「トゥ・ラヴ・ユー・モア」は、1995年に日本でリリースされたセリーヌ・ディオンのシングルです。 1993年のアルバム『The Colour of My Love』の世界的大ヒットで揺るぎないスターの地位を獲得したセリーヌは、翌94年5月に日本武道館での『JTスーパー・プロデューサーズ:デイヴィッド・フォスター』の舞台でトリを務め、12月には初の単独来日公演を開催するなど、すっかり日本でも人気者になっていました。
その人気と実力に目をつけたのが90年代に『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』といった大ヒット・ドラマを連発したフジテレビで、1995年に同局で鈴木保奈美・岸谷五朗主演によるドラマ『恋人よ』の主題歌にセリーヌ・ディオンを起用する企画が持ち上がります。 これを受けたセリーヌのプロデューサー、デイヴィッド・フォスターがドラマの筋立てを読んだ上で書き下ろしたのが「To Love You More」でした。 共作者の【Junior Miles】ことエドガー・ブロンフマン・ジュニア(Edgar Bronfman Jr.)は音楽より世界的資産家一族の一人として有名で、近年まで“世界3大レーベル”の一角【ワーナー・ミュージック・グループ(WMG)】のCEOを7年間務めていた人物です。
「To Love You More」というと日本のヴァイオリニスト・葉加瀬太郎がフィーチャーされたことが当時話題となりましたが、正確には彼の学生時代の友人とで構成された【クライズラー&カンパニー(KRYZLER & KOMPANY)】という3人組ユニットで、葉加瀬太郎は翌年のセリーヌのワールド・ツアー『Falling into You Tour』にも参加しています。 こうした経緯からシングルは基本的に日本のみで発売されオリコン洋楽シングルチャートでは1995年10月30日付から18週連続No.1、総合チャートでも1983年のアイリーン・キャラ「Flashdance... What a Feeling」以来12年ぶりのNo.1に輝き、翌年1月にはダニエル・ブーン「Beautiful Sunday」(1976年)、マライア・キャリー「All I Want for Christmas Is You」(1994年)に続いて洋楽曲として史上3例目の100万枚突破を達成しました。
そんなセリーヌ・ディオンが夫レネ・アンジェリルの看病のために度々芸能活動を休み、その彼が2016年1月14日に亡くなったことをご存知の方も多いでしょう。 セリーヌがレネと出逢ったのは12歳、レネがセリーヌの歌声を聴いて彼女の才能を確信し、以後マネージャーとなって彼女のデビュー・アルバム『La voix du bon Dieu』(1981年/写真・左)の制作費を捻出するため自宅を抵当に入れてまで支援したことは有名な話です。
そんな二人の関係に“恋”が芽生えたのはセリーヌが19歳の頃(1987年)で、レネとの“26歳の年齢差”に周囲からは疑問の声もあがったものの、セリーヌ自身は“二人を止められる者は誰もいなかった”と当時を振り返っています。 その後も確かな愛を育み1991年には極秘で婚約、94年12月に結婚式を挙げ《写真・右》、97年には「My Heart Will Go On」で公私共に人生の絶頂を迎えますが翌年にレネが食道がんを発症、夫婦にとって20年近くに亘る長い闘病生活の始まりでもありました。
Just believe in me ただ私を信じて… I will make you see きっと、あなたに見せてあげる All the things that your heart needs to know あなたが知るべき、すべてのものを
「To Love You More」の題材となったドラマ『恋人よ』は“小指”に重要な意味がありましたが、セリーヌにとってそれは“手”だったようです。 …といっても、彼女がドラマのように“生々しいこと”をしたわけではないので、ご安心を! 亡くなった最愛の夫“レネの手のレプリカを作った”とのことです。 その“手”はいつも彼女の化粧室に置いてあり、コンサートなどの大切なショーの前日に必ず“夫と握手をして(ショーが上手くいくようにと)幸運を祈っている”そうですよ。
【King of Pop】マイケル・ジャクソンが人気を極めてからの人生は、まさに“悲鳴と絶叫”の連続でした。 山のようなゴシップなんてまだカワイイ方で、彼ほど生涯に於いて係争に明け暮れた個人はなかったのではないでしょうか? 今日の作品は、そんなマイケルの“心の叫び”です。
一方で今日の日本でも、国民が“scream”したくなるような出来事が相次いでいます…。
~概要~
「スクリーム」は1995年6月16日に発売されたマイケル・ジャクソンの9thアルバム『HIStory: Past, Present and Future, Book I』から同年5月31日にリリースされた先行シングルで、Billboard Hot 100の 5 位(年間56位)を記録しました。 1982年のアルバム『Thriller』の収録曲「P.Y.T.」以来10数年ぶりに妹ジャネット・ジャクソンとの共演であり、この時マイケルに肩を並べるスーパースターに成長を遂げていたジャネットとの兄妹デュエットはとても話題を呼びました。
「Scream」はそのジャネットとの共作であるだけでなく、彼女をトップ・スターに押し上げた立役者ジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)が作曲・プロデュースに関わった楽曲で、サウンド的には一連のジャネット作品に近いものといえます。 2009年6月のマイケル急死後の同年9月13日に開催された『MTV Video Music Awards 2009』ではマイケルのトリビュート・コーナーが設けられましたが、ここでジャネットがパフォーマンスしたのが「Scream」でした。 ステージに設置された大きなスクリーンに「Scream」のSF(ショート・フィルム)が投影され、そこからジャネットが登場しスクリーンのマイケルとのダンス共演を再現する演出がなされ、会場を大いに沸かせました。
その兄妹共演が話題となったSFは制作費約700万ドルというギネス・ワールド・レコーズにも【史上最も費用のかかったPV】として認定された名作で、これは現在でも史上最高額です(ちなみに2位はマドンナの「Die Another Day」で610万ドル、「Thriller」は100万ドル)。 この映像は『1995 MTV Video Music Awards』で3冠を獲得(Best Dance Video / Best Choreography / Best Art Direction)、第38回グラミー賞でも“Best Music Video, Short Form”を受賞しました。 この映像の中でマイケル&ジャネットはダンス共演やテレビ・ゲームを一緒に楽しんでいますが実はコレ、マイケルによると“ビデオを撮ったのはジャネットと共演する為の口実”だったそうです!
~Lyrics~
Tired of the schemes 陰謀にもウンザリだ The lies are disgusting 胸クソ悪い嘘ばかり
「ワンダーウォール」は1995年10月にリリースしたオアシスの2ndアルバム『モーニング・グローリー[(What's the Story) Morning Glory?]』の収録曲で、3rdシングルとしてカットされ全英2位/126万枚売り上げ、アメリカBillboard Hot 100で8位(1996年の年間56位)を記録、オアシスにとってアメリカで唯一のTop10シングルです。 作者はノエル・ギャラガーで、リハーサルで初めて違うベース・ラインでこの曲を弾いた時、リアムは“バカ野郎、何やってんだ!オアシスはファンク・バンドじゃない”と気に入らない風だったものの、後になって彼が歌うことを希望したため自分で歌いたい気持ちを抑えてリアムに譲った経緯がありました。 …にも拘らず1996年の『MTVアンプラグド』に出演した際、喉の不調を理由にリアムが収録直前に突然歌うのを降りてしまったため(彼の場合“よくあること”ですが)、代わりにノエルが「Wonderwall」を含めた全曲でヴォーカルを務めています。
モノクロで描かれるPVは、1996年のブリット・アウォーズで“Best British Video”を受賞した名作です。 この映像で特徴的な“回転するレコード”を見るたび同時期日本でヒットしたスピッツの「ロビンソン」と重なり“スピッツがマネした?”と当時思い込んだものですが、発売日を調べると「ロビンソン」が1995年4月、「Wonderwall」が1995年10月なのでマネしたのはオアシス… …なワケないですね?
ノエルの“ビートルズは俺にとって、すべてはそれに尽きる最も重要な存在。そこに始まり、そこで終わる”という発言からも、彼がどれほどビートルズに多大な影響を受けているか想像に難くはないでしょう。 ただしこのアルバムは映画のためのサウンドトラックであり、収録される「Wonderwall To Be Here」ほか19曲の殆んどはインストゥルメンタルの上、多くはインドのボンベイで録音されたという通りのサウンドで、そこからはオアシスの「Wonderwall」をイメージさせるものは感じられません。
9月5日は故フレディ・マーキュリーの誕生日ということから世界各地で『Freddie For A Day』のイベントが催されていますが、日本では9/10に発売される1974年当時のクイーンのライブ音源・映像『ライヴ・アット・ザ・レインボー‘74』の一部先行上映やイベントが六本木のハードロック・カフェで開催される予定です。 翌9/6・7には各日30名限定の上記作品本編ノーカット映像が先行上映されることになっています。
Queen - Live At The Rainbow - 1974
また、先日日本でのライブを終えたばかりの“クイーン+アダム・ランバート”が、8/27のオーストラリア公演(シドニー)で、これも来日公演を行ったばかりの“レディー・ガガ”がゲスト出演し、ナンと「Another One Bites The Dust」をパフォーマンスしたそうです!
まず、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」は元々クイーンの作品ではなく、“フレディのソロ”として発表されました。 フレディにとって、唯一のオリジナル・アルバム『Mr.バッド・ガイ(Mr. Bad Guy)』(1985年)です。 この頃クイーンの影響力は1970年代ほどではなく、中心メンバーであるフレディのソロ・アルバムはイギリスで6位、アメリカに至っては159位(Billboard 200)と惨憺たる結果でした。 いかにもヒットしそうな「I Was Born to Love You」でさえイギリスで11位、アメリカは76位(Billboard Hot 100)と振るわなかったことも、それを物語っています。 しかしいち早くクイーンを評価した相性の良い日本は別で、当時洋楽シリーズが定番化していたノエビア化粧品のCMソングに起用されています。
NOEVIR CM('85.5~'85.9)
1995年
「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」がクイーンの作品として発表されたのはフレディの死後1995年のことで、クイーンとフレディの未発表曲やソロ作品が編集されたクイーンのラスト・アルバム『メイド・イン・ヘヴン(Made in Heaven)』 でした。 フレディのヴォーカルは1985年のものを基本に「カインド・オヴ・マジック」などの一部を加えていますがサウンドは大きく変更されていて、オリジナルはキーボード系を基調としたポップ色が強いのに対し、ここではブライアン・メイのギターをフィーチャーし(もちろんドラムス&ベースはロジャー・テイラー&ジョン・ディーコン)ロック・バンドらしい爽快なテイストに仕上がっています。 そのせいかこれがキリンやアサヒのCMに起用され、この曲を聴くとどうしてもビールが飲みたくなるという方も多いのでは?
プロモーション・ビデオ
PVは1985年当初からフレディによって制作されており、“I Was Born to Love You~♡”って女の子を追いかけ回す展開が、今となっては微笑ましい感じがします。 メインで取り上げたクイーン・バージョンは2004年に日本で人気再燃した時に発表された『ジュエルズ』のDVD盤で編集されたもので、フレディのオリジナルにクイーンのライブ映像から他のメンバーの演奏シーンを加えたものです。 あなたは、どっちがお好き?
Freddie Mercury - I Was Born To Love You (Official Video Remastered)
~Lyrics~
You are the one for me 運命の人よ I am the man for you お前が結ばれるべき男こそ、俺なんだ