塵まみれの空気が覆う空
Misty taste of moonshine
ぼんやりとした味の“ムーンシャイン”

ウェスト・バージニアは森林や自然の豊かな土地ですが“炭鉱の町が故に、空が【Dark and dusty】”とイメージしました。
【moonshine】は“密造酒”のことで、アメリカでは特に“ウィスキー”が多いようです。
自己流で造った酒なので当然ちゃんとした製品の味には程遠く、【Misty(かすみのかかった・薄ぼんやりとした)】という表現から察するに、正直あんまり美味しくはないのでしょう。
でも、その独特な風味だからこそ“郷愁”を誘うものなのかもしれません…。



~Epilogue~

つい先日、震災後の被災地に生きる一人の男性(58)についてのニュースを見ました。
建物の9割が被災し死者・行方不明者827人を出した宮城県女川町に暮らす彼は、津波で22年間連れ添った奥さまが行方不明となってしまいました。
彼女の捜索はダイバーに任せるより外はなかったものの、“人任せではいけない”と一念発起し自ら潜水士の国家資格を取得。
行方不明者捜索チームに参加し活動を続けてきましたが、現在もまだ彼女を発見できてはいないそうです。

ここまできたら、無事でないことは解かっている。
でもこのまま冷たい海でというのも可哀そうだし、最後(津波に飲まれる直前)のメールに‘帰りたい’とあったので、今でも帰りたいだろう。
だから迎えに行きたい。遺骨の一部でも連れて帰りたい。



Country Roads, take me home
カントリー・ロード、連れて行っておくれ…
To the place I belong
私の、あるべき場所


…そして、ここにも“故郷へ帰りたい人たち”がいます。

7月には参議院選挙があり、巷では安倍首相はそれに合わせ2014年12月に改選したばかりの衆議院も解散し“衆参ダブル選挙”にする腹づもりと囁かれているからです。
もちろんこれについて首相本人は否定し続けていますが、“それが自民党に有利であるなら必ずやる”でしょう。
そういう状況にある現在、殆んどの国会議員の関心を占めているものは“選挙”です。

しかしあなたは任期中の国会議員であり、国民のため第一に果たさねばならない職務があることをどうか忘れないでください。
今この瞬間も震災の苦しみと闘い、心の傷を負ったままの国民がたくさんいることを…。



「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」


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tags : 1973年 カントリー 故郷 日本で人気 震災 

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