I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


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Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「レニングラード」ビリー・ジョエル

2022.02.28

category : Billy Joel

Billy Joel - Leningrad (1989年)

かつて戦争が故郷に何をもたらしたかを知る“彼”にこそ問う、あなたは何のため戦い続けるのか?

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tags : 1989年 バラード/ピアノ 友情 平和 

comment(10) 

「今宵はフォーエバー」ビリー・ジョエル

2021.08.26

category : Billy Joel

Billy Joel - This Night (1984年)

素敵な夜は夢か、現実か…"Lennon–McCartneyに劣らないチーム"によるビリーの隠れた名曲 ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1984年 ドゥーワップ クラシック ピュアな愛 CM曲 

comment(4) 

「ハートにファイア」ビリー・ジョエル

2015.09.11

category : Billy Joel

Billy Joel - We Didnt Start The Fire1 Billy Joel - We Didnt Start The Fire2


Billy Joel - We Didn't Start The Fire (1989年)



~【Start The Fire】?~

「We Didn't Start The Fire」なんてナンだか物騒な雰囲気ですが、ビリー・ジョエルは何を考えこんな意味深なタイトルを付けたのでしょうか?
【fire】は私たち人類にとって欠かすことのできない“文明”である一方、全てを焼き尽くす“破滅”にもなり得ます。
人は、時としてこうした文明の使い方を誤って想定外の火を招き、やがて制御不能と化した“怪物”に全てを奪われてしまうこともあるものです。

そして、今回の【Start The Fire】は“1931年9月18日”



~概要~

「ハートにファイア」は1989年の11thアルバム『ストーム・フロント(Storm Front)』からの1stシングルで、Billboard Hot 100で2週連続No.1('90年の年間35位)に輝いた作品です。
(…それにしても、“ルー大柴”が言いそうな邦題!?
グラミーでは、“Record of the Year”にノミネートされ授賞式のオープニングを務めています。
このアルバムは、『The Stranger』以来前作まで長年のパートナーとなっていたフィル・ラモーンに替えてフォリナーミック・ジョーンズをプロデューサーに迎えた冒険作でしたが、シングル・アルバム共に全米No.1を獲得する大成功を収めました。

この頃ビリーは40歳を迎えたばかりで、21歳の若者と話をした時に彼が朝鮮戦争(1950年)やスエズ動乱(1956年)のことを知らないことに衝撃を覚え、この作品の着想としたそうです。
そのため歌詞は歴史年表のような受験生の暗唱歌風の構成になっており、現にアメリカの学校の教材として使用されビリー本人の歌詞解説付きのカセット・テープまで配布されました。
(ちなみに、始まりの1949年はビリーの生まれた年であり、前半は丁寧に一年ごと辿っているのに後半長くなり過ぎたためか随分端折っているのが窺えます。)

「We Didn't Start The Fire」は歴史事象を羅列していますが、作品が発表された1989年後半は“ベルリンの壁崩壊”をはじめ“チェコスロバキアのビロード革命”や“ルーマニアのチャウシェスク大統領処刑”など、この曲のヒットと共にまさに世界が劇的に動いた年でした。





~Keywords~

The Catcher In The Rye
『ライ麦畑でつかまえて』

アメリカの作家J・D・サリンジャーによる1951年の小説ですが、ビートルズ・ファンの方はタイトルに“ある記憶”が重なるのではないでしょうか?
1980年、ジョン・レノンを射殺した犯人マーク・チャップマンの愛読書として…。
作品は攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用・性的描写と共に、体制や大人社会を批判する内容が時代を超えて若者に支持されているそうですが、私はちょっと読む気にはなれません。


Space Monkey
スペース・モンキー

このネタ、なんかソソラレるでしょ?
1959年にアメリカが開発した中距離弾道ミサイル“Jupiter”の実験で生物学的飛行テストとしてアカゲザル (Able) と南米リスザル (Baker) が乗せられたそうで、彼らは高度360マイル(579km)と正常な重力の38倍の加速、9分間の無重力に耐え無事に生還したそうです。
その時の映像も見つけたので、興味のある方はどうぞ♪ 




Rock and Roller Cola wars
ロックンローラーのコーラ戦争

1980年代から1990年代にかけて、“ペプシ”と“コカ・コーラ”は競うようにロック・スターを
テレビCMなどに起用しました。

《ペプシ》マイケル・ジャクソン、マドンナ、レイ・チャールズ、ティナ・ターナー、ロッド・スチュワートなど
《コカコーラ》ホイットニー・ヒューストン、ポーラ・アブドゥル、ジョージ・マイケル、エルトン・ジョンなど

 



~1931年9月18日~

1931年(昭和6年)9月18日は、やがて日本を焦土と焼き尽くす小さな火【fire】“柳条湖事件”(満州事変の発端)が起こった日。

日本は日露戦争の勝利で南満洲支線(南満州鉄道)の経営権や関東州の租借権などを獲得、これを守備するために鉄道守備隊を駐屯させ、これが“関東軍”と呼ばれるようになります。
“満州国”の建国計画を【独断で】進めていた関東軍は1928年(昭和3年)6月4日、当時満州一帯を支配していた張作霖(ちょうさくりん)の暗殺(張作霖爆殺事件)を成功させたものの、日本政府と軍中央部が出兵を許可しなかったためこの企ては失敗に終わります。
しかし政府も軍も、この事件が関東軍の謀略によるものであることは公表せずうやむやの収束を図ったため、命令違反でテロを起こした首謀者らが処罰されることもありませんでした…。


1931年9月18日、関東軍は再び同じ目的のため【独断で】自らが経営する南満州鉄道(満鉄)を爆破する謀略“柳条湖事件”を決行、中国軍による仕業と喧伝しこれを口実に軍事行動を進めました。
この犯行は一部の将校(作戦主任参謀・石原莞爾(かんじ)中佐)らによって起こされたものであり、発生まで関東軍司令官・本庄繁中将は何も知らず(知っていたという説もある)関与もしていませんでしたが事後に真相を告げられこれを了承、以降朝鮮に駐屯させている軍まで援軍要請(※)し勝手に戦線を拡大させていきます。
(※国境を超え行軍するには天皇の許可が必要で、この行為は天皇の統帥権を犯す重罪

当初、満州での“戦線不拡大”を指示していた政府でしたがこの一報を受け、若槻禮次郎首相は“出たものは仕方なきに非ずや”と言って【関東軍の独断での軍事行動を正式に追認】してしまいます。
これによって事態は“満州事変(=戦争)”へと発展しますが張作霖の後を継いだ息子・張学良が不抵抗方針を採ったため戦闘は僅か5か月で終結、清朝最後の皇帝“ラスト・エンペラー”溥儀(ふぎ)を迎え関東軍傀儡(かいらい)の“満州国”が建国されるに至ります。
柳条湖事件の首謀者らは処罰どころか“満州事変の英雄”として昇進・叙勲に浴し、満州国の建設は日本の輝かしい未来を象徴していたかのように見えて実は対中国・世界との関係を極度に悪化させただけであり、自身を焼き焦がす火種であったことは歴史に記されてあるとおり…。



~Epilogue~

あなたは、“柳条湖事件”のような出来事が現代の日本で、あるいは自衛隊が起こすはずはないと思っているかもしれません。
しかし、昨今明らかになってきた防衛省や自衛隊の安保法案成立を先取りした動き、とりわけ驚いたのは昨年12月17日、衆院選が終わって僅か3日の時点で自衛隊トップの河野統幕長が米軍幹部との会談に於いて、“(安保法制は)来年夏までには終了する”見通しを伝えていたことが先日国会で質疑されたことです(※告発された内部文書について防衛省は、“同一のものは確認できなかったが同じ題名の文書は存在した”と報告している)。
これが事実としたら自衛隊は国会に法案が提出される前、さらに与党協議より前に“確信的未来”を知っていたことになり、自衛隊の単独ではないとしても“本当にごく小さなグループだけで国の大事が進められていた”印象が深まりました。

ただ、私がそれ以上に違和感を覚えているのが、“自衛隊員が海外派遣中に武器を不正に使用しても、現在これを罰する法律が存在しない”ということです!
つまり、もし自衛隊員が“柳条湖事件”のような陰謀による爆破事件を起こしても、法的に処罰できないことになります。
これが国内での不正使用であった場合、『自衛隊法118条1項4号』により“1年以下の懲役または3万円以下の罰金”と規定されるそうですが、一般に拳銃等を発射した事例を刑法『銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)』に適用させると“無期又は3年以上の有期懲役”であり、これに比べても驚くほど軽い刑罰でしかありません。
こんな状態で自衛隊を世界中へ派遣し“駆けつけ警護”などに従事させて、本当に大丈夫…?
そう言っている本日9/14、エジプト治安部隊が観光客をテロリストと誤認し24人を殺傷する事件が発生しました!

この問題は7/29-30の参院特別委員会で無所属・水野賢一議員が指摘した点ですが、これに対し中谷防衛相は“徹底した教育訓練を行うと共に、隊員が職務の義務に違反した場合などには懲戒処分を科すことにより十分に防止できると考えており、自衛隊法の罰則のあり方に対して本法案における罰則は新たな自衛隊の任務に対応した必要にして十分なものである。”と答弁しました。
…これが、“必要にして十分”??


日本が平和であり続けるためには“武力による威嚇(抑止力)”か、“平和憲法を守り外交力を磨く”、どちらが正解かは“未来の結果”でしか答えは出し得ません(“武力による威嚇”は、現憲法下では違憲ですが)。
“戦前の日本の体制”・“日本での原発推進”については既に歴史の答えは出ていますが、後は私たちがその事実を率直に認め、反省し、二度と同じ道を選択しないかに懸かっています。
人は、どんなに優秀であっても過ちを犯す宿命から逃れることはできません。
それならば、“みんなに関わる事はごく一部の人間が独断で決めるのではなく、みんなの意見で決めようよ”というのが先の大戦から得た“血の教訓”だと、私は思っています。

しかし安倍首相は、“子どもでも容易に指摘し得る論理矛盾を抱え、殆んどの憲法学者と国民の大半が違憲と判断する法案”を、彼のタイム・スケジュールに従い後ろを振り返らず押し進めるのでしょう。
安倍氏にとって、彼の信じる答えこそが絶対であり、だから主権者たる国民の許しを得る必要はない…
…これは“以前、何処かで聞いた話”です。


“(終戦から70年という節目を迎えた)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、
今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。”


今上(きんじょう)天皇は今年、新年の所感をこうメッセージされました。
政治的に中立であるべきお立場として“満州事変に始まるこの戦争”という言及は異例のことであり、誰よりも謙虚に日本の歴史を学び、誰より真摯に反省と平和への意思を世界に伝えてこられた陛下の、差し迫った危機感の表れのように思えます。

“満州事変”は、主権者である天皇の許しを得ず一部の軍人が独断で始めた戦争であり、それを制御すべき指導者が“やってしまったものは仕方ない”と犯罪者を処罰せず安易に追随したことにより、日本を焦土の道へと導いてしまいました。
2015年、主権者である国民の許しを得ず一部の人間の独断によって、他国への“先制攻撃”を可能にする法律が生まれようとしています(集団的自衛権の発動によって)。
私は、これまで日本が“先制攻撃はしない”と宣言してきたことこそが、この国の70年の平和に対して大きな貢献があったと思っており、それを捨て去ることは近隣国を疑心暗鬼にさせ内外共に“邪(よこしま)な口実”を生む導火線になると考えています。

もう二度と、一部の人間の独断によって国の大事を進める社会に後戻りをさせてはならない…。



「ハートにファイア」


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tags : 1989年 ロック/ポップ 歴史  

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「シーズ・ガット・ア・ウェイ」ビリー・ジョエル

2015.07.10

category : Billy Joel

Billy Joel - Shes Got A Way1 Billy Joel - Shes Got A Way2


Billy Joel - She's Got A Way (1971年)



~ビリー・ジョエル結婚記念!~

“あの娘にアタック”したビリー・ジョエルが見事スーパーモデルをモノにした「Tell Her About It」(過去ログ)を5月に特集したばかりですが、ナンと今度は御年66歳になった彼が新たな花嫁をゲットしたというニュースが飛び込んで参りました!
(…って、何度目やねん!?

ビリーにとって今回が4度目の結婚であり、オメデタイ話には“オマケ”もあるのだとか!?
ハナシの続きは、後半にて…。



~概要~

“Piano Man”が代名詞であるビリー・ジョエルのデビューは1967年、彼の地元ロングアイランドを拠点に活躍していた“ハッスルズ(The Hassles)”というロック・バンドでした。
しかし4枚のシングルと2枚のアルバムを発表するもヒットに至らずバンドは分裂、1969年にビリーはドラマーのジョン・スモールと共にアッティラ(Attila)を結成しますがこれも商業的失敗と“ある事情(後述)”により翌年には解散…。

そんな鳴かず飛ばずのビリーに声を掛けたのがファミリー・プロダクションズというレコード会社のアーティ・リップという人で、彼のプロデュースにより1971年11月にビリーはソロ・デビュー作である『Cold Spring Harbor』を発表、翌年シングル「She's Got A Way」をリリースしていますが、何れもチャート・インさえ果たすことはできませんでした。
こうした失敗の後に“ドタバタ劇”は付きモノで、ツアーを開始するも半ばで中止、そもそもレコード会社側が『Cold Spring Harbor』を回転速度を上げて録音していたことに対するビリーの不信は非常に強く、別人のような自分の歌声に彼は完成したレコードを投げつけたといいます。
(後年ビリーはここでの歌声を“the Chipmunks(アニメのシマリス)みたい”とジョークにしている)


その後1972年にコロムビアに移籍、「素顔のままで」(過去ログ)などでグラミー賞の常連となっていたビリーは1981年、初期4枚のアルバムからの選曲となる初のライブ・アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック(Songs in the Attic)』を発表し、その中から「シーズ・ガット・ア・ウェイ」がライブ音源として再びシングル・カットされBillboard Hot 100で23位を記録しました。
さらに『イノセント・マン』が発表された直後の1983年9月、廃盤となっていた『Cold Spring Harbor』は回転数を修正しバッキング・トラックに編集を加え、“幻のデビュー・アルバム”としてコロムビアから再リリースされ、158位とランク・インを果たしています(邦題は『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』)。

最後に、ビリーは2013年に『ケネディ・センター名誉賞』(毎年アメリカで優れた芸術家に贈られる賞)を受賞していますが、彼に敬意を表して式典で「She's Got A Way」を歌ったドン・ヘンリーのパフォーマンスをどうぞ♪

 
 



~Lyrics~

She's got a way of pleasin'
あの娘には、心を愉しくさせる何かがある
But there doesn't have to be a reason anyway
いずれにしても、理由なんて必要ない

たとえば最高に美味しいご馳走を食べた時、ただ“う~ん…♡”と夢心地を余韻まで楽しんでいたいのに、横から“どんな味?どれくらい美味しい?”みたいに矢継ぎ早に問い詰められると、折角のお楽しみをジャマされた気分になるでしょう?
この上ない喜びに際し、人は細かい分析や理由なんかどうでもよくなるものです。

逆に、不味かった時はあれこれ細かい点まで難癖つけて貶(けな)すというのも人情ですが!?
人間関係も?)


How I make her feel
それを、どう気づかせてあげよう…
And I find the strength to keep on goin'
僕は彼女から、進み続ける力を見出していることも

彼にとって彼女は魅力満載というのに、彼女自身はそれに気づいていないのか…
それとも、それを彼の口から直接褒めて欲しいと願っているのかもしれません。

あなたは、実行できていますか?
言葉の一つ、笑顔の一つがあなたの心の支えになっていると感謝を込めて…。


She comes to me when I'm feelin' down
落ち込んでいると、あの娘はやって来て
Inspires me without a sound
何も言わず励ましてくれる

“何も言わず”っていうところがポイントでしょう?
いきなり“スキンシップ”で励ませるのは、親しい間柄こそです。

でも、“落ち込んでいる人を言葉で励ますのは誰にとっても難しい”もので、下手をすると逆効果にさえなり兼ねません。
“理由を訊かれると辛い”ということもありますし…?



~Epilogue~

ビリーはソロ・デビューを果たす以前、エリザベスという一人の女性と出逢っています。
二人は恋に落ち、後に結婚(1973年)に至りますが一つ問題がありました。
彼女は、ハッスルズ~アッティラを通しての友人であり音楽的なパートナー、ジョン・スモールの妻であったからです。
やがて二人の関係はジョンの知る所となりエリザベスは双方に別れを告げ、ビリーは失恋と罪悪感から大量の睡眠薬を飲んでジョンに謝罪と別れの電話をしました。
幸いにも、その彼によって病院に運ばれ一命を救われましたが、極度の神経衰弱に陥っていたビリーは数週間後に研磨剤を飲んでまた同じ騒ぎを引き起こしてしまいます。

うつ病と診断され入院加療を経たビリーは、自分の浅慮を思い知らされました。
僕と一緒に入っていた人たちは、とても克服できないような問題を抱えていた。それに比べれば、僕のは自分で作り上げたものだ。僕はそれを直すことができるって思ったよ。

そうした苦しい時期を乗り越え、エリザベスと共に何もかもやり直すことを誓ったのが故郷ロングアイランドにある地名に因んだ『Cold Spring Harbor』であり、「She's Got a Way」でした…。


She's got a way about her
あの娘には、彼女だけにしかない何かがある
I don't know what it is
…上手くは言えないけれど
But I know that I can't live without her
言えるのは、彼女なしで僕は生きてゆけないということ


“あれから40年”…(どっかで聞いたネタ?

ビリーは3度の失敗を重ね、齢66を数える高年期に入りました。
彼は2009年にファイナンシャル・アドバイザーのAlexis Roderick(現在33歳)と交際を始めていますが、結婚まで6年も費やしたのは“過去の苦い薬”があったからだったのでしょうか…。
今年4月には彼女の妊娠が報じられおり、高齢のビリーが子を授かるという“運命”めいたものを感じたのかもしれません。

ただ、今回の結婚は家族や友人にも全くのサプライズだったようで、彼らは7月4日“アメリカの独立記念日を祝うパーティー”としてビリーの家に招かれ、“行ってみたら結婚式”というオチだったとか!
その中には「アップタウン・ガール」の元妻クリスティ・ブリンクリーとアレクサ(ビリーの実子)母娘の顔ぶれもあったそうです。

ビリーのニュースといえば、NYマディソン・スクエア・ガーデンでの通算公演回数が今月1日で65回に達し、エルトン・ジョンを抜いて最多記録を更新したことが話題となっていました。
赤ちゃんはこの夏にも生まれるそうですが、これに気を良くしたのか二人はその子に“Madison”と名づけたがっているとか…?
生まれてくる子のためにも、もうひと頑張りですね、ビリー♪ 



「シーズ・ガット・ア・ウェイ」


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tags : 1971年 バラード/ピアノ ピュアな愛 

comment(13) 

「あの娘にアタック」ビリー・ジョエル

2015.05.29

category : Billy Joel

Billy Joel - Tell Her About It1 Billy Joel - Tell Her About It2


Billy Joel - Tell Her About It (1983年)



~「あの娘にアタック」…の日?~

. あなたは、“6月第一日曜日(今年は6月7日)”が「あの娘にアタックの日」ということをご存知ですか?
…えっ? そんなの聞いたことがない? (バレたか…
実は、“プロポーズの日”です♪
…えぇっ! それもウソくさい? (これはホントです!
全日本ブライダル協会が1994年に制定したそうで、“ジューン・ブライド”啓蒙活動の一環といった所でしょう。

さて…
それでは、「あの娘にアタック」を推奨しているビリー先生のお手並み拝見といきますか ♪ 



~概要~

「あの娘にアタック」は1983年の9thアルバム『イノセント・マン(An Innocent Man)』からの1stシングルで、ビリー・ジョエルにとって2曲目のBillboard Hot 100のNo.1(1週/年間44位)であり、イギリスでは同年2番目に売れた作品です。
作者はビリー自身で、プロデュースは『The Stranger』以来お馴染みのフィル・ラモーン。
『イノセント・マン』はビリーが少年時代好きだった1950~60年代R&Bやドゥー・ワップへのオマージュが込められており、「アップタウン・ガール」(過去ログ)など明るく前向きなラブ・ソングが多く収録されました。
ビリー本人によると、「Tell Her About It」は特に“シュープリームスやマーサ&ザ・ヴァンデラスを思い浮かべて書いた”そうです。

本作でビリーは20年も前の音楽をフィーチャーしていますが1960年代と1980年代のそれには案外共通性も多く、80年代育ちの私にとっても60年代音楽は違和感なく心に入ってきた記憶があります。
実際、シュープリームスの「You Keep Me Hangin' On」やマーサ&ザ・ヴァンデラスの「Dancing In The Street」は80年代にカバーされ大ヒットしているし、ビリーの「Tell Her About It」や「アップタウン・ガール」、ライオネル・リッチーの「ユー・アー」(過去ログ)のような古いモータウン・サウンドへのオマージュいっぱいのテイストも、流行の最先端だったデュラン・デュラン に劣らず人気を獲得しました。

また音楽同様、PVが楽しい映像になっていて、“ビリーが1963年の『The Ed Sullivan Show』に出演するという設定”も気が利いているし、ナンといっても登場するエド・サリヴァンのそっくりさんの演技が秀逸で、彼の特徴的なモーションに思わず笑ってしまうことでしょう♪
ちなみにUK盤シングルの写真《右》は、この収録から撮られたものです。





~Lyrics~

Listen boy
いいかい…
It's good information from a man Who's made mistakes
これは、かつて過ちを犯した男からの耳よりの情報

上でも触れた通りこの作品はシュープリームスやマーサ&ザ・ヴァンデラスに発想を得ており、彼女らがしばしば女の子に向けて“よく聞いて、…こうするのよ”とメッセージしていたのを、ビリーは男の子向けに“いいかい、よく聞くんだ”という風に言い換えた形を採っています。
シュープリームスの「恋はあせらず」(過去ログ)などはその典型で、ここではママが娘にアドバイスする形になっていました…。


Cause now and then
女の子というものは
She'll get to worrying
時々、不安になるものなんだ

一般に、男性と比べ女性にとって“安心”はより重要な要素であり、故に不安に苛まれ易いといえるのでしょう。
女性が“愛の証”を頻繁に確かめようとするのはこのためで、それを実感することで安心を得ているのです。
(求めてこない場合、心の中で導火線が…?
これに対し“釣った魚は‘絶対的に’自分のもの”と疑わない男性はエサ(愛情)を与えることを怠り、それでも彼女から自分へ注がれる信頼は揺るがないと信じて疑わない(想像もしない?)。
況(ま)してや…

Though you may not have done anything...
たとえ、“疚(やま)しいこと”をしてないとしても

…あれ?
子どもにこんなハナシ、理解できるのかなぁ!?
ビミョ~な乙女心を子どもに説明するって、難しそう…。
(大人の男性だって、よく解っていないのに?


Just a word or two that she gets from you
君が放つ僅か一言二言が
Could be the difference that it makes
隔たりとなって過ちを生むんだ

この歌は“思ったこと全部、伝えよう!”とアドバイスをしていますが、ここはクギを刺すように戒めています。
どんなに信頼している相手であっても、その瞬間毎に心の内を正直に口にしていたら何処かに気持ちのズレが生じることもあるはずです。
出掛ける前“この服似合ってる?”と訊いて“似合ってない”と言われたら、出掛けるのを止めたくなるほどヘコむでしょ?
その辺が“実践”の難しい所で、小さいことだけどそれが積み重なると気づかぬ間に大きな隔たりとなっていることもあるものです。



~Epilogue~

この曲が発表された1983年は、ビリーにとって重要な転換点となった年でした。
彼は10年近く連れ添った妻エリザベスと同年7月に離婚、それを見届けるように7月28日にリリースされたのが「Tell Her About It」だったのです。
離婚したというのに何とも皮肉なタイトルですが、それがこの失敗から得た教訓だったとすれば納得できるのではないでしょうか?
ビリーはその前年モデルのクリスティ・ブリンクリーと出逢っており(「アップタウン・ガール」に登場する女性)、「Tell Her About It」を自ら実行して1985年に彼女とゴール・イン…
この頃の彼の心境は、“推して知るべし”でしょう。


前回『男はつらいよ』を引き合いに出したせいか、この歌が寅さんへの応援歌にも聴こえてしまう…
(寅さんって、普段は饒舌なのにイザとなると“蛇に睨まれた蛙”ですよね?


多くの場合、付き合い始めの“告白”も“プロポーズ”もその主導権が男性に委ねられることが大半ですが、それが苦手な人は“そこから先”には進めず、真面目な人ほどプロポーズの決まり文句“君を幸せにする”の重責を一身に背負わねばと苦悩してしまうものです…

 “…だって、‘結婚は判断力の欠如’って誰かが言ってたよ。
(こっ…コレっ!?

想いを伝えるには“話し上手と勇気”が必要ですが、その先…末長いパートナーとして不可欠な要素こそ、彼が秘めている“やさしさ・誠実さ”なのだと思います。
少し頼りないけれど、そんな素敵な“彼”の勇気を後押しする言葉… 

Tell her about it
あの娘に伝えよう
Tell her everything you feel
君が感じていること、すべて



「あの娘にアタック」


続きはこちら >>

tags : 1983年 ドゥーワップ 恋のアドバイス 楽しい 

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