ただし、wikiによると【彼(音楽監督のジミー・アイナー)はまた、新曲『She's Like the Wind 』を歌うようパトリック・スウェイジに協力を求めた】との記述があり、パトリックは当初自分で歌うつもりではなかったのかもしれません。
「She's Like The Wind」のPVは映画シーンにパトリックが歌う姿を投影し、モノクロと“揺れる水面”が取り入れられた編集がノスタルジーを誘い、後半には“ft.”とされる Wendy Fraser も登場します。 映画『ダーティ・ダンシング』は低予算ながら1987年に最高益を生み出した映画の一つとして話題を呼び、パトリックも俳優として2つの賞にノミネートされましたが、何れも受賞は叶いませんでした。 しかしこの映画で彼に栄冠をもたらしたのは“本業ではない歌手”の方で、パトリックは「She's Like The Wind」によって『BMI Awards』で“Most Performed Song from a Film”を受賞しています。
別れを決意したジョニーはベイビーの元を訪れ… そんな流れの中で、「She's Like The Wind」が使用されています。
Just a fool to believe (just a fool to believe) だけど、愚かなくらいに信じている She's like the wind (just a fool to believe) 風のような人…
「She's Like The Wind」の後半部分に入ってくる女性ヴォーカルが、Wendy Fraser。 ニューヨーク市立大学ハンター校で音楽を専攻し、ポップ・ミュージックへの進出を志していた女性歌手で、パトリックの歌声が繊細なので彼女の方が力強く聴こえます。 何を隠そう本曲の共作者Stacy Widelitzのガール・フレンドだそうで、本曲がサウンドトラックに起用される前デモを歌っていたのも彼女でした。
『ダーティ・ダンシング』ではダンサー役という難役で見事なダンスを披露し、自ら作曲した「She's Like The Wind」をヒットさせる大活躍でしたが、それはまさに“パトリックの人生そのもの”が詰まっているといってよい作品なのかもしれません。 彼は、振付師でもある母親のバレエ教室で幼少からバレエの英才教育を受けて育ち、バレエの劇団を経てブロードウェイ・ミュージカルへと歩んだ俳優です。 その彼が18歳のころ母のバレエ教室で一人の14歳の少女と出逢い、恋に落ち、1975年に結婚しました。 その女性はリサ・ニエミ(Lisa Niemi/女優)といい、パトリックが亡くなる2009年まで34年間伴侶であり続けた人。 2008年のインタビューでパトリックは、“「She's Like The Wind」はニエミのインスピレーション”と語っています。
<Swayze and his wife, Lisa Niemi>
She's like the wind through my tree 君は、僕の体を吹き抜ける風のよう…
ブライアン・アダムスは、カナダ出身のシンガーソングライターです。 1980年にデビューして一作毎にセールスを伸ばし1984年の4thアルバム『Reckless』で全米No.1を達成、それまでにない期待の中で発表したのが1987年の5thアルバム『イントゥ・ザ・ファイヤー(Into the Fire)』でした。 「ヒート・オブ・ザ・ナイト」はその1stシングルで、Billboard Hot 100でも6位(年間84位)を記録したロック・ナンバーです。
その心境の変化は「Heat Of The Night」のシングルやアルバム・ジャケットからも一目瞭然で、ロック界に珍しい爽やかな好青年のイメージのブライアンにしては、ぼんやりした暗い印象のモノクロ写真でした[《写真・右》。 それまでも『Cuts Like a Knife』や『Reckless』のジャケットでモノクロは使用されてきましたが、ポーズを決めたり真正面から強い視線で見据えたりと、思わず“ジャケ買い”してしまいそうな魅力的なモノクロとは全く異なる印象です。 「Heat Of The Night」の歌詞も暗く抽象的で、サウンドは重く歪み、モノクロ映像のPVには蛇まで登場してイエスの「Owner Of A Lonely Heart」を思い起こさせるような趣きさえあります。
こうした作品の暗さの背景には、作者であるブライアンとジム・ヴァランス (Jim Vallance)が1986年3月に[ベルリンの壁]を訪れたことが反映しているといわれます。 また、【黒】を多用した【フィルム・ノワール (film noir/虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画)】として名高い『第三の男(The Third Man)』(1949年・英)にも、部分的に影響を受けているそうです。 確かに、前回「Paint It Black」でも言及したように【黒】は力強さと存在感があって誰もが一度は憧れる色ですが、20歳くらいだとそれを前面に出すには“少し重荷”な色で、人生経験を重ねた20代後半は【黒】に挑戦してみたくなる年代かもしれません。 ちなみにこの映画のテーマ曲「ハリー・ライムのテーマ(Harry Lime Theme)」は非常に有名で、日本では「ヱビスビールのテーマ(CM曲)」としてお馴染みでしょう。
~Lyrics~
I was caught in the crossfire of a silent scream 声にならない悲鳴のクロスファイア Where one man's nightmare is another man's dream ある者の悪夢が、また別の者の夢となる在所
「哀しみの天使」はペット・ショップ・ボーイズ1987年の2ndアルバム『哀しみの天使(Actually)』の収録曲で全英で3週No.1、アメリカBillboard Hot 100で9位を記録したダンス・ナンバーです。 作者はメンバーのニール・テナント(vo)とクリス・ロウ(key)で、彼らが有名になる前の1984年にBobby O(Bobby Orlando)と制作したデモ音源が残されています。 タイトル「It's A Sin」にも使われる【sin】は“(宗教・道徳上の)罪”という意味で、ニール・テナント自身の体験を投影した作品です(別項参照)。
シングルが発売された後イギリスのDJジョナサン・キング (Jonathan King)が、「It's A Sin」はキャット・スティーヴンス1971年のヒット曲「Wild World」の盗作であると主張し、「It's A Sin」の曲・アレンジに「Wild World」の詞を組み合わせたカバーを勝手に発表したため逆にPSB側から訴えられ、この改変作の売り上げはチャリティーに寄付する羽目になるという騒ぎが起きています。 似ているといえば1988年に日本のWinkがカバーした「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」(カイリー・ミノーグの曲としても有名)も気になるところですが…。
~Lyrics~
Father, forgive me, I tried not to do it ファザー…お許し下さい、止めようと努力しました Turned over a new leaf, then tore right through it 心を入れ換えても、ずたずたに引き裂いてしまうのです
作者の一人であるニール・テナントはローマ・カトリックの男子校[St Cuthbert's High School]の出身で、「It's A Sin」はここで体験した厳格な戒律への不満や怒りを表しており、本作品がリリースされたとき当時の教師が不快感を示したといわれています。 こうした経緯からもここでの【Father】はニールの実父ではなくカトリック教会の神父を指していると解され、これに続くセンテンス[Father, you fought me]を私は“あなたは懸命に向き合ってくれました”と訳していますが、もし【神父=教師】であるならより[fight(戦い)]的な激しいものだったのかもしれません。
For everything I long to do 僕がやりたいと望むことは No matter when or where or who たとえそれがいつ、何処で、誰とであろうと Has one thing in common, too 一つの概念で通じている
ほか“月の名曲”を何曲もご紹介してきましたが、今回の「Stay With Me」も実はその関連曲となっています。 詳細は、引き続き本文記事をお楽しみください♪
~概要~
ピーター・セテラは1960年代からアメリカのロック・バンド“シカゴ(Chicago)”のヴォーカリストとして、“Million Dollar Voice(100万ドルの声)”と称された歌手です。 1986年にシカゴを脱退しソロとして『ベスト・キッド2』の主題歌「Glory Of Love」、続く自身のアルバムから「The Next Time I Fall」を連続して全米No.1に輝かせるなど、改めてその才能を世に示しました。
その翌年の1987年に単発で「Stay With Me」をレコーディング、同年9月26日に公開の日本(東宝)の映画『竹取物語』の主題歌として発表、この時の邦題は「STAY WITH ME song for KA・GU・YA・姫)」でした。 こうした経緯から本曲は恐らく日本限定で企画されたシングルで、かぐや姫との惜別をイメージさせる楽曲とピーター・セテラの甘くせつない歌声が日本人の琴線に触れ、オリコン週間洋楽シングル・ランキングで1987年10月第2週付から4週連続No.1に輝いています。
その後1990年代に「Heart of Mine」のボビー・コールドウェルによる「Stay With Me」がフィリップモリス社の煙草パーラメント(PARLIAMENT)のCM曲として、ニューヨークの夜景をバックに日本でオンエアされるようになり、こちらも広く親しまれました。 ボビー・コールドウェルの声質はピーター・セテラと非常に近いため全く違和感がありませんが、そもそも「Stay With Me」の作者の一人こそボビーその人であり、ピーターver.のプロデュースもこの2人によって共同で行われています。
~Lyrics~
How can you say it's over “もう終わり”なんて、どうして言えるの? What can there be that we can't overcome 二人に乗り越えられないものがあるなんて
サミー・ヘイガーは1973年からモントローズ(Montrose)の一員としてとして活躍しその後ソロに転身、1985年にはアメリカHR/HM界を代表するバンドのヴァン・ヘイレン(カテゴリ) に加入し2代目ヴォーカリストを務めたアメリカのロック・ミュージシャンです。 サミーのお披露目となった1986年のアルバム『5150』は全米No.1の大ヒットを記録、続いて彼はソロ名義でシルヴェスター・スタローン主演の映画『オーバー・ザ・トップ(Over the Top)』のサウンド・トラックへと参加しました。
楽曲は『フラッシュダンス』や『ネバーエンディング・ストーリー』など、当時話題の映画音楽を次々と提供してきた巨匠ジョルジオ・モロダーの手によるもので、本作の作詞トム・ホイットロック(Tom Whitlock)とのコンビは『トップガン』の「Take My Breath Away」や「Danger Zone」でも有名です。 シルヴェスター・スタローンといえば、鍛え抜かれた肉体を生かした作品スタイルから『ロッキー3』の「Eye of the Tiger」など“燃える名曲”を数多く生み出してきた俳優ですが、『オーバー・ザ・トップ』の主題歌である「Winner Takes It All」もそれらに劣らぬ出来栄えに仕上がったといえるでしょう。 しかし肝心の映画自体がスタローンの代表作『ロッキー』シリーズの約1/10程度の興行収入しか得られなかったためか、1stシングルとしてリリースされた「Winner Takes It All」もBillboard Hot 100で54位と振るいませんでした。
スタローンが、自分より遥かに大きな男たちとアーム・レスリングで勝ち抜かねばならない戦いの過酷さを伝えるのに十二分なサミーの迫力あるヴォーカルですが、当初「Winner Takes It All」を歌ったのは同サントラに参加していたエイジアのジョン・ウェットンでした。 しかし彼のバージョンは“不十分”と判定され、サミーが歌うことになったという経緯があったようです。