I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「レインボー・コネクション」カーミット・ザ・フロッグ

2021.05.20

category : Soundtracks

Kermit the Frog - Rainbow Connection (1979年)

“Rainbow Connection”…雨の季節、水辺で歌う“彼”には人知れず抱く大きな夢があるのです ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1979年 ポップ 雨/虹 希望/夢 映画70's ディズニー ドラマ 偉大な曲 

comment(4) 

「シー・ビリーヴス・イン・ミー」ケニー・ロジャース

2017.12.22

category : Kenny Rogers

Kenny Rogers - She Believes in Me1 Kenny Rogers - She Believes in Me2


Kenny Rogers - She Believes in Me (1979年)



~ケニー・ロジャース引退~

1958年から59年間のキャリアを積み上げてきたアメリカ・カントリー界の大御所ケニー・ロジャースが、この2017年を以って音楽界からの引退を発表しています。
今年8月に79歳となったケニーはこの10月まででツアーを完遂させており、最終25日のナッシュビルでのブリジストン・アリーナ公演にはドリー・パートンほか彼を慕って集まった多くの歌手によってライブ・パフォーマンスが行われました。



“アメリカでは国民的歌手”ともいわれ、1980年代には「We Are The World」のソロ・パート(1A-1A'[The greatest gift of all-We can't go on pretending day by day])を務めたにも拘らず、その偉大さを認識している日本人はごく僅かかもしれません。
でも“日本人好みの琴線”を持った歌手なので、カントリーという先入観を捨ててお耳を傾けてみてください。



~概要~

「シー・ビリーヴス・イン・ミー」は1978年12月の6thアルバム『The Gambler』に収録で、1979年4月に2ndシングルとしてリリース、Billboard Hot 100の5位(年間47位)を記録しました。
ケニーはそれまでもカントリー界のスターでしたが、本アルバムが3500万枚のセールスを挙げたことによりクロスオーバーな人気を築くきっかけとなった作品です。
「She Believes in Me」についてケニーは複数回セルフ・カバーしており、私は1990年の『The Very Best Of Kenny Rogers』で本曲を知ったのでそのバージョンをメイン動画としましたが、オリジナルが収録された『The Gambler』は聴いたことがないので、それと思われる音源を本項の最初に貼っておくこととします。

「She Believes in Me」の作者はSteve Gibbという人で、ケニーは1983年にビー・ジーズのバリー・ギブをプロデュースに迎えたアルバム『愛のまなざし(Eyes That See in the Dark)』を制作、バリーにはSteve Gibbという息子が実在します…
が、これは同名異人です。
『The Gambler』は有名無名を問わず有能なライターを集めて作曲されたアルバムで、Steve Gibbもその一人と思われます(英語版wikiにもSteve Gibb固有の項目は無い)。
詳細は不明ですが、「She Believes in Me」を最初にレコーディングしたのはSteve Gibb自身であったそうです。


2004年、アイルランドのヴォーカル・グループ Boyzone のローナン・キーティング(Ronan Keating)がオリジナルから歌詞を一部変えた「She Believes (In Me)」をカバー、全英2位をはじめヨーロッパでもヒットを記録しました。
2005年にはケニーがカントリー・ミュージック専門ケーブルテレビ・チャンネルCMTに出演、「She Believes in Me」を長年の友人ライオネル・リッチーと共演し、息の合ったパフォーマンスを披露しました。

 
 



~Lyrics~

While she lays sleeping
君が眠りに就いている頃…
I stay out late at night and play my songs
夜遅く、僕は外で歌を披露している

一般の仕事は日中であることが多いですが、彼らを相手のエンターテインメントの仕事の多くはその余暇時間、特にナイト・クラブなどでの演奏となると深夜に及びます。

ビートルズがレコード・デビュー前に演奏したのもこうした場所で、ハンブルク巡業では一晩8時間というステージもこなしたそうです。
そして、ビートルズをローカルからグローバルへと導く運命の人との出会いも、この場所(キャヴァーン・クラブ)でした。


I stumble to the kitchen for a bite
つまみ食いによろめき入った台所で
And I see my old guitar in the night
僕は暗がりに、古いギターを見つける

【my old guitar】は、解釈にもよりますが私には“こういう生活が長い”ことを連想させました。
もしこの曲を発表時のケニーの実年齢に重ねたとすると40歳で、“主人公は相当な苦労人”ということになりますが…。

しかし上には上がいるもので、1999年にメジャー・デビュー曲「孫」を240万枚売り上げた大泉逸郎は当時58歳、2009年に初ヒット「愛のままで…」がオリコン週間総合チャート1位を獲得した秋元順子は当時61歳7ヶ月でした([団塊世代の星]と呼ばれた)。


And she says to wake her up when I am through
そして君はこう言う…“やり遂げたら、起こしてね”
God her love is true
あぁ、君の愛はいつも真実…

マイナー歌手は収入も所属も不安定で本人も大変ですが、それを支える家族も苦労が絶えないことでしょう。
明日がどうなるかもしれない境遇に長く置かれると、その不満や不安から感情的になったり相手を詰(なじ)る女性も少なくないと思いますが、男性からするとそんな拷問が待っている家には帰りたくない…と、二人の距離はますます遠のいてしまいます。

“苦楽を共に”が[結婚の誓い]ですが、この場合一緒に起きて手伝ってもらっても創作が捗(はかど)るものではないし、[早く早く]と急かされたら逆効果です。
登場する女性は無駄なプレッシャーは与えず、夜遅く帰って来ても気配を察し声を掛けてくれるなど、愛情の使い分けがとても上手なような気がします。

 …これぞ、男を虜にする小悪魔ちゃんの極意♪



~Epilogue~

「She Believes in Me」を結ぶ時、歌手であるケニー・ロジャース自身のエピソードを提示できればよいのですが、それはちょっと難しいかもしれません。
…何せ、“5回の結婚歴”がある人ですから! 
[ただし、今回の引退は12歳になる双子の息子(※孫じゃありません!)のフットボールの試合を見に行く時間を作る…という家族愛を理由に掲げている]


…なので時節柄、(今上)明仁天皇と美智子皇后のエピソードをご紹介いたします。
美智子さまは皇太子・明仁親王(当時)とテニスコートでの自由恋愛をきっかけに、1959年(昭和34年)に初の平民出身の皇太子妃として皇室に入られた方です。

以降の仲睦まじい姿は国民によく知られるところですが昭和50年(1975年)、戦後初めて皇族としてお二人が沖縄県に入られた時のことです(沖縄海洋博出席のため)。
沖縄は太平洋戦争で多大な犠牲を強いられただけでなく戦後も1972年までアメリカ軍の統治下に置かれ、県民には戦争責任のある天皇家に恨みを抱く者が少なくありませんでした。
糸満市[ひめゆりの塔]にお二人が慰霊に訪れた際、過激派が明仁さまに向けて火炎瓶を投げつけたため、側にいた美智子さまは明仁さまの半歩前に進んで身を挺して守ろうとされたそうです。

また、共に天皇・皇后となられた平成4年(1992年)の山形県・べにばな国体では、明仁天皇が開会式のお言葉を述べている最中に男に発煙筒を投げつけられ、この時も美智子さまが素早く身を挺するように庇われている姿が映像として記録されています。

 


美智子さまの機敏な行動は、常日頃からの強いご覚悟と使命感で臨まれていなければこのような身の危険を顧みないとっさの動作に移れるものではありません。
『日本書紀』には日本武尊 (やまとたけるのみこと)を海難から救うため海神の怒りを鎮めようと自らの身を海に投じた弟橘媛(おとたちばなひめ)の伝説があり(彼女の遺品として流れ着いた櫛を祀ったのが千葉県茂原市の橘樹神社)、美智子さまはこの話に感銘を受け自らのお手本にしているともいわれ、天皇行幸の際に彼女が常に同行している第一の目的は[最後の楯]となって明仁天皇をお守りするためと、私は推察いたします。


こうした美智子さまの献身に対し、明仁天皇は平成25年(2013年)の自らの誕生日に際する記者会見で次のように述べています。

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています


But she has faith in me
それでも、君は僕を信じてくれる
And so I go on trying faithfully
だから僕も、固く信じて挑み続けられる

“私が大切にしたいと思うものを、共に大切に思ってくれる”…
“信じる”とは、そういうことなのかもしれません。



「シー・ビリーヴス・イン・ミー」


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tags : 1979年 バラード/Country 安らかな愛 夫婦愛 

comment(6) 

「ワンダフル・クリスマスタイム」ポール・マッカートニー

2017.12.08

category : Christmas

Paul McCartney - Wonderful Christmastime1 Paul McCartney - Wonderful Christmastime2


Paul McCartney - Wonderful Christmastime (1979年)



~ポールから、ビートルズ・メンバーへのクリスマス・プレゼント~

ポール・マッカートニーが1965年にビートルズの他の3人へのクリスマス・プレゼントとして制作した音源『Unforgettable』が、今月1日にYouTubeで公開されました。
この音源はポールがDJとなってナット・キング・コールやビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリーなどの曲を紹介する内容となっており、自宅にあるテープレコーダー2台を使って録音されたもので、ポール自身は“クレイジーで、前衛的なもの、夜遅くに聴いて楽しめるものを他のザ・ビートルズのメンバーのために作ってみたんだ。基本的に友人のためのものでしかないんだけどね”と、解説しています。

…あなたはもうクリスマス・プレゼントをご用意されましたか?
私はポールに倣って、本記事をクリスマス・プレゼントといたしましょう♪


Paul McCartney's Christmas Disc 1965



~概要~

「ワンダフル・クリスマスタイム」は1979年11月16日発売のポール・マッカートニーのシングルで(B面は「Rudolph The Red-Nosed Reggae」)、ビートルズ解散後初のソロ・シングル「Another Day」(1971年)以来8年ぶり、そして実現するはずだったウイングスの日本公演直前の1980年1月5日に全英6位を記録しました。
1979年6月、ポールはウイングスのアルバム『Back To The Egg』をリリース後6週間ほど自宅スタジオに籠って一人でレコーディングを行っており、この音源は翌年のソロ・アルバム『McCartney II』として発表されることとなりますが、「Wonderful Christmastime」もこの時の録音によるものです。

作詞・作曲、ヴォーカル&演奏の20トラック以上、プロデュースをポールが一人で担当し、それ以外にも特筆すべきといえば当時流行だった【テクノ・ポップ】がフィーチャーされていることでしょう。
これは当時日本のYMOや喜多郎・オフコースらも使っていたシーケンシャル・サーキット プロフェット5(Sequential Circuits Prophet-5)というアナログ・シンセサイザーによるもので、洋楽ではキム・カーンズの「ベティ・デイビスの瞳」(過去ログ)にも使用されたものです。
ただしポールはシンセサイザーの専門家ではないためか、新しい玩具に夢中になった子どもが弾きまくっているように電子音が強調されており、伝統的な作風が好まれる傾向のあるクリスマス・ソングの中にあって“少しやり過ぎ感”があるせいか、当時はあまり評価が高い作品とはいえませんでした。


しかし2000年代に入ってから急に新しい世代によるカバーが増えたことでクリスマス・ソングとしての人気が確立され、カイリー・ミノーグのポップスはもちろんDe La Soulのヒップホップ、Helixのヘヴィー・メタル、Eli Young Bandのカントリーといった実に幅広いジャンルからのアプローチがみられます。
このためポールは現在でも本曲だけで年間40万ドルの印税収入があり、累積だと1500万ドルにも上るそうです!

2013年にはアメリカの人気番組『Saturday Night Live』でポール自身がコメディを演じると共に本曲を披露したり、昨年12月には『The Tonight Show』で司会のジミー・ファロンや番組の“ハウス・バンド”を務めるザ・ルーツ、今年3月に日本でも公開された映画『SING/シング』のキャラクターとその声優陣(スカーレット・ヨハンソン、リース・ウィザースプーンほか)らと共にアカペラ・バージョンの楽しい映像を公開しました。


PVにはウイングスのメンバーが登場していたり、本曲リリース直後の1979年11月23日に母校リバプール・インスティテュートからウイングスのツアーをスタートさせているように、もしも1980年の【日本での事件】と【ジョンの死】という“まさか”が起こらなかったら、ポールの運命も少し変わっていたかもしれません。

 
 



~Lyrics~

The mood is right
ムードはばっちり
The spirit's up
気分も上々

イギリスに於いて11月中旬頃から街がクリスマス・モードに入るのは日本と変わりありませんが、お店ばかりが飾り付けを先行する日本とは違いイギリスのクリスマスは“準備が大変”といわれます。
クリスマスをカウントダウンするための【アドベントカレンダー(Advent calendar)】《写真・左》や、たくさんの人と交わす【クリスマスカード】、パーティー参加人数分の【クリスマスプレゼント】、【クリスマスツリー】などの準備に加え、クリスマス前2週間位となると地域や職場・学校などのクリスマス行事への参加が忙しくなるそうです。

この時期のイギリス人の慌ただしさは、日本の年末年始に喩えられます。

Paul McCartney - Wonderful Christmastime3


We're here tonight
今夜はみんな揃ってるし
And that's enough
それで十分さ

イギリスのクリスマスは【家族と過ごす日】(または親戚・親しい友達)であり、12/25がメインで当日はお店や交通機関さえお休みしてしまうそうです。
当日の流れとしては午前中に教会のミサへ参加し、帰宅してプレゼントを交換し合うと午後から【クリスマス・ディナー】が始まって、夕方にエリザベス女王のクリスマスのスピーチがあります。

日本ではチキンやスポンジケーキを食べますが、イギリスではターキー(七面鳥)と【クリスマス・プディング】です。
クリスマス・プディング《写真・右》はイギリスの伝統的なクリスマス・ケーキで、日本でいうプリン(custard pudding)と違い小麦粉の生地にドライフルーツやナッツ類を加えてオーブンで焼いたりした硬めのお菓子です。
オーブンに入れる前、生地に指輪やコインなどを埋め込んでおいて家族で切り分けて食べる際に運勢を占って盛り上がる…というのも、伝統的な慣習とされます。


The feeling's here
…そうさ、このフィーリング!
That only comes
それは、この季節にだけ訪れる
This time of year
特別な感覚

クリスマスといえば何といってもその“幸福感”で、「ワンダフル・クリスマスタイム」はまさにそれを表しています。
それは自分一人だけの幸せでなく、社会や地域全体がその喜びを共有しようと心を一つに願うからこそ生まれる特別な感覚。

日本の神道では神事を行う前に自分自身の穢(けが)れを水などで体を洗い流し“身を清める”作法がありますが、キリスト教の降誕祭は“心を清める”でしょうか…。
洋の東西を問わず“聖なるもの”に相対する時、人は謙虚になれるようです。



~Epilogue~

Beatleたちのクリスマス・ソング

スーパースターと呼ばれるミュージシャンは大抵何かしらのクリスマス・ソングやクリスマス・アルバムの類いを出しているものですが、意外にもビートルズはそうした作品をリリースしていません。
敢えてこじつけるなら1964年12月4日に発売で“クリスマス・セール”に引っ掛けてタイトルされたアルバム『Beatles for Sale』がありますが、選曲自体はクリスマスに関連したものではありませんでした。
解散後はご存知のように、ポールの「ワンダフル・クリスマスタイム」やジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」がスタンダード・ナンバーとなっています。

また、最もクリスマスが似合いそうなリンゴ・スターはメンバー中唯一クリスマス・アルバム『I Wanna Be Santa Claus』(1999)を発表しています(タイトルが何とも彼らしい♪)
一方、ジョージ・ハリスンはヒンドゥー教徒なので恐らくクリスマス・ソングはありませんが、1974年12月6日に「Ding Dong, Ding Dong」というシングルをリリースしBillboard Hot 100で36位と小ヒットしました(タイトルと発売時期は明らかにクリスマス・セールを意識している!)。
この曲は【参加ミュージシャンがあり得ないほど豪華】で、ドラムスにリンゴ・スター、ギターにロン・ウッドとミック・ジョーンズ、ベースにクラウス・フォアマン、ピアノにゲイリー・ライト、ホーンにトム・スコットらを揃え、更にはPVでジョージ自らがビートルズ時代の自分の衣装を着せ替え人形状態で見せるサービスぶりで、とりわけ【襟なし服】は見ものです!

 
Ringo Starr - Christmas Eve / George Harrison - Ding Dong, Ding Dong


Beatlesのクリスマス・ソング

…実は“非公式”であれば、ビートルズ・オリジナルによるクリスマス・ソングが存在します!
しかも作詞・作曲はジョン、ポール、ジョージ、リンゴのメンバー全員という超レア作品!!

「Christmas Time (Is Here Again)」は、イギリスのファン・クラブ向けに1967年のクリスマスに製作されたソノシート・レコード(雑誌の付録に付いてくる赤いペラペラのアレ)のために録音された歌。
楽曲自体は【Christmas time is here again】ほかの短いフレーズをひたすら繰り返す極めて単純な構成で、恐らくその場の即興で創られたものと想像しますが、メンバー全員によるハーモニーがビートルズらしくて魅力的です。

その後1995年、「Free as a Bird」に本曲の短縮編集バージョンがカップリングされました。
(本項ではComplete Versionを紹介)


The Beatles - Christmas Time (Is Here Again)


…さて、2017年のクリスマスまで2週間となりました。
早く来て欲しいような、ずっとこの楽しみのままでいて欲しいような…?

私はこれまで何曲もクリスマス・ソングを聴いてきましたが、日本のクリスマスとの感覚の一番の違いは“平和に対する願い”です(あくまで一般論として)。
ただ単に1年毎に自動的にやって来る年中行事としてではなく、平和があり、ささやかな宴を催す食料があり、その幸せを分かち合う家族があるからこそ楽しい祝日…。
それ故、彼らはその幸福感を味わえない貧しい人々や戦火の中に置かれた人々に思いを致し、今この瞬間を幸せに迎えられることへの感謝の気持ちをクリスマス・ソングに込めるのだと。
その意識が心にあるのと無いのでは、“その日”の意味が全く違ったものになるような気がします。
そして、忘れてはならないことがもう一つ…

Simply having a wonderful Christmastime
素敵なクリスマスを、シンプルに楽しもう



「ワンダフル・クリスマスタイム」


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tags : 1979年 シンセポップ 楽しいクリスマス 

comment(8) 

「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴズ~アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」ピンク・フロイド

2017.04.28

category : Pink Floyd

Pink Floyd - Another Brick In The Wall1 Pink Floyd - Another Brick In The Wall2


Pink Floyd - The Happiest Days Of Our Lives / Another Brick In The Wall (1979年)



~今、そこにある危機~

本記事構想は4月上旬、新聞に“文部科学省が新学習指導要領で中学校体育の武道種目に【銃剣道】を明記”との記事を見つけ、驚いたことでした。
あまりの突拍子のなさに思わず[柔剣道]の誤植かと自分の目を疑いましたが、読み進めてゆくとどうやら誤植ではありません…。

ご存知ない方のために説明を加えると【銃剣道】は17世紀フランス伝来の西洋式銃剣術で、兵士が携帯する小銃(ライフル銃)の先に短剣を装着し、白兵戦の際に槍のようにして敵を刺突する戦闘術です。
明治時代に日本の軍隊に導入されましたが火砲が主力の時代に実用性などあるはずもなく、“弾が尽きたら槍で突撃”という精神性が重視され訓練が継続、第二次大戦で敗戦直前に女性や子供に火砲を持ったアメリカ軍に竹槍で突撃せよと訓練したのも日本式銃剣術でした。
(※現在も銃剣道は自衛隊の近接戦闘術として木銃を用いて競技・訓練が続けられています)

そんな“忌まわしき過去の遺物”が、なぜ今さら現代の子供たちの教育に復活?



~概要~

「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴ」「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」は“五大プログレ・バンド”に数えられるイギリスのロック・バンド、ピンク・フロイド1979年のアルバム『ザ・ウォール (The Wall)』の収録曲です。

本アルバムはメンバーのロジャー・ウォーターズが自身を模した“ピンク”を主人公とするロック・オペラの形式を採ったコンセプト・アルバムとなっており、この2曲はロジャーが演じるピンクの人生の物語の一部を構成しています。
当時ピンク・フロイドは資産運用が失敗し大きな損失を出してしまったため、それを補てんし得る大規模なプロジェクトの必要性に迫られ、ロジャーが壮大な構想を練り上げました。
しかしこの試みは想定以上に当たり、『The Wall』はBillboard 200で15週連続No.1を記録、現在まで売り上げ3000万枚までに達するなど、“世界で最も売れた2枚組アルバム”となっています。

一方でこの構想は直後のツアー『The Wall Performed Live』にも反映され、ステージに“The Wall”を築き、アルバムの1枚目・2枚目をそれぞれ第一部・第二部として前例のないスケールで再現するなど、ローリングストーン誌に“ロック・コンサートの概念を一夜にして変えた”とまで絶賛されたものの、そのあまりのスケールの大きさに経費がかさんでしまい思ったほどの収益が挙げられなかったとか…?

さらに構想は続き、1982年には『The Wall』の音楽とストーリーをそのまま映像化した映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール(Pink Floyd The Wall)』が制作されたものの、ほとんどセリフもなくあまりに難解でシリアスな内容だったため、こちらはヒットせず…
…しかし!
それから35年経った今年、ロジャーの25年ぶりの新作『Is This the Life We Really Want?』リリースを記念して、6月21日(水)にZepp DiverCity(TOKYO)とZepp Namba(OSAKA)で“ライヴ絶響上映(スタンディング&歓声OK)”が決定しているそうです(ちなみに今年はピンク・フロイドデビュー50周年でもある)!


『The Wall』自体、作者であるロジャーの半生を投影したといえる作品ですが、「The Happiest Days Of Our Lives」は特にその青春時代を反映したもので、本人によると学校教育を否定的に思える経験が実際にあったようです。

「Another Brick in the Wall」はアルバムではPart IからIIIまでありPart Iは“Reminiscing(回顧)”、Part IIは“Education(教育)”、Part IIIが“Drugs(薬物)”という仮タイトルで呼ばれていました。
このうち【Part II】が先行シングルとして発売され、Billboard Hot 100で4週No.1(1980年の年間2位)を記録するなど世界中で大ヒットに至っています。
また、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 375位”にランクされた名曲でもあります。

 
 



~Lyrics~

You! Yes, you! Stand still laddy
(おまえ!…そう、おまえだ! 小童、そこを動くな!)

この「The Happiest Days Of Our Lives」の導入部分での“叫び声”は、非常にインパクトがあります。
アルバムでこのフレーズを叫んでいるのはロジャー・ウォーターズですが、映画(メイン動画)で叫んでいるのは教師役を演じたAlex McAvoyというスコットランドの俳優さんで《写真・左》、正直彼(Alex McAvoy)の声の方が迫力があって怖いです!(顔も?)
ちなみに【laddy】もスコットランドの方言(若い人)で、当初このシーンに“教師の人形”を登場させるつもりであったもののしっくりいかず、彼を立たせたのだとか…。

Pink Floyd - Another Brick In The Wall3 Pink Floyd - Another Brick In The Wall4

There were certain teachers who would
そこには、ありとあらゆる手段を講じてまでも
Hurt the children any way they could
子どもを傷つけようとする教師たちがいた

…ところでこの映画の学校の感じや登場する教師の子どもに対する威圧的な態度は、何処かで見たことがあるような気がしませんか(生徒のお尻を叩くところとか)?
実はこの映画の監督アラン・パーカーは日本でも有名な1971年の学園映画『小さな恋のメロディ』の脚本を書いた人であり、とても同一人物が手掛けたとは思えないほどの世界観のギャップがあります。

意外といえばこの映画で主役を演じたボブ・ゲルドフ《写真・右》は後にあのバンド・エイドやライヴ・エイドの仕掛け人となった人で、当初はロジャー自身が主役を務める予定でしたがあまりにも演技がヘタだったため降ろされたのだとか…。


All in all it's just another brick in the wall
…でもつまりは、壁の中のレンガの一つになれというんでしょ?
All in all you're just another brick in the wall
あなたたちが、そうであるように…

「Another Brick in the Wall」の特徴的な一つは、フレーズを“子どもたちのコーラス”に丸々歌わせていることでしょう。
子どもたちのコーラスを入れるアイデアはアリス・クーパーの「School's Out」のプロデューサーも務めたボブ・エズリンによるものですが、当初は“単なるバック・コーラス”のつもりでした。
しかし依頼して手元に届いたコーラスは“子どもたち一人ひとりに違う歌い方で歌わせた24トラックの音源”だったそうで、デヴィッド・ギルモアによると“あまりに素晴らしい出来だったのでそのまま使うことにした”のだそうです。

…しかし後日談が、“アチラのお国柄”らしいといえます。
このコーラスの提供により学校側には1000ポンド支払われていたそうですが、この曲のあまりの大ヒットと作品に対する貢献度の大きさから、2004年に彼らから追加のロイヤリティを請求されてしまったそうです!



~昭和、憲法、そして子どもの未来~

この所、銃剣道だけでなく【道徳の教科化】や【道徳教科書検定】など学校教育に関して“権力の一連”を思わせる動きが続きました。
また、安倍首相夫人が名誉校長を務めることが決まっていた(問題の発覚で辞任)学校法人・森友学園が、所属する幼稚園児に戦前の教育勅語や軍歌を唱えさせ、中国人や在日韓国人を蔑視するような宣誓をさせていたり、あるいは自衛隊を司る現役の稲田防衛大臣が“教育勅語の核の部分は取り戻すべき”と国会で発言するなど、戦前の軍国教育の象徴である【教育勅語】に今の最高権力者周辺人物が共感を覚えている言及も目立ちました。

【教育勅語】は明治~終戦までの教育の最高規範であり、“孝行・仲良く・信じ合え・慎め・慈愛・勉学仕事に励め・秩序に従え…”など一見当たり前な徳目が説かれる一方で、日本を戦争の大惨禍へと導いたその精神の中核こそが次の一文です。

一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

Wikipediaによると、教育勅語は明治天皇が時の内閣総理大臣・山県有朋に対し与えた【勅語(天皇が口頭により発したお言葉)】とする体裁は採っているものの、実際は第1次山縣内閣が起草(案文を作る)したものです。
山縣有朋氏は【治安警察法】など自由民権運動を弾圧し天皇と国家神道支配を強化、軍事拡大を推し進め【国軍の父】【日本軍閥の祖】の異名を取った陸軍軍人で、安倍首相にとっては尊敬すべき同郷(長州)の先人に当たります。

教育勅語の原文は漢文調で一般には現代語訳を必要としますが、多くの保守系政治・思想家の人が引用する【国民道徳協会】の訳文では“皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ(皇室国家の為につくせ)”という本文最大の目的であるはずの言葉を用いることなく紹介されています。
調べてみるとこの国民道徳協会なる団体は、戦時中に[海軍大本営情報局に従事し戦後自民党の国会議員]となった佐々木盛雄氏がつくった団体で、“学生暴動は教育勅語を廃止したせい”、“国益を無視した個人の権利主張は一億総無責任”、“デモを規制しろ”といった[極右思想を持った人物による訳文]でした。

この訳文が1979年に明治神宮や生長の家など宗教右派団体が中心となって運営する【日本を守る会(現在の[日本会議]の前身)】らの教育勅語キャンペーンに採用され、現在も彼らの思想信条の正当性を示す根拠となっているのです。
しかし、こうした極端な思想を広く国民に対してそのまま記述すると拒否反応を示されることは彼ら自身もよく承知しており、それが故に最大の障壁である“皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ”を訳文には入れず[ソフトな印象を与え支持者拡大を図る狙い]があって作られたと思われます。


また、憲法改定が最大の目標である安倍政権は“【教育無償化】を改憲の突破口に!”という動きもあります。
ご存知のように憲法26条第2項は“義務教育は、これを無償とする”としていますが、彼らはこれを“義務教育以外は無償化できない”と曲解することで改憲の賛同を得ようというのです(純粋に読めば、この一文は“義務教育は無償”一点のみを規定し、それ以外は何も言及(制限)していない)。

そもそも教育無償化は貧困家庭の就学支援が最大の目的であり、そうであるなら改憲などという不確実で歳月を要する手段を採るより議会の圧倒的多数を持つ自民党が【返済不要の給付型奨学金】の法案を提出すればすぐに彼らを救えます(現に低所得世帯の大学生らを対象にした【改正日本学生支援機構法】はこの3/31に成立、4/1から施行されている)。


先頃メディアを賑わせた森友学園の、園児に対する軍国・極右教育に衝撃を覚えつつも、どこか“あれは例外的”と自分には関係のない別世界のことと思っておられる方も多いことでしょう。
私もそうでした、【中学校体育で銃剣道】の記事を見るまでは…。
もちろん銃剣道は選択肢の一つであって必修ではありませんが、公教育の場でそれが実施されるという点に於いて微小な森友学園とは影響力の規模が違います。
これまで安倍政権は【特定秘密保護法】や【マイナンバー法】、そして現在審議中の【テロ等準備罪(共謀罪)法案】など[国民の自由や権利を削ぎ自らの統制力を拡大するための法整備]を強引に推し進めてきましたが、今回調べてみて安倍氏の国民統制への執念は想像以上で、ここに来てさらに[個人の思想信条や各家庭内での子育てなどへの統制を加速]させる動きをみせており、戦前復古が現実のものとなる危機感を私の心に募らせる結果となりました。

その一つは安倍氏とも親しい元小学校教諭・向山洋一氏が代表を務める【TOSS(教育技術法則化運動)】に全国1万人超の小中学校の教師を集め[日本の正しいすがた(日本の領土・領海、日本の歴史、靖国神社の位置づけなど)]を子どもに広める教育を推進させ、また安倍首相自らもその私的セミナーにメッセージを送るなどの力の入れようで、TOSSは[安倍教育親衛隊]とも呼ばれているそうです。
更に、各家庭の統制について自民党は今国会で【家庭教育支援法】の成立を目指しており、この法律は名目上[教育支援]となっていますがその実は“戦前の価値観に基づき、愛国的で国家に貢献する子どもを育成する家庭を支援する”もので、もちろんこれも日本会議(高橋史朗氏)監修による思想統制の一つです。


教育と矯正、宗教、暗示、催眠、洗脳、統制、強制、・・・・・・・・・・・奴隷

これらは、“誰かの働きかけによって他者を意図した方向へ誘導し得る行為”という意味に於いて同質です。
辞書によると【教育】とは“他人に対して意図的な働きかけを行うことによって,その人を[望ましい方向]へ変化させること”であり、誤るとそれは【奴隷】(人間としての権利・自由を認められず,他人の所有物として取り扱われる人)扱いと変わりありません。

【強制】から、愛や尊敬は生まれない。
愛や尊敬を求めるなら、まずあなた自身がそれに値する徳を備えなければならない。



We don't need no education
教育なんていらない
We don't need no thought control
洗脳なんて、いらない

一つの価値しか認めない働きかけは、公教育ではない。



「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライヴズ~アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」


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tags : 1979年 プログレ 統制 教育 映画80's 偉大な曲 プロテスト  

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「パワー」ジョン・ホール

2017.03.03

category : 1970年代

John Hall - Power1 John Hall - Power2


John Hall - Power (1979年)



~震災から6年~

2011年に発生した東日本大震災から、間もなく6年になろうとしています。
多くの人の命を奪い、故郷を破壊し、人生を変えてしまった災害…
そして、6年が経とうとする今現在も全国で約12万3000人の方が避難生活を余儀なくされているそうです。
2017.2.13現在/復興庁

また最近の報道では、原発事故のあった福島県から全国各地に避難している生徒が“放射能が来た”とか“放射能がうつる”といったいじめを受けている実態が次々と報じられており、放射能から物理的に遠ざかることはできてもその悪夢を断ち切ることの難しさを物語っています。
放射能問題は果たして想定外の“天災”か…それとも、人間の心に巣食う“人災”?



~概要~

「パワー」は、ジョン・ホール1979年の3rdソロ・アルバム『Power』のタイトル曲です。
ジョン・ホールは1973年にデビューしたアメリカのロック・バンド“オーリアンズ(Orleans)”のメンバーとして活躍し、1977年にソロへと転身しました。

バンド脱退の一因となったのが彼の反原発運動への参与であり、ニューヨーク州セメントン(Cementon)のハドソン川沿いに進められていた原子力発電所建設を止めることでした。
ジョンらの危惧は1979年3月28日にペンシルベニア州スリーマイル島にある原子力発電所で発生した重大な原子力事故(国際原子力事象評価尺度;レベル5)で現実のものとなり、彼をはじめ志を同じくするジャクソン・ブラウンやグラハム・ナッシュ、ボニー・レイットらが中心となってミュージシャンによる反原発活動『MUSE(Musicians United for Safe Energy)』を立ち上げます。

同年9月19~23日、MUSEはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで『No Nukes concerts』を開催、CSN(クロスビー、スティルス&ナッシュ)やブルース・スプリングスティーン、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、チャカ・カーン、ドゥービー・ブラザーズほか多数のミュージシャン仲間が参加し、最終日は20万人もの観衆が押し寄せました(メイン動画はこの時の映像)。
その歴史的イベントのテーマ・ソングとなっていたのがジョン・ホール作曲による「Power」だったというわけです。
そして、このイベントが影響を及ぼしたかは定かではありませんが、結果として以後アメリカでは現在まで1基の原発も新規で建設されてはいません。

2011年、日本での東日本大震災発生を受け、MUSEは32年ぶりに再集結しコンサートを開催、日本の津波・原子力災害救済のための資金を募ってくれました…。

 



~福島第一原子力発電所事故に学ぶべき教訓~

 そもそも、この原発事故の問題点とは何だったのか、まとめてみました。

低人口地帯を設けなくても原発建設を許可

福島第一原子力発電所の建設が計画された当時(営業運転開始は1971年)日本はまだ原子力発電に対するノウハウを殆んど持っておらずアメリカの原子炉やルールを輸入していますが、その導入には致命的な問題がありました。
核兵器の原料でもある原子力は非常に危険なものであるため、“アメリカの立地審査指針は原発の周囲に必ず低人口地帯を設けることを義務付けています”が、これを国土の狭い日本に適用させると条件を満たす建設地が無くなるため“日本では事実上低人口地帯を設けなくても建設を許可”するように変更されています。


敷地地盤高を35m⇒10mに削って建設+非常用電源を地下に設置

福島第一原子力発電所の所在地は、元々海岸に面した標高35mの台地でしたが、他の電源との競争に勝つため“コストを優先し標高10mまで掘削し施設が建設”されました。
また、原子炉の契約先であるアメリカGE社(ゼネラル・エレクトリック)のプラント規格では、“電源喪失時の非常電源となるディーゼル発電機が海側の地下に設置”されていたにも拘らず、元東京電力副社長の証言によると“誰も長年その事に気づかなかった”といいます(実際、震災時もそのまま地下に置かれていた)。


安全性に問題のある原子炉を、耐用期限を2度延長して使用し続けた

福島第一原発1号機から5号機までの原子炉はアメリカGE社の【マークⅠ型】ですが1975年に重大な事故につながる欠陥が見つかり、GEの技術者も会社に逆らい辞職してまでこの原子炉の使用停止を世界に訴え掛けましたが、福島第一原発は使い続けました
それに加えて第一原発では原子炉の耐用年数30年を超えて独自で期限を40年に延長、震災の発生した2011年に更に10年の使用延長許可が下りた矢先の事故でした。


“想定外”の津波?

標高10mの海岸にある福島第一原発は震災時、14~15mといわれる遡上高の津波に飲まれ、大事故を起こしました。
この大きな津波について当時東京電力は“想定外”を強調しましたが、実際は2002年に地震調査委員会の“三陸沖から房総沖にかけての日本海溝付近ではどこでもマグニチュード8クラスの地震が起きる可能性がある”との評価結果を踏まえ、2008年に福島県沖で明治三陸地震と同規模(M8.2-8.5)の地震が発生した場合の津波を自社内で試算、“遡上高15.7m”という結果を得ていました
しかしこの試算結果が設備改修などに反映されることはなく、更に2011年3月7日に保安院に報告されるまで公表されず、皮肉にもその4日後に震災が起きました…。


 参照

NHKスペシャル シリーズ原発危機『安全神話~当事者が語る事故の深層』
NHK ETV特集 『原発事故への道程』(前後編)文字起こし



~Epilogue~

ここまであれこれと原因を追及してきましたが、私が原発に反対する最大の理由は“原発があまりに嘘で塗り固められた政策”だからです。
原発導入を強引に推し進めた自民党、直接の利益を得る企業や研究者、有力な天下り先を得る官僚などいわゆる“原子力ムラ”の人たち…。

彼らの利益実現のためにはより多くの原子力発電所の建設が必要不可欠であり、それには“極めてリスクの高い原発を絶対安全”と偽らねば立地を引き受ける者などあろうはずもありません。
絶対安全を謳った政府と省庁は“安全対策に力を入れると原発が安全でないと自ら認めることになる”として本来最優先すべきシビアアクシデント(過酷事故)への対策を十分に考慮せず、監督者である国のその姿勢は原発運用の安全対策に余計なコストを求められない電力会社にとっても好都合…
“神話”は、こうした利害のために創り上げられました。


国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7(深刻な事故)と判定された福島第一原子力発電所の事故
それさえも、現場の当事者からすると“偶然と幸運の連続によって救われた結果”だったといいます。
その当事者とは、事故時第一原発の所長として現場を指揮しその2年後に食道癌で亡くなった吉田昌郎氏。
事故の現実について何も知らず、今も震災前と変わらぬ日常を当たり前のように過ごしている私たちですが、当時の現場は事故原因さえ分からずほとんど彼らが制御できない深刻な状況に陥っていたものの、“東京電力の対応とはほとんど無関係に、いつしか沈静化していった”のだそうです。

吉田氏によると、もしもこの幸運がなかったら東日本全体が放射能に覆われる“東日本壊滅”を想定したそうで、事実、当時の菅直人首相に提出された近藤駿介原子力委員長からの『最悪シナリオ』には、東京や首都圏住民の避難についての言及がなされており、菅氏本人も“最悪5000万人の避難が必要となる可能性があった”と証言しています。


There's so much to gain and so much to lose
得るものは大きいけれど、失うものもまた大きい
Everyone of us has to choose
だからこそ、みんなで選ぶべきことなんだ

一瞬で都市を灰燼(かいじん)と化し得る[Power]…
その“平和利用”に於いて、私たち現役世代は[gain(利益)]を受けることもできますが、それは“もの言わぬ未来世代への[lose(損失)]のつけ回し”の上に成り立っています。
そして、あなたは“その恩恵が日本壊滅のリスクとの引き換え”であることを、ご自覚でしょうか?

“世界で最も厳しい安全基準”を強調し原発再稼働を急ぎ、新たな高速炉“第2のもんじゅ”の始動を推し進める安倍政権…
危うく東日本を壊滅させかけた福島第一原発や、1兆円もの血税をムダにしたもんじゅの失敗に、彼らは何を学んだのだろう?
地震大国の上、国土が狭く人口密度も高いこの日本で、彼らの言葉は“新たな神話創造”としか響きません。
福島第一原子力発電所事故に私が学んだこと、それは…

この国に
“嘘で塗り固められた政治”も、“トイレのないマンション”も要らない。






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tags : 1979年 AC 環境 原発 プロテスト 東日本大震災  

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