「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」は1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)』で、ジョン・トラボルタが圧巻のダンス・パフォーマンスを演じるシーンが有名ですが、実はこの映画のために書かれた楽曲ではなくビー・ジーズ1976年のアルバム『チルドレン・オブ・ザ・ワールド(Children of the World)』に収録された作品でした。 同アルバムからの1stシングルとしてカットされ、同年9月に自身3作目となるBillboard Hot 100のNo.1(年間31位)に輝いています。
ビー・ジーズは前作『Main Course』でそれまでのソフト・ロック路線を「Jive Talkin」などディスコ路線に転換し大成功を収めていますが、所属レーベルの都合により『Children of the World』ではプロデューサー(アリフ・マーディン)の変更を余儀なくされてしまいます。 そこでリンゴ・スターの「You're Sixteen」(過去ログ)を成功に導いたリチャード・ペリーが選ばれたものの2日で決裂、結局前作に携わったスタッフの中からこれと思った2人(Albhy GalutenとKarl Richardson)が担当することとなり、不安の中での再出発でした。 しかし「You Should Be Dancing」が大成功を収めたことで不安は一掃、以降ビー・ジーズ及びバリー・ギブ関連作品に欠かすことのできない共同制作者( Gibb-Galuten-Richardson)として13曲の全米No.1シングルの輩出に関与することになります。
『Saturday Night Fever』サウンドトラックへの参加はビー・ジーズのデビュー以来のマネージャーであり、同映画のプロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドの依頼によって『Children of the World』のレコーディングの最中にもたらされたものでした。 当初の要望では[新作4曲]でしたが、実際にはイヴォンヌ・エリマンが歌った「If I Can't Have You」を含む新作5曲に、既発の「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」と「ジャイヴ・トーキン」(映画本編では使用されていない)を加え計7曲を提供、(結果として)うち6曲が全米No.1に輝くという前代未聞のモンスター・アルバムが生まれる原動力となりました。
「You Should Be Dancing」は1999年にイギリスのクラブDJ[Blockster]にカバーされ全英3位を記録、2012年のアメリカ人気テレビ・ドラマ『glee/グリー』でのダレン・クリス(Darren Criss)らによるパフォーマンスも印象深いカバーです。
~ジョン・トラボルタの悲劇!?~
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の中で「You Should Be Dancing」の見事なダンス・パフォーマンスを披露し、世界にディスコ・ブームを巻き起こした俳優ジョン・トラボルタですが、実は意外な事実があります。
ダンス・レッスンの初日に振り付け師から「You Should Be Dancing」の振り付けが示されると、それはまるで運動選手並の要求水準で、トラボルタ本人は恐ろしくなってプロデューサーのロバート・スティッグウッドに“絶対できない”と降板の電話を入れたものの逆に説得されて続投することとなりました。 しかしギャップを埋めるためにはかなりの筋力と運動能力の上積みが必要であり、昼3kmのランニング&夜3時間のダンス・レッスンという数カ月を乗り越えて9kgの減量と体力UP&振り付けの習得を果たしたそうです(トラボルタは当時の心境を“調教されてる馬の気分”と表現している)。
「You Should Be Dancing」を一聴すると直感的に印象づけられるのはラテンやファンク (funk)のリズム系で、従来のビー・ジーズの魅力とは対極のフィーリングにあるように思えます。 しかしそうしたリズム系の音一つひとつに耳を凝らしてみるとモーリスのベース・ラインやCSN&Yのスティーヴン・スティルスが参加したというパーカッション、トランペットなどアレンジが絶妙であり、非常に洗練されていることがわかるでしょう。 また、ヴォーカル・パートのみの音源を聴いてみるとハーモニーの美しさはやはりビー・ジーズならではであり、どれだけ音を重ねたのだろうと思わせられるぶ厚いサウンドはミキシングに10人がかりを費やしたというからオドロキです。
「プリテンダー」は1976年の4thアルバム『The Pretender』のタイトル曲で、2ndシングルとしてBillboard Hot 100で58位を記録しました。 レコーディングにはTOTO以前のジェフ・ポーカロなど名うてのミュージシャンがサポートしていますが、実は冒頭で紹介したCS&Nのデヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュもバック・コーラスに参加しています。 また、同曲は1995年のハリウッド映画『陽のあたる教室(Mr. Holland's Opus)』にも起用されました。
プロデュースはブルース・スプリングスティーンのアルバム『Born to Run』のジョン・ランドーが手掛け(「Born to Run」曲単体のプロデュースはマイク・アペル)、ジャクソンにとって初のBillboard 200でTop10入り(5位)を果たした名作で、ローリング・ストーン誌“the 500 greatest albums of all time”の391位にランクインしています。
And when the morning light comes streaming in …やがて、朝陽が射し込む頃 We'll get up and do it again 起きて、君と僕はまた愛し合う Get it up again(※)
歌中で何度か登場する数少ないフレーズです。 【do it again】は、他では淡々と繰り返される時の流れを映し出しているのに対し、ここは前後から肯定的なニュアンスを感じさせます。 そのせいか、非常にマジメな作品に於いて唯一暴走気味! 【Get it up】は“起こす”のは言葉の通りですがスラングで、愛し合うために“男はitを起こさねばならない”… つまり、“下ネタ”になっておりまして…!?(訳は自粛)
今回私を一番悩ませたのが、すぐ上の And then we'll put our dark glasses on で、“愛し合うのに何故【サングラスを掛ける】?”という疑問でした。 でも、それに続くこの部分で【朝陽が射し込む頃】なのに【do it again(もう1ラウンド?)】挑もうとするタダならぬ執着心に気づき、“朝になろうと、サングラスを掛ければ二人の夜は終わらない!”なのだという解釈に至ったのです。
「二人だけのデート」は1976年の4thアルバム『青春に捧げるメロディー(Dedication)』の1stシングルで、全英4位を記録しました。 前年に『サタデー・ナイト』で初めてアメリカのチャートNo.1に輝いた余波が生きていて、ここでもBillboard Hot 100で12位とヒットを遂げています。 アルバムのレコーディング・セッション中に創設メンバーで年長のアラン・ロングミュアーが脱退、当時まだ17歳で最年少のイアン・ミッチェルが加入しました(しかし、半年ほどで脱退)。