授賞式に於いてダイアナは娘や息子、その伴侶、孫たち、モータウンからベリー・ゴーディ・ジュニア、スモーキー・ロビンソンといった家族や長年の友人が見守る中で「The Best Years Of My Life」「Ain’t No Mountain High Enough」など圧倒的なパフォーマンスを披露しました。 また、アメリカ音楽史を代表する歌姫の栄誉に対し、現代を代表する歌姫テイラー・スウィフトやオバマ元大統領夫妻からも祝福のビデオ・メッセージが届くなど、その影響の大きさを物語っています。
その主題歌こそ「Theme From Mahogany」であり、サブタイトルが「Do You Know Where You're Going To」でした。 作者は映画の音楽も担当したマイケル・マッサー(作曲)と、キャロル・キングの公私に亘るパートナーとして知られたジェリー・ゴフィン(作詞)。 この二人はホイットニー・ヒューストンの「Saving All My Love for You」やグレン・メデイロス「Nothing's Gonna Change My Love For You」、ピーボ・ブライソン&ロバータ・フラック「Tonight, I Celebrate My Love」(過去ログ)ほか数々の名曲を世に送り出したゴールデン・コンビです。
1975年9月、「Theme From Mahogany (Do You Know Where You're Going To)」は『Mahogany』のサウンドトラック・アルバムからのシングルとしてリリースされ、翌年1月にダイアナのソロとしては3曲目のBillboard Hot 100のNo.1(1976年の年間43位)に輝きました。 しかし、こうした活躍にも拘らず本曲はアカデミー歌曲賞の対象外とされそうになり、これに音楽業界が猛反発したためノミネートされる変更がなされたものの、結局『Nashville』の「I'm Easy」が受賞するという騒ぎが起きています。 恐らくこれは「Do You Know Where You're Going To」が元々1973年にThelma Houstonに提供された曲(レコーディングはしたが発表はしていない)で、映画のために創られた楽曲ではなかったからでしょう。
You knew how I loved you, but my spirit was free 貴方は私の愛を理解してくれた…でも私の心はそれに縛られることなく Laughin' at the questions that you once asked of me 投げ掛けられたその問いさえ、あざ笑った
今年はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が1975年10月31日に発表されて、ちょうど40年。 その「Bohemian Rhapsody」が全英チャートNo.1を独走していた最中、『A Night at the Opera Tour』同年のクライマックスとしてクリスマス・イヴの夜、彼らが立ったステージがロンドンのハマースミス・オデオン(現:イヴェンティム・オデオン)でした。 その模様が最新の技術によってレストアされ、今回『クイーン——オデオン座の夜 ~ハマースミス1975』としてこの11月20日にBlu-rayはじめマルチ・フォーマットでリリースされたことを、ご存知のファンも多いことでしょう。
アメリカでもBillboard Hot 100で9位(1976年の年間18位)に入る初のTop10ヒットを記録するなど、世界的な大ヒットとなりました。 ローリング・ストーン誌“the 500 greatest songs of all timeの166位”にも選出されている楽曲であり、2002年のギネス・ワールド・レコーズ社によるアンケートでは“英国史上最高のシングル曲の1位”という結果も残っています。
Easy come, easy go, will you let me go? 気ままに生きただけだ…俺を見逃してくれ Bismillah! No, we will not let you go. (Let him go!) ビスミッラー!いいや、お前を見逃すわけにはいかない(彼を赦し給え!)
オペラ風のパートですが[opera]は元々イタリア語で、【Scaramouch(イタリア喜劇の空威張りする道化役者)】【Galileo】【Figaro】【Magnifico】【mama mia】などイタリアに関連した言葉がたくさん用いられています。 一方【Bismillah(بسم الله الرحمن الرحيم)】はアラビア語で“神(アッラー)の御名において”という意味の言葉であり、主人公は裁きを受け、彼と周囲は赦しを乞うている様子が窺えます。
リアルタイムで歌と詞をなぞるとやり取りが面白く、何度も赦しを乞うものの終に【Never, never let you go】と言い切られてしまい、その絶望感を極端な低音の【No, no, no, no, no, no, no.】で表現しています。 主人公は落胆の心情を【Mama mia, let me go.(愛するママ、俺を助けて)】と吐露し、困り果てた彼はあろうことか魔王【Beelzebub】に助けを求めてしまう…というオチ! “溺れる者は藁をも掴む”といいますが、切羽詰まった人間の心情がよく出ています。
「明日なき暴走」は、ブルースがブレイクするきっかけとなった1975年の3rdアルバム『Born to Run』のタイトル曲で、1stシングルとしてBillboard Hot 100で23位を記録しました。 ローリング・ストーン誌の評価が極めて高く、アルバムは“500 Greatest Albums of All Time”の18位、「明日なき暴走」も“The 500 Greatest Songs of All Time”で21位にランクされている他、“ロックの殿堂”入りも果たしている楽曲です。 音楽は言うまでもなく素晴らしいですが本アルバムはジャケットがカッコよく、私はCDの小さな写真では満足できず、わざわざ大きなLPで持っています!
演奏をサポートしているのは勿論“Eストリート・バンド (The E Street Band) ”で、間奏では2011年に「ジ・エッジ・オブ・グローリー」でレディー・ガガと共演したサックスのクラレンス・クレモンズがソロを執っています。 今回ご紹介している映像は恐らく1984-1985年頃の“Born in the U.S.A. Tour”のライブを中心に編集されたバージョンで、名実共に全盛期のブルースのパフォーマンスは圧巻です! オリジナル音源をお聴きになりたい方は、コチラをどうぞ♪
~背景~
デビュー当初、ブルースのレコード・セールスはサッパリでしたが識者の評価は高く、ライブ・パフォーマンスはファンの間でも評判でした。 1974年、そんな彼のライブを見たロック評論家ジョン・ランドーが雑誌で“ロックン・ロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン!”と絶賛したため、ブルースは一躍脚光を浴びることとなりますが… 彼は余程ブルースに惚れ込んだのか、そのままブルースの1975年の3rdアルバム『Born to Run』のプロデューサーの一人に名を連ねることとなっています。
h-Oh, Baby this town rips the bones from your back なぁBaby、この街は背中から骨抜きにしちまう It's a death trap, it's a suicide rap We gotta get out while we're young 死の罠、自殺のドアへと誘うのさ…若いうちに抜け出そう